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先生の解説もあとわずか。本編と同じく最後まで楽しみに拝見します。
先生のおかげもあってか、今川氏真の再登場が素敵なものになりましたね
小和田先生の解説、毎回楽しみに欠かさず観させて頂いております。あと少しで残念ですが、最後まで宜しくお願い申し上げます😊
家康と秀頼が席を譲り合うの本当にあった事なんだ?ドラマだけのフィクションかと思ってました。
歴史の闇。怖い話でした!家康怖い……。
席の譲り合いの原文が見られたのが良かったです。
いやいやいやいや、関ヶ原に続き今回も淀殿の気持良い迄の悪女振りに痺れました。秀頼ももう慇懃無礼の域に至り、これは本当に親父は秀吉か?なんて思わされました。しかし、寺の梵鐘の銘にわざわざアヤが付く様なものを選ぶのだろうかと、疑問にも感じました。むしろ、今回の人物造形だとそんな詰まらぬ手抜かりなどしなさそうな気もしました。本当はそこまで悪意無く「国家鮟鱇」もとい「国家安康」なんて記したのでは?と思いました。加藤清正が威勢良く護衛を申し出る件、先生のお話に「そうだよなぁ」と頷きました。先生のお話は創作と史実は別物と改めて気付かせてくれます。残りも僅か。よろしくお願いします。
この二つの出来事がキッカケで大坂の陣に繋がることは間違いないですね。
方広寺鐘銘事件は、最近の研究では単なる言い掛かりではない説があるそうですね。鐘の銘文に通称や官位名でなく名前を記すのは、縁起が悪いとされていたという内容です。また、加藤清正が二条城会見に際して、秀頼の護衛に付いたとありますが、清正は自身の子八十娘と家康の子頼宣との婚姻が成立していたため、徳川方家臣として参加したと聞きましたが。
若いとは言え、組織のトップに立つ秀頼。天下人の後継者でありながら、まだ父親の保護下にある秀忠との覚悟、経験の違いを見せつけられたと言った所でしょうか。衝撃的なセリフ「俺の白兎」で始まったドラマがどんな結末を迎えるか、楽しみです。
地元の英雄である加藤清正が大坂冬の陣の前に亡くなってしまったのは残念でなりません😢😢😢本気で豊臣家を残したいのであれば、人質として淀殿が江戸に行くしかなかったと思います。(妹のお江もいますし、、、)多くの大河ドラマや映画では豊臣家中の発言力が秀頼<淀殿みたいに描かれていることが多いけど、実際どうだったんでしょうか🤔本当は「母上いい加減にしてよ‼️」くらい秀頼が言ってそうでだけどなー😅
大坂冬の陣、楽しみだ。
毎回楽しみにしております😊方広寺、日付の不吉なことなど知り、ありがとうございます。ここまで、秀吉との秀頼の代わりを頼むという約束を、私婚問題や征夷大将軍、秀頼は来なくて良いと断るなどあからさまに反故にしてきた家康。もし鐘銘が意図的だとしても、そうさせるに値する事を家康は秀頼に対して行ってきたと感じられました。さらに、主君秀頼に武力で攻撃するとは、なかなかに激しい人物と、家康お見受けしました。さすがの秀吉も織田家に武力で攻撃(織田家が分かれて片方に味方したことはあれど)まではしませんでした。
秀頼は生まれてから19年大阪城から出なかった人なのですね。純粋培養というか…母親の支配から抜け出せない子ども…すると、やはり戦いを望んだのは母親の淀殿ということでしょうか。淀殿の心のトラウマが、豊臣の破滅を求めてしまったのでしょうか。大切な自分の子を母親に任せたら破滅だと予想したからこそ、秀吉は最後まで家康に秀頼を頼むと言い残したのかも。秀頼殿は容姿端麗で、猿と呼ばれた秀吉と似ていないけれど、そもそも飢えたこともなく生活の苦労も知らない御曹司なら無理もない。母親の遺伝子なら🧬容姿端麗の要素はありますからね。仲良く猫を撫でる秀頼と千姫の幼いカップルのbgmに『 禁じられた遊び』を流したい😿😿😿😿😿
もしも浅野幸長が大坂の陣まで生きていたら、浅野が九度山で監視対象にしていた真田信繁の九度山脱出に、妨害どころかむしろ積極的に協力して武具兵糧軍資金を持たせてくれたかもしれませんね。
