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久しぶりに、ワクワク感が湧き上がってくる講義でした!ホツマツタエを研究された先生に感謝です!
さっそく松本善之助『秘められた日本古代史ホツマツタエ』を読んだ。『古事記』『日本書紀』以前の文献があったことが素直に伝わってきて感動した。五七調のうたもこの時代に既に読まれていたことも知り、すごいことだと思った。ホツマにはスピリチュアル方面から興味を持つ方も多いのだろうが、私にとっては松本氏の歴史の事実としてのアプローチが大変納得のいくものだった。オススメの一書だ。
AKK WD を
わ、ん、を、の順番は、なんだかとても元気が出ますね!!外国の方がこの講義を聴いたら、きっと羨ましがるでしょうね。
疑われて、信じる人がいなくなる前に、神谷さんたちが触れることで疑いを払拭することを願います
大変興味深い動画でした。ありがとうございます。早速自分と家族の名前をオシテ文字で描いて見たところ、書いて意味を考えるだけでとても楽しかったです。
お話とーーーってもおもしろいです!宇宙から生まれる文字。なんの疑問もわかないですよ〜🔵
解り易いです。ありがとうございます。
いときょう先生のホツマツタエのお話は繰り返し聞かせて頂いております。感謝しております。ヲシテ文字の成り立ちを考えますと宇宙から自然に成り立ってきた文字、宇宙文字みたいな、このことは宇宙の全てを知るあの坂本先生のおっしゃる「日本語は宇宙共通語」との話にリンクしている様に思えてなりません。
奇跡の林檎、木村秋則さんの宇宙カレンダーの文字に似てるのかなぁ?丸・四角・三角とか言われてました。
ヲシテが原・日本語であることを青木 純雄さんが解明されたのだそうです。これまで謎であった日本語の本質と起源が、ヲシテによって明快に解け、日本語の言葉の意味と成り立ちや文法が、ヲシテによって説明されています。明らかな根拠と、無数の言葉の用例・文法の用例とともに、具体的に示されています。ヲシテから日本語の本当の姿が見える。とのこと『よみがえる日本語―ことばのみなもと「ヲシテ」』青木 純雄 (著), 平岡 憲人 (著), 池田 満 (監修)は必見かと思います。
ヲシテ文字の説明、よく分かりました。有難う御座います。母音の数に関しては、イトキョウ先生の説明を読んで下さい。上代特殊仮名遣い上代特殊仮名遣いと言いますのは、663年の白村江の戦いの後、百済人が大勢日本にやってきて、彼らが日本語を学ぶために、百済人が使っていた漢字で、日本語(ヤマトコトハ)を表し読んでいた、これを借音仮名(百済式音読み)と言い、その時、彼らは8母音を持っていた。それで万葉集を書いた(これが万葉仮名)ので、後に縄文人は8母音であるとの説が生まれた。しかしホツマを読むと、縄文人の言葉(ヤマトコトハ)は5母音であることが分かる。百済人の言葉は、今は「呉音」と表現されている。日本に渡来した百済人が、当時の朝廷を理解するためには、和歌の理解が必要であった。その為に万葉集は、渡来した百済人によって、万葉仮名(百済式音読み)で書かれた。渡来人にとって和歌は、朝廷を知る上で、最も重要なツールであった。そのことはホツマに除福の子孫であるヒトボシヨスナ(除ヨスナ)が、ヤマトタケ(日本武尊)の和歌に、適切な返歌をしたので、タケダ村を褒美として授かったと記載されていることからも分かる。
真偽を問うのには証拠不十分ですが、嘘というのは簡単なので、仮にヲシテ文字が存在したとしての考察です。長文失礼。文字というのは喋る言語が先に存在する状態で、それを表現する、共有する、または記録に残す為に後から生まれたものと考えるのが自然。当時の都市国家規模の長や知恵のある人が、既にある言語を文字化する上で、アルファベットのようにただ単に音を表す物でなく意味も伴った文字を開発するのは可能のはず。中国の甲骨文字やヒエログリフ等ありますし、昔の人だからと言って知性が劣っていた訳ではありませんから。しかし文字を作る際それが大勢の人に受け入れられて広く使われるようにならなければ、読める人が居なければ文字は文字たり得ません。今使われている日本語の文字は中国から来て日本流に変わって行来ましたが、中東に居たフェニキア人が作ったアルファベットがヨーロッパで主流になって行く一方、等の中東ではアラビア語に移って言った事など見ても、「流行り廃り」や民族の移動/交流によって文字が変わって行くのが見て取れます。ヲシテ文字があったという仮説に戻りますが、当時統一された国家が無く、メジャーな文字も確立してなかった時代に作られた文字だとして、その後時代の推移の中で中国語に取って代わられたとしたら理屈が通ります。石ばっかりの中東と違い日本はほとんどの事に木を使いますから痕跡が残りにくいっていうのが証拠不十分への言い訳ですが、もっと証拠が上がってきたら面白い事になりそうです。
「オノコロシマ」の言葉は、現代用語で言うならば「精神的自立」とか「経済的自立」の表現が近いようです。漢字が国字化される以前の研究方法、文献考古学の研究方法として、ヲシテ文字の形と表意、そして『古事類苑』『類聚名義抄』などの江戸時代の文献や歴史的仮名使いの考察から解明を進められています。「シマ」の言葉は、締(し)まりの意味が近く、これを「おのころ島」のように「島(アイランド)」に直訳するのは、大間違いとのこと。クニトコタチの日本建国は、竪穴式住居があった縄文時代の歴史として語られています。日本文明は非科学的な神秘主義に基づかない、6000年前の建国時から天体宇宙の観察と恵民立国の精神を元にした立憲君主国民主体の高度な文明でした。
ありがとうございます...
