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とても大切なお話をありがとうございました。昭和時代は日本の未来も明るかったため、子供の頃から「夢」を持ちやすかったと思います。令和時代の日本は現在も未来も不安で満ち溢れており、子供たちも「夢」を持ちづらくなっているのではないでしょうか。子供たちの為にも、そして「自分自身」の為にも大人たちがよりよい社会を作るために自分で出来ることを「自分らしく」活動していくことで「自分らしく生きた証」になるのではないかと思いました。
仏法は聴聞に極まる🙏ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございました。
私は父の生き方に、多大なる影響をうけました。父は学歴は中卒で田舎の出身でしたが、それを恥じる事も無く堂々と生きていました。山仕事 畑仕事 稲作 なんでも出来る人でした。欲深さも無く、毎日を淡々と生きていました。夏になれば趣味のアユ釣りに、目を輝かせていそしんでいました。多くを望まず 質素に 謙虚に 出しゃばる事も無く 男らしく生きた人でした。そんな父を誇りに思っています。周りに流されず、ある意味「自分らしく生きた」人だと思います。私も父のような カッコいい男でありたいと 願っています。
素晴らしいお父様ですね!
@@ramuchamaru3873様 感想をお送り下さり ありがとうございます。父の息子として生を受けた ご縁に感謝しております。
置かれたところで満足し、精一杯生きぬくということは素晴らしい。自然の恵みを楽しみ、欲を持たず、人と比較することもなく、心穏やかにそして逞しく生きる。そんなお父様の生き方を誇りに思われたあなた様も素晴らしい。
@@チャッピー-i7g様 亡き父の生き方に共感をして下さり、誠にありがとうございます。父も喜んでいると思います。
自分の妻のお父さん95歳も、山の古い家の人ですがそういう人です、お父さんは小学生の時6人兄弟の長男だったため、山仕事で忙しい母親の手助けで、乳離れしていない下の妹をおんぶしてよく学校へ通ったと言います、休憩時間にはオムツも替えたそうです、また授業中にお乳を欲しがって妹が泣き出すと、先生に、お乳を飲ませに帰ってあげなさいと言われて、山の畑で仕事している母親の所まで行き、母親が木陰に座り野良着の胸をはだけて、しばしお乳をのませた後、またおぶって山を降って学校へ戻ったという話を聞かされました、今でもいつも早起きして作業服と地下足袋で出来る作業をしています、誰にも親切で、近所の人がいつも縁側に来て話しています、たまに妻と訪れても帰りには必ず自分に有難う、と言ってお母さんと二人が手を振って見えなくなるまで見送ってくれます律儀で純朴で働き者で親切で賢くて、おごり高ぶらない、そんな義父母が大好きです
仏教からの警告 「自分らしく生きる」人生観の落とし穴の動画感想 菊谷先生の声を聞くと心が落ち着きます。確かに、自分らしく生きると家族や会社といった共同体のしがらみから抜け出して孤独になると思います。自分も職場から定時になったらすぐ帰ることをしているので、職場の人間関係を重視していなくて孤独になっていることがあります。自分らしく生きると格差が出来ることもありますね。 人間の願いは5欲なんですね、食欲、睡眠欲、色欲、名誉欲、財欲の5つということですね。5欲を満たしても果たしてもこれで良いのかと思うことを有無同然というんですね。 自分らしく生きるよりも仏教の絶対の幸福のような絶対に変わらない幸せを求めるべきなのかなと思いました。今日も動画ありがとうございました✨
大学生です。春休みに入り、なにも予定が無い日々が続く中で、根拠の無い虚しさや不安を感じ始め、堪らなくなった末に行き着いたのがこちらのチャンネルでした。この動画の他にも、別の動画も幾つか拝見させて頂きまして、素人目ながら、仏教に基づく心の拠り所を得られたと感じております。『自分らしく生きる』ことが必ずしも救いとなるわけではないのと同様、善事悪事問わず諸行無常であるこの世の中を、小さな善の種を撒きながら一歩ずつ前進していこう。という考えに至ることができました。気になる動画を数本拝見した程度ですから、詳しい仏教の解釈とは違った考え方であるかもしれません。ですが、少なくともこちらのチャンネルの動画によって、今の私にとっての、宗となる教えを得ることができました。大変感謝しております。ありがとうございます。
