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童夢の林ミノルさんと由良拓哉さんは、どうもついて無かったな。思えば世界にでるチャンスだった浮谷東次郎さんの事故童夢ゼロがぶち当たった行政の壁、そしてF1 …間違いなくレースの第一人者だったけど。人生難しいよね
日本でF1に参戦しようとしました童夢プロジェクトがありましたテスト走行でトラブルが多かったです中野信治さんが絡んでいた記憶がありました
童夢というと、その昔スポーツカーを製造したという印象が。ローラは昔のF3000のカテゴリーでシャシーメーカーとして活躍してたし、F1のプライベートチームのラルースにもシャシー提供してたからうまくいくと思ったが。同じシャシーメーカーのレイナードもF1に参戦するかと期待していたが叶わなかった。F1はカネがかかるから、ワークス体制でないとなかなか参戦できない。
5:27 96年に撤退したフォルティから譲り受けたエンジンでしたね。
ローラは古くは第1期ホンダF1のシャシーを共同開発して優勝してるしラルースでは日本GPで鈴木亜久里が3位表彰台に上ったのにね。
童夢の参戦断念の要因の1つは95年の阪神大震災も影響していた…と当時の記憶があります。関西系企業でスポンサーを固めてたから震災の影響をもろに被り、スケジュールを延期していたところにHONDAのフルワークス参戦がトドメになった…ていうのが当時の記憶ですが…実際には違ったのかな?
当時、童夢が監修したF1マシンを設計するPSのゲームソフトがありました。気軽に設計するソフトかと思いきや、ガチに設計する激ムズな内容でした。
当時、鈴鹿のF3000(Fポンだったかも)を観戦した時、童夢のF1マシンF105のデモランを見たのが懐かしいです。ドライバーは当時童夢からF3に参戦していた脇坂寿一選手でした。
幻とまではいきませんが、ヒスパニア【HRT】は印象に残ってます。少なくとも、2010年以降では唯一の予選落ちを経験しています。ケータハムは2011年にチーム名に関する問題があったり、資金等の問題がありました。マノーはビアンキが事故死するなど、悲しいチームです。これら3チームに共通するのは、いずれも2010年に新規参入したチームということです。
2011年に107%ルールが復活した事でHRTは開幕戦で予選落ちしましたね(カーティケヤン/リウッツィ共)。
そもそも2010年の新規参戦枠って結構お粗末過ぎたんだよな、コスワースエンジンさえ使えばどれだけいい加減なチーム体制でもエントリー出来ちゃったんだから。だからUSF1チームはあんな体たらくでもエントリー出来たし、逆に体制面ではまともだったステファンGPはコスワースエンジンじゃない事でエントリー却下されたり…
ホセ・マリア・ロペスさんは南“米”アルゼンチンのドライバー。シトロエンで世界ツーリングカー選手権、トヨタで世界耐久選手権(ルマンも🏆)のチャンピオン。
ミナルディ復活計画とかチャイニーズレーシング参戦とか面白そうな噂は多かった。
この手の話しを聞いてスーパーアグリがいかに凄いか(最後はあれだったけど)
まぁ、スーパーアグリに付いたスポンサーが、契約通りのスポンサーマネー出さなかったから途中で撤退したみたいね。それが無ければ、なんとか続けられたらしい。
スーパーagreeはなぁ…個人的にイキリ過ぎてて嫌われたと思う。
@@愛と言う名のもとに イキリ(苦笑)
いきり?急ぎ過ぎ?
USF1の身の程知らず感が凄い。ローラはサスアームがF3000流用のスチール製だった覚えがあります。童夢はカッコよくて惜しかった。幻のチームと言えばファーストF1が思い出されます。シャーシ買われてエンジン積み替えてライフとして参戦してました。
ライフは、予備予選を一度も通過した事が無かった記憶がありますし、エンジンもW型12気筒エンジンという奇抜なエンジンでした。
@@MegaTakaki 同時期のスバルも自社のお家芸である水平対向エンジンを12気筒化しコローニに供給しましたが、ライフと同様でしたね。
@@櫃本賢治 でも、その12気筒エンジンってスバルが独自に開発してた訳じゃなくて、共同開発だった記憶があります。んで、ホンダのエンジニアから「畳みたいだな」って思われてたみたいですし、海外からは「ベッド」「ダブルベッド」とか思われてたみたいです。
@@MegaTakaki モトーリ・モデルニとの共同開発でしたね。
HRTもデビュー戦は金属製のサスペンションでしたね。
TF110が走る姿を見たかったなぁ
幻というワケではないんですが、F1ブームの真っ只中の91年に『コローニ』というチームがあったが、マシンが非力すぎて毎戦予備予選落ちしていて存在感の薄いチームでした。この年の日本グランプリと最終戦のオーストラリアグランプリに服部尚貴選手がコローニのマシンで参戦をしましたが、結局予備予選落ちで終わりました。当時のF1を見ていた人でコローニというチームを知っている人はいるかな?