次の文明を作る鍵ではないですか、かなり高度ですね。
ひらがな利用の幕末に作ったものです。日本列島では13000年から土偶信仰(安産)してました。その後大陸に移動して、9000年前には太陽信仰(安産)の一族は世界初で記号文字を作りました。その後貿易してたので日本列島でも記号文字を使ってました。大陸では亀甲占いで甲骨文字を作り、4000年前には暦、陰陽道、風水を作り、その後漢字を作った。3000年前には西周が鉄剣で侵略してきたが治めることができなくて、西周が太陽信仰するので国民の代表で参拝し、祈る儀式を信仰上王朝作らない太陽信仰の一族(当時も6家で交代していた)の商が許した。これで3民族(夏、商、周)の中華となる。その後東周になり南部を治めた。それから紀元前770年には東周の命で夏が出雲に土着し、近畿と関東を水田事業でまとめた。東周では臣下どうしの戦争で弱体化していた。東周の命で周と商は九州に土着し、四国と朝鮮半島南部を治めた。出雲を取り込んで大和王朝を作った。この時の皇子の墓のキトラ古墳では東(夏の青龍)、北(商の玄武)、西(西周の白虎)、南(東周の朱雀)、があり中央では皇子の黄竜が眠っている。1世紀から神社(安産)がある。神社はすべて北向き(玄武)に参拝する。出雲だけは大陸の青龍の向きなので西向きに参拝する。
水がうずを巻くと、(水深が深ければ)潜って見た時、柱のような状態になりますね。
すごい!おもしろい!
ありがとう 不思議な文字があるんですね。知っているのは竹内文書。機会があれば学んでみたいです。
このイラストの文字表わかりやすいですね!手元に欲しいです^^
そういう繋がりだったのですか。ネットで調べた時、いくつかのサイトを見たのですよ。でも、さらっと一目で理解できる内容ではない、という印象が強かったのですよね。誰にでも理解して貰える内容って難しいなぁ、と思いました。いわゆる保守言論人の話や説明が、事実を重視するあまり、結果として理解し辛い内容になるのとなんとなく似ていると思いますが、いかがでしょうか。
すごい、おもしろい
渦が重視されるのはウィルタとかアイヌ文化と同じですね。
すごく参考になりました。素晴らしいです。そのイラストは本屋さんにあるでしょうか。またヲシテ文字についての本は出ているでしょうか。外国に住んでいますので友達が帰国するので買ってきてもらいたいのですが。。。
ヲシテ文字は「渦巻」によった。縄文土器の火焔型土器がありますが、あれは「水の渦」を表現したものだと日本国史学会の田中英道先生は指摘している。
色々思うけど、何万年という単位の人間の歴史を私達は到底想像することが不可能だということがコメントを見てよくわかりました。この感じは○○期以降だとか、そんなの数百年数千年単位であって、縄文時代という長すぎるスケールでは到底当てはめようのないことなのだと思います。渦になっているのは右ねじの法則みたいで面白いですね。何万年もあれば技術も相当発達して、近代と変わらないところまで物事の本質を見抜いていたのではないでしょうか。たった数千年で核戦争だの何だのって地球や人類が脅かされるようなスケールでは無かったのだと思いますよ、縄文人は。
埴輪って土でできていますけど、「はに」と関係してるんですかね?
