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人間の命なんで本当にはかないものですね。考えさせられます。いつも先生のお話わかりやすくて楽しみに聞かせてもらっています。ありがとうございます😊
死んだら少なくとも現世より死んだ両親に会えるかもあの世でも階層があるとか聞いたので、頑張って現世で悪い事をしないようにしたいです。会えるかな~
今日も楽しく聞き入りました😃まず、ポチでプッっと笑い、体はここで自分はあそこ、で又笑いました😃楽しく聞いてると忘れません❣️子供時代飼ってた犬がポチでした今はポチって名前、聞きませんよね😃 楽しく、真面目に毎回拝聴してます。ありがとうございます😃もう子供達も一丁前になったし孫も6人になりもうそろそろ終わってもいいか、と思ってますがその日がいつなのかわからないのが困ります、万人が行く道、父母も行った道、不安でも寂しくても行くしかないです、ただ意識のある間は菊谷先生の楽しい勉強を続けたいです😃こんな事を言えるのはまだまだ虎が檻の中だからでしょうか願わくば虎が目前に来た時にも同じ心持ちで、と願います死ぬる時は死ぬがよろしいっていい言葉ですよね、😃
いつも分かりやすい説明有り難う御座います私も仏教を勉強中です私は76歳の冷凍技術者ですが仏教の奥深さ感じます。
死んだら二度と目覚めない睡眠と思うようにしています。毎日寝る時、睡眠中自分はどこに行くのか心配しながら寝る人はいない。今は、目覚めるか目覚めないかの違いと思えば少しは怖くなくなる。
同感です。
菊谷先生、今回も大切なお話と有難い説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
菊谷先生 ありがとうございます🙏
死んだら、父母の所へ行きたいです。親不孝者の私が天国で親孝行をしたいです。若い時は自分の事で精一杯でした。でも今私の子ども達は優しい子たちです。子ども達を見て、反対に自分の親不孝がわかりました。肉体が朽ちた後、地上の人間はその人の事を思うんですね。もう一度両親に会えたらなぁと思います。時々菊谷さんの動画を見させていただき、心を落ち着かせています。有難う御座います。
父母に遭うては父母を斬れ。せっかく両親と死に別れたのに、まだ親離れが出来ないんだね。
菊谷さんは素晴らしい方、素晴らしい教えです。 感銘を受けている。 親鸞、お釈迦様 流石に 素晴らしいですね。
ありがとうございました。感謝です😆🎵🎵
生死の一大事に向けて日々、後悔のないようにこの瞬間この瞬間を大切に生きていこうと思います。「自分が死んだ後」どうなるか?これは、菊谷さんの動画を見ていてもまだ分かっていないことです。「絶対の幸福」というのもどういうものなのか?生死の一大事に直面しても、直面しなくても自分が死んだ先に何があるのか?知ることができれば今、生きている今も幸福に満ち溢れていると思いました。これからも仏教を聴聞し続けます🗣👂
大事なことを、毎日判りやすく話して下さり、誠に有難う御座います。失礼致します。
を
脳と意識の事がわかるようになってきたようですね☺️事実と心の安寧はまた違いますね☺️子供の頃 お寺さんに行った時 地獄のジオラマがありました😵昔ばなしでも知っていましたが お寺で目にするとまた重みがありました😌悪意の嘘をつくと たいへんなことになると心底思ったので 今の自分があります🙏損ばかりしていますが 空を澄んだ心で見上げています🏞️
本当に...先生ありがとうございました。
人生も半ばを過ぎると漠然と自分の死のイメージを持とうとしますが、如何せん現実味がありません。死出の旅路の時、こころ穏やかでいられるには如何したらいいのかを、聴聞で勉強中です。これからも有意義な説法をお願いします
死んだ先の事は解らない。と理解すれば、何も問題ではない。私達には今この瞬間しかない。先の事は解らない。肉体と心はセットなので肉体が死ねば腐り始め心はその肉体にすみ続けする事は出来ないのは当然。死ねば極楽や天国に行けると思うのも良し、無くなると思うのも良し。どちらにしても今 生きている私達が考えている事。
菊谷先生、いつもありがとうございます。生死の一大事について、ご質問させてください。明日がないものとして生きる、ということは理解できました。それでは、仏教では生死の一大事をどのように解決しているのでしょうか?もしそこを解説されている動画がありましたら、ご教示いただけますと幸いです。
