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【参考文献】◯内的時間意識の現象学amzn.to/3SiZT3v◯絵画の冒険www.valuebooks.jp/bp/VS0010175394◯現象学の根本問題amzn.to/4f90Q8r◯存在と時間amzn.to/4bYaEzg◯時間の本amzn.to/3Yuflxw◯時間論の構築amzn.to/3YufvVE【サポーターコミュニティはこちら!】yurugakuto.com/tetsu【公式Twitter】 ゆる哲学ラジオのTwitterアカウントがあるので、是非フォローしてください!⇨ twitter.com/yuru_philosophy【おたよりフォーム】 皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!⇨ forms.gle/n72HW8ZAaAZu5TM96
我わからん 故にエポケー
大学院の時、現象学は読んでもわからず、教授の話を聞いてもなんとなくしかわからずでした。23年ぶりにこの動画で勉強しています。
24:57 「把握」が出なくて「十把一絡げ」を出してしまう平田さん。なんだろこの既視感……
母「早く宿題しなさい」私「今やる〜!」と言って、結局やらなかったこれは過去恥
「続けていきたい」という言葉嬉しいです。今後も楽しみにしています。
現象学的還元についての説明をわかりやすくサラッと説明できてるのすげぇ…やったことあるけどめっちゃ難しかったのに
チャンネル登録しました。 お二人とも話し手、聞き手になるのが上手だしバカでもわかるように噛み砕いて話してくれるから聞いてて楽しかったです。楽しみの一つになりましたので、末永く動画更新し続けていただきたいな⭐️
ありがとうございます!
時間の捉え方をメロディーで説明するのはわかりみが深い。音楽って音と音の関係だからな〜。
先日、ゆる学徒カフェでトキヒロさんから「『内的時間意識の現象学』やりますよ」と伺って以来、楽しみに待っていました!『存在と時間』との関係のところが特に面白かったです勉強になりました!
自我には難しい話もありましたが、よしのぶさんが時々翻訳してくれたのでエポケーしながら楽しめました!
「過去のハイデガー回では、あの時・・」って過去回とつながるとコネド味が感じられて爽快です!
なんとなく知っていたことではあったけれど、よしのぶさんの哲学的素養が遺憾なく発揮されて聴きごたえのある回でした長尺お疲れさまでしたありがとううございます
「現象学」…何度も調べて何個も「?」が浮かんだ言葉
音楽って、時間を感じる気がするんですよね~🤔
「我思う、ゆえに我あり」から「我」を除きたい気持ちはなんとなくわかる気がします。「考えている我」を認識対象にしてしまうと、では「考えている我」を認識している「我」はなんなんだ?という無限後退が起きてしまう気がします。というか、階層性にねじれがあって、認識したと思ったら認識されていた、というような感じでしょうか…。エッシャーの絵の階段のような。「ゲーデル・エッシャー・バッハ」の著者ホフスタッターは、これが人間の意識で最も不思議なことだと、その本の20th-anniversary editionの序章で主張していた気がします。自身を認識することとは独立に「思うこと」を認めないと、これを乗り越えられないのかなぁという気がします。
「認識する我」とそれを認識する「我」は源流を同じ「我」にもち、この源流にある「我」は様々に分離可能なんだと、個人的には思いたいです。こう考えると丸く収まりそうなので笑
音楽の例えはまさに能動的推論の話な気がする
面白かったです!音楽といえば、音楽と哲学で絶妙なゆるいコメディをやっている実存アンプラグドという漫画も好きです。最近は自分で哲学をちょっとずつ学び直すコンテンツが充実していてとてもありがたいです。
先生、僕をエポケーするんですか…?は切なくて面白い笑
終盤の先駆的覚悟性はジョジョのプロシュート兄貴の名言が頭によぎりました。心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
未来把持と音読のところが大規模言語モデルの自然言語処理と似ててオモロイ
最近ゆる音楽学きいてると割とよく「音が解決した/してない」って言ってるの聞くんですけど、まああれが未来把持ですよね?
現象学の説明はキャッチーなものを目指すと大抵「見る」ことやコーヒーカップの話になりがちなので、違う視点の説明助かります。しかし1927年にプロセス哲学が出てくるのも存在と時間に繋がりがあるんですかね〜
ありがたい動画🙏
フゥ〜〜〜〜!!!!現象学きたーーーーー!!!!!!!!!
