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「神が主体」わかっているようで中々わかっていないのが現状だと自覚ます。だからこその、義認、聖化、栄化のプロセスは神からの大きな恵みであり、祝福なんだと改めて思いました。ますます積極的に、神を第一に、祈りつつ委ねつつ、歩みたいです。興味深く面白い内容を、今回もありがとうございます。
コメントありがとうございます!
めっちゃ目から鱗が墜落しました🎉義人 聖化 栄化のプロセスが、現在過去未来とリンクしていたとは。。。聖書の奥義って凄すぎる😅
義認だよ~💦
hahaha 間違えちゃった〜教えてくれてあんがと🎉
ありがとうございます〜!
よくまとまっている素晴らしい新約聖書解説だと思いました。 義認・聖化・栄化のプロセスを辿るということは知っていましたが、義認は霊に関すること、聖化は魂に関すること、栄化は肉に関することだとは気づいていませんでした。勉強になりました。ありがとうございました。
たくまさんの神学的な話を聞くと、なお神さまのご計画の素晴らしさと愛を感じます✨ちっぽけなことで、もう駄目だ…と悩んでしまいがちなちっぽけな私には、とても大きな慰めと希望を感じました✨
ありがとうございます!
凄くためになる動画ですね。キリスト教の愛、聖霊、信仰というものがどういうものかがわずか30分ほどの解説で分かります。超ダイジェスト版いいですね。新しい世界が来る。イエス・キリストが帰って来る。再臨が神の摂理の終結ですね。アブラハムからイエス・キリストの誕生まで二千年かかっています。イエス・キリストの死後二千年が現代。戦争、疫病、自然災害など終末の予兆現象を感じますね。
小林拓馬さんの話を聞いていて、主イエスキリストが私たちのもとに帰ってこられる確信が持てました。
聖書に関心があり、興味深く視聴させて頂いています。分かりやすく教えていただいてありがとうございます😊最後の肉体がつくり変えられるというところが、自分にとっては分かりにくくイメージが湧きにくいかな😮
そうなんですね! どのへんがわかりにくいのでしょうか?
肉体が新しく作り変えられるという事は、具体的にはどのようなこと事なのかな?🤔🤔
肉体がつくり変えられるというのは、肉体が霊的につくり変えられるということです。 イエス様や弟子たちは、キリストの名を通して肉体を霊的につくり変えることで奇跡を行っていました。 イエス様や弟子たちが灌がれていたバルサム油には、人の子に霊感を与える作用があるのです。 >1841年、アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユは、トルーバルサムの乾留によりトルエンを単離した[5]。中央アメリカや南アメリカでは、伝統医学に用いられてきた。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 イエス様や弟子たちが、なぜ律法学者に追われ迫害されていたのかわかりますよね? パウロはキリストを伝える使徒になったことで獄にまで入れられています。 バルサム油の主成分はトルエンという溶剤であり肉体を溶かします。 肉体を含め、物質というものは量子のレベルにまで分解されると霊的な性質を帯び、古典力学では理解出来ないような現象が起きます。 イエスという、油を灌がれた者(キリスト)に起きた肉体の霊的変化、肉体の霊的変化によって行うことが出来る神の御業について教えているのが新約聖書を教典とするキリスト教という宗教なのです。
興味深い内容のエピソードをありがとうございます!ちなみに、霊、魂、肉からなる私たちの存在について聖書ではどのように教えているのでしょうか?また、それぞれが義認、聖化、栄化と繋がっている、という教えはどのような聖句の裏付けがあるのか、具体的に深掘りしていただけたら嬉しいです
先生方に教えて頂きたいことがあります、セカンドチャンスについてです。信仰を持たずに死んでいった人の救いについて是非ご見解お聞かせください、宜しくお願いいたします。
セカンドチャンスですね、リクエストありがとうございます。取り上げるか分かりませんが、検討してみます。また、ぜひ「先生」と呼ばないで下さい〜!
日本の教会はルールが多いですよね😅
そうなんですよ〜
イエス様とお釈迦についてはどうですか
と、いいますと??