私は今70歳代です。やっと今自分らしく生きています。今は何もせず何の経験もなくただ自分らしくなんておかしいと思わない若い人、中年層にみうけします。私はこの生活が出来ているは、たくさんの人に助けられて今日があると思っています。一人では何も出来ません。涙もありました。欲など何もありません。同じ速度で毎日笑って行けばいいと思っています。ありがとうございました。
今まさに私が社会に感じている違和感そのものでした。映画やドラマの主人公のような素敵な人生送れるのは高IQ、高偏差値、才能に恵まれた一部の優秀な人だけ。自由な市民社会の限界。せっかく自由を手にしたのに、自由であることで競争させられ、歴然たるIQ格差を突き付けられる残酷さ。どう生きて行けばいいんでしょうか?知恵が欲しいです。
今日のお話しとても参考になりましたありがとうございます明治の祖父と昭和一桁親から厳しいく教育を受けて育った私にとって「自分らしく生きるという」言葉は私にとって憧れで目標でした。とても良い言葉という印象で使っておりまた。しかし、言葉の影に孤独化を助長する社会を作り上げている資本主義のマジックの言葉であ事に気づきました。
「共同体」というものを、蔑ろにしてきたツケ(のようなもの)が噴出してきているような気がします。「自分らしく生きる」「自分探し」・・・少なくとも「その自分」を見つけた人を私は知りません。それから「夢」ですか。「人」+「夢」で「儚い」となるのも、そういうことなのですね。
そうですね、、、引っ越しても、挨拶しませんね、 だから、孤独死が、多いのですね..
いつも素晴らしい内容有難うございます。感謝です。
自分の思うように自由に過ごしてきたように感じています。やってみたいと行ってみたい外国などもいろいろな煩悩を成就させながら来られたけど、常に満足や幸福感には満たされることは少ないですね・・・瞬間的なものでしかありませんね。その刹那の瞬間だけ~!
菊谷先生、今回も大切なお話と有難い仏教カウンセリング説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
ほどほどの距離でしょうか
時代の移り変わりというのは必ずしも進歩とは限らなくて、どちらがいいというものでもない変化でしかないんだろうなと感じました。
お話ありがとうございます。これから不安になっていく社会のなかで、仏法の教えがもっと必要になればいいのになぁと思っています。
心の安定には、必要不可欠かもしれませんね^^(笑)私もです。
何事も、常に俯瞰しながら『バランス』を取って生きていく。『ええ塩梅』が大切だと感じる🤔
起きて半畳 寝て一畳 天下とっても食らう飯は二合半低所得でも そこそこの五欲を満たしてる怠け者でございます😅苦悩といえば 人を許せる人になりたいです😅
ギタリストですか?
今の自分を形成するのは今まで生きてきて触れてきた周りの人間の影響や、環境だと思っています。教わった価値観とか、トラウマとか、恐怖から逃げるためとか、好きな人に好かれるためとか、周りに影響受け振り回されるのが今の私。自分の好きなことをしてるつもりでも、今の環境から逃げたいとか、他の人より優れていたいとか、自分で選択してるつもりになっているだけ。その選択は心に立ったさざなみにうごされてるだけ。自分はどこにあるのやら。自由の中ではなく、ルールの中だと自分が出てくるのやも…まだまだ修行不足です。本当の自分をしれない段階のわたしにとって自分らしく生きるは絵に描いた餅。
視野が狭く苦しいときは、他所がやけに綺麗に見えてしまう。日本経済が落ち目を向かえ、社会全体に困窮が広がり、大多数が漠然とした救いを求めている。と同時に、このままでは誰かを切り捨てなければならないという、現実的な側面に気が付いているので、過剰な自己責任論を貧困層全体に流布し、互いに食い合うように仕向ける。みんな余裕をなくしているから、自由と無責任を同時に求めてるから、世の中わけがわからなくなる。
夢の押し付け!幼少の頃から苦しまされてきたものです><とりあえずこれでいいかと深く考えないで言っていたら何がしたいのかわからず虚しさが襲ってきたことを今でも覚えています...今でも自分がどうしたいのかわからずに生かされていますが...
