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将来的になにわ筋線が開業した場合は南海本線のダイヤが今まで以上に過密になる可能性も否定できないし堺までの複々線構想が再燃しないか注目しています。
阪和を海南まで拡げて、敦賀からの新快速とサンダーバード乗り入れやな。新快速の停車駅は、敦賀 新疋田 近江塩津 マキノ 近江今津 近江舞子 坂本 西大津 山科 京都 高槻 新大阪 大阪 天王寺 熊取 和歌山 海南 湯浅 御坊 紀伊田辺 白浜 白浜から新宮まで各駅です✦
家の裏が南海汐見橋線の線路で堺までのあの空間はずっと謎に思ってたので分かりやすい解説ありがとうございます😊
今では高野線の方を複々線にしたいよな
昼間でも線路容量はすごいどれだけ各停が住吉東でまたされてることか
@@中村凛夜 なんならよこの阪和線にくらべても少ない
地元の駅を取り上げてくれて、ホンマにありがとうな!!
中途半端な南海本線ですが、関空ができるまでは、普通と急行のタッチアンドゴーが機能していましたがラピートのせいで、20年以上 がたがたなんですよ
とはいえ、平日朝晩はこの複々線は遺憾無く発揮されてますので無駄でないですよね。
昔、本線にあった赤準急、青準急が懐かしい。
岸里→岸ノ里 大和川橋梁は旧橋の外側に新橋を作ったので上下線が離れています。
当初の計画では、泉北高速鉄道が深井駅でカーブして高野線に向かわずにそのまま直進して南海本線と接続する予定だったそうです。その関係で複々線準備区間は湊駅の先まで続いています。
失礼ですが、そのような計画は全く無かったと記憶しています。建設当時の接続線の第一候補は地下鉄一号線(御堂筋線)、第二候補が国鉄阪和線(よって今も上野芝までの空地があります)、あと近鉄南大阪線も候補に上がりましたが、南海本線と接続計画は全く無かったと思います。
若年ファン層に嘘を教えてはダメでしょう! だったらソースを出してみてください。
地元民ですが、第一候補が阪和線で第二候補が御堂筋、第三候補が高野線だったと小学生のころの授業で記憶してます。御堂筋とは線路幅の違いで計画がなくなり、震災か何かで計画が短くなり高野線に接続したとか
南海の複々線が中途半端に終わっているのは、新興住宅地が土地に余裕のある阪和線側に造られるようになり、南海本線の乗客が思ったほど伸びなかったとの理由もあるそうです。
@川太 現在の輸送人員では、堺までの複々線化は難しいと思います。
@川太 私は個人的には南海のなにわ筋線乗り入れは反対なのですが、もしやるのなら、複々線区間の延長を考えて良さそうですね。
計画当初の堺までの複々線より高野線が本線に乗り入れず高野線が独立したまま難波に乗り入れられる構造になっていればもっと利用価値あったんでしょうが
@@MrDaiful 南海本線は阪和線に客を奪われてましたから、高野線に関係なく、結果は同じだったのではないでしょうか?
小学生🎒の頃、難波駅からは3種類の普通が存在した。①南海線普通②難波↔住吉公園区間列車③高野線各停。①の停車駅(難波.天下茶屋.住吉公園.住ノ江.七道.堺~~)此れでも普通。
動画中の住之江~堺の複線高架は、関西空港開業を見込んで云々のものではありません。 大阪市内~堺市連続立体交差事業の計画は昭和40年代初めですので、その当時は関西第二空港の計画はあったものの、泉州沖に建設されることすら全く白紙の状態でしたから、空港旅客を見込む考えなどは全く無く、自動車台数増加による慢性的な渋滞を平面交差で解消するのが最大の目的でした。また、住之江~堺の複々線用地(橋梁の中線部分)は元々の旧線跡です。昭和40年以前は本線>>>高野線の旅客需要でしたので、岸ノ里から東線に入る45km/h制限カーブでも難なく需要をさばけましたが、以降の高野線沿線と泉北高速線の住宅建設ラッシュは目覚ましかったため、その投資が河内長野以遠の複線化や林間田園都市の計画に回されたため、結果として同区間の複々線化は幻となった経緯があると思います。
南海高野線のたまにある区間急行二連続やばいよね
本線系統と泉北系統が連続して走るやつですね。
昼間によくありますね〜
長らく準急=和泉中央行きだっかからよく間違えましたね。あれ?北野田じゃないのかい~(O.O;)(oo;)
ほぼ意味がないと言うなら朝ラッシュに乗れば意味がわかる。
とても面白くてわかりやすく解説されてますね色んな謎を解いてくれてありがとございます
ありがとうございます。
いつもわかりやすい解説ですね!
天下茶屋駅は高架になる前はボロッボロの駅舎だったなあ?
普通と高野線の各停しか止まらなかった地上時代ですね。それぞれのホームが今よりも狭かったですしね。
長いホームは将来ホームを降りなくて済むように、設備機器を増設するために残してあると思われます。現に阪急西院駅や京都市営地下鉄のホームも機器類が置かれております。
朝ラッシュ時だけ複々線が有効です。
旧岸里駅の真裏に住んでいましたよ。高架工事が始まる直前まで居たので今も懐かしい場所ですね。当時は、汐見橋発の最終電車が堺東行きの急行として運用されておりました。汐見橋線と高野線の上りホームは、当時から繋がっていたので高野線の下りホームがとても遠かった記憶があります。
30年くらい前は日中でも粉浜や住之江あたりで普通を急行が追い抜いていたように記憶する
今は日中の急行系が15分に1本だけど、昔はもっと多かった。
古いまんまの汐見橋駅好き。西成高校行くときぐらいしか乗らなかったけど。
南海線の住之江ー湊間には、泉北高速鉄道線乗り入れ用線路用地があった。南海線は大阪なんばー湊間までの複々線計画があった。泉北高速鉄道線は、深井駅でカーブして中百舌鳥駅に向かうのではなく、直進してJR阪和線上野芝駅に向かう計画であった。
泉北高速が、泉北1号線を、ぶち抜いて南海本線にも行けますね。
本線湊~泉北高速乗り入れ計画なんかは全く存在しません! ソースはありますか?妄想して若年ファンに嘘を教えてはダメです。
上野芝は、和歌山向きに接続というわけわからん仕様だったので、当然に却下。
昭和40年代の前半の頃は、住吉大社(旧・住吉公園)-なんば間の「各駅停車」が走っていましたね。恐ろしく古い半木造で緑色の2両電車。本線の「普通」は、住吉公園を出ると新今宮まで急行線を走り通過でした。高野線の一部が汐見橋へ直通していたので、岸の里-なんば間の各駅停車の本数が拮抗できたのではないでしょうか。未だに普通と各駅停車を使い分けているのは驚きでした。
1960年頃萩之茶屋以南が地平線だった頃はなんば発住之江公園行きの電車が今の東側高野線軌道を併用して走っていました。同時に高野線の汐見橋発住吉東行きの電車もありました。萩之茶屋以南が高架になった時に高野線の電車がすべて難波行きとなり、汐見橋方面への高架レールがなくなりました。今の姿です。なんばー住之江間の複々線は各駅停車用の複線と快速用の複線とがあったわけです。京阪と同じです。だから意味はあったのです。1949年から高野線を利用していた者の記憶です。
東急大井町線なんて緑の各駅停車と青の各駅停車があって、各駅停車なのに通過駅があるという初見泣かせがありますからね笑
溝の口に吹っ飛ばされる各停ですよねw
@@tk_railwaychannel 高津「おーい、忘れないでくれ」って気持ちかな?笑
当初は完全分離で田都はスルーしたかったが、お得意のクレーマーに客が減るといわれて各停を設定した
たぶん他の方も指摘されてるでしょうが、大和川鉄橋の上下線が開いてるのは古い旧橋梁が真ん中にあったからです。今でも使えてたら複々線延長も実現しやすかったかもしれません。高架化後堺以南も石津川まで自社関連の用地が高架沿いに続いていました(今でも?)。戦前からはるかに遠くまで複々線構想があったそうです。難波発の高野線電車は地上時代の岸の里通過時に最後までポイント分岐側(直線側が本線行き)をガクンと通っていました。もちろん難波行きも旧ホームを過ぎたところにあるポイント分岐側(直線側が汐見橋行き)をゆっくり通っていました。
3:09 一方区急以上の列車にシカトされる中百舌鳥駅...
