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宗一郎さんが、アメリカで殿堂入りの授賞式に出た帰りに故・藤沢さんの家に行き、位牌にメダルを掛け、これは俺が獲ったんじゃない、二人で獲ったんだと言ったエピソードが好きです
「本田宗一郎」本人がHONDAエンジンの中で一番、高回転高出力だったんだよなあ。
排気ガスもきっと凄かったのでしょうね(笑)
ツインターボチャージャー搭載!
「HONDAの作ったエンジン」じゃなくて、「HONDAを作ったエンジン」なんだよなぁ。
@@sion3697 Nice!
@@sion3697さん、大喜利なら座布団3枚です。
本田宗一郎と藤沢さんの引退時のやりとり、ほんとに泣ける。やりきった、走り切った人生にほんとに満足したんだなって。そんなふうに思える人生を歩める人がどれだけいるだろうか
部下から引退を促された時の宗一郎の言葉は何度も感動しました。手塩にかけて育てきた若手の技術者達がオヤジである宗一郎の背中を超えたのがよほど嬉しかっただなと思いました。
『自分の為に働け』言った本人が『他社に追い付くチャンス来たぞ!』言っちゃった…。平社員「専務(藤沢氏)!オヤジ黙らせてください💢」直談判。
最高のオヤジですね。
「ホンダの施設には宗一郎の生きていた跡は無い」身内を跡継ぎにしなかったのも有名だね会社は自分個人のものではなく、お客様と従業員のためのものそんなホンダがすごく好きだ
でも息子のために新しい会社を作ったんだよね。ところがその息子はちょっと前に警察のお世話に……ここは宗一郎の慧眼を褒めるべきなのか?
本田宗一郎さんが、唯一の後悔が社名を「ホンダ」にしたことだって言ってたと聞きました
@@ng2orzhm その考えなのか鈴鹿製作所の建設時に鈴鹿市側から、市名を本田市へ変更する意向がありましたが、本田技研工業側が丁重にお断りしたという逸話が残っています。トヨタとは違います。
生きていた跡は見えていないだけで心の中に刻まれています。でもそれを認めるとあの世にいったらスパナが飛んできますね。「俺が分からんモノづくりしろ」の言葉と同時にね。
@@nsxr1024 トヨタをバカにするな!俺も本田宗一郎さんと久米是志さんが大好きでホンダに入社したが、トヨタの歴史にも入りたくてかなり悩んだタイプだ。まじで適当に調べただけで何も知らないくせにトヨタをバカにするな。胸糞悪い。
去年のF1最終戦の優勝は涙が止まらなかった。宗一郎さんが亡くなってから30年後にまた世界一になった。
動画の構成とか、作り方が上手い。ここまで作り込むの大変だと思うけど、何回も見れるくらい面白いので、応援しております。
『ホンダのエンジンのように高回転でホンダを成長させ続け、ガソリンという命を燃やし続けた男』いい言葉ですね
本田宗一郎の夢であった航空機製造が実現しているのも凄いですよね。
唯一、完成品を目にすることができなかったもの。
次は宇宙ですな
ホンダの違うのはトヨタ自動車日産自動車スズキ株式会社本田技研工業株式会社。
本気で泣きました。本田宗一郎さんの小説とか読み漁りましたが、ホントにわかりやくすて楽しかったです。ありがとうございました。
今のHONDAの経営者、社員全員に見てほしいです…宗一郎氏がなくなった直後に喪章を付けたセナがハンガリーGPで久しぶりに勝利し、次のベルギーGPにHONDAが頑張って新機能搭載のV12エンジンを持ち込み連勝して鈴鹿でワールドチャンピオンでした。
今までの動画は技術者の変態っぶりにニヤニヤしながら楽しんで観てたけど、今回は締めのBGMのバイオリンも手伝って涙が出てきた。時代を支えてきた本田宗一郎の生き様はカッコいいという表現しか思いつきません。個人的にはスバリストなんだけど今回の動画は最高でした
「まあまあだな」このセリフが昭和の男の美学が詰まっていてかっこいい。
最後の言葉が沁みました。困難に直面した時に逃げず諦めず立ち向かう姿勢を見せ続けた本田宗一郎という人物を心から尊敬しています。VTECは今でも最高のエンジンです!
カムが切り替わった瞬間が最高!!
@@norit7778 さん最高。二十歳で新車のインテR買ったとき、初VTEC切り替わりに恐ろしささえ感じました(笑)
@@カムイ23 いつの時代のインテRもそれぞれに個性が際立っていて最高ですよね!
ZCエンジンだって良いよ、CR-Xの軽い車体でアクセルを煽るのが最高でした。 本田さんの祇園での遊びの話とかのお茶目なところも聞きたかったな。昭和のお手本のような人物でしたね。
ちなみに、ホンダのVTECエンジンは、F1でフェラーリのエンジンに生かされており、このエンジンで、1994年のドイツGPで58戦ぶりに優勝することができました。(VTECエンジンは、後にレギュレーションで禁止されました)
戦後復興から一代で世界企業にのしあがる技術の変態。しかも[オレクルマツクリタイ]っていう子供みたいな夢をあの規模で実現させる変態な天才技術者。
天才と変態は紙一重その一重の紙の中にいる1人が宗一郎さんだったのでしょう…
2代目社長に河島さん、3代目社長はあのボイコットして辞表を出した久米さんがなったわけだけど宗一郎氏は「2代目の河島もええ加減なやつでしたが自分もええ加減なやつでした。ホンダの社長はええ加減なやつがやる事になってるから社員の皆がしっかりしないと危なくてしょうがない、だから皆さんよろしくお願いします」と社員達の前で話拍手喝采を受けていた。皆に慕われた正にオヤジさんだったんだろうね。
1983年のホンダ創設35周年記念式を鈴鹿サーキットで行った時のスピーチでしたね。この時は2代目社長の河島さんから3台目社長の久米さんにバトンタッチも兼ねて行われました。ホンダさんは同時に、鈴鹿サーキットやホンダの鈴鹿工場の誘致を認めてくれた鈴鹿市民に感謝を表していました。
ありがとうございます、今回も凄く良い話でした。戦後の日本を建直してきた人達の努力と、その功績に永遠の感謝と乾杯を。
今、赤いスポーツカーに乗れています!本当に有り難うございました!昨年夏の氏の命日8/5に若き日に本田宗一郎氏がゴール直前で宙を舞った多摩川スピードウェイ跡地を眺めていました。多摩川堤防の強化のために撤去されることが決まり、もう見る事が出来なくなると思うと辛くて仕方なかったです。仕事が上手く行かない時にそれこそ「自分はダメなヤツだ・・・無理ゲーだよマジで。」って凹むたびに、通勤経路上で下車すると行けるココに座ると、なんか「負けるもんか!」って頑張れたんです。私が若い時に勤務していたHONDAの工場も移転の為に去年操業をひっそり停止しました。昔は生前のダイアナ妃が来られたり、本田宗一郎氏もよくここからゴルフに通われたんですけど、、、時代ですね。
18:14本社ビル建てる時も「人様の命を預かる製品を作っている会社が、ガラスの破片で下にいる人を怪我させてどうする」と窓が割れても下にいる人の危険が及ばないようにバルコニーに囲まれてるって話も好き
IDEMITSU本社ビルも同じ想定でバルコニーが在ります。
関東大震災クラスの地震がまた起こる前提の設計なんですよね。
交差点の見通しを考慮して、ビルを道路側から間隔を開けて建てたっていう話もありますね
青山の本社ビルの話ですね。本田さんと別の場所で仕事していた、藤澤副社長も全く同じ指摘をしたと聞きました。
宗一郎、藤沢さん、中村さん...今当たり前だと思って乗っている車のメカニズム、ネジの一本にまでかつての多くの開拓者たちの魂がこもっている。
宗一郎さん、満面の笑みで肩を叩きながら「ナンバーワン、ナンバーワン」と繰り返すだけで感動させ、セナを泣かせてましたね。伝わるものがあったのでしょうね。
宗一郎さんに一つ文句「セナさんを連れて逝くのが早すぎ」と言いたいです。
亡くなった時セナは 記者に「ソーイチロー・ホンダが死んだぞ」と聞かされて「残念だ 本当に残念だよ」と言った
本田宗一郎と藤沢武夫の出会いが奇跡だったと思う。それが無ければ今日のホンダはおろか、日本、世界の自動車業界は今日のようになっていなかったと思う。
18:14本田さんがどれだけ自動車を愛している男なのかがわかる。
ポルシェが頑なに最後まで空冷エンジンに拘ったのも本田と同じくそこに将来性あると信じてたからなのか
会社を辞めたあとに全国の販売店を回る話もいいですよね!
