夏の函館海線。最強ミカドD52と最強ハドソンC62~JNR Strongest Mikado type D52 and Hudson C62 at Hakodate Main Line
HTML-код
- Опубликовано: 16 окт 2024
- 北海道の重要幹線である函館本線の海線、函館~長万部に絞った内容で動画を製作しました。この区間の最盛期は昭和40年代に入って高度経済成長期となったことで北海道の内地向け貨物はすべてこの区間を通っていたわけです。
このため、多くの五稜郭機関区のD52が長大編成を組んで、小樽築港、長万部、五稜郭のD51とともに昼夜を問わず、大量輸送に従事していました。
駒ヶ岳と大沼国定公園、そして美しい内浦湾(噴火湾)を存分に楽しませてくれる観光路線としての性格もあったと思います。寒い冬の姿も素晴らしいのですが、今回は夏の姿でまとめてみました。背景が緑となるところを上手く避けられるので、この区間はどのような写真でも撮影できたと思います。今でもお立ち台は当時のままのところが多いようですね。
私はC62が好きなので、急行ニセコの上り下りの姿をたくさん組み込みました。
山線を走る重連急行とはかなり違った印象を与えてくれる、海線のC62急行ニセコでしたが、あまり騒がれたとは言えませんね。皆さんまず山線を目指しますので。
1200トンの長大編成を難なく牽引するD52の姿は蒸気の終末を飾るものとしてニセコと並んで北海道の最大の見せ場だったと思っています。
#蒸気機関車 #c62 #D52 #d51 #急行ニセコ #旧型客車 #駒ヶ岳
#大沼公園 #貨物列車 #重連 #小樽築港 #函館本線 #山線 #C62-3 #大沼
(Credit)
Kevin MacLeod の And Awaken - Stings は、クリエイティブ・コモンズ - 著作権表示必須 4.0 ライセンスに基づいて使用が許諾されます。 creativecommon...
ソース: incompetech.com...
アーティスト: incompetech.com/
私の地元の昔を紹介して下さりありがとうございました。
nanalinnさん、ご視聴頂きありがとうございます。
地元だったんですね。50年以上前の内容ですが、今は大きく変わったもの、変わらないものもたくさんあることでしょう。
@@Yukkuri-Lab 五稜郭機関区は今も健在です。欲を言えば、大沼-森間はなぜ真っ直ぐ行く鉄路と砂原、鹿部を回る鉄路があるのかも示してくれれば良かったです。
そうなんですよね。本当はそれもやりたかったのですが、写真が集まらなかったので、ちょっと端折ってしまいました。次回以降に必ずやりたいと思います。
これを撮影した人は還暦以上の年齢なのでしょうね
小林さん、ご視聴いただきありがとうございます。はいとうの昔に還暦は過ぎています。ちゃんと年金も貰っています。でも働いているので少ないですよ。
貨物の長編成っていいよね〜、俺の性癖に刺さるよ
0721さんご視聴頂きありがとうございます。
長大編成とそれを切れなく撮影できるのが函館本線の最大のポイントなんですね。
見てて飽きないよね〜、最高だと思うよ
D52って、凄い力持ちなんですね🎉
カッコいい🎉🎉🎉🎉🎉
ご視聴頂きありがとうございます。
DD51より力があるのに何で廃車なんだよー!と叫んだD52がいました。
出遅れましたが北海道の蒸機がいっぱいの回、嬉しいです。
札幌に引っ越してから両親の実家の小樽までしか鉄道を使わなかったので函館から長万部は東京暮らしの小学生の時、
高校の修学旅行、東京の大学受験で写真にも出てきていた82系の特急で通過するだけでした。
急行ニセコ、乗っておきたかったです。森駅のいかめしは東京駅のお弁当屋さんでよく買ってきます。。。
Kei Itoさん、いつもご支援いただいておりありがとうございます。
Itoさんは北海道にお住まいですか?東京に行く場合鉄道を選択されるのでしょうか?
