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かつての天王寺支線や野上電鉄を思わせるような貴重な映像をありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この時代の小型電車たちは、本当に見ていて楽しいものでした♡
デオ200は廃車後、部品はデオ720に再利用されましたが、デオ200に乗った感じがする車両でした。でも結構前に京阪1900形の部品に更新されました。デオ300も部品はデオ730に再利用されたものの、これも京阪5000系の部品に更新されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。旧型車廃車後の機器流用は江ノ電など他の鉄道でもよくありましたが、一般に車体よりも機器の方が耐用年数が長かったのでしょうね。
デオ300形は、本気で京阪本線に乗り入れるつもりで設計された車両で、設計最高速度は100km/hだったそうです。しかし、京阪は地上線ではなく、地下線で出町柳まで延伸したので、叡電との接続は実現されなかったんですよね。ちなみに、デオ300形の機器類ですが、デオ730形の製造では京阪1800系の機器類を使用したため引き継がれず、残念ながら全て解体処分されたそうです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。京阪への乗り入れを目的にデオ300形が設計されたというのは知りませんでした。現代において、もし乗り入れをどうしても実現するなら、叡電が途中から地下に潜るという大工事になりますね。
地元民で87年当時5歳でした。この時代の叡電をまた見れるとは...今でも八瀬のホームはこのままのですが周りの関連施設は随分と綺麗になりました。現在ではホームの中で飲食系イベントを開いたりしていますが、八瀬遊園が無くなったのはちょっとだけ寂しいですね(夏場のプール以外は賑わわない、まあ潰れるだろうなって感じの寂れた所でしたがw)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時、八瀬遊園の駅舎やホームが壊されるかもしれないと焦って撮影しましたが、歴史的価値が認められたためか存続できて良かったです。
電動車中型車(ナカガタシャ)=デナ、電動車大型車=デオがここの会社の特徴ですね。大きな輸送力とパワーを持ったデオ200形や全金属製車体で貫通幌が1段引っ込んでたデオ300形は良い電車でした。デナ121形も居たような。最近だと2020年2月に宝ケ池駅の低いホームを撮影するためだけに行ったことがありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。デオ、デナ、他では例が無いと思いますが面白い呼び方ですよね。叡電の駅は八瀬遊園だけでなく、宝ヶ池や出町柳も当時に対し雰囲気が大きく変わっていないようで(他の鉄道では、ビルの下に入って暗くなったりしている)個人的には嬉しいです。
京福電気鉄道叡山鉄道部時代の車両や出町柳駅の寺院風の駅舎が懐かしい。京都市電が廃止されてから京阪が出町柳まで延伸するまでの陸の孤島時代は、出町柳から三条京阪まで京都バスがリレーバスを運行していたという。今や、叡山電鉄はきららやひえいなどの観光列車を保有するなど京阪の100%子会社となって大きく様変わりした。また、改築された出町柳駅の駅舎の改札方向を眺めると、寺院風の駅舎の遺構を見ることができる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。懐かしんでいただけたなら、こちらとしても嬉しいです。仰るように、叡電も今や斬新なデザインの車輛で話題を呼ぶなど、大いに発展しておりますが、この動画の時代は、車輛たちも駅舎も「のどか」そのものですね。
側窓のRのついた美しい車体のデナ21形はいいですね~車内は木の温もりが感じられて、昭和の車両の代表ですね。駅もまたレトロ感満載で、どこか外国の駅にも似た雰囲気ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。叡電の顔だったデナ21形は登場時のクラシカルな造形が比較的残されていた素晴らしい車輛でしたね。他社の例では、同時代の車輛がたとえ残っていたとしても、前面や窓などが「近代的に」改変されていたものが多かったですが。クラシカルな大屋根のある八瀬遊園駅は、規模はちょっと小さいですが、たしかに欧州のターミナル駅のようにも見えますね。
懐かしい。むかし祖父母の家を訪ねる時、いつも叡電を使っていました。自分の幼少期の頃は車掌さんがいて、切符を電車内で見せていた思い出もあります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。懐かしんでいただけたなら当方も嬉しいです。当時の叡電の電車はどれも好きですが、特にデナ21形の車内は、素材やブラウンの色合いがクラシカルで、本当に良い雰囲気でした。
