秀吉VS光秀!命運をかけた決戦【山崎の戦い】世界の戦術戦略を解説
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- Опубликовано: 10 сен 2024
- 今回は【麒麟がくる】最終回ということで山崎の合戦と中国大返しを思い切って紹介しますよ!
明智光秀と羽柴秀吉の激アツ戦いですよ!
再生リスト【世界の決戦シリーズ】→ • 不可能を覆す史上空前の決戦【カンナエの戦い】...
参考文献
福島克彦【明智光秀】
播田安弘【日本史サイエンス】
ルイス・フロイス【完訳フロイス日本史】
海上知明【戦略で読み解く日本合戦史】
渡邊大門【明智光秀と本能寺の変】
乃至政彦「戦国の陣形」「図解・戦国の陣形」
小和田哲男【秀吉の天下統一戦争】
藤田達生【明智光秀・資料で読む戦国史】
歴史人No98・歴史道vol13
歴史群像No149・No159
歴史街道令和二年二月号
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秀吉・光秀イラスト nabe / PIXTA(ピクスタ)
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#歴史 #世界の戦術戦略 #戦国 #軍事 #合戦
誤字訂正・・・内戦作戦じゃなくて内線作戦です。すみません!
ちなみに内線作戦はナポレオンの得意技だったりするのでまた出てくる事になりますよ!
いやぁ秀吉も光秀どっちも結構好きだからどっち視点で紹介しようかとクッソ悩みましたわ。光秀はあのどこか儚げな感じがたまらんのですわ。
天王山での戦闘は一次資料に書かれてなく最近での紹介本では否定したりスルーしてるのが多かったりする。それに通説に近い布陣を採用したけど、実は明智軍の布陣もそこまで判明してるわけでなく様々な考察があったりするので、いずれの機会があれば紹介してみたいです~。
どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
山崎の戦い前に周辺の農民に迷惑が掛からない様、秀吉も明智も「絶対部下に略奪はさせないからそこは安心して欲しい」と周辺の集落に言っててその辺のエピソードも好きだなぁ。
日本史解説待ってました!
このチャンネルおかげで世界史も日本史も流れがつかめるようになってきました。
無理せずがんばってください。
内線作戦 なのね
覚えとこ
水野勝成をお願いします😭🙏🙏🙏
大河ドラマ何が好きですか?皆の推しの大河ドラマ知りたいでやんす
山崎の戦いはいろんなところで解説等々が行われてはいるが、この解説のレベルの高さたるや、かつてN〇Kでやっていた歴史番組のそれを凌ぐものだと感じます。楽しかった!本当に感謝です!
変事での当事者の足跡とか見てていつも思うけど、
頭で段取り考えるのはともかく、情報が錯綜してる中で実際にリスキーな意思決定して即行動に移せる胆力がすごい
日頃から準備してた情報ネットワークや兵糧とかの気遣いがこの歴史的に神懸った大移動を支えたのか
信長が来る予定だったから余計に信長の情報に気にかけてたっていうのもあるね。信長用に豪華な宿泊施設も用意してたからそれも利用できたし。割と快適に大返しできた
中国大返し自体もすごいけど、日頃からの信長に対する心遣いで仕事が出来るひと感がすごい出てる
秀吉は柴田勝家の軍から軍規違反で抜けている。通常であれば打ち首であるがギリギリ許されている。つまり信長から厳しく目をつけられていた状態である。それ故信長に対しては並々ならぬ心遣いで仕事をしていたはずである。ちょっとのミスでも打ち首になる可能性が高かったからである。
@@araki-ck7lv やらかした後の命がけの気配りだったのですね
@@araki-ck7lv
普通なら打首を許されたのは、やっぱり日頃から秀吉が気遣いができたからなんだろう
