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08:23「鉄鍬」と説明しましたが、正しくは「鉄鏃」つまり、やじりだったようです。「鏃」という字が読めませんでした。副葬品には武具が出土したということですから、鍬だと農具になってしまいますので誤りです。
詳しく丁寧な説明やお話ありがとうございました。とても良くわかりました。
感動です。超地元なので!ようこそおこしくださいました!こんなに素晴らしい動画を作っていただき感激です。ありがとうございます。そして、広めていただきありがとうございます😭
ここは纒向型前方後円墳として知られる古墳で、畿内勢力との関係が考えられます3世紀の早い段階で既に関東まで進出していたのでしょう
母の実家でもあり、千葉県にはよく行っていましたが森を乗せたこんもりした山が多く、これは古墳じゃないかとぼんやり感じていました。
箸墓古墳は卑弥呼の墓と決まったわけではありません。
埴輪は埼玉の生出塚と同じですね。一瞬で見たフォルムもそっくり
神話をみると、大和(天皇家の先祖たち)は、次々と各地の「山の神(山間部の豪族)や海の神(海岸部の豪族)の娘たちと結ばれる」ことで、自然に日本各地に勢力(血縁者)を拡大していったことが読み取れる。古墳の形状や葬られ方が同じ、また早期の古墳内の遺体(遺骨)に「虐殺の痕跡がない」ことをみると、大和は「争って領地を拡大していったわけではなさそう」だな。
とても見応えありました。ナレーションもわかりやすく千葉に住むものとして大変勉強になりました✨
千葉県に、こんな近くに、古墳があるなんてありがとうございました😅❤❤❤😊
権力者の母親だった可能性もないでしょうか。恩義のある親を奉るというのは自然な心かなと思いました。
国分寺台にある古墳ですね。子供の頃に宅地造成に伴う発掘調査を手伝いました。夏休みだったので罰ゲームのような毎日でした。
面白い❤古墳をこの様に、わかりやすくご説明いただきありがとうございます😭
最近は、千代田区内の宅地開発で、縄文〜弥生の集落跡がでましたね!開発が三菱地所という大手だったお陰で、工事をストップして、調査期間を設けたようです✨埋め戻してマンションになるようですが、貴重な資料を保管出来て良かったですね。
このバスとても、理容師やすいですよね。荷物があっっても、すーっと、横浜まで行けるので銚子などよく、遊びに行った帰りにつかいました。❤❤😊
興味深く拝見させていただきました。確かに千葉県には、古墳が多数存在していますね。以前、龍角寺古墳群を見学した際に200基近い古墳が存在しており、中産階級程度の家では古墳を建設することができたんじゃないかな?と、想像してしまいました。
千葉(市)に住んで60年以上ですが、隣の市原にこんなに古墳があるとは知りませんでした。楽しく拝見させて頂きました。今度五井にも行ってみようという気になってきました。
Welcome to Ichihara!
関東平野は出雲系の土地ですからね。出雲臣氏系譜関東平野の国造の出雲族系譜で繋がって居ますからね。(出雲系統抽出。)无邪志 武蔵 出雲臣祖、二井之宇迦諸忍之神狭命十世孫、兄多毛比命が国造家。(出雲健子=伊勢津彦系譜)胸刺 武蔵 岐閉国造祖、兄多毛比命の子、伊狭知直が国造家。菊麻 上総 无邪志国造祖、兄多毛比命の子、大鹿国直が国造家。相武 相模 武刺国造祖、伊勢都彦命三世孫、弟武彦命が国造家。上海上 上総 天穂日命八世孫、忍立化多比命が国造家。(出雲健子・都美呂岐系譜)下海上 下総 上海上国造祖孫、久都伎直が国造家。阿波 安房 天穂日命八世孫、弥都侶岐命の孫、大伴直大瀧が国造家。伊甚 上総 安房国造祖、伊許保止命の孫、伊己侶止直が国造家。新治 常陸 美都呂岐命の子、比奈羅布命が国造家。師長 相模 茨城国造祖、建許呂命の子、意富鷲意弥命が国造家。