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マサさん、安らかに‥。
この時期の猪木氏は借金問題。世代交代、特に元妻だった美津子さんと離婚問題他で精神的、体力的に落ちていて猪木氏の気持ち理解して、ルールはお互いのプライドで二人しか解りあえない不思議な闘いでした。猪木氏のロマンをマサさんが受け止めてぐれたのだと思います。しかし試合後の猪木氏の驚異的な体力は驚きました。この試合は二人にしか成立しなかった男のロマンの闘いでした。マサさんご冥福をお祈り致します。
長くプロレス~総合格闘技の世界にいますから、船木さんはその世界を語れる貴重な存在です。前田さん、高田さんもそうかな。
「普段取れないトカゲが取れました。」に草不可避
週プロにそのときの写真がありましたね
船木さんは、歴史の証人として、また語り部として、選ばれて、巌流島に行ったのですね。いい話を聞けて良かったです。
言葉に淀みなく、、その情景が浮かぶ優れた語り部
「早く終わんないかな~」18歳の船木少年の頃ですからね(笑)。休みの日に巌流島って下関まで連れていかれ当時の心境お察しします(笑)
船木さんの声、有難い!
船木さんは、1995年の新日 VS Uインターの全面対抗戦、いわゆる「10.9東京ドーム」の武藤×高田戦を、当時外から見ていてどう思われたのでしょうか。また現在あの試合をどう評価されているのか。試合内容や興行面など。機会があればぜひお聴きしたいです。
「正直に話すと、そこにユーモアが生まれるのである」 と書いたのは司馬遼太郎らしいですが、そういう感じがしました。それにしてもインターネット恐るべし。こんなの絶対聞けないもんね昔は。
司馬遼太郎といえば、京都・雲が畑のお寺での怪異についての文章が印象に残っています。この人が書くのなら、きっと本当のことなんだろうと思いました。
真面目に聞いてますが、"リングの周りにたいまつ設置されて、、トカゲを掴まえて遊びまして、"これだけでなぜか笑える。
このタイトル最高だなぁ
本当に楽しいお話でした!オールドスクールファンには最高すぎるッスw
懐かしい巌流島決戦、この当時の貴重な話が聞けて良かったです。他の格闘技とは違うプロレスならではの深みが伝わってきました。プロレスは自分の妄想と実際の試合内容との期待を更に裏切るようなギャップや攻められ追い込まれてもそこから不死鳥のように何度も立ち上がるレスラーの姿に感動し、ほんの少しかも知れないけど自分への勇気をもらえる。それがプロレスならではの魅力でもあると思っています。
巌流島『猪木vsマサ斎藤』、当時テレビのオンエア見たよ。船木さんの話であの頃のことを思い出した。でも、観客のいない試合だったから奇妙に感じたな。
あの試合、テレビで観てましたが、未だに忘れられない壮絶な試合だったと記憶してます。血まみれになりながら倒れても倒れても『イノォ~キィ~、まだだぁ~』と言いながら立ち上がってくるマサさん、ゾンビみたいでスゴかったです^^;。
斎藤さんのご冥福をお祈りします。。
当時テレビで、観客の歓声ってエンターテイメントには絶対必要だなーと思いながら観てた
VRで見てみたい居酒屋で飲みながら聞いてみたいしかし船木さんは改めて見てもイイ男ですね
あんなに凄い試合だったのに、猪木さんは、凄いな!船木さんのお話もとても面白かったです。有り難う御座いました。
当時は週刊プロレスを買い子供心にかなり衝撃を受けたのを覚えている
非常に興味深い話でした。巌流島ってテレビのバラエティ番組との連携でマサさんは番組に出演して複線を張ってたんですよね。ただプロレスバラエティは今なら受け入れられてますけどあの当時のファンは受け入れられなくて番組も酷評されてた記憶があります。
世紀の一戦に立ち会った船木選手の本音が聞けてとても有意義でした。
船木さんは考え方が正直で論理的だ。
昔、マサ斎藤のインタビューを読んだことがあるが、猪木とハワイで初めて出会ってスパーリングをしたとき、もし猪木が日本でレスリングをしていたら自分はオリンピックに出られなかっただろうと思ったそうだ。
いつも思いますが話が上手ですね.見習いたい.ちなみに巌流島は世代闘争の後ですYO.マサさんが「いまやってるナウリーダーとかニューリーダーとか,そういうのは本当は俺にとってはどうでもいいこと.俺の目標はただ一つ.アントニオ猪木!おまえを倒すことだ!」とぶち上げたのが記憶に新しいです.