御堂筋線は天王寺以南の利用客少ないからね
@@mnzonseeeoan その御堂筋線に乗り換えさせないための対抗手段でしょう。
御堂筋線開通前から急行は通過してましたよ。
岸里玉出駅の高野線の下りホームから上りホームの下を見ると昔、南海本線が地上だった頃の連絡通路のあとが見れますよ。
岸里玉手駅は面積だけで言うとかなりの巨大駅なんだけど利用客は少ない。都会の秘境路線汐見橋線は鉄道ファンにお薦め。
高野線・本線両方使える住吉区民ですが、高野線を使うと住吉東の退避で運が悪いと2本待たされますが、本線で行くと、住之江まで退避なしで行けます全く意味がないわけではないです
以前は粉浜~住ノ江で急行が普通車を追い越してたんですが、日中の急行が無くなったあたりから、複々線での追い越しは見られなくなったんじゃないかと。各種別きれいな15分間隔のダイヤになった頃からですかね。
いつも楽しく拝見しています♫
ラッシュアワーはもちろん、22時半頃堺駅を発車した普通は岸里玉出駅で後続の空港急行に追い抜けれます。普通の岸里玉出駅の停車時間は7分くらいでしたっけ?
天下茶屋の高架工事と堺筋線の天下茶屋延伸時には阪急の南海乗り入れ計画があり、堺筋線は旧南海玉出駅の手前まで地下を掘っています。岸里玉出駅は堺筋線が地上に出て乗り入れできるように拡幅して設計したものなのです。しかしその後阪急乗り入れの計画は頓挫してしまいましたので、現在の姿はその残骸ですね
昔は追い抜きはあったと思います。数年前に南海本線の列車本数が減便されましたからね。かつては急行と普通がそれぞれ一時間に6本あったのが今はそれぞれ5本に減ってます。但し特急は増えていますが。30年以上前に堺東5:05発汐見橋行きに乗った事があります。6000系2連でした。堺東→汐見橋は朝1本、汐見橋→堺東は夜2本ありました。
汐見橋ゆきは堺東5:05発ではなく堺東5:07発です。堺東5:05発は難波ゆきでした。失礼しました。
そうでしたか、さらに減便になっていたんですね。
ラッシュ時は追い抜きあります。全くない事はありません。
そうでしたか、ありがとうございます。
今もラッシュ時には追い抜き有ります。
地元が阪急京都線沿線なので、南海電鉄に乗るのは関空へ行く時くらいしかありません。なかなかじっくり見る機会がありませんが、こうやって紹介してもらうと結構おもしろい変遷があるんですね。
デイタイムは動画の通り複々線での追い越しはありませんが、朝ラッシュ時と夕方ラッシュ時以降は複々線上で追い越しがあります、天下茶屋駅、新今宮駅では普通電車到着時、堺駅へは次の特急サザン(空港急行)が先に到着します、と放送しています。
1970年ころまで、南海本線で住之江あたりから岸の里あたりに来ると、地上を走っていた南海本線から汐見橋方面に向かって左にカーブして、高架の高野線に上っていく線路がありましたね。複線の立派な線路でしたが、電車が通ったのを一度も見たことがありませんでした。
自分が堺に住んでいた頃は、岸の里駅でも通過待ちをしていました。あと堺駅の普通列車は上下とも外側でしたねー。
実はこのネタ気になっていました。なんで、高野線と別れてからの実質の線増の複々線が中途半端なのか?それと延伸予定っぽい謎スペース。この動画でそれが生かされていない、と言う点がわかり、勿体ないと思う反面、混雑度合いがそれほどでもないんだろうねと。結局関西では、京阪だけが本当の混雑緩和の線増による複々線をスマートに使い切っていると言う事なんですね。あと、玉出って、スーパーの発祥地ですか(笑)。似たようなテーマを違うユーチューバーが取り上げての比較もそれなりに楽しめますが、こういう、誰もあまり話題にしない系?でも、あ~でもそれ実は気になっていた系、好きですね。私もどちらか言えばその路線です。動画撮影お疲れさまでした。
当初の計画では、複々線は石津川の手前まで、湊駅の構造や線路の東側に南海の施設がある。
堺駅の配線の謎が解けました!堺まで複々線化されてたら堺駅であんな待たんくてもええのに・・・ってほんま思います。湊駅~七道駅まで、歩いて行ったほうが早い説ありますからねw
堺駅ってほんと待たされますよねぇ〜ひどい時だと列車が2回連続で連絡だったりするので...
南海堺駅周辺も寂しなってる空き地が増えてる。旧の2国沿いは空き地が多なってる
JR神戸線の複々線は新長田ー兵庫駅間で複々線の種類が入れ替わっていますよ
泉北が乗り入れする前は解説通り高野線に岸ノ里駅にホームが無く各停、普通も通過扱いでした(当時は高野線にも普通が存在していた)なので汐見橋からの列車は住吉東または堺東で折り返しでした。高野線の岸ノ里駅ホームがで出来てから汐見橋ー岸ノ里(一部堺東)の運転と変わりました。
10:21 の図ですが、通称汐見橋線の堺東方面のホームと、高野線の極楽橋方面の旧ホームを直接結ぶ連絡通路はありませんでした。高野線の極楽橋方面のホームは、連絡通路の高野線の難波方面のホームの手前で、線路の下の通路で接続されていました。(今もその通路の名残があります。)通称汐見橋線の堺東方面ホーム(たしか5線だったと思う)は、終電の汐見橋発堺東行きの電車1本のみ停車し、本線和歌山方面のホーム(多分4番線)にあった木造の階段からしか、通称汐見橋線の堺東方面のホームは行けませんでした。その階段は昼は通行禁止でした。通常の汐見橋駅と岸ノ里駅の折り返し電車は、通称汐見橋線の汐見橋方面のホーム(たぶん6番線だったと思う)にとまっていた。玉出駅は島式ホーム1面、相対式2面あり、私が子供の頃は、相対式ホームは使われず、改札入ってから地下通路を通って島式ホームで上下線に乗車していたが、玉出・大和川間複々線高架工事完成前に、島式ホームが使われなくなり、相対式ホームが使われるようになった。当時、岸ノ里駅舎北端に、ポイント操作の機械があって外から見えていた。それだからではないだろうけど、南海電鉄の業務関係のビルが岸里玉出駅岸里口の近くにあるのは、感慨深い。
懐かしい50数年前に旧岸の里駅近所に住んでいた。
住之江区民として思うことは、南海は住ノ江、四つ橋線は住之江公園。同じでしょってよその人は思いますが、字が違うだけで地元民は意味が変わってくるのと同時に間違いには敏感です。大阪あるあるですかね?