渦がウズで「宇宙の図」って😅興味深いです🤗
漢字伝来以前に独自の文字を持っていたなら、このヲシテ文字をずっと使い続けてほしかったなぁ。日本人は漢字伝来以降もひらがな、カタカナという独自の文字を作ったけど、それ以前からあったといわれる神代文字も興味ある。
そこですよ。ヲシテ文字があったのならば何も万葉仮名などという不便極まるものを作る必要はなかったわけです。ということはヲシテ文字は後世の人が作り出したもの、ということになります。
@@miminekoz 私も最初にそれを疑ったんですけどね。そもそも神代文字はヲシテ文字以外にも色々あって、諸事情で歴史から消されたという説もあるみたいです。実際のところはどうなんでしょうね。仮名文字&国字も我が国独自のすばらしい文字であり文化であるからして誇るべきものなんですけど、あったかもしれない我が国最初の独自のヲシテ文字も気になります。
もし縄文時代からの文字とすると他に文字のお手本がない中で作られた文字ということになります。文字は絵文字や結縄文字といった情報を記録する記号とその発音が体系的に統合して作られていきます。シュメール文字がそうであったように音節文字になるはずなのです。日本語のように音節数が少ない言語においては特に。ヲシテ文字は母音と子音が区別されている音素文字です。これは他に文字のお手本がなければ作られることはありえない文字なのです。
よみがえる日本語―ことばのみなもと「ヲシテ」(明治書院/2009/5)青木 純雄 (著), 平岡 憲人(著), 池田 満(監修)をご一読いただくのはいかがでしょうか。ヲシテが原・日本語であること。謎であった日本語の本質と起源が、ヲシテによって明快に解けます。日本語の言葉の意味と成り立ち文法が、ヲシテによって説明できます。結論を明らかな根拠とともに、無数の言葉の用例・文法の用例とともに、具体的に示されています。ヲシテから、日本語の本当の姿が見えます。写本に付けられた漢字翻訳ではわかりませんでしたが、ヲシテ文献を原文で読み解くことによって文字の骨格部分である「態」と中身の部分である「相」とに区分けし、それぞれが合体することで表意文字としての意味を成すことがわかり、縦に並ぶことで原詞・分詞・ことばの活用を生じることがわかってきました。
魏に使いした卑弥呼の使者が文字を伝えていないので現在では卑弥呼の存在を疑う人もいる。武田先生等。また縄文時代、弥生時代の遺跡からも古墳時代から出てくるような漢字の文章の遺物のような証拠が出てきていませんね。オシテ文字は模様のつぎはぎのようにしか見えませんが。
今回の偽書さんは50音に納まるから。昔の母音は8音だったから。あるいは直感。最後まで偽書と書き続けるのでしょうがこうやって細かい解説を続けてくれるとありがたいですねぇ。
自分がおかしいと思った直観の中身は、その後で書いてます。「万葉仮名」の起源は5世紀に遡るようですが、その後で長い長い時を経て成立した鎌倉時代にアイウエオの順番での50音表が確立しました。母音子音に哲学的概念を持った48文字が縄文時代にあったというのは、不自然過ぎます。母音と子音の組み合わせて文字を作るというのは、人工文字の典型であるハングルの発想そのものです。偽造だとは断定したわけではありません。縄文期にそのような文字があったという信じるに足る証拠があるなら、納得します。有ったと主張するなら「有った証拠」を出すべきです。
言ってる事は理解できますがそういう考え方はもったいないと思うわけです。正直両論聞いてもどっちもそうだなぁと思いながら視聴してるわけですが。
「と言うことが分かりました」っていうのは解説とは言わない。
@zu kaさん もったいないのかなぁ。縄文的でないものを縄文的と思い込まされるのは、私は嫌です。ホツマにはチャイナ文明の臭いがします。整然を避けた縄文の感性は感じません。十年以上前にホツマ本を5冊くらい読みましたが、日本文明の特異性についての自分の中での考察が進むにつれ、ホツマは江戸期の創作で論理と整然を好むチャイナ文明の影響が濃いという心の中の声が強まり、ホツマ本は全て古本屋に売ってしまいました。
うーーん、わからん。大和王朝以前に色々あっただろうし、縄文時代にも文字もあったかもしれないと思って見始めたけど、この表を見て説明されると「文字(音)ありき言葉(音)」と言うのか、規則的に並んだ意味ある文字が先でそれを組み合わせて言葉になった…みたいな印象を受けて何かもやぁとする。文字の前にまず話し言葉があると思うんだけど…
@山田瑞穂さん 全く同感です。ヲシテ文字は、あまりに整然とし過ぎていて、縄文的でない、というか、縄文的な感性と対極にあるものとしか感じません。あの不整然、左右非対称で、生命力の溢れる土器を作った感性重視のご先祖様たちが、こんな整然とした文字を使うとは全く信じられない。
記号に意味を持たせるとき、イメージというか受ける印象が言葉に対応したのは想像できますね😅○ Xみたいな😂
こんな前にユーチューブでこの題材の動画配信してたのね政党の人としか認識してなかったけど 神谷さんちょっと良いねぇ
日本の古代文字は宇宙人の作った宇宙の共通文字の気がします。?
渦になっている、に至った経緯が知りたいです。
フトマニと太占は違うんですよねえ。
夫音はどうなりますか?
表側の歴史しか見てなければ偽書だと思ったかもしれない私も百パーセント信じてはいないけど偽書だからデタラメと言ってしまうとももたろうの話や神社がなんとなく怖い理由が説明つきません、教会は怖いと思ったことがないのに、岩手県在住の私が時折目にするようこそ日高見の国へってのも説明つかなくなる。日本書紀や古事記より出雲国風土記が正しいのは常識みたいですしね
縄文土器はかなり高温で焼かれたらしいですね😅現代でその製法は分かっていないとか😂
「国東半島 古代文字」で検索!