先生の言われたとおり、死んだどうなるかの不安はあります。私という精神の個って何になるんだろうと思いました。いまからでも生死の一大事を知って目的を持って死にたいなぁと感じました。
おはようございます。😊 死は自分に起きてくるかわかりませんね。 不慮の死 1日8人 亡くなられてること ハット驚き😱❕ました。今日これからのこと明日のこと、なんか 何が起きることなんか分かりませんね。😌 私は62才です。心疾患の持病があります。 52才 急性心筋梗塞で搬送され手当てが、早かったので命頂きました。😌 死に対しての意識を持つようになりました。 自分がこの世になくなってしまいます。仏教の教え 生死一大事のお言葉大切なことだと思いました。 私は 死をむかえるにあたって 息子 娘には生きている 生きざま証を残していきたいものです。 主人より私がさきに亡くなったときもいえることです。 亡くなった のち かあちゃんは こんな人だったと 一つでも お褒めの言葉となり 永遠に語り継いで欲しいと願っております。🙏👩👼🙏 今朝から、先生のお話しに出会えてありがとうございました。 🙋🙏
私の父は一部の預貯金(入院費+葬式代)は母に渡しその他の預貯金、生命保険は愛人の元へ、、、。死んでから発覚。母は金銭管理全く出来ない人。父が入院中に全てブランド物に変えてしまっていた。遺されたのは、ぼろ家二軒、、、。入院費、葬式代、固定資産税、挙句に国民健康保険も未納。大ピンチだったが私たち子供のお金かき集めなんとかした、、、。腹が立ったので子供全員で相続放棄したのが昨日の事の様だ😅こんな事にならない様に私も無駄遣いはやめよう。とても良いお話を伺えました。時が経って忘れてしまっていました思い出させていただきありがとうございました。大感謝。
有り難うございました。
毎回、拝聴させて頂いてます。相変わらず。素晴らしい説法です。大変機根の高いお話し、なかなか、難しいお話を分かりやすく説いてくださる。有り難い事です。これを見ている皆さん、菊谷さんは素晴らしい説法をされている。私が証明役になってもいい。正法です。
終活なんか寂しい響きです必ず死ぬのはわかっていますが未練が残ります長年過ごした家、愛用のご飯茶碗もう使えないだ。寂しさは隠せません嗚呼いつお迎えが来るのかな南無阿弥陀
私は父が亡くなった時、父は何処へ行くんだろうと思い、葬式の時初めて自分の家が浄土真宗だと分かり、すぐ本を買いにわか勉強をしました。そして、行く所が分かった時ほっとしました。それからです。私が浄土真宗(仏教)に興味を持ち勉強する様になり生きて行く指針となりました。
無明の闇を受け入れ、死の覚悟ができたら、就活を含めて、今いかに生きるか、が大切だと感じました。
そうですよね~^^同感です。
とても、とても深い考えさせられる内容のお話 有り難うございます🙏感謝致します。
ありがとうございます。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」「明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい。」いついかなる不慮の死をも常に覚悟する事が、より良い濃密な生に繫がる。私はクリスチャンですが、天国と地獄とは、死んだあと自身に対する周りの人の態度だと考えてます。お墓の文化も、死んだあとも自身のことを周りが忘れずに心に残してくれる、という確信のためにあります。つまり天国や墓の概念は、死んだ人のためにあるのではなく、生きてる人が死への不安(忘却)を和らげるためにある、と。いつ死んでも周りの皆に愛(関心)され続ける、という確信(生き天国)を保ちたい。
「生き天国」素敵な言葉に出合えました。有難うございます。鈴木毅
僕の周りでは「いつ死んでもいい」とうそぶく人が多いです。ぼくもつい最近までそうでした。
説得力のあるお話、先生有難うございました。🙏🙁『生死の一大事』 本当に恐いです。親鸞聖人のお教えで、後生一大事の問題を 早く解決を願いたいと思いました。🙏🙁
ありがとうございました。
私は晴れた夜には、星空を眺める習慣があります。そこで感じることは、人間とは星々の瞬く大宇宙の中では塵ほどの存在であること。やはり人間は死んだら、大宇宙に還るのでしょうね。自分の死について、私は何故かそれほどの不安を感じないのですが、それは死を未だ遠い出来事と思う心の為せる業でしょうか?