個人的にかなりの神回でした。学びあり笑いあり。「将来のために行動する」が出来なくなる状態って何となく病と呼ばれるものと結び付きそうですね。過去把持・未来把持が極端に短くなると認知症のような感じなのでは?(認知症の知識が浅いので的外れだったらすみません)
懐かしい。『文学部唯野教授』で扱われていたところですね。その後竹田青嗣さんの『現象学入門』を読んで居る最中「目で見えているものがその通りに思えなくなったらどうしよう?」と恐ろしくなり、そこで読むことをやめてしまい、それからはや数十年。あの時途中で辞めてしまった本にまたチャレンジしてみようかな。
言語モデルの仕組みが思い浮かびました
「未来把持」というのは日本語入力の予測変換やブラウザ検索のサジェストみたいかもと思いました🤔
転化の結果として時間というものがあるってのと時間の上で人間は将来に向かって行動しているってのは、仮に「意識というものが何らかの転化の結果生じている」と仮定した場合、スムーズに理解されると思いました意識は脳細胞の電子とか化学伝達物質の運動の結果生じているっていう近年の学説とも矛盾ないしかなり納得感ある話でした
今まで気にならなかったけど「たしかに」ってよしのぶさんの口癖ですね。今回だけでも20回くらい言ってそう😮「なるほど」は10回くらい。合わせ技の「なるほど~たしかに」は5回くらい。
サムネのテイストが新しくてドキッとした。プレーンなトキヒロさんにドキドキ…
やっぱり健常者=神の論理なんだよな現象学って
私は物を整理したり捨てるのが嫌いで、「とりあえずおいとこ」とエポケーしがちで、結果的に生活スペースがベッドの上だけになってしまいました。
ベッド以外の世界はすべて括弧の中に…
37:08 その予測把握の 範囲(広さ)と長さ(空間 時間 世代) がどれくらあるかで 歴史書 とか読んだ時の感覚とかが全部変わる 音楽と 歴史 が似たもの フラクタルとして とらえられる 変な言い方すると 小泉構文の一貫性みたいなもの「なるほど」 の一貫制と 段階性が違う
エポケースタンプ使いたい
たのまち
43:37 哲学を知ってる人が、考えてることと 使う言葉に幅が 範囲の縮尺が違うから 数回聞かないと 本当にわからない わかったと思ってた範囲と 違う場合が結構あるし 言葉の多義性とか もあるから難しい
未来把持がないとキャッチボールできないと思いました。
ゆる哲学の方は聞いたこと無かったけど、タイトルのおもろそうさと金カムの話題が出たので一瞬で全部見ることに決めた
ありがとうございます!!
@@yurutetsugaku ええ!?こちらこそ!!!
ゴールデンカムイの話以外は難しくて脳が理解しようとする努力を放棄しました…よしのぶさん、牡蠣にあたるのは怖いですよ~。大好きだった生牡蠣、一度あたって以降もうまったく食欲がわかなくなってしまいました。
「過去ー現在ー未来」を「想起ー過去把持ー現印象ー未来把持ー予期」と分けたけど、結局「未来把持」の例えが「予期」、「過去把持」の例えが「想起」でも成立してしまう気がするので、この点を明確に分けてほしかったです。「現在」という言葉に幅があるのは理解できますが、メロディーを聞いたりや文を読む際の例は「『予期』が裏切られた」と言っても成立しそうですし、むしろそちらの方が自然だと理解できます。(「次にこの音が来そうだな」と考えている際の「次」は明らかに「未来」であって現在ではないため)
フランスでは大学入試にも哲学の試験がありますね
私はの過去把持証明震えたわ
19:37 19:52 不知の自覚 ~を知ってる と ~を思う の違い=≒ それってあなたの感想ですよね 存在論 経験論 個人 有無 22:10 トキヒロの現象学 よしのぶの現象学
現象学キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
男女等がカップルになる時、ちょっとこの人と付き合ったら楽しそうとか、未来が明るそう等、ちょっとした予感で十分という話を聞いたことがある。こういうのが、現在、未来がくっついた概念かもね。 科学ベースで哲学生まれるのは、当然の流れかもね。まだ科学も未発展分野たくさんあるし。数学も三角形の内角の和=180°でない数学のようにいろいろと作れてしまうそうなので、その時々での使い様な気がする。