機転も利くし弁も立つし、浅井軍に襲われてピンチになった時は真っ先に殿努めて守り抜いたし、あの信長も秀吉を殺すのは惜しいと思い、将来に期待してたから生かしたんだろうな
何なら秀吉がねねと喧嘩した時とか、何度も秀吉に助け舟出してるし
まさにそれ、 秀吉は あの猛将柴田の おとせなかった 稲葉山城を落としてるし、 こういう 噂もある。 実は 信長暗殺の 黒幕は 秀吉だが 明智と 当初、協力関係にあったにも 関わらず、裏切ったため、 あれだけ 早く 中国地方から 戻ってこれたという
@@user-pr4ne6hl8z 本当の黒幕は千利休だと言われている。
なぜなら安土城から京へ信長をおびき出している。
千利休にとって秀吉を天下人にしないと自分が出世できないからである。長曽我部から三好に四国を与えることにしたのも千利休の調略である。三好長慶の妹は千利休の妻である。そして長曽我部が四国を統一したら秀吉が京に攻める時に後から光秀の親戚である長曽我部から撃たれる可能性があるからである。
ネタじゃないほんまの高度な情報戦やなあ
麒麟が来るが終わったからちょうどいいタイミング
秀吉「キリンなんざけえへんわ」
秀長「やっぱりアサヒやな」
官兵衛「ここは山崎です。サントリーも忘れてはなりませんぞ」
この解説に同意。軍が展開できない平地の無いただの山の天王山に、見張り以外の利用価値はない。無線や双眼鏡もない時代に、戦況を天王山が左右したとは思えない。軍勢の数を利用した比較的オーソドックスな会戦だったという今回の解説がリアルぽい。
秀吉軍左翼部隊の迂回戦術に天王山の山道が使われたのでは無いでしょうか? そして秀吉の馬印も天王山中腹に立てられました。
天王山側に少数の明智軍が引きつけられた事により、河岸を進んだ右翼部隊の迂回もやりやすくなったのではないでしょうか?
そうか…「中国大返し」についていろんな番組や本を見てきたけれど、兵糧については「秀吉は光秀の謀反を読んでいたから準備していた」ぐらいしか見たことがなかった。信長に秀吉が「手に余るから来てくれ」って要請してた説は見たけれど、信長西征の兵糧を流用した説は見たことがなかった。勉強不足でした。
軍事行動は常に補給が必要で、各地から物資兵糧を集めていた。
秀吉の場合は主に山陽道と瀬戸内海の海路が補給路になる。
畿内の物資は信孝の兵が四国攻めのために集められていたはず。
秀吉の援軍の予定であった光秀の軍の兵糧は光秀の才覚で集められる。
つまり信長が用意した兵糧を使ったというのはあり得ない。
ちなみに中国大返しと秀忠の関ヶ原時の中山道の行軍は時間も距離も似通っている。
海路も使える山陽道と、雨が降る中山道ではどちらが難渋するかは言うまでもない。
高松城の水攻めで、どの程度の銭と米をばら撒いたのかは定かではない。
通説ではあり得ないほどの銭と米を配っている。
その説が正しいなら、姫路城の倉は空になっているはず。
実際には堤防はもっと短いもので、一部分を堰き止めるだけで効果があったという説もある。
そうであれば、秀吉の主城でもあり、交通の要衝でもある姫路城に物資を集めているのは当然。
山陰方面の物資も姫路に集まるだろう。
それならば大返しの兵糧も姫路の物資で間に合うはず。
信長に光秀が安土城で秀吉の後詰を命じられてから、亀山城で謀反を重臣たちに打ち明け決するまで数日のラグがあります。
そこまでに高松までの補給の手配も進められていたはずで、有能な秀吉側もその状況は確認していた可能性は高いでしょう。特に播磨は秀吉が治めていましたし、そこから高松城までの間は、秀吉側も補給に協力していたでしょうし、少なくもと情報は入ってきていたでしょう。実際に恵瓊との交渉で、信長到来が間近である事を通告しています。
つまり、姫路城などの蓄えに加えて新たに光秀側が準備した兵糧が、秀吉軍を呼び込んでしまったのでしょう。
今の世も昔もやっぱり情報って本当に大切なんだな
情報の大切さを知ってるやつが英傑になってるし
