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丹波チャンネルさん、お久しぶりです!すごく待ってましたぁ🎉富雄丸山古墳の近所に住んでますんで考察嬉しいです!
この熱さ、久しぶり過ぎです!!もっと頻度上げて欲しい!
長髄彦と思しき人骨が出てきたら感動しますね。生態系保全、狩猟、養蜂、食育、地域おこし、文化人類学など学際的に実践研究してきた者です。縁あって、京都と丹波以北、滋賀、奈良、大阪、福井、島根とフィールドワークをしてきました。狩猟をしていると丹波や出雲、前大和、九州、平安京以前の京都など近畿勢力の存在をヒシヒシと感じます。特に日本海側の地理的特徴と古代の地形や自然環境、文化はとても興味深いですね。海岸線、河川、植生、古代航路なんか本当に気になります。最近は、交野山観音岩、磐船神社、お松の宮、饒速日の墳墓、稲倉神社、生駒大社、生駒聖天(あの絶壁は元々磐座だったのではと思っています)etc. 丹波市にある石上神宮と近くの大神大社などを移動するとルート沿いに浮き上がる歴史的風景や祭祀的インスピレーション(今風に言うと絶景インスピレーション)に心を打たれて感動しました。周辺をGoogleマップで見ていると明らかに守られている小さな小さな洞が住宅地近くの山中にひっそりあったり。富雄丸山古墳が更なる大発見によって注目を集めると今まで世間で見えていなかった景色が突如として浮き上がってくるかもしれませんね。今井赤坂墳丘墓を思い起こしてしまいますが、富雄丸山古墳では考古学ファン、歴史ファンが感動する世紀の発掘がなされることを期待しています。
投稿者さんの興奮気味の解説・考察に、こちらもわくわくしッ放しでした!何が出てくるか、発掘の動向が楽しみですね!
ド正論!それで間違いないよ👍
富雄川丸山古墳、木棺の報道後のつい先日行ってみたら、2人ずつで24時間2交代体制で警備されていましたよ。5月まではこの体制でいくと警備のおっちゃん言うてました。おっちゃん、寒い中大変やけど、世紀の大発見やし、居眠りせんと守り切ってなー
ひさしぶりやん 待ってたで
神話が信用できない!というのは今になってわかります。本当の事がわかってきた今日、楽しいです😊
待ってました!心配してました!良かったです!
神話を真面目に全力でしゃべるとこんなに面白いのを初めて知りました。素戔嗚の毛の話しとか。これからも神話の奇妙な話しを全力で話してほしい😂😂
出雲口伝にある長髄彦=大彦なら時代のズレにも納得がいきます仮にここに眠ってなかったとしても長髄彦の本拠地であるのは間違いないですね!
こんにちは~お久し振りでございます✨ナガスネヒコですよね~私も色々な人に聞いたけど年代合わないって言うのですよ~でもどう考えてもナガスネヒコ以外考えられない。しかも本当に脛が長かったら震えます。妄想が止まらないwww丹波愛に溢れた発信楽しみにしております✨
富雄丸山古墳、メチャ期待ですよね4世紀後半の古墳なのに、明らかに大和王権とは異質の文化を持ってる豪華な古墳が畿内から出てしまうと、紀元前に神武東征で畿内に大和王権ができて以降は万世一系だったと言う日本史学が崩壊しちゃいます😂仮に富雄丸山古墳が富長脛彦の墓で4世紀後半が神武東征であったとしたら、つまりは神功応神の凱旋こそが神武東征なわけで、それ以前の纏向の古墳群は天皇家とは別の王朝だと言うことになりそうですそれは、邪馬台国畿内説の方々にとっても、メチャ都合が悪い
奈良の学者、例えば橿考研の中にも邪馬台国畿内説を完全否定している人もいて、本当は畿内説派は少数派のようです。なかなか学者の世界もしがらみだらけで大変なようです(^_^;)
きたきたきた!ありがとうございます!
お待たせしました(^_^;)
応えて頂き感謝です!大丹波ch大好きです!