生死の一大事、何かやり残した事は?ないか?人生もその肉体の寿命の尽きる年代に入ると今までの自分の生き方を振り返り反省して残りの時間に出来るだけ形として完成させたい事はより一層努力しなければと焦る事になります。私は物心ついた時からの自分を省みて修正すべきは修正し、興味のある事に時間とお金を費やしてそれなりの満足を得てきました。あとはそう〜やれた事に満足し、できなかった事は結局そのままにしたまま旅立つのか?と思います。
とても興味深いお話でした。死後の「自分」はどうなってしまうのか?という不安は確かに生じてしまいます。でも、その前に「自分(という意識)」は一体何なのか?これを考えるのが、順序としては(不安に思うよりも)先だと思いました。菊谷先生、いつもありがとうございます。
Kikutanisensei。Gassho🙏FukaiSubarashiibukkyonohanashioArigatogozaimashita。Gassho🙏😃✌️✴️✨
死んだら どうなるのか。「 私 」というものは何なのか。「 私 」は何処から来たのか。こういったものを明らかにするのが死ぬまでの目的。。うーん、それは もちろん知りたいけれど やっぱり次元が違う気がします。菊谷さんの話は面白いから いくらでも聞けますけど、わからない事に延々と悩むのはイヤです。仏が皆を救ってくれるというのなら命が尽きるまで進むのみです。「 私 」は今ここにいます!!
ポチは誰が面倒を見てくれるだろうかと心配する!?(大爆笑)思わず笑ってしまいました。ポチも確かに心配になりますよね^^
ポチの心配が出来るうちはまだ大丈夫だと思うw
@@Baskerville2641 さん、コメントいただけまして、嬉しく思いました。またよろしくお願いします。(笑)
死んだ両親とはあの世でも会いたくないです。そっとしておいて欲しいです。
私は死後、献体するつもりですが献体をすると浄土に行けないと言われても献体したいです。いつ亡くなっても後悔はしませんが死後の世界があるなら天国と地獄を体験し好きな方に行きたいです。それほど天国に行きたい願望が無いです。もっと勉強すれば気持ちも変わるかもしれません。
いつもありがたく聞かせて頂いています☺️生死の一大事で始まり生死の一大事で終わるとありますがどうやって生死の一大事を解決したら良いのでしょうか…
菊谷先生のお話は大変有り難く拝見しております。私たちは、常に欲を満たす準備と欲を満たした後の排出ごとの処分に追われ生活を続けているように思います。それは、物的なものの存在から離れられないことなのでしょう。その物的ものから解放されて、精神的な自分であることが死と云うのだろうと考えます。その後は、人として生きて行った自分のことに対する報いに向かって進んで逝くのでしょうか?
終活してます。
ははおやは、われおうみて、はんとしでしんだ、よくぞいきのびたものだ、ふたごのかたわれも、かぜおひいてはんとしでしんだ、てんのめいで、いかされているのだろう?