葬式の時、参列者で渋滞を発生させてはいけないし、整備工場を休みにしてお客さんを困らせてはいけない、突発で整備に他メーカーの車修理に人が来て、新しいお客さんを獲得できるかもしれないって話もあったと思う。大変見やすい編集でした!昔のホンダ精神は最高、いろんな事に挑戦しつつ、スポーツカーを作って欲しい。
感動した。こういうの見ると、自分も業界の一員として、さらに頑張っていきたい。
トップが技術者の会社って素晴らしいなと思える動画実際には難しいんだろうけど憧れてしまうよね
こういった突き抜けた人がいたら周りは大変かもしれない。でも今の日本に求められてるのってこの様な方達であり、この様な方達を四方八方から潰したから日本経済は停滞してるんだと思う
@@大黒元 椅子に座って茶飲みながら賄賂の話する奴しか残っとらんからな
今の社長あかん。辞めさせろ。
ニュルちゃんの動画では"変態"はもはや最高級の褒め言葉になってますね。どのジャンルの世界でもトップの人は"変態"ですもんね。いつも最高級のクオリティの動画有り難う御座います。✨
とてもいい動画でした。宗一郎さんを主役にすると神格化して褒めちぎるだけのものが多いですもんね。中村さんもちゃんと扱われてるところがいいと思います。
そうですね。中村さんとは喧嘩別れの様になってしまった様ですからね。
ちゃんと採算取るための車も作らせてる藤沢さん偉い
すげーよな。本田宗一郎。ホントに。最後涙出てきた。膨大なお話をギュギュっとコンパクトにまとめてくださり、ありがとうございます。
本田技研工業に宗一郎の跡はないとありましたが本社ビルにオヤジさんの意思が残っています。あのビルは地震等で怪我しないようにとのオヤジさんの要望によりベランダが設けられていてあのような形になっています
「俺の最大の失敗は会社名にHONDAって入れちまった事だな。」って言葉が好きだな。
インタビューでも、自分や役員の子供を会社に入れないように出来たのは良かった失敗は社名にホンダの名前を入れてしまった事‼️と言ってましたね
常に一定に安定して経営してるわけではなく、常に問題と隣り合わせだけど、それを糧にさらなる成長をしていっているこの時代の人達のバイタリティ見習いたいです。
18:30 本社ビルについてですが、他の企業は一面ガラス張りを好むのにホンダは写真のように階層ごとに小さなテラスを設けています。所説ありますが地震などでガラスが割れた際、歩行者などに落ちてることが無いようこだわったものだそうです。自動車にこだわらず我々に寄り添う志が具現化されたものの一つなのかもしれません。私は窓を拭く苦労を低減させるためだと思っています。
「まあまあだな」……この藤沢さんとのやり取りは自然と涙がこぼれますわ( இдஇ)
色々あったけど、やっぱりホンダが好きだ。どんな時代でも、どんなに苦しい時にもホンダなら何かやってくれる。何かを変えてくれる。夢を見させてくれる。胸を熱くさせてくれる。そんな気がするから。何故だか涙が出てきた。負けるもんか。
赤色ボディを認めさせる時にも「オープンカーの消防車がどこの世界にいるのか!?」みたいなことを言って役人に詰め寄ったとか。
アップお疲れ様です。何時もクスッと笑えるネタで楽しませて頂いております。今回は、感涙致しました。本田宗一郎は強気で頑固な暴れ馬かと思っていたのですが、冷静さを兼ね備え、後進への配慮、温情も多く、決断も一閃出来る偉人だったのだなと思いました。本田宗一郎ISMに触れられてとても有意義な時間ありがとうございました。
今の時代にこそ、本田宗一郎の様な情熱に溢れた一見滅茶苦茶にも見えるロマンのある人が日本に必要だと思います。いちメカ好きとしても永遠の憧れであり、目標とする偉人です!仕事と収入が安定したら、エコマイレッジチャレンジに参戦したい!
難しいね。代わりがいないから偉人?
自動車メーカーを作った本田宗一郎が生涯最後(亡くなる数日前)に乗ったのは夫人(2013年に99歳で逝去)の背中だったそうです。彼の原点にして頂点だったのかも知れませんね。
せっかくいい動画を作ってくださったのに申し訳ありませんが、本田宗一郎さんの奥様はみかさんではなく、さちさんです。
今回もおもしろかった本当に今一番のRUclipsチャンネルや...もっと評価されろおおおおおおお
でも製作者は反社勢力なんですよ。素直になれない
技術は世界の為にある流れから涙が止まらない。
簡潔で分かりやすく見ていても飽きない素晴らしい動画でしたホンダの他社にないスピリットをいつまでも見せてほしいものです
過去には、平成4年経営再建中の、「いすゞ自動車」 との資本・業務提携が実施されていた時期もあり。「本田技研工業」 はRV (多目的レクレーショナルビーグル車)、「いすゞ自動車」 は乗用車のOEM供給 (相手先によるブランド生産) で相互に販売を行っていた。「いすゞ自動車」 の乗用車・RV (レクレーショナルビーグル) 車事業の撤退、「本田技研工業」 は自社製のRV (レクレーショナルビーグル) 車の自社生産が軌道に乗り上げて、自社製の 「オデッセイ」 が大ヒット。「オデッセイ」 のデビューは平成6年10月。
社長交代
去年のF1最終戦HONDAが優勝した時はマジで感動した 本田宗一郎さんが生きてたら世界一になるとこ見て欲しかったなー レッドブルのバイナルもカッコいいし翼を本当に授かってるんかって言うぐらい速かった!!