まず、一種の宇宙論的な哲学があり、それに基づいてこの文字の体系が構成されているという時点でおかしいと疑うべきでしょう。出来すぎであり、完成されすぎています。真偽を抜きにして、それ自体を楽しむというマニア的態度で視聴するのが一番だと思います。もし、興味があればの話ですが。神谷さんのこのチャンネルには、その手のものが多いですね。
@WaterSeesWaterさん 同感です。哲学がまずあるという思考は、ロジック志向の大陸文明であり、日本文明は、直感や感性を大切にする文明だと思います。茶道や武道などの「道」だってそうだし、仏典を離れた禅を大切にしました。
9:17「あわうた」そのものは現代語訳されているのでしょうか?それほどに完成されたものならば、いろは歌のように意味がある文字列になっているのだと思うのですが。どうなのでしょう?特に文意のない「エネルギーを高める呪文」のようなものなのでしょうか?それと、直感的なものですが、「ひ」(=日、火、陽など)が「(冷たく降りる)カセ」のグループに分類されていることに違和感を覚えます。「(暖かく昇る)ホ」のグループならさもありなんといった具合なのですが。
ヲシテ文字は日本語を単純に文字化しただけのものですね。しかし、日本語は元々南満州で話されていた言葉です。縄文人はアイヌ語を話していたというのが定説ですから、ヲシテ文字では縄文人の言葉を表せません。それから、天皇は漢民族系chousen人だというのが定説ですから、ヲシテ文字ではなく漢文で言葉を書きます。従って、天皇がヲシテ文字を使って歴史書を書く事は有り得ません:考古学的観点からの日本語と朝鮮語の起源 考古学的観点から日本語と朝鮮語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語と朝鮮語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語と朝鮮語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、朝鮮半島には朝鮮語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後で朝鮮半島に流入した朝鮮語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。言語学的研究では、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています日本語祖語はまずマンチュリア南部から朝鮮半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。朝鮮語祖語はその後でマンチュリア南部から朝鮮半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。 偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃に朝鮮半島北部のゴングウィリ式土器を介して朝鮮半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。 日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀~紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀~紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。 紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経て朝鮮半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部から朝鮮半島南部への粘土帯土器の広がりは、朝鮮語祖語の経路を示唆します(図5-2)。 日本語祖語と朝鮮語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語と朝鮮語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.htmlBrown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」KyushuUniv2023/01/24ruclips.net/video/a4hLPynYKug/видео.html
ヤーの音がヤーハウェーに関係していたら面白い😂
一番まずいと思う事は、このような洗練された文字をもっていながら万葉仮名などという訳わからん洗練とは程遠い不便な文字を使う意味がわからんという事です。
@mal kotoisuさん 鋭い!賛成です。
カタカムナ五首の意味に合います。
宇宙の大規模構造は渦ではない、果てしなく膨張している回転するよりも遥かに速くひろがっているので渦には成り得ない
わかった!ウリナラ的思考はすでに江戸時代の日本人にも有ったって事だ!
だから、もっとCGSは真髄に近づけと思っているんですが..左翼側の人間に影響されないで下さい。これ以上まとわりつかれたらおしまいです。なんか若々しいというか... なんというか...ちょっと遅れているというか...この調子でもっと頑張って欲しい...
気をつけなくてはいけないのが、漢字は秦が神代文字など古代文字を編纂して造ったものだという事。
なんか聞くと日本の文字はエネルギーを二次元に表したものが多い様ですね。
池田先生によると、縄文当初(6千年程前)ヲシテ文字は立体(回転体)としてイメージされていたようです。弥生時代・古墳時代(約2千年前)と時代が下るにつれ、だんだん二次元な表象になってきたらしいです。
>弥生時代・古墳時代(約2千年前)と時代が下るにつれ、だんだん二次元な捉まえ方になってきたらしい池田氏は、これの根拠となる「当時の史料」としてどんなものを提示しているのですか?
久しぶりに、ワクワク感が湧き上がってくる講義でした!ホツマツタエを研究された先生に感謝です!
さっそく松本善之助『秘められた日本古代史ホツマツタエ』を読んだ。『古事記』『日本書紀』以前の文献があったことが素直に伝わってきて感動した。五七調のうたもこの時代に既に読まれていたことも知り、すごいことだと思った。ホツマにはスピリチュアル方面から興味を持つ方も多いのだろうが、私にとっては松本氏の歴史の事実としてのアプローチが大変納得のいくものだった。オススメの一書だ。
AKK WD を
わ、ん、を、の順番は、なんだかとても元気が出ますね!!
