【輝ける登攀記録と繰り返す悲劇】天性のリーダー小西政継が率いた鉄の集団・山学同志会
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- Опубликовано: 13 сен 2024
- ヒマラヤの未踏ルートを夢見る小西政継は山学同志会の大改革を完遂し、鉄の集団と呼ばれた史上最強の山岳集団・山学同志会を作り上げます。
しかし小西が率いた山学同志会は先鋭的な登山を目指す余り、特筆すべき記録を残すものの、不幸な遭難事故が頻発していました。
エベレスト南西壁の失敗を最後に第一線を退いた小西でしたが、誰もが驚愕する思わぬ形でヒマラヤに舞い戻ってきたのです。しかしそれは新たな悲劇の始まりでもありました。
#小西政継
#山学同志会
#遭難
1:06 山学同志会への入会
4:46 クーデター
7:41 飛躍(マッターホルン~エベレスト)
11:19 栄光の実績(ジャヌー~カンチェンジュンガ)
15:19 狂った歯車(K2~エベレスト)
17:43 マナスルに消える
今では理解出来ないかも知れませんが
山岳同志会は、今で言うWBCの
日本代表見たいな登山集団でした😄
一度、上高地の横尾でテント泊
していた時に偶然に彼らに会いました
確かに登山の精鋭部隊でした
個人的に
山岳同志会、ラインホルトメスナー
植村直巳、そして長谷川恒夫の
時代に岩遊びをしていました
良い時代に山に触れて幸せでした
山学同志会のような山岳会は二度と現れないでしょうね。
すごい根性のある人だけど部活動の顧問にしてはいけないタイプにも感じました、適材適所というやつですかね
こんな熱血教師は嫌ですね、、、
ガッシャーブルムⅡ峰に個人隊で登頂した新野泰之君は山学同志会に入会したことがあったと思います。
山岳会を転々として最後はG登攀クラブです。2008年に冬の鋸岳で行方不明になってしまいましたが、
たくさんの人に惜しまれた岳人で、駆け出しのころ一緒にザイルを組んだ僕の古い山友です。
最後はやはり先に山に消えた元パートナー達に呼ばれてしまったとしか思えない結末です。
コメントありがとうございます♪
山仲間が寂しがって呼んだのかもしれません。
山岳会などではいいように語られませんが、もっと評価されるべき登山家だと私は思っています。
当時の山岳団体の多くは、長老が古いスタイルの山行が最善で、事勿れ主義が横行してました。
なので、そのやり方に不満があるものが退会することもありましたが、今より閉鎖的な世界なので、退会するとパーティーを組むのさえ困難でした。
ですからクーデターを起こしてでも先鋭集団を目指したことはある面風穴を開けたとも言えます。
取り上げて頂きありがとうございます。
なるほど、当時の山岳界は閉鎖的だったようですね。。
リクエストにお応え頂きありがとうございます。
よく20分でまとめたと驚きです。
学生時代、小西政継の書籍を読み漁り山学同志会の考え方は山を登る上で大変参考になりました。
一般の方からすれば常軌を逸してますけどね。
けれども戦後の日本の登山界に革命をおこした功績は称えられるべきだと思います。
またリクエストですが、大島亮吉と山田昇をお願いいたします。笑
コメントありがとうございます。
リクエストありがとうございます。
山田昇さんは取り上げてみたいと思います。大島さんはちょっと知名度が、、、
@@yukkuri_adventure
山田昇さんの山でタバコ吸ってる写真がカッコよかったな。
大学山岳会と社会人山岳会の初登攀争いの歴史など面白いんじゃないですか?谷川や滝谷や奥穂などあちこちのバリエーション初登攀記録は歴史です。
私がいた会の先輩もいくつも名前残してるし。期待します。
好きこそものの上手なれを地で行ってる人ですね…山に憑り付かれている一生というべきでもあるけれど
小西さんは完全に山につかれている感じですね。
山学同志会、毎年殆ど会員の葬式をやっていました。尾根歩き、ゲレンデでの岩登りは2点、三級ルートの登はんは3点、二年間である点数まで達成しないと、正会員にはなれませんでした。鹿島槍の荒沢奥壁では、5人の会員が雪崩でなくなり、1978 年には、小川信之さんが涸沢に向かう途中、心筋梗塞?同年12 月には今野和義さんが、衝立岩、ダイレクトカンテ、上部より墜落、一体何人の若者が山で死んだか?数えきれません。小西正継さんは、登はん技術的にはそんなに上手くなかったように思います。でも、会員をまとめる統率力は凄かったと思います。私が尊敬する、山学同志会、木本哲、同時、岩登りが本当に上手かった、川村晴一さん、また、日本エキスパート クライマース クラブ(JECC) 加藤滝男さん、天才クライマーと云われた、木村憲司さんも、是非、取り上げてくださいね!