そもそも我々が見ている世界は全て過去の事象です。夜空の星が過去の光であるのと同様に、目の前の全ては過去の光です。つまり我々は対象に対して未来に存在しながら過去を観てそれを現在だと定義している。過去・現在・未来が観測者によって統合され同時存在しているのです。1次元の点は存在、2次元の線は存在の連続的変化、3次元の立体は存在の連続的変化の蓄積です。時間の感覚はアニメーションと全く同じ。静止した絵の連続的変化の積み重ねがアニメになるように、一瞬一瞬の連続的変化が時間感覚であり、それの積み重ねが世界です。我々が観測するから世界があり、また我々が存在しているということは、上次元の存在に観測されているという証左なのです。じゃあ上次元の存在とは何か。それは未来側に存在する主体です。
物理学的にはそうでしょうね。目に飛び込んだ光が脳に伝わるまでにも時間を要するわけですし。でも、哲学的にはその点は捨象して考えて良いのではないでしょうか?外界の状態と我々の中の時間にずれがあっても問題なく、ここで議論の対象にしているのは後者だと思います。物理学的には、時間と空間は同時に存在しており、その中をなぜか我々は時間軸については一方向にしか進めないのです。空間で例えるなら、我々が銀河系の中を地球に乗ってもの凄いスピードで移動しており抗えないのと同じです(宇宙に絶対座標は存在しませんが)。「空間」については、超高速で飛べる宇宙船を開発さえすれば銀河系の回転速度にも抗うことができますが、時間については今のところ方法が見つかっていません。せいぜい流れを遅くするだけです。時間について不思議がるのと同じように空間についても不思議だと思うのですが、あまりそういう風には捉えられていないことに不思議を感じます。このチャンネルでも扱ってほしいですね。
目が見えない人はどないすればええんや
瞑想とかしてらっしゃいますか?
@@user-willaco2ga光に限らず音も感触も過去に発されたものを知覚してるからセーフ
哲学ではなくポエムやろ分かった風でしかない。別の人も指摘してるが、物理的に時間差があるけど、それは物理の話やから上の次元の存在て、、スピ系やん
「思う、ゆえにあり」
希望が絶たれると時間が止まる。先駆的覚悟性が刺さる9/1。
アウグスティヌスが最初に帰依していたマニ教だと、時間そのもの(アイオーン)が神格化されてましたが… その辺の話は哲学史からは漏れてしまうのかなあ…
量子力学の観測によって不確実性という概念を確実にした。 「われ思う、故に、我、不確実」 テキトー
未来と将来の違いについて、こんな話を聞いたことがあります。「未来」は「未だ来たらず」で「まだ来てない」「将来」は「将に来んとす」で「今にも来ようとする」だから「将来」という言葉には「もうすぐ」というニュアンスがあるけど、「未来」はそうではない。その証拠に「近未来」「遠い未来」という言い方はある。一方で「近い将来」という言い方はあるけど、「遠い将来」は矛盾するので存在しない。だから51:04の「将来」は未来把持を指してるのかもしれません。
先駆的覚悟性ってアリストテレスの目的因かな。
現象学といえば矢吹翔
へー、哲学でも現代は点じゃなくてヒモイメージなんだ〜。と思ってにっこりした。
小生ドルヲタ故、初見楽曲にコール(MIX)入れること容易く
自分用メモカントにも通ずるところがありそう
武術の 先の先 先 先の後 (今) 後の先 に似てると思った
左の子、相当綺麗な顔してるぞ
犬も猫も好きです
ネオさんの本で学んだのだな!
奇遇にも次回はネオさんについて触れますが、この台本はそれを読む前に書きました。主に参考にしたのは立木『時間の本』と中山『時間論の構築』です。
「時間」という「存在」ではなくてその「人間の感じ方」を議論するということは、哲学が認知科学に近づいたということでしょうか?ま、すべての学問を愛するのであれば色々の学問と融合するのは不思議ではないですね
ゲシュタルト心理学も メロディー 音楽を 使って 説明してますね。そして ドイツの ゲシュタルト心理学が WW2 で いったん 地下に もぐった ように 休止して、その後 アメリカで 自我心理学と 行動学の 矛盾を こえて、認知心理学が 生まれ、当時は 認知心理学と 呼ばれました。私の 印象では、フッサールの現象学 から ゲシュタルト心理学 そして 認知心理学へ と、つながって いると 感じて います。
先駆的覚悟性なんてほとんどの人はもってないと思う。もってる人はかなり人間ができてる気がする。
ワシの考える最高の伏線って「アルジャーノンに花束を」じゃわい。
プロシュート兄貴がチラ見えしたよね?