阿部野橋駅と天王寺駅も同じ括りで考える人と違うって人がかなり真っ二つに分かれる印象ありますね。これは大阪府民でも別れそうです。もちろん地元の方は違うと答えるでしょうけどね。(区がそもそも違いますから)
堺駅以南も高架工事の仮線跡?らしき空地が本線東側にあります。
私もそう思うんですよね。湊駅が一面二線の構造なってますし、高架前は二面二線でした。 それも少なくとも湊迄は複々線の計画があったのではと。。
確かにここの区間の複々線は謎だった。新今宮や天下茶屋も今の状態になったのは割りと最近なんですね。
はい、勉強になりました。ありがとうございました。
高野線と汐見橋線…もともと汐見橋線は高野線として建設された経緯で、高野線の線路と繋がっていました。汐見橋線も岸の里駅(現岸里玉出)駅を超えて、住吉東駅や堺東駅に直通する列車も運転されていました。
汐見橋線って、あくまでも高野線汐見橋~岸里玉出間の愛称ですからね。
簡単に言うと「元々南海本線は複々線だったが岸里玉出以北が高野線に乗っ取られ岸里玉出~住之江が意味もなく残った」。それにしても高架化工事の趣旨からして南海は汐見橋方面の立体交差を残す費用を大阪市に請求出来たんじゃないかと思うが。
でもはるか乗り入れが起きると一気に混むから実用性がでてくる
難波~岸ノ里(現:岸里玉出)駅間は東側2線が緩行線、西側2線が急行線として建設され、複々線自体は難波~住吉公園(現:住吉大社)間でした。地上線時代は難波~住吉公園間に“高野線側を走る”「東線普通」と呼ばれる普通列車が1970年まで運転されていましたね。なので、その当時は「各停」は存在せず「普通」だけでした。ちなみに、大和川橋梁に隙間が空いているのは地上線橋梁の左右に高架線用の現橋梁を建設したためですし、地上複々線の高架化だったため堺駅まで複々線化する計画はなかったはずです。予定地のように見えるのは旧線跡ではないでしょうか。また、岸ノ里駅は開業時には「阿倍野」と言う駅名で高野線側だけにしか駅がありませんでした。
住吉大社の方向が逆。駅の山側にあります。
海側は住吉「公園」ですからね(つい最近まで、阪堺上町線の「住吉公園駅」があった)。
岸里ー住之江間は昔から複々線で高架工事期間だけ複線だったそうです
大阪は市内、北摂、北河内まではどんどん発展していくのに、それ以南は衰退傾向にあるからね。阪和線も複々線計画の名残がめっちゃ残ってるし、なにわ筋線開通で南部の発展を期待する。
関西空港が出来る15年ぐらい前までは、難波発和歌山港駅行きの急行、特急(サザン等の名称無し)、和歌山市駅行きの普通、準急行(現、区間急行)、急行、特急(サザン等の名称無し)、多奈川駅行きの急行、みさき公園駅行きの普通、樽井駅行きの普通、羽倉崎駅行きの急行と普通、高石駅行きの普通電車が走っていた為、必ず急行や特急に乗車すると堺駅まで先行して緩行線を走行していた普通電車を追い抜き堺駅で乗り換えをしていました。
77年から乗ってますが、堺東以南でしたから、全く知らなかったです!汐見橋の路線に叔母さんが下宿していて、母が遊びに行ってたのを聴いたのも今年なだけに、高野線でつながる路線とは知らずに汐見橋の高架下歩いたりしてました。
南海本線堺駅までの高架複々線化、当時の南海電気鉄道本社が莫大な有利子負債を抱えていたそうですね。その理由も、かなり遡って1960年代から。当時、電車線電圧が600Vだった南海本線・高野線双方で重大インシデントとなった列車事故が多発し、国(当時の運輸省、現在の国土交通省)は同社に両本線から順次全線に、全国に先立って自動列車制御装置(CTC)の設置を指示。それが、10年近く掛けてようやく全線に設置完了。これだけで、現在の水準にして数千億円規模の設備投資。それだけではなく、殺人的な混雑を来していた両本線。更には、泉北高速鉄道線が1971年に開業して既に南海なんば駅は処理能力超過。そこで、数期に分けて大規模改造工事に着手。先の設備投資で、既に自社で費用が確保出来なかったので大半は銀行から融資。これが、もう1兆円を超えそうな金額だったらしく。これに続いて、南海本線・高野線の大阪市内連続立体交差事業がスタート。この時に、岸里玉出ー大和川鉄橋間の立体交差化が1981年に竣工。しかし、資金の余裕なく堺駅までの高架複々線化は凍結されて、せっかく取得した用地も順次売却されて跡地はマンション等に。ですが、中途半端になりましたがこの区間全線で緩急離合を上手くやれば数分程度ですが、関西空港連絡も和歌山港方面へも時短が実現しスピードアップが図れます。なにわ筋線により、南海本線・空港線から新大阪へ直通。本数が増えても対応が出来ます。
汐見橋方面は岸里玉出で乗り換えです
本線に各停なんかないんよ
遅い時間になったら車内灯が消えた、さながら幽霊列車のような回送ラピートが普通車の横をすごいスピードで駆け抜けていきます。
お邪魔しますm(_ _)mいつも楽しく分かりやすい動画をありがとう😊「止まって〜」「嫌じゃ〜」って、めちゃくちゃ面白い(ノ∀`)やっぱ電車はTKッスね〜これからも期待してまっせ!😁
(今はそんなことないですが)外国人観光客の増加で空港急行はパンク寸前だし、将来的にはなにわ筋線経由の空港急行梅田乗り入れが実現しそうなので、(阪急のなにわ筋線大阪~十三~新大阪も実現すれば空港急行が乗り入れるかな?)なにか動きがあればいいですね。
JRはおそらく新大阪〜JR難波〜天王寺とそのまま抜けていくと思いますが、阪急が南海に乗り入れる可能性は十分あります。空港まで行くのか、堺あたりで折り返しになるのかは分かりませんが線路増設も視野に入りそうですね。
なにわ筋線ができて、線路容量が増えたら、複々線化されるかも
1980年代に全面展望で住吉町→難波に乗った事が有りました。この時の現岸里玉出駅は高野線は汐見橋方面に線路が続いており奥側にホームが有ったのを覚えています。1985年に線路が無くなったと言う事は線路が撤去される直前の貴重なチャンスを得られて幸栄です。
国土地理院が出している旧地図で見ても高野線の岸里玉出ホームが2つに別れていて、今の地図と見比べると2つのホームを足し合わせた長さが現ホーム長さとピタッと合います。汐見橋方向に複線が伸びているのもしっかり確認できますが、私はその時代の配線を見たことがないので羨ましいです。
実際問題、大阪と堺の間に、南海本線、高野線、阪和線と考えようによっては御堂筋線と阪堺線も存在しているわけで、更に言うなら、そんなに堺市内でもそんなに栄えているわけでもない堺駅まで複々線にするって正直キャパシティ過剰ですよね。ただ、大阪と堺の間に大和川がなければ高度成長期の勢いで堺まで複々線で開業していたかもしれませんが。
四ツ橋線のかつての堺延伸計画に南海がマジギレしたのもわかるオブわかる
@@moraimon そういえばブチギレ事件なんてのもありましたねぇ。あの件に関しては南海の言い分に賛成です。でもよく考えると複々線化は必要ないといえばないですね。
今となっては、むしろ高野線の方が複々線にする必要があるもんなあ。堺東まで、無理だけどもしできるのなら中百舌鳥までできれば一番いい。
@@rocker557 浅香山~三国ヶ丘の高架化事業が認可されましたね。府道越え、どうするんだろう??