やはり、JRの鉄道は高すぎます。将来の姿が米国の様になるように感じます。中国のように生活に密着する形にするには国有化が必要でしょうね。
@@Yukkuri-Lab 様
大学で東京に出てきてから就職も東京でしたので今は盆暮の帰省で帰るのみです。
大学受験の時には特急、青函連絡船、寝台特急で上京しました。受験が終わって帰る時は道内が急行大雪の寝台だったと思います。
入学後の夏休み、冬休みはスカイメイトで飛行機での行き来でした。以降鉄道を使ったのは北斗星での往復のみです。
前のコメントでキハ82系で通過するだけって書きましたが他でも通過してましたね。(笑)
新幹線が札幌まで開通した時にまだ元気なら新幹線で帰省もありかなと思っています。北斗星に乗った時のように・・・。
札幌は新幹線ができればまぁ乗るのもありですね。
先日久しぶりに釧路にC11を見にいって飛行機乗りましたが、釧路って鉄道に比べ三角形の斜辺なので直線で近くて短時間で行けてちょっと見直しました。列車だととんでもない遠いところなんですが。
東京から釧路へは、かつてはフェリーもありましたな。(*´ω`*)
釧路市内の寂れっぷりもRUclips動画にされるぐらいなので、寂しい限りです。
釧路こちらでも何度か取り上げているので、またやろうかなと思っています。
SLの頃は大沼公園までしか行ったことがなかったのですが気動車特急(北海)ですがその先に行った時は感激しました😂手前ですが藤城線がお気に入りでした😊
荒竹さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうなんですね。C62やD52もご覧になりましたか?D52は気っと見られたと思います。意外とスーッと走るんですよね。余裕のなせる業かな。
返信ありがとうございます😊おそらく何回も見ていると思うのですが後2〜3年早く生まれていれば😂と思うことがあります。もったいないことです😅D52の貨物列車は最高だったと思います😊
ニセコも「ていね」時代は食堂車があったためか、下りは函館からしばらくD52の後補機がありましたね
Homareさん、ご視聴頂きありがとうございます。ていねは確かに定数も大きかったですが、D52の補機が付いたのは下りの仁山越えのためですね。
関西在住の中学生が初めて北海道に行った頃には急行ニセコは消えてました。
おっさん28号さん、ご視聴頂きありがとうございます。
それでも翌年2回急行ニセコ復活運転したんですよね。私は行きませんでしたが。今思うと行けばよかったなって。
0:29奥の 懐かしの国鉄コンテナ。可愛い。
サハ165さん、ご視聴頂きありがとうございます。
この国鉄コンテナを運んでいるC57の写真が別の動画にあります。
JNRの文字が良いですね。
やっぱりD52は最強です😂長らくC62よりDD51が函館早着が不思議でしたが、給水だけでなく、本務機の給炭もあったのですね。止まらずに走れるDD51にはアドバンテージがありますね。
蒸気のメリットとして、石油が止まる有事の際の最後の頼みの輸送力となるというものがあります。そのことをテーマにショート作りました。
初めてコメントさせて頂きます🙇
鉄道系で出て来て拝見させて頂いたら面白そうだったのでチャネル登録とメンバーシップ登録させて頂きました🙇
30代後半の青二才なのでSLの現役時代も知りませんし、物心付いた頃は既にJRになってたので、(Nゲージが主な鉄ですが、)アップ主さんの動画で勉強させて頂きたいです。
PS不躾けながらご挨拶として投げ銭少額ですがさせて頂きたいと思います。お納め下されば幸いです🙇
まやまさん、メンバーシップご参加、コメント頂きとても嬉しいです。ありがとうございます。投げ銭?初めて頂きました。本当にありがとうございます。
私の写真だけでは皆様の関心を惹く事に限りがありますが、様々な友人等からネタを仕入れることもやっていますので、こんなのどうだとかありましたらぜひお知らせください。でもC52は難しいですねぇ。
C59-C62が好きです。特にC59なのですが,写真はC62が一番あります。
うわぁ!1000円も頂いてありがとうございます!感激しています。