丹後の与謝野町には特に注目しています初代の与謝野町の首長が太田さんだったり天富命(あめのとみのみこと)は太玉命(ふとだまのみこと)の孫阿蘇海(湖)の地名があったり、蛇行刀も出土していたりして非常に歴史的にみても濃い地域だと思っています栃木県の佐野市あたりが、もともと阿蘇郡という地名になっていたりもして、??ってなりますちなみに栃木県小山市は確か、蛇行刀の最北端だったような気がします
栃木県の宇都宮や日光、下野は河内郡なんだよね 他にも寒川郡があったりなんやねんって感じ
富雄丸山古墳とその近くの白高大神、それと長脛彦は、何らかの関係性があると思います。
なるほど。そういう考えもあるのですね。もし人骨が出てくるとなると、葛城氏系の誰かかな?ぽい人の人骨が見つかりそうな気が▪▪▪。幻の葛城王朝説が現実味を帯びる?ナガスネヒコだったらもっと楽しい事になりそうですね。
何が出るかより誰が葬られてるかの方が重要だ。今回の発掘で長髄彦や饒速日にまつわる史実が何か証明されたら凄い‼️
私も追っている長髄彦!5月、奈良いくから天理いってみたい!行きたい所がありすぎて、1泊じゃ足りない😂何が出てくるか、ロマンしかありませんね!私も知られている年代にとらわれず考察した方がいいと思っています。1つ発掘の方にお願いしたいのは、ありのままを伝えて欲しいです!前、お話していた古墳のように途中で閉じたりしないで。発表が楽しみです!発表されたらまた動画お願いします✨
奈良は本当に天皇家の歴史の表と裏で満ちていると思います◎たっぷり味わって下さい^_^
お久しぶりです!富雄丸山古墳の話で嬉しいです 昨年5月に古墳近くのスーパーで買い物して大和平群ホテルに泊まり(翌日法隆寺に行くために)古墳にはどんな方がお眠りになっているのだろうか?とか旦那をほったらかして思い巡らせたのを思い出しました😆長髄彦ナーガ(蛇)スネ🟰蛇行剣を持つ者 だとしたら 大丹波チャンネルさんと同考察しかありませんよ✌️ 人骨残っていたら凄すぎますよね!!そしてなんか嬉しいです!!というかそうであってほしいなぁ!!
有難うございます◎人骨、足だけでも残っててほしいです^_^
ですよね!✨
お久しぶりです!アメノヒボコの話を別のチャンネルでききました。
待ってましたーーー!!待ちきれなくて丹波まで探しに行きましたよ(笑)五瀬は確かにイセと読めますね!あれ?伊勢津彦も順番を変えると彦伊津勢になる!これって少名彦が少彦名に変えられちゃったアレと同じパターンですかね?すごいヒントをいただきました!
ありがとうございます^_^例えばアジスキタカヒコネも最後のネは無いのが本来か、あるいはアジスキタカ名彦で、少名彦と同じ理論だろうと思えます◎
@@nakabunken そういえば私はナガスネヒコ=中曽大根彦=大彦という説を推したいので富雄丸山古墳に埋葬されていたら困ります(笑)
私は、もっと深くに眠っておられると考えます。木管には、富王の家来。富長髄彦の大王はもっと深く、人の目に触れない所に…
これはテスト教育の弊害よなぁ、テストの正解だからそれが確定事項のように勘違いするけど歴史って根本的にそういう学問じゃないんだよねぇ長脛彦が出てきてさらに蛇行剣振り回せるぐらいの体格だったら世界がひっくり返るよね
一年ぶりなんですね。元気もらえました。❤骨🦴が出てきたら遺伝子🧬分析できたらすごいですね。インドドラヴィダ系の手足の長い人希望‼︎
そうなんですよねー!棺があの状態だから、足の骨だけでも残っていれば、長髄彦なこじつけてヨシでしょう^_^遺伝子わかれば最高ですね!