ラトック4峰で50m のクレバスに堕ちて、奇跡的に生還した、故大宮求さんも宜しくお願い致します。
リクエストありがとうございます
小西さんの登山家を束ねる力は素晴らしいですね。
小西の漫画があったが3巻くらいで終わってしまった
後半はすごい駆け足の内容でちょっと拍子抜けした印象だった
でも1巻の小西の岩とのファーストコンタクトを読んだ時になぜ谷川岳の遭難事故が世界一多いのかがわかった
みんな憧れだけであそこにいってたんだよな
握り飯と水筒と家にあった一番頑丈な靴とロープに合羽、それだけであの岩に登ろうとした若者が本当にたくさんいたんだ
現代では考えられない常識や金銭事情があの時代にはあった
靴もロープも今なら一日バイトすれば買える
でもあの時代には一か月働いた手取りですら買えなかった装備もあった
電車も一番安い切符を買って谷川岳の近くまで来たら列車から飛び降りる
だから800人以上亡くなった谷川岳の事故の多くが、いやほとんどがろくな装備も買えなかった貧しい若者だったんだろう
あの漫画は省略しすぎですね。
ハーネスなしで直接ロープを腰に結んだりとか、今では考えられないですね
とてもよくまとまっていてこの動画を作成するための労力がうかがえます。賛否両論があった小西氏の姿勢ですが山に対する純粋な情熱と挑戦への飽くなき野望はまさに生粋のクライマーそのものだったのだろう。彼の最後の登山はまさに自らを魂とともに山へ原点回帰させるような終わり方。個人的にはもしかして家族も知らなかった何か病を患っていて、山に戻りそこで命を終わらせたいという本望の意図した行動だったのかなと感じた。
なんだか胸が熱くなる動画でした。ありがとうございます。
コメントありがとうございます♪
次の年にも8000m峰に挑戦する計画があったようですし、小西さんの性格を考えても死ぬ気はなかったと思います。
@@yukkuri_adventure そうなんですね。追記共有ありがとうございます!
尖鋭的な手法で名を成した人だけに、最後の最後でも冒険心がうずいて抑えきれなかったのだろうな。この人はこういう最期を遂げる運命だったんだよ。腕に覚えがあり、実績もあるがゆえの悲劇というか。
やはり最後は実績あるが故の慢心があった気がします
「山に登るなら、命を失う覚悟をすべき」
「遭難したら救助は期待するな」
これは当然だわな。
今は「安易な登山」が増えて、遭難件数はこの25年で3倍になった。
リスクを理解した上で
「覚悟」を持って登山している人は何%いるのかな?