明智光秀も信長信忠が少ない手勢で近くに居ることを掴んでいて直ぐ決断・行動をしたことは凄いですよね。
丹羽長秀って 元は秀吉からすれば接しやすい先輩格だったから、秀吉も上手い事おだてて 良い関係を維持してたのかな? 畿内にいた有力武将である丹羽長秀の動向は 細川や筒井にも大きな影響を与えたんだと思います
見返りも大きかった。
最終的に100万石以上秀吉にもらっていた。
細川藤孝とかいう光秀の盟友でありながら本能寺の変後即座に隠居・出家して反明智の姿勢を明らかにする有能ムーブかました男
あいつは人生2周目じゃねぇの?ってレベルで必ず勝ち馬に乗るからなw
転生したら藤孝だった
でも友人にはなりたくないわあ。裏切りとは言わないけれど、状況に対して冷徹過ぎる。誰もが欲しい才能だけど…
いや、じゃあ元から忠興を玉と結婚させんなよって話だけどね。しかもよくよく考えれば明智父娘共に碌な死に方してねーじゃんw
@@user-kq1yc2bk2t た
秀吉さんカッケーってずっと思っていたけど、この動画見て「死せる信長、秀吉を走らす」と思った。
意味合いはオリジナルと違うけど、秀吉が常に信長の無茶振りに備えていたお陰でいち早く確度の高い情報を手に入れる入れることができたというのはなんとも皮肉が利いている。
信長は無茶ぶりと言うか、秀吉のその情報量と今でいうならず者共とのネットワークがなせる人物だったから信長がサルって可愛がってたんだよ。
三河や尾張の人間を見ればわかるが、双方この地方の出身者だが、ここらの人は他県に比べればせっかちなのと、出来る人間には評価する地域民だから
だから日本の屋台骨、製造業が古今集中してる。
毎回そうだけど、戦闘に至るまでの経緯が分かりやすくてすごく勉強になります。
おにぎりでの計算わかり易すぎるw
情報の速さや補給の説明が納得できた。
@@user-zs9rz5iq9n 再利用は戦争の基本ですわな。わざわざ信長を呼んだのかなと、秀吉黒幕論まで考えてしまいますね
@@user-zs9rz5iq9n 瀬戸内周りは都会でしたからな。
ただ、他方面の将は、御大を呼んで手柄を渡すなどの要領は持ってない気がするので秀吉の独壇場ではありますね。やろうと思えば出来る感じで。
@@user-zs9rz5iq9n 瀬戸内の流通網に大坂本願寺で散々苦しめられましたからね。
@@user-zs9rz5iq9n 堺…
どうでしょうねえ。関西人ながら常日頃、堺は昔も今も過大評価されすぎですし堺の人間はそれをさらに自己肥大化してると思います。もし内陸の流通網に支障がなければ堺に港としての価値はそれほどない。堺が開けたのは一にも二にも奈良への流通網として大和川の河口に位置していたからです(当時堺以北は沼地で使えない)。港としても特段良港でもない。
堺にとって瀬戸内の交通は絶対必要ですが、瀬戸内の流通網にとって堺は必須要項ではない。もし大坂や神戸(福原)が安全に利用できるとなったら、堺の価値はなきに等しい。実際、秀吉の時代も江戸幕府以降も、そして現在も堺は単なる1地方小都市に落ちましたし、今に至るもそのままです。
@@hymn13
大和川が現在のようになったのは江戸時代の川違え(付け替え工事)によるもので、戦国時代は堺方面には流れずに北へ、つまり現在の東大阪方面へ流れていたはず。
副社長って話の順番作成がうますぎるんだよな。序盤の会話で前提条件を解説しながら、本編の話に繋げるけど順番にちゃんと解説するから内容も忘れてない。
年始の動画でも話してましたが、何度も練習されているようですからね。尺の都合でカットした部分もあるでしょうから如何に流れを構築するかに頭を悩ませていらっしゃるんでしょうね。(そのせいか、ときどき早口になりますが個人的にはそれでもわかりやすいので頭に入ってきます。)
麒麟がくる見たあとだと明智軍応援しちゃうなぁ
姫路の発音が気になったw
副社長の歴史解説とても面白いです!!