@@Yukkuri-Labさん
流石に毎回とは行きませんが、時々は投げ銭させて下さい、アップ主さんの動画はその価値があると思いますので(上から目線な言い方ですいません🙇)
投稿されてる動画見たら余りDD51はお好きで無い様ですね(笑)私はサンライズや、やくもが停車する山陰地方の町に住んでるので、ブルトレ出雲を力強く牽引するDD51が印象深いです、キハ181も格好良いと思ってます(笑)
SLは知識が乏しいので、アップ主さんの動画で、何処の路線は主にこんなタイプが走っていたとかを知っていこうと思います🙇
SLはD51のナメクジ型やC53の流線型を格好良いと思ってしまいます。
もっとお願いします。
ご視聴いただきありがとうございました。
毎週末動画を製作アップしています。
何かリクエスト頂ければと思います。
D52は東北地方の亜炭混じりの石炭を配給され、DLの廃油を補助燃料に使って、1200tの貨物列車を牽引し、旅客列車にダイヤを譲りながらも定時制を求められる...SL機関士の給料が良くないと、誰もやらない仕事ですね。
「旅費とフィルムが大事」時代は変われど、この辺はあまり変わらないかも。
「主食はビスケットと水道水」「駅蕎麦はご馳走」な状況だと、「調味されている」「腹持ちが良い」「美味しい」「比較的安い」が揃ったイカ飯は、まさに神の食材。
スーパーマーケットやデパ地下の「駅弁フェア」でも、美味いし地方を感じられるのに、一点だけ頭抜けて安いからか大人気商品。
ご視聴頂きありがとうございます。今でも国内外問わず一人の時はケチで徹底しています。昼は食べずに水で済ませてます。海外ではカロリーメイト持っていくので。いかめしはいま650円するのですね。それでも安いですが、駅で一番安いのがジャムパン、メロンパンだったので、よく食べていました。宿は極力使わず駅で寝ていましたが、北海道は追い出されることが多かったです。
今でも本州と物流を結ぶ重要な路線、当時もひっきりなしに蒸機が行き来した事でしょう。
蒸機時代の大沼は、父に連れられ夜行連絡船で行った微かな記憶、草っ原に座り横を蒸機が通過、カマすら覚えてません。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。新幹線ができても北海道は遠いですね。
動画でも言いましたが、当時C62が無くなると騒ぎ出されていた頃、函館まで行けば見れるということです、周りの蒸気ファンでも無い人でも出かけてました。青森から夜行の連絡線で意外と手近に感じたんでしょう。昔はゆっくりしてましたね。
1970年代の夢、聖地でした。見るには叶いませんでしたが、梅小路で初めて本型を見ました。
HMS Hoodさん、ご視聴ありがとうございました。ついこの間だったのが50年ですからね。いったいどういう事なんでしょう。その間に北海道の鉄道は凋落しました。こんなことになるなんて思いませんでしたが、北の組合の騒ぎを見ていてなんか引っかかるものは感じていました。
昼休み。再視聴中(現実逃避)…大型貨物蒸気の迫力、旅客のロマンが魅力ですね。当時は全く撮り鉄は無縁でしたが、後年に私がMINOLTAのマニュアル機を入手して真岡鐵道で蒸気撮影(駅撮り)。ネオパンの仕上がりに溜飲を下げて部屋に飾りました。
毎回、動画を拝見しながらフィルム粒子と蒸気の金属感は得難い関係なのだと思います。
北海道では長編成の貨物列車が多く千歳線ではD51や9600で3千トンの引き出しにも成功している。連結器の僅かな遊び部分が逆玉突き?みたいに作用して実現した。
@skt8212さん、ご視聴頂きありがとうございました。同一の貨車の編成だと可能だそうですね。指で重いでかい丸い石を動かせるのと同じだとか。
函館本線函館-小樽間の廃止を表明したJR北海道。
JR貨物は、トラック輸送のコスト高になって、物流が途絶えると主張して、反対して、函館-長万部間の存続を主張。
しかし、沿線自治体は、バス転換を主張しており、板挟みの状態。
大坂さんコメントありがとうございます。JR貨物として内地に送るときにトラックが必要となるからと言う意味で反対なのでしょうか?