真面目な流れで…聖霊!聞いたことある!って、嬉しそうに😂ボケ?🤣
ツボってしまい🤣つい タメ口になってしまいました😂失礼しました😅
ボケとツッコミでした!
アタシはエホバの証人10年の後プロテスタント20年のクリスチャンです。カルトの影響は大変なもので、教理の違いを今も感じることあります。あちらはカルトなのでもちろん三位一体否定でした。神さまが、「あってあるもの」YHW Hであること、イエスさまはわかるのですが聖霊についてはお名前がないのであまり身近に感じられません。どのように考えたらいいでしょうか?聖霊がはたらいたと感じる経験もないのです( ; ; )
私の場合、聖霊は自分と別物というより、心に住んでる感覚が強いです。良心が敏感になって、ちょっとした嘘をつくことにも良心が痛んで、嘘をつくのを止めてしまったり、好きだったお酒が弱くなったり。あと、心を引かれる方向性が神様の御心と重なっている感じがして、色々あっても最後は上手くいく、みたいなミラクルが頻繁に起きます。これが聖霊の働きと言い切っていいかわかりませんが、明らかに信仰の前とは違いを感じます。人それぞれ現れ方は違うのかもしれませんが、参考になれば幸いです。
聖霊が自分自身のうちに住んでくださる方であるということを覚えて、聖霊の促しに心を向けてみようとすると感じられるようになるかもしれません!
良心は聖霊の促しのひとつだと思います!
イエスを王と認めるとイエスの血によって罪があがなわれます。また、教会の人たちが、自分のために祈ってくれることもあり、聖霊による平安を感じられるようになります。しかし、気を付けないといけません。悪霊による偽の平安もあります。偽の平安は強烈ですが、なんとなく純粋さに欠けており不純物が混ざっているような感じがします。最大の特徴は長続きしないということです。聖霊による平安が長時間続くのに対して偽りの平安は数分以内で終わってしまう傾向があります。ペンテコステ寄りの人が自分のために祈ってくれたときなどに偽の平安を感じることがあります。たとえキリスト教界で立派な働きをしている人であっても(ペンテコステ寄りの人が)、自分のために祈ってくれたときなどに、変な平安(もどき)が来て、その平安(もどき)が数分程度で終わってしまったら、聖霊によるものではないと考えるべきです。聖霊は悪霊に成り済ましたりしませんが、悪霊は聖霊に成り済まして行動することがあります。あなたは、エホバの証人の間違いに付いて書かれた本を何冊かお読みになると良いと思います。エホ証の間違いに少しづつ気付いていくにはとても時間が掛かりますが、本を読むことで一気にエホ証の間違いを学ぶことができます。ノンクリスチャンが無神論者の立場から書いたエホ証批判の本ではなく、クリスチャンがクリスチャンの立場から書いたエホ証批判の本を読んでください。気を付けてください。カルト脱会者には両極端な2つのタイプを見受けます。①カルトで身に付いた考え方が抜けていない。②カルトの教えと逆のことをすれば良いと思ってしまう。①の例エホからモルモンその後、福音派という女性。異端の考え方が抜けていないし、本当に悔い改めているのかよ?って感じの女性。時々魔女かと思うくらい邪悪な態度になる。でも、服装だけはクリスチャンの女性の服装として理想的なものでした。②牧師の説得で霊感原理を脱会した女性。カルトと関わったことを本当に悔い改めているのが見ていて分かる。しかし、服装が最悪。頭は金色。服はチューブトップ。超ミニのタイトスカート。何もかも霊感原理の教えと逆をすれば良いと思っている。②もう一例。エホ証を脱会したある女性。エホ証の教えと逆をしようと思って偶像礼拝をしまくったという。①や②のようになってはいけません。カルトの教えは、マトモな教えと、悪い教えが混ざっているのです。脱会後にカルトの教えを全て守っても、カルトの教えと全て逆のことをしても駄目なのです。
「神が主体」
わかっているようで中々わかっていないのが現状だと自覚ます。
だからこその、義認、聖化、栄化のプロセスは神からの大きな恵みであり、祝福なんだと改めて思いました。
ますます積極的に、神を第一に、祈りつつ委ねつつ、歩みたいです。
興味深く面白い内容を、今回もありがとうございます。
コメントありがとうございます!