汐見橋線ですが、昔は住吉東発汐見橋行きとその逆なんてのが、朝晩の列車送り込み時間にありました起点と終点が共に秘境駅な南海高野線(^▽^;)
この辺りですが・・・。汐見橋線の盛土の部分や高野線のホームの辺りに高架になる前の時代の名残が色々と残ってますね♪ ちなみに自分もこの辺りに住んでいて子供の頃は天下茶屋、岸ノ里、玉出の区間は高架化になる寸前でした♪
なにわ筋線が開業し、JRの京都方面と直通したら、線路容量確保のために複々線の延長があるかも知れませんね。「空港急行」は、東ではハマの赤い「エアポート急行」が相当しますが、確かに「空港急行」の方がいい感じです(個人的意見)。4:18 南海本線の複々線の説明で、濃淡グリーンを持って来るセンス、素敵です。南海と言えばこのカラーに、○にV字形の旧ロゴが最も輝いていたな、と。
南海はやはりこの塗装です。今の塗装はあまり好きになれません...(旧塗装で京阪と揉めたなんて話も聞きますが今となってはお互い笑い話ですねw)
昔は、日中住ノ江行きが、設定されていましたが、利用客低迷で廃止に。複々線計画は、堺駅までではなく、現在高架建設中の石津川まで計画されていたそうです。すでにその時、用地も確保していましたが、後は動画の内容道理です。私が子供のころ、約50年以上前になりますが、確か高野線も不通が存在し、天下茶屋の次が難波だったと記憶の片隅に残っています。正しいかどうかはわかりませんが。ただ昔の難波駅は、夜ホームが以上に暗かったような記憶が残っています。
8:12平坦区間の折り返しだけどズームカーをあえて投入するのカワイイ。 痩せても枯れても高野線ファミリーの一員なんだ、というプライドのなせる業か。
天下茶屋駅より旧岸里駅の方が史跡天下茶屋跡に近いw
大阪って全国唯一、神社本庁が定めた最高社格の一之宮が3つもある凄いとこなんですね。
摂津国・河内国・和泉国それぞれの一之宮ですね?
今宮戎と萩ノ茶屋って東急田園都市線の二子新地と高津みたいだよね
懐かしい南海難波駅 コロナ禍なってから全然電車乗らなくなった。難波や梅田の繁華街へはもっと行かなくなった。通勤とかの人は楽しいだろうなぁ
岸ノ下の長いホームが昔から謎でした。まさか、無理やりくっつけてたとは驚きました。
住ノ江ですね。あとラッシュ時は待避があります。平日ダイヤかな?
岸の里と玉出駅でした
あれ、粉浜で普通列車を追い抜きってなかったですっけ?今はないんですかね?
4:18緑の南海電車おるなー右端にこっそりと?8000系が…
堺駅で普通と優等が連絡するので、無駄に堺から天下茶屋まで混んでる。ただし、ラッシュ時が短くて、平日9時台より休日の昼前の方が混んでるくらいなのでどうなることやら。データイムの利用が本当に少なくて…
新今宮は昔から全列車止まってます天下茶屋の間違いでは?
小田急の複々線も特殊といえば特殊
なにわ筋線できた時の阪急の空きを作ってる南海カッコいい
南海は関西で珍しい狭軌だよね。
南海と吉野鉄道だけ貨物扱いしてたからね。
@@jitsuwa-tetsuota そうではなくて、鉄道として認可されたか、軌道として認可されたかの違いなんですよ。
阪和線も同じ理由で複々線化を断念しています。↑複々線化用地はそのまま高架化用地に転用されたが現在は空き地のままなのだ。、
あそこは阪神高速泉北線ではないのかな。
南海電鉄は、長期的視野が経営方針に見えます。 完全複々線化も世紀の事業では・・・
どこで情報仕入れてるんですか?凄いリサーチ力ですねw
深い考察(小並感)堺まで複々線が延伸してたら南海の歴史は変わったの、か、も…❓(笑)
堺駅は昔に駅移動したからね。もう少し南にあった。
竜神駅ってありましたよね
@@rousseaujeanjacques3801竜神の方が本線のターミナル駅だったみたいですね。
@@高山征大-z5p そうです
住之江には、列車の仮置き場があるために、列車運用上や年始の、住吉大社のためと、ちがいますかね
今では基本的に住ノ江回送の為なので、勿体ないですね。岸里玉出に統合する過程の近隣日照権と工程の都合だから各駅停車の汐見橋飛ばしとかしない限り、有効にはならないかも。
天下茶屋で南海線と高野線乗り換えるのは良いのかまだ分かりません...
少しうろ覚えですが切符の特例があったと思います。
@@tk_railwaychannel なるほどー
緩急別複々線って関西じゃそういうの?方向別複々線(もしくは緩急分離運転)が一般的な呼び方だと思ってたが
京阪神区間と違い、朝にひたすら和歌山側から難波方向に人を送り込むのが第一の仕事の南海本線なのだから朝ラッシュだけでも十分価値があると思います。おかげで列車渋滞でスローダウンする朝の阪和線天王寺付近と違い、南海線は朝ラッシュでもそこまでスローダウンしません。
南海新難波開業と同時に、頭端式ホームも縮小されそう🤔
ラピート専用ホーム位は削られるかもしれませんね。天王寺阪和線ホームのように贅沢使いの可能性も
いや、多分ラピートは半分なんば発着で残ると思う
ラピートホームが駅ナカストアーになったりして?新型コロナの影響で なにわ筋線の建設が減速されないか心配です。
詩織ー(小野坂昌也)さんの声で
1番線のりば、9番線のりば廃止で。高野線が5番線も使うでしょう。
七道駅の複々線建設予定地が駐車場ならまだ建設再開の余地はあるのではないでしょうか?残りの用地買収が終わるまでのつなぎとして土地を貸しているのかもしれません。建設を諦めたならマンションでも建っているでしょう。南海の各停&普通のようなトラップは東急大井町線にもあります。こちらは青各停&緑各停なので余計にややこしいです。
将来的になにわ筋線が開業した場合は南海本線のダイヤが今まで以上に過密になる可能性も否定できないし
堺までの複々線構想が再燃しないか注目しています。
阪和を海南まで拡げて、敦賀からの新快速とサンダーバード乗り入れやな。新快速の停車駅は、敦賀 新疋田 近江塩津 マキノ 近江今津 近江舞子 坂本 西大津 山科 京都 高槻 新大阪 大阪 天王寺 熊取 和歌山 海南 湯浅 御坊 紀伊田辺 白浜 白浜から新宮まで各駅です✦
家の裏が南海汐見橋線の線路で堺までのあの空間はずっと謎に思ってたので分かりやすい解説ありがとうございます😊
今では高野線の方を複々線にしたいよな
昼間でも線路容量はすごい
どれだけ各停が住吉東でまたされてることか
@@中村凛夜 なんならよこの阪和線にくらべても少ない
地元の駅を取り上げてくれて、ホンマにありがとうな!!