先駆的覚悟性ww
サムネがなんかたつろうっぽい
原著はちゃんと全巻、Deutschで、よんだのか。
いずれ死ぬという覚悟をして生きる
『世界内存在』は、ユキュスクルの『環境世界論』のパクリであり『科学的』過ぎます!
謎の部屋。
52:09 白いシャツを着た他者が必要だ・・・・あれ?、#70でカーキ色をイメージした時、ミリタリー好きとアパレル好きで黄色っぽい色と緑っぽい色で異なる世界から受けた影響を主観的にどうとらえるかは1人1人異なるって話してたよなぁ?結局、どうなってるんだ?ループしてるぞ
本題とは違いますが、エビフライの話に強い違和感を感じました。「松ぼっくりの芯」と「エビフライ」が似ているという認識は、エビフライが真っ直ぐな形をしているという共通認識を前提としています。確かに、現代の「エビフライ」は直線的な形態をしています。しかし、エビフライが今のような真っ直ぐの形(エビの身に加工をして直線的に整形してから揚げている)が主流になるのは、少なくとも日本では二十世紀もかなり押しつまった時期であり、それまでは、むしろエビの性質に沿った湾曲した形態でイメージされることが多かったのではないかと思います。ゴールデンカムイは読んでないので、見当違いのことを言っているかも知れませんが。
「なぜ杉本がエビフライを知っていたのか」が秀逸な伏線回収である理由は、全くことなる文脈でかつメインストーリーの根幹に紐付く形でエビフライが再登場したから。伏線として称賛されるか後付けの付加物として見なされるかは、これをもともと想定していたんだろうなぁというデザインの緻密さ、そして納得感が重要なのだと思います。これが私の考えです。哲学には芯となるようなストーリーラインはないし疑問史上主義の哲学で久方ぶりに時間について再考されたことを壮大な伏線回収と言われても……、期待して全部見ましたが納得感はありませんでした。残念です。
そう、思っているのは言わなくても当然なのである。
【参考文献】
◯内的時間意識の現象学
amzn.to/3SiZT3v
◯絵画の冒険
www.valuebooks.jp/bp/VS0010175394
◯現象学の根本問題
amzn.to/4f90Q8r
◯存在と時間
amzn.to/4bYaEzg
◯時間の本
amzn.to/3Yuflxw
◯時間論の構築
amzn.to/3YufvVE
【サポーターコミュニティはこちら!】
yurugakuto.com/tetsu
【公式Twitter】
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我わからん 故にエポケー
大学院の時、現象学は読んでもわからず、教授の話を聞いてもなんとなくしかわからずでした。23年ぶりにこの動画で勉強しています。
24:57 「把握」が出なくて「十把一絡げ」を出してしまう平田さん。
なんだろこの既視感……
母「早く宿題しなさい」
私「今やる〜!」
と言って、結局やらなかった
これは過去恥
「続けていきたい」という言葉嬉しいです。今後も楽しみにしています。
現象学的還元についての説明をわかりやすくサラッと説明できてるのすげぇ…やったことあるけどめっちゃ難しかったのに
チャンネル登録しました。 お二人とも話し手、聞き手になるのが上手だしバカでもわかるように噛み砕いて話してくれるから聞いてて楽しかったです。
楽しみの一つになりましたので、末永く動画更新し続けていただきたいな⭐️
ありがとうございます!
時間の捉え方をメロディーで説明するのはわかりみが深い。音楽って音と音の関係だからな〜。
先日、ゆる学徒カフェでトキヒロさんから「『内的時間意識の現象学』やりますよ」と伺って以来、楽しみに待っていました!
『存在と時間』との関係のところが特に面白かったです
勉強になりました!
自我には難しい話もありましたが、よしのぶさんが時々翻訳してくれたのでエポケーしながら楽しめました!
「過去のハイデガー回では、あの時・・」って過去回とつながるとコネド味が感じられて爽快です!