まず タイトルで笑ってしまった船木さん トークがうまいですね
帰りたいをちょいちょい挟んでくるたび笑いました。
猪木さんは当時目をかけていた船木さんにこの試合を見せたかったんですね。フグの話は初めて聞けたので面白かったです。
こんなにお話し上手な方だとは、知りませんでした。
マサ斉藤は銃殺されていてもおかしくなかった、と思うとゾッとしますね。
3つのトライアングルの我慢比べメチャ笑ったwどんな戦いだよ^^;船木さんの語り上手すぎて聞き入りましたどういう気持ちで試合はマサさんは武藤さんとの対談で結構ぶっちゃけてます
youtubeは時間泥棒。船木誠勝も時間泥棒。次から次へと観てしまう。
船木さんに質問があります。骨法や堀辺正史氏、掌打について、今はどうお考えですか?
やっぱりプロレスラーおかしい人間のポテンシャルじゃない
タイトルに吸い寄せられたw
最近舟木さんにはまってますストレートにおもしろいですw
裏話面白かったです。猪木さんもマサさんもプロレスラーのタフさやプライドを表現したんですね〜。当時は放送で見ましたが現場の雰囲気が良くわかり意義のある試合だったんだなぁって感じました。当時は猪木さんの相手がなかなか決まらなかったとか?マサさん、男ですね〜!船木選手もグレイシーに命を賭けて戦われたんじゃないですか。和服、枠ざしかな。サムライを見ましたよ。あまり語るのはためらいもあるでしょうが、あの試合の話、是非聞きたいです!
は や く か え り た か っ たwww
おもしろい!
ビデオ借りてみたけど、あまりにも地味で長すぎて早送りして見た記憶があるw
学生時代に、お亡くなりになった浦田社長から伺ったお話。 浦田社長「(巌流島の戦いについて)学生が馬鹿にしてたぞ。」 マサ斎藤「すまん・・・」マサさんの人柄が偲ばれます。辛いご闘病だとは思いますが、カルピス飲んで頑張ってください。
すまんが壮大な茶番を見て想像力をはたらかせてどう思うのかまでがプロレスです。笑
昔、長州の「全面戦争だ!プロレス」の中で、長州がマサ斉藤に拳銃を見せられ、「イザという時、これを撃つ覚悟が必要だ。」と言われ、アメリカの恐ろしさを知ったという記述があったのを思い出した。恐るべし、マサ斉藤。
タイトルがバカにしているのかなと思って嫌だったのですが、そうではありませんでしたので、一応再生してみてよかったです。
話も上手くてわくわくしながら聞けました
分かりやすくて聞いてて面白いです。伝説になってる事象まで生きた記憶で語って頂けるのはプロレスファンとしてとても有意義な事だと思います。
当時、ファンからしてもこれは何なんだ?と思っていましたが、昔の武蔵と小次郎も人の居ない所に船で行って1対1で戦う訳有りませんよね。普通なら見届け人が多い場所で戦う。武蔵がヒクソン並みに負けない剣豪で、弟子たちが総出で小次郎を殺したのが真実らしいです。猪木vs斉藤戦も当時は色々な事情が有ったそうですね。船木さんが言わないので書きませんが。
なんだろう、昔話しは、面白いw
親父の趣味キャンプに無理やり連れてこられた子供かよw
マサさん病気の具合どうでしょうね?レズナーがWWEの日本公演に来たのは(ブラッド・レイガンズと一緒に)マサさんのお見舞いのため、って言われてたけど、あれから随分経ったし。
マサさんの逸話がすごい
佐々木小次郎を待たした作戦は成功、流石は宮本武蔵。
その次の闘魂シリーズで初めて生観戦しました。カードは山田、船木vs保永、佐々木健介です。いい試合でした、地方でも全力でしたね
タイトルだけで笑えるw
この話をマサ斎藤さんが聞いたらどう思うだろうか?w
猪木さんもマサ斉藤さんも伝説のレスラーだな。巌流島決戦も語り継がれる事でしょう。猪木さんのタフさは驚異的ですね。ラサルテスも猪木さんの驚異的タフさにゲンナリしたと言っている。
そうだろうなァ。しかし、ぶっちゃけ過ぎ 笑
当時、ふるさと創生資金.1億円がありました。竹下首相の時代。その事業での試合。猪木は、マササイトーを完全に舐め切っているので、内容も凡戦。猪木も当時、借金、離婚、ゴールデンタイム撃退。たくさんの問題を抱えていました。
masa「猪木ーーーーーーーーーーーーーー!!!」
お互いの体を感じあって(意味深)
夏休みの子供みたいな発言だ!!
