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高橋ユニオンズに在籍した一人の外野手がいました彼は球団解散前年の1956年に大映スターズに移籍し、その年で現役生活を終えました引退後は大阪市住之江区でスポーツ用品店を経営し、またボーイズリーグのチームを結成して多くの選手を育てましたその中にはメジャーリーガーとなった彼の息子も彼の名は黒田一博そう、黒田博樹さんのお父さんです
へえ。つながってるものですねえ。
なんかヴェルタースオリジナルに似て非なる感じだな
知らなかった😲‼️
野球をこよなく愛する日本のビール王のポケットマネーと「ラッパ」こと大映オーナーの永田雅一の鶴の一声で生まれた球団。お払い箱選手と呑兵衛ばかりの最弱集団、故に短命すぎた。しかし野球への情熱と愛あふれる時代に生まれた球団だから、彼らの軌跡を永遠に語り継いで行ってほしいと思わずには居られない。
ありがとうございました。あのプロ野球ニュースの司会者の佐々木信也さんの現役時代を知ることができてなんか儲けた気分になりました。動画の内容がもう漫画なのか?と突っ込みを入れたくなるくらいとても面白かったです。
佐々木信也氏が当時のチームの雰囲気を話した事がありました。弱いチーム独特のなぁなぁな雰囲気でミスしても悪い意味でのドンマイ精神、負けてもさほど悔しがる事もなく、みたいなゆる~い雰囲気だったそうですw
その雰囲気は大洋ホエールズが1960年初優勝する前、つまり三原脩が監督就任前の状況がまさにそうでした。三原脩が就任の際、目をつけたのがその悪いクセにあまり染まっていなかった明大出身のキャッチャー土井淳でした。土井淳は秋山登と高校から大学、プロとずっとバッテリーを組んでました。オールスターも何回か出て、成績は散々でしたが横浜大洋ホエールズの監督をつとめ、阪神が日本一になったときは阪神のヘッドコーチでした。
羨ましいw
近鉄がオリックスと合併する時に佐々木信也がこの問題を上げて『あの悲劇を2度と起こすな!』と球団合併を反対してましたね・・・
今年はオリックスバファローズとしての初のパリーグ優勝が出来ましたね。日本シリーズに行けるかどうか分からないけど。
オリックスは近鉄の良いと思った選手をとって合併し、近鉄は消滅。オリックスに行けかかった近鉄と他球団の供出選手で楽天が新たに成立したというのが史実。でも楽天が先に日本一になり、オリックスは未だになってない。 高橋消滅の方が厳しい現実。
祖母の兄が高橋ユニオンズの選手だったから、うれしいな
僕の祖母の兄も高橋ユニオンズでした!
僕の弟も高橋ユニオンズでした
私の孫もたかはしゆにおんずでした!
高橋ユニオンズの弟です。この度は兄が解散され申し訳ございませんでした。
ワシの孫の嫁の従兄弟も高島ユニオンズじゃった!
佐々木信也が「食当たりで全く力が入らない」と打席で相手捕手にこぼしたら「ホナ真っすぐいこか」と本当にど真ん中に直球が来た、というエピソード好き
それでも打てなかったらしいぞw腹壊してるからw因みに食べたのが腐った馬肉だったらしい・・・
高橋龍太郎は勿論、ラッパ永田雅一、監督浜崎真二、スタルヒンはじめ所属選手たち、そして応援するファン…。皆が野球への愛情・情熱を持っていた時代ですね。
あの「プロ野球ニュース」の名アナウンサー佐々木信也氏の現役時代を知ることが、何よりの収穫です。動画、ありがとうございました。
高橋さんいい人だなぁ
ユニオンズって言う名前の響き、けっこう好きだなぁ。球団が残っている世界線も見てみたかった。近鉄バファローズの時の方が球界に与える影響も大きいとはいえ、オーナー側の意向でどうしようもなく消滅させられてしまう点にも時代を感じる
😮😮
川崎球場でこのチームの試合を何回か見ました。スタルヒンも見ています。佐々木信也はあとにも先にも湘南高校がたった一度だけ出場した甲子園で優勝したときのメンバーですね。
佐々木信也は湘南高校から慶大経由でプロ入り。高橋&トンボのあと大映スターズと合併した大映ユニオンズそして毎日オリオンズと合併した大映毎日オリオンズ(大毎オリオンズ)と進んだけど出番はかなり減った。大映スターズ出身の坂本文次郎や八田正あたりは大毎オリオンズで戦力になったけど、高橋&トンボ出身の選手は誰一人大毎オリオンズで戦力にならなかった。
@@前田貴史-b9t 詳しいですね
リアルに観戦しているとは、ある意味生き証人ですね。
すごい記憶力だなー、おれなんて数年前観に行ったロッテの試合の先発すら覚えてない…
湘南高校も秋季でベスト16に入れば21世紀枠でセンバツが確定するのに。そのために神奈川の高野連は意図的に推薦校を21世紀枠に入らないところを選んでいるんだし。
昔の人って20歳くらいでも今の45歳くらいの顔だよな。逆に今50代でも20歳くらいの人いる。
これすごい面白い映画のエピソードになりますよw高橋さんという優しいオーナーというのもと球団ができて寄せ集めの中、かつて衰えた大エーススタルヒンなど罰金回避のためにそして球団存続のために1シーズンを戦い抜く選手たち、3年目に最終戦で八百長のなのに良い試合をして9回までもつれる良い試合で最終的に勝って解散回避、罰金回避と思いきやお偉いさんの事情でやはり解散というハッピーエンドからのバッドエンドだけど写真撮影して感動。事実は小説よりも奇なりって感じがします。
勝率.350以下だったらダメってパワポケのサクセスとかにありそう
昭和30年、スタルヒンが300勝したときの捕手・西倉がその年の暮れに戦力外になり、すぐ没しているのはかなり謎で闇です。
それは、知らなかったです!
しかもスタルヒン元投手も玉川電車に……
金が全く無く給料や加盟金も払えず、何度も球団消滅が囁かれながらも尊属したカープはある意味凄かったんだな。
最初は悪いが見下して見ていたけれど、動画の最後には儚く味がある球団に思えた。
字幕がしっかり入ってて 難聴でも 理解出来て 嬉しいです。
このユニオンズで21勝した伊藤四郎。高橋球団の選手で佐々木と2人だけ、他球団に欲しがられた選手でした。南海やダイエーの名スカウトで斉藤和巳を担当したりもしました。
あと、中京テレビアナウンサーの佐藤啓さんが愛知県・南山大学出身で大先輩にあたるユニオンズ滝良彦投手を取り上げた本を出版されています。滝投手は右のアンダースロー投手で通算36勝ぐらいでしたが、一番活躍したのがユニオンズ時代の16勝というシーズンそして開幕投手にも抜擢されたことがありました。滝投手も佐々木選手と同じユニオンズ→オリオンズと在籍しましたが活躍できずに引退しました、数年前に亡くなられてます。
中京アンパンマンテレビ
「最晩年のスタルヒンが在籍していたチームだから、きっと弱いチームだったんだろう」とは思ってましたが、同じく当時弱小だったカープファンである自分にはいろいろ沁みる話ですねパリーグのオーナーの総大将的存在として「パをセに負けないくらい盛り上げたい」と奮闘した永田雅一氏の意気込みの空回りしてる感が(嫌みじゃないですが)切ないですね
長いことプロ野球ニュースのMCをされていた佐々木信也さんが在籍されていて、未だに破られていない新人記録の180安打を放った事は数少ないポジティブな話題👍
新人のとき、もちろんオールスター出場!