なんとなく知っていたことではあったけれど、
よしのぶさんの哲学的素養が遺憾なく発揮されて聴きごたえのある回でした
長尺お疲れさまでした
ありがとううございます
「現象学」…何度も調べて何個も「?」が浮かんだ言葉
音楽って、時間を感じる気がするんですよね~🤔
「我思う、ゆえに我あり」から「我」を除きたい気持ちはなんとなくわかる気がします。
「考えている我」を認識対象にしてしまうと、では「考えている我」を認識している「我」はなんなんだ?という無限後退が起きてしまう気がします。というか、階層性にねじれがあって、認識したと思ったら認識されていた、というような感じでしょうか…。エッシャーの絵の階段のような。
「ゲーデル・エッシャー・バッハ」の著者ホフスタッターは、これが人間の意識で最も不思議なことだと、その本の20th-anniversary editionの序章で主張していた気がします。
自身を認識することとは独立に「思うこと」を認めないと、これを乗り越えられないのかなぁという気がします。
「認識する我」とそれを認識する「我」は源流を同じ「我」にもち、この源流にある「我」は様々に分離可能なんだと、個人的には思いたいです。こう考えると丸く収まりそうなので笑
音楽の例えはまさに能動的推論の話な気がする
面白かったです!音楽といえば、音楽と哲学で絶妙なゆるいコメディをやっている実存アンプラグドという漫画も好きです。最近は自分で哲学をちょっとずつ学び直すコンテンツが充実していてとてもありがたいです。
先生、僕をエポケーするんですか…?は切なくて面白い笑
終盤の先駆的覚悟性はジョジョのプロシュート兄貴の名言が頭によぎりました。
心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
未来把持と音読のところが大規模言語モデルの自然言語処理と似ててオモロイ
最近ゆる音楽学きいてると割とよく「音が解決した/してない」って言ってるの聞くんですけど、まああれが未来把持ですよね?
現象学の説明はキャッチーなものを目指すと大抵「見る」ことやコーヒーカップの話になりがちなので、違う視点の説明助かります。しかし1927年にプロセス哲学が出てくるのも存在と時間に繋がりがあるんですかね〜
ありがたい動画🙏
フゥ〜〜〜〜!!!!現象学きたーーーーー!!!!!!!!!
個人的にかなりの神回でした。学びあり笑いあり。
「将来のために行動する」が出来なくなる状態って何となく病と呼ばれるものと結び付きそうですね。
過去把持・未来把持が極端に短くなると認知症のような感じなのでは?
(認知症の知識が浅いので的外れだったらすみません)
懐かしい。『文学部唯野教授』で扱われていたところですね。
その後竹田青嗣さんの『現象学入門』を読んで居る最中「目で見えているものがその通りに思えなくなったらどうしよう?」と恐ろしくなり、そこで読むことをやめてしまい、それからはや数十年。あの時途中で辞めてしまった本にまたチャレンジしてみようかな。
言語モデルの仕組みが思い浮かびました
「未来把持」というのは日本語入力の予測変換やブラウザ検索のサジェストみたいかもと思いました🤔
転化の結果として時間というものがあるってのと時間の上で人間は将来に向かって行動しているってのは、仮に「意識というものが何らかの転化の結果生じている」と仮定した場合、スムーズに理解されると思いました
意識は脳細胞の電子とか化学伝達物質の運動の結果生じているっていう近年の学説とも矛盾ないしかなり納得感ある話でした
今まで気にならなかったけど「たしかに」ってよしのぶさんの口癖ですね。今回だけでも20回くらい言ってそう😮
「なるほど」は10回くらい。合わせ技の「なるほど~たしかに」は5回くらい。
サムネのテイストが新しくてドキッとした。プレーンなトキヒロさんにドキドキ…
やっぱり健常者=神の論理なんだよな現象学って
私は物を整理したり捨てるのが嫌いで、「とりあえずおいとこ」とエポケーしがちで、結果的に生活スペースがベッドの上だけになってしまいました。
ベッド以外の世界はすべて括弧の中に…
37:08 その予測把握の 範囲(広さ)と長さ(空間 時間 世代) がどれくらあるかで
歴史書 とか読んだ時の感覚とかが全部変わる
音楽と 歴史 が似たもの フラクタルとして とらえられる 変な言い方すると 小泉構文の一貫性みたいなもの
「なるほど」 の一貫制と 段階性が違う
エポケースタンプ使いたい
たのまち
43:37 哲学を知ってる人が、考えてることと 使う言葉に幅が 範囲の縮尺が違うから 数回聞かないと
本当にわからない わかったと思ってた範囲と 違う場合が結構あるし 言葉の多義性とか もあるから難しい
未来把持がないとキャッチボールできないと思いました。
ゆる哲学の方は聞いたこと無かったけど、タイトルのおもろそうさと金カムの話題が出たので一瞬で全部見ることに決めた
ありがとうございます!!
