零戦52型エンジン始動見学会 元零戦パイロット 原田要インタビュー
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- 元零戦のパイロットの原田要さん(97)が招待者として来て頂いた回にたまたま当たったのでインタビューをお聞きください。インタビューとエンジン始動でちょっと長いです。
所沢航空発祥記念館からのお知らせ
地元所沢市と多くの零戦ファンからの展示延長の強いご要望を受け、零戦を所有する米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(POF)と零戦展示延長に関する交渉を続けてまいりましたが、この度、本年8月末まで延長することで合意に達しました。
詳しくはこちら
tam-web.jsf.or....
皆さん、この機会を逃すともう見れないかもしれませんので、ぜひ見学に行ってみてください。
写真はこちらに掲載しています。
radiwan.jugem.j...
皆さんのコメントで知りました。
心より御冥福をお祈り致します。
これからも、この動画で戦争の悲惨さや零戦で戦った日本人を皆様に観て知ってもらえればと思います。
尚、見ていて不快に感じるコメントは削除します!
もふもふ屋ひーわん様
貴重な映像を誠にありがとうございます。
これを平和特集に20秒ぐらいを使用させて頂ければ幸いですが、それは可能でしょうか。
@@torchingli
世界が平和になるなら自分はかまいません。
今も戦争や侵略や牽制でミサイル飛ばしてきたりと物騒な世の中です。
昔に比べ世界はこんなにもいろいろな
国に行けたり来たり、
交流が出来る世の中なのにどうして
戦争は無くならないのでしょう。
とても悲しいことです。
三脚を使わずに持って撮影したので手ブレひどかったらすいません。
確認ですが、取材の日付けは:2013年@月
場所:埼玉
でよろしいでしょうか
@@torchingli
flyteam.jp/event/detail/909
日程などはこちらにも載っています。
radiwan.jugem.jp/?month=201303
その時のブログには
2013年03月29日金曜日の写真が有りました。
1日4回始動イベントの中の奇跡的に原田さんの回だったのは幸運ですね。
映像提供クレジットはどう致しますか
きっとあの敬礼は70年ぶりに再会した零戦と零戦を通して戦友達へ向けたものなのだろうと思う。
原田要さん、2016年(平成28年)5月3日に99歳で逝去されたとのこと。心より哀悼の意を表します。
原田さんは戦後はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苛まれ、自分が撃墜した敵パイロットの苦痛に歪む顔が今でも忘れられないと、別の動画で仰っておられました。
戦後は幼稚園の経営にあたられ、園児たちを笑顔で見つめる柔和な様子も拝見しました。
原田さんのご遺志である、平和の希求を僕もしっかと受け継いで参りたいと存じます。
人間の 生命は 100年も
心も 身体も 頭脳明晰で
送れる❗❗驚愕しました
そして 十代で 空に 消えた 若者達 犠牲者の方々の 失った未来を 重く
感じ
時間を 大切に します
先人の方々 有難う御座いました
年をとられたとはいえ、ゼロ戦に向かって敬礼された原田さんの姿は鳥肌が立ちました。
零戦に向かっての敬礼と最敬礼に胸打たれました。
戦争時に支給される戦闘機は天皇陛下から頂いた大切な物と言われていましたが
今回の動画を見て、そのことを再確認することが出来てすごく嬉しく思います。
原田先生によるガチ本物の海軍士官の敬礼ですね
敬礼とお辞儀だけで、伝わってくる。
これが日本男子の姿なんですね。
ありがとうございました。
エンジンがかかり零戦が息を吹き返した瞬間、涙が止まらなくなりました。
日本を守ってくれた英霊に最敬礼!