HONDAの2輪には翼のマークありますもんね
こういう動画を見る度に、感動して勇気を貰います。普段の車がより美しく見えます。
本田宗一郎さんの動画を見ると毎回涙腺が緩くなります。
こう言う技術屋の"オヤジさん"って、昔のホンダには結構居ましたよね。そんな"オヤジさん"みたいな人に怒鳴られて仕事をした事がある、って言うのは今でも自分の誇りだと思っています。(ホンダの社員ではありませんでしたが)
後編の編集お疲れ様でした!CVCCエンジンでマスキー法をクリアして世界を驚かせる事ができたのは、2輪とF1で燃焼効率を追求していたからなんですよね。環境にやさしいエンジンはレースの技術から生まれたんです。その先に生まれたのがみんな大好きV-TECH。そしてチャレンジ精神を受け継いだ後継者達が後年ロボットとかビジネスジェット機を作ったりするわけです。ホンダ目線だと今は豊田章夫さんが業界を牽引しているように見えるのが皮肉ではありますが、世代的に考えれば彼も宗一郎チルドレンみたいなものですよね。余談ですが、むかし私の実家にはホンダの除雪機があって、休みの日に親から除雪作業を頼まれていました。面倒臭かったですが、除雪機を操作する事自体は楽しかったし、今は良い思い出でありますw
CVCCとPGM-FIがある意味全く反対な技術なのが、びっくり
VTECの技術で低燃費エンジンのVTEC-Eを作ったのはホンダらしいなと思った。もう少しこのエンジンも評価されても良いのではないか。
@@fujisakishigemichi5920 違うi-VTECです。i-DSDも有るしMTRECも有りますよ。今は…VTEC-TURBOだって有ります。
VTECはどちらかと言うと低回転の平凡広汎的なエンジンを高回転にも対応させたエンジンですAP1 S2000 F20Cとか意外と低回転からしっかりトルクが有り結構難なく乗り易いですよ
@@nekonotyaya5273 まぁ、VTECの大元ってバイクのRC17のREVの可変バルブ技術でさ、こいつがまた空冷なんで58psでライバル社は59ps。前後半通しで見ててふと、空冷にこだわった宗一郎さんの話から思い出した。
「車にこだわるな」この言葉通り、ホンダはバイク、飛行機、発電機、耕運機など1つの事ではなく、様々な事にチャレンジし続けた。そして……モトコンポとシティの復活を俺はいつまでも待つぞ……
それこそ、モトコンポをEVで出してくんねぇ~~~かなぁ~~~FITでも良いから充電端子付けて移動中にも充電可能とか、やって欲しいけど
確か2011のモーターショー辺りでコンセプトモデルを発表してから音沙汰がない…。そんなことしているうちに電動キックボードが普及。ミラーなどの規制ができてほぼ電動バイクに…ホンダはようやく共通電動ユニットを生産して事業の本格化に乗り出したところ…!!ホンダらしくない!!
あ、一応追記しておくと60万円する宅配バイクとか、400万円するEVのコンパクトカーとかは売ってるよ。売ってはいるんだが…。(ダレガホシガルンダコレデ…)
懐かしいですね。EVとEbikeのコンボで出ませんかね。
涙が止まらねえ・・・ホンダの歴史は知っていた。本田宗一郎の生い立ちも人生も知っていた。それでもこの動画を見て涙を流す自分がいる。それだけこの動画の出来が素晴らしいってことだ。
本も読んだことあるし他の人の動画も観てるか大体の事は分かってるんだけどそれでも最後は泣いてしまった
宗一郎社長の事はホンダに就職してから知りました出来れば同じ時代に生まれて宗一郎社長や他の伝説の先輩方と共に仕事をしたかったです
泣いちゃうなあ。次はMAZDAも是非お願いします。言わずとしれたロータリーエンジン、ミラーサイクルエンジン、ドイツ勢もなし得なかった圧縮着火ガソリンエンジンSkyactiv-XMAZDAも良い意味で変態!動画見てみたいです。
初コメ失礼します。いつも楽しく拝見させていただいてます。私は今、大学4年で大学院への進学を考えてます。その後は自動車メーカーに就職したいと考えてます。世界の車に対する情勢や車離れとか悲しいなと思う時もありますが、当チャンネルの様々な動画見てるとクルマはいいなと目標に向けて頑張ろうと思わせてくれます。いつもありがとうございます!長文失礼しました。
8:12あとで気づいたんですが、藤沢さんの着流し姿をサラッと載せるところに主様の見識の広さが分かります…
特振法で通産省で籠城騒ぎおこしたあと、本社よって藤沢と話していこうと本社よったら、作業着姿だったんで受け付けには社長だと思われず。どこかの販売店のおじさんが専務にあわせろとごねてると報告されたとかそんなエピソードがあったような。なんせ和光の研究所に入り浸りで本社は藤沢さんにまかせっきりだったから
マクラーレン・ホンダにアイルトン・セナが加入したときに宗一郎が「お前のために最高のエンジンを作ってやる」って言ったのもかっこいいですね。
たぶんそれモナコで行われたFIAのパーティーだってような?記憶違いだったらすまん。
すぐ金のことどうでも良くなるのは経営者として絶望的だけど余りある技術と人柄で会社を成長させてて凄すぎる。
宗一郎氏は有名過ぎるけど、藤沢さんがいなければ達成出来ない事も多々あったと思うから良いコンビだったんだな~って………
こんな時代の反逆児や、変態的技術屋さんが生まれ、育まれ、羽ばたいていく日本であって欲しい😭
なんでだろうな。日本の産業の始祖だからなのかな。何故か分からないけど車が好きで熱くなれる。ただの鉄の塊に車輪が付いただけのものただの移動手段のはずなのに愛着が湧くし、手放す時には熱いものが込み上げる。それはきっとこの車を人々に届けるまで人が繋いで来た想いの歴史がその車に宿っているからなのだろう。
まさにThe Power of Dreams純粋に夢を追い求めて挑戦し続ける親父の熱い思いは、ホンダフィロソフィーという文化を残し継承されていますね
何回見ても泣ける。疲れたときに見ると、心が洗われる。またそのうち見に来る。ありがとう。
熱い人間の挑戦によって「今」があるんだと感じる
感動的しました!二人の引き際が素晴らしいです!
ギネス記録のカブを作り、レースで技術を磨き一般車にフィードバックする。バイクはYAMAHA。車はSUZUKIが好きですが、本田宗一郎さんは人として好きです。
どれも浜松にゆかりがあるね。
@@ddef-gf1zm あ、そういえばそうですね!
17:47最愛の奥さんの名前は「さち」さんやで動画とても面白かったです〜編集お疲れ様です!