加藤、浅野に結城秀康、黒田如水、前田利長とこの頃梅毒疑いの人多いですね。たまたまと思いますが、何か勘繰ってしまいます。
葵徳川三代で描かれた二条城会見では秀頼(尾上菊之助)が立派で、家康(津川雅彦)は「あれは人物じゃ」と感嘆しています。方広寺鐘銘事件も、清韓に対する崇伝、天海らの糾弾の場面が見応えありました。どうする家康は見ておりませんがはたしてその辺りの描かれ方や如何に。
葵 徳川三代は関ヶ原と大阪の陣に特化したドラマなので、どうする家康は家康を12才から75才迄描く今作とは比較出来ないと思います。
特に比較したい意図はありませんが幼少期からしぬまで描いている1983年の「徳川家康」は見応えがありました。ただ二条城会見がどう描かれていたが覚えていません。40年前の大河なので研究も今ほど進んでいませんし
@@inuinuchiichan さんご覧になってないですか。それは勿体ない。松本さんは演技力抜群です。松本さんには失礼ですが、私も以外でビックリ👀しました。おっしゃっる通り、脚本が出来た三年前からでも研究が進み、真田丸は真田山、大蔵卿の局と片桐かつもとは共に家康に会いに行ってます。滝田栄さんの家康は残念ながらほんの一部しか見れませんでした。私の記憶では、重厚な大河ドラマは滝田栄さんの家康で終了になりました。
@@inuinuchiichan さん二条城の会見は寧々様、加藤清正がお膳立てしましたが、秀頼は家康と共に上段に座るとみせて、自分は下段に座りました。家康は一本やられた、秀頼の成長ぶりに危機感を覚えます。しかし、寧々様と加藤清正の顔に泥を塗った結果になりました。
秀頼との二条城会見の演出より、方広寺事件の演出はちょっとどうかと思ってしまう感じですね・・・。敢えて戦の口実を作るのを豊臣側というところが、すごく違和感を感じましたね~。
加藤清正は、梅毒で死んだって説もあったよね?!ちがった?だけど釣り鐘の件、何か言いがかりを付けた感じがして、何か豊臣方が少し哀れに感じちゃうなぁ。
先生の解説もあとわずか。本編と同じく最後まで楽しみに拝見します。
先生のおかげもあってか、今川氏真の再登場が素敵なものになりましたね
小和田先生の解説、毎回楽しみに欠かさず観させて頂いております。
あと少しで残念ですが、最後まで宜しくお願い申し上げます😊
家康と秀頼が席を譲り合うの本当にあった事なんだ?ドラマだけのフィクションかと思ってました。
歴史の闇。怖い話でした!家康怖い……。
席の譲り合いの原文が見られたのが良かったです。
いやいやいやいや、関ヶ原に続き今回も淀殿の気持良い迄の悪女振りに痺れました。
秀頼ももう慇懃無礼の域に至り、これは本当に親父は秀吉か?なんて思わされました。
しかし、寺の梵鐘の銘にわざわざアヤが付く様なものを選ぶのだろうかと、疑問にも感じました。むしろ、今回の人物造形だとそんな詰まらぬ手抜かりなどしなさそうな気もしました。
本当はそこまで悪意無く「国家鮟鱇」もとい「国家安康」なんて記したのでは?と思いました。
加藤清正が威勢良く護衛を申し出る件、先生のお話に「そうだよなぁ」と頷きました。
先生のお話は創作と史実は別物と改めて気付かせてくれます。
残りも僅か。よろしくお願いします。
この二つの出来事がキッカケで大坂の陣に繋がることは間違いないですね。
方広寺鐘銘事件は、最近の研究では単なる言い掛かりではない説があるそうですね。鐘の銘文に通称や官位名でなく名前を記すのは、縁起が悪いとされていたという内容です。また、加藤清正が二条城会見に際して、秀頼の護衛に付いたとありますが、清正は自身の子八十娘と家康の子頼宣との婚姻が成立していたため、徳川方家臣として参加したと聞きましたが。
若いとは言え、組織のトップに立つ秀頼。
天下人の後継者でありながら、
まだ父親の保護下にある秀忠との覚悟、経験の違いを見せつけられた
と言った所でしょうか。
衝撃的なセリフ「俺の白兎」で始まったドラマがどんな結末を迎えるか、楽しみです。