秀吉ってなんでそんなに頭が回るのか·····
官兵衛もデカいと思うけどすごい
人物だよなあ·····
副社長の話、面白いからガチで3時間は聞ける。
この動画をまさにJR山崎駅て視聴する。感慨深い。
秀吉と光秀の旗印の感じから秀吉は金×赤で光秀は白×水色って感じでイメージカラーあんのめっちゃすき
ギラギラした成り上がりの起業家と清廉なエリート官僚って感じ。
秀吉の最も恐ろしい特徴は柔軟性にあると思う。
電撃戦も兵糧攻めも出来て、情報によって取捨選択の幅も広い。
秀吉相手だと、五分五分の状態で始めたとしても家康に勝てそうだからほんと恐ろしい。
待ってました。俺達の寺子屋、「いつかやる👊😃💕」 歴史解説。
やっぱり日本史は楽しい!日本なんだから日本史もっとやってほしい
凄い❗️なんと言う情報戦
信長が中国戦線に出陣する予定だったから、補給が出来たんですね
この補給の為に信長に
応援要請したのかと勘ぐって
しまうぐらい
状況が秀吉に有利ぽくみえます
日本史解説もっとしてくれよな〜
副社長の戦史解説動画が1番気に入ってます!欧州、日本、古代中国、古代ペルシャ周辺等々戦史は洋の東西問わず面白いですね。
近年、細川家に秀吉が送った書簡が見つかって両者の中には何らかの繋がりがあったんじゃないかとか…
子供っぽいですが、タイムマシンがあったら絶対この時代に行って真相を知りたいですね💡
気持ちは分かりますし自分も真相を知りたいと思いますが、自分だったらすべて簡単に真実が分かるようになったらきっと興味が薄れてしまうかもしれません。歴史は謎だからこそ、それが少しずつ解明されていくのが好きなので。
@@user-sv5kj7yu5p それは分かります。ですが死ぬときには知りたいものです。
本能寺の変を見てみたい。
秀吉は頭の回転も早いけど良い部下達に恵まれたのも一理あるな
秀吉は、信長という仕えにくい上司に仕える事で得たスキルで、光秀を制した。
つまり、光秀はやはり信長に負けたとも言えるかも。
いやさすがに信長に負けたと言ったら、光秀かわいそうw
多分信長と光秀が同じ数の軍勢で戦ってたら普通に光秀負けてた...
@@shiso_tempura
いっぱい言いたいことはありますが、同じ数にさせないのが戦略というものでしょう
むしろ秀吉より光秀の方が信長と仲良かったのでは…?
家臣と2人になるのを避ける信長が、光秀とは頻繁に密談をした記述も遺ってますし。
いくさが始まる前に勝てる準備をする・・・。孫子が高得点を与えそうな話です。
「麒麟がくる」の最終話は例の沢尻のアレとコロナのコンボで完全なやっつけ仕事だったなぁ
その二つがなかったら大河の代表的な名作になっていたと思うと残念でならない。
それでも駒と答案さえいなければと思ってしまう。まさか主役がナレ死とはね。
薬とコロナのダブルパンチ
秀吉って自身も有能だけど、部下が有能すぎるよな
しかも肉親が有能なのは強い
秀次粛正しなければ秀吉の死後家康に対抗できてたんでしょうかね。
秀頼と秀次が上手くやれるかは別問題としても。
どうやっても家康の天下だよね。
秀長がもう少し長生きしても、秀吉が死んだ時点でゲームオーバー。
光秀がやたらとイケメンなのが草
まあそれはともかく日本史シリーズも楽しみにしています。
日本の戦いとは珍しい
麒麟もだけど、個人的には信長を殺した男も読んでたので面白かったです
麒麟が来るでも山崎の合戦をちゃんとやって欲しかったな・・・
合戦もそうだけど、合戦直前の明智方の絶望感はせめて20分はして欲しかった。
4:05頃のことです
なめてるよなあれ。駒まじいらん
@@user-oe5sm1uy6zさん
門脇麦さん&堺正章さんを貶すつもりは毛頭ありませんと前置きした上で
駒と東庵先生に尺使いすぎだろ感はあるけど
①前作の韋駄天が大コケ
②10話撮ってから沢尻エリカ逮捕🚨🚨
③トドメにコロナで放送中断
これらの三重苦の状況では同情の余地はあるし、よく善戦したと思います。
@@user-oe5sm1uy6zさん
でも確かに駒と東庵先生でトータル三話分は消費してますよね😅
もったいねぇー😭😭
他の歴史ちゃんねるも見るけど、しゃべりのテンポがいいから一動画あっという間に見れる。
石田治部「過労死寸前まで粘りました……(膝ガタガタ)」
佐吉乙( ´ ▽ ` )ノ
八丁堀与力
まだ青年の佐吉めっちゃ頑張ったんやろなあ
日本史の強行軍って言ったら他に北畠顕家と島津義弘が思いつくけど、北畠は二回目負けて戦死だし、島津はそもそも負けてからだしやっぱ秀吉が強行軍やって勝ってるから一番なんだなぁ
しかも、次の賤ヶ岳と2回連続だから。
賤ヶ岳の時の大返しは一晩で数十kmと、更に進化してる。
11:22 すばらしい 今までの動画のどれよりも、比較して「視覚的に」わかりやすいものでした!