零戦のエンジン音は、アメリカやイギリスの人達を何万人も殺害した、人殺しのエンジン音と思っています😢
零戦に対する敬礼とお辞儀が物凄くきれいで感動しました。あんな礼儀作法ができる人、今どれだけいるでしょうか。
亡くなられる前年に、長野で開催された講演会でお会いしました。
生きているうちにお話を聞いておいてホントによかったと思っています。
すごく感動した。
しかも97歳でここまで喋れるのは本当に凄い。
昔の日本軍は、本当に強かったと、祖父が今も言っております。
祖父は陸軍高射砲部隊に所属して、B-29を砲撃していたそうです。しかし、終戦の半年以上前には日本は負けると思っていたそうです。現在90歳になり未だ元気です!未だに『アメ公』と言って負けた事を悔しく思っているみたいです。青春時代に、戦ってくれた先祖に感謝感激です。
きっと原田さんにとって青春の音であり、悲しい音なんでしょうね。
原田要さん。別の動画では、敵機を20機撃墜したと言ってました。零戦の始動エンジン音は、原田要さんにとって青春の音でもありながらまた、敵機を撃墜して相手パイロットを殺害した、悲しみと苦しみと殺意の音でもあると思います。人が人を殺せないなら戦争や殺人事件はない。が、実際本当に人が人を殺せるから、死刑執行や殺人事件や戦争がある。私達人間はなぜ人間を殺すのか、私は常日頃から疑問に感じています?
話す前に零戦に向かって敬礼と礼で涙目出てきてしまった…
存命されてた最後のパイロットだったかな・・いい話を聞いた。99歳で亡くなりニュースで知った。ご冥福を心よりお祈りします。
原田さんが零戦に敬礼と頭を下げた時の心中は計り知れない・・・
感動・・・
原田さんの言葉にならない言葉のような敬礼に胸を打たれました。
どう表現していいか分からない複雑な、もどかしい気持ちを原田さんの言動の中に見た気がします。お話を聞くうちに、胸が苦しくなり自然と涙が溢れました。
戦争を知らない私たちは、この様な素晴らしい方々の姿を見習わなければならないと痛切に感じました。かくしゃくとしたその姿は同じ日本人として誇らしいほどです。
自分が見た中で一番重みのある、敬礼だった。
それな。
俗にいふ 色気のある重厚な敬礼ですネ
原田さん、今頃天国で戦友の方々と再会されているでしょうね。
原田さんの平和を願う気持ちをしっからと私たちが受け継いで行きたいと思います。
日の丸に対し敬礼した姿に鳥肌が立った。
97歳、戦争経験者の言葉の重み 御立派だなあ 往年のゼロ戦パイロットの後ろにアメリカ人が口に指突っ込んでのんびり並び、あの日のままにプロペラが回る 時代の流れを感じます。有難うございました。
戦前の方々は立派な人ばかりだ!
脱帽です。
原田さんと起動する零戦、なんだか心打たれる映像ですね。
原田さんの零戦を見つめる姿が、少年のようで、いい映像ですね。
歩く姿は年相応のお爺ちゃん、だが敬礼した瞬間は鳥肌が立った。言葉では上手くあらわせないが感動した。
ご冥福をお祈りします。
もう見ることができない原田さんのお話が凄く貴重です。戦争の悲しさをずっと持ち生きている限り次世代に受け継がなければならないと思っていたでしょうね。ゼロ戦の空対空性能を突出させるために当時の技術者の方が苦労した機体。よくぞ今まで保管して、動かせるようにしてくれました。感謝!