佐々木信也さんって子供頃、とても紳士的な解説者としてTVでよく拝見しました。60まじかの私が子供の頃既に40〜50代だった様な気がします。
お互い 八百長で Win-Winはめちゃ笑いました。昔は制裁金のようなルールがあって驚きでした。
なんか、このメチャクチャが、昭和って感じするわ。
その制裁金制度を作ったオーナーの球団が自ら餌食になって草。。。
今、そんな事をやったら大問題ですね。
@@鈴木元-b7n 自分で笑い話のネタを提供してどうしたかったのでしょうね。
パワポケのドリルモグラーズ(球団消滅)とジャジメントナマーズ(3年だけ)がよぎったのは私だけでいい
11やね
むしろモデルでも違和感ない
佐々木信也さんは、スポーツ選手→タレントに転進して大成功したパイオニアですね。
ユニオンズの選手に田村満さんという方がいましたが、引退後地元でバンド活動してましたが、バンド仲間に後のザ・ドリフターズのリーダーのいかりや長介さんがいたとの事です。
TBS時代のベイスターズは毎年のように罰金対象レベルで敗けまくっていた。阪神は日本一のわずか2年後に罰金対象になるような成績だった。近鉄も1960年代に100敗と勝率2割台を記録している。楽天元年は不公平な分配ドラフトに泣かされた。
佐々木信也がプロ野球ニュースのキャスターのころ、野球好きの友人に佐々木氏がかつて選手だったこと告げると、「嘘だろう」と言って信じなかったことを思い出しました。
補足説明ちなみに高橋ユニオンズの最終年は52勝98敗4分で勝率.347のはずですが、この年は引き分けは0.5勝0.5敗と計上しているので54勝100敗の計算となり勝率.351でクリアとなるのです。国鉄(現ヤクルト)スワローズも国鉄職員の寄せ集めからスタート。
国鉄はスタートしたシーズン(昭和25年)の8月に金田正一が愛知・享栄高校中退して入団したのが大きかった。金田自身は8勝12敗だったけど、国鉄は最下位じゃなかった。
スワローズの淵源は、戦前から都市対抗野球で活躍した東鉄(国鉄の東京鉄道管理局)。初優勝は1978年。
PL黄金期の方が強そう
永田ラッパは凄いからなあ、球団経営の他に映画もそうだしダービー馬も所有してた(共同通信杯のサブタイトルのトキノミノル記念がそう)
あと私財を投じて、南千住に東京スタジアムを作ったな。でも観客が入らず、しかも大映も倒産してしまったために結局10年位で閉鎖し、取り壊されてしまった。
セリーグは最初は8球団で設立されたが、「西日本パイレーツ」僅か1年でが西鉄と合併して消滅、「松竹ロビンズ」が僅か2年で大洋ホエールズと合併して消滅。昔のプロ野球チームは、薄命だったのでした。
「西日本パイレーツ」出身の関口清治が、西鉄で主力打者(5番ファーストが多かった)として優勝に貢献し、近鉄バファローズで監督をつとめたことはある意味救いがあったなぁ、よかったなぁと感じる。
アンパンマンおじさん
統一契約の不備を突いての選手強奪が横行し、それに利した新設球団同士が対戦した第1回の日本シリーズ。だが両球団はその後…そして1リーグ時代末期に強かった老舗球団が夫々黄金期に…
佐々木信也さんはプロ野球ニュースでおなじみでしたよね☺️
勉強になりました
高橋ユニオンズは公式には大映スターズに吸収合併され大映ユニオンズになった事になっています。あくまでも表向きの話です。その大映ユニオンズも翌年には毎日オリオンズと合併し毎日大映オリオンズ(通称:大毎オリオンズ)になりました。つまり現在の千葉ロッテマリーンズは毎日、大映、高橋の3球団をルーツにしております。それにしても高橋龍太郎氏に球団創設を持ち掛けた永田雅一氏がオーナーを務めた大映スターズ、高橋ユニオンズの最後の公式戦の八百長試合を行った毎日オリオンズの3球団が合併する事になるなんて何とも皮肉と言うか運命の悪戯なのでしょうかね。
佐々木信也氏がユニオンズに入団したら?内野併殺が出来る様になったとか。その内野併殺を見た対戦チームは、ユニオンズの内野が併殺をやってるぞと言ったとか。
スタルヒンの300勝記念ということで野球殿堂博物館に保存されてる物が現存する唯一のトンボのユニフォームだと聞いたことがある。
高橋ユニオンズが無ければスタルヒンの300勝は達成されなかったもしれないのですね。
所属していた佐々木氏がユニホームを見て「弱そうなユニホームだな。」と言ってたらしい。後に大毎(現:千葉ロッテ)に吸収されて消滅。しかし、オーナーの勝手な都合で増やしたり減らしたりは選手やスタッフは迷惑だよな。今で言えばオリックスに吸収された近鉄がちょっと似ている。
創立当時の広島カープよりも悲惨な状況だったことに驚きました。
永田は孤立して寂しい晩年だったらしいが、こういう人間性も要因の一つだったかも
ななしさん「五社協定」を盾に、所属俳優やスタッフを締め上げた挙げ句自〇者迄出したんですから、色々恨まれましたからね。
永田さんは東京オリオンズのオーナーだった時に代表専門として、東京五輪で陸上選手で活躍していた飯島秀雄氏をドラフト9位で獲得した。しかし野球のルールさえほとんど知らない飯島氏は大した活躍もせず2年ほどで球界を去った。
トンボユニオンズって名前は格好いいよね。家の近所が旭川スタルヒン球場だからスタルヒンの事は良く知ってます。日本名は須田博って名前で、幼少期は北海道の旭川に住んでて巨人軍に入団した人。スタルヒン球場は毎年必ず巨人の試合が行われてます。
本当にこの球団はかわいそうもう1球団あれば盛り上がるよね…、やっぱり解散しなさい他球団に拾われた選手もいたかもだけもそのまま放出された選手もやまほど
もし、05年の楽天と戦ったら、どっちが勝つんだろう?