最高のお話ありがとうございました❗️
今夜も有難う、、
ありがとうございます。
いつもありがとうございます。勉強させていただいています。先生ぜひ聖書もお読みいただけたら幸いです。
かつて日本は確かに中流階級の厚みが多かった時代には消費税もなかった、物価も安い、仕事もあった医療費も健康保険も一割負担で済んだ令和3年の今は全てが高い買い物袋までお金を取られる大企業、公務員等は恵まれているが一般国民は現在、未来に希望を持てない⁉やはり個人の努力では無理。結論として政治がこういう世の中を作ったのだと思う。だいたい20~30年も給料が据え置きのままで他の物価が上がれば実質賃下げ状態です
全く、政治が間違ってるから格差が生まれ貧困層が増え続け、人間関係は殺伐とするばかり、人間の心も貧困になりつつあります。お金社会では人間は腐りますね・・・・・・。選挙は必ず行きましょう~~!選挙区に選べる候補が居なくても落としたい候補の為にも行きましょう~~^^(笑)すみません
自分らしくとは自分を認めさせることと同じではありませんか?そんなに認めてはもらえませんよね。むしろどんな自身の行いにも、自分の欲求が入っていると自覚していくつもりです。
菊谷先生の。深い考に、絶賛する。
菊谷先生 ありがとうございます🙏
小さい頃から何になりたいの?夢はなあに?と言われました。苦し紛れに適当にカッコ良さそうな答えをしてましたが本心ではなかったですね。時を経て子供たちにもそう言ってきました。一人はその通りの職業に就きました。幸せを感じているなら良いのですが。一人は本当にしたい事ではなさそうですが時々楽しそうにやってます。今思い返せば私の希望はただ、こころ穏やかに過ごしたいということのように思います。三輪空を知ったことやこの世のことは借り物だと思えるようになったことで少し夢が叶っているかなと感謝しています。
今のような溢れるほどの正しい情報(学問知識)も無く、迷信のような時代だったからこそブッダは本質を感じることができたのかもしれません。佛教と同じ視点の実存哲学でも「目に見えるものだけが真実ではない」と言います。自信とは自分の本当の気持ちを信じる、ということです。では本当の気持ちとはなんでしょうね?
他人が自分らしく生きる事を快く思わん連中もいるからな。
解釈が正しいか自信がないですが、これはニーチェの言うところの「超人」だと思います。近年、実業家や投資家系のユーチューバーでニーチェを信奉する人がすごく多くなっているように感じます。
それでも尚、俺は自分らしく生きる道を選ぶ歴史から学ぶ事は多いのだろうでも生きてる「今」は今現在でしかない現在の価値観に抗うまでだ変化も目まぐるしく移る対応出来なければ自分が悪いそれが今の社会なんだから今も昔も綺麗事なんかで生きられる訳がないんだから
菊谷先生、今日も為になるお話をありがとうございます(^ ^)業がもたらす因果は、個人に留まらず国家、地球、宇宙にまで及ぶものです。個人が個人の為に個人の力で生きる世界的傾向も、何がしかの因と縁に基づくものと考えます。思うに、孤独は良くも悪くも人を育てます。自分を見つめ直す時間は、やはり孤独の中からしか生まれません。世界は、宇宙は、人類レベルで今度こそ、個を取るのか全体を取るのか、あるいはそのバランスを取るのか、考えるタイミングを与えてくださっているのではないでしょうか?