中途半端な南海本線ですが、関空ができるまでは、普通と急行の
タッチアンドゴーが機能していましたが
ラピートのせいで、20年以上 がたがたなんですよ
とはいえ、平日朝晩はこの複々線は遺憾無く発揮されてますので無駄でないですよね。
昔、本線にあった赤準急、青準急が
懐かしい。
岸里→岸ノ里 大和川橋梁は旧橋の外側に新橋を作ったので上下線が離れています。
当初の計画では、泉北高速鉄道が深井駅でカーブして高野線に向かわずにそのまま直進して南海本線と接続する予定だったそうです。
その関係で複々線準備区間は湊駅の先まで続いています。
失礼ですが、そのような計画は全く無かったと記憶しています。
建設当時の接続線の第一候補は地下鉄一号線(御堂筋線)、第二候補が国鉄阪和線(よって今も上野芝までの空地があります)、
あと近鉄南大阪線も候補に上がりましたが、南海本線と接続計画は全く無かったと思います。
若年ファン層に嘘を教えてはダメでしょう! だったらソースを出してみてください。
地元民ですが、第一候補が阪和線で第二候補が御堂筋、第三候補が高野線だったと小学生のころの授業で記憶してます。
御堂筋とは線路幅の違いで計画がなくなり、震災か何かで計画が短くなり高野線に接続したとか
南海の複々線が中途半端に終わっているのは、
新興住宅地が土地に余裕のある阪和線側に造られるようになり、
南海本線の乗客が思ったほど伸びなかったとの理由もあるそうです。
@川太
現在の輸送人員では、堺までの複々線化は難しいと思います。
@川太
私は個人的には南海のなにわ筋線乗り入れは反対なのですが、
もしやるのなら、複々線区間の延長を考えて良さそうですね。
計画当初の堺までの複々線より高野線が本線に乗り入れず高野線が独立したまま難波に乗り入れられる構造になっていればもっと利用価値あったんでしょうが
@@MrDaiful
南海本線は阪和線に客を奪われてましたから、高野線に関係なく、結果は同じだったのではないでしょうか?
小学生🎒の頃、難波駅からは3種類の普通が存在した。①南海線普通②難波↔住吉公園区間列車③高野線各停。
①の停車駅(難波.天下茶屋.住吉公園.住ノ江.七道.堺~~)此れでも普通。
動画中の住之江~堺の複線高架は、関西空港開業を見込んで云々のものではありません。
大阪市内~堺市連続立体交差事業の計画は昭和40年代初めですので、その当時は関西第二空港の計画はあったものの、泉州沖に建設されることすら全く白紙の
状態でしたから、空港旅客を見込む考えなどは全く無く、自動車台数増加による慢性的な渋滞を平面交差で解消するのが最大の目的でした。
また、住之江~堺の複々線用地(橋梁の中線部分)は元々の旧線跡です。
昭和40年以前は本線>>>高野線の旅客需要でしたので、岸ノ里から東線に入る45km/h制限カーブでも難なく需要をさばけましたが、
以降の高野線沿線と泉北高速線の住宅建設ラッシュは目覚ましかったため、その投資が河内長野以遠の複線化や林間田園都市の計画に回されたため、
結果として同区間の複々線化は幻となった経緯があると思います。
南海高野線のたまにある区間急行二連続やばいよね
本線系統と泉北系統が連続して走るやつですね。
昼間によくありますね〜
長らく準急=和泉中央行きだっかからよく間違えましたね。あれ?北野田じゃないのかい~(O.O;)(oo;)
ほぼ意味がないと言うなら朝ラッシュに乗れば意味がわかる。
とても面白くてわかりやすく解説されてますね
色んな謎を解いてくれてありがとございます
ありがとうございます。
いつもわかりやすい解説ですね!
天下茶屋駅は高架になる前はボロッボロの駅舎だったなあ?
普通と高野線の各停しか止まらなかった地上時代ですね。それぞれのホームが今よりも狭かったですしね。
長いホームは将来ホームを降りなくて済むように、設備機器を増設するために残してあると思われます。
現に阪急西院駅や京都市営地下鉄のホームも機器類が置かれております。
朝ラッシュ時だけ複々線が有効です。
旧岸里駅の真裏に住んでいましたよ。高架工事が始まる直前まで居たので今も懐かしい場所ですね。
当時は、汐見橋発の最終電車が堺東行きの急行として運用されておりました。汐見橋線と高野線の上りホームは、当時から繋がっていたので高野線の下りホームがとても遠かった記憶があります。
30年くらい前は
日中でも粉浜や住之江あたりで
普通を急行が追い抜いていたように記憶する
今は日中の急行系が15分に1本だけど、昔はもっと多かった。
古いまんまの汐見橋駅好き。西成高校行くときぐらいしか乗らなかったけど。
南海線の住之江ー湊間には、泉北高速鉄道線乗り入れ用線路用地があった。南海線は大阪なんばー湊間までの複々線計画があった。
泉北高速鉄道線は、深井駅でカーブして中百舌鳥駅に向かうのではなく、直進してJR阪和線上野芝駅に向かう計画であった。
泉北高速が、泉北1号線を、ぶち抜いて南海本線にも行けますね。
本線湊~泉北高速乗り入れ計画なんかは全く存在しません! ソースはありますか?
