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目黒区生まれ、関西在住の者です。3:54の東急バス(当時は、東急電鉄バス)ですが、私の幼少期には前面に系統サボを多用しており、前面行き先表示機に系統番号が追加されてからも、誤乗防止の観点から系統サボを併用していた車両もありました。
ありがとうございます。系統番号で分かりやすかったですね
形式など詳しくありませんが、バスの世界もなかなか面白いですね。京王帝都のC2001 最初の路線バス冷房車だと思いますが、お写真ありませんか?
ありがとうございます。私の写真は府中営業所が多いのでCよりもBを写すことが多かったです
ボクの地元で在る熊本のバス事業者で、導入車種の隔たりが無かったのは九州産業交通こと産交バスだ。その子会社の九州国際観光バス(国観バス)で昭和60年代迄、川崎車体のオバQが活躍したのは印象的だったよ。
ご存知でしょうが、産交バスさん。昭和60年代まで、貸し切り車両を一般路線車両に格下げして使ってましたね。その車両改造先でもあるイズミ車体さん。沢山の車両を改造されてましたね。正面は、真ん中に大型方向幕を付けて、ライトは丸目の大型ライトに。見るとユニークなお顔になってました。鉄道雑誌で見たときの衝撃は凄かった😄でも当時は日本全国の事業者さんが、車両の有効活用で貸し切り車両の一般路線車両への改造、やってましたね。見てるだけで楽しかった。昭和の良い思い出です。
産交バスの観光車体の一般路線への格下げ改造内容でボクが最も度肝を抜かされたのが菱形横開き窓且つ、3列目以降の窓が一段上がった個体すら中扉を追加された車両だった。しかも他の産交の観光格下げ車に施された三連テールから六角テールへの着け換えも容赦無く、このクルマも受けていた(゜ロ゜)
今回も貴重な画像、ありがとうございます。2:08 国鉄バスのK-U31Lもしくはエアサス付きのK-UA31Lですね。当時の東北地区の国鉄バスには珍しい冷房車です。7:19 元神奈中のBU10Dですね。箱根登山には神奈中から多くのBUが譲渡されましたが、一部は冷房改造されました。(画像の車は非冷房のままですが)
ありがとうございます。箱根登山はいろいろな中古車があるのでバラエティ豊富で面白いですね
モノコック時代のバスは、個性的なスタイルで目を楽しませました。日野の車両は会社によってテールランプの下にブランドのエンブレムが決まってました。主に京浜急行バスや箱根登山鉄道。京都市営バスがそれでした。地元を走る神奈中の営業所にもモノコック時代に日野車を入れていましたが、こちらはエンブレムは付いてませんでした…
ありがとうございます。
秋北バスのCRA。親会社の国際興業の他、東都観光も使ってましたね。はとバスもCRA{もしかしてCSAかな}使ってましたが、このタイプではなく、正面が一枚ガラスでライトが日野の純正ベゼルみたいなタイプでしたね。苫小牧市営バス。懐かしい😄貸し切り車両、持ってたのですか?知りませんでした。しかもいすゞで富士重工ボディR3型ですかね。路線車両もいすゞでしたね。ボディはもちろん富士重工。CRA/CSA系までV10S、V10SSとリアに貼ってあるプレートがかっこよかったです😄ああ、この頃のいすゞは良かった😄最後の箱根登山の北村ボディは、ご存知元神奈中。転入当初は非冷房でしたが、当時の東急バスの冷房化改造に倣って、車内の片側に吹き出し口を付ける簡易改造でしたね。また、貴重な写真。楽しみにしてます。
ちなみに別動画によると、そのバスもトラックと同じくして〝ニューパワーV10SS〟なるペットネームがついていたそうです。
昔。銀バス時代の静岡鉄道もバラエティありましたね。富士重工3EボディのMP117とか。今以上に楽しかったです。札幌観光の塗装は京急の観光カラーに似てますね。でも、れっきとした名鉄グループ。噂では、名鉄グループから脱退したとの話が。違ってたらすみません。