歴史を知れるともっと好きになるなあ
スポーツカーこそ技術革新や車の楽しさを加速させるとS360を開発・販売し、死ぬ前に見届けられた最後のホンダ車がビートだったと聞いた事あるが、そんなストーリーになったのも本田宗一郎さんらしいと思う。立つ鳥跡を濁さずと去った結果、現在も技術等のアプローチが他社と違う部分があるのも、ホンダがホンダらしく強みとなる部分だと思う。
一流の人間は何もかもが鮮やかすぎて眩しすぎる。本田宗一郎さんの人生は、そのままで小説よりも小説的で、下手なドラマなんかよりドラマチックだ。
まずはうp様編集、お疲れ様でした解りやすい解説で🍀何時も楽しみにさせて頂いてます😭日本人の技術とスピリットを感じ世界一なった事やお互いの得意な事を二人三脚で会社を成長し大きくなった感動しました。これからも企画し作製大変と思いますが、次回作を楽しみにしておりますありがとうございます😊
とてもいい動画でした! 次回も期待しています!
めっちゃ感動した!もっと評価されるべきだよこの動画!
「挑戦者」である事がホンダらしさなんだと思う。これからもホンダには頑張って欲しい。
『車を創ってるメーカーが渋滞を作っちゃいかん❗』そんなことを言えたオヤジさん…。あなたのおかげで、バイクライフ…続けています🎵(安全運転普及本部グループの教習所で免許を取得し、はや27年…小柄な体格でも750cc超のビッグオフに乗れたのは、これからも糧となるでしょう…。)
そして今、久しぶりにHONDA車(ADV150)に乗ってます🎵肩肘張らずに、お気楽に…やっぱりバイクは楽しい🎵
ホンダはエンジンを作らせたら天下一品と思ってる。ゼロエミッションを達成しつつ、楽しいエンジンを是非とも実現してほしいです!
水素内燃機関を完成させる1番手はHONDAとなるでしょうね。
第一期F1時代に現場でエンジンの各気筒の燃焼温度を判断する方法が、濡れタオルでエキマニを叩いて「ジュッ」っと、水が高温ではぜる時の音だったってのを読んで感心した記憶があるな
ずっと二人三脚で歩んできた藤沢が亡き後、本田宗一郎はアメリカにて自動車殿堂入りを果たす。授賞式を終えて日本に帰国した宗一郎はその脚で亡き藤沢の家へ向かい、彼の位牌に受け取ったメダルをかけ、「これは俺がもらったものじゃねえ、俺とお前の2人でもらったもんだ。」と語ったという・・・。たらればになってしまうが、もし藤沢が存命だったら、授賞式には2人で出席し、「ここまでこれたのも藤沢がいたから」と語ったかもしれない・・・。
HONDAのモデューロシリーズにドリキンこと土屋圭市をアドバイザーに招き入れたことが熱い!そしてタイプRシリーズもそろそろ新型が待ち遠しいです♥️
毎回、時間をかけて丁寧に創り込まれているのが伝わってきます。是非日本車以外も取り上げてほしいなと思います。変態で外せないのは、シトロエンです。創業者アンドレ・シトロエンの人物像と、DSや2CVの開発ストーリーがアップされるのを楽しみにしています♪
引退する時に各地のディーラーを回って握手した話好き…
油まみれの工員の手を嬉しそうに握ったとかね。
たまたま居合わせた商談客に「本田でございます いらっしゃいませ」と挨拶し まさか相手があのホンダ社長とは思いもしなかった客がびっくりしたり NSXのポスター見るやキレて「何が選ばれし者が作っていますだバカヤロウ!みんなが気持ち良く車を作れるのは掃除のおばさんや食堂でメシ作ってくれる料理人たちがいるからだ!彼らもまた選ばれし者だ!何もNSX作ってるおめぇたちだけがエライんじゃねぇ!フザケンナ!!」という話もある
これ全世界のメーカーやってほしい。
本田宗一郎の遺言となった言葉の一説…「買って喜び、売って喜び、作って喜ぶ」
社員が羨ましいよ。18に戻ってホンダに入社したいよ。
藤沢さん敏腕すぎる…!
もし藤沢さんがいなければ、ホンダは単なる町工場で終わっていたでしょう。
お葬式の晩、やけに外がエンジンの音でうるさいと思っていたら、次の日の朝、家の前にたくさんの花束が添えられていた話が大好き
社長に真っ向から反対出来るホンダと言う会社の、何と風通ししの良さよ。👏👏👏
他人が遣りたがらない空冷エンジンで、マスキー法をクリアするエンジンを作る宗一郎の信念が、F1事故に繋がった。こだわりを貫くにはリスクが付き物なんだね。
最愛の妻は❌みかさんじゃなく⭕さちさん。
今回も良い話や…しかもカノンが更に感動させてくれるし…最高かよ
分かりやすいし、ゆっくり系の動画で一番感動した。素晴らしい動画ありがとうございます。こういう技術者、夢追い人がもっと日本の若者から出てこないといけない。衰退してる、衰退していると言っている場合ではないよ!次はHONDAの車を買おうかな。NSXは無理だからシビックとかw
もう40年くらい前か、私の子供の頃には夏になれば毎日のように光化学スモッグ注意報が発令されてました。現在では、この猛暑にもかかわらず年に2~3回くらいで、空の青さも昔より鮮やかと感じます。この青空と空気を守る先陣をきってくれたのが、本田宗一郎さんと技術者の皆さんなんですね。未来への素晴らしい贈り物、今、受け取っています。心からありがとうございます🙏
半年前に観て泣いて、今観てもまた泣いちゃった
15:40から音楽もあるけど泣けたこのチャンネルの動画本当に好き
ありがとう!待ってたよー!
今回も濃密で面白かった😆空冷F1エンジンの、事故後の社内の話はよく知らなかったです。
いつも見ていて涙が出ますジャンルは違えど1技術者として誇りを持って死ぬ時に良い人生だったと言える人になって行きたい
泣いた挑戦し試行錯誤を繰り返し頑張っていこうと思う
先週の終わりぐらいからこのチャンネルの動画を見始めました。今日、全ての動画を見終わりました。本当に素晴らしい動画ばかりで車は好きだけどにわかな僕にもわかりやすい。最初のisfから編集やゆっくりの話し方に違和感は少なかったですが二本目からの進化が早い。笑いもしっかりある。本当にうp主さんは、僕が好きな変態ゆっくりの一人ですよ。
ありがとうございます。
除雪機からビジネスジェット機まで作るような会社だからなぁ
ホンダが小型発々の製造を始めたのはソニーのマイクロテレビの為に作ったのがきっかけらしい。
だから会社名を本田技術研究所(のちのホンダ)したのです。社員たちがのびのびと好きなものを開発するという本田宗一郎の願いがあったようです。
宗一郎さんが、アメリカで殿堂入りの授賞式に出た帰りに故・藤沢さんの家に行き、位牌にメダルを掛け、これは俺が獲ったんじゃない、二人で獲ったんだと言ったエピソードが好きです
「本田宗一郎」本人がHONDAエンジンの中で一番、高回転高出力だったんだよなあ。
排気ガスもきっと凄かったのでしょうね(笑)
ツインターボチャージャー搭載!