死んだ後のこの世に残された~深い関係の人々に慈悲をですね^^ありがとう^^
岸本英雄、ですね。
死とは一種の節目である
キリスト教では死んだら天国ではなく煉獄だよ
人は必ず死ぬ。しかし死んだ人で戻ってきた人はいない。臨死体験はあってもなぁ。自分は死ぬ。今日ではない可能性が高いと思っている。釈迦が悟ったのはそのことかなあ。釈迦の時代だけでなく、鎌倉時代まではおそらく死者の弔いをする人は坊さんではなかったのかも知れんし、豊かな人は坊さんにやってもらっていたかも知れん。坊さんは知恵というものを使い人々は豊かにということをなぁ。死者を弔うようになったのは江戸時代ではないかと思う。戸籍を寺に任せてからだと思うがなぁ。だから、釈迦が悟り、その方法を伝えていたからこそ今になぁ。特に南アジアでは子供の時に修行する。ほとんどの男の子がなぁ。女の子もしたかも知れんがなあ。それこそが本質的に仏教ではないかと思ってなぁ。宗教になる前の仏教ということかなぁ。今とは違い死はどこにでもあった。病気の治療法が確立してないからなぁ。5歳までに半分が死ぬのが普通。私のおばあちゃん(明治元年生まれの人)は子供半作と言っていたなぁ。子供は叩いたらいけない。いつ死ぬかわからんから。江戸時代や明治時代には死をそこにあったが、医学の発達が死を遅くした。長生きするようになった。もっとも戦前・戦中には平均寿命は50歳に達することはなかった。戦後は急速に寿命が伸びて今100歳まで生きる人が多数いる。それが仏教を廃れさせたのかもしれんなあ。宗教は常に死を意識するからなあ。常にいつ死ぬかもしれんという思い。死んだ後どこにいくか。人は誰もわからんが、なんとかわかりたいと思うのが宗教ではないかと思う。
人の不安をことさらに煽って金を出させるのが保険屋でその万一の支払いの時には何やかんや逃れようとしますよね?
仏教は、極端に言えば自己中なのではないかと思いました。自分がどうなるかは些末な事で、家族や子孫が幸せに暮らす事が出来ればそれで良いのではないかと思っています。菊谷さんも最初に「仏教的に」とおっしゃっていましたが、日本人的に考えると本質的に仏教と異質なのではないかと思ってしまいました。
最後には、死を克服する。
為に成る、勉強に成る話しをありがとうごさいます。ちゃんと考えさせられ、気付けるのが嬉しく思い、痛感します。ですが、余談が多く共感出来ずらい事柄があり、残念ですが登録解除させて頂きます。本当に御世話に成りました。今後も、頑張って下さい。
ごもっともたけどさ平民はね忙しいんだよ疲労は考えることも奪うんだよもがいで苦しんで死んでくよ俺は
創価学会ではないでよね?聞かせていただきます。
親の葬儀 くらい 子供に出させろ バカ団塊世代
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
人間の命なんで本当にはかないものですね。考えさせられます。いつも先生のお話わかりやすくて楽しみに聞かせてもらっています。ありがとうございます😊
死んだら少なくとも現世より死んだ両親に会えるかも
あの世でも階層があるとか聞いたので、頑張って現世で悪い事をしないようにしたいです。会えるかな~
今日も楽しく聞き入りました😃
まず、ポチでプッっと笑い、体はここで自分はあそこ、で又笑いました😃
楽しく聞いてると忘れません❣️
子供時代飼ってた犬がポチでした
今はポチって名前、聞きませんよね😃 楽しく、真面目に毎回拝聴してます。ありがとうございます😃
もう子供達も一丁前になったし孫も6人になりもうそろそろ終わってもいいか、と思ってますがその日がいつなのかわからないのが困ります、万人が行く道、父母も行った道、
不安でも寂しくても行くしかないです、
ただ意識のある間は菊谷先生の楽しい勉強を続けたいです😃
こんな事を言えるのはまだまだ虎が檻の中だからでしょうか
願わくば虎が目前に来た時にも同じ心持ちで、と願います
死ぬる時は死ぬがよろしいっていい言葉ですよね、😃
いつも分かりやすい説明有り難う御座います私も仏教を勉強中です私は76歳の冷凍技術者ですが仏教の奥深さ感じます。
死んだら二度と目覚めない睡眠と思うようにしています。
毎日寝る時、睡眠中自分はどこに行くのか心配しながら寝る人はいない。
今は、目覚めるか目覚めないかの違いと思えば少しは怖くなくなる。
同感です。
菊谷先生、今回も大切なお話と有難い説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
菊谷先生 ありがとうございます🙏
死んだら、父母の所へ行きたいです。親不孝者の私が天国で親孝行をしたいです。若い時は自分の事で精一杯でした。でも今私の子ども達は優しい子たちです。子ども達を見て、反対に自分の親不孝がわかりました。肉体が朽ちた後、地上の人間はその人の事を思うんですね。もう一度両親に会えたらなぁと思います。時々菊谷さんの動画を見させていただき、心を落ち着かせています。有難う御座います。
父母に遭うては父母を斬れ。
せっかく両親と死に別れたのに、まだ親離れが出来ないんだね。
菊谷さんは素晴らしい方、素晴らしい教えです。 感銘を受けている。 親鸞、お釈迦様 流石に 素晴らしいですね。
ありがとうございました。感謝です😆🎵🎵
生死の一大事に向けて日々、後悔のないようにこの瞬間この瞬間を大切に生きていこうと思います。
「自分が死んだ後」どうなるか?