遭難件数の増加は携帯電話普及で簡単に救助要請出来るようになったことも原因です。
登山観の変化については、日本山岳会会報『山』1990年3月号に寄稿されている文章も参考になると思います
ありがとうございます。
探してみます。
山学同志会を取り上げて下さったなら次はいつかそのライバル、イエティ同人も動画にしてくださればと思います。
この動画にもチラッと出てきていましたが、その最期は壮絶でしたし。
イエティ同人にもドラマはあるのですね、
調べてみます。
小西さんは14座踏破に「ラストの目的」を持っていったのだろう。
シルバータートルという登山隊などにソロ参加したりして、その第3座目がマナスルゥだった。なので動画で「パートナー」と表現しているが間違っている。その登山隊の仲間が、たまたま、ほぼ失明状態の小西さんに出会い、「俺を下(BCか山麓か忘れた)まで連れてってくれ」と言われたのだった。風の少ない場所を探して戻ってきたら小西さんはいなくなっていたそうで、意識朦朧滑落したのだろう。
コメントありがとうございます。
パートナーというには飛躍だったかもしれませんが、行動を共にしているときもあったのでこの表現にしました。
小西さんは翌年の8000m峰登山計画もあったようですね。
このチャンネルの動画の雰囲気が好き
ありがとうございます♪
小西さんや彼のやり方を批判するコメントが散見されるんですけど一人の強烈な個性とそれに共感する人員が集まると同志会の様な団体って出来てしまうんです。ついていけずに辞める人がいたり、主流に反した人員を批判したり辞めさせたりという事もあり得ます。何故なら私の体験談だからです。尤も私の場合は消防団でしたが組織のあり方は凄く似ていました。
コメントありがとうございます♪
ただカリスマリーダーがいなくなると、衰退始まることが多いですね
彼は作家としても才能があり、彼の著作は読み物として面白いです。
コメントありがとうございます。
私も読みました。どちらかと言えば、小西さんの若いころの著書が好みです。
ありがとうございました。感慨無量でございます。山に限らず全ては自己満足で自己責任です。山に学び山に沢山行けば彼の気持ちが良く分かります。
コメントありがとうございます♪
非情な気もしますが、小西さんの言うことは本質ですね。
こちらこそありがとうございました。本人は大好きな山で、、、本望でしょうね?遺された人達は大変でしょうけど、彼も天才なら、それを簡潔にまとめあげた貴殿こそ天才です。大尊敬しております。
20:00
ある意味、このドラマティックな人生を締めくくるに相応しい最後だったかもしれない…と思うのは不謹慎かしら。
まるで一本の大作映画を見終わったような気分…こんなすごい人がいたこと、紹介していただきありがとうございました。
コメントありがとうございます。
最後の亡くなり方がなんともいえません。
最後は甘く考えたのか、血が騒いだのか、それとも敢えて破滅的な行動をしたのか。
コメントありがとうございます。
どう考えても甘く見ていたと思います。らしくないですね。
色々な登山家を見ましたが、生き方が凄い。
一つの時代を築き上げたんですね!
夢は叶える為にあるんだと教わったような気がします。
小西さんの山への情熱はすさまじいですね。
いつも動画たのしくみさせていただいてます!!
山田昇さんの動画つくってほしいです!
ありがとうございます。
山田昇さんはリクエストが多いので調べてみます。
旦那が山をやっていた頃、正月休みのアルプス山行の帰りの列車のボックスシートで盛り上がっている小西さんたちを見たそうです。
もちろん、旦那達も宴会していました。
小西政継さんとお会いできるなんて羨ましいです。
死ぬまで辞められないんだな……
コメントありがとうございます♪
一度は引退したんですが。
死ぬ為にしていたのではなく
止められなくなった遊びが
たまたま登山だけだった
だけかもしれません😂
小西さん、長谷川さん、植村さん
生意気ですみません😢⤵️
星野さんは平坦な雪面(その形態は雪庇)の上で相撲をしていたと同志会OBの方が言っていました。
えっ、それが本当だと余りに不注意な事故ですね
19:28 私は登山経験が全く無い一般の「登山動画ファン」ですが、8,000m峰の頂上アタックを午前10時に開始するというのは???です。もしかして小西氏は体調が悪くて判断力が低下していたのでしょうか? それとも短時間で頂上を往復できる自信があったのでしょうか?