地元の英雄である加藤清正が大坂冬の陣の前に亡くなってしまったのは残念でなりません😢😢😢
本気で豊臣家を残したいのであれば、人質として淀殿が江戸に行くしかなかったと思います。(妹のお江もいますし、、、)
多くの大河ドラマや映画では豊臣家中の発言力が秀頼<淀殿みたいに描かれていることが多いけど、実際どうだったんでしょうか🤔
本当は「母上いい加減にしてよ‼️」くらい秀頼が言ってそうでだけどなー😅
大坂冬の陣、楽しみだ。
毎回楽しみにしております😊
方広寺、日付の不吉なことなど知り、ありがとうございます。
ここまで、秀吉との秀頼の代わりを頼むという約束を、私婚問題や征夷大将軍、秀頼は来なくて良いと断るなどあからさまに反故にしてきた家康。
もし鐘銘が意図的だとしても、そうさせるに値する事を家康は秀頼に対して行ってきたと感じられました。
さらに、主君秀頼に武力で攻撃するとは、なかなかに激しい人物と、家康お見受けしました。
さすがの秀吉も織田家に武力で攻撃(織田家が分かれて片方に味方したことはあれど)まではしませんでした。
秀頼は生まれてから19年大阪城から出なかった人なのですね。純粋培養というか…母親の支配から抜け出せない子ども…すると、やはり戦いを望んだのは母親の淀殿ということでしょうか。淀殿の心のトラウマが、豊臣の破滅を求めてしまったのでしょうか。大切な自分の子を母親に任せたら破滅だと予想したからこそ、秀吉は最後まで家康に秀頼を頼むと言い残したのかも。秀頼殿は容姿端麗で、猿と呼ばれた秀吉と似ていないけれど、そもそも飢えたこともなく生活の苦労も知らない御曹司なら無理もない。母親の遺伝子なら🧬容姿端麗の要素はありますからね。仲良く猫を撫でる秀頼と千姫の幼いカップルのbgmに『 禁じられた遊び』を流したい😿😿😿😿😿
もしも浅野幸長が大坂の陣まで生きていたら、浅野が九度山で監視対象にしていた真田信繁の九度山脱出に、妨害どころかむしろ積極的に協力して武具兵糧軍資金を持たせてくれたかもしれませんね。
加藤、浅野に結城秀康、黒田如水、前田利長とこの頃梅毒疑いの人多いですね。たまたまと思いますが、何か勘繰ってしまいます。
葵徳川三代で描かれた二条城会見では秀頼(尾上菊之助)が立派で、家康(津川雅彦)は「あれは人物じゃ」と感嘆しています。
方広寺鐘銘事件も、清韓に対する崇伝、天海らの糾弾の場面が見応えありました。
どうする家康は見ておりませんがはたしてその辺りの描かれ方や如何に。
葵 徳川三代は関ヶ原と大阪の陣に特化したドラマなので、どうする家康は家康を12才から75才迄描く今作とは比較出来ないと思います。
特に比較したい意図はありませんが
幼少期からしぬまで描いている1983年の「徳川家康」は見応えがありました。
ただ二条城会見がどう描かれていたが覚えていません。
40年前の大河なので研究も今ほど進んでいませんし
@@inuinuchiichan さん
ご覧になってないですか。それは勿体ない。松本さんは演技力抜群です。松本さんには失礼ですが、私も以外でビックリ👀しました。おっしゃっる通り、脚本が出来た三年前からでも研究が進み、真田丸は真田山、大蔵卿の局と片桐かつもとは共に家康に会いに行ってます。滝田栄さんの家康は残念ながらほんの一部しか見れませんでした。私の記憶では、重厚な大河ドラマは滝田栄さんの家康で終了になりました。
@@inuinuchiichan さん
二条城の会見は寧々様、加藤清正がお膳立てしましたが、秀頼は家康と共に上段に座るとみせて、自分は下段に座りました。家康は一本やられた、秀頼の成長ぶりに危機感を覚えます。しかし、寧々様と加藤清正の顔に泥を塗った結果になりました。
秀頼との二条城会見の演出より、方広寺事件の演出はちょっとどうかと思ってしまう感じですね・・・。
敢えて戦の口実を作るのを豊臣側というところが、すごく違和感を感じましたね~。
加藤清正は、梅毒で死んだって説もあったよね?!ちがった?だけど釣り鐘の件、何か言いがかりを付けた感じがして、何か豊臣方が少し哀れに感じちゃうなぁ。