いやあ、原田さんの話と敬礼に心を打たれました。
零戦が今なお愛される秘訣はその形の美しさ、性能、そして、パイロットの資質、精神だと思います。
いい映像でした。
原田さんには長生きしてもらいたいと切に願います。
Kouhaku Tuukawa
米軍機と比べて スマートで美しいですよね
良い事を言ってるんだろうがその赤さんのせいでなんか頭に入らん
日本人として生まれてきて良かったと思えるのは、原田さんのような人々がいるからだ
しかも若いw 97歳でこの身体能力はすごい!気合、気骨、精神力と知力の高さ、および感謝する気持ちが長生きの秘訣なんだろう。
原田さん
零戦への最敬礼が印象的です。
語り部としていつまでもお元気でいてほしいです。
敬礼の姿に本当の男らしさ誇らしさを感じました 涙が出ました
はっきり言って原田さんは国葬レベルの偉人だと思う。
それはこうやって表立って出て来てる人がたまたま原田さんだっただけで、同じような経験をしている人は大勢居ると思う。そんな中で原田さんだけを特別に国葬するというのは少し道理が違うと思いますがね。
多分本人も嫌がるでしょう。
どうか原田さん、いつまでもお元気でいて下さい。このPCのキーボードを打ちながらも
涙がにじんできます。有難うございました。
UP有難うございました。
97歳にして背筋がスッと伸びた姿勢と振る舞いには感動しました。零戦が息をした瞬間涙が溢れてきました。
偉大なパイロットに敬礼しましょう 日本のためにお疲れ様でした
講和される前に零戦に敬礼し御辞儀したところがすごく感動してカッコよかった
このエンジンの轟音を響かせる傍らに、出撃に行く心情...当時は複雑な気持ちでいっぱいだったと思います。
任務遂行とともに、家族の事とか想いながら、この音を体に感じながら出撃していたんだなと自分なりに感じました
貴重な音をありがとうございました。
日本の為にお疲れさまでした。
日本人は何かを忘れている
敬礼見て涙が出ました
ご冥福をお祈りします
零戦に敬礼 ありがとう御座います。
ほんとにほんとに感動的です! 素晴らしいゼロ戦! 戦争はダメな事ですが、ゼロ戦は大好きです。
しかし不思議な事だらけです。プロペラ1つで高速で飛んだり、プロペラの間から機関銃を発射、昭和初期なのにこの技術力。
数が少ないゼロ戦ですが、永久保存される事を願います。貴重な動画ありがとうございました!
ゼロ戦ではなくレイ戦です。
@@1964anakin どちらでもいいんですよ。当時もゼロと呼ぶこともありましたから。
@@1964anakinどっちでもえんじゃカス
零戦のエンジン音を知っている祖父が戦争映画を観ていた時に、零戦のシーンが出てくると「あれはセスナだ!零戦のエンジンの音はもっと重厚だ」と言ってました。当時イナーシャはプロペラ付近に取り付けていたようですね。
そして必ずエンジン始動のシークエンスを教えてくれました。
1、(操縦士)イナーシャを回せー
2、(整備員へ)前離れー
3、前よろしー、コンタクト
実機を見たことのない私でもこうして見ると胸が熱くなります。
貴重な動画、ありがとうございました。
零戦は当時『マッチ』と呼ばれていたそうで、すぐ火が付くからだと尾翼はキャンバスで出来てるからだと思う、コックピットに座る体験をしましたが外板はトタンのようなぺらぺらで防弾板も無いからアメリカとは違いパイロットを守る機体では無かったようです。
なくなられたと聞きましたが素晴らしい人だったと思います。原田氏の著書をいくつか読ませていただきましたが心の打たれる内容ばかりでした。長く生きた方の記憶は大金やら宝石よりも大切な国宝だと思います。零戦の前で敬礼をしたときの原田氏の姿は当時97歳とは思えない精悍な立ち姿でした。もうほとんどいなくなった戦争体験者の方々の記憶を語り継ぎたいと私は思っております。また原田氏へのご冥福をお祈り致します。
原田さんがした敬礼。
海軍搭乗員の「本物」の敬礼ですね。
お亡くなりになられてたんですね…
最晩年にもかかわらず、本当にしっかりしたお言葉、立ってお話しされてる姿、