日拓ホームフライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)7色ユニフォームが印象的!
今は逆にソフトバンクの王さんが言うように両リーグ8球団にすべきセ・パ両リーグをそれぞれ東西4球団ずつに分け東西の優勝チームとワイルドカードで東西どちらかの勝率の良い方の2位チームの3チームがまず勝ち上がり、東西の勝率の悪い方の優勝チームとワイルドカードのチームが最初に戦い、勝った方のチームがリーグ優勝決定戦に進むという方法でリーグ優勝を争えば今の不自然なクライマックス制度も改善されるし球団を増やすことで才能があるのに出場機会が無く戦力外にされる選手を減らすこともできるしサッカーみたいに北陸や四国、沖縄などプロ未開の地にもプロ球団ができるメリットがある
私は反対。
沖縄は難しいのでは?飛行機しか移動手段がなく、季節によっては、台風、大雨、と飛行機が飛ばない日にぶつかる日が、必ず出てくる。日程の調整がかなり大変。
私も難しいと思う。cpbl(台湾のプロ野球)の新規球団だったら移動は簡単そうだけど。
4つの優勝チームによるポストシーズンマッチで良いですわ、それならば。
高橋オーナーはたしか日本サッカー協会の会長も務めてたりするそういえば日本代表のスポンサーは高橋氏の大日本ビールが前身のアサヒビール関連企業・アサヒ飲料でしたね
高橋オーナーの息子さんが大学サッカーの選手だったという縁で会長を引き受けたとのこと。なおこの息子さんはサッカーだけでなく野球をはじめ様々なスポーツが大好きな人だったそうですが学徒動員で海軍に召集され戦死しておりそのことも高橋オーナーがサッカーをはじめ各種スポーツを愛した原動力にもなっていたそうです。
よくぞ3年も頑張ったなって印象です。1~2年で身売りした日拓・太平洋クラブ・クラウンライターよりまし
高橋ユニオンズについては、知りたいとも思っていましたので、ありがとうございます。スタルヒンを語る上で、大事な球団なのてすから、知りたかったですね。
個人で野球チーム持ってみたいな
八百長ってのはそれなりに技術が無いとできないんだな、というのが良くわかる。
確か川崎球場をフランチャイズにしていたけどロッテの川崎時代よりも人数が少なかったという伝説…現在16球団にするならフランチャイズを考えれば何とかなると思うんだけどな…例えば新潟や徳島(四国)や倉敷(マスカットスタジアム)辺りにして、きちんと東西8球団ずつに分散すれば…って感じですね佐々木信也さんは相当な素質と実力持ち合わせていたのに、合併先の大映→毎日で冷遇されたのが短命になった最大の要因。20代で野球解説始めた時は「若造が何を言うんだ」と言われたが、的確な発言で人気を博しました。
つまり、オリオンズの永田オーナーに振り回された高橋龍太郎さんってことで。永田さんって良くも悪くも伝説の人だったんだね。
当時はオリオンズではなくスターズのオーナーでした。後年毎日球団と合併してからがオリオンズの実質的なオーナーです。
「永田ラッパ」なんて言われてましたね。
金は出すけど口も出す、典型的なオーナー。西本幸雄監督の日本シリーズバント失敗その後のエピソード等…
球団OBにスタルヒンが居るのが唯一の救い
スタルヒンと佐々木信也意外は完全に過去の人か無名で、球団解散時によくぞ選手を獲得する球団が現れたものだと思うほど選手層が薄かった。
去る年、ある田舎で、私は、スタルヒンが投げるのをを見た。
佐々木信也氏は「連盟の資料では合併と書かれているが、高橋球団は解散させられた」と言って、連盟の資料を合併→解散に訂正するよう求めておられます。また、オーナーの高橋龍太郎氏は、高橋球団の解散後、ユニオンズについて多くを語りませんでしたが、「永田氏には騙された・・・」と言ってたそうです。
負けたら解散って、なかなか凄いね。緊張感半端なさそう。
よく見つけますね〜
ありがとうございます^_^
ミスターユニオンズ佐々木信也
良くも悪くも「読売」というまとめ役がいたセリーグまとめ役がいなかったパリーグこの差は90年代まで尾を引く。
元々パ・リーグは、読売の正力氏がオーナーの巨人を擁するセ・リーグに対抗した形で毎日(現ロッテ)を中核に結成されたが、当時の加盟球団の中に個性の濃いオーナー(東映〈現日ハム〉の大川氏や大映〈現ロッテ〉の永田氏がその代表例)がいたりして、長年それらがリーグ全体の士気に影響し続けてきた。結果、のちに西鉄(現西武)の"黒い霧事件"や大映の放漫経営を発端にした倒産問題に尾をひくことになったのは周知の事実。
まとめ役が居たとしてもライオンズですよ。
地域密着が奏功した現在のパリーグ。しかし2リーグ分立後は寧ろ東京の読売に対抗する関西の阪神、中部の中日(商売敵でもあった)という構図があったセリーグに対して電鉄系3社が関西に犇めく等のパリーグだったのが皮肉に映りますわ。
今は放映権とか広告の面ではパリーグ球団の方が上手く商売やっとるで
稲尾さん新人のころからバケモノで草も生えんよ😱
「この年稲尾は不調で、この時まで17勝しか挙げていなかった。しかし、オールスター後に復調し」という文章を読んだことがあります。オールスター前17勝だと「不調」と言われる稲尾さん。
キャンプ中に解散が発表されてそのうえ球界を去ることになるのはあまりにもつらい
当時最強パリーグ球団の西鉄ライオンズとWヘッダーで試合するとき、当日投げる投手の河村さんと稲尾さんは朝方まで夜釣りしていて、河村さんは座布団みたいなカレイが釣れたと佐々木さんに自慢したそうで、そんな寝不足投手に投げられても勝てなかったそうです(笑)。
鑑定団で高橋ユニオンズの寄せ書きが鑑定されたんだけど、凄い値段が付いたな。(理由はスタルヒンさんの🖋️もあったから。)
話しに聞いた事は、あったのですが、詳細な情報まで、有難う御座いました。
細かい事ですいませんが高橋さんは肩書としては社長ですね。
高橋氏のお孫さんがユニオンズのことを色々調べておられますかつて日経新聞に書かれた記事がありました高橋氏は選手たちから「先生」と呼ばれて尊敬されていたそうですただ、ユニオンズ誕生の経緯については一言だけ「騙されたんだ」とのみ語っておられたそうです
映画化してほしい! 主役は監督役の大泉洋しか思い浮かばない! 佐々木信也役にイケメンを!