やべえ行軍と言えば北畠顕家
秀吉は別格として、光秀も相当優秀な武将だったとすると、この謀反はやっぱり腑に落ちない。
信長を討った後の行動をみると本当に「イケる!」と算段があっての決起のようだけど、結果をみればお粗末な謀反。
結局、光秀も誰かに担がされたのではないでしょうか。ひょっとしたらこれは、実は秀吉が全て仕込んだことだったのでは…。
諸説ありますが、明智光秀は羽柴秀吉に討たれる運命だったんでしょう
やはり本能寺の変がターニングポイントだったんですねぇ
秀吉の采配が一番光ったのは賤ヶ岳とこの中国大返しですね。
最近の研究では海運も利用して輸送もやったみたいなので、昔いわれてたよりは楽に大返しができると分かってきてます。
あと秀吉は自分の武勲は盛って話すらしいので「いや~、もうめちゃくちゃ苦労した~、あの大返し~」と触れ回ったのではないかとも言われます。
千葉県に明智家の墓とされているところがありますよー 光慶(息子)の文字は確認できましたが、光秀はわからんかったですが。土岐頼芸さんが江戸崎土岐家(常陸)および万木土岐家(上総)に世話になったったらしく、土岐家に縁のある者にとって逃げ道の一つだったみたいです~。
世界史合戦シリーズもいいけど日本史合戦も面白いからたくさんの解説よろしくお願いします!
めっちゃためになって面白いです!
山崎の戦いやってくれるなんてめっちゃ嬉しい!!
麒麟で見れなかったからやってくれないかなって思ってた!!
秀吉公の機動戦術は素晴らしい…!
戦国時代の九州での戦を取り扱って欲しいです。っていうかいっつも副社長の戦解説は本当にテンション上がります!そして勉強にもなる。素晴らしい動画を有難うございます。
山崎古戦場となった地域は阪急・JR京都線(新快速)・新幹線の三路線が隣り合って競争することで鉄オタには有名ですね。
それだけ交通の要所であり、狭まった隘路といえるわけです。
私の生家がまさにここにありましたが、陣が敷かれた円明寺川(現・小泉川)は私の格好の遊び場でした。
子供でもジャブジャブ歩いて渡れる程度の小川でしたから、数で押されたら簡単に陣を突破されるのもさもありなん。
現地ゆかりの生考察有り難いです!
麒麟がくるでは一瞬で終わった山崎の戦い
最終回こそ「山崎の戦い」にするべきだったと思う。「本能寺の変」は最終回の前座としては充分すぎる無いようだからね。「薄くね?」って思った人結構居るんじゃない?
麒麟がくるは打ち切り感満載でした
全部コロナが悪いんや…
麒麟がくるは全体的に合戦シーン少なかった...全部コロナのせいだ
いつも応援しています!
これからも面白い歴史お願いします!
こういう大一番の戦いも最後は数の論理で負けるというのが光秀の悲しいところ
やっぱりここまで考えると誰がというか本当に光秀が自分のために変を起こしたか怪しいところ
光秀はあてが外れた(細川と筒井)のが大きいと思う
にしてもどんだけ人望無いんだよって話だけど
自らの政権を作るってよりも、信長政権を止めるって意味合いの方が大きいように思えますよね...