そして、ゼロ戦に最敬礼、一礼されてる姿は言葉もありません。
そして、日米の融資によって再現された姿もまた感無量です。
私も亡父がアメリカ艦載機に銃撃されたと言ってましたし、母も疎開先に訪問された若い兵隊さんが数日後に上空を旋回して戦地に行った、つまり特攻していった姿を見送ったという話を聞いてます。
日本を守り、それを誇りしつつ、平和を祈念された原田さんのご冥福を改めてお祈りします。
原田さんと零戦のツーショットを初めて見ました。ガダルカナルの密林で、転覆した零戦から
重傷を負いながらも操縦席から這い出す原田さんの姿が浮かんできました。
原田さん、いつまでもお元気で。
原田さんは、子供達に人を大切にして日本人として恥じない人間に成って欲しいと言う思いで保育園の園長先生をされておられると動画で拝見しました
戦時中も戦後も日本の事を考え生きられておられる一人の人間の生き様を心から尊敬します
他のコメントの方と同じように
零戦に向かって海軍の敬礼と続く最敬礼には涙がでてきました。
私が小さかった頃、元予科練や兵隊さんだった人たちはまだ50代くらいだったので良く戦争の話をされました
この零戦はアメリカで大切にされて嬉しいでしょうね。
きっと日本人の手に渡っていたら今頃は朽ち果てていたと思います。
原田さん。ご冥福をお祈りいたします。
素晴らしい映像をありがとうございます。
敷島隊の関行男大尉が原田さんの教え子だったことを初めて知りました。
映像の最後の方で、その場にいる皆さんに対し、原田さんからお願いがありましたが、戦争の実体験者だからこそ背負ってきた責任が感じられ、深く胸を打つものでした。
どうかいつまでもお元気で長生きをされ、戦争のむなしさを語り継いでいっていただきたいと思います。
先の戦争については世の中で様々な解釈がありますが、絶対に繰り返すべきでないということに異論はないはずです。
史実を検証しつつ、私も微力ながら精一杯、努めてまいる所存です。
noblehistory 私を含め、今の40代が戦争中に大人だった人達から戦争の話を聞くことが出来た最後の世代ではないでしょうか?祖父は熱田空襲の後の愛知時計の工場の後片付けに行った時の話や祖父の職場だった鉄道会社の配属されていた車庫での話、祖母からは四日市空襲を自宅(と言っても被災地域から4キロ程離れた当時の三重郡川島村ー自分の出身地でもあるのですがー)から見た話、B29よりも近くの高射砲陣地から打ち上げた高射砲の弾片(もしくは命中しなかった砲弾)が川島村辺りに落下するのでこっちの方が怖かった事、またB29が空襲の後、余った爆弾を隣村に落としていった事、戦争中の生活の話など色々聞く事が出来ました。私の趣味の1つでもある戦史研究(と言ってもたかが知れていますが)や軍艦や戦車や軍用機マニアではありますが、逆にこれらから得た知識から実体験では無いですが、戦争の悲惨さ、恐ろしさを肌で学んできた積りです。当然戦争は反対です。しかし降ってきた火の粉は自分で払いのけなければならないという感覚もあります。
きっと原田さんが戦友達にこの話をされている事でしょう。
日本のために散った若い命に感謝します。
私の父も海軍でした。
原田要さんのお元気なお姿を記録した映像は、ひたすら感涙ものです。
零戦の音を聞いていたら涙が出てきました。 大日本帝国軍が国を守ってくださり、特攻隊で亡くなられた方々にご冥福をお祈りします。だから今の平和がある。戦争は二度としてはいけない。原田さんのお話を聞けてよかったです。原田さん亡くなられたんですね、ご冥福をお祈りします。
本日、所沢航空公園で最後のエンジン始動、及びタキシングを見てきました。
この動画を事前に見ておりましたので、エンジン始動の時は、
感動で、ウルってなってしまいました。
栄21型空冷複列星型14気筒 27900cc 1100馬力のエンジン!
今日もいい音、かもし出してましたわ。
貴重な動画有難うございます。
ん...でも、日本ではなく、当時敵国だったアメリカに零戦が現存するなんて、
複雑ですが、...