@@yurutetsugaku ええ!?こちらこそ!!!
ゴールデンカムイの話以外は難しくて脳が理解しようとする努力を放棄しました…
よしのぶさん、牡蠣にあたるのは怖いですよ~。大好きだった生牡蠣、一度あたって以降もうまったく食欲がわかなくなってしまいました。
「過去ー現在ー未来」を「想起ー過去把持ー現印象ー未来把持ー予期」と分けたけど、結局「未来把持」の例えが「予期」、「過去把持」の例えが「想起」でも成立してしまう気がするので、この点を明確に分けてほしかったです。
「現在」という言葉に幅があるのは理解できますが、メロディーを聞いたりや文を読む際の例は「『予期』が裏切られた」と言っても成立しそうですし、むしろそちらの方が自然だと理解できます。(「次にこの音が来そうだな」と考えている際の「次」は明らかに「未来」であって現在ではないため)
フランスでは大学入試にも哲学の試験がありますね
私はの過去把持証明震えたわ
19:37 19:52 不知の自覚 ~を知ってる と ~を思う の違い
=≒ それってあなたの感想ですよね 存在論 経験論 個人 有無
22:10 トキヒロの現象学 よしのぶの現象学
現象学キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
男女等がカップルになる時、ちょっとこの人と付き合ったら楽しそうとか、未来が明るそう等、ちょっとした予感で十分という話を聞いたことがある。こういうのが、現在、未来がくっついた概念かもね。
科学ベースで哲学生まれるのは、当然の流れかもね。まだ科学も未発展分野たくさんあるし。数学も三角形の内角の和=180°でない数学のようにいろいろと作れてしまうそうなので、その時々での使い様な気がする。
そもそも我々が見ている世界は全て過去の事象です。夜空の星が過去の光であるのと同様に、目の前の全ては過去の光です。つまり我々は対象に対して未来に存在しながら過去を観てそれを現在だと定義している。過去・現在・未来が観測者によって統合され同時存在しているのです。1次元の点は存在、2次元の線は存在の連続的変化、3次元の立体は存在の連続的変化の蓄積です。時間の感覚はアニメーションと全く同じ。静止した絵の連続的変化の積み重ねがアニメになるように、一瞬一瞬の連続的変化が時間感覚であり、それの積み重ねが世界です。我々が観測するから世界があり、また我々が存在しているということは、上次元の存在に観測されているという証左なのです。じゃあ上次元の存在とは何か。それは未来側に存在する主体です。
物理学的にはそうでしょうね。目に飛び込んだ光が脳に伝わるまでにも時間を要するわけですし。でも、哲学的にはその点は捨象して考えて良いのではないでしょうか?外界の状態と我々の中の時間にずれがあっても問題なく、ここで議論の対象にしているのは後者だと思います。
物理学的には、時間と空間は同時に存在しており、その中をなぜか我々は時間軸については一方向にしか進めないのです。空間で例えるなら、我々が銀河系の中を地球に乗ってもの凄いスピードで移動しており抗えないのと同じです(宇宙に絶対座標は存在しませんが)。
「空間」については、超高速で飛べる宇宙船を開発さえすれば銀河系の回転速度にも抗うことができますが、時間については今のところ方法が見つかっていません。せいぜい流れを遅くするだけです。
時間について不思議がるのと同じように空間についても不思議だと思うのですが、あまりそういう風には捉えられていないことに不思議を感じます。このチャンネルでも扱ってほしいですね。
目が見えない人はどないすればええんや
瞑想とかしてらっしゃいますか?