室蘭から自前の内地向けフェリーとかどうなんですかね?
@@Yukkuri-Lab 様、室蘭港から青森港までの津軽海峡フェリーを使うことも考えられるが、トラック輸送となりドライバー不足が深刻な上、環境悪化コスト高に懸念が強い。
なるほどです
C62 2は鉄道ファンには人気が高かったけれど、調子が最も悪い為に乗務員からは一番評判が悪かったので、本務機として函館まで運用に入る機会は極めて稀だったのでしょうね。
戦争の落とし子だったD52にとっては函館本線、室蘭本線が最後の楽園だったと言えるでしょう。
興味深い動画配信ありがとうございます。
色々勉強させていただきました。
現在のデジタル一眼レフカメラを持ってこの時代にタイムスリップして撮影がしたいですね。
特急日本海さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
2号機の調子ですが、最後の全検を受けてから好調になって、函館行きが増えています。私も含め周りも函館で見ていますね。まぁ、ギャンブルのようなものですが、重連の前のD51よりはずっと良いです。2号機以外のC62ってとても汚く。煤汚れなのですがそれも嫌われる原因の一つでしょう。D52もそうですけれど。
太陽が当たっていないとぼうっとした写真になってしまいます。
函館本線の長万部-小樽間は、北海道新幹線札幌延伸で廃止されてしまう。
100㎞越えのバス代行になってしまう。
C62形急行ニセコ号やD52形貨物列車が走った黄金期が懐かしい。
大坂さん、その確率はどのくらいなんでしょう?東北本線みたいに3セク化はないんですかね?
@@Yukkuri-Lab 様、一時期余市-小樽間の第三セクター鉄道での運行を提案したが、沿線自治体の長万部町、倶知安町、ニセコ町が負担が巨額化して、経営が成り立たないとしてバス転換を提案してきた。
余市町と小樽市は、第三セクター鉄道での運行を主張したが、倶知安町、ニセコ町、長万部町に力負けして、全面バス転換になった。
@@Yukkuri-Lab 様、限りなく0に近いか❔
恐らく直行はないでしょう。倶知安あたりで系統分割かと思われます。すでに札幌-倶知安間で都市間バスを運行していますので、長万部-倶知安間の新設に留まるかもしれません。
最後にC62-3のサプライズ運転を半年ぐらい山線でやるという夢を抱きながら毎週動画作っています。
C62形は、3両が京都鉄道博物館に保存されている。
C622号機は、つばめのエンブレム付きで動態保存機だが、C621号機は梅小路機関庫、C6226号機は、正面プロムナードに保存されている。
最強貨物蒸気機関車D52形は、最終号機D52468号機が静態保存されている。
戦後ボイラー改修工事を受けたD52形が函館本線の貨物列車を牽引していったが、山線を超えて小樽に行ったか:室蘭本線回りで苫小牧に行ったか分からない。
大坂さん、ご視聴頂きありがとうございます。
D52は山線通るには重すぎですから苫小牧経由ですね。
@@Yukkuri-Lab 様、やはり室蘭本線経由で苫小牧に行きましたか。
6:58 こう言ってる割にやまぐち号は市街地で平気で80km/h近く出すっていうね
ご視聴頂きありがとうございます。西の蒸気は正規圧力で力強いんですよ。東の蒸気は軒並み罐の圧力を落として使っているので、遅いです。
@@Yukkuri-Lab そうなんですね!既定圧で残してくれてるのは嬉しいです。まぁそれ+過酷な峠越えのせいで故障が頻発しているのも事実なんですけども()
山陰線のほうが私は好きですし、機関車にも優しいかと思いますがいかがでしょうか。
貴重な写真ありがとうございます。
あと10年早く生まれていればこの景色が見られたのにといつも思います・・・
ぶん太郎さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そう思われるのは分かりますね。でも今10歳余分に年を取っているので、そちらの方がきついかと。