外国の方がこの講義を聴いたら、きっと羨ましがるでしょうね。
疑われて、信じる人がいなくなる前に、神谷さんたちが触れることで疑いを払拭することを願います
大変興味深い動画でした。ありがとうございます。早速自分と家族の名前をオシテ文字で描いて見たところ、書いて意味を考えるだけでとても楽しかったです。
お話とーーーってもおもしろいです!宇宙から生まれる文字。なんの疑問もわかないですよ〜🔵
解り易いです。ありがとうございます。
いときょう先生のホツマツタエのお話は繰り返し聞かせて頂いております。感謝しております。
ヲシテ文字の成り立ちを考えますと宇宙から自然に成り立ってきた文字、宇宙文字みたいな、
このことは宇宙の全てを知るあの坂本先生のおっしゃる「日本語は宇宙共通語」との話にリンク
している様に思えてなりません。
奇跡の林檎、木村秋則さんの宇宙カレンダーの文字に似てるのかなぁ?丸・四角・三角とか言われてました。
ヲシテが原・日本語であることを青木 純雄さんが解明されたのだそうです。
これまで謎であった日本語の本質と起源が、ヲシテによって明快に解け、日本語の言葉の意味と成り立ちや文法が、ヲシテによって説明されています。明らかな根拠と、無数の言葉の用例・文法の用例とともに、具体的に示されています。ヲシテから日本語の本当の姿が見える。とのこと
『よみがえる日本語―ことばのみなもと「ヲシテ」』青木 純雄 (著), 平岡 憲人 (著), 池田 満 (監修)は必見かと思います。
ヲシテ文字の説明、よく分かりました。有難う御座います。母音の数に関しては、イトキョウ先生の説明を読んで下さい。上代特殊仮名遣い上代特殊仮名遣いと言いますのは、663年の白村江の戦いの後、百済人が大勢日本にやってきて、
彼らが日本語を学ぶために、百済人が使っていた漢字で、日本語(ヤマトコトハ)を表し読んでいた、
これを借音仮名(百済式音読み)と言い、その時、彼らは8母音を持っていた。
それで万葉集を書いた(これが万葉仮名)ので、後に縄文人は8母音であるとの説が生まれた。
しかしホツマを読むと、縄文人の言葉(ヤマトコトハ)は5母音であることが分かる。
百済人の言葉は、今は「呉音」と表現されている。
日本に渡来した百済人が、当時の朝廷を理解するためには、和歌の理解が必要であった。
その為に万葉集は、渡来した百済人によって、万葉仮名(百済式音読み)で書かれた。
渡来人にとって和歌は、朝廷を知る上で、最も重要なツールであった。
そのことはホツマに除福の子孫であるヒトボシヨスナ(除ヨスナ)が、
ヤマトタケ(日本武尊)の和歌に、適切な返歌をしたので、
タケダ村を褒美として授かったと記載されていることからも分かる。
真偽を問うのには証拠不十分ですが、嘘というのは簡単なので、仮にヲシテ文字が存在したとしての考察です。長文失礼。
文字というのは喋る言語が先に存在する状態で、それを表現する、共有する、または記録に残す為に後から生まれたものと考えるのが自然。
当時の都市国家規模の長や知恵のある人が、既にある言語を文字化する上で、アルファベットのようにただ単に音を表す物でなく意味も伴った文字を開発するのは可能のはず。中国の甲骨文字やヒエログリフ等ありますし、昔の人だからと言って知性が劣っていた訳ではありませんから。
しかし文字を作る際それが大勢の人に受け入れられて広く使われるようにならなければ、読める人が居なければ文字は文字たり得ません。今使われている日本語の文字は中国から来て日本流に変わって行来ましたが、中東に居たフェニキア人が作ったアルファベットがヨーロッパで主流になって行く一方、等の中東ではアラビア語に移って言った事など見ても、「流行り廃り」や民族の移動/交流によって文字が変わって行くのが見て取れます。
ヲシテ文字があったという仮説に戻りますが、当時統一された国家が無く、メジャーな文字も確立してなかった時代に作られた文字だとして、その後時代の推移の中で中国語に取って代わられたとしたら理屈が通ります。
石ばっかりの中東と違い日本はほとんどの事に木を使いますから痕跡が残りにくいっていうのが証拠不十分への言い訳ですが、もっと証拠が上がってきたら面白い事になりそうです。
「オノコロシマ」の言葉は、現代用語で言うならば「精神的自立」とか「経済的自立」の表現が近いようです。漢字が国字化される以前の研究方法、文献考古学の研究方法として、ヲシテ文字の形と表意、そして『古事類苑』『類聚名義抄』などの江戸時代の文献や歴史的仮名使いの考察から解明を進められています。「シマ」の言葉は、締(し)まりの意味が近く、これを「おのころ島」のように「島(アイランド)」に直訳するのは、大間違いとのこと。
クニトコタチの日本建国は、竪穴式住居があった縄文時代の歴史として語られています。日本文明は非科学的な神秘主義に基づかない、6000年前の建国時から天体宇宙の観察と恵民立国の精神を元にした立憲君主国民主体の高度な文明でした。
ありがとうございます...
次の文明を作る鍵ではないですか、かなり高度ですね。
ひらがな利用の幕末に作ったものです。日本列島では13000年から土偶信仰(安産)してました。その後大陸に移動して、9000年前には太陽信仰(安産)の一族は世界初で記号文字を作りました。その後貿易してたので日本列島でも記号文字を使ってました。大陸では亀甲占いで甲骨文字を作り、4000年前には暦、陰陽道、風水を作り、その後漢字を作った。3000年前には西周が鉄剣で侵略してきたが治めることができなくて、西周が太陽信仰するので国民の代表で参拝し、祈る儀式を信仰上王朝作らない太陽信仰の一族(当時も6家で交代していた)の商が許した。これで3民族(夏、商、周)の中華となる。その後東周になり南部を治めた。それから紀元前770年には東周の命で夏が出雲に土着し、近畿と関東を水田事業でまとめた。東周では臣下どうしの戦争で弱体化していた。東周の命で周と商は九州に土着し、四国と朝鮮半島南部を治めた。出雲を取り込んで大和王朝を作った。この時の皇子の墓のキトラ古墳では東(夏の青龍)、北(商の玄武)、西(西周の白虎)、南(東周の朱雀)、があり中央では皇子の黄竜が眠っている。1世紀から神社(安産)がある。神社はすべて北向き(玄武)に参拝する。出雲だけは大陸の青龍の向きなので西向きに参拝する。
水がうずを巻くと、(水深が深ければ)潜って見た時、柱のような状態になりますね。
すごい!おもしろい!