妄想して若年ファンに嘘を教えてはダメです。
上野芝は、和歌山向きに接続というわけわからん仕様だったので、当然に却下。
昭和40年代の前半の頃は、住吉大社(旧・住吉公園)-なんば間の「各駅停車」が走っていましたね。
恐ろしく古い半木造で緑色の2両電車。
本線の「普通」は、住吉公園を出ると新今宮まで急行線を走り通過でした。
高野線の一部が汐見橋へ直通していたので、岸の里-なんば間の各駅停車の本数が拮抗できたのではないでしょうか。
未だに普通と各駅停車を使い分けているのは驚きでした。
1960年頃萩之茶屋以南が地平線だった頃はなんば発住之江公園行きの電車が今の東側高野線軌道を併用して走っていました。同時に高野線の汐見橋発住吉東行きの電車もありました。
萩之茶屋以南が高架になった時に高野線の電車がすべて難波行きとなり、汐見橋方面への高架レールがなくなりました。今の姿です。
なんばー住之江間の複々線は各駅停車用の複線と快速用の複線とがあったわけです。京阪と同じです。だから意味はあったのです。
1949年から高野線を利用していた者の記憶です。
東急大井町線なんて緑の各駅停車と青の各駅停車があって、各駅停車なのに通過駅があるという初見泣かせがありますからね笑
溝の口に吹っ飛ばされる各停ですよねw
@@tk_railwaychannel 高津
「おーい、忘れないでくれ」って気持ちかな?笑
当初は完全分離で田都はスルーしたかったが、お得意のクレーマーに客が減るといわれて各停を設定した
たぶん他の方も指摘されてるでしょうが、大和川鉄橋の上下線が開いてるのは古い旧橋梁が真ん中にあったからです。今でも使えてたら複々線延長も実現しやすかったかもしれません。高架化後堺以南も石津川まで自社関連の用地が高架沿いに続いていました(今でも?)。戦前からはるかに遠くまで複々線構想があったそうです。
難波発の高野線電車は地上時代の岸の里通過時に最後までポイント分岐側(直線側が本線行き)をガクンと通っていました。もちろん難波行きも旧ホームを過ぎたところにあるポイント分岐側(直線側が汐見橋行き)をゆっくり通っていました。
3:09 一方区急以上の列車にシカトされる中百舌鳥駅...
御堂筋線は天王寺以南の利用客少ないからね
@@mnzonseeeoan
その御堂筋線に乗り換えさせないための対抗手段でしょう。
御堂筋線開通前から急行は通過してましたよ。
岸里玉出駅の高野線の下りホームから上りホームの下を見ると昔、南海本線が地上だった頃の連絡通路のあとが見れますよ。
岸里玉手駅は面積だけで言うとかなりの巨大駅なんだけど利用客は少ない。都会の秘境路線汐見橋線は鉄道ファンにお薦め。
高野線・本線両方使える住吉区民ですが、高野線を使うと住吉東の退避で運が悪いと
2本待たされますが、本線で行くと、住之江まで退避なしで行けます
全く意味がないわけではないです
以前は粉浜~住ノ江で急行が普通車を追い越してたんですが、日中の急行が無くなったあたりから、複々線での追い越しは見られなくなったんじゃないかと。各種別きれいな15分間隔のダイヤになった頃からですかね。
いつも楽しく拝見しています♫
ラッシュアワーはもちろん、22時半頃堺駅を発車した普通は岸里玉出駅で後続の空港急行に追い抜けれます。普通の岸里玉出駅の停車時間は7分くらいでしたっけ?
天下茶屋の高架工事と堺筋線の天下茶屋延伸時には阪急の南海乗り入れ計画があり、堺筋線は旧南海玉出駅の手前まで地下を掘っています。岸里玉出駅は堺筋線が地上に出て乗り入れできるように拡幅して設計したものなのです。しかしその後阪急乗り入れの計画は頓挫してしまいましたので、現在の姿はその残骸ですね
昔は追い抜きはあったと思います。数年前に南海本線の列車本数が減便されましたからね。かつては急行と普通がそれぞれ一時間に6本あったのが今はそれぞれ5本に減ってます。但し特急は増えていますが。
30年以上前に堺東5:05発汐見橋行きに乗った事があります。6000系2連でした。
堺東→汐見橋は朝1本、汐見橋→堺東は夜2本ありました。
汐見橋ゆきは堺東5:05発ではなく堺東5:07発です。
堺東5:05発は難波ゆきでした。
失礼しました。
そうでしたか、さらに減便になっていたんですね。
ラッシュ時は追い抜きあります。
全くない事はありません。
そうでしたか、ありがとうございます。
今もラッシュ時には追い抜き有ります。
地元が阪急京都線沿線なので、南海電鉄に乗るのは関空へ行く時くらいしかありません。なかなかじっくり見る機会がありませんが、こうやって紹介してもらうと結構おもしろい変遷があるんですね。
デイタイムは動画の通り複々線での追い越しはありませんが、朝ラッシュ時と夕方ラッシュ時以降は複々線上で追い越しがあります、天下茶屋駅、新今宮駅では普通電車到着時、堺駅へは次の特急サザン(空港急行)が先に到着します、と放送しています。
1970年ころまで、南海本線で住之江あたりから岸の里あたりに来ると、地上を走っていた南海本線から汐見橋方面に向かって左にカーブして、高架の高野線に上っていく線路がありましたね。複線の立派な線路でしたが、電車が通ったのを一度も見たことがありませんでした。
自分が堺に住んでいた頃は、岸の里駅でも通過待ちをしていました。
あと堺駅の普通列車は上下とも外側でしたねー。
実はこのネタ気になっていました。なんで、高野線と別れてからの実質の線増の複々線が中途半端なのか?それと延伸予定っぽい謎スペース。この動画でそれが生かされていない、と言う点がわかり、勿体ないと思う反面、混雑度合いがそれほどでもないんだろうねと。結局関西では、京阪だけが本当の混雑緩和の線増による複々線をスマートに使い切っていると言う事なんですね。あと、玉出って、スーパーの発祥地ですか(笑)。
似たようなテーマを違うユーチューバーが取り上げての比較もそれなりに楽しめますが、こういう、誰もあまり話題にしない系?でも、あ~でもそれ実は気になっていた系、好きですね。私もどちらか言えばその路線です。動画撮影お疲れさまでした。
当初の計画では、複々線は石津川の手前まで、湊駅の構造や線路の東側に南海の施設がある。
堺駅の配線の謎が解けました!
堺まで複々線化されてたら堺駅であんな待たんくてもええのに・・・ってほんま思います。
湊駅~七道駅まで、歩いて行ったほうが早い説ありますからねw
堺駅ってほんと待たされますよねぇ〜
ひどい時だと列車が2回連続で連絡だったりするので...
南海堺駅周辺も寂しなってる空き地が増えてる。旧の2国沿いは空き地が多なってる
JR神戸線の複々線は新長田ー兵庫駅間で複々線の種類が入れ替わっていますよ
泉北が乗り入れする前は解説通り高野線に岸ノ里駅にホームが無く各停、普通も通過扱いでした(当時は高野線にも普通が存在していた)
なので汐見橋からの列車は住吉東または堺東で折り返しでした。
高野線の岸ノ里駅ホームがで出来てから汐見橋ー岸ノ里(一部堺東)の運転と変わりました。
10:21 の図ですが、通称汐見橋線の堺東方面のホームと、高野線の極楽橋方面の旧ホームを直接結ぶ連絡通路はありませんでした。高野線の極楽橋方面のホームは、連絡通路の高野線の難波方面のホームの手前で、線路の下の通路で接続されていました。(今もその通路の名残があります。)
通称汐見橋線の堺東方面ホーム(たしか5線だったと思う)は、終電の汐見橋発堺東行きの電車1本のみ停車し、本線和歌山方面のホーム(多分4番線)にあった木造の階段からしか、通称汐見橋線の堺東方面のホームは行けませんでした。その階段は昼は通行禁止でした。
通常の汐見橋駅と岸ノ里駅の折り返し電車は、通称汐見橋線の汐見橋方面のホーム(たぶん6番線だったと思う)にとまっていた。
玉出駅は島式ホーム1面、相対式2面あり、私が子供の頃は、相対式ホームは使われず、改札入ってから地下通路を通って島式ホームで上下線に乗車していたが、玉出・大和川間複々線高架工事完成前に、島式ホームが使われなくなり、相対式ホームが使われるようになった。
当時、岸ノ里駅舎北端に、ポイント操作の機械があって外から見えていた。それだからではないだろうけど、南海電鉄の業務関係のビルが岸里玉出駅岸里口の近くにあるのは、感慨深い。
懐かしい50数年前に旧岸の里駅近所に住んでいた。
住之江区民として思うことは、南海は住ノ江、四つ橋線は住之江公園。同じでしょってよその人は思いますが、字が違うだけで地元民は意味が変わってくるのと同時に間違いには敏感です。大阪あるあるですかね?