「HONDAの作ったエンジン」じゃなくて、「HONDAを作ったエンジン」なんだよなぁ。
@@sion3697 Nice!
@@sion3697さん、大喜利なら座布団3枚です。
本田宗一郎と藤沢さんの引退時のやりとり、ほんとに泣ける。
やりきった、走り切った人生にほんとに満足したんだなって。
そんなふうに思える人生を歩める人がどれだけいるだろうか
部下から引退を促された時の宗一郎の言葉は何度も感動しました。
手塩にかけて育てきた若手の技術者達がオヤジである宗一郎の背中を超えたのがよほど嬉しかっただなと思いました。
『自分の為に働け』言った本人が『他社に追い付くチャンス来たぞ!』言っちゃった…。平社員「専務(藤沢氏)!オヤジ黙らせてください💢」直談判。
最高のオヤジですね。
「ホンダの施設には宗一郎の生きていた跡は無い」
身内を跡継ぎにしなかったのも有名だね
会社は自分個人のものではなく、お客様と従業員のためのもの
そんなホンダがすごく好きだ
でも息子のために新しい会社を作ったんだよね。ところがその息子はちょっと前に警察のお世話に……ここは宗一郎の慧眼を褒めるべきなのか?
本田宗一郎さんが、唯一の後悔が社名を「ホンダ」にしたことだって言ってたと聞きました
@@ng2orzhm その考えなのか鈴鹿製作所の建設時に鈴鹿市側から、市名を本田市へ変更する意向がありましたが、本田技研工業側が丁重にお断りしたという逸話が残っています。
トヨタとは違います。
生きていた跡は見えていないだけで心の中に刻まれています。
でもそれを認めるとあの世にいったらスパナが飛んできますね。
「俺が分からんモノづくりしろ」の言葉と同時にね。
@@nsxr1024 トヨタをバカにするな!
俺も本田宗一郎さんと久米是志さんが大好きでホンダに入社したが、トヨタの歴史にも入りたくてかなり悩んだタイプだ。
まじで適当に調べただけで何も知らないくせにトヨタをバカにするな。
胸糞悪い。
去年のF1最終戦の優勝は涙が止まらなかった。
宗一郎さんが亡くなってから30年後にまた世界一になった。
動画の構成とか、作り方が上手い。
ここまで作り込むの大変だと思うけど、何回も見れるくらい面白いので、応援しております。
『ホンダのエンジンのように高回転でホンダを成長させ続け、ガソリンという命を燃やし続けた男』
いい言葉ですね
本田宗一郎の夢であった航空機製造が実現しているのも凄いですよね。
唯一、完成品を目にすることができなかったもの。
次は宇宙ですな
ホンダの違うのは
トヨタ自動車
日産自動車
スズキ株式会社
本田技研工業株式会社。
本気で泣きました。本田宗一郎さんの小説とか読み漁りましたが、ホントにわかりやくすて楽しかったです。ありがとうございました。
今のHONDAの経営者、社員全員に見てほしいです…
宗一郎氏がなくなった直後に喪章を付けたセナがハンガリーGPで久しぶりに勝利し、次のベルギーGPにHONDAが頑張って新機能搭載のV12エンジンを持ち込み連勝して鈴鹿でワールドチャンピオンでした。
今までの動画は技術者の変態っぶりにニヤニヤしながら楽しんで観てたけど、今回は締めのBGMのバイオリンも手伝って涙が出てきた。
時代を支えてきた本田宗一郎の生き様はカッコいいという表現しか思いつきません。
個人的にはスバリストなんだけど今回の動画は最高でした
「まあまあだな」このセリフが昭和の男の美学が詰まっていてかっこいい。
最後の言葉が沁みました。
困難に直面した時に逃げず諦めず立ち向かう姿勢を見せ続けた本田宗一郎という人物を心から尊敬しています。
VTECは今でも最高のエンジンです!
カムが切り替わった瞬間が最高!!
@@norit7778 さん
最高。二十歳で新車のインテR買ったとき、初VTEC切り替わりに恐ろしささえ感じました(笑)
@@カムイ23
いつの時代のインテRもそれぞれに個性が際立っていて最高ですよね!
ZCエンジンだって良いよ、CR-Xの軽い車体でアクセルを煽るのが最高でした。
本田さんの祇園での遊びの話とかのお茶目なところも聞きたかったな。
昭和のお手本のような人物でしたね。
ちなみに、ホンダのVTECエンジンは、F1でフェラーリのエンジンに生かされており、このエンジンで、1994年のドイツGPで58戦ぶりに優勝することができました。(VTECエンジンは、後にレギュレーションで禁止されました)
戦後復興から一代で世界企業にのしあがる技術の変態。
しかも[オレクルマツクリタイ]っていう子供みたいな夢をあの規模で実現させる変態な天才技術者。
天才と変態は紙一重
その一重の紙の中にいる1人が宗一郎さんだったのでしょう…
2代目社長に河島さん、3代目社長はあのボイコットして辞表を出した久米さんがなったわけだけど宗一郎氏は
「2代目の河島もええ加減なやつでしたが自分もええ加減なやつでした。ホンダの社長はええ加減なやつがやる事になってるから社員の皆がしっかりしないと危なくてしょうがない
、だから皆さんよろしくお願いします」
と社員達の前で話拍手喝采を受けていた。皆に慕われた正にオヤジさんだったんだろうね。
1983年のホンダ創設35周年記念式を鈴鹿サーキットで行った時のスピーチでしたね。この時は2代目社長の河島さんから3台目社長の久米さんにバトンタッチも兼ねて行われました。ホンダさんは同時に、鈴鹿サーキットやホンダの鈴鹿工場の誘致を認めてくれた鈴鹿市民に感謝を表していました。
ありがとうございます、今回も凄く良い話でした。戦後の日本を建直してきた人達の努力と、その功績に永遠の感謝と乾杯を。
今、赤いスポーツカーに乗れています!
本当に有り難うございました!