🧬遺伝子が分かれば、現代に続く末裔の方々がきっといらっしゃいますよね。例えばABE家など‥(笑)何故だかお声とお話のリズムがとても心地良く、ワクワク感が止まらないです。😊また、🆙して下さいね。❤待ってます❣️
私も長髄彦の人骨が出で来ると思います。そして、あの蛇行剣の先に、八咫烏が留まったと、私は思っています・・・
富雄丸山古墳の被葬者は第7代孝霊天皇の皇后の千速速眞若毘売命です。 千千速眞若毘売命は紀元99年に生まれ138年に40歳で崩御されました。 副葬品の長大蛇行剣及び臥龍文盾形銅鏡などは2年前に崩御された孝霊天皇と所持され扌いたものだと思われます?
富雄丸山古墳の所在地がナガスネヒコ=富氏の勢力地だったのは間違い無いと思いますが、古墳はむしろ、その地を征服した証拠・シンボルとして大和政権(崇神王朝)側が建立したものではありませんか?と言うのは、今回出土した蛇行剣が、古事記に登場する、東国平定に出発するヤマトタケルに授けられた「比比羅木之八尋矛」によく似ているからです。矛と剣の違いは有りますがどちらも八尋(=240cm)ほどの巨大な刀剣ですし、蛇行剣は元々「比比羅木=柊」の葉の形だったと思います。そしてタケルが戦った敵はナガスネヒコの亡命政権だった富=安倍氏(日高見)王国です。タケルのモデルになった人物が東国から凱旋した後、富氏の故郷に征服者として葬られたのだと考えています。
逆に隼人がでてくるんじゃないか?盾だけに
民からは「おやかた」と呼ばれてたようですね。長髄彦さんの人となりを垣間見たような… 古来日本人、縄文人だったのでしょうか…。
親方ですか^_^確かに民衆の先頭に立って闘うイメージの長髄彦さんです!
けっこうファンが多いチャンネル
長髄彦ってスネが長いから巨人やん。蛇行剣も大きいすぎるやん。あの大きさは巨人サイズですよね🤣
天理参考館すごい。教科書に出るような大きな銅鐸もあります。出土地日本列島とあるのはご愛嬌です。よくぞ、流出を止めてくれたと思います。
十尺とかの大男が身に付ける鎧とか出てこないかな~
実際、鏡が3枚出てきましたね。さらに被葬者の歯ぐらい残っているかもしれませんね。それと棺桶の年代測定すれば、古墳の築造年代がわかるかもしれませんね。
三種の神器でしょう、剣と鏡が出たから次は勾玉でしょう。しかし勾玉が出ると話がややこしくなりそう~天皇家系列ならどうするつもりかな~ところで卑弥呼は何処に消えたのか気になります。神話だから好き勝手に想像してます。
三角縁神獣鏡は棺外から出土することが多く、棺内からだと時代的にも、地域的にも、枕元から画文帯神獣鏡が埋葬されている可能性が高いのではないか、と思っています。でも、棺外から2品も予想外のものが出てきているので、棺内にも予想を上回るものが納められていることも期待できますね。木棺があれだけ残っているなら、おそらく人骨も一部残っている可能性が高いと思いますが、仮に長髄彦の墳墓なら主体部に埋葬されていたと思いますので、その元で活躍した人ではないでしょうか。今回の木棺に長髄彦が埋葬されていたならば、主体部は長髄彦より上の支配者ということになり、誰?ってことになりますね。
棺内予想ありがとうございます!棺内は意外と普通だった…も結構ありえると思いますが笑、珍しいものを期待します☆
初見でコメントいいんやろかーと思いながら書いてますちょうど昨日、東大阪市にある石切神社さんにお詣りしてきたところです。で、動画で言われた木棺に納められてるのは誰か?あたしは3メートル級巨人だと想像してる。当然饒速日命ではなく長髄彦さんです。記憶間違いでなければたしか生駒山中にひっそりと墓があったような。茂木先生が行かれてた動画がありました。
ありがとうございます、コメント大歓迎です^_^
明治のはか泥棒が骨もってって隠したのでナガスネヒメ出ないと思う モリヤなんちゃらと天理と京都博物が怪しい🤔🤔🤔
長髄彦=大彦とする説もあるようですが、東北の安倍氏に繋がるのは大彦本人が落ち延びた訳でなくその子孫となる気がします、どう思われますか?😮
コメント有難うございます、長髄彦=大彦説は出雲口伝が元だと認識しています。出雲口伝では大彦は安倍姓を名乗ったとも書いてあったと思います。また伊賀国一之宮の敢國神社はそのゆかりの地であったとも。長髄彦(または長髄彦の兄)が東北王朝の祖であるというのは、安藤氏系図や東日流外三郡誌で有名だと思いますが、要するに信州や東北に戻った出雲族のことだという認識で、ホツマツタヱでは大己貴も国譲りの後に東北へ移り住んだと伝えていることも同じだと考えています。
なるほど、この時代は全体像を把握するのが困難で理解が追いつかないこともままありますが楽しみながら理解を深めたいと思います。動画いつも楽しみにしています!丹後王国や、籠神社などとヤマト王権の関係なども気になる所です、こうだと言い切れない部分も多いと思いますが今後の配信も期待しています!