ロゴがかっこいい✨
映画化できそうな話
おい永田さんよぅ・・・
セリーグは8チームだったはず。西日本パイレーツと初代セリーグチャンピオンの松竹ロビンスなんて、ユニオンズよりもっと語られ無い様な気がする。
松竹ロビンスは小鶴誠というスター選手がいながら本当に語られないですね。そういう自分も松竹の選手と言えばと尋ねられたら小鶴しか出てきません。
3番小鶴誠、4番岩本義行、5番大岡虎雄、9番真田重蔵岩本と大岡は明治生まれ、水爆打線と恐れられ、真田は投手として39勝、打者としても3割超え調べると、とんでもないチームですよ
初めて詳しく高橋ユニオンズのことを知りました。取り上げてくれてありがとうございます!!!
最後の試合は八百長でもヒヤヒヤですなw
この頃のプロ野球はまだ不安定だったと思う。12球団に固まってからようやく安定したってことかな?
強いチームを作ろうといろんな事をされましたが。残念ながら短命で終わったのも。チーム数なのかな!
あの時、岩隈久志みたいなエース野村克也みたいな名将がユニオンズにも居れば……
@@後方一気-n6u そんな名選手が創設期の球団に居る訳ないだろ
楽天と高橋の違いを捉えただけの物。いるかいないかが問題なのではない。因みに創設期のスワローズには金田正一投手が居ましたけど…
佐々木信也氏が「なにしろ、内野ゴロが捕れない。これでもプロかと思った。その一方で、弱いけどいい雰囲気のチームだった」と語っていた。サヨナラエラーをした佐々木氏を誰も責めず、先輩選手が担ぎ上げてベンチに引き上げていった。「だけど、そんなユニオンズだから弱かったんだろう」とも語っていた。
96敗スワローズ罰金払わなくていいルールでよかったなぁ
一時期のベイスターズは毎年罰金との戦いでしたな。
そんなスワローズが今年日本一になるとはね。
懐かしいです
永田雅一の自分が提案したルールで自分が罰金に笑った
まさに策士、策に溺れる
ちなみに、高橋ユニオンズが解散した1955年は、「最下位の球団が消滅」というルールで行われましたが、これまた永田雅一の大映が該当してしまいました。
高橋龍太郎は、もっと評価されていいこれほど「オラがムラの野球団」を表した球団があっただろうか
スタルヒンいたのかよ
新聞に通算勝利数の一覧が載ると「スタルヒン(トンボ)」となるのはご愛嬌。
なんかこういうポンコツ伝説癖になります😂野村監督のいなくなった南海最高ポンコツ助っ人外人グリーンウェルやミセリ
この球団も知らなかったけど、そんな罰金があるのも知らなかった
なんでも鑑定団に、ユニオンズ全員のサインを鑑定してもらっていた人がいたな。結局、スタルヒンのサインだけしか価値がなかったらしい。
浜崎慎司と言うと阪急ブレーブスにいた選手ですね?
浜崎真治は阪急にいた左腕でたしか身長が160センチなかったはず。
@@前田貴史-b9t そうですか?まぁ昔の選手は身長が低い人が多かったから…ですね。
ある意味で、映画「メジャーリーグ」を超えてる。動画投稿ありがとうございました。
スタルヒンのおかげでパワプロにも残る球団名www
楽天と酷似している。あと16球団の難しさの参考
おぉーーー。。
セパ8球団の16球団にするなら、それぞれのリーグを東西か何かで2つに分けて4チームずつ4つのリーグで試合をすれば、ある程度成り立つ可能性があると思うけど。
3年間限定でドラフト優遇同じく外国人枠倍加3年間限定レンタル移籍無理だわどれも…
ラッパの永田、映画の大映のオーナーでワンマンで知られた方ですね。三○谷みたいに現場介入も当たり前でアレな面もあるけど、野球好きで自身の球団が優勝した時は真っ先に胴上げされてたから愛されてたんだな。果たして今年の檻は宮○オーナーを胴上げするのだろうか?
楽天が日本一になったとき三○谷は胴上げされてなかったと思う。
当時はロッテオリオンズと言いながら親会社は大映。その年のオフにロッテが正式に球団買収。ロッテは自身が親会社になってから1シーズン制で1位優勝がない唯一の球団。
今でいう清田みたいに球界を追放された選手でも入れたんだな(笑)
トンボユニオンズのユニはじめて見たかも。高橋トンボといえば佐々木信也。近鉄パールズといえば関根潤三。それくらいしか知らないけど
関根潤三さんは、結構マジな二刀流選手。生涯成績65勝、1137安打。ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%A0%B9%E6%BD%A4%E4%B8%89
佐々木信也選手って後にプロ野球ニュースのキャスターをしていたような?
ぜひ西日本パイレーツも!!(一年しかなかったけど)
@yantya boze巨人の 藤本英雄さんが達 成したんでしたっけ。
@@nn637 様 はい、そうです。球数も少なかったかと。
@yantya boze それは知ってる
巨人主催の北海道シリーズは11年前から無いよ。
3ヶ月で給料未払い状態だったそうだ。
カープも遠征費すら事欠く状況で、ベイスターズになるところだった。広島市民の署名と募金が無ければ。
今だったら、大日本ビールユニオンズで発足でしょうか?当時は鉄道映画新聞しか親会社になれないって規則があったそうなんですが、これいつ撤回になったんでしょうね?うーむ。
2リーグ制になった1950年の段階で大洋(食品会社)と広島(親会社無し)が存在しているので、少なくともこの時期には撤回されているのではないでしょうか。
@@k.i9034どうもコメントありがとうございます。それならなおさらこんな個人経営のような運営になったのがますます奇妙な感じもありますね。あと三顧の礼で迎えておきながらこの扱いもひどい感じが。うーむ。
セ・パとも早くま8球団ずつにするべきです令和の今少ないです
奇数のチームのクライマックスシリーズは良くないやり方なのでは
リーグ優勝チームが一応最有利になってるし、悪くはないかな。2位と3位にも結果が五分の場合の扱いとか開催地で僅かな差はあるけど、必要な勝利数にも差をつけた方がいいとは思うけどね。つまり2位vs3位については2位は1勝で勝ち抜け、3位は先に2連勝しないといけないぐらいの差をつけた方が。今年のセ3位巨人はそれをクリアしてヤクルト戦へ進んだ形になる。Aクラスならチャンスはあるってことで、3という奇数チームでのシリーズは悪くないと思うで。4位まで含めたらそれこそペナントレースの意義が薄まるし、1位2位だけなら盛り上がりに欠けそう。まぁそれ以前に、CS自体がいらんかな。
後のメジャーリーガーの黒田博樹投手のお父さんもユニオンズのOBでしたね。
高橋ユニオンズに在籍した一人の外野手がいました
彼は球団解散前年の1956年に大映スターズに移籍し、
その年で現役生活を終えました
引退後は大阪市住之江区でスポーツ用品店を経営し、
またボーイズリーグのチームを結成して多くの選手を育てました
その中にはメジャーリーガーとなった彼の息子も