昨年夏の氏の命日8/5に若き日に本田宗一郎氏がゴール直前で宙を舞った多摩川スピードウェイ跡地を眺めていました。
多摩川堤防の強化のために撤去されることが決まり、もう見る事が出来なくなると思うと辛くて仕方なかったです。
仕事が上手く行かない時にそれこそ
「自分はダメなヤツだ・・・無理ゲーだよマジで。」
って凹むたびに、通勤経路上で下車すると行けるココに座ると、なんか
「負けるもんか!」
って頑張れたんです。
私が若い時に勤務していたHONDAの工場も移転の為に去年操業をひっそり停止しました。
昔は生前のダイアナ妃が来られたり、本田宗一郎氏もよくここからゴルフに通われたんですけど、、、時代ですね。
18:14
本社ビル建てる時も
「人様の命を預かる製品を作っている会社が、ガラスの破片で下にいる人を怪我させてどうする」
と窓が割れても下にいる人の危険が及ばないようにバルコニーに囲まれてるって話も好き
IDEMITSU本社ビルも同じ想定でバルコニーが在ります。
関東大震災クラスの地震がまた起こる前提の設計なんですよね。
交差点の見通しを考慮して、ビルを道路側から間隔を開けて建てたっていう話もありますね
青山の本社ビルの話ですね。
本田さんと別の場所で仕事していた、藤澤副社長も全く同じ指摘をしたと聞きました。
宗一郎、藤沢さん、中村さん...今当たり前だと思って乗っている車のメカニズム、ネジの一本にまでかつての多くの開拓者たちの魂がこもっている。
宗一郎さん、満面の笑みで肩を叩きながら「ナンバーワン、ナンバーワン」と繰り返すだけで感動させ、セナを泣かせてましたね。伝わるものがあったのでしょうね。
宗一郎さんに一つ文句「セナさんを連れて逝くのが早すぎ」と言いたいです。
亡くなった時セナは 記者に「ソーイチロー・ホンダが死んだぞ」と聞かされて「残念だ 本当に残念だよ」と言った
本田宗一郎と藤沢武夫の出会いが奇跡だったと思う。
それが無ければ今日のホンダはおろか、日本、世界の自動車業界は今日のようになっていなかったと思う。
18:14本田さんがどれだけ自動車を愛している男なのかがわかる。
ポルシェが頑なに最後まで空冷エンジンに拘ったのも本田と同じくそこに将来性あると信じてたからなのか
会社を辞めたあとに全国の販売店を回る話もいいですよね!
葬式の時、参列者で渋滞を発生させてはいけないし、整備工場を休みにしてお客さんを困らせてはいけない、突発で整備に他メーカーの車修理に人が来て、新しいお客さんを獲得できるかもしれないって話もあったと思う。
大変見やすい編集でした!
昔のホンダ精神は最高、いろんな事に挑戦しつつ、スポーツカーを作って欲しい。
感動した。こういうの見ると、自分も業界の一員として、さらに頑張っていきたい。
トップが技術者の会社って素晴らしいなと思える動画
実際には難しいんだろうけど憧れてしまうよね
こういった突き抜けた人がいたら周りは大変かもしれない。でも今の日本に求められてるのってこの様な方達であり、この様な方達を四方八方から潰したから日本経済は停滞してるんだと思う
@@大黒元 椅子に座って茶飲みながら賄賂の話する奴しか残っとらんからな
今の社長あかん。
辞めさせろ。
ニュルちゃんの動画では"変態"は
もはや最高級の褒め言葉になってますね。
どのジャンルの世界でも
トップの人は"変態"ですもんね。
いつも最高級のクオリティの動画有り難う御座います。✨
とてもいい動画でした。宗一郎さんを主役にすると神格化して褒めちぎるだけのものが多いですもんね。
中村さんもちゃんと扱われてるところがいいと思います。
そうですね。
中村さんとは喧嘩別れの様になってしまった様ですからね。
ちゃんと採算取るための車も作らせてる藤沢さん偉い
すげーよな。本田宗一郎。ホントに。最後涙出てきた。
膨大なお話をギュギュっとコンパクトにまとめてくださり、ありがとうございます。
本田技研工業に宗一郎の跡はないとありましたが本社ビルにオヤジさんの意思が残っています。あのビルは地震等で怪我しないようにとのオヤジさんの要望によりベランダが設けられていてあのような形になっています
「俺の最大の失敗は会社名にHONDAって入れちまった事だな。」って言葉が好きだな。
インタビューでも、自分や役員の子供を会社に入れないように出来たのは良かった
失敗は社名にホンダの名前を入れてしまった事‼️と言ってましたね
常に一定に安定して経営してるわけではなく、常に問題と隣り合わせだけど、それを糧にさらなる成長をしていっているこの時代の人達のバイタリティ見習いたいです。
18:30 本社ビルについてですが、他の企業は一面ガラス張りを好むのにホンダは写真のように階層ごとに小さなテラスを設けています。所説ありますが地震などでガラスが割れた際、歩行者などに落ちてることが無いようこだわったものだそうです。自動車にこだわらず我々に寄り添う志が具現化されたものの一つなのかもしれません。私は窓を拭く苦労を低減させるためだと思っています。
「まあまあだな」……この藤沢さんとのやり取りは自然と涙がこぼれますわ( இдஇ)
色々あったけど、やっぱりホンダが好きだ。
どんな時代でも、どんなに苦しい時にもホンダなら何かやってくれる。何かを変えてくれる。夢を見させてくれる。胸を熱くさせてくれる。そんな気がするから。
何故だか涙が出てきた。負けるもんか。
赤色ボディを認めさせる時にも「オープンカーの消防車がどこの世界にいるのか!?」みたいなことを言って役人に詰め寄ったとか。
アップお疲れ様です。
何時もクスッと笑えるネタで楽しませて頂いております。
今回は、感涙致しました。
本田宗一郎は強気で頑固な暴れ馬かと思っていたのですが、冷静さを兼ね備え、後進への配慮、温情も多く、決断も一閃出来る偉人だったのだなと思いました。
本田宗一郎ISMに触れられてとても有意義な時間ありがとうございました。
今の時代にこそ、本田宗一郎の様な情熱に溢れた一見滅茶苦茶にも見えるロマンのある人が日本に必要だと思います。
いちメカ好きとしても永遠の憧れであり、目標とする偉人です!
仕事と収入が安定したら、エコマイレッジチャレンジに参戦したい!
難しいね。
代わりがいないから偉人?
自動車メーカーを作った本田宗一郎が生涯最後(亡くなる数日前)に乗ったのは夫人(2013年に99歳で逝去)の背中だったそうです。彼の原点にして頂点だったのかも知れませんね。
せっかくいい動画を作ってくださったのに申し訳ありませんが、本田宗一郎さんの奥様はみかさんではなく、さちさんです。
今回もおもしろかった
本当に今一番のRUclipsチャンネルや...
もっと評価されろおおおおおおお
でも製作者は反社勢力なんですよ。
素直になれない
技術は世界の為にある流れから涙が止まらない。
簡潔で分かりやすく見ていても飽きない素晴らしい動画でした
ホンダの他社にないスピリットをいつまでも見せてほしいものです
過去には、平成4年経営再建中の、「いすゞ自動車」 との資本・業務提携が実施されていた時期もあり。「本田技研工業」 はRV (多目的レクレーショナルビーグル車)、「いすゞ自動車」 は乗用車のOEM供給 (相手先によるブランド生産) で相互に販売を行っていた。「いすゞ自動車」 の乗用車・RV (レクレーショナルビーグル) 車事業の撤退、「本田技研工業」 は自社製のRV (レクレーショナルビーグル) 車の自社生産が軌道に乗り上げて、自社製の 「オデッセイ」 が大ヒット。「オデッセイ」 のデビューは平成6年10月。
社長交代
去年のF1最終戦HONDAが優勝した時はマジで感動した 本田宗一郎さんが生きてたら世界一になるとこ見て欲しかったなー レッドブルのバイナルもカッコいいし翼を本当に授かってるんかって言うぐらい速かった!!