ちゃんと聞き取れたんでwww
予備校の講師のように説明が達者ですねw。バカにしていた巌流島の試合を改めて見てみようと思いました。
全員が反対したと言われる、ノーピープルデスマッチ。後に蝶野が高田に挑戦を表明した時、長州が新日VSUインターで五対五巌流島決戦をやろうと提案したのには笑えた。
6:00 当時携帯電話なんか持ってる奴いたんか?w
平祐広中 もっと前から自動車に車載する自動車電話ってのが有ってそれを持ち出せるように肩がけにした物が1985に出てます。
つまんなかった試合だけど…結局、伝説化してんだよな。「いい試合、名勝負だった」で終わらないのが猪木・新日の演出だったなー。海賊男、TPGあたりからはグダグダで終焉を迎えたけど。
今どき、巌流島対決なんてマンガを成立させてしまうのが、アントンのすごいところ。
このオチどんだけ?w
当時、この対決何の意味あるんだろ?って思った。実際、つまんねえ試合だったし。猪木対アリが巌流島だったら面白いけど。この何年か後の馳とシンはもっとひどくてプロレス嫌いになりそうな試合だったなあ。
わざわざ巌流島でする意味がわからなかったし、企画的につまらないというかくだらないと当時思った。
@@yamatomusashi7864 「巌流島」という地名、言葉に意味がある。いわゆる、ブランド、だね。
やっぱ猪木VS大仁田は実現してほしかったわ屋外の、例のフィールドで
残念 巌流島は当時断崖絶壁 確実に戦ってないよ。
現代の街並みになれているから巌流島がのどかに見えるのであって、武蔵・小次郎当時はすべてのどかな景色だったんですから、こうは思わなかったと思いますよ
あなたのヒクソン戦の方がしょっぱかったですよ
マサさん、安らかに‥。
この時期の猪木氏は借金問題。世代交代、特に元妻だった美津子さんと離婚問題他で精神的、体力的に落ちていて猪木氏の気持ち理解して、ルールはお互いのプライドで二人しか解りあえない不思議な闘いでした。猪木氏のロマンをマサさんが受け止めてぐれたのだと思います。しかし試合後の猪木氏の驚異的な体力は驚きました。
この試合は二人にしか成立しなかった男のロマンの闘いでした。
マサさんご冥福をお祈り致します。
長くプロレス~総合格闘技の世界にいますから、船木さんはその世界を語れる貴重な存在です。前田さん、高田さんもそうかな。
「普段取れないトカゲが取れました。」に草不可避
週プロにそのときの写真がありましたね
船木さんは、歴史の証人として、また語り部として、選ばれて、巌流島に行ったのですね。いい話を聞けて良かったです。
言葉に淀みなく、、
その情景が浮かぶ優れた語り部
「早く終わんないかな~」18歳の船木少年の頃ですからね(笑)。休みの日に巌流島って下関まで連れていかれ当時の心境お察しします(笑)
船木さんの声、有難い!