(多氏=意富氏母系が富家の天村雲系譜)須恵 上総 茨城国造祖、建許侶命の子、大布日意弥命が国造家。馬来田 上総 茨城国造祖、建許侶命の子、深河意弥命が国造家。道口岐閉 常陸 建許侶命の子、宇佐比刀祢が国造家。筑波 常陸 忍凝見命の孫、阿閉色命が国造家。(磯城登美長髄彦=大彦系譜の安倍氏祖)那須 下野 建沼河命の孫、大臣命が国造家。久自 常陸 物部連祖、伊香色雄命三世孫、船瀬足尼が国造家。(母系出雲姫の物部氏)印波 下総 神八井耳命八世孫、伊都許利命が国造家。(多氏(意富氏)と同じ母系富家の天村雲系譜)兵庫県神戸市の地名の語源も神戸・三宮にある生田神社に神功皇后が三韓征伐を祈願した時代の旧神主が神門家だった様でJR神戸駅周囲には明治時代まで神門村があった様ですね。神戸の西半分は播磨国で丹後国風土記の出雲国盗り合戦の地で大国主が新羅王子の天日槍から死守した地が播磨国で大国主として戦ったのが家の一族だったそうです。※京都府京丹後国の元伊勢から兵庫県播磨国までが元出雲地域だったようですね。神門古墳群の神門氏の系譜も張って置きます。
先住出雲族酋長:富當雄さんが伝える口伝伝承を著書に纏めたのが斎木雲州さんの「出雲と大和のあけぼの」と「出雲と蘇我王国」の二冊の本のお話ですね。東出雲・熊野大社神主家の副王家の事代主(八重波津身)直系の向(富)家と西出雲・杵築大社旧神主家の主王家の大国主(八千矛)直系神門家は先住出雲二大王家富當雄さんは向(富)家の事代主直系の子孫です。国常立(クナト)大神(伊弉諾)→お地蔵様と荒吐神(伊弉冉)→弁財天の関係で伊弉冉の最初の子神の蛭子神=恵比寿=事代主(少彦名)ともされて居ますから大黒天・弁財天・恵比寿の関係ですね。国常立(クナト)大神(伊弉諾≒素戔嗚)の子,菅之八耳(初代大穴持)※私の調べではクナト₌船戸神,熊野権現天若日子(妻は下照姫)の子,出雲忌部氏(八岐大蛇族)天若日子の孫,物部氏開祖饒速日(徐福),天皇家,中臣(藤原氏祖)●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜 大元出版の斎木雲州本参考。 菅之八耳(初代大穴持) : 富家本家(事代主の八重波津身) 諏訪(旧-神)家-健御名方富 ──│──磯城登美家─酋長:登美長髄彦 鳥鳴海 │ 国押富 : 野見宿禰(富大田彦) │ 土師八嶋(南関東国造の大宮-氷川神社神主家) │ ∟_______________________ 菅原道真 │ │ 大江広元 │ │∟___上田・北小路・酒井氏徳川家康 │ 毛利元就 柳生石舟斎(宗厳) │ __________________」 │ 毛利家・吉川家・小早川家 │ 柳生新次郎(厳勝) (最下段は毛利家当主のお話) 柳生宗矩(又右衛門) │ │ 柳生兵庫介(利厳) 柳生十兵衛(三厳) │ 柳生兄:利方・弟:連也斎(厳包)母:島左近の末娘。 │ 柳生厳延(厳密な柳生家系譜) :※・下記の神門氏の美良姫と富家の天日方奇日方の子が健飯勝(磯城登美家)と成ります。 (出雲建子(伊勢津彦)と兄の伊佐我(伊佐波)も系譜上に居る) 小野氏社家も始祖を富家7代:天之冬衣(八重波津身⁼事代主の実父)として居るので出雲族 あと、富家と三島家の娘との子の踏鞴五十鈴姫と饒速日系譜の天村雲の間の子 嫡男、天御影の海部氏祖 次男、神八井耳の中臣(藤原)鎌足の祖 三男、沼川耳→八井耳が多(意富)氏祖に成ります。 ・藤原氏祖とされる天児屋根は中部で各地豪族が集い中臣氏を名乗った豪族の一家の ト部氏(播磨国のタタラ場の司祭家豪族で饒速日の一族)が崇拝して居た 金屋子を奉って居た場所の地名が天児屋根で=金屋子の事です。 渡来の由来は越智-河野氏の氏神神社伝承の氏神が饒速日=徐福と言う伝承からでしょう ・他の大江氏子筋 北小路家(公家-華族(子爵),徳岡家(地下家),寒河江氏(武家),那波氏(武家),海東氏(武家) 桂氏(武家-華族(侯爵)),酒井氏(徳川家自称の親筋武家-華族(伯爵)),芦澤氏(武家) 越後北条氏(武家),安田氏(武家),浅井氏(武家) 長井氏(平家武家?) 