D52は貨物長大連結が良く似合う。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
長大編成がそのまま撮影できるスケールがあった海線はとても好きでした。
函館本線の蒸気機関車というと、やはり山線の走行シーンの写真を見ることが多いですが、海線も壮快感があふれていて素晴らしいですね。新幹線ができても豪華周遊列車に乗れたとしても絶対に再現できない風景があると思うと、ちょっと胸が詰まる気もします。
D51が客レの先頭に立って快走する姿を見て、海外とりわけ欧州のミカド形は高速貨物列車を牽引したり長大編成の普通旅客列車を牽引したり山間部では急行旅客列車の本務機だったりで、見た目にも力強さとスピード感のバランスが取れた恰好のいい万能機が多いのを思い起こしました。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。中国では最後はどこでも客貨みんな前進でしたが、D51のような扱われ方の機関車でした。馬力も大きさも違うんですけど。この意味でD51も素晴らしい機関車なんですけど、いかんせん多すぎて。自然とナメクジとか戦時形になっちゃうんです。
煙を吐いていないと思ったら、線区によっては当時から豆炭を使っていたんですね。保存SLが煙や火の粉を吐かないよう梅小路だとコークス、大井川鉄道だと豆炭、東武だとブレンドした石炭を使ってましたが、もはや猛烈な黒煙を吐いている姿はもう見られないので貴重です。
abbk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。使用する石炭については様々ありますね。私も研究できていません。函館本線のC62は急行仕業ではハイカロリーの豆炭でした。常磐線のC62もおなじです。煙の量にはあまり関係ないと思いますが、燃焼効率良いので煙は少ないでしょう。最近は排煙に2次空気を混ぜているようです。
五稜郭でD52とC62兄弟が並んで駐機するのは迫力ありそうですね。更に北ではD51/D61兄弟がいました。自分が見た兄弟駐機は青森時代のC61/D51と直方のD50/D60だけです。間に合いませんでしたが鹿児島方面のC59/C60の並びが見たかったです。
kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。その見方は気が付きませんでした。
探してみようと思いますが、C62/D52の並び撮っていないと思います。
かつてスワローエンゼルともてはやされたC622は、ずば抜けた人気がありましたね。
でもこう見ると長編成のD52や客車列車のD51はなかなか好いものです!
ねずみ色の猫さん、ご視聴いただきありがとうございます。海線のC62はスマートに走るので、山線の重連とは違う感じを受けます。呉線や常磐線の機関車の様な感覚でしょうか。一方D52には花道だったと思います。あまり綺麗じゃ無いんですが。
D52はかなり力あるな 現車30~40両で1,200トンクラスを牽引するけど 均衡速度の関係で
DD 51 に置き換えられてしまった さらに機関車が重連総括制御ができれると 機関士1人で済むす
C62 も大変だからね 遅れたら下りは速度制限が掛かるため 上りで短縮するしかないし
長万部機関区の甲組の機関士が山線を担当していたしな
それに44号機は北海道に行ってC62で 1番評価が悪いカマだったし
長万部機関区の機関士も こんな調子の悪いカマを運転しなくって安心したでしょうに
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。DD51は重連統括ができましたね。C62の調子悪いは良く聞く話だったんですけど、呉線からの15,16号はどうだったんでしょうね。
北海道現役時代の函館本線を走る蒸気機関車D51D52の現役時代やはり迫力も有りますね
今の活気のなくなった函館本線とはえらい違い
寝台列車北斗星やトワイライトなどみんな消たしそんなに高いリスクを払って通す新幹線意味が在るのかな?