ありがとう 不思議な文字があるんですね。知っているのは竹内文書。機会があれば学んでみたいです。
このイラストの文字表わかりやすいですね!手元に欲しいです^^
そういう繋がりだったのですか。
ネットで調べた時、いくつかのサイトを見たのですよ。
でも、さらっと一目で理解できる内容ではない、という印象が強かったのですよね。
誰にでも理解して貰える内容って難しいなぁ、と思いました。
いわゆる保守言論人の話や説明が、事実を重視するあまり、結果として理解し辛い内容になるのとなんとなく似ていると思いますが、いかがでしょうか。
すごい、おもしろい
渦が重視されるのはウィルタとかアイヌ文化と同じですね。
すごく参考になりました。
素晴らしいです。
そのイラストは本屋さんにあるでしょうか。またヲシテ文字についての本は出ているでしょうか。
外国に住んでいますので友達が帰国するので買ってきてもらいたいのですが。。。
ヲシテ文字は「渦巻」によった。
縄文土器の火焔型土器がありますが、あれは「水の渦」を表現したものだと
日本国史学会の田中英道先生は指摘している。
色々思うけど、何万年という単位の人間の歴史を私達は到底想像することが不可能だということがコメントを見てよくわかりました。
この感じは○○期以降だとか、そんなの数百年数千年単位であって、縄文時代という長すぎるスケールでは到底当てはめようのないことなのだと思います。
渦になっているのは右ねじの法則みたいで面白いですね。何万年もあれば技術も相当発達して、近代と変わらないところまで物事の本質を見抜いていたのではないでしょうか。
たった数千年で核戦争だの何だのって地球や人類が脅かされるようなスケールでは無かったのだと思いますよ、縄文人は。
埴輪って土でできていますけど、「はに」と関係してるんですかね?
渦がウズで「宇宙の図」って😅興味深いです🤗
漢字伝来以前に独自の文字を持っていたなら、このヲシテ文字をずっと使い続けてほしかったなぁ。日本人は漢字伝来以降もひらがな、カタカナという独自の文字を作ったけど、それ以前からあったといわれる神代文字も興味ある。
そこですよ。ヲシテ文字があったのならば何も万葉仮名などという不便極まるものを作る必要はなかったわけです。ということはヲシテ文字は後世の人が作り出したもの、ということになります。
@@miminekoz 私も最初にそれを疑ったんですけどね。
そもそも神代文字はヲシテ文字以外にも色々あって、諸事情で歴史から消されたという説もあるみたいです。実際のところはどうなんでしょうね。
仮名文字&国字も我が国独自のすばらしい文字であり文化であるからして誇るべきものなんですけど、あったかもしれない我が国最初の独自のヲシテ文字も気になります。
もし縄文時代からの文字とすると他に文字のお手本がない中で作られた文字ということになります。文字は絵文字や結縄文字といった情報を記録する記号とその発音が体系的に統合して作られていきます。シュメール文字がそうであったように音節文字になるはずなのです。日本語のように音節数が少ない言語においては特に。ヲシテ文字は母音と子音が区別されている音素文字です。これは他に文字のお手本がなければ作られることはありえない文字なのです。
よみがえる日本語―ことばのみなもと「ヲシテ」(明治書院/2009/5)
青木 純雄 (著), 平岡 憲人(著), 池田 満(監修)をご一読いただくのはいかがでしょうか。
ヲシテが原・日本語であること。謎であった日本語の本質と起源が、ヲシテによって明快に解けます。日本語の言葉の意味と成り立ち文法が、ヲシテによって説明できます。結論を明らかな根拠とともに、無数の言葉の用例・文法の用例とともに、具体的に示されています。ヲシテから、日本語の本当の姿が見えます。写本に付けられた漢字翻訳ではわかりませんでしたが、
ヲシテ文献を原文で読み解くことによって文字の骨格部分である「態」と中身の部分である「相」とに区分けし、それぞれが合体することで表意文字としての意味を成すことがわかり、縦に並ぶことで原詞・分詞・ことばの活用を生じることがわかってきました。
魏に使いした卑弥呼の使者が文字を伝えていないので現在では卑弥呼の存在を疑う人もいる。武田先生等。また縄文時代、弥生時代の遺跡からも古墳時代から出てくるような漢字の文章の遺物のような証拠が出てきていませんね。オシテ文字は模様のつぎはぎのようにしか見えませんが。
今回の偽書さんは50音に納まるから。昔の母音は8音だったから。あるいは直感。最後まで偽書と書き続けるのでしょうがこうやって細かい解説を続けてくれるとありがたいですねぇ。
自分がおかしいと思った直観の中身は、その後で書いてます。
「万葉仮名」の起源は5世紀に遡るようですが、その後で長い長い時を経て成立した鎌倉時代にアイウエオの順番での50音表が確立しました。母音子音に哲学的概念を持った48文字が縄文時代にあったというのは、不自然過ぎます。母音と子音の組み合わせて文字を作るというのは、人工文字の典型であるハングルの発想そのものです。
偽造だとは断定したわけではありません。縄文期にそのような文字があったという信じるに足る証拠があるなら、納得します。
有ったと主張するなら「有った証拠」を出すべきです。