上田氏(大江氏武家系譜断絶してる),山村氏(大江氏武家系譜-情報が無い)神門家系譜1菅之八耳の子,2八嶋篠3→4布葉之文字巧為→5→6八束水臣津野(国引主)→7↓ 八千矛(8代目大穴持の大国主)大国主=大黒天=マハーカーラ,マヘーシュヴァラ(大自在天シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの三位一体でアートマン)大国主の子、阿遅須枳高日子根の子、賀茂氏(陰陽師開祖役小角の本姓)大国主(八千矛)‥→出雲(神門)振根=倭健→伊賀曽熊の子嫡子の健部氏(神門姓を継ぐのと日本武(倭健)の名代部も同時に継ぐ)次男の二方国造家末子の島津(志摩)国造家の島(直)氏=日本書紀の応神天皇家臣、斯摩宿禰。●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜 大元出版の斎木雲州本参考。 菅之八耳(初代大穴持) : 宗像家・宗像三女神─八束水臣津野 : 神門家本家(大国主・八代目大穴持の八千矛) │ 阿遅須枳高日子根(八咫烏)─賀茂氏──役小角 │ 塩冶彦 : 出雲(神門)振禰=倭健(=日本武) │ 伊賀曽熊 │ 健部家・二方国造家・島津(志摩)国造家の島(直)氏 │ ││(=斯摩宿禰は日本書紀の応神天皇家臣) │ │ ∟____________________________ 神門家・日本武名代部 元出雲最古の氏族・島谷氏 │ │ │ 南関東国造家の島族 │ │ (島田-島野-島崎-島村-島根-島津) 健部氏・武部氏 松浦氏武家島谷氏・丹後国二宮社家嶋谷家 (下から三段列は私の調べた推定系譜) ※百済経由渡来の南関東国造家の島族(島津)氏は 秦の始皇帝融通王=弓月君と一族郎党の帰化地名姓。
すごすぎる…今後の参考になるかもしれません!ありがとうございます!
非常に興味深い古墳ですね、初めて知りました。千葉は阿波忌部族が進出した土地であり、地名の安房や神社からもその痕跡が残っています。畿内にも進出しており、阿波産の辰砂や青石がたくさん見つかっています。ホケノ山古墳、箸墓古墳のルーツが阿波の萩原1号墓、萩原2号墓、西山谷2号墓です。この古墳も阿波忌部族が作ったものかもしれませんね。
帰りのアクアラインの夕陽良いですね横須賀線よりもバスの方が快適なんですかね?千葉の古墳は最近知ったので大変参考になりました
素晴らしい解説でした郷土史マニアですが知らないことだらけ神門古墳の変遷などどこで調べたのですか?これからも千葉の古墳よろしくお願いいたします
この近くの戸隠神社の境内にも古墳があります。中台遺跡(なかでいせき)は上総国分寺僧寺跡と同じところにあり、弥生時代から古墳時代前期の遺跡です。中台遺跡は神門古墳群を残した人々の集落とされています。上総国分寺台遺跡調査団により調査した結果、中台遺跡に独立棟特柱建物を伴う方形区画の存在が明らかになってます。 独立棟特柱建物の建築様式は神明造と呼ばれる伊勢神宮の正殿と類似しており、祭式儀礼の施設と推測されています。方形区画で祭事を行った人物については、神門古墳群が纏向型前方後円墳と呼ばれる西日本との強い結び付きを示す墳形のため、神門古墳群の被葬者3人のいずれかの可能性が高く、発見された方形区画は一部に限られており、被葬者の謎を解く鍵となる中心施設は未調査区域にあるとされています。個人的には、戸隠神社の境内にある古墳は、方形区画(独立棟特柱建物)で祭事を行っていた人物の古墳ではないかと思うんですけどね…
石室を見たいな〜❗
徳島の萩原2号墳、千葉 神門5号の面白さ宗教にしては、鏡がなかったり、玉がなかったり。不思議なんだよね。楯築はどうだろう?