これは、菊谷さんの動画を見ていてもまだ分かっていないことです。
「絶対の幸福」というのもどういうものなのか?
生死の一大事に直面しても、直面しなくても自分が死んだ先に何があるのか?知ることができれば今、生きている今も幸福に満ち溢れていると思いました。
これからも仏教を聴聞し続けます🗣👂
大事なことを、
毎日判りやすく話して下さり、
誠に有難う御座います。
失礼致します。
を
脳と意識の事がわかるようになってきたようですね☺️
事実と心の安寧はまた違いますね☺️
子供の頃 お寺さんに行った時 地獄のジオラマがありました😵昔ばなしでも知っていましたが お寺で目にするとまた重みがありました😌
悪意の嘘をつくと たいへんなことになると心底思ったので 今の自分があります🙏
損ばかりしていますが 空を澄んだ心で見上げています🏞️
本当に...先生ありがとうございました。
人生も半ばを過ぎると漠然と自分の死のイメージを持とうとしますが、如何せん現実味がありません。死出の旅路の時、こころ穏やかでいられるには如何したらいいのかを、聴聞で勉強中です。これからも有意義な説法をお願いします
死んだ先の事は解らない。と理解すれば、何も問題ではない。私達には今この瞬間しかない。先の事は解らない。肉体と心はセットなので肉体が死ねば腐り始め心はその肉体にすみ続けする事は出来ないのは当然。死ねば極楽や天国に行けると思うのも良し、無くなると思うのも良し。どちらにしても今 生きている私達が考えている事。
菊谷先生、いつもありがとうございます。生死の一大事について、ご質問させてください。明日がないものとして生きる、ということは理解できました。それでは、仏教では生死の一大事をどのように解決しているのでしょうか?もしそこを解説されている動画がありましたら、ご教示いただけますと幸いです。
先生の言われたとおり、死んだどうなるかの不安はあります。私という精神の個って何になるんだろうと思いました。いまからでも生死の一大事を知って目的を持って死にたいなぁと感じました。
おはようございます。😊 死は自分に起きてくるかわかりませんね。 不慮の死 1日8人 亡くなられてること ハット驚き😱❕ました。今日これからのこと明日のこと、なんか 何が起きることなんか分かりませんね。😌 私は62才です。心疾患の持病があります。 52才 急性心筋梗塞で搬送され手当てが、早かったので命頂きました。😌 死に対しての意識を持つようになりました。 自分がこの世になくなってしまいます。仏教の教え 生死一大事のお言葉大切なことだと思いました。 私は 死をむかえるにあたって 息子 娘には生きている 生きざま証を残していきたいものです。 主人より私がさきに亡くなったときもいえることです。 亡くなった のち かあちゃんは こんな人だったと 一つでも お褒めの言葉となり 永遠に語り継いで欲しいと願っております。🙏👩👼🙏 今朝から、先生のお話しに出会えてありがとうございました。 🙋🙏
私の父は一部の預貯金(入院費+葬式代)は
母に渡しその他の預貯金、生命保険は愛人の元へ、、、。
死んでから発覚。母は金銭管理全く出来ない人。
父が入院中に全てブランド物に変えて
しまっていた。遺されたのは、
ぼろ家二軒、、、。
入院費、葬式代、固定資産税、挙句に
国民健康保険も未納。大ピンチだったが私たち
子供のお金かき集めなんとかした、、、。
腹が立ったので子供全員で相続放棄したのが
昨日の事の様だ😅
こんな事にならない様に私も無駄遣いはやめよう。
とても良いお話を伺えました。時が経って忘れてしまっていました
思い出させていただきありがとうございました。大感謝。
有り難うございました。
毎回、拝聴させて頂いてます。相変わらず。素晴らしい説法です。大変機根の高いお話し、なかなか、難しいお話を分かりやすく説いてくださる。有り難い事です。これを見ている皆さん、菊谷さんは素晴らしい説法をされている。私が証明役になってもいい。正法です。