思想宗教国家を越え、「良い物は良い!」と零戦を守ったアメリカの
プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館には頭が下がります。
ガダルカナル攻防戦はゼロ戦パイロットには1番辛い戦闘だったそうですね、往きで4時間、戦闘で15分帰りでまた4時間を毎日毎日続けるのは真に地獄だったそうです
辛いですね。特に往きの4時間の精神的苦痛がすごそう。
帰りは帰りで睡魔と残燃料との戦い
あるパイロットはこんな長距離作戦を可能にしてしまった零戦が憎らしいと言ったとか
名手坂井さんも疲労からか、戦闘機と爆撃機を勘違いして負傷の原因になる遭遇戦闘に巻き込まれたくらいですからねぇ。日本にもっともっ空母があれば、ガダルカナルなんて無茶な作戦しなければという…言っても仕方ないことですが
攻撃機と違って偵察員もいないから、どこを飛んでるかもよくわからん4時間。怖すぎる。
大空のサムライ、坂井三郎著書も昔何度も読みました。原田要さんの動画もたくさん見ました。私の祖父は海軍で、戦時中の話を、祖父の家に泊まりに行く度、夜な夜な聞かせてもらったものです。
今の若い世代には、戦争経験者が高齢化され、ご健在の方が殆どおられなくなり、生の実体験を直に聞く機会は、ほぼ無いと言えると思います。
こういった動画を見ることで、戦争が如何に悲惨で、戦争をする事自体が互いの国にとって、結果的に滑稽なことであると、正しく次世代に伝えていく事が、何よりも大切だと思います。
人が人を傷つけたりしないようにとの思いを幼稚園児に伝えたいという旨を、生前の原田さんが語ってあったように、今の日本で当たり前のように起きている事など、すべて相手を思いやる心があれば起きそうにない事件、自分の大切な人を思う気持ち大切にしてほしいと、原田さんからのメッセージを感じました。
日本の人々の安寧を守ろうと命を賭した先人の功に、果たして現代の日本人は報いているのでしょうか。自分を含め自問自答する機会になる動画でした。ありがとうございます。
「この飛行機と死ぬのなら喜んで死ねる」とか大和魂だな、かっこいいよ。
元搭乗員の原田さんによって、零戦の発動機に火が入った瞬間、感動で涙した。
真珠湾攻撃時、旗艦赤城の艦上に並んだ航空機36機が一斉にエンジンを始動させていたんだから
爆音は桁違いであったんでしょうね。。。
原田さんの新刊「わが誇りの零戦」を読んだ。
素晴らしいの一言だ!
表向きには大東亜戦争は過ちだったと言っている年寄りは大半あの頃は栄光の時代だったと心の中で思っている人が多い。
俺のじいさんもまだ生きているが最近は戦時中や戦前の話が絶えない!
南部14年式のガスガンをプレゼントしたら喜んでいた!
かつて御自身が命をかけて共に闘ってきた戦闘機に、長い年月をかけて、最晩年にまたプロペラの音を聞けるとは夢にも思わなかったのではないでしょうか? こころより御冥福を御祈りします。合掌
He bowed to the plane as a samurai would bow to his sword before unsheathing it. I wish more people understood the concept of honor.
It gave me chills to see that.
素晴らしい!これは永久保存でよすね。良い物を見せていただきました。誠にありがとうございました。
原田さんは 数千 いや 数万の元大日本帝国軍のパイロットの内のたった 1人で その総代として 話されていることを肝に銘じ (言ってみれば英霊からの伝言) 国防の意味を我々日本国民は 考えないといけません。合掌
エナージャーとエンジン始動音聴いて思った。
紅の豚の最初のシーンって凄く忠実に音を再現してたんだなぁって。
零戦乗りで生き残った証人だからこそ戦争はやってはいけないことだと実感を語ることができる。
どんなに戦果を上げた兵でも戦後は「もう二度と戦争に行きたくない」とみんな口を揃えて言いますからね。
asdfghj0515 国家のためとは言え人殺しを強制されしまいには爆弾を抱いて突入させる。もう命令の域を超えています。
そういう時代だったという認識を前提で話してない人が多すぎるよねー
当事の価値観で当事起こった出来事を、今の平和な時代の価値観や視点で否定するのは間違いだし、総力戦という戦争のありかただった時代だからその辺もちゃんと勉強しておいで。
kimi huti 「勉強しておいで」はないだろw当時を戦い抜いた原田氏ご本人が戦争を否定してるだけに重みがあるなぁと話してただけだよ。一度戦争を体験したら大多数の人は2度と行きたがらないもんだ。勝とうが負けようが。別にこっちは戦争行為自体を否定してるわけじゃないから。