あまりに資金不足なので91年の日本グランプリで一般人が1人たしか5万円ぐらいで名前を入れる権利があったね。
ロベルトモレノだったかな、コローニじゃ無ければもっと良い成績なのにと思った記憶があります。
スバルコローニかな?
@@yopper0791さんスバルがついてたのは1990年ですね。91年はコローニDFRだった気がします。
ローラの件、スポンサー都合で1年早く参戦してるのに、途中でスポンサーが撤退ってひどくね?w
スバルコローニとかってどういう扱いのなるのかな?
一応予備予選は走っていたからね。
あまり知られてないが、「いすゞ」もF1のエンジンを開発してたんだようなぁ。
童夢の件は、阪神淡路大震災でダンロップに大きな損害があったのが要因です。工場が焼失してしまいました。
ダンロップの日本工場は兵庫県にあったんですね。
童夢はPlayStationでシミュレーションゲームまでリリースしたけど売れなかったんだよなぁ、コレが…
童夢のマシンは、結構戦闘力があると評判でしたが。もし参戦していたら、スチュワートGPよりもポテンシャルが高かったはずです。
PSで、童夢が監修しF1マシンを設計するソフト「童夢の野望」というゲームソフトがありました。ガチに設計する激ムズのソフトでした。
『F1グランプリ特集』という雑誌で童夢F1プロジェクトの進行具合の連載もありましたな最終回で形になったもののスポンサー枠が少な過ぎて素人目にも大変だなぁ……………と
F1は兎に角金がかかる。
1991年のグラスとか・・・オーナー?が資金持ち逃げして結局モデナ・ランボルギーニで参戦したわけだが。
マキF1もオールジャパンの幻チームだったと思う。たしかドライバーがツーリングカーレースだったかグランチャンだったかでクラッシュして死亡して参戦断念だったような気がする。1974シーズンの話だから詳しいことは忘れたけど⋅⋅⋅
童夢は注目していました。しかし、ホンダやトヨタみたくいかずに終了でしょう。
『リジエ』はいつ撤退したの?記憶ではフェラーリ同様V12エンジン搭載して結構速かったと思うけど。いつの間にか居なくなった。
リジェはプロストが買収した後に中野が乗ったり、アレジが乗ったりと数年間は走っていたと思いますよ。
USF1の参戦詐欺は酷かった。
トレブロンよりはマシ
トレブロンはこのテーマに該当する?
ローラはF3000やインディでは良い成績だったんだけどなぁ。90年のラルースのシャーシはローラだったし。童夢は日本のF3000にオリジナルシャーシて参戦してたけどたまに勝てる程度でしかなかったしなぁ。
「ディレクシブ」の話は出てこないのですね
コメントありがとうございます!ディレクシブは存じ上げませんでした。幻のチームだったのですね。
GT300のやべーチームですね
レイトンハウスやラルースといい、金まわりの不穏なチームが多いね…w
ディレクシブというGT300に参戦していたやべーチームもF1に参戦しようとしていたんだよなぁ…
ディレクシブは投資ファンドが本体だったので、実戦部隊にどんなチームを引っ張って来るのか気になる所ではありましたね…w
1989年のオニクスと同じくF3000昇格組ファーストは無いのか翌年はマシンがあのライフになるというのにね
プレステに童夢のゲームがあったな。超マニアなゲームだった笑
童夢大好き
三菱レーヨンもモックアップ作ってF1速報で記事出てたよねhks0もエンジン作ってたよねこれはf3000でテストしたよねスズキのエンジンもレイトン事件がなければきっと走ったよね‼️
童夢の野望ってやつだね??
マキレーシングってあった❗そのマシーンは岡山?でレストアされた蓮。やっぱり資金不足とネズミ講の問題で中止に?
マキF1は1974年~1976年の3シーズンも、F1に参戦していましたね♪
トレブロンは??