菊谷先生。素晴らしい仏教のお話をありがとうございました。🙏
自分らしさが認識できるためには社会経験が必要だと思います。人間は全くの自由の中では生きられない。チームであれ、職場であれ、公の場で目的をもち、時には自制せざるを得ない中で、連帯意識が生まれ、仲間ができます。そして仲間と自分の異質性を見出して自分を伸ばす。自分の長所は自分ではわからず、他人の目によって見出されることもあります。
おっしゃることはよく理解できます~~!他人の目大切ですねありがとうございます^^
宗教と政治は相関関係であるような気がします。自分らしく生きる、これはつまり個を大事にする民主主義国家であれば実現しやすいように思いますが、全てが自己責任となってしまうので、究極的には生きようが死のうが自由となってしまいます。共産主義国家であれば自分らしく生きる事は難しい場合が多いように思いますが、それでも共産主義が全て悪いのかと言えばそうではないように思います。最終的には自分が何に幸せを求めるのか、何に対して納得するか、という事なのではないかなと思いますね。ただ、国家は、国民がちゃんと暮らせるように環境を整えていく事だけはしないといけません。間違っても国家は国民の生活の糧を奪うような事をしてはいけない。諸行無常の世の中であっても、そこだけは間違っていけないと思います。
いつも有難いお話、ありがとうございます。宗門を潜って五年になりますが、阿弥陀様と一神教のキリスト教との比較で、一二使徒のトマスがインド界隈で布教しだしてから、大乗仏教が起こりました。関連性はあるのでしょうか?。
自分らしく生きるって、はたして こういう事なのかな〜???という感じで最後まで聞いてました。。どんなに底辺にいる人でも、どんな組織の中にいる人でも、はたまた どんな時代においても自分らしく生きた人は その人らしさが にじみ出てたと思うんですよー。でもそれ自体は別に悪くない事だと思いますし、今回のテーマとして問題提起してる事って何だか表現が違うような気がしたんです。んー、つまり自分らしくっていうのは、好きに自由に生きるのとは違うんじゃないかな〜と思ったって事です。
同感です。
まあ、悟りの境地じゃないけど、幸福も不幸も、抱きしめて、空気の流れに乗って水のような生き方が、わたくしは素晴らしいかなと、、生きる事に執着するのは、死ぬ事も同時に執着している。わたくしの実感論。あらゆる衆生(人間も含めた全ての生命)において、何かしらの役割がある。それは良い人も悪い人も、その相対的な衝突ないし交わりがないと、何もエネルギーは生まれない。また、その結果的に産まれたエネルギーについて良かった、悪かったと省みる謙虚な気持ちはないといけない。今の現代人はどちらかというと当たり前が慢心になっている人が多い気がします。わたくしも含めて🙏合理的、効率的、秩序的って人間の妥協の裏返しかもしれない。妥協があるから、争いなく丸く治めようとするのは人間界のサガかもしれない。しかしながら、自然界においては、完全なサバイバルで、これが足枷になっていたりする。人間は、人工的なバーチャリズムと自然的なリアリズムの両方を持ち合わせていて、常にこの葛藤と矛盾を拵えて、日々精進している。
なかなか 答えに 行きつかないですねぇ~・・???
あんたぼっちを肯定してたやんw
とても大切なお話をありがとうございました。
昭和時代は日本の未来も明るかったため、子供の頃から「夢」を持ちやすかったと思います。
令和時代の日本は現在も未来も不安で満ち溢れており、子供たちも「夢」を持ちづらくなっているのではないでしょうか。
子供たちの為にも、そして「自分自身」の為にも大人たちがよりよい社会を作るために自分で出来ることを「自分らしく」活動していくことで
「自分らしく生きた証」になるのではないかと思いました。
仏法は聴聞に極まる🙏ありがとうございます!
お布施拝受しました。ありがとうございました。
私は父の生き方に、多大なる影響をうけました。
父は学歴は中卒で田舎の出身でしたが、それを恥じる事も無く堂々と生きていました。山仕事 畑仕事 稲作 なんでも出来る人でした。
欲深さも無く、毎日を淡々と生きていました。
夏になれば趣味のアユ釣りに、目を輝かせていそしんでいました。
多くを望まず 質素に 謙虚に 出しゃばる事も無く 男らしく生きた人でした。
そんな父を誇りに思っています。
周りに流されず、ある意味「自分らしく生きた」人だと思います。
私も父のような カッコいい男でありたいと 願っています。
素晴らしいお父様ですね!