船木さんは、1995年の新日 VS Uインターの全面対抗戦、いわゆる「10.9東京ドーム」の武藤×高田戦を、当時外から見ていてどう思われたのでしょうか。また現在あの試合をどう評価されているのか。試合内容や興行面など。機会があればぜひお聴きしたいです。
「正直に話すと、そこにユーモアが生まれるのである」 と書いたのは司馬遼太郎らしいですが、そういう感じがしました。
それにしてもインターネット恐るべし。こんなの絶対聞けないもんね昔は。
司馬遼太郎といえば、京都・雲が畑のお寺での怪異についての文章が印象に残っています。この人が書くのなら、きっと本当のことなんだろうと思いました。
真面目に聞いてますが、
"リングの周りにたいまつ設置されて、、トカゲを掴まえて遊びまして、"
これだけでなぜか笑える。
このタイトル最高だなぁ
本当に楽しいお話でした!オールドスクールファンには最高すぎるッスw
懐かしい巌流島決戦、この当時の貴重な話が聞けて良かったです。
他の格闘技とは違うプロレスならではの深みが伝わってきました。
プロレスは自分の妄想と実際の試合内容との期待を更に裏切るようなギャップや攻められ追い込まれてもそこから不死鳥のように何度も立ち上がるレスラーの姿に感動し、ほんの少しかも知れないけど自分への勇気をもらえる。
それがプロレスならではの魅力でもあると思っています。
巌流島『猪木vsマサ斎藤』、当時テレビのオンエア見たよ。船木さんの話であの頃のことを思い出した。でも、観客のいない試合だったから奇妙に感じたな。
あの試合、テレビで観てましたが、未だに忘れられない壮絶な試合だったと記憶してます。血まみれになりながら倒れても倒れても『イノォ~キィ~、まだだぁ~』と言いながら立ち上がってくるマサさん、ゾンビみたいでスゴかったです^^;。
斎藤さんのご冥福をお祈りします。。
当時テレビで、観客の歓声ってエンターテイメントには絶対必要だなーと思いながら観てた
VRで見てみたい
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しかし船木さんは改めて見てもイイ男ですね
あんなに凄い試合だったのに、猪木さんは、凄いな!
船木さんのお話もとても面白かったです。有り難う御座いました。
当時は週刊プロレスを買い子供心にかなり衝撃を受けたのを覚えている
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世紀の一戦に立ち会った船木選手の本音が聞けてとても有意義でした。
船木さんは考え方が正直で論理的だ。
昔、マサ斎藤のインタビューを読んだことがあるが、猪木とハワイで初めて出会ってスパーリングをしたとき、もし猪木が日本でレスリングをしていたら自分はオリンピックに出られなかっただろうと思ったそうだ。
いつも思いますが話が上手ですね.見習いたい.
ちなみに巌流島は世代闘争の後ですYO.
マサさんが
「いまやってるナウリーダーとかニューリーダーとか,そういうのは本当は俺にとってはどうでもいいこと.俺の目標はただ一つ.アントニオ猪木!おまえを倒すことだ!」
とぶち上げたのが記憶に新しいです.
まず タイトルで笑ってしまった
船木さん トークがうまいですね
帰りたいをちょいちょい挟んでくるたび笑いました。
猪木さんは当時目をかけていた船木さんにこの試合を見せたかったんですね。フグの話は初めて聞けたので面白かったです。
こんなにお話し上手な方だとは、知りませんでした。
マサ斉藤は銃殺されていてもおかしくなかった、と思うとゾッとしますね。
3つのトライアングルの我慢比べメチャ笑ったwどんな戦いだよ^^;船木さんの語り上手すぎて聞き入りましたどういう気持ちで試合はマサさんは武藤さんとの対談で結構ぶっちゃけてます
youtubeは時間泥棒。
船木誠勝も時間泥棒。次から次へと観てしまう。
船木さんに質問があります。骨法や堀辺正史氏、掌打について、今はどうお考えですか?
やっぱりプロレスラーおかしい
人間のポテンシャルじゃない
タイトルに吸い寄せられたw
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猪木さんもマサさんもプロレスラーのタフさやプライドを表現したんですね〜。
当時は放送で見ましたが現場の雰囲気が良くわかり意義のある試合だったんだなぁって感じました。
当時は猪木さんの相手がなかなか決まらなかったとか?
マサさん、男ですね〜!
船木選手もグレイシーに命を賭けて戦われたんじゃないですか。
和服、枠ざしかな。
サムライを見ましたよ。
あまり語るのはためらいもあるでしょうが、あの試合の話、是非聞きたいです!
