しながわのチカラ「書家・長谷川耕史」
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- Опубликовано: 7 янв 2025
- (1)プ ロ ロ ー グ
代々、南品川で古来より伝わる『書が持つ、すばらしさ』を伝承する日本書鏡院。3代目会長の長谷川耕史(はせがわこうし)さん。
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「日本書鏡院では書体の基本となる「楷書・行書・草書・篆書・隷書・仮名」と6書体のもつ基礎的なもの。古典に基づいた わかる字、読み読みやすい字を中心に勉強している」
長谷川さんは古典作品だけではなく、他分野とのコラボレーションを積極的に行い、書の世界を広めている。
日本書鏡院会長(3代目)長谷川耕史さん「もしかしたら(コラボレーションは)試練かもしれませんね。自分を成長させてくれる貴重な機会と考えている」
長谷川さんは令和4年度のO美術館企画展にも選ばれた。
しながわのチカラ『書家・長谷川耕史』
祖父の代から南品川で暮らす長谷川さん。いまもなお、南品川を拠点に活動する書家・長谷川耕史さんの世界に迫る。
(2)日本書鏡院
目黒川の前にある日本書鏡院。昭和8年から、この地を拠点に書道の伝承を行っている。
こちらは長谷川さんが講師を務める教室。
日本書鏡院会長(3代目)長谷川耕史さん「(日本書鏡院の支部の数)約120。弟子の数は約3000名。日本全国に散らばっていて、ハワイやテキサス、シリコンバレー、ロンドンにもいます」
*講師 鈴木珠美さん「丁寧な指導で楽しい仲間たちと一緒に有意義に勉強させてもらっています」
(3)日本書鏡院の先代
この日、長谷川さんが訪ねたのは寄木神社。こちらの「江戸漁業根源の碑」の文字を揮毫(きごう)したのは、長谷川さんの祖父・耕南さん。耕南さんは日本書鏡院を創設した人物である。
日本書鏡院会長(3代目)長谷川耕史さん「正統派の楷書でびしっと書かれている。楷書というのは誰が見ても良しあしがわかりやすい。見事だと思う。もともと新潟出身で上京して警視庁に勤める。最初の配属先は大崎警察署と聞いている。警察官のなかに字の上手な人がいると有名になり書家になる。50歳頃(昭和23年頃)この碑文を揮毫している」
初代の長谷川耕南さんは政界や財界、警視庁などでも書道師範を務め、昭和51年に勲四等瑞褒章を受章している。
天妙国寺にある日本浪曲協会「桃中軒雲右衛門」の慰霊塔の文字も、耕南さんが揮毫した。
旧東海道にある問答河岸の碑。こちらの文字も耕南さんが揮毫している。
青梅市の御岳山山頂にある武蔵御嶽神社。こちらには、耕南さんの石碑がある。
武蔵御嶽神社宮司 須﨑 裕さん「耕南先生が武蔵御嶽神社にお参りにきて、御岳山の宿で書家になることを決意したという話が残っている。先生が御嶽神社に残しておきたいという気持ちで建てたと思う」
日本書鏡院は昭和45年から毎年夏に武蔵御嶽神社で講習会を行っている。
奥の院瑶拝所(ようはいじょ)の文字は3代目の長谷川耕史さんが揮毫した。
武蔵御嶽神社宮司 須﨑 裕さん「耕史先生は、やわらかい字でいい字を書いてますよね。血筋というのがあるんだなと思います。代々、素晴らしい」
(4)長谷川耕史さんの生い立ち
長谷川耕史さんは、昭和46年、8月南品川で誕生。小学校は地元の城南第二小学校に通う。
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「この品川区の住みやすさ、アクセスの良さ、居心地、これは、きっと外に出ると、わかることかなと思う。最初に筆を持ったのは3歳頃だと思う。書家の家に生まれたということもあり、書いていたと思う。書家を志したのは高校時代にはなるような気がしていた。正式には大学時代に志したと思う。当時22歳で大学を卒後して『10年間サラリーマンをしよう』と就職した。組織にもまれ、社会のルールを勉強した。36歳のときに会社を辞め、書家として独立した。平成27年(2015)、国の依頼で看板を書いて、書家として自信が出てきたのは、ほんの数年前だと思う」
長谷川さんは、平成29年(2017)2代目会長の父・耕生さんから会長の座を受け継いだ。
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「祖父の字の暖かさ、真綿で包んだような字でありながら、芯のある字。それを目指している。さらには、長谷川耕史の字というものも最終的に確立していかなければいけないと思っている」
(5)О美術館
品川区大崎にあるO美術館。館長室に長谷川さんの姿。この日は令和4年度のO美術館企画展の打ち合わせに訪れていた。
タイトルに込められた思いとは…。
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「『響き』『響く』(見た人に)響いてほしいという願いを込めた」
長谷川さんに作品の解説をしていただいた。
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「『書には挫折も卒業もない』書道は算数のようにはいかない。これは永遠に生涯、手の動く限り、卒業はないと思っている」
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「『人生を楽しむ 人を愛する 全てに感謝』生き様 人生を1日1日楽しむ。明日生きている保証はない。生涯を終えるときに『楽しかったな』と終われるのが理想。感謝の気持ちをもって、日々、生きている」
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「『日々是好日(にちにちこれこうにち)』与えられた日。どんな過ごし方をするかによって、これがいい日になるか。悪い日になるか。それぞれの過ごし方だと思う。1日1日悔いがないように過ごしたい。柔らかく暖かく表現している」
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「『spring has come』英語で書いた作品がある。『TUBE(チューブ)』の春畑 道哉さんからいただいた言葉。春畑さんのソロアルバムの題名。春畑さんからCDアルバムをいただき、音楽を聴きながら作品を書いた。日本には5万を超える漢字があるなかで英語のアルファベットというのは26文字しかない。筆文字を使うことでいろいろな表現ができると思う。日本だけではなく世界に長谷川耕史の書を届けたいと思う」
(6)エ ピ ロ ー グ
この日、日本書鏡院を訪ねると子どもたちの姿があった。夏休みの小中学生を対象にした教室。昼頃から夕方にかけて開かれ、それぞれ通う時間も異なるという。年齢や習熟度に応じて個別に指導される。
*6年生 鈴木万葉さん「お母さんに『字がきれいなことは いろいろなことに役立つからやってごらん』と言ってもらい習うことになった。字がうまくなるのがうれしくて楽しい」
『書が持つ、すばらしさ』を未来に受け継ぐ子どもたち。
さて、気になるのは後継者の問題である。
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「私には22歳の長男、18歳の長女がいる。いずれ書家になってくれるか、なってくれないか。まったく強制していない。4代目になってくれたらいいなと思っている」
日本書鏡院 会長(3代目)長谷川耕史さん「『わかりやすい、暖かい』長谷川耕南の字を私が中心になって広めていきたい」
耕南さんの代から、およそ90年。長谷川耕史さんの代で進化した『書』の技術と心は、品川から未来へ受け継がれ、さらなる発展を遂げることであろう。
きっと、後世の人たちの心にも『響く』はずである。
(令和4年9月30日版)