@@ramuchamaru3873様 感想をお送り下さり ありがとうございます。
父の息子として生を受けた ご縁に感謝しております。
置かれたところで満足し、精一杯生きぬくということは素晴らしい。自然の恵みを楽しみ、欲を持たず、人と比較することもなく、心穏やかにそして逞しく生きる。そんなお父様の生き方を誇りに思われたあなた様も素晴らしい。
@@チャッピー-i7g様 亡き父の生き方に共感をして下さり、誠にありがとうございます。
父も喜んでいると思います。
自分の妻のお父さん95歳も、山の古い家の人ですが
そういう人です、お父さんは小学生の時6人兄弟の長男だったため、
山仕事で忙しい母親の手助けで、乳離れしていない下の妹をおんぶしてよく学校へ通ったと言います、休憩時間にはオムツも替えたそうです、また授業中にお乳を欲しがって妹が泣き出すと、先生に、お乳を飲ませに帰ってあげなさいと言われて、山の畑で仕事している母親の所まで行き、母親が木陰に座り野良着の胸をはだけて、しばしお乳をのませた後、
またおぶって山を降って学校へ戻ったという話を聞かされました、
今でもいつも早起きして作業服と地下足袋で
出来る作業をしています、誰にも親切で、近所の人がいつも縁側に来て話しています、たまに妻と訪れても帰りには必ず自分に
有難う、と言ってお母さんと二人が手を振って見えなくなるまで見送ってくれます
律儀で純朴で働き者で親切で賢くて、おごり高ぶらない、そんな義父母が大好きです
仏教からの警告 「自分らしく生きる」人生観の落とし穴の動画感想
菊谷先生の声を聞くと心が落ち着きます。確かに、自分らしく生きると家族や会社といった共同体のしがらみから抜け出して孤独になると思います。自分も職場から定時になったらすぐ帰ることをしているので、職場の人間関係を重視していなくて孤独になっていることがあります。自分らしく生きると格差が出来ることもありますね。
人間の願いは5欲なんですね、食欲、睡眠欲、色欲、名誉欲、財欲の5つということですね。5欲を満たしても果たしてもこれで良いのかと思うことを有無同然というんですね。
自分らしく生きるよりも仏教の絶対の幸福のような絶対に変わらない幸せを求めるべきなのかなと思いました。今日も動画ありがとうございました✨
大学生です。
春休みに入り、なにも予定が無い日々が続く中で、根拠の無い虚しさや不安を感じ始め、堪らなくなった末に行き着いたのがこちらのチャンネルでした。
この動画の他にも、別の動画も幾つか拝見させて頂きまして、素人目ながら、仏教に基づく心の拠り所を得られたと感じております。
『自分らしく生きる』ことが必ずしも救いとなるわけではないのと同様、善事悪事問わず諸行無常であるこの世の中を、小さな善の種を撒きながら一歩ずつ前進していこう。という考えに至ることができました。
気になる動画を数本拝見した程度ですから、詳しい仏教の解釈とは違った考え方であるかもしれません。ですが、少なくともこちらのチャンネルの動画によって、今の私にとっての、宗となる教えを得ることができました。大変感謝しております。ありがとうございます。
私は今70歳代です。やっと今自分らしく生きています。今は何もせず何の経験もなくただ自分らしくなんて
おかしいと思わない若い人、中年層にみうけします。私はこの生活が出来ているは、たくさんの人に助けられて
今日があると思っています。一人では何も出来ません。涙もありました。欲など何もありません。同じ速度で
毎日笑って行けばいいと思っています。ありがとうございました。
今まさに私が社会に感じている違和感そのものでした。映画やドラマの主人公のような素敵な人生送れるのは高IQ、高偏差値、才能に恵まれた一部の優秀な人だけ。自由な市民社会の限界。せっかく自由を手にしたのに、自由であることで競争させられ、歴然たるIQ格差を突き付けられる残酷さ。どう生きて行けばいいんでしょうか?知恵が欲しいです。
今日のお話しとても参考になりました
ありがとうございます
明治の祖父と昭和一桁親から厳しいく教育を受けて育った私にとって「自分らしく生きるという」言葉は私にとって憧れで目標でした。とても良い言葉という印象で使っておりまた。しかし、言葉の影に孤独化を助長する社会を作り上げている資本主義のマジックの言葉であ事に気づきました。
「共同体」というものを、蔑ろにしてきたツケ(のようなもの)が噴出してきているような気がします。「自分らしく生きる」「自分探し」・・・少なくとも「その自分」を見つけた人を私は知りません。それから「夢」ですか。「人」+「夢」で「儚い」となるのも、そういうことなのですね。
そうですね、、、
引っ越しても、挨拶しませんね、
だから、孤独死が、多いのですね..
いつも素晴らしい内容有難うございます。感謝です。
自分の思うように自由に過ごしてきたように感じています。やってみたいと行ってみたい外国などもいろいろな煩悩を成就させながら来られたけど、常に満足や幸福感には満たされることは少ないですね・・・瞬間的なものでしかありませんね。その刹那の瞬間だけ~!