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おもしろい!
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学生時代に、お亡くなりになった浦田社長から伺ったお話。
浦田社長「(巌流島の戦いについて)学生が馬鹿にしてたぞ。」
マサ斎藤「すまん・・・」
マサさんの人柄が偲ばれます。
辛いご闘病だとは思いますが、カルピス飲んで頑張ってください。
すまんが
壮大な茶番を見て想像力をはたらかせて
どう思うのかまでがプロレスです。笑
昔、長州の「全面戦争だ!プロレス」の中で、長州がマサ斉藤に拳銃を見せられ、「イザという時、これを撃つ覚悟が必要だ。」と言われ、アメリカの恐ろしさを知ったという記述があったのを思い出した。恐るべし、マサ斉藤。
タイトルがバカにしているのかなと思って嫌だったのですが、
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分かりやすくて聞いてて面白いです。伝説になってる事象まで生きた記憶で語って頂けるのはプロレスファンとしてとても有意義な事だと思います。
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マサさん病気の具合どうでしょうね?
レズナーがWWEの日本公演に来たのは(ブラッド・レイガンズと一緒に)マサさんのお見舞いのため、って言われてたけど、あれから随分経ったし。
マサさんの逸話がすごい
佐々木小次郎を待たした作戦は成功、流石は宮本武蔵。
その次の闘魂シリーズで初めて生観戦しました。カードは山田、船木vs保永、佐々木健介です。いい試合でした、地方でも全力でしたね
タイトルだけで笑えるw
この話をマサ斎藤さんが聞いたらどう思うだろうか?w
猪木さんもマサ斉藤さんも伝説のレスラーだな。巌流島決戦も語り継がれる事でしょう。猪木さんのタフさは驚異的ですね。ラサルテスも猪木さんの驚異的タフさにゲンナリしたと言っている。
そうだろうなァ。
しかし、ぶっちゃけ過ぎ 笑
当時、ふるさと創生資金.1億円がありました。竹下首相の時代。その事業での試合。猪木は、マササイトーを完全に舐め切っているので、内容も凡戦。猪木も当時、借金、離婚、ゴールデンタイム撃退。たくさんの問題を抱えていました。
masa「猪木ーーーーーーーーーーーーーー!!!」
お互いの体を感じあって(意味深)
夏休みの子供みたいな発言だ!!
ちゃんと聞き取れたんでwww
予備校の講師のように説明が達者ですねw。バカにしていた巌流島の試合を改めて見てみようと思いました。
全員が反対したと言われる、ノーピープルデスマッチ。後に蝶野が高田に挑戦を表明した時、長州が新日VSUインターで五対五巌流島決戦をやろうと提案したのには笑えた。
6:00 当時携帯電話なんか持ってる奴いたんか?w
平祐広中
もっと前から自動車に車載する自動車電話ってのが有って
それを持ち出せるように肩がけにした物が1985に出てます。
つまんなかった試合だけど…
結局、伝説化してんだよな。
「いい試合、名勝負だった」で終わらないのが猪木・新日の演出だったなー。
海賊男、TPGあたりからはグダグダで終焉を迎えたけど。
今どき、巌流島対決なんてマンガを成立させてしまうのが、アントンのすごいところ。
このオチどんだけ?w
当時、この対決何の意味あるんだろ?って思った。実際、つまんねえ試合だったし。猪木対アリが巌流島だったら面白いけど。この何年か後の馳とシンはもっとひどくてプロレス嫌いになりそうな試合だったなあ。
わざわざ巌流島でする意味がわからなかったし、企画的につまらないというかくだらないと当時思った。
@@yamatomusashi7864
「巌流島」という地名、言葉に意味がある。いわゆる、ブランド、だね。
やっぱ猪木VS大仁田は実現してほしかったわ
屋外の、例のフィールドで
残念 巌流島は当時断崖絶壁 確実に戦ってないよ。
現代の街並みになれているから巌流島がのどかに見えるのであって、武蔵・小次郎当時はすべてのどかな景色だったんですから、こうは思わなかったと思いますよ
あなたのヒクソン戦の方がしょっぱかったですよ