asdfghj0515 君に言ったわけじゃない。
お帰りなさい、ゼロ戦、旧日本軍戦闘機乗りの原田さんに迎えられてこのゼロ戦もこのゼロ戦に乗って日本の為に戦って命を落とした方もさぞ喜ばれて要ることでしょうね❗ 原田さんご冥福を祈ります
老いても狼の牙今だ衰えず
まさに軍神
なんて綺麗なお辞儀と敬礼なんだ。
感無量とわ 私も飛行機操縦士の端くれ 原田さんの気持ちが良く判る。涙が出ました。
原田さんの話しを聞いて、当時ゼロ戦に乗っていた若者達は空とゼロ戦を愛する❗純粋な気持ちで乗っていた事がよく分かりました❗
Amazing plane, very very nice to see the veteran gentleman talking about his experiences, thanks very much, amazing video ! Mint plane
懐かしさと悲しさを背負ってる感じだなぁ。
原田さんのご冥福をお祈りいたします。
原田さん、数々のドキュメンタリー番組によく登場されておられて私もお名前を覚えておりました。こういう貴重な方がどんどん少なくなっていくのは悲しい事ですが、こうして永遠に記録として残してそのリアルな事実を忘れないように後世に伝えていくことはとても大事だと思います。
特攻が今の平和に貢献した、このお話しに感銘しました。戦争は悲惨であると言うお話しも実戦経験者ならではの重みがあります…先人の尊い犠牲によって今の平和な繁栄があることを私達は肝に銘じなければいけませんね。
原田さん97歳ですか!!
頭脳明快でお姿も若いです!!
せっかくの講話中の無神経な館内放送。まったく配慮がない。
原田様本当にご苦労様でした!私はゼロ戦が大好きです!でもいつも戦争で若い命がちっていった神風をみるとなみだします!また、原田様の様にいつも忘れないように死んでいった方に祈りつずけていた事と、ゼロ戦に敬礼をし、本当に相棒の様な存在だったことに私はみていて素晴らしい方と心を打たれました。絶対に戦争はしてはいけないとわからない若者をどうかこれからも私達知恵のあるものがつたえていきたいとおもいます。呉にいきたいとおもっています!
蒼龍のパイロットだったんですね…。
小野田さんといい、この人たちの敬礼はちょっと真似できない。
生きていたら100歳か… 一度でもいいからお会いしたかった… 外国人が乗るなって言ってる人はなぜそういうんだろう このゼロ戦をこれまで管理して来てくれた人なのかな?どんな人かはわかんないけど行けない理由なんてないのでは? 確かに昔は日本の兵士が乗っていた誇りある飛行機だけど今の世の中敵ではないはず
原田さんもゼロ戦パイロットのおかげで今の世の中があるっておっしゃってるしそれなのにそんなコメントがあるのは少し悲しく思いますね
それに原田さんに乗ってほしいっていうコメントがありますが原田さんは元ゼロ戦パイロットとして未だに世界中の人から憎まれているとおっしゃっていたところからゼロ戦に乗り込むのはやはり抵抗があるのでは?と思います
戦争を体験した方はしばらく戦争の話をしたくない、するのにもものすごい勇気が必要だったと聞きますし……
他の動画で原田さんコックピットに乗っていましたね
でもまぁいずれにせよ外国人だから乗せるなだとかそういったことはないと私は思います
アメリカの多分リノのこういう飛行機イロイロ保存してるところの人だと思います。むしろ今まで、そういう保存とかレストアとかしてくれてた人達が始動するのはごく当たり前のことではないでしょうか。よく修理してくれたと感謝こそすれ…ですね。しかも昔見たドキュメントでは、こういう飛行機の修理って専門職もいるけど、平日は本職やってて、ボランティアでやってくれてる人もいるそうですよ。
世が世なら。私も0戦に乗つて居たかも知れません。子供の頃の夢わ 海軍に入り戦闘機の操縦士に為る事でした。その 夢わ かないませんでしたが。その後 小型飛行機の操縦免許を 取り.今でも 時々 飛んで居ります。私わ 大正13年1月 生まれです。又 模型飛行機の 無線の 0戦も 何機も作り 飛ばしました。。又 永遠のZERO の本も取り寄せ もう何回読み直したでしょうか。残念ながら この映画も是非見たいと思つて居りますが まだ見ておりません。
Asao Takeno わじゃなくてはですよ
ポテトじゃがいも 20代の僕から見ても気になったが、「わ」と「は」を使い分け始めたのは昭和21年以降だそうです。
その後普及するまでの時を考えるとAsao Takenoさんの学んだ時代ではまだ定着していない概念なので背負うがないと了承するが吉ですかね。
大正の方がyoutubeを使うなんてお元気ですね。
まだお元気にされていますか?