同じ千葉県の佐倉市に神門という地名があり古墳などもあるようですが、こちらとの関係はあるのでしょうか。
五井 は ある 意味 で 懐かしい ところ です
昔からの個人的な疑問なのですが、日本の場合、北から南へと進む方向性はないんでしょうか? 奥州藤原氏の祭文には、東北・沿海州・蝦夷の王であるという記述があると同時に、平泉寺の荘厳も、西日本で定型化していた様式ではなく、大陸様式でした。それらは源氏を筆頭とした勢力に焼き尽くされたわけですが。それらが藤原氏固有のものではなく、もっと古い時代からの継承であった可能性はないんでしょうか。
東北・東のほうや北陸の歴史を封印することで、ヤマト王権の優位性を確かなものにしたので、出さないことにしていますよね、
最古の古墳?千葉県が誕生したのは日本列島の一番最後。その千葉県に大和王朝、九州王朝、出雲王朝より前に栄えた王朝があったと言う事で良いのかな?前にも稲荷山古墳から古刀剣が見つかってますよね。
丹後地域京都・南丹市の墳丘墓「黒田古墳」も調べると面白いよ。
日本 最古 の 古墳
本当に最古でしょうか!古墳が作られた時に副葬品の年代で最新の物が古墳の作られた年代。有力者が生前に集めた骨董品で年代を測定したのでは?仮に最古の前方後円墳ならば蘇我氏、中臣系が前方後円墳なの様式となり中臣神道は前方後円墳となる?
ありがとうございます。確かにそうなると「最古級」として広義的に表記した方が正しいかもしれませんね
風化は古墳の「しめい」・・・、「しゅくめい」だろ。
個人的には、県は、立ち入り禁止にしてほしいですね。ドロ一ン上空撮影にすればいいのではありませんか?
決めつけさえ無ければ非常に良い動画だと思いました
古墳時代に造られているのが「古墳」であり、弥生時代なら楯築墳丘墓のように、正しくは「墳丘墓」なのでは‥(¯―¯٥)笑
古墳は、古代の土木工事の盛り土です。もったいないので、豪族のお墓にしました。古代に全国に古代道があったようです。埴輪は、ユタヤ民族の製作ですね。関東ユタヤ王国です。
08:23
「鉄鍬」と説明しましたが、正しくは「鉄鏃」つまり、やじりだったようです。「鏃」という字が読めませんでした。
副葬品には武具が出土したということですから、鍬だと農具になってしまいますので誤りです。
詳しく丁寧な説明やお話ありがとうございました。
とても良くわかりました。
感動です。超地元なので!ようこそおこしくださいました!こんなに素晴らしい動画を作っていただき感激です。ありがとうございます。そして、広めていただきありがとうございます😭
ここは纒向型前方後円墳として知られる古墳で、畿内勢力との関係が考えられます
3世紀の早い段階で既に関東まで進出していたのでしょう
母の実家でもあり、千葉県にはよく行っていましたが森を乗せたこんもりした山が多く、これは古墳じゃないかとぼんやり感じていました。
箸墓古墳は卑弥呼の墓と決まったわけではありません。
埴輪は埼玉の生出塚と同じですね。一瞬で見たフォルムもそっくり
神話をみると、大和(天皇家の先祖たち)は、次々と各地の「山の神(山間部の豪族)や海の神(海岸部の豪族)の娘たちと結ばれる」ことで、自然に日本各地に勢力(血縁者)を拡大していったことが読み取れる。
古墳の形状や葬られ方が同じ、また早期の古墳内の遺体(遺骨)に「虐殺の痕跡がない」ことをみると、大和は「争って領地を拡大していったわけではなさそう」だな。
とても見応えありました。ナレーションもわかりやすく千葉に住むものとして大変勉強になりました✨
千葉県に、こんな近くに、古墳があるなんてありがとうございました😅❤❤❤😊
権力者の母親だった可能性もないでしょうか。恩義のある親を奉るというのは自然な心かなと思いました。
国分寺台にある古墳ですね。
子供の頃に宅地造成に伴う発掘調査を手伝いました。
夏休みだったので罰ゲームのような毎日でした。
面白い❤古墳をこの様に、わかりやすくご説明いただきありがとうございます😭
最近は、千代田区内の宅地開発で、縄文〜弥生の集落跡がでましたね!開発が三菱地所という大手だったお陰で、工事をストップして、調査期間を設けたようです✨埋め戻してマンションになるようですが、貴重な資料を保管出来て良かったですね。
このバスとても、理容師やすいですよね。荷物があっっても、すーっと、横浜まで行けるので銚子などよく、遊びに行った帰りにつかいました。❤❤😊
興味深く拝見させていただきました。
確かに千葉県には、古墳が多数存在していますね。
以前、龍角寺古墳群を見学した際に200基近い古墳が存在しており、中産階級程度の家では古墳を建設することができたんじゃないかな?と、想像してしまいました。
千葉(市)に住んで60年以上ですが、隣の市原にこんなに古墳があるとは知りませんでした。楽しく拝見させて頂きました。今度五井にも行ってみようという気になってきました。
Welcome to Ichihara!