彼の名は黒田一博
そう、黒田博樹さんのお父さんです
へえ。つながってるものですねえ。
なんかヴェルタースオリジナルに似て非なる感じだな
知らなかった😲‼️
野球をこよなく愛する日本のビール王のポケットマネーと「ラッパ」こと大映オーナーの永田雅一の鶴の一声で生まれた球団。お払い箱選手と呑兵衛ばかりの最弱集団、故に短命すぎた。しかし野球への情熱と愛あふれる時代に生まれた球団だから、彼らの軌跡を永遠に語り継いで行ってほしいと思わずには居られない。
ありがとうございました。
あのプロ野球ニュースの司会者の佐々木信也さんの現役時代を知ることができてなんか儲けた気分になりました。
動画の内容がもう漫画なのか?と突っ込みを入れたくなるくらいとても面白かったです。
佐々木信也氏が当時のチームの雰囲気を話した事がありました。
弱いチーム独特のなぁなぁな雰囲気でミスしても悪い意味でのドンマイ精神、
負けてもさほど悔しがる事もなく、みたいなゆる~い雰囲気だったそうですw
その雰囲気は大洋ホエールズが1960年初優勝する前、つまり三原脩が監督就任前の状況がまさにそうでした。三原脩が就任の際、目をつけたのがその悪いクセにあまり染まっていなかった明大出身のキャッチャー土井淳でした。土井淳は秋山登と高校から大学、プロとずっとバッテリーを組んでました。オールスターも何回か出て、成績は散々でしたが横浜大洋ホエールズの監督をつとめ、阪神が日本一になったときは阪神のヘッドコーチでした。
羨ましいw
近鉄がオリックスと合併する時に佐々木信也がこの問題を上げて『あの悲劇を2度と起こすな!』と球団合併を反対してましたね・・・
今年はオリックスバファローズとしての初のパリーグ優勝が出来ましたね。日本シリーズに行けるかどうか分からないけど。
オリックスは近鉄の良いと思った選手をとって合併し、近鉄は消滅。オリックスに行けかかった近鉄と他球団の供出選手で楽天が新たに成立したというのが史実。でも楽天が先に日本一になり、オリックスは未だになってない。 高橋消滅の方が厳しい現実。
祖母の兄が高橋ユニオンズの選手だったから、うれしいな
僕の祖母の兄も高橋ユニオンズでした!
僕の弟も高橋ユニオンズでした
私の孫もたかはしゆにおんずでした!
高橋ユニオンズの弟です。この度は兄が解散され申し訳ございませんでした。
ワシの孫の嫁の従兄弟も高島ユニオンズじゃった!
佐々木信也が「食当たりで全く力が入らない」と打席で相手捕手にこぼしたら
「ホナ真っすぐいこか」と本当にど真ん中に直球が来た、というエピソード好き
それでも打てなかったらしいぞw
腹壊してるからw
因みに食べたのが腐った馬肉だったらしい・・・
高橋龍太郎は勿論、ラッパ永田雅一、監督浜崎真二、スタルヒンはじめ所属選手たち、そして応援するファン…。
皆が野球への愛情・情熱を持っていた時代ですね。
あの「プロ野球ニュース」の名アナウンサー佐々木信也氏の現役時代を知ることが、何よりの収穫です。
動画、ありがとうございました。
高橋さんいい人だなぁ
ユニオンズって言う名前の響き、けっこう好きだなぁ。球団が残っている世界線も見てみたかった。
近鉄バファローズの時の方が球界に与える影響も大きいとはいえ、
オーナー側の意向でどうしようもなく消滅させられてしまう点にも時代を感じる
😮😮
川崎球場でこのチームの試合を何回か見ました。
スタルヒンも見ています。
佐々木信也はあとにも先にも湘南高校がたった一度だけ出場した甲子園で優勝したときのメンバーですね。
佐々木信也は湘南高校から慶大経由でプロ入り。高橋&トンボのあと大映スターズと合併した大映ユニオンズそして毎日オリオンズと合併した大映毎日オリオンズ(大毎オリオンズ)と進んだけど出番はかなり減った。大映スターズ出身の坂本文次郎や八田正あたりは大毎オリオンズで戦力になったけど、高橋&トンボ出身の選手は誰一人大毎オリオンズで戦力にならなかった。
@@前田貴史-b9t 詳しいですね
リアルに観戦しているとは、
ある意味生き証人ですね。
すごい記憶力だなー、おれなんて数年前観に行ったロッテの試合の先発すら覚えてない…
湘南高校も秋季でベスト16に入れば21世紀枠でセンバツが確定するのに。そのために神奈川の高野連は意図的に推薦校を21世紀枠に入らないところを選んでいるんだし。
昔の人って20歳くらいでも今の45歳くらいの顔だよな。逆に今50代でも20歳くらいの人いる。
これすごい面白い映画のエピソードになりますよw
高橋さんという優しいオーナーというのもと球団ができて
寄せ集めの中、かつて衰えた大エーススタルヒンなど罰金回避のためにそして球団存続のために1シーズンを戦い抜く選手たち、3年目に最終戦で八百長のなのに良い試合をして9回までもつれる良い試合で最終的に勝って解散回避、罰金回避と思いきやお偉いさんの事情でやはり解散というハッピーエンドからのバッドエンドだけど写真撮影して感動。
事実は小説よりも奇なりって感じがします。
勝率.350以下だったらダメってパワポケのサクセスとかにありそう
昭和30年、スタルヒンが300勝したときの捕手・西倉がその年の暮れに戦力外になり、すぐ没しているのはかなり謎で闇です。
それは、知らなかったです!
しかもスタルヒン元投手も玉川電車に……
金が全く無く給料や加盟金も払えず、何度も球団消滅が囁かれながらも尊属したカープはある意味凄かったんだな。
最初は悪いが見下して見ていたけれど、動画の最後には儚く味がある球団に思えた。
字幕がしっかり入ってて 難聴でも 理解出来て 嬉しいです。
このユニオンズで21勝した伊藤四郎。高橋球団の選手で佐々木と2人だけ、他球団に欲しがられた選手でした。南海やダイエーの名スカウトで斉藤和巳を担当したりもしました。
あと、中京テレビアナウンサーの佐藤啓さんが愛知県・南山大学出身で大先輩にあたるユニオンズ滝良彦投手を取り上げた本を出版されています。滝投手は右のアンダースロー投手で通算36勝ぐらいでしたが、一番活躍したのがユニオンズ時代の16勝というシーズンそして開幕投手にも抜擢されたことがありました。滝投手も佐々木選手と同じユニオンズ→オリオンズと在籍しましたが活躍できずに引退しました、数年前に亡くなられてます。
中京アンパンマンテレビ
「最晩年のスタルヒンが在籍していたチームだから、きっと弱いチームだったんだろう」
とは思ってましたが、同じく当時弱小だったカープファンである自分にはいろいろ沁みる話ですね
パリーグのオーナーの総大将的存在として
「パをセに負けないくらい盛り上げたい」
と奮闘した永田雅一氏の意気込みの空回りしてる感が(嫌みじゃないですが)切ないですね
長いことプロ野球ニュースのMCをされていた佐々木信也さんが在籍されていて、未だに破られていない新人記録の180安打を放った事は数少ないポジティブな話題👍
新人のとき、もちろんオールスター出場!