おっしゃるとおり歴史仮説でしかないのです。でも、なんで日本の古代史に謎が多いかを考えると、文献と事実、つまり考古学や民俗学などの成果との不整合が原因なのです。多くの学者は文献が正しいという前提で何とか解釈して乗り切ろうとしているのですが、謎は消えません。仮説は事実に基づく検証が必要なので、科学的な解明方法ではないのですよ。それは多分、記紀が天皇の歴史書と洗脳されているので思いつかないのでしょう!現存する最古の正史の日本書紀は壬申の乱を制した天武天皇が編纂を命じましたが、完成したのは崩御後34年なのです。当時の権力者は藤原不比等ですから、藤原氏が権力を維持するために不都合な史実を隠し、都合の好いように歴史を改ざんしたのです。日本書紀よりも先に完成したとされる古事記は、9世紀に突然表に出てきたもので、正史に記録はないですし、日本書紀が古事記を引用したり参照した形跡もないのです。日本書紀が隠した史実を藤原氏に悟られないように暴露する目的の暗号書だったのです(詳細は「刮目天の古代史」参照)。これを解読すれば富雄丸山古墳の被葬者も吉野ヶ里遺跡の謎のエリアの石棺の被葬者も判明しました。詳しくは「【刮目天の古代史】今年の大発見第1位!(^_-)-☆」「【刮目天の古代史】今年の大発見第2位!(^_-)-☆」をご参照ください。一番ご興味のある大丹波の歴史も分かっています(詳細は「丹波はスサノヲ・大国主の故郷だった(^_-)-☆」「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!(^_-)-☆」参照)。お邪魔しました(^_-)-☆
5mの木棺なら間違いなく脛が長い長髄彦ですね!
脛は2mぐらいですかね^_^
物は良いのか、ある意味量産品なのか、何言ってるのかわからん。
丹波チャンネルさん、お久しぶりです!
すごく待ってましたぁ🎉
富雄丸山古墳の近所に住んでますんで考察嬉しいです!
この熱さ、久しぶり過ぎです!!もっと頻度上げて欲しい!