@@user-willaco2ga光に限らず音も感触も過去に発されたものを知覚してるからセーフ
哲学ではなくポエムやろ
分かった風でしかない。別の人も指摘してるが、物理的に時間差があるけど、それは物理の話やから
上の次元の存在て、、スピ系やん
「思う、ゆえにあり」
希望が絶たれると時間が止まる。先駆的覚悟性が刺さる9/1。
アウグスティヌスが最初に帰依していたマニ教だと、時間そのもの(アイオーン)が神格化されてましたが… その辺の話は哲学史からは漏れてしまうのかなあ…
量子力学の観測によって不確実性という概念を確実にした。
「われ思う、故に、我、不確実」 テキトー
未来と将来の違いについて、こんな話を聞いたことがあります。
「未来」は「未だ来たらず」で「まだ来てない」
「将来」は「将に来んとす」で「今にも来ようとする」
だから「将来」という言葉には「もうすぐ」というニュアンスがあるけど、「未来」はそうではない。
その証拠に「近未来」「遠い未来」という言い方はある。一方で「近い将来」という言い方はあるけど、「遠い将来」は矛盾するので存在しない。
だから51:04の「将来」は未来把持を指してるのかもしれません。
先駆的覚悟性ってアリストテレスの目的因かな。
現象学といえば矢吹翔
へー、哲学でも現代は点じゃなくてヒモイメージなんだ〜。と思ってにっこりした。
小生ドルヲタ故、初見楽曲にコール(MIX)入れること容易く
自分用メモ
カントにも通ずるところがありそう
武術の 先の先 先 先の後 (今) 後の先 に似てると思った
左の子、相当綺麗な顔してるぞ
犬も猫も好きです
ネオさんの本で学んだのだな!
奇遇にも次回はネオさんについて触れますが、この台本はそれを読む前に書きました。主に参考にしたのは立木『時間の本』と中山『時間論の構築』です。
「時間」という「存在」ではなくてその「人間の感じ方」を議論するということは、哲学が認知科学に近づいたということでしょうか?
ま、すべての学問を愛するのであれば色々の学問と融合するのは不思議ではないですね
ゲシュタルト心理学も メロディー 音楽を 使って 説明してますね。そして ドイツの ゲシュタルト心理学が WW2 で いったん 地下に もぐった ように 休止して、その後 アメリカで 自我心理学と 行動学の 矛盾を こえて、認知心理学が 生まれ、当時は 認知心理学と 呼ばれました。私の 印象では、フッサールの現象学 から ゲシュタルト心理学 そして 認知心理学へ と、つながって いると 感じて います。
先駆的覚悟性なんてほとんどの人はもってないと思う。もってる人はかなり人間ができてる気がする。
ワシの考える最高の伏線って「アルジャーノンに花束を」じゃわい。
プロシュート兄貴がチラ見えしたよね?
先駆的覚悟性ww
サムネがなんかたつろうっぽい
原著はちゃんと全巻、Deutschで、よんだのか。
いずれ死ぬという覚悟をして生きる
『世界内存在』は、ユキュスクルの『環境世界論』のパクリであり『科学的』過ぎます!
謎の部屋。
52:09 白いシャツを着た他者が必要だ・・・・
あれ?、#70でカーキ色をイメージした時、ミリタリー好きとアパレル好きで黄色っぽい色と緑っぽい色で異なる
世界から受けた影響を主観的にどうとらえるかは1人1人異なるって話してたよなぁ?
結局、どうなってるんだ?ループしてるぞ
本題とは違いますが、エビフライの話に強い違和感を感じました。「松ぼっくりの芯」と「エビフライ」が似ているという認識は、エビフライが真っ直ぐな形をしているという共通認識を前提としています。確かに、現代の「エビフライ」は直線的な形態をしています。しかし、エビフライが今のような真っ直ぐの形(エビの身に加工をして直線的に整形してから揚げている)が主流になるのは、少なくとも日本では二十世紀もかなり押しつまった時期であり、それまでは、むしろエビの性質に沿った湾曲した形態でイメージされることが多かったのではないかと思います。ゴールデンカムイは読んでないので、見当違いのことを言っているかも知れませんが。
「なぜ杉本がエビフライを知っていたのか」が秀逸な伏線回収である理由は、全くことなる文脈でかつメインストーリーの根幹に紐付く形でエビフライが再登場したから。
伏線として称賛されるか後付けの付加物として見なされるかは、これをもともと想定していたんだろうなぁというデザインの緻密さ、そして納得感が重要なのだと思います。これが私の考えです。
哲学には芯となるようなストーリーラインはないし疑問史上主義の哲学で久方ぶりに時間について再考されたことを壮大な伏線回収と言われても……、期待して全部見ましたが納得感はありませんでした。
残念です。
そう、思っているのは言わなくても当然なのである。