私は小西氏の慢心からきた、甘い判断であったと思います
エベレストで亡くなったイエティ同人の2人はK2北壁で一緒に登ったメンバーだったので
その2名が亡くなったのが現役との決別を判断させたのかもしれないですね。
コメントありがとうございます。
あと体力の衰えもあったでしょうね、、
気力充実した若い頃、老いて萎える心。何となく登山家って、生涯山に対してはギラついてるイメージあったからちょっと意外。山というジャンル抜きで、なんか考えさせられる話
小西さんのスタイルを180度変えてのカムバックには驚きました。
山は人生そのものなんですね
小西さん凄かったなぁ〜
憧れたけどあんな鉄の集団恐ろしくて。
ドシドーシ!って。
でも、昔の山岳界ってそんなすごい登山家ウヨウヨいたよ。
なんであそこまで山に打ち込めるのか。情熱ではなくて生きること全てだった感じがするな。
コメントありがとうございます♪
昔のように山に全身全霊をかける人は少なくなりました。
何かと戦ってる様に思えました。(権力や山に)
闘将って感じです
以前、漫画(氷壁の達人)を読んだ事があります。
彼は母親の病気で高校進学を諦めましたが
それが登山家になるキッカケともなりました。
(職場近くの写真館で山の写真を見て、山に魅せられ
そこで出会った登山家から山岳同志会を紹介してもらったそうです)
もし彼が高校に進学していたら‥、いや
足指を全て失っても、まだ山に挑戦し続けた彼の事だから
やはり登山家になっていたかも?
コメントありがとうございます。
高校や大学に行っていたら、あそこまでの熱意はなかったかもしれませんね。
山岳同士会を改革し新進気鋭の最強組織へ変貌させた実力は評価すべきではありますがその反面、亡くなられた人々の多さを見ると歴史上に存在する軍事独裁国家を彷彿とさせますね
有能な方とは思いますが個人的には普通の会社の上司にもましてや首相や総理大臣とかはご遠慮頂きたいですね
登山という極端に言えば自分も仲間も「命が軽い」場所だったからこそ、その才能を存分に発揮出来たのだと思うと天職だったのかな……最期の含めても
コメントありがとうございます。
登山に関するリスク許容性は人それぞれです。
昔は今よりリスクを許容する人が多かったと思います。
山学同志会は歳をとって山に登らなくなっても、リーダーをしていた人たちに不満があった、若い人たちが離脱して作った山岳会だったんだけど、歴史は繰り返したんだね。小西さんに賛同するやる気のある現役会員が多かったから改革ができたんでしょう。植村さんが冬期マッキンリーに登頂したときに、下山すまで登山は終わっていないと言っていた。マナスルでの遭難は小西さんらしくなかったです。
コメントありがとうございます。
小西さんは加藤保男さんに対しても同じような批判していたようですね。
50代でヒマラヤに戻ってこなければ、と思います。
@@yukkuri_adventure 同隊の登頂した隊員が下山中アクシデントがあり、彼の為に小西さんがつかうはずだった酸素ボンベをつかいました。小西さんが最終キャンプで、必要な酸素ボンベがないにもかかわらず、頂上に行ったというのが。。初めから勝算の少ない登山を否定していたのが小西理論でした。私は小西さんに格好良く撤退してほしかったです。
人間誰しも老いる…
@@zcc0130 もしかすると闘う組織論として参考にできそうなところがありますね。
山学同志会でした。同会の川村晴一氏は8千メートル峰上位3山のエベレスト、K2、カンチュンジュンガを、いずれもバリエーションルートから無酸素登頂しています。彼は当時のワールドクラスのアルピニストだったと思います。
私は同志会のジャヌー北壁遠征のテレビ放送があって、最後の荷造りが終わって彼らが倉庫で宴会する場面を覚えています。彼らが賛昌したのが同期の桜でした。
やはり自分の生命をかけて物事を追求するというのはとても素敵だと思います。それだけに、最期の結末にはがっかりでした。
小西さんとは思えない最後でしたね。
こういう山に魅せられて、最後には山に散る話を聞くたびに、親父の言っていた、山に登るのは呪いみたいなもの、って言葉を思い出す…
何度も困難な登山を続けると、いつかは遭難してしまう気がします。
凍傷で指を失ったり怪我で不自由になったりしても登り続ける。ようするに、山で死ぬまで登り続ける。
愚かだと思うが、そこまで乗り込めるモノがあるのは憧れるし羨ましい。
アルプスでの成功にもかかわらずヒマラヤでは(自分自身は)登頂に恵まれなかったところは、長谷川恒男を思い起こさせます。後年のエグゼクティブ登山への転向は、小西個人はヒマラヤ登頂に恵まれなかったルサンチマンが関係していると思われますか?