関東平野は出雲系の土地ですからね。
出雲臣氏系譜
関東平野の国造の出雲族系譜で繋がって居ますからね。(出雲系統抽出。)
无邪志 武蔵 出雲臣祖、二井之宇迦諸忍之神狭命十世孫、兄多毛比命が国造家。(出雲健子=伊勢津彦系譜)
胸刺 武蔵 岐閉国造祖、兄多毛比命の子、伊狭知直が国造家。
菊麻 上総 无邪志国造祖、兄多毛比命の子、大鹿国直が国造家。
相武 相模 武刺国造祖、伊勢都彦命三世孫、弟武彦命が国造家。
上海上 上総 天穂日命八世孫、忍立化多比命が国造家。(出雲健子・都美呂岐系譜)
下海上 下総 上海上国造祖孫、久都伎直が国造家。
阿波 安房 天穂日命八世孫、弥都侶岐命の孫、大伴直大瀧が国造家。
伊甚 上総 安房国造祖、伊許保止命の孫、伊己侶止直が国造家。
新治 常陸 美都呂岐命の子、比奈羅布命が国造家。
師長 相模 茨城国造祖、建許呂命の子、意富鷲意弥命が国造家。(多氏=意富氏母系が富家の天村雲系譜)
須恵 上総 茨城国造祖、建許侶命の子、大布日意弥命が国造家。
馬来田 上総 茨城国造祖、建許侶命の子、深河意弥命が国造家。
道口岐閉 常陸 建許侶命の子、宇佐比刀祢が国造家。
筑波 常陸 忍凝見命の孫、阿閉色命が国造家。(磯城登美長髄彦=大彦系譜の安倍氏祖)
那須 下野 建沼河命の孫、大臣命が国造家。
久自 常陸 物部連祖、伊香色雄命三世孫、船瀬足尼が国造家。(母系出雲姫の物部氏)
印波 下総 神八井耳命八世孫、伊都許利命が国造家。(多氏(意富氏)と同じ母系富家の天村雲系譜)
兵庫県神戸市の地名の語源も神戸・三宮にある生田神社に神功皇后が三韓征伐を祈願した時代の旧神主が
神門家だった様でJR神戸駅周囲には明治時代まで神門村があった様ですね。
神戸の西半分は播磨国で丹後国風土記の出雲国盗り合戦の地で大国主が新羅王子の天日槍から死守した地が
播磨国で大国主として戦ったのが家の一族だったそうです。
※京都府京丹後国の元伊勢から兵庫県播磨国までが元出雲地域だったようですね。
神門古墳群の神門氏の系譜も張って置きます。
先住出雲族酋長:富當雄さんが伝える口伝伝承を著書に纏めたのが斎木雲州さんの
「出雲と大和のあけぼの」と「出雲と蘇我王国」の二冊の本のお話ですね。
東出雲・熊野大社神主家の副王家の事代主(八重波津身)直系の向(富)家と
西出雲・杵築大社旧神主家の主王家の大国主(八千矛)直系神門家は先住出雲二大王家
富當雄さんは向(富)家の事代主直系の子孫です。
国常立(クナト)大神(伊弉諾)→お地蔵様と荒吐神(伊弉冉)→弁財天の関係で
伊弉冉の最初の子神の蛭子神=恵比寿=事代主(少彦名)ともされて居ますから
大黒天・弁財天・恵比寿の関係ですね。
国常立(クナト)大神(伊弉諾≒素戔嗚)の子,菅之八耳(初代大穴持)
※私の調べでは
クナト₌船戸神,熊野権現
天若日子(妻は下照姫)の子,出雲忌部氏(八岐大蛇族)
天若日子の孫,物部氏開祖饒速日(徐福),天皇家,中臣(藤原氏祖)
●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜
大元出版の斎木雲州本参考。
菅之八耳(初代大穴持)
:
富家本家(事代主の八重波津身)
諏訪(旧-神)家-健御名方富 ──│──磯城登美家─酋長:登美長髄彦
鳥鳴海
│
国押富
:
野見宿禰(富大田彦)
│
土師八嶋(南関東国造の大宮-氷川神社神主家)
│ ∟_______________________
菅原道真 │
