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南無阿弥陀仏!今日も、楽しく拝聴させて戴きました。😊
南無阿弥「家康」はいかにもドラマの演出かと思ったけど、実際に書いていたのか。これは勉強になった。
先生の解説も残す所あと一回。最後までドラマとセットで楽しませていただきます。
日課念仏、存じ上げませんでしたがおもしろいですねいわゆるタヌキ親父的なステレオタイプの家康像とは違う人物的な深みを感じさせる気がします
毎回先生のお話伺う事楽しみにしております。家康が終わった後も色々話してほしいです。
寧々が茶々と対立せず、むしろ家康側の思惑を伝える緩衝材的役割を担っていたというのは知っていましたが、大阪城に籠城する意志があったとは、ちょっとビックリしました。やはり彼女なりに、豊臣家存続を希求していたのでしょう。ドラマでの家康の日課念仏の描写、良かったです。史実でも大阪の陣の前に多く書かれていると知り、彼の心の叫び、公にできない人知れない彼の心情を込めての行為のように感じます。長く綴られた文言を見ていると、彼の真摯な思い、過去の戦いでの死者への追悼の気持ちを強く感じます。小さく家康と書かれているのも、彼の申し訳なさの表れのように感じるのは、私の思い過ごしでしょうか?!。ふきだしの音が、少し静かに変わりましたね。
初についても解説して頂けると有り難い。
南無阿弥”家康”と落書き?、本当に書いていたのですね
秀頼が、ここまで戦う気満々だったなら、夏の陣では初戦から前線で戦ってもらわないと辻褄が合わないような、、、😅個人的にはやる気満々の牢人たちを抑えきれなくて、止む無く開戦って感じだから淀殿も秀頼出馬を妨害してたって事だと思ってました😅😅
高台院の秘書の孝蔵主が、1614年の大坂冬の陣の時に江戸へ下向して滞在し、徳川秀忠に仕えています。その経緯や理由はよく分かっていませんが、高台院が大坂の陣で特に奔走せず、同じ女性で言うなら常高院が専ら奔走していることを考えると、孝蔵主が一種の人質として江戸に留め置かれてしまったことで、高台院の政治活動が阻まれたんじゃないかと個人的に推測しております。ただ、何分確証がないので難しいですね。
淀殿と高台院の関係は悪くなかったような気もするけれど、尾張(武断)派・近江(文治)派が関ヶ原の戦いでは対立した形にはなっていましたが。「日課念仏」についても詳しく聞けました。
ドラマの中で寧々も「淀(茶々)が豊臣家をのっとった」と言っていたが、まさにそういうことだったんだと思う。DNA鑑定なんてできないから、秀頼が秀吉の子か否かは調べようがないが、やはり諸々勘案すると秀頼が秀吉の実子であるというのは不自然だ。淀殿も最初からこれを狙って豊臣家入りしたのだろう。なんせ秀吉は淀殿の義父・柴田勝家の仇なんだから、本来の淀殿の性格からすると秀吉の側室に入るなんてちょっと考えられない。ところで現状維持を求める豊臣とあくまでの家康の臣下になることを求める徳川。従来の歴史ドラマでは淀殿がごねて消極的な秀頼をたきつけて渋々徳川との合戦に持ち込むような描き方が多かったと思うが、今回は秀頼の意志にて夏の陣の合戦に及んでいた。これで豊臣家が滅んでもよいという考えのもとに…だろうが、ちょっと秀頼の描き方がかっこうよすぎると思った。淀殿が少女の頃から家康を慕っていた…など、またまた新説?が出てきた今回の大河だが、個人的には半分ファンタジーとのことなので、嫌いじゃない。
どうする家康は、タイトルを僕が企画して、NHKに運よく採用された、ものである。徳川家康、木下秀頼の人生を詳しく辿れて良かった。脚本家のほら吹きは削除して見ていた。合戦場面が、水戸黄門程度で、大したことはなく残念だった。明智光秀の最後の描き方は、脚本家のほら吹きで呆れた。
その本の、南無阿弥陀仏と書いてあるのの横のページの絵みたいなのは何?机に木の足が一杯突いてるみたいヤツ。後、なんか今日のドラマ、かなりつまらなく感じたよ。
念仏の巻物とそれを入れてあった箱でしょう。