長髄彦と思しき人骨が出てきたら感動しますね。生態系保全、狩猟、養蜂、食育、地域おこし、文化人類学など学際的に実践研究してきた者です。縁あって、京都と丹波以北、滋賀、奈良、大阪、福井、島根とフィールドワークをしてきました。狩猟をしていると丹波や出雲、前大和、九州、平安京以前の京都など近畿勢力の存在をヒシヒシと感じます。特に日本海側の地理的特徴と古代の地形や自然環境、文化はとても興味深いですね。海岸線、河川、植生、古代航路なんか本当に気になります。最近は、交野山観音岩、磐船神社、お松の宮、饒速日の墳墓、稲倉神社、生駒大社、生駒聖天(あの絶壁は元々磐座だったのではと思っています)etc. 丹波市にある石上神宮と近くの大神大社などを移動するとルート沿いに浮き上がる歴史的風景や祭祀的インスピレーション(今風に言うと絶景インスピレーション)に心を打たれて感動しました。周辺をGoogleマップで見ていると明らかに守られている小さな小さな洞が住宅地近くの山中にひっそりあったり。富雄丸山古墳が更なる大発見によって注目を集めると今まで世間で見えていなかった景色が突如として浮き上がってくるかもしれませんね。今井赤坂墳丘墓を思い起こしてしまいますが、富雄丸山古墳では考古学ファン、歴史ファンが感動する世紀の発掘がなされることを期待しています。
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富雄川丸山古墳、木棺の報道後のつい先日行ってみたら、2人ずつで24時間2交代体制で警備されていましたよ。5月まではこの体制でいくと警備のおっちゃん言うてました。
おっちゃん、寒い中大変やけど、世紀の大発見やし、居眠りせんと守り切ってなー
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本当の事がわかってきた今日、楽しいです😊
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出雲口伝にある長髄彦=大彦なら時代のズレにも納得がいきます
仮にここに眠ってなかったとしても長髄彦の本拠地であるのは間違いないですね!
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富雄丸山古墳、メチャ期待ですよね
4世紀後半の古墳なのに、明らかに大和王権とは異質の文化を持ってる豪華な古墳が畿内から出てしまうと、紀元前に神武東征で畿内に大和王権ができて以降は万世一系だったと言う日本史学が崩壊しちゃいます😂
仮に富雄丸山古墳が富長脛彦の墓で4世紀後半が神武東征であったとしたら、つまりは神功応神の凱旋こそが神武東征なわけで、それ以前の纏向の古墳群は天皇家とは別の王朝だと言うことになりそうです
それは、邪馬台国畿内説の方々にとっても、メチャ都合が悪い
奈良の学者、例えば橿考研の中にも邪馬台国畿内説を完全否定している人もいて、本当は畿内説派は少数派のようです。なかなか学者の世界もしがらみだらけで大変なようです(^_^;)
きたきたきた!
ありがとうございます!
お待たせしました(^_^;)
応えて頂き感謝です!
大丹波ch大好きです!
丹後の与謝野町には特に注目しています
初代の与謝野町の首長が太田さんだったり
天富命(あめのとみのみこと)は太玉命(ふとだまのみこと)の孫
阿蘇海(湖)の地名があったり、蛇行刀も出土していたりして非常に歴史的にみても濃い地域だと思っています
栃木県の佐野市あたりが、もともと阿蘇郡という地名になっていたりもして、??ってなります
ちなみに栃木県小山市は確か、蛇行刀の最北端だったような気がします
栃木県の宇都宮や日光、下野は河内郡なんだよね 他にも寒川郡があったりなんやねんって感じ
富雄丸山古墳とその近くの白高大神、それと長脛彦は、何らかの関係性があると思います。
なるほど。そういう考えもあるのですね。もし人骨が出てくるとなると、葛城氏系の誰かかな?ぽい人の人骨が見つかりそうな気が▪▪▪。幻の葛城王朝説が現実味を帯びる?ナガスネヒコだったらもっと楽しい事になりそうですね。
何が出るかより誰が葬られてるかの方が重要だ。今回の発掘で長髄彦や饒速日にまつわる史実が何か証明されたら凄い‼️
私も追っている長髄彦!5月、奈良いくから天理いってみたい!行きたい所がありすぎて、1泊じゃ足りない😂何が出てくるか、ロマンしかありませんね!私も知られている年代にとらわれず考察した方がいいと思っています。1つ発掘の方にお願いしたいのは、ありのままを伝えて欲しいです!前、お話していた古墳のように途中で閉じたりしないで。発表が楽しみです!発表されたらまた動画お願いします✨
奈良は本当に天皇家の歴史の表と裏で満ちていると思います◎たっぷり味わって下さい^_^
お久しぶりです!富雄丸山古墳の話で嬉しいです 昨年5月に古墳近くのスーパーで買い物して大和平群ホテルに泊まり(翌日法隆寺に行くために)古墳にはどんな方がお眠りになっているのだろうか?とか旦那をほったらかして思い巡らせたのを思い出しました😆長髄彦ナーガ(蛇)スネ🟰蛇行剣を持つ者 だとしたら 大丹波チャンネルさんと同考察しかありませんよ✌️ 人骨残っていたら凄すぎますよね!!そしてなんか嬉しいです!!というかそうであってほしいなぁ!!