めっちゃ目から鱗が墜落しました🎉義人 聖化 栄化のプロセスが、現在過去未来とリンクしていたとは。。。聖書の奥義って凄すぎる😅
義認だよ~💦
hahaha 間違えちゃった〜教えてくれてあんがと🎉
ありがとうございます〜!
よくまとまっている素晴らしい新約聖書解説だと思いました。
義認・聖化・栄化のプロセスを辿るということは知っていましたが、
義認は霊に関すること、聖化は魂に関すること、栄化は肉に関することだとは気づいていませんでした。
勉強になりました。ありがとうございました。
ありがとうございます〜!
たくまさんの神学的な話を聞くと、なお神さまのご計画の素晴らしさと愛を感じます✨ちっぽけなことで、もう駄目だ…と悩んでしまいがちなちっぽけな私には、とても大きな慰めと希望を感じました✨
ありがとうございます!
凄くためになる動画ですね。キリスト教の愛、聖霊、信仰というものがどういうものかがわずか30分ほどの解説で分かります。超ダイジェスト版いいですね。
新しい世界が来る。イエス・キリストが帰って来る。再臨が神の摂理の終結ですね。
アブラハムからイエス・キリストの誕生まで二千年かかっています。イエス・キリストの死後二千年が現代。戦争、疫病、自然災害など終末の予兆現象を感じますね。
コメントありがとうございます!
小林拓馬さんの話を聞いていて、主イエスキリストが私たちのもとに帰ってこられる確信が持てました。
聖書に関心があり、興味深く視聴させて頂いています。分かりやすく教えていただいてありがとうございます😊
最後の肉体がつくり変えられるというところが、自分にとっては分かりにくくイメージが湧きにくいかな😮
そうなんですね! どのへんがわかりにくいのでしょうか?
肉体が新しく作り変えられるという事は、具体的にはどのようなこと事なのかな?🤔🤔
肉体がつくり変えられるというのは、肉体が霊的につくり変えられるということです。 イエス様や弟子たちは、キリストの名を通して肉体を霊的につくり変えることで奇跡を行っていました。 イエス様や弟子たちが灌がれていたバルサム油には、人の子に霊感を与える作用があるのです。 >1841年、アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユは、トルーバルサムの乾留によりトルエンを単離した[5]。中央アメリカや南アメリカでは、伝統医学に用いられてきた。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 イエス様や弟子たちが、なぜ律法学者に追われ迫害されていたのかわかりますよね? パウロはキリストを伝える使徒になったことで獄にまで入れられています。 バルサム油の主成分はトルエンという溶剤であり肉体を溶かします。 肉体を含め、物質というものは量子のレベルにまで分解されると霊的な性質を帯び、古典力学では理解出来ないような現象が起きます。 イエスという、油を灌がれた者(キリスト)に起きた肉体の霊的変化、肉体の霊的変化によって行うことが出来る神の御業について教えているのが新約聖書を教典とするキリスト教という宗教なのです。
興味深い内容のエピソードをありがとうございます!ちなみに、霊、魂、肉からなる私たちの存在について聖書ではどのように教えているのでしょうか?また、それぞれが義認、聖化、栄化と繋がっている、という教えはどのような聖句の裏付けがあるのか、具体的に深掘りしていただけたら嬉しいです
先生方に教えて頂きたいことがあります、セカンドチャンスについてです。信仰を持たずに死んでいった人の救いについて是非ご見解お聞かせください、宜しくお願いいたします。
セカンドチャンスですね、リクエストありがとうございます。取り上げるか分かりませんが、検討してみます。
また、ぜひ「先生」と呼ばないで下さい〜!
日本の教会はルールが多いですよね😅
そうなんですよ〜
イエス様とお釈迦についてはどうですか
と、いいますと??