佐々木信也さんって子供頃、とても紳士的な解説者としてTVでよく拝見しました。
60まじかの私が子供の頃既に40〜50代だった様な気がします。
お互い 八百長で Win-Winは
めちゃ笑いました。
昔は制裁金のようなルールがあって
驚きでした。
なんか、このメチャクチャが、昭和って感じするわ。
その制裁金制度を作ったオーナーの球団が自ら餌食になって草。。。
今、そんな事をやったら大問題ですね。
@@鈴木元-b7n
自分で笑い話のネタを提供してどうしたかったのでしょうね。
パワポケのドリルモグラーズ(球団消滅)とジャジメントナマーズ(3年だけ)がよぎったのは私だけでいい
11やね
むしろモデルでも違和感ない
佐々木信也さんは、スポーツ選手→タレントに転進して大成功したパイオニアですね。
ユニオンズの選手に
田村満さんという方がいましたが、引退後地元でバンド活動してましたが、バンド仲間に
後のザ・ドリフターズのリーダーのいかりや長介さんがいた
との事です。
TBS時代のベイスターズは毎年のように罰金対象レベルで敗けまくっていた。阪神は日本一のわずか2年後に罰金対象になるような成績だった。近鉄も1960年代に100敗と勝率2割台を記録している。楽天元年は不公平な分配ドラフトに泣かされた。
佐々木信也がプロ野球ニュースのキャスターのころ、
野球好きの友人に佐々木氏がかつて選手だったこと告げると、
「嘘だろう」と言って信じなかったことを思い出しました。
補足説明
ちなみに高橋ユニオンズの最終年は52勝98敗4分で勝率.347のはずですが、この年は引き分けは0.5勝0.5敗と計上しているので
54勝100敗の計算となり勝率.351でクリアとなるのです。国鉄(現ヤクルト)スワローズも国鉄職員の寄せ集めからスタート。
国鉄はスタートしたシーズン(昭和25年)の8月に金田正一が愛知・享栄高校中退して入団したのが大きかった。金田自身は8勝12敗だったけど、国鉄は最下位じゃなかった。
スワローズの淵源は、戦前から都市対抗野球で活躍した東鉄(国鉄の東京鉄道管理局)。初優勝は1978年。
PL黄金期の方が強そう
永田ラッパは凄いからなあ、球団経営の他に映画もそうだしダービー馬も所有してた(共同通信杯のサブタイトルのトキノミノル記念がそう)
あと私財を投じて、南千住に東京スタジアムを作ったな。でも観客が入らず、しかも大映も倒産してしまったために結局10年位で閉鎖し、取り壊されてしまった。
セリーグは最初は8球団で設立されたが、「西日本パイレーツ」僅か1年でが西鉄と合併して消滅、
「松竹ロビンズ」が僅か2年で大洋ホエールズと合併して消滅。昔のプロ野球チームは、薄命だったのでした。
「西日本パイレーツ」出身の関口清治が、西鉄で主力打者(5番ファーストが多かった)として優勝に貢献し、近鉄バファローズで監督をつとめたことはある意味救いがあったなぁ、よかったなぁと感じる。
アンパンマンおじさん
統一契約の不備を突いての選手強奪が横行し、それに利した新設球団同士が対戦した第1回の日本シリーズ。
だが両球団はその後…そして1リーグ時代末期に強かった老舗球団が夫々黄金期に…
佐々木信也さんはプロ野球ニュースでおなじみでしたよね☺️
勉強になりました
高橋ユニオンズは公式には大映スターズに吸収合併され大映ユニオンズになった事になっています。あくまでも表向きの話です。
その大映ユニオンズも翌年には毎日オリオンズと合併し毎日大映オリオンズ(通称:大毎オリオンズ)になりました。
つまり現在の千葉ロッテマリーンズは毎日、大映、高橋の3球団をルーツにしております。
それにしても高橋龍太郎氏に球団創設を持ち掛けた永田雅一氏がオーナーを務めた大映スターズ、高橋ユニオンズの最後の公式戦の八百長試合を行った毎日オリオンズの3球団が合併する事になるなんて何とも皮肉と言うか運命の悪戯なのでしょうかね。
佐々木信也氏がユニオンズに
入団したら?内野併殺が
出来る様になったとか。その
内野併殺を見た対戦チームは、
ユニオンズの内野が併殺を
やってるぞと言ったとか。
スタルヒンの300勝記念ということで野球殿堂博物館に保存されてる物が現存する唯一のトンボのユニフォームだと聞いたことがある。
高橋ユニオンズが無ければスタルヒンの300勝は達成されなかったもしれないのですね。
所属していた佐々木氏がユニホームを見て「弱そうなユニホームだな。」と言ってたらしい。後に大毎(現:千葉ロッテ)に吸収されて消滅。しかし、オーナーの勝手な都合で増やしたり減らしたりは選手やスタッフは迷惑だよな。今で言えばオリックスに吸収された近鉄がちょっと似ている。
創立当時の広島カープよりも悲惨な状況だったことに驚きました。
永田は孤立して寂しい晩年だったらしいが、こういう人間性も要因の一つだったかも
ななしさん
「五社協定」を盾に、所属俳優やスタッフを締め上げた挙げ句自〇者迄出したんですから、色々恨まれましたからね。
永田さんは東京オリオンズのオーナーだった時に代表専門として、東京五輪で陸上選手で活躍していた飯島秀雄氏をドラフト9位で獲得した。しかし野球のルールさえほとんど知らない飯島氏は大した活躍もせず2年ほどで球界を去った。
トンボユニオンズって名前は格好いいよね。
家の近所が旭川スタルヒン球場だからスタルヒンの事は良く知ってます。
日本名は須田博って名前で、幼少期は北海道の旭川に住んでて巨人軍に入団した人。
スタルヒン球場は毎年必ず巨人の試合が行われてます。
本当にこの球団はかわいそう
もう1球団あれば盛り上がるよね…、
やっぱり解散しなさい
他球団に拾われた選手もいたかもだけも
そのまま放出された選手もやまほど
もし、05年の楽天と戦ったら、どっちが勝つんだろう?