今観る前の広告やけどサムネ右下はステファンやろ。
MasterCardクソだな。
ホンダ第2.5期は結局ポシャったけどね。
まぁ、オールホンダとして参戦を目指していた時に、開発チームの中心人物だったハーベイ・ポスルスウェイト氏が、心筋梗塞で亡くなってしまって計画が頓挫してしまいましたからね。
童夢の林ミノルさんと由良拓哉さんは、どうもついて無かったな。
思えば世界にでるチャンスだった浮谷東次郎さんの事故
童夢ゼロがぶち当たった行政の壁、そしてF1 …
間違いなくレースの第一人者だったけど。
人生難しいよね
日本でF1に参戦しようとしました童夢プロジェクトがありましたテスト走行でトラブルが多かったです中野信治さんが絡んでいた記憶がありました
童夢というと、その昔スポーツカーを製造したという印象が。ローラは昔のF3000のカテゴリーでシャシーメーカーとして活躍してたし、F1のプライベートチームのラルースにもシャシー提供してたからうまくいくと思ったが。同じシャシーメーカーのレイナードもF1に参戦するかと期待していたが叶わなかった。F1はカネがかかるから、ワークス体制でないとなかなか参戦できない。
5:27 96年に撤退したフォルティから譲り受けたエンジンでしたね。
ローラは古くは第1期ホンダF1のシャシーを共同開発して優勝してるしラルースでは日本GPで鈴木亜久里が3位表彰台に上ったのにね。
童夢の参戦断念の要因の1つは95年の阪神大震災も影響していた…と当時の記憶があります。関西系企業でスポンサーを固めてたから震災の影響をもろに被り、スケジュールを延期していたところにHONDAのフルワークス参戦がトドメになった…ていうのが当時の記憶ですが…実際には違ったのかな?
当時、童夢が監修したF1マシンを設計するPSのゲームソフトがありました。
気軽に設計するソフトかと思いきや、ガチに設計する激ムズな内容でした。
当時、鈴鹿のF3000(Fポンだったかも)を観戦した時、童夢のF1マシンF105のデモランを見たのが懐かしいです。ドライバーは当時童夢からF3に参戦していた脇坂寿一選手でした。
幻とまではいきませんが、ヒスパニア【HRT】は印象に残ってます。少なくとも、2010年以降では唯一の予選落ちを経験しています。
ケータハムは2011年にチーム名に関する問題があったり、資金等の問題がありました。
マノーはビアンキが事故死するなど、悲しいチームです。
これら3チームに共通するのは、いずれも2010年に新規参入したチームということです。
2011年に107%ルールが復活した事でHRTは開幕戦で予選落ちしましたね(カーティケヤン/リウッツィ共)。
そもそも2010年の新規参戦枠って結構お粗末過ぎたんだよな、コスワースエンジンさえ使えばどれだけいい加減なチーム体制でもエントリー出来ちゃったんだから。だからUSF1チームはあんな体たらくでもエントリー出来たし、逆に体制面ではまともだったステファンGPはコスワースエンジンじゃない事でエントリー却下されたり…
ホセ・マリア・ロペスさんは南“米”アルゼンチンのドライバー。シトロエンで世界ツーリングカー選手権、トヨタで世界耐久選手権(ルマンも🏆)のチャンピオン。
ミナルディ復活計画とかチャイニーズレーシング参戦とか面白そうな噂は多かった。
この手の話しを聞いてスーパーアグリがいかに凄いか(最後はあれだったけど)
まぁ、スーパーアグリに付いたスポンサーが、
契約通りのスポンサーマネー出さなかったから
途中で撤退したみたいね。
それが無ければ、なんとか続けられたらしい。
スーパーagreeはなぁ…
個人的にイキリ過ぎてて嫌われたと思う。
@@愛と言う名のもとに
イキリ(苦笑)
いきり?急ぎ過ぎ?
USF1の身の程知らず感が凄い。ローラはサスアームがF3000流用のスチール製だった覚えがあります。童夢はカッコよくて惜しかった。幻のチームと言えばファーストF1が思い出されます。シャーシ買われてエンジン積み替えてライフとして参戦してました。
ライフは、予備予選を一度も通過した事が無かった記憶がありますし、
エンジンもW型12気筒エンジンという奇抜なエンジンでした。
@@MegaTakaki 同時期のスバルも自社のお家芸である水平対向エンジンを12気筒化しコローニに供給しましたが、ライフと同様でしたね。
@@櫃本賢治
でも、その12気筒エンジンってスバルが独自に開発してた訳じゃなくて、共同開発だった記憶があります。
んで、ホンダのエンジニアから
「畳みたいだな」
って思われてたみたいですし、海外からは
「ベッド」
「ダブルベッド」
とか思われてたみたいです。
@@MegaTakaki モトーリ・モデルニとの共同開発でしたね。
HRTもデビュー戦は金属製のサスペンションでしたね。
TF110が走る姿を見たかったなぁ
幻というワケではないんですが、F1ブームの真っ只中の91年に『コローニ』というチームがあったが、マシンが非力すぎて毎戦予備予選落ちしていて存在感の薄いチームでした。
この年の日本グランプリと最終戦のオーストラリアグランプリに服部尚貴選手がコローニのマシンで参戦をしましたが、結局予備予選落ちで終わりました。
当時のF1を見ていた人でコローニというチームを知っている人はいるかな?