信長政権を止めたかったのは光秀では無さそうですがね
そういえば最近細川が明智の謀反を秀吉に情報流してた説あるよね
だから秀吉は中国大返しが異常に
速い速度でできたらしいよ
この戦いのもう一つの側面は「どちらが朝廷をおさえるか」というものでしたね。光秀の戦略の根本にも朝廷があり、それをおさえていたという有利な点もありました。さらに秀吉側は大軍とはいえ織田信孝や丹羽秀長なども含めた「寄せ集め」の軍勢で、光秀が初めの攻撃を耐えて戦線が膠着すれば仲違いして空中分解する恐れも十分ありました。だから秀吉は見た目ほど有利というわけでなく、初めの勢いを生かしきれるかがすべてで、それを見事に生かしきったのは本当に見事だったと思います。
信長軍用の兵糧を利用したとは思わなかった。
そんな事実があったかどうか定かではない。
@@gionsyouji5831 それもまた定かではない
一つ言えるのは、秀吉が通ったルートは、秀吉軍の補給路であったという事。
そして信孝の軍が四国攻めのために大坂にいた。
そうなると周辺の兵糧は信孝の軍が集めていた。
秀吉の援軍であるはずの光秀の軍の兵糧は光秀が集める。
秀吉の大返しのルート上に信長が兵糧を用意することができるだろうか?
@@gionsyouji5831 秀吉は信長の家臣 つまり秀吉の兵站・補給は織田信長軍によるもの
如何に?
@@anonwaravino9824
それを言えば何でもあり。
動画内で取り上げる必要も無い。
素晴らしい解説でした
完全にテレビを超えています
他の武将が明智勢に加担しなかったのは秀吉の情報戦もあっただろうけど、もしかしたら信長の事が皆好きだったからかもしれない。
山岡荘八って作家が『徳川家康』って作品で、明智光秀の敗因についてこういう趣旨の事を語っています。
信長は部下から見たら恐ろしい上司だったかもしれないが、朝廷や庶民から見れば天下統一を推し進める事で平和を取り戻してくれる頼もしい味方だった。
光秀は信長を倒せば、織田家の他の武将や朝廷からも感謝されて自分の味方になってくれると考えた。
しかし、彼のやった事は混乱を生み出し戦乱の世の中に逆行するのではないかと人々を不安に陥らせるだけだった。
自分の周りで話すと、怖い上司だけど
ちゃんと評価されるし、思ってる以上に報酬くれるからじゃないのかと言う話になる
どんな創作物でも織田家重臣はのぶと愉快な仲間たちという描かれる。比叡山の生臭坊主、長島のカルト教信者、安土のぐうたら女官を成敗しただけで基本的に女子供、弱者に優しく毀誉褒貶ありすぎもまた信長の魅力
麒麟がくるもこの辺に話数割いて欲しかったな。
本能寺で終わりはドラマ的にも美しかったけど、山崎までしっかり描いて、自分が麒麟を呼べる人でなかった悲哀までやって欲しかったわ。
コロナと予算で仕方なかったのかな…。
…リメイク版を待ちましょう
10年後ぐらいに…"(-""-;)"
光秀めっちゃ優秀なんで結構好きです。by岐阜県民
ありがとうございました、わかりやすく、感動的でした、半兵衛、官兵衛すきです
今までは山崎の戦いというものは光秀と秀吉が戦って秀吉が勝ったと云うぐらいしか、どんな歴史番組でも戦いの内容については説明されなかったが、知りたかった山崎の戦いの詳細がわかりました。これでスッキリしました。
ナポレオンでもそうだけど、戦を制するのは戦闘ではなく機動と補給だな。
毛利側の偽情報だったのかもしれないのに即決してつ次の日和睦成立ってそんだけ情報網が整備されてたんだろうな、すごい
やはり、秀吉の急を知り、機に臨んでのとっさの判断力というか頭の回転の早さは、ただ者ではないですな。
明智光秀との決戦は、山崎周辺の戦闘の良し悪しといった戦術的なものではなくて、明智軍が有利な状況を作り出すよりも早く、山崎付近にまで軍を進出させることができたという戦略的なものによるところが大きいのではないかと思う。
光秀は信長の遺体を確保出来なかったのが痛かったですね。
出来なかったからこそどこの勢力も味方しなかったからねぇ。出来てたらまた少しは違ったかもしれない。
なんだかんだで明智光秀は名将だと思う。
