17. 聖書解釈の最大の教科書、礼拝メッセージの良し悪しについて②
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- Опубликовано: 20 сен 2024
- 日本聖書学院で神学を学び、めぐみバイブルチャーチで牧会されつつ訓練を受けている、当チャンネルプロデューサーのNaoが、賛美をより深めるために、聖書の真理を整理してまとめてお伝えするシリーズの第十七回目です!
言語の壁、時代の壁、文化の壁など様々な壁があり、解釈するのが難しい聖書を正しく読んで神の意図を知っていく。
そんな1人でするには確実に難しいことをするのに与えられている助けは、解釈の仕方を教えてくれる「教師の助け」であり、その最良の教科書は教師が箇所の内容を解き明かす日曜礼拝のメッセージです。
しかし、日曜礼拝のメッセージであれば、自動的にどんな教会のどんなメッセージも良い教科書になるわけではありません。
16-17回目では、視聴者の皆さまが良い「聖書解釈の教科書」に出会うことに期待をして、礼拝メッセージの良し悪しの判断基準について考えていきます。この回では、以下の、6以降を取り上げます。
1. 不明瞭(何を言っているのか分からない)
2. 論理が破綻している
3. アカデミックすぎてついていけない
4. 感情がない
5. 曖昧、抽象的
例) 神はあなたを肯定してくださる!
神は何をしても愛している!
神は罪人を罰する!
よくわからないけど、癒しがある!
→頭ごなしに間違っていると言えないが、それだけだと曖昧、抽象的である
6. 読めば分かることを言っている
→単に読めば分かることを言っているメッセージなら、自分で読めば良い話です。
7. 箇所の内容から離れる
箇所のトピックや言葉から、連想ゲームのように関連することへ話題を広げて、気がつけばその箇所の内容と関係のないことを語るメッセージは、内容が面白かったり良かったりしても、その箇所を解釈する教科書にはなりません。
8. ある部分をカットして説明する
聖書はすべてが神のことばなので、ある部分をカットする読み方は、都合の良い部分だけをピックアップする聖書解釈へと通じていきます。
9. 他の箇所と矛盾する
聖書は矛盾のない書なので、その箇所だけを取り上げたら間違っていると言い切れなそうなことであっても、明らかに矛盾することを言っている箇所があるなら、そこをどう調和させるべきなのかを伝えるべきです。
10. 神学的に正しいが、その箇所の言っていることではない
神学的に正しいことを言っていれば危険ではないように思えますが、その箇所が言っていることを読み取らないのであれば、どの箇所に対しても、「その箇所が伝えたいこと」よりも「自分がすでに知っていること」を考えていく読み方になり、偏った真理の理解を生み出すことになります。
日本聖書学院
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めぐみバイブルチャーチ
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