終活なんか寂しい響きです必ず死ぬのはわかっていますが未練が残ります
長年過ごした家、愛用のご飯茶碗もう使えないだ。寂しさは隠せません
嗚呼いつお迎えが来るのかな南無阿弥陀
私は父が亡くなった時、父は何処へ行くんだろうと思い、葬式の時初めて自分の家が浄土真宗だと分かり、すぐ本を買いにわか勉強をしました。
そして、行く所が分かった時ほっとしました。
それからです。
私が浄土真宗(仏教)に興味を持ち勉強する様になり生きて行く指針となりました。
無明の闇を受け入れ、死の覚悟ができたら、就活を含めて、今いかに生きるか、が大切だと感じました。
そうですよね~^^同感です。
とても、とても深い考えさせられる内容のお話 有り難うございます🙏感謝致します。
ありがとうございます。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」
「明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい。」
いついかなる不慮の死をも常に覚悟する事が、より良い濃密な生に繫がる。
私はクリスチャンですが、天国と地獄とは、死んだあと自身に対する周りの人の態度だと考えてます。
お墓の文化も、死んだあとも自身のことを周りが忘れずに心に残してくれる、という確信のためにあります。
つまり天国や墓の概念は、死んだ人のためにあるのではなく、生きてる人が死への不安(忘却)を和らげるためにある、と。
いつ死んでも周りの皆に愛(関心)され続ける、という確信(生き天国)を保ちたい。
「生き天国」素敵な言葉に出合えました。
有難うございます。
鈴木毅
僕の周りでは「いつ死んでもいい」とうそぶく人が多いです。
ぼくもつい最近までそうでした。
説得力のあるお話、先生有難うございました。🙏🙁『生死の一大事』
本当に恐いです。親鸞聖人のお教えで、後生一大事の問題を
早く解決を願いたいと思いました。🙏🙁
ありがとうございました。
私は晴れた夜には、星空を眺める習慣があります。
そこで感じることは、人間とは星々の瞬く大宇宙の中では塵ほどの存在であること。
やはり人間は死んだら、大宇宙に還るのでしょうね。
自分の死について、私は何故かそれほどの不安を感じないのですが、それは死を未だ遠い出来事と思う心の為せる業でしょうか?
生死の一大事、何かやり残した事は?ないか?人生もその肉体の寿命の尽きる年代に入ると今までの自分の生き方を振り返り反省して残りの時間に出来るだけ形として完成させたい事はより一層努力しなければと焦る事になります。私は物心ついた時からの自分を省みて修正すべきは修正し、興味のある事に時間とお金を費やしてそれなりの満足を得てきました。あとはそう〜やれた事に満足し、できなかった事は結局そのまま
にしたまま旅立つのか?と思います。
とても興味深いお話でした。
死後の「自分」はどうなってしまうのか?という不安は確かに生じてしまいます。
でも、その前に「自分(という意識)」は一体何なのか?
これを考えるのが、順序としては(不安に思うよりも)先だと思いました。
菊谷先生、いつもありがとうございます。
Kikutanisensei。Gassho🙏FukaiSubarashiibukkyonohanashioArigatogozaimashita。Gassho🙏😃✌️✴️✨
死んだら どうなるのか。
「 私 」というものは何なのか。
「 私 」は何処から来たのか。
こういったものを明らかにするのが死ぬまでの目的。。うーん、それは もちろん知りたいけれど やっぱり次元が違う気がします。菊谷さんの話は面白いから いくらでも聞けますけど、わからない事に延々と悩むのはイヤです。仏が皆を救ってくれるというのなら命が尽きるまで進むのみです。「 私 」は今ここにいます!!