あまりに資金不足なので
91年の日本グランプリで
一般人が1人たしか5万円
ぐらいで
名前を入れる権利があったね。
ロベルトモレノだったかな、コローニじゃ無ければもっと良い成績なのにと思った記憶があります。
スバルコローニかな?
@@yopper0791さん
スバルがついてたのは
1990年ですね。
91年はコローニDFR
だった気がします。
ローラの件、スポンサー都合で1年早く参戦してるのに、途中でスポンサーが撤退ってひどくね?w
スバルコローニとかってどういう扱いのなるのかな?
一応予備予選は走っていたからね。
あまり知られてないが、「いすゞ」もF1のエンジンを開発してたんだようなぁ。
童夢の件は、阪神淡路大震災でダンロップに大きな損害があったのが要因です。
工場が焼失してしまいました。
ダンロップの日本工場は兵庫県にあったんですね。
童夢はPlayStationでシミュレーションゲームまでリリースしたけど売れなかったんだよなぁ、コレが…
童夢のマシンは、結構戦闘力があると評判でしたが。
もし参戦していたら、スチュワートGPよりもポテンシャルが高かったはずです。
PSで、童夢が監修しF1マシンを設計するソフト「童夢の野望」というゲームソフトがありました。
ガチに設計する激ムズのソフトでした。
『F1グランプリ特集』という雑誌で童夢F1プロジェクトの進行具合の連載もありましたな
最終回で形になったもののスポンサー枠が少な過ぎて素人目にも大変だなぁ……………と
F1は兎に角金がかかる。
1991年のグラスとか・・・
オーナー?が資金持ち逃げして結局モデナ・ランボルギーニで参戦したわけだが。
マキF1もオールジャパンの幻チームだったと思う。たしかドライバーがツーリングカーレースだったかグランチャンだったかでクラッシュして死亡して参戦断念だったような気がする。1974シーズンの話だから詳しいことは忘れたけど⋅⋅⋅
童夢は注目していました。
しかし、ホンダやトヨタみたくいかずに終了でしょう。
『リジエ』はいつ撤退したの?記憶ではフェラーリ同様V12エンジン搭載して結構速かったと思うけど。いつの間にか居なくなった。
リジェはプロストが買収した後に中野が乗ったり、アレジが乗ったりと数年間は走っていたと思いますよ。
USF1の参戦詐欺は酷かった。
トレブロンよりはマシ
トレブロンはこのテーマに該当する?
ローラはF3000やインディでは良い成績だったんだけどなぁ。90年のラルースのシャーシはローラだったし。
童夢は日本のF3000にオリジナルシャーシて参戦してたけどたまに勝てる程度でしかなかったしなぁ。
「ディレクシブ」の話は出てこないのですね
コメントありがとうございます!ディレクシブは存じ上げませんでした。幻のチームだったのですね。
GT300のやべーチームですね
レイトンハウスやラルースといい、金まわりの不穏なチームが多いね…w
ディレクシブというGT300に参戦していたやべーチームもF1に参戦しようとしていたんだよなぁ…
ディレクシブは投資ファンドが本体だったので、実戦部隊にどんなチームを引っ張って来るのか気になる所ではありましたね…w
1989年のオニクスと同じくF3000昇格組ファーストは無いのか
翌年はマシンがあのライフになるというのにね
プレステに童夢のゲームがあったな。超マニアなゲームだった笑
童夢大好き
三菱レーヨンもモックアップ作ってF1速報で記事出てたよねhks0もエンジン作ってたよねこれはf3000でテストしたよねスズキのエンジンもレイトン事件がなければきっと走ったよね‼️
童夢の野望ってやつだね??
マキレーシングってあった❗そのマシーンは岡山?でレストアされた蓮。やっぱり資金不足とネズミ講の問題で中止に?
マキF1は1974年~1976年の3シーズンも、F1に参戦していましたね♪
トレブロンは??
今観る前の広告やけどサムネ右下はステファンやろ。
MasterCardクソだな。
ホンダ第2.5期は結局ポシャったけどね。
まぁ、オールホンダとして参戦を目指していた時に、
開発チームの中心人物だったハーベイ・ポスルスウェイト氏が、
心筋梗塞で亡くなってしまって計画が頓挫してしまいましたからね。