菊谷先生、今回も大切なお話と有難い仏教カウンセリング説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
ほどほどの距離でしょうか
時代の移り変わりというのは必ずしも進歩とは限らなくて、どちらがいいというものでもない変化でしかないんだろうなと感じました。
お話ありがとうございます。これから不安になっていく社会のなかで、仏法の教えがもっと必要になればいいのになぁと思っています。
心の安定には、必要不可欠かもしれませんね^^(笑)私もです。
何事も、常に俯瞰しながら『バランス』を取って生きていく。
『ええ塩梅』が大切だと感じる🤔
起きて半畳 寝て一畳 天下とっても食らう飯は二合半
低所得でも そこそこの五欲を満たしてる怠け者でございます😅
苦悩といえば 人を許せる人になりたいです😅
ギタリストですか?
今の自分を形成するのは今まで生きてきて触れてきた周りの人間の影響や、環境だと思っています。
教わった価値観とか、トラウマとか、恐怖から逃げるためとか、好きな人に好かれるためとか、周りに影響受け振り回されるのが今の私。
自分の好きなことをしてるつもりでも、今の環境から逃げたいとか、他の人より優れていたいとか、自分で選択してるつもりになっているだけ。その選択は心に立ったさざなみにうごされてるだけ。
自分はどこにあるのやら。自由の中ではなく、ルールの中だと自分が出てくるのやも…
まだまだ修行不足です。
本当の自分をしれない段階のわたしにとって自分らしく生きるは絵に描いた餅。
視野が狭く苦しいときは、他所がやけに綺麗に見えてしまう。日本経済が落ち目を向かえ、社会全体に困窮が広がり、大多数が漠然とした救いを求めている。と同時に、このままでは誰かを切り捨てなければならないという、現実的な側面に気が付いているので、過剰な自己責任論を貧困層全体に流布し、互いに食い合うように仕向ける。みんな余裕をなくしているから、自由と無責任を同時に求めてるから、世の中わけがわからなくなる。
夢の押し付け!幼少の頃から苦しまされてきたものです><
とりあえずこれでいいかと深く考えないで言っていたら何がしたいのかわからず虚しさが襲ってきたことを今でも覚えています...
今でも自分がどうしたいのかわからずに生かされていますが...
最高のお話ありがとうございました❗️
今夜も有難う、、
ありがとうございます。
いつもありがとうございます。勉強させていただいています。先生ぜひ聖書もお読みいただけたら幸いです。
かつて日本は確かに中流階級の厚みが多かった時代には消費税もなかった、物価も安い、仕事もあった医療費も健康保険も一割負担で済んだ令和3年の今は全てが高い
買い物袋までお金を取られる大企業、公務員等は恵まれているが一般国民は現在、未来に希望を持てない⁉やはり個人の努力では無理。結論として政治がこういう世の中を
作ったのだと思う。だいたい20~30年も給料が据え置きのままで他の物価が上がれば実質賃下げ状態です
全く、政治が間違ってるから格差が生まれ貧困層が増え続け、人間関係は殺伐とするばかり、人間の心も貧困になりつつあります。お金社会では人間は腐りますね・・・・・・。選挙は必ず行きましょう~~!選挙区に選べる候補が居なくても落としたい候補の為にも行きましょう~~^^(笑)すみません
自分らしくとは自分を認めさせることと同じではありませんか?そんなに認めてはもらえませんよね。むしろどんな自身の行いにも、自分の欲求が入っていると自覚していくつもりです。
菊谷先生の。深い考に、絶賛する。
菊谷先生 ありがとうございます🙏
小さい頃から何になりたいの?夢はなあに?と言われました。苦し紛れに適当にカッコ良さそうな答えをしてましたが本心ではなかったですね。時を経て子供たちにもそう言ってきました。一人はその通りの職業に就きました。幸せを感じているなら良いのですが。一人は本当にしたい事ではなさそうですが時々楽しそうにやってます。今思い返せば私の希望はただ、こころ穏やかに過ごしたいということのように思います。三輪空を知ったことやこの世のことは借り物だと思えるようになったことで少し夢が叶っているかなと感謝しています。
今のような溢れるほどの正しい情報(学問知識)も無く、迷信のような時代だったからこそブッダは本質を感じることができたのかもしれません。
佛教と同じ視点の実存哲学でも「目に見えるものだけが真実ではない」と言います。
自信とは自分の本当の気持ちを信じる、ということです。
では本当の気持ちとはなんでしょうね?