コメントありがとうございます。
現役時代は自身の登頂よりチームの成果を優先した反動ではないでしょうか?
生き方も死に様もかっこいいですね、物語の主人公みたいな人だ……
生意気ですが
死んだら伝説なのかもしれないが
死んだら終わりです😢
誰も死ぬために登山はしません
遭難をある程度前提とした登山活動を、肯定的に捉えることはできないですね。
多くの人に迷惑を掛けて個人の達成感を求められても、それは独りよがりの価値観でしかないかな。
確かに今の時代では受け入れられないですね
佐瀬稔のノンフィクションも参考にして頂きたかった。
未読であるならば、是非とも目を通して頂きたい。
小西政継の晩年〜最期を、短いながらも丁寧にまとめていると思う。
「残された山靴」のなかの小編でしょうか、以前一読した気がします。
いつも興味深く拝見しております。
難波靖子さんの解説を見てみたいです!
機会がありましたら、よろしくお願いします!!
コメントありがとうございます。
エベレスト大量遭難の動画に難波康子登場しています。
なんか批判的なコメントあるってコメントが最初目にあってひどいなあと思い見始めたら、指失った、周り死にすぎたろと、突っ込みを入れざるをえませんでした
確かに遭難者多すぎですね。
悪いけど賛否両論だとワタシは否定派。
ただでさえ危険な登山の難易度をわざわざ上げ、たくさんの犠牲を出してまで何が欲しかったのかわからない。
コメントありがとうございます。
登山に関するリスク許容性の考え方は人それぞれだと思います。
いや~・・・凄い人ですねえ。改革していくような人はこれぐらい激烈な闘志のような物が必要なんでしょうねえ。しかしそれだけこれから自分がやるべき事、それまでのやり方とは全く違う事を成し遂げる強い意志があるのなら、クーデターを起こすのではなく別の会を作っちゃっても良かったんじゃないかと思います。でも基本的に自力で登れ、自己責任という考え方は賛同できます。50代でまた登る時にシェルパや酸素使うのも、ブランクがあるその時の体力等を考えての事かと思いますし、まあそこは強制でもないし好きにすれば良いと思います。しかし高山にチャレンジする登山家って、今回の登山で2~3人は死んでしまうかもしれないとか思いながら登りにいくんですねえ・・・まさに大自然との闘い、ごまかしの利かない実力とほんのちょっとの運で生死が分かれる恐ろしい世界です・・・。
コメントありがとうございます。
死は避けるものという概念を打ち破って見えてくる世界があるようです。
日本山岳会によるエベレスト登山隊への参加のあたりを見ると、日本の登山レベルを更に押し上げるにはこのくらい尖ったリーダーが必要だったんだろうと思う
ヒマラヤの未踏の壁登るんだから、小西さんくらい死を恐れず登れる人が必要だったのでしょうね。
その後の山学同志会の行方を期待したんですが…
少し調べましたが、分かりませんでした。昔ほど活動していないことは確かなようです。
決死隊という言葉が思い浮かびました・・・
同志会はまさにそんな感じですね。
素晴らしい登攀記録を残した日本人登山家の例としてあげられた3人がみんな早死しててやっぱそうよなってなる
コメントありがとうございます♪
早逝したからこそ、記憶に残っているともいえます
裏山にハイキングが気になり過ぎる
ちょっと歩いてくる、みたいな感じだったようですが。
最後は自らの力で歩けるうちに山の懐に抱かれて逝きたかったのかな。
次の計画もあったようですし、望んだ遭難ではないはずです。
小西政継って人は権力を持たせちゃいけない人だったってことだねぇ