謀反を起こすことを考えれば本能寺で襲撃して、経済・政治の中心である畿内を制圧するのが一番合理的だし、靡かない諸将を味方に引き入れるなら、すぐ近くの丹羽長秀隊を倒して戦果を宣伝するのが一番効果的でしょうね。
中国大返しされた時点で数で対抗するのを諦めて、結束力のある直属の部下と山崎という質と地の利を利用して迎撃する。
もしも、痛み分けで終わっても、急ごしらえの連合軍は、態勢を整えるために一時撤退することになると思う。
その隙に戦に疎い朝廷に勝利を宣伝して完全な味方にすれば、外交で有利になれるし、皆無だった連合軍の切り崩せる可能性も少しは出てくる。
他の武将の謀反だったら、ここで部下に籠城させて時間稼ぎしてもらい、筒井等の周辺勢力を攻めるとかして、裏切られて負ける気がする。ただ、相手が悪かった……
本当にその通りですね。それまでの歴史的に鑑みれば戦略的に素晴らしいやり方だと思います。ただただ天運が無かったのだと‥
9:30
最近聞いた説では、秀吉が毛利から追撃を受けずに済んだのは備前の宇喜多が背後を固めてくれたのが大きかったのだとか。確かに後に五大老にも選ばれた事も考えたらあり得るかと。
五大老になったの見ると小早川隆景も裏で通じてそう
宇喜多は暗殺を多用して下剋上した戦国屈指の腹黒大名なので、評判も悪かったはず。でも秀吉出世の立役者だったなら、五大老でも納得ですね。
@@user-lk8gw9ul7t
小早川は元々毛利家では親織田・秀吉派で、最後まで織田戦に反対したと言う説もあるので、密約とまでは行かずとも、強く慎重論を唱えた可能性は高いでしょうね。
世の中戦略ものは多いけど、こういう戦術の解説ってかなりニッチだよな。しかも映像付き。三国志ゲーム好きのおっさんにはたまらんよな。
ところでうまくやれば世界に売れる商品になったりしないか?
副社長の説明が一番わかりやすくて面白いです
山崎の戦いのときの羽柴軍右翼(加藤、池田)ってすごいよね
当時行軍で疲れ果て、さらに雨も降っていたのに重い鎧を着て、沼を通り抜け、明智軍側面をつくとは
色々諸説ありますが解説してくださってありがとうございます😊
大変面白かったです!😆
百年戦争のジャンヌダルクの話しもしてください!
日本史解説いいゾォーコレ
個人的には耳川の戦いや川越夜戦、厳島の戦いとかもやって欲しいなぁ
沖田畷も入れようぜw
あまり解説されることのない、天正壬午の乱や享徳の乱もお願いします。
秀吉は人たらしと言われるだけあってやっぱ周りが有能ばっかだな。
摂津富田、山崎って新快速止まんないから
通過してたけど…今度仕事帰りにでも降りてみようかな。
地図で今の地形見てもほとんど同じだからめっちゃ楽しい!
僕、関ヶ原とか山崎通過する時とかいっつも「ほぅほぅほぅ」と思いながら見てますねw京都線乗った時は友達ほっといて天王山に釘付けでしたw
@@user-zk3xp9zq7f
歴史好きは移動もエンターテインメントになりますよね✨
京都線はいい場所通りますよねぇ。
僕も阪神本線のって須磨あたり通る時は
一緒にいる人そっちのけで崖見てますねw
備中高松から山崎までの行軍は国道2号か
JRのようなルートを辿ったのかと思うと
やっぱり移動するだけでも楽しいですね!
やっぱこの大返しは神憑ってるな
秀吉の速さが凄かったとはいえ、光秀はよくこんな状況でイケると思ったな…。
チキンな俺にはとても真似出来ない博打だわ…。
日本史史上最も輝いていた秀吉はやっぱり強い!
教科書でサラッと、光秀を打って秀吉が信長の後を継いだ的な事が書かれてるけど、秀吉が光秀を打つ事が当時の情勢的にどれだけ困難かだったがよくわかります。
どう転ぶかわからない情勢の中で、僅かな時間だけ訪れるチャンスに対して「機を見るに敏」で全力投球できるのが、英雄になれる人物の共通事項だと思います。
情報を巧みに操る すご!
いつも思うんだけど 軍の動きを可視化したやつ 分かりやすくて助かる。
これの戦いかたには孫子もニッコリ💯
面白かった! シミュレーションゲームやるからこういう動画すごい参考になります。これからも期待してます!