現在、札幌観光バスは、旧北海観光バスとともに大阪バスグループを基軸とした北海道バスに社名変更され現在に至っています。さらに最近では、エスコンフィールドhokkaidoと新札幌駅を結ぶ不定期路線バス(北海道日本ハムファイターズの試合日のみ運行)の他、元観光バス事業者でありながら長距離都市間バスを運行してるそうです。
3連コンビネーションランプが懐かしいですね♪
今は、ほとんどこういう窓のバス見なくなりましたね。
ありがとうございます。最近は固定窓が多くなっていますね
京浜急行の紅白(貸切車塗色)のバスはいわゆる「ワンロマ」で補助席が付いており、最大55人着席が可能で、簡易貸し切りを行っていましたね。路線バスの時は補助席にカバーを掛けたりして使えないようにしてありましたっけ。写真の日野車は冷房車初期のもので、後ろのコブが後の車両より大きかった時代のもので、日本電装(現•デンソー、トヨタの子会社)製です、エンジンが非力で、坂を登る際は冷房を切らないと登らないとか聞いたことあります。一応、RCよりは出力のあるREではあるんですがね、目が悪いのと社番が宣伝で隠れているので確定できませんが、久里浜営業所所属で、1980年〜1981年頃の車両かと思います。(社番が読めれば、はっきりわかるのですが)
昔のバス第4弾、待ってました🎉今回も懐かしい画像の数々、有難うございます。m(_ _)m0:00 富士重工R13型観光ボディがノスタルジーを感じさせます。😊側面のメトロ窓が前方に傾斜したタイプですが、非常口の窓は通常タイプと傾斜タイプの2種類がありましたね。0:10 川重車体のハイデッカⅠも懐かしい…🥲1:45 非冷房の時代には非常口の窓が開閉式のタイプを選ぶ事業者も多かったですね。後方に呉羽ボディのふそう(MPorMR)が写っていますが、青🔵帯の中の社名ロゴが無ければ素人が見ると臨港バスや新潟交通と見間違えそう(笑)2:10 国鉄バスの日産ディーゼル車は信越・中部の2つの自動車局管内に配置されていました。長野県内には小諸・下諏訪・高遠の3営業所がありましたが、高遠にはショートホイールベースの車輌が配置されていた記憶があります。2:36 北海道中央バスの旧カラーも懐かしいですね。😊写真の車輌ですが、運転席から非常口までの窓数が8枚あり、幅もほぼ均等なのでBU15DかBU20Dかと思われます。(BU10系だと細窓+窓7枚)2:45 この時代は路線車でも一般的な「バス協」タイプの米粒型テールランプ以外に観光タイプの3連コンビネーションランプを用いた会社があったのですね。他には高知県交通(現・とさでん交通)や今は亡き井笠鉄道の様に丸型2連テールを用いた会社もあったなぁ…。🤔2:58 ふそうのパノラマデッカーは地元の長野電鉄でもよく目にしていました。3:13 岡山電気軌道は両備バスの資本系列下なので三菱ふそう車のみでしたが、両備バスが純正ボディ、岡電は西工ボディとはっきり分かれていた印象が強いです。3:34 運転席・フロントドア直後の丸窓が特徴的ですね。😊5:12 モノコック時代の日野車体の冷房車は屋根上の大型のクーラーユニットが目立っていましたね…。😅5:35 3:56にもチラッと写っていたK-U31Kの大型方向幕ver.ですね。6:12 R13型観光系ボディのカーブドガラス採用車ですね。(屋根を薄く見せるのが目的だった)導入第一号はどこだったかな?🤔7:18 7:33 元:神奈川中央交通の車輌ですね。同型車は東海自動車にも譲渡されていましたが、あっちは前扉が後方に折畳まれる仕様だったかと。今後も楽しみにしています。😊
ありがとうございます。今後もご期待ください
Kmの観光バスや西工ボディのふそうはヘッドライトの型から日野車と勘違いしそうだ!?