言ってる事は理解できますがそういう考え方はもったいないと思うわけです。正直両論聞いてもどっちもそうだなぁと思いながら視聴してるわけですが。
「と言うことが分かりました」っていうのは解説とは言わない。
@zu kaさん もったいないのかなぁ。縄文的でないものを縄文的と思い込まされるのは、私は嫌です。ホツマにはチャイナ文明の臭いがします。整然を避けた縄文の感性は感じません。
十年以上前にホツマ本を5冊くらい読みましたが、
日本文明の特異性についての自分の中での考察が進むにつれ、
ホツマは江戸期の創作で論理と整然を好むチャイナ文明の影響が濃い
という心の中の声が強まり、ホツマ本は全て古本屋に売ってしまいました。
うーーん、わからん。
大和王朝以前に色々あっただろうし、縄文時代にも文字もあったかもしれないと思って見始めたけど、この表を見て説明されると「文字(音)ありき言葉(音)」と言うのか、規則的に並んだ意味ある文字が先でそれを組み合わせて言葉になった…みたいな印象を受けて何かもやぁとする。文字の前にまず話し言葉があると思うんだけど…
@山田瑞穂さん 全く同感です。
ヲシテ文字は、あまりに整然とし過ぎていて、縄文的でない、というか、縄文的な感性と対極にあるものとしか感じません。
あの不整然、左右非対称で、生命力の溢れる土器を作った感性重視のご先祖様たちが、こんな整然とした文字を使うとは全く信じられない。
記号に意味を持たせるとき、イメージというか受ける印象が言葉に対応したのは想像できますね😅○ Xみたいな😂
こんな前にユーチューブでこの題材の動画配信してたのね
政党の人としか認識してなかったけど 神谷さんちょっと良いねぇ
日本の古代文字は宇宙人の作った宇宙の共通文字の気がします。?
渦になっている、に至った経緯が知りたいです。
フトマニと太占は違うんですよねえ。
夫音はどうなりますか?
表側の歴史しか見てなければ偽書だと思ったかもしれない
私も百パーセント信じてはいないけど偽書だからデタラメと言ってしまうとももたろうの話や神社がなんとなく怖い理由が説明つきません、教会は怖いと思ったことがないのに、岩手県在住の私が時折目にするようこそ日高見の国へってのも説明つかなくなる。日本書紀や古事記より出雲国風土記が正しいのは常識みたいですしね
縄文土器はかなり高温で焼かれたらしいですね😅現代でその製法は分かっていないとか😂
「国東半島 古代文字」で検索!
まず、一種の宇宙論的な哲学があり、それに基づいてこの文字の体系が構成されているという時点でおかしいと疑うべきでしょう。出来すぎであり、完成されすぎています。真偽を抜きにして、それ自体を楽しむというマニア的態度で視聴するのが一番だと思います。もし、興味があればの話ですが。神谷さんのこのチャンネルには、その手のものが多いですね。
@WaterSeesWaterさん 同感です。哲学がまずあるという思考は、ロジック志向の大陸文明であり、
日本文明は、直感や感性を大切にする文明だと思います。茶道や武道などの「道」だってそうだし、仏典を離れた禅を大切にしました。
9:17
「あわうた」そのものは現代語訳されているのでしょうか?
それほどに完成されたものならば、いろは歌のように意味がある文字列になっているのだと思うのですが。どうなのでしょう?
特に文意のない「エネルギーを高める呪文」のようなものなのでしょうか?
それと、直感的なものですが、「ひ」(=日、火、陽など)が「(冷たく降りる)カセ」のグループに分類されていることに違和感を覚えます。
「(暖かく昇る)ホ」のグループならさもありなんといった具合なのですが。
ヲシテ文字は日本語を単純に文字化しただけのものですね。
しかし、日本語は元々南満州で話されていた言葉です。
縄文人はアイヌ語を話していたというのが定説ですから、ヲシテ文字では縄文人の言葉を表せません。
それから、天皇は漢民族系chousen人だというのが定説ですから、ヲシテ文字ではなく漢文で言葉を書きます。
従って、天皇がヲシテ文字を使って歴史書を書く事は有り得ません:
考古学的観点からの日本語と朝鮮語の起源
考古学的観点から日本語と朝鮮語の起源を検証した研究(Miyamoto., 2022)が公表されました。本論文は考古学的観点から、アジア北東部における日本語祖語と朝鮮語祖語の拡大の様相を検証しています。本論文は、日本語祖語と朝鮮語祖語の起源はマンチュリア(満洲)南部にあり、朝鮮半島には朝鮮語祖語よりも日本語祖語の方が早く流入し、その後で朝鮮半島に流入した朝鮮語祖語が日本語祖語をじょじょに駆逐し、一方で日本語祖語は弥生時代早期に日本列島に流入し、「縄文語」をじょじょに駆逐した、と推測しています。この記事では今後の参照のため、当ブログで取り上げていない本論文の引用文献も最後に記載します。「日本語」と「日琉語族」を適切に訳し分けた自信はないので、混乱があるかもしれませんが、本論文の趣旨からすると、まだ日本語と琉球諸語が分岐する前を主要な対象としているので、「日琉語族」と訳すべきところが多いかもしれません。また、考古学用語については、定訳があるのに変な訳語になっているものも少なくないかもしれません。近年の古代ゲノム研究と本論文の知見を合わせて、そのうちアジア東部の古代史をまとめよう、と考えています。