京阪鴨東線開通で「陸の孤島」状態が解消されて以降、大阪側からは「洛北直結」、京都洛北側からは「大阪直結」がそれぞれ強まり、大阪の都心から洛北・比叡山・鞍馬がより身近になりました。大津線でも鴨東線開通準備の作業に追われることとなり、運賃表等も鴨東線開通以降を反映したものに順次更新されたほか、駅名標のフォントも本線系統基準で2世代前のものをベースにゴナ書体へ順次変更されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰るように「直結」以降は、より観光路線として発展しましたね。この動画に登場の「陸の孤島」の車輛たちは、云わばガラパゴス島の希少生物のようなものだったかと。
私も同年1月に鞍馬線に乗りました。その時の車両は『デオ300』で 動画でも解説されている通り 珍しいポール終電のカルダン駆動車でしたね。デナ・デオと客車のような形式の電車たち。昭和モダニズムそのものといった内外装の『デナ21』はやっぱり軽かったのかな?あの時乗っときゃ良かったな…。今改めて観ると 連結部が『両幌』で 互いの車両同士がなんとも離れている事か。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。同じ頃に乗られていたのですね! 私はこの'87年当時、デオ200や300が引退間際なのを知らず、たまたま訪問したのが旧型4形式が揃って見られる最後の年だったというのは、実に幸運でした。
正にザ、昭和と言う雰囲気が駅にも車輌にも表れていましたね‼️確か、この会社は江ノ島電鉄(神奈川県)と姉妹提携していますよね。江ノ島電鉄主要駅に「江ノ電・嵐電」って感じで互いの魅力をアピールしていますネそれにしても一昔前前迄はこの会社も今じゃあり得ない(ちょっと言い過ぎ)博物館的車輌が走っていたんですね👀取材お疲れ様でした🙇
映像冒頭の駅舎、現存とのことでなによりです。古都、京都には近代的な建物は馴染まない、つくづく思います。しかし鉄骨に板張りの駅舎とは変わってますね。叡山電車の形式名は、どのような理由で「ナ」「オ」と付けているのでしょう?国鉄の客車はナハは「並型」オハは「大型」なのですが、これに準拠しているのかもしれませんね。私もジジィになりましたので、叡山電車に乗って、ゆっくりと古都京都を観光したくなりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私が叡電を初めて訪問したこのとき、将来路線が廃止されることはないにしても、この八瀬遊園駅の駅舎はきっと建替えられるだろうと思い、記録映像を残したわけですが、後年、駅舎の歴史的価値が保存に結びついて(結びつかない例が少なくありません)本当に良かったと思います。デナの「ナ」は中型(ナカガタ)、デオの「オ」は大型の意味だそうです。中型も並型も同じようなものですね(笑)。
古い映像かと思いましたが新しいですね。集電装置がトロリーポールではないのはともかくとしても乗務員の制服が詰襟ではないですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。もし訪問があと数年早ければ、詰襟姿を映像に収めることができました。(京福から叡電に独立した際に、どうも制服が変更されたようです。)ポール集電時代は'70年代までだったようなので、まだ家庭用ビデオカメラなど無い時代ですね。
@@昭和電車チャンネル 制服の変更は叡山電鉄に分離する以前でした。また放送設備を取り付け、2両編成の場合に貫通路を通行可能にして3人乗務から2人乗務に変えたのもその頃ですね。それまでは放送設備はなく車掌が肉声で行先や次駅の案内をしていました。
デオ300…運転したかった車両です。20、600はハンドル握りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時叡電の運転をされていた方からのご経験談、貴重です。
叡山電鉄と云えば八瀬遊園や鞍馬を思い出すのが一般的だが、食い意地の張っている私からしたら一乗寺駅を挙げておきたい。ラーメン🍜街道が近いです。麺屋極鶏をおすすめします。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ラーメン街道、麺屋極鶏、憶えておきます(笑)。
デナ21が残っていればいろいろできたのにもったいない
いつもご視聴、コメントありがとうございます。デナ21は、できればイベント用の1編成で良いので残して欲しかったですね。それが無理でも江ノ電のタンコロのように車庫構内で動態保存して欲しかった。調べてみると、鞍馬駅に前面だけのカットボディは保存されているようですが、あれほどの名車なのに、もしかして丸々の保存車は皆無なのでしょうか・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私が訪問した当時は、まだ姉妹提携してなかったと思いますが、私は元々江ノ電が大好きで通い詰めておりましたので、初めて叡電(及び嵐電)を訪問した際には、なんと言うか、江ノ電の様な佇まいがそのままそこに存在していて、大いに感激したものでした。
かつての天王寺支線や野上電鉄を思わせるような貴重な映像をありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この時代の小型電車たちは、本当に見ていて楽しいものでした♡
デオ200は廃車後、部品はデオ720に再利用されましたが、デオ200に乗った感じがする車両でした。でも結構前に京阪1900形の部品に更新されました。デオ300も部品はデオ730に再利用されたものの、これも京阪5000系の部品に更新されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