ありがとうございます。バスを見て識別するのが難しいですね
昔の観光バスで運転席の上に明り取りの窓がついてるのをアッコちゃんバスって呼んでました。(ひみつのアッコちゃんの髪型っぽいから)
ありがとうございます。バスのあだ名は面白いですね
@@user-mukachan 様昔のバス🚍には個性的な渾名が付けられるケースが多かったですね。😀川崎航空機製の丸型観光ボディの「オバQ」の他、西工製42MCの「カマボコ」、53MCの「ハンペン」、三菱ふそうMPで純正及び呉羽自動車工業でB35ボディを架装された車の「ブルドッグ」辺りが思い浮かびます。😊マイナーな呼び方だったと思われるものでは、富士重工製3Eボディの「出目金」や同じく富士重工製のR13B型観光ボディの「ダルマ」を見聞した記憶があるし、時代が下れば北村製作所製大型スケルトンボディの「なまず」もあったなぁ…。🤔
3:12 えっ、はんぺん(53MC)なのにMRだとおおっ!? 恐らくMRの最末期だった可能性がありますね。
ありがとうございます。過渡期にはいろいろ珍しいものがありますね
@@user-mukachan 様バス🚍のモデルチェンジの過渡期には「折衷型」ともいえる珍車がありますね。資料を読み漁った記憶ですが、いすゞ車でBU系なのにC*M系のボディを架装した国鉄バス、その逆ver.の山陽電鉄バス、モノコックボディから「キュービック」スケルトンボディへの過渡期の仕様の札幌市営バスのCJM(CJAかも?)の記憶が浮かび上がりました。
懐かしい車両ばかりですね。ふそうのパノラマデッカー、カッコ良かったですね。
しながわ水族館だからいすゞ車なのかな?地元だから?
ありがとうございます。なぜいすゞ車なのかは分かりませんが本社の近くですね
目黒区生まれ、関西在住の者です。3:54の東急バス(当時は、東急電鉄バス)ですが、私の幼少期には前面に系統サボを多用しており、前面行き先表示機に系統番号が追加されてからも、誤乗防止の観点から系統サボを併用していた車両もありました。
ありがとうございます。系統番号で分かりやすかったですね
形式など詳しくありませんが、バスの世界もなかなか面白いですね。京王帝都のC2001 最初の路線バス冷房車だと思いますが、お写真ありませんか?
ありがとうございます。私の写真は府中営業所が多いのでCよりもBを写すことが多かったです
ボクの地元で在る熊本のバス事業者で、導入車種の隔たりが無かったのは九州産業交通こと産交バスだ。
その子会社の九州国際観光バス(国観バス)で昭和60年代迄、川崎車体のオバQが活躍したのは印象的だったよ。
ご存知でしょうが、産交バスさん。昭和60年代まで、貸し切り車両を一般路線車両に格下げして使ってましたね。その車両改造先でもあるイズミ車体さん。沢山の車両を改造されてましたね。正面は、真ん中に大型方向幕を付けて、ライトは丸目の大型ライトに。見るとユニークなお顔になってました。鉄道雑誌で見たときの衝撃は凄かった😄でも当時は日本全国の事業者さんが、車両の有効活用で貸し切り車両の一般路線車両への改造、やってましたね。見てるだけで楽しかった。昭和の良い思い出です。
産交バスの観光車体の一般路線への格下げ改造内容でボクが最も度肝を抜かされたのが菱形横開き窓且つ、3列目以降の窓が一段上がった個体すら中扉を追加された車両だった。
しかも他の産交の観光格下げ車に施された三連テールから六角テールへの着け換えも容赦無く、このクルマも受けていた(゜ロ゜)
今回も貴重な画像、ありがとうございます。
2:08 国鉄バスのK-U31Lもしくはエアサス付きのK-UA31Lですね。当時の東北地区の国鉄バスには珍しい冷房車です。