有難うございます◎人骨、足だけでも残っててほしいです^_^
ですよね!✨
お久しぶりです!アメノヒボコの話を別のチャンネルでききました。
待ってましたーーー!!
待ちきれなくて丹波まで探しに行きましたよ(笑)
五瀬は確かにイセと読めますね!あれ?伊勢津彦も順番を変えると彦伊津勢になる!
これって少名彦が少彦名に変えられちゃったアレと同じパターンですかね?
すごいヒントをいただきました!
ありがとうございます^_^
例えばアジスキタカヒコネも最後のネは無いのが本来か、あるいはアジスキタカ名彦で、少名彦と同じ理論だろうと思えます◎
@@nakabunken そういえば私はナガスネヒコ=中曽大根彦=大彦という説を推したいので富雄丸山古墳に埋葬されていたら困ります(笑)
私は、もっと深くに眠っておられると考えます。木管には、富王の家来。
富長髄彦の大王はもっと深く、
人の目に触れない所に…
これはテスト教育の弊害よなぁ、テストの正解だからそれが確定事項のように勘違いするけど歴史って根本的にそういう学問じゃないんだよねぇ
長脛彦が出てきてさらに蛇行剣振り回せるぐらいの体格だったら世界がひっくり返るよね
一年ぶりなんですね。
元気もらえました。❤
骨🦴が出てきたら遺伝子🧬分析できたらすごいですね。
インドドラヴィダ系の手足の長い人希望‼︎
そうなんですよねー!棺があの状態だから、足の骨だけでも残っていれば、長髄彦なこじつけてヨシでしょう^_^遺伝子わかれば最高ですね!
🧬遺伝子が分かれば、現代に続く末裔の方々がきっといらっしゃいますよね。
例えばABE家など‥(笑)
何故だかお声とお話のリズムがとても心地良く、ワクワク感が止まらないです。😊
また、🆙して下さいね。❤待ってます❣️
私も長髄彦の人骨が出で来ると思います。そして、あの蛇行剣の先に、八咫烏が留まったと、私は思っています・・・
富雄丸山古墳の被葬者は第7代孝霊天皇の皇后の千速速眞若毘売命です。
千千速眞若毘売命は紀元99年に生まれ138年に40歳で崩御されました。
副葬品の長大蛇行剣及び臥龍文盾形銅鏡などは2年前に崩御された孝霊天皇と所持され扌いたものだと思われます?
富雄丸山古墳の所在地がナガスネヒコ=富氏の勢力地だったのは間違い無いと思いますが、古墳はむしろ、その地を征服した証拠・シンボルとして大和政権(崇神王朝)側が
建立したものではありませんか?と言うのは、今回出土した蛇行剣が、古事記に登場する、東国平定に出発するヤマトタケルに授けられた「比比羅木之八尋矛」によく似ている
からです。矛と剣の違いは有りますがどちらも八尋(=240cm)ほどの巨大な刀剣ですし、蛇行剣は元々「比比羅木=柊」の葉の形だったと思います。そしてタケルが戦った敵は
ナガスネヒコの亡命政権だった富=安倍氏(日高見)王国です。タケルのモデルになった人物が東国から凱旋した後、富氏の故郷に征服者として葬られたのだと考えています。
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長髄彦さんの人となりを垣間見たような…
古来日本人、縄文人だったのでしょうか…。
親方ですか^_^
確かに民衆の先頭に立って闘うイメージの長髄彦さんです!