旧型車廃車後の機器流用は江ノ電など他の鉄道でもよくありましたが、一般に車体よりも機器の方が耐用年数が長かったのでしょうね。
デオ300形は、本気で京阪本線に乗り入れるつもりで設計された車両で、設計最高速度は100km/hだったそうです。
しかし、京阪は地上線ではなく、地下線で出町柳まで延伸したので、叡電との接続は実現されなかったんですよね。
ちなみに、デオ300形の機器類ですが、デオ730形の製造では京阪1800系の機器類を使用したため引き継がれず、残念ながら全て解体処分されたそうです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
京阪への乗り入れを目的にデオ300形が設計されたというのは知りませんでした。現代において、もし乗り入れをどうしても実現するなら、叡電が途中から地下に潜るという大工事になりますね。
地元民で87年当時5歳でした。
この時代の叡電をまた見れるとは...今でも八瀬のホームはこのままのですが周りの関連施設は随分と綺麗になりました。
現在ではホームの中で飲食系イベントを開いたりしていますが、八瀬遊園が無くなったのはちょっとだけ寂しいですね(夏場のプール以外は賑わわない、まあ潰れるだろうなって感じの寂れた所でしたがw)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時、八瀬遊園の駅舎やホームが壊されるかもしれないと焦って撮影しましたが、歴史的価値が認められたためか存続できて良かったです。
電動車中型車(ナカガタシャ)=デナ、電動車大型車=デオがここの会社の特徴ですね。
大きな輸送力とパワーを持ったデオ200形や全金属製車体で貫通幌が1段引っ込んでたデオ300形は良い電車でした。
デナ121形も居たような。
最近だと2020年2月に宝ケ池駅の低いホームを撮影するためだけに行ったことがありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
デオ、デナ、他では例が無いと思いますが面白い呼び方ですよね。叡電の駅は八瀬遊園だけでなく、宝ヶ池や出町柳も当時に対し雰囲気が大きく変わっていないようで(他の鉄道では、ビルの下に入って暗くなったりしている)個人的には嬉しいです。
京福電気鉄道叡山鉄道部時代の車両や出町柳駅の寺院風の駅舎が懐かしい。
京都市電が廃止されてから京阪が出町柳まで延伸するまでの陸の孤島時代は、出町柳から三条京阪まで京都バスがリレーバスを運行していたという。
今や、叡山電鉄はきららやひえいなどの観光列車を保有するなど京阪の100%子会社となって大きく様変わりした。
また、改築された出町柳駅の駅舎の改札方向を眺めると、寺院風の駅舎の遺構を見ることができる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたなら、こちらとしても嬉しいです。仰るように、叡電も今や斬新なデザインの車輛で話題を呼ぶなど、大いに発展しておりますが、この動画の時代は、車輛たちも駅舎も「のどか」そのものですね。
側窓のRのついた美しい車体のデナ21形はいいですね~車内は木の温もりが感じられて、昭和の車両の代表ですね。駅もまたレトロ感満載で、どこか外国の駅にも似た雰囲気ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
叡電の顔だったデナ21形は登場時のクラシカルな造形が比較的残されていた素晴らしい車輛でしたね。他社の例では、同時代の車輛がたとえ残っていたとしても、前面や窓などが「近代的に」改変されていたものが多かったですが。クラシカルな大屋根のある八瀬遊園駅は、規模はちょっと小さいですが、たしかに欧州のターミナル駅のようにも見えますね。
懐かしい。むかし祖父母の家を訪ねる時、いつも叡電を使っていました。自分の幼少期の頃は車掌さんがいて、切符を電車内で見せていた思い出もあります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたなら当方も嬉しいです。当時の叡電の電車はどれも好きですが、特にデナ21形の車内は、素材やブラウンの色合いがクラシカルで、本当に良い雰囲気でした。
京阪鴨東線開通で「陸の孤島」状態が解消されて以降、大阪側からは「洛北直結」、京都洛北側からは「大阪直結」がそれぞれ強まり、大阪の都心から洛北・比叡山・鞍馬がより身近になりました。
大津線でも鴨東線開通準備の作業に追われることとなり、運賃表等も鴨東線開通以降を反映したものに順次更新されたほか、駅名標のフォントも本線系統基準で2世代前のものをベースにゴナ書体へ順次変更されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように「直結」以降は、より観光路線として発展しましたね。この動画に登場の「陸の孤島」の車輛たちは、云わばガラパゴス島の希少生物のようなものだったかと。
私も同年1月に鞍馬線に乗りました。
その時の車両は『デオ300』で 動画でも解説されている通り 珍しいポール終電のカルダン駆動車でしたね。
デナ・デオと客車のような形式の電車たち。
昭和モダニズムそのものといった内外装の『デナ21』はやっぱり軽かったのかな?