自分の野望のためならどれだけ犠牲者が出ようが構わないってタイプってことだから
コメントありがとうございます♪
会員も危険承知で登ってますが、ちょっと安全に対する配慮がないですね
いや、あの頃の山の世界って、そんな鬼気迫る社会に適合しない、その気がない様な生き方してたと思います。
犠牲という言葉は私好きでなくて、自分がそうしたいからそうしてた訳で、特に同志会は軍隊みたいな印象でした。
他の山岳会はもっとモダンな感じとかでしたが、それでも社会人山岳会って総じて自己責任でしたよ。
今は責任やら自粛やら人命をとにかく大切に意識しますが、当時の先輩方見てると死んだら仕方ないじゃん。って感覚でやってないと山なんか登れないという認識でしたね。
@@tsuji180ify
究極の自己責任という感じですね…
裏山でのハイキングコースで死者がでるとは、目を疑いました。
コメントありがとうございます。
ハイキングと言っても楽なコースではなかったと思います。
山で死にたかったのだろうか😭悲しい😢
次の計画もあったようなので、死ぬつもりではなかったはずです。
これほどの犠牲を払っても山に登る気持ちは私には理解できません。
結局小西氏は自分の欲望のために山学同志会という組織を利用したのではないでしょうか?
コメントありがとうございます。
入会する人もリスク承知で入会していると思いますが、それでも事故が多いですね。
動画いろいろ見てるけど山は単なる運ゲーだね。と結論を出した。
あながち間違いではないと思います。
感動した
ありがとうございます
小西さんは最後は山で死にたかったの?それとも結果的にそうなってしまったの?
結果的にだと思います。
山学同志会会員はクライマーではあるが、アルピニスト(山を登る人)ではないのでしょう。
冬壁のアプローチでの雪崩遭難とか、簡単なルートで雪庇を踏み抜くことが起きます。
黒部のや剣岳のバリエーションルートなどのはやっていません。
穂高、甲斐駒、谷川岳なら効率的なクライミングができますが、長期冬山の経験がないと、
山で生存する感みたいなものは学べません。私は山岳同志会+黒部の怪人和田城志が最強だと思います。
壁は登れても冬山で生きる術は後回しにされた感がありますね。
点数制度の弊害かもしれません。
松濤明もよろしく
すでに作成してますよー
ruclips.net/video/3KPJJ5B2Cpw/видео.html
ドシドーシ!
有名なコールですね
最初の頃は「浪人」というイメージの生き様ですが、最期は「殿様」というイメージの死に様ですね。
小西正継らしくない最後でさ
霊夢が出てこないね
時々でてくる動画作ります。
あれ、あげなおしたの?
すみません、視聴者の方より誤りをご指摘頂き修正しました。
そういうことか
あれっ?と思った
山で逝きたかったのかな…?
それはない気がします
こいつら山岳旅団に組み込めたらなぁ
山岳旅団?ドイツ陸軍ですか?
人間死んだら、全て白紙に戻るのですね。
それでは失礼致します。❤❤❤❤
宗教ですな
傍目からみるとそうですね。
小西って確かヒマラヤに登って指を切断するきっかけになった時、同伴してた植村だけが五体満足で下山してきて皆から驚かれてたんだよね?
まぁ最期は山で4にたかったんじゃないかな
あんまり人としていい人間だとは思わんけど
若者を死地に追いやって、自分は歳とれば日和ったことしてるし、引退したなら山に入ろうとは普通は思わないでしょ
ただ小西自身は山で死んだ人のことを批判していましたし、彼としては本望ではなかったと思います。