日拓ホームフライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)7色ユニフォームが印象的!
今は逆にソフトバンクの王さんが言うように両リーグ8球団にすべき
セ・パ両リーグをそれぞれ東西4球団ずつに分け東西の優勝チームとワイルドカードで東西どちらかの勝率の良い方の2位チームの3チームがまず勝ち上がり、東西の勝率の悪い方の優勝チームとワイルドカードのチームが最初に戦い、勝った方のチームがリーグ優勝決定戦に進むという方法でリーグ優勝を争えば今の不自然なクライマックス制度も改善されるし球団を増やすことで才能があるのに出場機会が無く戦力外にされる選手を減らすこともできるしサッカーみたいに北陸や四国、沖縄などプロ未開の地にもプロ球団ができるメリットがある
私は反対。
沖縄は難しいのでは?
飛行機しか移動手段がなく、季節によっては、台風、大雨、と飛行機が飛ばない日にぶつかる日が、必ず出てくる。日程の調整がかなり大変。
私も難しいと思う。cpbl(台湾のプロ野球)の新規球団だったら移動は簡単そうだけど。
4つの優勝チームによるポストシーズンマッチで良いですわ、それならば。
高橋オーナーはたしか日本サッカー協会の会長も務めてたりする
そういえば日本代表のスポンサーは高橋氏の大日本ビールが前身のアサヒビール関連企業・アサヒ飲料でしたね
高橋オーナーの息子さんが大学サッカーの選手だったという縁で会長を引き受けたとのこと。
なおこの息子さんはサッカーだけでなく野球をはじめ様々なスポーツが大好きな人だったそうですが学徒動員で海軍に召集され戦死しておりそのことも高橋オーナーがサッカーをはじめ各種スポーツを愛した原動力にもなっていたそうです。
よくぞ3年も頑張ったなって印象です。
1~2年で身売りした
日拓・太平洋クラブ・クラウンライターよりまし
高橋ユニオンズについては、知りたいとも思っていましたので、ありがとうございます。スタルヒンを語る上で、大事な球団なのてすから、知りたかったですね。
個人で野球チーム持ってみたいな
八百長ってのはそれなりに技術が無いとできないんだな、というのが良くわかる。
確か川崎球場をフランチャイズにしていたけどロッテの川崎時代よりも人数が少なかったという伝説…
現在16球団にするならフランチャイズを考えれば何とかなると思うんだけどな…
例えば新潟や徳島(四国)や倉敷(マスカットスタジアム)辺りにして、きちんと東西8球団ずつに分散すれば…って感じですね
佐々木信也さんは相当な素質と実力持ち合わせていたのに、合併先の大映→毎日で冷遇されたのが短命になった最大の要因。20代で野球解説始めた時は「若造が何を言うんだ」と言われたが、的確な発言で人気を博しました。
つまり、オリオンズの永田オーナーに振り回された高橋龍太郎さんってことで。
永田さんって良くも悪くも伝説の人だったんだね。
当時はオリオンズではなくスターズのオーナーでした。後年毎日球団と合併してからがオリオンズの実質的なオーナーです。
「永田ラッパ」なんて言われてましたね。
金は出すけど口も出す、典型的なオーナー。
西本幸雄監督の日本シリーズバント失敗その後のエピソード等…
球団OBにスタルヒンが居るのが唯一の救い
スタルヒンと佐々木信也意外は完全に過去の人か無名で、球団解散時によくぞ選手を獲得する球団が現れたものだと思うほど選手層が薄かった。
去る年、ある田舎で、私は、スタルヒンが投げるのをを見た。
佐々木信也氏は「連盟の資料では合併と書かれているが、高橋球団は解散させられた」と言って、連盟の資料を合併→解散に訂正するよう求めておられます。また、オーナーの高橋龍太郎氏は、高橋球団の解散後、ユニオンズについて多くを語りませんでしたが、「永田氏には騙された・・・」と言ってたそうです。
負けたら解散って、なかなか凄いね。緊張感半端なさそう。
よく見つけますね〜
ありがとうございます^_^
ミスターユニオンズ佐々木信也
良くも悪くも「読売」というまとめ役がいたセリーグ
まとめ役がいなかったパリーグ
この差は90年代まで尾を引く。
元々パ・リーグは、読売の正力氏がオーナーの巨人を擁するセ・リーグに対抗した形で毎日(現ロッテ)を中核に結成されたが、当時の加盟球団の中に個性の濃いオーナー(東映〈現日ハム〉の大川氏や大映〈現ロッテ〉の永田氏がその代表例)がいたりして、長年それらがリーグ全体の士気に影響し続けてきた。
結果、のちに西鉄(現西武)の"黒い霧事件"や大映の放漫経営を発端にした倒産問題に尾をひくことになったのは周知の事実。
まとめ役が居たとしてもライオンズですよ。
地域密着が奏功した現在のパリーグ。
しかし2リーグ分立後は寧ろ東京の読売に対抗する関西の阪神、中部の中日(商売敵でもあった)という構図があったセリーグに対して電鉄系3社が関西に犇めく等のパリーグだったのが皮肉に映りますわ。
今は放映権とか広告の面ではパリーグ球団の方が上手く商売やっとるで
稲尾さん新人のころからバケモノで草も生えんよ😱
「この年稲尾は不調で、この時まで17勝しか挙げていなかった。しかし、オールスター後に復調し」という文章を読んだことがあります。オールスター前17勝だと「不調」と言われる稲尾さん。
キャンプ中に解散が発表されてそのうえ球界を去ることになるのはあまりにもつらい
当時最強パリーグ球団の西鉄ライオンズとWヘッダーで試合するとき、当日投げる投手の河村さんと稲尾さんは朝方まで夜釣りしていて、河村さんは座布団みたいなカレイが釣れたと佐々木さんに自慢したそうで、そんな寝不足投手に投げられても勝てなかったそうです(笑)。
鑑定団で高橋ユニオンズの寄せ書きが鑑定されたんだけど、凄い値段が付いたな。
(理由はスタルヒンさんの🖋️もあったから。)
話しに聞いた事は、あったのですが、詳細な情報まで、有難う御座いました。
細かい事ですいませんが高橋さんは肩書としては社長ですね。
高橋氏のお孫さんがユニオンズのことを色々調べておられます
かつて日経新聞に書かれた記事がありました
高橋氏は選手たちから「先生」と呼ばれて尊敬されていたそうです
ただ、ユニオンズ誕生の経緯については一言だけ
「騙されたんだ」とのみ語っておられたそうです
映画化してほしい! 主役は監督役の大泉洋しか思い浮かばない! 佐々木信也役にイケメンを!