他人が自分らしく生きる事を快く思わん連中もいるからな。
解釈が正しいか自信がないですが、これはニーチェの言うところの「超人」だと思います。
近年、実業家や投資家系のユーチューバーでニーチェを信奉する人がすごく多くなっているように感じます。
それでも尚、俺は自分らしく生きる道を選ぶ
歴史から学ぶ事は多いのだろう
でも生きてる「今」は今現在でしかない
現在の価値観に抗うまでだ
変化も目まぐるしく移る
対応出来なければ自分が悪い
それが今の社会なんだから
今も昔も綺麗事なんかで生きられる訳がないんだから
菊谷先生、今日も為になるお話をありがとうございます(^ ^)
業がもたらす因果は、個人に留まらず国家、地球、宇宙にまで及ぶものです。
個人が個人の為に個人の力で生きる世界的傾向も、何がしかの因と縁に基づくものと考えます。
思うに、孤独は良くも悪くも人を育てます。
自分を見つめ直す時間は、やはり孤独の中からしか生まれません。
世界は、宇宙は、人類レベルで今度こそ、個を取るのか全体を取るのか、あるいはそのバランスを取るのか、考えるタイミングを与えてくださっているのではないでしょうか?
菊谷先生。素晴らしい仏教のお話をありがとうございました。🙏
自分らしさが認識できるためには社会経験が必要だと思います。人間は全くの自由の中では生きられない。チームであれ、職場であれ、公の場で目的をもち、時には自制せざるを得ない中で、連帯意識が生まれ、仲間ができます。そして仲間と自分の異質性を見出して自分を伸ばす。自分の長所は自分ではわからず、他人の目によって見出されることもあります。
おっしゃることはよく理解できます~~!他人の目大切ですねありがとうございます^^
宗教と政治は相関関係であるような気がします。
自分らしく生きる、これはつまり個を大事にする民主主義国家であれば実現しやすいように思いますが、全てが自己責任となってしまうので、究極的には生きようが死のうが自由となってしまいます。
共産主義国家であれば自分らしく生きる事は難しい場合が多いように思いますが、それでも共産主義が全て悪いのかと言えばそうではないように思います。
最終的には自分が何に幸せを求めるのか、何に対して納得するか、という事なのではないかなと思いますね。
ただ、国家は、国民がちゃんと暮らせるように環境を整えていく事だけはしないといけません。間違っても国家は国民の生活の糧を奪うような事をしてはいけない。
諸行無常の世の中であっても、そこだけは間違っていけないと思います。
いつも有難いお話、ありがとうございます。宗門を潜って五年になりますが、阿弥陀様と一神教のキリスト教との比較で、一二使徒のトマスがインド界隈で布教しだしてから、大乗仏教が起こりました。関連性はあるのでしょうか?。
自分らしく生きるって、はたして こういう事なのかな〜???という感じで最後まで聞いてました。
。どんなに底辺にいる人でも、どんな組織の中にいる人でも、はたまた どんな時代においても自分らしく生きた人は その人らしさが にじみ出てたと思うんですよー。でもそれ自体は別に悪くない事だと思いますし、今回のテーマとして問題提起してる事って何だか表現が違うような気がしたんです。んー、つまり自分らしくっていうのは、好きに自由に生きるのとは違うんじゃないかな〜と思ったって事です。
同感です。
まあ、悟りの境地じゃないけど、幸福も不幸も、抱きしめて、空気の流れに乗って水のような生き方が、わたくしは素晴らしいかなと、、
生きる事に執着するのは、死ぬ事も同時に執着している。わたくしの実感論。
あらゆる衆生(人間も含めた全ての生命)において、何かしらの役割がある。それは良い人も悪い人も、その相対的な衝突ないし交わりがないと、何もエネルギーは生まれない。また、その結果的に産まれたエネルギーについて良かった、悪かったと省みる謙虚な気持ちはないといけない。今の現代人はどちらかというと当たり前が慢心になっている人が多い気がします。わたくしも含めて🙏
合理的、効率的、秩序的って人間の妥協の裏返しかもしれない。妥協があるから、争いなく丸く治めようとするのは人間界のサガかもしれない。
しかしながら、自然界においては、完全なサバイバルで、これが足枷になっていたりする。
人間は、人工的なバーチャリズムと自然的なリアリズムの両方を持ち合わせていて、常にこの葛藤と矛盾を拵えて、日々精進している。
なかなか 答えに 行きつかないですねぇ~・・???
あんたぼっちを肯定してたやんw