HONDAの2輪には翼のマークありますもんね
こういう動画を見る度に、感動して勇気を貰います。普段の車がより美しく見えます。
本田宗一郎さんの動画を見ると毎回涙腺が緩くなります。
こう言う技術屋の"オヤジさん"って、昔のホンダには結構居ましたよね。
そんな"オヤジさん"みたいな人に怒鳴られて仕事をした事がある、って言うのは今でも自分の誇りだと思っています。
(ホンダの社員ではありませんでしたが)
後編の編集お疲れ様でした!
CVCCエンジンでマスキー法をクリアして世界を驚かせる事ができたのは、2輪とF1で燃焼効率を追求していたからなんですよね。
環境にやさしいエンジンはレースの技術から生まれたんです。その先に生まれたのがみんな大好きV-TECH。
そしてチャレンジ精神を受け継いだ後継者達が後年ロボットとかビジネスジェット機を作ったりするわけです。
ホンダ目線だと今は豊田章夫さんが業界を牽引しているように見えるのが皮肉ではありますが、世代的に考えれば彼も宗一郎チルドレンみたいなものですよね。
余談ですが、むかし私の実家にはホンダの除雪機があって、休みの日に親から除雪作業を頼まれていました。
面倒臭かったですが、除雪機を操作する事自体は楽しかったし、今は良い思い出でありますw
CVCCとPGM-FIがある意味全く反対な技術なのが、びっくり
VTECの技術で低燃費エンジンのVTEC-Eを作ったのはホンダらしいなと思った。
もう少しこのエンジンも評価されても良いのではないか。
@@fujisakishigemichi5920
違う
i-VTECです。
i-DSDも有るしMTRECも有りますよ。
今は…VTEC-TURBOだって有ります。
VTECはどちらかと言うと低回転の平凡広汎的なエンジンを高回転にも対応させたエンジンです
AP1 S2000 F20Cとか意外と低回転からしっかりトルクが有り結構難なく乗り易いですよ
@@nekonotyaya5273 まぁ、VTECの大元ってバイクのRC17のREVの可変バルブ技術でさ、こいつがまた空冷なんで58psでライバル社は59ps。前後半通しで見ててふと、空冷にこだわった宗一郎さんの話から思い出した。
「車にこだわるな」この言葉通り、ホンダはバイク、飛行機、発電機、耕運機など1つの事ではなく、様々な事にチャレンジし続けた。そして……
モトコンポとシティの復活を俺はいつまでも待つぞ……
それこそ、モトコンポをEVで出してくんねぇ~~~かなぁ~~~
FITでも良いから充電端子付けて移動中にも充電可能とか、やって欲しいけど
確か2011のモーターショー辺りでコンセプトモデルを発表してから音沙汰がない…。
そんなことしているうちに電動キックボードが普及。
ミラーなどの規制ができてほぼ電動バイクに…
ホンダはようやく共通電動ユニットを生産して事業の本格化に乗り出したところ…
!!ホンダらしくない!!
あ、一応追記しておくと
60万円する宅配バイクとか、
400万円するEVのコンパクトカーとかは売ってるよ。
売ってはいるんだが…。
(ダレガホシガルンダコレデ…)
懐かしいですね。
EVとEbikeのコンボで出ませんかね。
涙が止まらねえ・・・
ホンダの歴史は知っていた。
本田宗一郎の生い立ちも人生も知っていた。
それでもこの動画を見て涙を流す自分がいる。
それだけこの動画の出来が素晴らしいってことだ。
本も読んだことあるし他の人の動画も観てるか大体の事は分かってるんだけどそれでも最後は泣いてしまった
宗一郎社長の事はホンダに就職してから知りました出来れば同じ時代に生まれて宗一郎社長や他の伝説の先輩方と共に仕事をしたかったです
泣いちゃうなあ。
次はMAZDAも是非お願いします。
言わずとしれたロータリーエンジン、ミラーサイクルエンジン、ドイツ勢もなし得なかった圧縮着火ガソリンエンジンSkyactiv-X
MAZDAも良い意味で変態!動画見てみたいです。
初コメ失礼します。
いつも楽しく拝見させていただいてます。
私は今、大学4年で大学院への進学を考えてます。その後は自動車メーカーに就職したいと考えてます。
世界の車に対する情勢や車離れとか悲しいなと思う時もありますが、当チャンネルの様々な動画見てるとクルマはいいなと目標に向けて頑張ろうと思わせてくれます。
いつもありがとうございます!長文失礼しました。
8:12
あとで気づいたんですが、藤沢さんの着流し姿をサラッと載せるところに主様の見識の広さが分かります…
特振法で通産省で籠城騒ぎおこしたあと、本社よって藤沢と話していこうと本社よったら、作業着姿だったんで受け付けには社長だと思われず。
どこかの販売店のおじさんが専務にあわせろとごねてると報告されたとかそんなエピソードがあったような。
なんせ和光の研究所に入り浸りで本社は藤沢さんにまかせっきりだったから
マクラーレン・ホンダにアイルトン・セナが加入したときに
宗一郎が「お前のために最高のエンジンを作ってやる」って言ったのもかっこいいですね。
たぶんそれモナコで行われたFIAのパーティーだってような?記憶違いだったらすまん。
すぐ金のことどうでも良くなるのは経営者として絶望的だけど余りある技術と人柄で会社を成長させてて凄すぎる。
宗一郎氏は有名過ぎるけど、藤沢さんがいなければ達成出来ない事も多々あったと思うから良いコンビだったんだな~って………
こんな時代の反逆児や、変態的技術屋さんが生まれ、育まれ、羽ばたいていく日本であって欲しい😭
なんでだろうな。日本の産業の始祖だからなのかな。何故か分からないけど車が好きで熱くなれる。ただの鉄の塊に車輪が付いただけのものただの移動手段のはずなのに愛着が湧くし、手放す時には熱いものが込み上げる。それはきっとこの車を人々に届けるまで人が繋いで来た想いの歴史がその車に宿っているからなのだろう。
まさにThe Power of Dreams
純粋に夢を追い求めて挑戦し続ける親父の熱い思いは、
ホンダフィロソフィーという文化を残し継承されていますね
何回見ても泣ける。
疲れたときに見ると、
心が洗われる。
またそのうち見に来る。
ありがとう。
熱い人間の挑戦によって「今」があるんだと感じる
感動的しました!
二人の引き際が素晴らしいです!
ギネス記録のカブを作り、レースで技術を磨き一般車にフィードバックする。バイクはYAMAHA。車はSUZUKIが好きですが、本田宗一郎さんは人として好きです。
どれも浜松にゆかりがあるね。
@@ddef-gf1zm あ、そういえばそうですね!