ポチは誰が面倒を見てくれるだろうかと心配する!?(大爆笑)思わず笑ってしまいました。ポチも確かに心配になりますよね^^
ポチの心配が出来るうちはまだ大丈夫だと思うw
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死んだ両親とはあの世でも会いたくないです。
そっとしておいて欲しいです。
私は死後、献体するつもりですが献体をすると浄土に行けないと言われても献体したいです。
いつ亡くなっても後悔はしませんが死後の世界があるなら天国と地獄を体験し好きな方に行きたいです。
それほど天国に行きたい願望が無いです。もっと勉強すれば気持ちも変わるかもしれません。
いつもありがたく聞かせて頂いています☺️
生死の一大事で始まり
生死の一大事で終わるとありますが
どうやって生死の一大事を解決したら良いのでしょうか…
菊谷先生のお話は大変有り難く拝見しております。
私たちは、常に欲を満たす準備と
欲を満たした後の排出ごとの処分に追われ生活を続けているように思います。
それは、物的なものの存在から離れられないことなのでしょう。
その物的ものから解放されて、
精神的な自分であることが死と云うのだろうと考えます。
その後は、人として生きて行った
自分のことに対する報いに向かって
進んで逝くのでしょうか?
終活してます。
ははおやは、われおうみて、はんとしでしんだ、よくぞいきのびたものだ、ふたごのかたわれも、かぜおひいてはんとしでしんだ、てんのめいで、いかされているのだろう?
死んだ後のこの世に残された~深い関係の人々に慈悲をですね^^ありがとう^^
岸本英雄、ですね。
死とは一種の節目である
キリスト教では死んだら天国ではなく煉獄だよ
人は必ず死ぬ。しかし死んだ人で戻ってきた人はいない。
臨死体験はあってもなぁ。自分は死ぬ。今日ではない可能性が高いと思っている。
釈迦が悟ったのはそのことかなあ。釈迦の時代だけでなく、鎌倉時代まではおそらく死者の弔いをする人は坊さんではなかったのかも知れんし、豊かな人は坊さんにやってもらっていたかも知れん。
坊さんは知恵というものを使い人々は豊かにということをなぁ。
死者を弔うようになったのは江戸時代ではないかと思う。戸籍を寺に任せてからだと思うがなぁ。
だから、釈迦が悟り、その方法を伝えていたからこそ今になぁ。特に南アジアでは子供の時に修行する。ほとんどの男の子がなぁ。女の子もしたかも知れんがなあ。
それこそが本質的に仏教ではないかと思ってなぁ。宗教になる前の仏教ということかなぁ。
今とは違い死はどこにでもあった。病気の治療法が確立してないからなぁ。5歳までに半分が死ぬのが普通。私のおばあちゃん(明治元年生まれの人)は子供半作と言っていたなぁ。子供は叩いたらいけない。いつ死ぬかわからんから。江戸時代や明治時代には死をそこにあったが、医学の発達が死を遅くした。長生きするようになった。もっとも戦前・戦中には平均寿命は50歳に達することはなかった。
戦後は急速に寿命が伸びて今100歳まで生きる人が多数いる。それが仏教を廃れさせたのかもしれんなあ。宗教は常に死を意識するからなあ。常にいつ死ぬかもしれんという思い。
死んだ後どこにいくか。人は誰もわからんが、なんとかわかりたいと思うのが宗教ではないかと思う。
人の不安をことさらに煽って金を出させるのが保険屋でその万一の支払いの時には何やかんや逃れようとしますよね?
仏教は、極端に言えば自己中なのではないかと思いました。自分がどうなるかは些末な事で、家族や子孫が幸せに暮らす事が出来ればそれで良いのではないかと思っています。菊谷さんも最初に「仏教的に」とおっしゃっていましたが、日本人的に考えると本質的に仏教と異質なのではないかと思ってしまいました。
最後には、死を克服する。
為に成る、勉強に成る話しをありがとうごさいます。
ちゃんと考えさせられ、気付けるのが嬉しく思い、痛感します。
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本当に御世話に成りました。
今後も、頑張って下さい。
ごもっともたけどさ
平民はね忙しいんだよ
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創価学会ではないでよね?
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親の葬儀 くらい 子供に出させろ バカ団塊世代
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
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