阿部野橋駅と天王寺駅も同じ括りで考える人と違うって人がかなり真っ二つに分かれる印象ありますね。これは大阪府民でも別れそうです。もちろん地元の方は違うと答えるでしょうけどね。(区がそもそも違いますから)
堺駅以南も高架工事の仮線跡?らしき空地が本線東側にあります。
私もそう思うんですよね。
湊駅が一面二線の構造なってますし、高架前は二面二線でした。 それも少なくとも湊迄は複々線の計画があったのではと。。
確かにここの区間の複々線は謎だった。新今宮や天下茶屋も今の状態になったのは割りと最近なんですね。
はい、勉強になりました。ありがとうございました。
高野線と汐見橋線…
もともと汐見橋線は高野線として建設された経緯で、高野線の線路と繋がっていました。汐見橋線も岸の里駅(現岸里玉出)駅を超えて、住吉東駅や堺東駅に直通する列車も運転されていました。
汐見橋線って、あくまでも高野線汐見橋~岸里玉出間の愛称ですからね。
簡単に言うと「元々南海本線は複々線だったが岸里玉出以北が高野線に乗っ取られ岸里玉出~住之江が意味もなく残った」。それにしても高架化工事の趣旨からして南海は汐見橋方面の立体交差を残す費用を大阪市に請求出来たんじゃないかと思うが。
でもはるか乗り入れが
起きると一気に混むから
実用性がでてくる
難波~岸ノ里(現:岸里玉出)駅間は東側2線が緩行線、西側2線が急行線として建設され、複々線自体は難波~住吉公園(現:住吉大社)間でした。地上線時代は難波~住吉公園間に“高野線側を走る”「東線普通」と呼ばれる普通列車が1970年まで運転されていましたね。なので、その当時は「各停」は存在せず「普通」だけでした。ちなみに、大和川橋梁に隙間が空いているのは地上線橋梁の左右に高架線用の現橋梁を建設したためですし、地上複々線の高架化だったため堺駅まで複々線化する計画はなかったはずです。予定地のように見えるのは旧線跡ではないでしょうか。また、岸ノ里駅は開業時には「阿倍野」と言う駅名で高野線側だけにしか駅がありませんでした。
住吉大社の方向が逆。駅の山側にあります。
海側は住吉「公園」ですからね(つい最近まで、阪堺上町線の「住吉公園駅」があった)。
岸里ー住之江間は昔から複々線で
高架工事期間だけ複線だったそうです
大阪は市内、北摂、北河内まではどんどん発展していくのに、それ以南は衰退傾向にあるからね。
阪和線も複々線計画の名残がめっちゃ残ってるし、
なにわ筋線開通で南部の発展を期待する。
関西空港が出来る15年ぐらい前までは、難波発和歌山港駅行きの急行、特急(サザン等の名称無し)、和歌山市駅行きの普通、準急行(現、区間急行)、急行、特急(サザン等の名称無し)、多奈川駅行きの急行、みさき公園駅行きの普通、樽井駅行きの普通、羽倉崎駅行きの急行と普通、高石駅行きの普通電車が走っていた為、必ず急行や特急に乗車すると堺駅まで先行して緩行線を走行していた普通電車を追い抜き堺駅で乗り換えをしていました。
77年から乗ってますが、堺東以南でしたから、全く知らなかったです!
汐見橋の路線に叔母さんが下宿していて、母が遊びに行ってたのを聴いたのも今年なだけに、高野線でつながる路線とは知らずに汐見橋の高架下歩いたりしてました。
南海本線堺駅までの高架複々線化、当時の南海電気鉄道本社が莫大な有利子負債を抱えていたそうですね。
その理由も、かなり遡って1960年代から。
当時、電車線電圧が600Vだった南海本線・高野線双方で重大インシデントとなった列車事故が多発し、国(当時の運輸省、現在の国土交通省)は同社に両本線から順次全線に、全国に先立って自動列車制御装置(CTC)の設置を指示。
それが、10年近く掛けてようやく全線に設置完了。
これだけで、現在の水準にして数千億円規模の設備投資。
それだけではなく、殺人的な混雑を来していた両本線。
更には、泉北高速鉄道線が1971年に開業して既に南海なんば駅は処理能力超過。
そこで、数期に分けて大規模改造工事に着手。
先の設備投資で、既に自社で費用が確保出来なかったので大半は銀行から融資。
これが、もう1兆円を超えそうな金額だったらしく。
これに続いて、南海本線・高野線の大阪市内連続立体交差事業がスタート。
この時に、岸里玉出ー大和川鉄橋間の立体交差化が1981年に竣工。
しかし、資金の余裕なく堺駅までの高架複々線化は凍結されて、せっかく取得した用地も順次売却されて跡地はマンション等に。
ですが、中途半端になりましたがこの区間全線で緩急離合を上手くやれば数分程度ですが、関西空港連絡も和歌山港方面へも時短が実現しスピードアップが図れます。
なにわ筋線により、南海本線・空港線から新大阪へ直通。
本数が増えても対応が出来ます。
汐見橋方面は岸里玉出で乗り換えです
本線に各停なんかないんよ
遅い時間になったら車内灯が消えた、さながら幽霊列車のような回送ラピートが普通車の横をすごいスピードで駆け抜けていきます。
お邪魔しますm(_ _)m
いつも楽しく分かりやすい動画をありがとう😊
「止まって〜」「嫌じゃ〜」って、めちゃくちゃ面白い(ノ∀`)
やっぱ電車はTKッスね〜これからも期待してまっせ!😁
(今はそんなことないですが)外国人観光客の増加で空港急行はパンク寸前だし、将来的にはなにわ筋線経由の空港急行梅田乗り入れが実現しそうなので、(阪急のなにわ筋線大阪~十三~新大阪も実現すれば空港急行が乗り入れるかな?)なにか動きがあればいいですね。
JRはおそらく新大阪〜JR難波〜天王寺とそのまま抜けていくと思いますが、阪急が南海に乗り入れる可能性は十分あります。空港まで行くのか、堺あたりで折り返しになるのかは分かりませんが線路増設も視野に入りそうですね。
なにわ筋線ができて、線路容量が増えたら、複々線化されるかも
1980年代に全面展望で住吉町→難波に乗った事が有りました。この時の現岸里玉出駅は高野線は汐見橋方面に線路が続いており奥側にホームが有ったのを覚えています。1985年に線路が無くなったと言う事は線路が撤去される直前の貴重なチャンスを得られて幸栄です。
国土地理院が出している旧地図で見ても高野線の岸里玉出ホームが2つに別れていて、今の地図と見比べると2つのホームを足し合わせた長さが現ホーム長さとピタッと合います。汐見橋方向に複線が伸びているのもしっかり確認できますが、私はその時代の配線を見たことがないので羨ましいです。
実際問題、大阪と堺の間に、南海本線、高野線、阪和線と考えようによっては御堂筋線と阪堺線も存在しているわけで、更に言うなら、そんなに堺市内でもそんなに栄えているわけでもない堺駅まで複々線にするって正直キャパシティ過剰ですよね。ただ、大阪と堺の間に大和川がなければ高度成長期の勢いで堺まで複々線で開業していたかもしれませんが。
四ツ橋線のかつての堺延伸計画に南海がマジギレしたのもわかるオブわかる
@@moraimon そういえばブチギレ事件なんてのもありましたねぇ。あの件に関しては南海の言い分に賛成です。でもよく考えると複々線化は必要ないといえばないですね。
今となっては、むしろ高野線の方が複々線にする必要があるもんなあ。
堺東まで、無理だけどもしできるのなら中百舌鳥までできれば一番いい。
@@rocker557 浅香山~三国ヶ丘の高架化事業が認可されましたね。府道越え、どうするんだろう??