真面目な流れで…聖霊!聞いたことある!って、嬉しそうに😂ボケ?🤣
ツボってしまい🤣つい タメ口になってしまいました😂失礼しました😅
ボケとツッコミでした!
アタシはエホバの証人10年の後プロテスタント20年のクリスチャンです。カルトの影響は大変なもので、教理の違いを今も感じることあります。あちらはカルトなのでもちろん三位一体否定でした。神さまが、「あってあるもの」YHW Hであること、イエスさまはわかるのですが聖霊についてはお名前がないのであまり身近に感じられません。どのように考えたらいいでしょうか?聖霊がはたらいたと感じる経験もないのです( ; ; )
私の場合、聖霊は自分と別物というより、心に住んでる感覚が強いです。良心が敏感になって、ちょっとした嘘をつくことにも良心が痛んで、嘘をつくのを止めてしまったり、好きだったお酒が弱くなったり。あと、心を引かれる方向性が神様の御心と重なっている感じがして、色々あっても最後は上手くいく、みたいなミラクルが頻繁に起きます。
これが聖霊の働きと言い切っていいかわかりませんが、明らかに信仰の前とは違いを感じます。人それぞれ現れ方は違うのかもしれませんが、参考になれば幸いです。
聖霊が自分自身のうちに住んでくださる方であるということを覚えて、聖霊の促しに心を向けてみようとすると感じられるようになるかもしれません!
良心は聖霊の促しのひとつだと思います!
イエスを王と認めるとイエスの血によって罪があがなわれます。また、教会の人たちが、自分のために祈ってくれることもあり、聖霊による平安を感じられるようになります。
しかし、気を付けないといけません。
悪霊による偽の平安もあります。偽の平安は強烈ですが、なんとなく純粋さに欠けており不純物が混ざっているような感じがします。最大の特徴は長続きしないということです。
聖霊による平安が長時間続くのに対して偽りの平安は数分以内で終わってしまう傾向があります。
ペンテコステ寄りの人が自分のために祈ってくれたときなどに偽の平安を感じることがあります。
たとえキリスト教界で立派な働きをしている人であっても(ペンテコステ寄りの人が)、自分のために祈ってくれたときなどに、変な平安(もどき)が来て、その平安(もどき)が数分程度で終わってしまったら、聖霊によるものではないと考えるべきです。
聖霊は悪霊に成り済ましたりしませんが、悪霊は聖霊に成り済まして行動することがあります。
あなたは、エホバの証人の間違いに付いて書かれた本を何冊かお読みになると良いと思います。エホ証の間違いに少しづつ気付いていくにはとても時間が掛かりますが、本を読むことで一気にエホ証の間違いを学ぶことができます。
ノンクリスチャンが無神論者の立場から書いたエホ証批判の本ではなく、クリスチャンがクリスチャンの立場から書いたエホ証批判の本を読んでください。
気を付けてください。カルト脱会者には両極端な2つのタイプを見受けます。
①カルトで身に付いた考え方が抜けていない。
②カルトの教えと逆のことをすれば良いと思ってしまう。
①の例
エホからモルモン
その後、福音派という女性。異端の考え方が抜けていないし、本当に悔い改めているのかよ?って感じの女性。時々魔女かと思うくらい邪悪な態度になる。でも、服装だけはクリスチャンの女性の服装として理想的なものでした。
②牧師の説得で霊感原理を脱会した女性。カルトと関わったことを本当に悔い改めているのが見ていて分かる。しかし、服装が最悪。頭は金色。服はチューブトップ。超ミニのタイトスカート。何もかも霊感原理の教えと逆をすれば良いと思っている。
②もう一例。
エホ証を脱会したある女性。エホ証の教えと逆をしようと思って偶像礼拝をしまくったという。
①や②のようになってはいけません。
カルトの教えは、マトモな教えと、悪い教えが混ざっているのです。
脱会後にカルトの教えを全て守っても、カルトの教えと全て逆のことをしても駄目なのです。