是非永遠の0、ご覧になってください!🇯🇵
●●●●●原田要、旧制長野中学卒、35期操縦練習生を首席で卒業。1941年(昭和16年)年9月、蒼龍の乗組員。戦後は長野市で幼稚園園長として幼児教育に捧げる。
ミッドウエー、セイロン島沖海戦、ガダルカナル…………、国宝級だ。頭が下がる。
お元気で。
ご高齢にもかかわらず、微動だにしない「敬礼」、美しい90°の「お辞儀」。
この瞬間、飛竜搭乗機の頃に戻られたように見えました。(`・ω・´)ゞ
原田さんに敬礼!
原田要さん。敵機を撃墜して相手パイロットを空中戦で殺害した。この動画ではニッコリしておられますが、太平洋戦争が終わってから何十年も、戦争で人を殺害した記憶に向き合いながら、人生を過ごしました。本当に精神的に苦しかったと思います。今現在進行中のロシア・ウクライナ戦争は、原田さんのような悲しい生き方をしなければならないロシア兵・ウクライナ兵を大量に排出している。人はなぜ殺人や戦争を繰り返すのか?
私も!此処で聞いていました。 そうですか・・・心より哀悼の意を表します。
日本人として素晴らしい、誇りに思う!
レストアとはいえこの飛行機を資料として保存することに大きな意義がある
当時を知る人はやがていなくなる,これらの資料から学ぶことが人を過ちに気づかせるきっかけになる
二度と戦争を繰り返してはいけない
零戦に会った敵機のパイロットは悪魔に会ったと想ったでしょうね直ぐに後ろにつかれて機銃の餌食なります
零戦に会ったら急降下で逃げるしかなった、発見されるのが早ければ撃ち落とされた
今でも零戦とは戦いたくないそうです
I am pleased to see Mr. Harada reunited with the Zero aircraft which was a part of his young life. It must have stirred many memories and emotions for him.
零戦は贅肉のないスマートな機体だから、綺麗に見える。
実際の体験者の言葉は重い。
戦争は絶対悪と思うが、現実として国は護らないとね。
河口湖飛行機博物館にピカピカの21型があります。
飛行許可が下りないと聞きました。残念。
どうにか国内で飛ばせてあげたい。
安部首相、お願い致しますw。
poch1270 原田翁の最後で最強の安部への紙の爆弾だ
かっこいい・・・感動します
こんなに矍鑠としている97歳が他にいるか?
蒼龍の艦載機乗りって戦闘機乗りの中でも腕が立つ猛者揃い。
基地航空隊は一段下がると聞いた。
ああもう原田さんの様な戦争経験者はいない時代になってしまった。
これ以上の素晴らしい動画はない
きっと零戦の後ろに戦友達の姿が見えたんだろうな…日本の為に戦ってくれてありがとう
原田さんは空母蒼龍パイロットって聞いただけで震えが来ました?あの蒼龍も他の3隻の空母も沈んだミツドウエーも経験されたのかなあって思いました!!最近アメリカのチームがミツドウエー海域で赤城などを発見してます!!蒼龍や飛竜も早く見つかるといいですけど原田さんが生存されておられれば蒼龍と出会えたかも知れません!!と思うととても残念です!!
敬礼でもう涙不可避
平和のために戦った男の姿。