汐見橋線ですが、昔は住吉東発汐見橋行きとその逆なんてのが、朝晩の列車送り込み時間にありました
起点と終点が共に秘境駅な南海高野線(^▽^;)
この辺りですが・・・。汐見橋線の盛土の部分や高野線のホームの辺りに高架になる前の時代の名残が色々と残ってますね♪ ちなみに自分もこの辺りに住んでいて子供の頃は天下茶屋、岸ノ里、玉出の区間は高架化になる寸前でした♪
なにわ筋線が開業し、JRの京都方面と直通したら、線路容量確保のために複々線の延長があるかも知れませんね。
「空港急行」は、東ではハマの赤い「エアポート急行」が相当しますが、確かに「空港急行」の方がいい感じです(個人的意見)。
4:18 南海本線の複々線の説明で、濃淡グリーンを持って来るセンス、素敵です。南海と言えばこのカラーに、○にV字形の旧ロゴが最も輝いていたな、と。
南海はやはりこの塗装です。今の塗装はあまり好きになれません...(旧塗装で京阪と揉めたなんて話も聞きますが今となってはお互い笑い話ですねw)
昔は、日中住ノ江行きが、設定されていましたが、利用客低迷で廃止に。複々線計画は、堺駅までではなく、現在高架建設中の石津川まで計画されていたそうです。すでにその時、用地も確保していましたが、後は動画の内容道理です。
私が子供のころ、約50年以上前になりますが、確か高野線も不通が存在し、天下茶屋の次が難波だったと記憶の片隅に残っています。正しいかどうかはわかりませんが。ただ昔の難波駅は、夜ホームが以上に暗かったような記憶が残っています。
8:12平坦区間の折り返しだけどズームカーをあえて投入するのカワイイ。
痩せても枯れても高野線ファミリーの一員なんだ、というプライドのなせる業か。
天下茶屋駅より旧岸里駅の方が史跡天下茶屋跡に近いw
大阪って全国唯一、神社本庁が定めた最高社格の一之宮が3つもある凄いとこなんですね。
摂津国・河内国・和泉国それぞれの一之宮ですね?
今宮戎と萩ノ茶屋って東急田園都市線の二子新地と高津みたいだよね
懐かしい南海難波駅 コロナ禍なってから全然電車乗らなくなった。難波や梅田の繁華街へはもっと行かなくなった。通勤とかの人は楽しいだろうなぁ
岸ノ下の長いホームが昔から謎でした。まさか、無理やりくっつけてたとは驚きました。
住ノ江ですね。
あとラッシュ時は待避があります。平日ダイヤかな?
岸の里と玉出駅でした
あれ、粉浜で普通列車を追い抜きってなかったですっけ?今はないんですかね?
4:18緑の南海電車おるなー
右端にこっそりと?8000系が…
堺駅で普通と優等が連絡するので、無駄に堺から天下茶屋まで混んでる。ただし、ラッシュ時が短くて、平日9時台より休日の昼前の方が混んでるくらいなのでどうなることやら。データイムの利用が本当に少なくて…
新今宮は昔から全列車止まってます
天下茶屋の間違いでは?
小田急の複々線も特殊といえば特殊
なにわ筋線できた時の阪急の空きを作ってる南海カッコいい
南海は関西で珍しい狭軌だよね。
南海と吉野鉄道だけ貨物扱いしてたからね。
@@jitsuwa-tetsuota そうではなくて、鉄道として認可されたか、軌道として認可されたかの違いなんですよ。
阪和線も同じ理由で複々線化を断念しています。
↑複々線化用地はそのまま高架化用地に転用されたが現在は空き地のままなのだ。、
あそこは阪神高速泉北線ではないのかな。
南海電鉄は、長期的視野が経営方針に見えます。 完全複々線化も世紀の事業では・・・
どこで情報仕入れてるんですか?凄いリサーチ力ですねw
深い考察(小並感)
堺まで複々線が延伸してたら南海の歴史は変わったの、か、も…❓(笑)
堺駅は昔に駅移動したからね。もう少し南にあった。
竜神駅ってありましたよね
@@rousseaujeanjacques3801
竜神の方が本線のターミナル駅だったみたいですね。
@@高山征大-z5p そうです
住之江には、列車の仮置き場があるために、列車運用上や年始の、住吉大社のためと、ちがいますかね
今では基本的に住ノ江回送の為なので、勿体ないですね。岸里玉出に統合する過程の近隣日照権と工程の都合だから各駅停車の汐見橋飛ばしとかしない限り、有効にはならないかも。
天下茶屋で南海線と高野線乗り換えるのは良いのかまだ分かりません...
少しうろ覚えですが切符の特例があったと思います。
@@tk_railwaychannel なるほどー
緩急別複々線って関西じゃそういうの?
方向別複々線(もしくは緩急分離運転)が一般的な呼び方だと思ってたが
京阪神区間と違い、朝にひたすら和歌山側から難波方向に人を送り込むのが第一の仕事の南海本線なのだから朝ラッシュだけでも十分価値があると思います。
おかげで列車渋滞でスローダウンする朝の阪和線天王寺付近と違い、南海線は朝ラッシュでもそこまでスローダウンしません。
南海新難波開業と同時に、頭端式ホームも縮小されそう🤔
ラピート専用ホーム位は削られるかもしれませんね。
天王寺阪和線ホームのように贅沢使いの可能性も
いや、多分ラピートは半分なんば発着で残ると思う
ラピートホームが駅ナカストアーになったりして?新型コロナの影響で なにわ筋線の建設が減速されないか心配です。
詩織ー
(小野坂昌也)さんの声で
1番線のりば、9番線のりば廃止で。高野線が5番線も使うでしょう。
七道駅の複々線建設予定地が駐車場ならまだ建設再開
の余地はあるのではないでしょうか?残りの用地買収
が終わるまでのつなぎとして土地を貸しているのかも
しれません。建設を諦めたならマンションでも建って
いるでしょう。南海の各停&普通のようなトラップは
東急大井町線にもあります。こちらは青各停&緑各停
なので余計にややこしいです。