ロゴがかっこいい✨
映画化できそうな話
おい永田さんよぅ・・・
セリーグは8チームだったはず。
西日本パイレーツと初代セリーグチャンピオンの松竹ロビンスなんて、ユニオンズよりもっと語られ無い様な気がする。
松竹ロビンスは小鶴誠というスター選手がいながら本当に語られないですね。そういう自分も松竹の選手と言えばと尋ねられたら小鶴しか出てきません。
3番小鶴誠、4番岩本義行、5番大岡虎雄、9番真田重蔵
岩本と大岡は明治生まれ、水爆打線と恐れられ、真田は投手として39勝、打者としても3割超え
調べると、とんでもないチームですよ
初めて詳しく高橋ユニオンズのことを知りました。取り上げてくれてありがとうございます!!!
最後の試合は八百長でも
ヒヤヒヤですなw
この頃のプロ野球は
まだ不安定だったと思う。
12球団に固まってから
ようやく安定したってことかな?
強いチームを作ろうといろんな事をされましたが。残念ながら短命で終わったのも。チーム数なのかな!
あの時、岩隈久志みたいなエース
野村克也みたいな名将がユニオンズにも居れば……
@@後方一気-n6u そんな名選手が創設期の球団に居る訳ないだろ
楽天と高橋の違いを捉えただけの物。
いるかいないかが問題なのではない。
因みに創設期のスワローズには金田正一投手が居ましたけど…
佐々木信也氏が「なにしろ、内野ゴロが捕れない。これでもプロかと思った。その一方で、弱いけどいい雰囲気のチームだった」と語っていた。
サヨナラエラーをした佐々木氏を誰も責めず、先輩選手が担ぎ上げてベンチに引き上げていった。
「だけど、そんなユニオンズだから弱かったんだろう」とも語っていた。
96敗スワローズ罰金払わなくていいルールでよかったなぁ
一時期のベイスターズは毎年罰金との戦いでしたな。
そんなスワローズが今年日本一になるとはね。
懐かしいです
永田雅一の自分が提案したルールで自分が罰金に笑った
まさに策士、策に溺れる
ちなみに、高橋ユニオンズが解散した1955年は、「最下位の球団が消滅」というルールで行われましたが、これまた永田雅一の大映が該当してしまいました。
高橋龍太郎は、もっと評価されていい
これほど「オラがムラの野球団」を表した球団があっただろうか
スタルヒンいたのかよ
新聞に通算勝利数の一覧が載ると「スタルヒン(トンボ)」となるのはご愛嬌。
なんかこういうポンコツ伝説癖になります😂野村監督のいなくなった南海
最高ポンコツ助っ人外人グリーンウェルやミセリ
この球団も知らなかったけど、そんな罰金があるのも知らなかった
なんでも鑑定団に、ユニオンズ全員のサインを鑑定してもらっていた人がいたな。
結局、スタルヒンのサインだけしか価値がなかったらしい。
浜崎慎司と言うと阪急ブレーブスにいた選手ですね?
浜崎真治は阪急にいた左腕でたしか身長が160センチなかったはず。
@@前田貴史-b9t そうですか?まぁ昔の選手は身長が低い人が多かったから…ですね。
ある意味で、映画「メジャーリーグ」を超えてる。動画投稿ありがとうございました。
スタルヒンのおかげでパワプロにも残る球団名www
楽天と酷似している。
あと16球団の難しさの参考
おぉーーー。。
セパ8球団の16球団にするなら、それぞれのリーグを東西か何かで2つに分けて4チームずつ4つのリーグで試合をすれば、ある程度成り立つ可能性があると思うけど。
3年間限定でドラフト優遇
同じく外国人枠倍加
3年間限定レンタル移籍
無理だわどれも…
ラッパの永田、映画の大映のオーナーでワンマンで知られた方ですね。三○谷みたいに現場介入も当たり前でアレな面もあるけど、野球好きで自身の球団が優勝した時は真っ先に胴上げされてたから愛されてたんだな。果たして今年の檻は宮○オーナーを胴上げするのだろうか?
楽天が日本一になったとき三○谷は胴上げされてなかったと思う。
当時はロッテオリオンズと言いながら親会社は大映。その年のオフにロッテが正式に球団買収。ロッテは自身が親会社になってから1シーズン制で1位優勝がない唯一の球団。
今でいう清田みたいに球界を追放された選手でも入れたんだな(笑)
トンボユニオンズのユニはじめて見たかも。高橋トンボといえば佐々木信也。近鉄パールズといえば関根潤三。それくらいしか知らないけど
関根潤三さんは、結構マジな二刀流選手。生涯成績65勝、1137安打。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%A0%B9%E6%BD%A4%E4%B8%89
佐々木信也選手って
後にプロ野球ニュースのキャスターをしていたような?
ぜひ西日本パイレーツも!!(一年しかなかったけど)
@yantya boze巨人の 藤本英雄さんが達 成したんでしたっけ。
@@nn637 様 はい、そうです。球数も少なかったかと。
@yantya boze それは知ってる
巨人主催の北海道シリーズは11年前から無いよ。
3ヶ月で給料未払い状態だったそうだ。
カープも遠征費すら事欠く状況で、ベイスターズになるところだった。広島市民の署名と募金が無ければ。
今だったら、大日本ビールユニオンズで発足でしょうか?当時は鉄道映画新聞しか親会社になれないって規則があったそうなんですが、これいつ撤回になったんでしょうね?うーむ。
2リーグ制になった1950年の段階で大洋(食品会社)と広島(親会社無し)が存在しているので、少なくともこの時期には撤回されているのではないでしょうか。
@@k.i9034どうもコメントありがとうございます。それならなおさらこんな個人経営のような運営になったのがますます奇妙な感じもありますね。あと三顧の礼で迎えておきながらこの扱いもひどい感じが。うーむ。
セ・パとも早くま8球団ずつにするべきです
令和の今少ないです
奇数のチームの
クライマックスシリーズは
良くないやり方なのでは
リーグ優勝チームが一応最有利になってるし、悪くはないかな。2位と3位にも結果が五分の場合の扱いとか開催地で僅かな差はあるけど、必要な勝利数にも差をつけた方がいいとは思うけどね。つまり2位vs3位については2位は1勝で勝ち抜け、3位は先に2連勝しないといけないぐらいの差をつけた方が。今年のセ3位巨人はそれをクリアしてヤクルト戦へ進んだ形になる。Aクラスならチャンスはあるってことで、3という奇数チームでのシリーズは悪くないと思うで。4位まで含めたらそれこそペナントレースの意義が薄まるし、1位2位だけなら盛り上がりに欠けそう。
まぁそれ以前に、CS自体がいらんかな。
後のメジャーリーガーの黒田博樹投手のお父さんもユニオンズのOBでしたね。