あの時乗っときゃ良かったな…。
今改めて観ると 連結部が『両幌』で 互いの車両同士がなんとも離れている事か。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
同じ頃に乗られていたのですね! 私はこの'87年当時、デオ200や300が引退間際なのを知らず、たまたま訪問したのが旧型4形式が揃って見られる最後の年だったというのは、実に幸運でした。
正にザ、昭和と言う雰囲気が駅にも車輌にも表れていましたね‼️
確か、この会社は江ノ島電鉄(神奈川県)と姉妹提携していますよね。
江ノ島電鉄主要駅に「江ノ電・嵐電」って感じで互いの魅力をアピールしていますネ
それにしても一昔前前迄はこの会社も今じゃあり得ない(ちょっと言い過ぎ)博物館的車輌が走っていたんですね👀
取材お疲れ様でした🙇
映像冒頭の駅舎、現存とのことでなによりです。古都、京都には近代的な建物は馴染まない、つくづく思います。しかし鉄骨に板張りの駅舎とは変わってますね。叡山電車の形式名は、どのような理由で「ナ」「オ」と付けているのでしょう?国鉄の客車はナハは「並型」オハは「大型」なのですが、これに準拠しているのかもしれませんね。
私もジジィになりましたので、叡山電車に乗って、ゆっくりと古都京都を観光したくなりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私が叡電を初めて訪問したこのとき、将来路線が廃止されることはないにしても、この八瀬遊園駅の駅舎はきっと建替えられるだろうと思い、記録映像を残したわけですが、後年、駅舎の歴史的価値が保存に結びついて(結びつかない例が少なくありません)本当に良かったと思います。デナの「ナ」は中型(ナカガタ)、デオの「オ」は大型の意味だそうです。中型も並型も同じようなものですね(笑)。
古い映像かと思いましたが新しいですね。集電装置がトロリーポールではないのはともかくとしても乗務員の制服が詰襟ではないですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
もし訪問があと数年早ければ、詰襟姿を映像に収めることができました。(京福から叡電に独立した際に、どうも制服が変更されたようです。)ポール集電時代は'70年代までだったようなので、まだ家庭用ビデオカメラなど無い時代ですね。
@@昭和電車チャンネル 制服の変更は叡山電鉄に分離する以前でした。また放送設備を取り付け、2両編成の場合に貫通路を通行可能にして3人乗務から2人乗務に変えたのもその頃ですね。それまでは放送設備はなく車掌が肉声で行先や次駅の案内をしていました。
デオ300…運転したかった車両です。
20、600はハンドル握りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時叡電の運転をされていた方からのご経験談、貴重です。
叡山電鉄と云えば八瀬遊園や鞍馬を思い出すのが一般的だが、食い意地の張っている私からしたら一乗寺駅を挙げておきたい。ラーメン🍜街道が近いです。麺屋極鶏をおすすめします。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ラーメン街道、麺屋極鶏、憶えておきます(笑)。
デナ21が残っていればいろいろできたのに
もったいない
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
デナ21は、できればイベント用の1編成で良いので残して欲しかったですね。それが無理でも江ノ電のタンコロのように車庫構内で動態保存して欲しかった。調べてみると、鞍馬駅に前面だけのカットボディは保存されているようですが、あれほどの名車なのに、もしかして丸々の保存車は皆無なのでしょうか・・・
正にザ、昭和と言う雰囲気が駅にも車輌にも表れていましたね‼️
確か、この会社は江ノ島電鉄(神奈川県)と姉妹提携していますよね。
江ノ島電鉄主要駅に「江ノ電・嵐電」って感じで互いの魅力をアピールしていますネ
それにしても一昔前前迄はこの会社も今じゃあり得ない(ちょっと言い過ぎ)博物館的車輌が走っていたんですね👀
取材お疲れ様でした🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私が訪問した当時は、まだ姉妹提携してなかったと思いますが、私は元々江ノ電が大好きで通い詰めておりましたので、初めて叡電(及び嵐電)を訪問した際には、なんと言うか、江ノ電の様な佇まいがそのままそこに存在していて、大いに感激したものでした。