7:19 元神奈中のBU10Dですね。箱根登山には神奈中から多くのBUが譲渡されましたが、一部は冷房改造されました。(画像の車は非冷房のままですが)
ありがとうございます。箱根登山はいろいろな中古車があるのでバラエティ豊富で面白いですね
モノコック時代のバスは、個性的なスタイルで目を楽しませました。日野の車両は会社によってテールランプの下にブランドのエンブレムが決まってました。主に京浜急行バスや箱根登山鉄道。京都市営バスがそれでした。地元を走る神奈中の営業所にもモノコック時代に日野車を入れていましたが、こちらはエンブレムは付いてませんでした…
ありがとうございます。
秋北バスのCRA。親会社の国際興業の他、東都観光も使ってましたね。はとバスもCRA{もしかしてCSAかな}使ってましたが、このタイプではなく、正面が一枚ガラスでライトが日野の純正ベゼルみたいなタイプでしたね。苫小牧市営バス。懐かしい😄貸し切り車両、持ってたのですか?知りませんでした。しかもいすゞで富士重工ボディR3型ですかね。路線車両もいすゞでしたね。ボディはもちろん富士重工。CRA/CSA系までV10S、V10SSとリアに貼ってあるプレートがかっこよかったです😄ああ、この頃のいすゞは良かった😄最後の箱根登山の北村ボディは、ご存知元神奈中。転入当初は非冷房でしたが、当時の東急バスの冷房化改造に倣って、車内の片側に吹き出し口を付ける簡易改造でしたね。また、貴重な写真。楽しみにしてます。
ちなみに別動画によると、そのバスもトラックと同じくして〝ニューパワーV10SS〟なるペットネームがついていたそうです。
昔。銀バス時代の静岡鉄道もバラエティありましたね。富士重工3EボディのMP117とか。今以上に楽しかったです。札幌観光の塗装は京急の観光カラーに似てますね。でも、れっきとした名鉄グループ。噂では、名鉄グループから脱退したとの話が。違ってたらすみません。
現在、札幌観光バスは、旧北海観光バスとともに大阪バスグループを基軸とした北海道バスに社名変更され現在に至っています。
さらに最近では、エスコンフィールドhokkaidoと新札幌駅を結ぶ不定期路線バス(北海道日本ハムファイターズの試合日のみ運行)の他、元観光バス事業者でありながら長距離都市間バスを運行してるそうです。
3連コンビネーションランプが懐かしいですね♪
ありがとうございます。
今は、ほとんどこういう窓のバス見なくなりましたね。
ありがとうございます。最近は固定窓が多くなっていますね
京浜急行の紅白(貸切車塗色)のバスはいわゆる「ワンロマ」で補助席が付いており、最大55人着席が可能で、簡易貸し切りを行っていましたね。
路線バスの時は補助席にカバーを掛けたりして使えないようにしてありましたっけ。
写真の日野車は冷房車初期のもので、後ろのコブが後の車両より大きかった時代のもので、日本電装(現•デンソー、トヨタの子会社)製です、
エンジンが非力で、坂を登る際は冷房を切らないと登らないとか聞いたことあります。
一応、RCよりは出力のあるREではあるんですがね、
目が悪いのと社番が宣伝で隠れているので確定できませんが、久里浜営業所所属で、1980年〜1981年頃の車両かと思います。
(社番が読めれば、はっきりわかるのですが)
ありがとうございます。
昔のバス第4弾、待ってました🎉
今回も懐かしい画像の数々、有難うございます。
m(_ _)m
0:00 富士重工R13型観光ボディがノスタルジーを感じさせます。😊
側面のメトロ窓が前方に傾斜したタイプですが、非常口の窓は通常タイプと傾斜タイプの2種類がありましたね。
0:10 川重車体のハイデッカⅠも懐かしい…🥲
1:45 非冷房の時代には非常口の窓が開閉式のタイプを選ぶ事業者も多かったですね。