17:47
最愛の奥さんの名前は「さち」さんやで
動画とても面白かったです〜
編集お疲れ様です!
歴史を知れるともっと好きになるなあ
スポーツカーこそ技術革新や車の楽しさを加速させるとS360を開発・販売し、死ぬ前に見届けられた最後のホンダ車がビートだったと聞いた事あるが、そんなストーリーになったのも本田宗一郎さんらしいと思う。
立つ鳥跡を濁さずと去った結果、現在も技術等のアプローチが他社と違う部分があるのも、ホンダがホンダらしく強みとなる部分だと思う。
一流の人間は何もかもが鮮やかすぎて眩しすぎる。
本田宗一郎さんの人生は、そのままで小説よりも小説的で、下手なドラマなんかよりドラマチックだ。
まずはうp様編集、お疲れ様でした
解りやすい解説で🍀何時も楽しみにさせて頂いてます😭
日本人の技術とスピリットを感じ世界一なった事やお互いの得意な事を二人三脚で会社を成長し大きくなった感動しました。
これからも企画し作製大変と思いますが、次回作を楽しみにしております
ありがとうございます😊
とてもいい動画でした! 次回も期待しています!
めっちゃ感動した!もっと評価されるべきだよこの動画!
「挑戦者」である事がホンダらしさなんだと思う。これからもホンダには頑張って欲しい。
『車を創ってるメーカーが渋滞を作っちゃいかん❗』
そんなことを言えたオヤジさん…。
あなたのおかげで、バイクライフ…続けています🎵
(安全運転普及本部グループの教習所で免許を取得し、はや27年…小柄な体格でも750cc超のビッグオフに乗れたのは、これからも糧となるでしょう…。)
そして今、久しぶりにHONDA車(ADV150)に乗ってます🎵
肩肘張らずに、お気楽に…やっぱりバイクは楽しい🎵
ホンダはエンジンを作らせたら天下一品と思ってる。
ゼロエミッションを達成しつつ、楽しいエンジンを是非とも実現してほしいです!
水素内燃機関を完成させる1番手はHONDAとなるでしょうね。
第一期F1時代に現場でエンジンの各気筒の燃焼温度を判断する方法が、濡れタオルでエキマニを叩いて「ジュッ」っと、水が高温ではぜる時の音だったってのを読んで感心した記憶があるな
ずっと二人三脚で歩んできた藤沢が亡き後、本田宗一郎はアメリカにて自動車殿堂入りを果たす。
授賞式を終えて日本に帰国した宗一郎はその脚で亡き藤沢の家へ向かい、彼の位牌に受け取ったメダルをかけ、
「これは俺がもらったものじゃねえ、俺とお前の2人でもらったもんだ。」
と語ったという・・・。
たらればになってしまうが、もし藤沢が存命だったら、授賞式には2人で出席し、「ここまでこれたのも藤沢がいたから」と語ったかもしれない・・・。
HONDAのモデューロシリーズにドリキンこと土屋圭市をアドバイザーに招き入れたことが熱い!
そしてタイプRシリーズもそろそろ新型が待ち遠しいです♥️
毎回、時間をかけて丁寧に創り込まれているのが伝わってきます。
是非日本車以外も取り上げてほしいなと思います。変態で外せないのは、シトロエンです。創業者アンドレ・シトロエンの人物像と、DSや2CVの開発ストーリーがアップされるのを楽しみにしています♪
引退する時に各地のディーラーを回って握手した話好き…
油まみれの工員の手を嬉しそうに握ったとかね。
たまたま居合わせた商談客に「本田でございます いらっしゃいませ」と挨拶し まさか相手があのホンダ社長とは思いもしなかった客がびっくりしたり NSXのポスター見るやキレて「何が選ばれし者が作っていますだバカヤロウ!みんなが気持ち良く車を作れるのは掃除のおばさんや食堂でメシ作ってくれる料理人たちがいるからだ!彼らもまた選ばれし者だ!何もNSX作ってるおめぇたちだけがエライんじゃねぇ!フザケンナ!!」という話もある
これ全世界のメーカーやってほしい。
本田宗一郎の遺言となった言葉の一説…
「買って喜び、売って喜び、作って喜ぶ」
社員が羨ましいよ。
18に戻ってホンダに入社したいよ。
藤沢さん敏腕すぎる…!
もし藤沢さんがいなければ、ホンダは単なる町工場で終わっていたでしょう。
お葬式の晩、やけに外がエンジンの音でうるさいと思っていたら、次の日の朝、家の前にたくさんの花束が添えられていた話が大好き
社長に真っ向から反対出来るホンダと言う会社の、何と風通ししの良さよ。👏👏👏
他人が遣りたがらない空冷エンジンで、マスキー法をクリアするエンジンを作る宗一郎の信念が、F1事故に繋がった。こだわりを貫くにはリスクが付き物なんだね。
最愛の妻は❌みかさんじゃなく⭕さちさん。
今回も良い話や…しかもカノンが更に感動させてくれるし…最高かよ
分かりやすいし、ゆっくり系の動画で一番感動した。
素晴らしい動画ありがとうございます。
こういう技術者、夢追い人がもっと日本の若者から出てこないといけない。
衰退してる、衰退していると言っている場合ではないよ!
次はHONDAの車を買おうかな。
NSXは無理だからシビックとかw
もう40年くらい前か、私の子供の頃には夏になれば毎日のように光化学スモッグ注意報が発令されてました。現在では、この猛暑にもかかわらず年に2~3回くらいで、空の青さも昔より鮮やかと感じます。
この青空と空気を守る先陣をきってくれたのが、本田宗一郎さんと技術者の皆さんなんですね。未来への素晴らしい贈り物、今、受け取っています。心からありがとうございます🙏
半年前に観て泣いて、今観てもまた泣いちゃった
15:40から
音楽もあるけど
泣けた
このチャンネルの動画本当に好き
ありがとう!待ってたよー!
今回も濃密で面白かった😆
空冷F1エンジンの、事故後の社内の話はよく知らなかったです。
いつも見ていて涙が出ます
ジャンルは違えど1技術者として誇りを持って死ぬ時に良い人生だったと言える人になって行きたい
泣いた
挑戦し試行錯誤を繰り返し頑張っていこうと思う
先週の終わりぐらいからこのチャンネルの動画を見始めました。今日、全ての動画を見終わりました。本当に素晴らしい動画ばかりで車は好きだけどにわかな僕にもわかりやすい。最初のisfから編集やゆっくりの話し方に違和感は少なかったですが二本目からの進化が早い。笑いもしっかりある。本当にうp主さんは、僕が好きな変態ゆっくりの一人ですよ。
ありがとうございます。
除雪機からビジネスジェット機まで作るような会社だからなぁ
ホンダが小型発々の製造を始めたのはソニーのマイクロテレビの為に作ったのがきっかけらしい。
だから会社名を本田技術研究所(のちのホンダ)したのです。社員たちがのびのびと好きなものを開発するという本田宗一郎の願いがあったようです。