言語学的研究では、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、と示唆されています
日本語祖語はまずマンチュリア南部から朝鮮半島へと、次に弥生文化の開始期に九州北部へと広がりました。朝鮮語祖語はその後でマンチュリア南部から朝鮮半島へと広がり、次第に日本語祖語を追い払いました。
偏堡文化と無文文化と弥生文化の土器は、さまざまな年代にわたって相互に系譜的に関連している、と提案されており、とくに、以下の4点の特性を示す、同じ土器製作技術があります。それは、広い粘土平塊、その前の平塊の外面に付着させる平塊、木片の端で土器表面を滑らかにすること、地面でのあまり精巧ではない粘土窯での焼成です。これらの同じ土器製作技術は、言語を介して継承された、と考えられています。これが、偏堡文化と無文文化と弥生文化の系譜系列が日本語祖語の拡大を示唆している理由です。したがって、偏堡文化の日本語祖語は紀元前2700年頃の遼西地区東部もしくはマンチュリア南部の遼河流域に起源があり、紀元前1500年頃に朝鮮半島北部のゴングウィリ式土器を介して朝鮮半島南部の無文文化へと広がりました(図5-1)。
日本語祖語は灌漑稲作農耕の拡大とともに紀元前9世紀に九州北部に到達し、紀元前6世紀~紀元前5世紀の九州北部の板付式土器期に「縄文語」を完全に置換しました。過程として、この言語置換は約300年間にわたって起きました。この場合、人々はその遺伝的構成の観点では必ずしも変化しませんでした。板付式土器を伴う日本語祖語話者は福岡平野から到来して西日本へと移住し、西日本では弥生時代前期に日本語がしだいに在来の「縄文語」を置換しました(図5-1)。紀元前3世紀頃に始まる弥生時代中期の跡には、弥生文化は東日本に依然として存在していた縄文土器伝統とは急速に異なっていきました。それにも関わらず、日本語祖語は紀元後2世紀~紀元後3世紀となる弥生時代後期から古墳時代の開始までに、これらの地域で在来の「縄文語」をじょじょに置換していった、と考えられています。
紀元前6世紀と紀元前5世紀に、中国の東周時代(春秋時代)の燕国は、燕山山脈を越えてその領域を拡大し、遼西地区において首長に政治的に影響を及ぼしました。この時から、尹家村文化第2期の移民が紀元前5世紀に遼西東部から遼東を経て朝鮮半島へと向かい、そこで粘土帯土器を確立しました。粘土帯土器自体は、遼東半島の紀元前二千年紀の双砣子(Shuangtuozi)文化期の第2および第3段階に始まりました。遼西東部から朝鮮半島南部への粘土帯土器の広がりは、朝鮮語祖語の経路を示唆します(図5-2)。
日本語祖語と朝鮮語祖語両方の故地は考古学的証拠に基づくと同じで、両者は近い語族です。しかし、アジア北東部における両言語間の拡散の時間的違いは約1000年で、両言語の広がりは、九州北部の弥生時代開始期におけるアジア北東部の農耕の4番目の拡大を除いて、農耕の人口拡散とは無関係でした。考古学的説明に基づく日本語祖語と朝鮮語祖語のこの拡散仮説は、日本語祖語と朝鮮語祖語がマンチュリア南部でトランスユーラシア語族から分岐した、という言語学的仮説を必ずしも妨げません。むしろ、拡散仮説は言語学的仮説を支持します。
sicambre.seesaa.net/article/202306article_7.html
Brown Bag Seminar No.033 Kazuo Miyamoto 「近年の日本語・韓国語起源論と農耕の拡散」
KyushuUniv
2023/01/24
ruclips.net/video/a4hLPynYKug/видео.html
ヤーの音がヤーハウェーに関係していたら面白い😂
一番まずいと思う事は、このような洗練された文字をもっていながら万葉仮名などという訳わからん洗練とは程遠い不便な文字を使う意味がわからんという事です。
@mal kotoisuさん 鋭い!賛成です。
カタカムナ五首の意味に合います。
宇宙の大規模構造は渦ではない、果てしなく膨張している回転するよりも遥かに速くひろがっているので渦には成り得ない
わかった!ウリナラ的思考はすでに江戸時代の日本人にも有ったって事だ!
だから、もっとCGSは真髄に近づけと思っているんですが..
左翼側の人間に影響されないで下さい。
これ以上まとわりつかれたらおしまいです。
なんか若々しいというか... なんというか...
ちょっと遅れているというか...
この調子でもっと頑張って欲しい...
気をつけなくてはいけないのが、漢字は秦が神代文字など古代文字を編纂して造ったものだという事。
なんか聞くと日本の文字はエネルギーを二次元に表したものが多い様ですね。
池田先生によると、縄文当初(6千年程前)
ヲシテ文字は立体(回転体)としてイメージされていたようです。
弥生時代・古墳時代(約2千年前)と時代が下るにつれ、
だんだん二次元な表象になってきたらしいです。
>弥生時代・古墳時代(約2千年前)と時代が下るにつれ、だんだん二次元な捉まえ方になってきたらしい
池田氏は、これの根拠となる「当時の史料」としてどんなものを提示しているのですか?