先ずあり得ないだろうが贅沢言えばC11でなくC62 3号機関車の客車を引く力強い走りが見た物です。
まあ、JR北海道としては、もう新幹線以外に収入を得る手段がないというのが実情かもしれませんな
塚越さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
やはり北海道が自動車優先に舵を切ったことで、鉄道すべてが壊れてしまいました。新幹線は出来て在来線は3セクになるのでしょうね。
@@電光刑事-u4c今現在大赤字新幹線が札幌へ延伸して何処まで換わるかねえ~?
私はまずありえないですね。
やはり今も昔も長万部から函館の区間は貨物輸送の基幹ですね 新幹線延伸後も残すべきでしょう 長万部町もそこを重く見て欲しいです そして梅小路の2号はスノープロウが外されているのが淋しいですし もし外したままなら副灯が余計な装備に思ってます このD52は副灯無しで好きな姿です
まつかぜ92さん、ご視聴頂きありがとうございます。新幹線延伸後どのくらいの割合で廃止になるのでしょうか?鉄道は乗客が乗ってやっと成立するので、貨物だけでは難しいんじゃないかと思います。
梅小路の2号機突っ込みどころが多いのですが、別の機会にまた取り上げたいです。
@@Yukkuri-Lab 路線は残すと思いますけど貨物乗り入れは廃止かも?といった具合でしょうか はっきりと状況を理解してないまま返信してますので行方を見守りたいです 梅小路の2号の解説 楽しみにしてます
素晴らしい写真の数々ありがとうございます。本当にきれいな写真ですね。何度も見てしまいました。
ところで、北海道新幹線開業後、山線(長万部⇔小樽間)は廃止になり、海線の長万部以南(函館⇔長万部間)も場合によっては廃止になる(一応この区間はいったん3セク化はするようですが、)なんていうとんでもない話もありますね。
そうすると北海道の物流はヤバいですね。有珠山等の噴火で室蘭線(長万部以東)が不通になるともう代替線はなくなります。道央をはじめ、道東、道北、北見地方は物資が届かず孤立化しますね。
路死屋は、日米安保がなかったら日本をウクライナよりも先に攻撃する計画だったことが、去年の11月ころアメリカで報道されていましたから、もう国が動かないとまずい段階ですね。貨物輸送は新幹線ではできないですから。
北方領土もある根室線、そして石北線、宗谷線、留萌線も、路死屋の狙っている上陸地点に直接関係する路線なので、その維持整備の必要性は重要です。自衛隊の急速な展開にも支障をきたします。
国がなくなったら元も子もなくなるし、一度廃止にした路線の復活は困難を極わめますからね。
権三郎平衛さん、ご視聴ありがとうございます。
北の線路は地政学的に重要で、国家管理が必要だと思ってます。稚内、根室、網走に続く線路は残すべきでしょう。物流面を見るともう鉄道の役目は少なく立っているので、函館本線を取っ払ってもやむを得ないのかもしれません。
1コメ 北海道の生産物の物流は大変だったんですね。そして、個人的にはC62 3の方が一回、近場の苗穂工場にいたって言う理由で好きになった。
古谷さんあ、いつもご視聴頂きありがとうございます。1コメありがとうございます。物流今は道路の他にフェリーや飛行機もありますが、当時は鉄道の信頼性に頼っていましたから、函館本線のこの区間は想像を超える活況だったと言えますね。
@@Yukkuri-Lab 今は、影が薄いですもんね。
編集&投稿お疲れ様ですm(._.)m
C62重連はよく見た事あるのですが、D52重連は見た事なかったので新鮮でした!もっと前に産まれてたら実際に見てみたかった(泣)
srt kt57さん、ご視聴頂きありがとうございます。動画の中の2つのD52の重連ですが、どちらもD52xD51ですね。D52x2ってあったのかなぁ?
@@Yukkuri-Lab
返信ありがとうございますm(._.)m
よく見たらD52+D51の重連でした!
大変失礼いたしましたm(_ _)m
色々検索してみたらD52+D52重連で走ってた写真があったので、実際に見たら迫力あるんだろな〜!^ ^