│ 大江広元
│ │∟___上田・北小路・酒井氏徳川家康
│ 毛利元就
柳生石舟斎(宗厳) │
__________________」 │ 毛利家・吉川家・小早川家
│ 柳生新次郎(厳勝) (最下段は毛利家当主のお話)
柳生宗矩(又右衛門) │
│ 柳生兵庫介(利厳)
柳生十兵衛(三厳) │
柳生兄:利方・弟:連也斎(厳包)母:島左近の末娘。
│
柳生厳延(厳密な柳生家系譜)
:
※・下記の神門氏の美良姫と富家の天日方奇日方の子が健飯勝(磯城登美家)と成ります。
(出雲建子(伊勢津彦)と兄の伊佐我(伊佐波)も系譜上に居る)
小野氏社家も始祖を富家7代:天之冬衣(八重波津身⁼事代主の実父)として居るので出雲族
あと、富家と三島家の娘との子の踏鞴五十鈴姫と饒速日系譜の天村雲の間の子
嫡男、天御影の海部氏祖
次男、神八井耳の中臣(藤原)鎌足の祖
三男、沼川耳→八井耳が多(意富)氏祖に成ります。
・藤原氏祖とされる天児屋根は中部で各地豪族が集い中臣氏を名乗った豪族の一家の
ト部氏(播磨国のタタラ場の司祭家豪族で饒速日の一族)が崇拝して居た
金屋子を奉って居た場所の地名が天児屋根で=金屋子の事です。
渡来の由来は越智-河野氏の氏神神社伝承の氏神が饒速日=徐福と言う伝承からでしょう
・他の大江氏子筋
北小路家(公家-華族(子爵),徳岡家(地下家),寒河江氏(武家),那波氏(武家),海東氏(武家)
桂氏(武家-華族(侯爵)),酒井氏(徳川家自称の親筋武家-華族(伯爵)),芦澤氏(武家)
越後北条氏(武家),安田氏(武家),浅井氏(武家)
長井氏(平家武家?)
上田氏(大江氏武家系譜断絶してる),山村氏(大江氏武家系譜-情報が無い)
神門家系譜
1菅之八耳の子,2八嶋篠3→4布葉之文字巧為→5→6八束水臣津野(国引主)→7↓
八千矛(8代目大穴持の大国主)
大国主=大黒天=マハーカーラ,マヘーシュヴァラ
(大自在天シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの三位一体でアートマン)
大国主の子、阿遅須枳高日子根の子、賀茂氏(陰陽師開祖役小角の本姓)
大国主(八千矛)‥→出雲(神門)振根=倭健→伊賀曽熊の子
嫡子の健部氏(神門姓を継ぐのと日本武(倭健)の名代部も同時に継ぐ)
次男の二方国造家
末子の島津(志摩)国造家の島(直)氏=日本書紀の応神天皇家臣、斯摩宿禰。
●先住出雲族二大王族の向(富)家口伝・伝承(出雲族酋長:富當雄)の系譜
大元出版の斎木雲州本参考。
菅之八耳(初代大穴持)
:
宗像家・宗像三女神─八束水臣津野
:
神門家本家(大国主・八代目大穴持の八千矛)
│
阿遅須枳高日子根(八咫烏)─賀茂氏──役小角
│
塩冶彦
:
出雲(神門)振禰=倭健(=日本武)
│
伊賀曽熊
│
健部家・二方国造家・島津(志摩)国造家の島(直)氏
│ ││(=斯摩宿禰は日本書紀の応神天皇家臣)
│ │ ∟____________________________
神門家・日本武名代部 元出雲最古の氏族・島谷氏 │
│ │ 南関東国造家の島族
│ │ (島田-島野-島崎-島村-島根-島津)
健部氏・武部氏 松浦氏武家島谷氏・丹後国二宮社家嶋谷家
(下から三段列は私の調べた推定系譜)
※百済経由渡来の南関東国造家の島族(島津)氏は
秦の始皇帝融通王=弓月君と一族郎党の帰化地名姓。
すごすぎる…
今後の参考になるかもしれません!ありがとうございます!