そういえば山崎の戦いって見た記憶、聞いた記憶(天王山と言うわりには)がなかったです
解説ありがとうございます
大河ドラマや漫画で悪者にされがちな秀吉がしっかり評価されててうれしい
光秀がいくさ上手でも秀吉と官兵衛の罠?にハマって敗けた😭
光秀は信長の首を確保出来なかったら適当な首を晒してデッチあげればマシだったのにね。今と違って写真もないし多少焼けてれば判別不能だし
徹底的に「信長は死んだ!」アピールしなかった光秀とデマ流して「信長生きてる!」アピールした秀吉の差か
この日の天候がもしも晴れだったら・・・。
晴れてても負けだわ
中国大返しって、すごい人数で休まず動き続けたようなイメージがありますけど、意外と止まって休んでるんですよね。というかいくら事前に要所要所に兵站を準備しておいたとしても、馬の疲弊と馬の数を揃えるのだけはどうにもならない。想像するに、すごい勢いで姫路まで着いたのは秀吉含む少人数で軽装なほんの一部の人達が馬をとっかえひっかえスピード重視で戻ってきて、「あっという間に秀吉が戻ったぞ!!!」と吹聴しつつ、追撃を防ぎながら慎重に移動してきた大人数の後衛を待って、あらためて準備を整えて再出発したんじゃないですかね。後続の部隊も、いくつかのグループにわければ、補給場所での食料もそれぞれその人数分ですみますし。私が官兵衛ならそうすると思います。
光秀さん、本能寺に行く直前で毛利へ密使を送っていれば、備中高松の講和は無かった。
そのバージョンの日本史も見てみたい。
毛利や義昭へ事前に密使も行ってないので、光秀は直前で本能寺行きを決めてそれどころじゃなかたんだろうね。
@@notexy21
あるいは、光秀配下の武将が勝手に信長を討ちに行って、光秀は追いかけて制止しようとしていたのかも知れない。
本能寺の変の年表が違います。西暦だと1582年6月21日です。和暦だと天正10年6月2日となります。
ダヴー「秀吉てやつも結構速い
機動ができるんだな」
顕家「いやいや、まだまだ」
ヴォロシーロフ「へぇ、ニッポンのサムライは俺たちに負けず、勇敢なんですねぇ」
カリウス「地形と敵地偵察も上手いんだなぁ」
@@mannschnee8016 織田信長「だろ?さすが俺ら日本人」
徳川家康「あんたら海外勢もすごいよ」
@@user-ds2uj6nz7z オランダ「日本はやっぱ、HENTAIで強い国なんだな」
ドイツ「へぇ、早く国交結びたいなぁ」
@@mannschnee8016 伊達政宗「あんたらもう少し強くなれよ!」
中国大返しでの信長用(光秀用?)兵站ルートの利用は大変に納得できます。
ありがとうございました。
秀吉軍の大返しの時に脱落兵が出たって話、
前にこのチャンネルで紹介されてた「リュッツェンの戦い」で援軍のために速度重視して騎馬隊だけで
戦場に駆け付けたバッペンハイムみたいな感じだったんかも。
山崎の合戦の秀吉主力は摂津衆ばっかで、毛利と対峙してた時の旗本衆とか播磨勢はあまり名前が出ない。
先発・後続に分けて首脳と旗本の一部を先発の強行軍にしたら速度は出せるし、信長が桶狭間や天王寺の戦いで
やってたやり方だからできたのかなと思うとちょっと胸熱。。
いつも勉強させていただいてます!!
図解が明瞭で地理に不明なわたくしでも理解に易いのが素晴らしくてチャンネル登録してます。 これからも宜しくご指導願います。
光秀としてはまずまずしっかり対応してたのに、相手がよりによって秀吉だったというのが最悪でしたね・・・
より明晰な頭脳を持つ側が、それだけに溺れず完全有利な事前状況を作り上げ、大軍をきっちりセオリー通りに運用する・・・悪夢みたいな対戦相手。
「何かあったな」と毛利と足利将軍が察して「逆賊討つべし」と向かって来てもおかしくない状況で、よく引き返せましたよね。
吉川とか敵討ちのチャンスですし。
結構危ない賭けだなと思いますが、やるしか生き残る道がないんですよね。
分かりやすいし面白い
いつも楽しみに見てます
このチャンネル、とても楽しみにしています。