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実際、鏡が3枚出てきましたね。さらに被葬者の歯ぐらい残っているかもしれませんね。それと棺桶の年代測定すれば、古墳の築造年代がわかるかもしれませんね。
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つもりかな~ところで卑弥呼は何処に消えたのか気になります。神話だから好き勝手に想像してます。
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でも、棺外から2品も予想外のものが出てきているので、棺内にも予想を上回るものが納められていることも期待できますね。
木棺があれだけ残っているなら、おそらく人骨も一部残っている可能性が高いと思いますが、仮に長髄彦の墳墓なら主体部に埋葬されていたと思いますので、その元で活躍した人ではないでしょうか。
今回の木棺に長髄彦が埋葬されていたならば、主体部は長髄彦より上の支配者ということになり、誰?ってことになりますね。
棺内予想ありがとうございます!棺内は意外と普通だった…も結構ありえると思いますが笑、珍しいものを期待します☆
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あたしは3メートル級巨人だと想像してる。当然饒速日命ではなく長髄彦さんです。
記憶間違いでなければたしか生駒山中にひっそりと墓があったような。茂木先生が行かれてた動画がありました。
ありがとうございます、コメント大歓迎です^_^
明治のはか泥棒が骨もってって隠したのでナガスネヒメ出ないと思う モリヤなんちゃらと天理と京都博物が怪しい🤔🤔🤔
長髄彦=大彦とする説もあるようですが、東北の安倍氏に繋がるのは大彦本人が落ち延びた訳でなくその子孫となる気がします、どう思われますか?😮
コメント有難うございます、長髄彦=大彦説は出雲口伝が元だと認識しています。出雲口伝では大彦は安倍姓を名乗ったとも書いてあったと思います。また伊賀国一之宮の敢國神社はそのゆかりの地であったとも。長髄彦(または長髄彦の兄)が東北王朝の祖であるというのは、安藤氏系図や東日流外三郡誌で有名だと思いますが、要するに信州や東北に戻った出雲族のことだという認識で、ホツマツタヱでは大己貴も国譲りの後に東北へ移り住んだと伝えていることも同じだと考えています。
なるほど、この時代は全体像を把握するのが困難で理解が追いつかないこともままありますが楽しみながら理解を深めたいと思います。動画いつも楽しみにしています!丹後王国や、籠神社などとヤマト王権の関係なども気になる所です、こうだと言い切れない部分も多いと思いますが今後の配信も期待しています!
おっしゃるとおり歴史仮説でしかないのです。でも、なんで日本の古代史に謎が多いかを考えると、文献と事実、つまり考古学や民俗学などの成果との不整合が原因なのです。多くの学者は文献が正しいという前提で何とか解釈して乗り切ろうとしているのですが、謎は消えません。仮説は事実に基づく検証が必要なので、科学的な解明方法ではないのですよ。それは多分、記紀が天皇の歴史書と洗脳されているので思いつかないのでしょう!現存する最古の正史の日本書紀は壬申の乱を制した天武天皇が編纂を命じましたが、完成したのは崩御後34年なのです。当時の権力者は藤原不比等ですから、藤原氏が権力を維持するために不都合な史実を隠し、都合の好いように歴史を改ざんしたのです。日本書紀よりも先に完成したとされる古事記は、9世紀に突然表に出てきたもので、正史に記録はないですし、日本書紀が古事記を引用したり参照した形跡もないのです。日本書紀が隠した史実を藤原氏に悟られないように暴露する目的の暗号書だったのです(詳細は「刮目天の古代史」参照)。これを解読すれば富雄丸山古墳の被葬者も吉野ヶ里遺跡の謎のエリアの石棺の被葬者も判明しました。詳しくは「【刮目天の古代史】今年の大発見第1位!(^_-)-☆」「【刮目天の古代史】今年の大発見第2位!(^_-)-☆」をご参照ください。一番ご興味のある大丹波の歴史も分かっています(詳細は「丹波はスサノヲ・大国主の故郷だった(^_-)-☆」「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!(^_-)-☆」参照)。お邪魔しました(^_-)-☆
5mの木棺なら間違いなく脛が長い長髄彦ですね!
脛は2mぐらいですかね^_^
物は良いのか、ある意味量産品なのか、何言ってるのかわからん。