後方に呉羽ボディのふそう(MPorMR)が写っていますが、青🔵帯の中の社名ロゴが無ければ素人が見ると臨港バスや新潟交通と見間違えそう(笑)
2:10 国鉄バスの日産ディーゼル車は信越・中部の2つの自動車局管内に配置されていました。
長野県内には小諸・下諏訪・高遠の3営業所がありましたが、高遠にはショートホイールベースの車輌が配置されていた記憶があります。
2:36 北海道中央バスの旧カラーも懐かしいですね。😊
写真の車輌ですが、運転席から非常口までの窓数が8枚あり、幅もほぼ均等なのでBU15DかBU20Dかと思われます。
(BU10系だと細窓+窓7枚)
2:45 この時代は路線車でも一般的な「バス協」タイプの米粒型テールランプ以外に観光タイプの3連コンビネーションランプを用いた会社があったのですね。
他には高知県交通(現・とさでん交通)や今は亡き井笠鉄道の様に丸型2連テールを用いた会社もあったなぁ…。🤔
2:58 ふそうのパノラマデッカーは地元の長野電鉄でもよく目にしていました。
3:13 岡山電気軌道は両備バスの資本系列下なので三菱ふそう車のみでしたが、両備バスが純正ボディ、岡電は西工ボディとはっきり分かれていた印象が強いです。
3:34 運転席・フロントドア直後の丸窓が特徴的ですね。😊
5:12 モノコック時代の日野車体の冷房車は屋根上の大型のクーラーユニットが目立っていましたね…。😅
5:35 3:56にもチラッと写っていたK-U31Kの大型方向幕ver.ですね。
6:12 R13型観光系ボディのカーブドガラス採用車ですね。
(屋根を薄く見せるのが目的だった)
導入第一号はどこだったかな?🤔
7:18 7:33 元:神奈川中央交通の車輌ですね。
同型車は東海自動車にも譲渡されていましたが、あっちは前扉が後方に折畳まれる仕様だったかと。
今後も楽しみにしています。😊
ありがとうございます。今後もご期待ください
Kmの観光バスや西工ボディのふそうはヘッドライトの型から日野車と勘違いしそうだ!?
ありがとうございます。バスを見て識別するのが難しいですね
昔の観光バスで運転席の上に明り取りの窓がついてるのをアッコちゃんバスって呼んでました。(ひみつのアッコちゃんの髪型っぽいから)
ありがとうございます。バスのあだ名は面白いですね
@@user-mukachan 様
昔のバス🚍には個性的な渾名が付けられるケースが多かったですね。😀
川崎航空機製の丸型観光ボディの「オバQ」の他、西工製42MCの「カマボコ」、53MCの「ハンペン」、三菱ふそうMPで純正及び呉羽自動車工業でB35ボディを架装された車の「ブルドッグ」辺りが思い浮かびます。😊
マイナーな呼び方だったと思われるものでは、富士重工製3Eボディの「出目金」や同じく富士重工製のR13B型観光ボディの「ダルマ」を見聞した記憶があるし、時代が下れば北村製作所製大型スケルトンボディの「なまず」もあったなぁ…。🤔
3:12 えっ、はんぺん(53MC)なのにMRだとおおっ!? 恐らくMRの最末期だった可能性がありますね。
ありがとうございます。過渡期にはいろいろ珍しいものがありますね
@@user-mukachan 様
バス🚍のモデルチェンジの過渡期には「折衷型」ともいえる珍車がありますね。
資料を読み漁った記憶ですが、いすゞ車でBU系なのにC*M系のボディを架装した国鉄バス、その逆ver.の山陽電鉄バス、モノコックボディから「キュービック」スケルトンボディへの過渡期の仕様の札幌市営バスのCJM(CJAかも?)の記憶が浮かび上がりました。
懐かしい車両ばかりですね。ふそうのパノラマデッカー、カッコ良かったですね。
ありがとうございます。
しながわ水族館だからいすゞ車なのかな?地元だから?
ありがとうございます。なぜいすゞ車なのかは分かりませんが本社の近くですね