非常に興味深い古墳ですね、初めて知りました。
千葉は阿波忌部族が進出した土地であり、地名の安房や神社からもその痕跡が残っています。
畿内にも進出しており、阿波産の辰砂や青石がたくさん見つかっています。
ホケノ山古墳、箸墓古墳のルーツが阿波の萩原1号墓、萩原2号墓、西山谷2号墓です。
この古墳も阿波忌部族が作ったものかもしれませんね。
帰りのアクアラインの夕陽良いですね
横須賀線よりもバスの方が快適なんですかね?
千葉の古墳は最近知ったので大変参考になりました
素晴らしい解説でした
郷土史マニアですが
知らないことだらけ
神門古墳の変遷など
どこで調べたのですか?
これからも
千葉の古墳よろしくお願いいたします
この近くの戸隠神社の境内にも古墳があります。
中台遺跡(なかでいせき)は上総国分寺僧寺跡と同じところにあり、弥生時代から古墳時代前期の遺跡です。中台遺跡は神門古墳群を残した人々の集落とされています。上総国分寺台遺跡調査団により調査した結果、中台遺跡に独立棟特柱建物を伴う方形区画の存在が明らかになってます。 独立棟特柱建物の建築様式は神明造と呼ばれる伊勢神宮の正殿と類似しており、祭式儀礼の施設と推測されています。
方形区画で祭事を行った人物については、神門古墳群が纏向型前方後円墳と呼ばれる西日本との強い結び付きを示す墳形のため、神門古墳群の被葬者3人のいずれかの可能性が高く、発見された方形区画は一部に限られており、被葬者の謎を解く鍵となる中心施設は未調査区域にあるとされています。
個人的には、戸隠神社の境内にある古墳は、方形区画(独立棟特柱建物)で祭事を行っていた人物の古墳ではないかと思うんですけどね…
石室を見たいな〜❗
徳島の萩原2号墳、千葉 神門5号の面白さ
宗教にしては、鏡がなかったり、玉がなかったり。不思議なんだよね。楯築はどうだろう?
同じ千葉県の佐倉市に神門という地名があり古墳などもあるようですが、こちらとの関係はあるのでしょうか。
五井 は ある 意味 で 懐かしい ところ です
昔からの個人的な疑問なのですが、日本の場合、北から南へと進む方向性はないんでしょうか? 奥州藤原氏の祭文には、東北・沿海州・蝦夷の王であるという記述があると同時に、平泉寺の荘厳も、西日本で定型化していた様式ではなく、大陸様式でした。それらは源氏を筆頭とした勢力に焼き尽くされたわけですが。それらが藤原氏固有のものではなく、もっと古い時代からの継承であった可能性はないんでしょうか。
東北・東のほうや北陸の歴史を封印することで、ヤマト王権の優位性を確かなものにしたので、出さないことにしていますよね、
最古の古墳?千葉県が誕生したのは日本列島の一番最後。
その千葉県に大和王朝、九州王朝、出雲王朝より前に栄えた王朝があったと言う事で良いのかな?
前にも稲荷山古墳から古刀剣が見つかってますよね。
丹後地域
京都・南丹市の墳丘墓「黒田古墳」も調べると面白いよ。
日本 最古 の 古墳
本当に最古でしょうか!
古墳が作られた時に副葬品の年代で最新の物が古墳の作られた年代。有力者が生前に集めた骨董品で年代を測定したのでは?仮に最古の前方後円墳ならば蘇我氏、中臣系が前方後円墳なの様式となり中臣神道は前方後円墳となる?
ありがとうございます。
確かにそうなると「最古級」として広義的に表記した方が正しいかもしれませんね
風化は古墳の「しめい」・・・、「しゅくめい」だろ。
個人的には、県は、立ち入り禁止にしてほしいですね。ドロ一ン上空撮影にすればいいのではありませんか?
決めつけさえ無ければ非常に良い動画だと思いました
古墳時代に造られているのが「古墳」であり、弥生時代なら楯築墳丘墓のように、正しくは「墳丘墓」なのでは‥(¯―¯٥)笑
古墳は、古代の土木工事の盛り土です。もったいないので、豪族のお墓にしました。古代に全国に古代道があったようです。埴輪は、ユタヤ民族の製作ですね。関東ユタヤ王国です。