なるほど。ありがとうございます。
南無阿弥陀仏!今日も、楽しく拝聴させて戴きました。😊
南無阿弥「家康」はいかにもドラマの演出かと思ったけど、実際に書いていたのか。これは勉強になった。
先生の解説も残す所あと一回。最後までドラマとセットで楽しませていただきます。
日課念仏、存じ上げませんでしたがおもしろいですね
いわゆるタヌキ親父的なステレオタイプの家康像とは違う人物的な深みを感じさせる気がします
毎回先生のお話伺う事楽しみにしております。家康が終わった後も色々話してほしいです。
寧々が茶々と対立せず、むしろ家康側の思惑を伝える緩衝材的役割を担っていたというのは知っていましたが、大阪城に籠城する意志があったとは、ちょっとビックリしました。やはり彼女なりに、豊臣家存続を希求していたのでしょう。
ドラマでの家康の日課念仏の描写、良かったです。史実でも大阪の陣の前に多く書かれていると知り、彼の心の叫び、公にできない人知れない彼の心情を込めての行為のように感じます。長く綴られた文言を見ていると、彼の真摯な思い、過去の戦いでの死者への追悼の気持ちを強く感じます。小さく家康と書かれているのも、彼の申し訳なさの表れのように感じるのは、私の思い過ごしでしょうか?!。ふきだしの音が、少し静かに変わりましたね。
初についても解説して頂けると有り難い。
南無阿弥”家康”と落書き?、本当に書いていたのですね
秀頼が、ここまで戦う気満々だったなら、夏の陣では初戦から前線で戦ってもらわないと辻褄が合わないような、、、😅
個人的にはやる気満々の牢人たちを抑えきれなくて、止む無く開戦って感じだから淀殿も秀頼出馬を妨害してたって事だと思ってました😅😅
高台院の秘書の孝蔵主が、1614年の大坂冬の陣の時に江戸へ下向して滞在し、徳川秀忠に仕えています。その経緯や理由はよく分かっていませんが、高台院が大坂の陣で特に奔走せず、同じ女性で言うなら常高院が専ら奔走していることを考えると、孝蔵主が一種の人質として江戸に留め置かれてしまったことで、高台院の政治活動が阻まれたんじゃないかと個人的に推測しております。ただ、何分確証がないので難しいですね。
淀殿と高台院の関係は悪くなかったような気もするけれど、尾張(武断)派・近江(文治)派が関ヶ原の戦いでは対立した形にはなっていましたが。
「日課念仏」についても詳しく聞けました。
ドラマの中で寧々も「淀(茶々)が豊臣家をのっとった」と言っていたが、
まさにそういうことだったんだと思う。
DNA鑑定なんてできないから、秀頼が秀吉の子か否かは調べようがないが、
やはり諸々勘案すると秀頼が秀吉の実子であるというのは不自然だ。
淀殿も最初からこれを狙って豊臣家入りしたのだろう。
なんせ秀吉は淀殿の義父・柴田勝家の仇なんだから、本来の淀殿の性格から
すると秀吉の側室に入るなんてちょっと考えられない。
ところで現状維持を求める豊臣とあくまでの家康の臣下になることを求める
徳川。従来の歴史ドラマでは淀殿がごねて消極的な秀頼をたきつけて渋々徳川
との合戦に持ち込むような描き方が多かったと思うが、今回は秀頼の意志にて
夏の陣の合戦に及んでいた。
これで豊臣家が滅んでもよいという考えのもとに…だろうが、ちょっと秀頼の
描き方がかっこうよすぎると思った。
淀殿が少女の頃から家康を慕っていた…など、またまた新説?が出てきた今回
の大河だが、個人的には半分ファンタジーとのことなので、嫌いじゃない。
どうする家康は、タイトルを僕が企画して、NHKに運よく採用された、ものである。徳川家康、木下秀頼の人生を詳しく辿れて良かった。脚本家のほら吹きは削除して見ていた。合戦場面が、水戸黄門程度で、大したことはなく残念だった。明智光秀の最後の描き方は、脚本家のほら吹きで呆れた。
その本の、南無阿弥陀仏と書いてあるのの横のページの絵みたいなのは何?机に木の足が一杯突いてるみたいヤツ。後、なんか今日のドラマ、かなりつまらなく感じたよ。
念仏の巻物とそれを入れてあった箱でしょう。
なるほど。ありがとうございます。