【センスなさすぎ!】プロ野球球団が試みた名前変更の悲劇
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- Опубликовано: 26 авг 2023
- 日本にプロ野球が誕生して約90年。様々な歴史を経て現在のセ・パ12球団にたどり着くまでに、
数多くの球団が生まれ、消えていきました。
球団が誕生するたびに新しい名前がつけられましたが、中には「これはマズい」というネーミングも。
そこで今回は球団名変更に失敗したケースを5つピックアップして
ご紹介します。
#プロ野球
#球団名変更
#俺たち野球漬け
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岡本太郎の近鉄のマークは本当に完成された最高のデザイン
あの帽子黒の革ジャンに合う、ワーキングブーツに合う。
同感。その一方でマスコットのバッファ君はデザイナーのやっつけに近い仕事やったとか言う話もあるw
現バファローズの帽子のBマークは駄作もいいとこ
帽子だけでも岡本太郎の猛牛マークを復活させてほしいね
自分はユニフォームが好きだったなぁ
あれ、岡本太郎氏のデザインだったんですね、妙に納得
かっこいいんで、子供の時には特に近鉄ファンでもないのに近鉄の野球帽かぶってました
8:42 と 10:07 に映る「日拓ホーム」(大阪で不動産会社を運営)は、その球団を保有していた「日拓ホーム(日拓観光)」とは無関係。
関係があるのは、パチンコ店を運営している「エスパス日拓」ですね。
球団持ってたのは、パチンコの「エスパス日拓」の系列のほうだよね。
@@myarmyar4252
その御曹司が神田うのさんの旦那さんらしいですね
日拓ホームフライヤーズのオーナーだった西村昭孝氏(神田うのの義父)は、元警視庁府中東警察署の巡査部長から脱サラしたそうだ。
「日拓ホームフライヤーズ」が一年弱で消えた余波で、1973年のパ・リーグ新人王の新美敏投手は、【東映】にドラフト指名され、【日拓ホーム】で新人王を取り、【日本ハム】で契約更改、という慌ただしさでした。
そういえば、日拓には大杉勝男さんが在籍されていたはずです。(後にヤクルトに移籍)
@@user-br9pb8bd5h
「日拓ホームフライヤーズ」が、「日本ハムファイターズ」となり、初めてのシーズンを終えた1974年10月に、東映カラーの払拭を目指す日本ハムフロント(三原脩球団社長兼球団代表)が、主力選手放出の一環として行なったのが、大杉勝男選手と「ヤクルトスワローズ」の内田順三選手、小田義人選手との1対2の交換トレードだった様です。
@@user-br9pb8bd5h確か尾崎豊と同じ日に亡くなってほとんどニュースで取り上げられず、新聞の片隅で小さく報道され悲しい気分になった記憶があります。
@@user-pk1oi5mv5b六代目三遊亭圓生師匠が亡くなった時、パンダのランランが死んだってニュースの方が大きく取り上げられたとか…また、アンディ・ウォーホルが過激フェミニストに撃たれた時、回復したウォーホルは同時期に撃たれたロバート・ケネディに比べて扱いが小さいことにがっかりしたとか…ま、そういう不条理?はよくあるってことで
新美氏といえば、
この年主将だった大下剛史氏がこの年限りで出身の広島に移籍して、初優勝に活躍しました。
日拓の運営はチームの浅慮な企画に振り回された象徴かもと。
プロ野球が セ・パ 両リーグに分かれた 1950年のセリーグに、1年だけあった「西日本パイレーツ」。また その時 パリーグに所属していた西鉄は、この年だけ「西鉄クリッパーズ」でした。 結局 翌年のシーズン前に、パイレーツは西鉄に併合され、西鉄は「西鉄ライオンズ」に名前を変えました。
福岡市民の応募で「ライオンズ」の名前は決まりました
そのため、いまだに「ライオンズ」は福岡の名前だから返して欲しいなんて人もいます
ライオンズを返すにも歴史がありすぎて、ソフトバンクライオンズじゃどっちなのか分からなくなっちゃうな。
やはり西日本とは西日本新聞社なんでしょうかね。日本の大手新聞では朝日と北海道が参入してない模様(日経は別にして)
@@user-dm2dq8jy7r
西日本パイレーツは、セ・リーグのチームで、親会社は西日本新聞社でした。
元々は、西日本鉄道(西鉄)と共同でプロ野球の球団を立ち上げ、球団経営は西鉄、球団広報は西日本新聞社が担当する予定でしたが、私鉄連合としてパ・リーグに加盟しようとしていた西鉄クリッパーズに対して、西日本新聞社は政治・経済のニュースを讀賣新聞社に依存していた為に、讀賣の勧めで西日本新聞社が独自に球団を持ち、セ・リーグに加盟することになりました。
しかし、選手を獲得した際に、人件費が高騰していた事に加え、営業面でも西日本新聞社がプロ野球の興行に不慣れだった事が災いして、自前では主催試合を行えず、収益を興行師に持ち逃げされた事もあり、経営が安定しませんでした。
1951年1月30日に、西日本パイレーツは、パ・リーグの西鉄クリッパーズと合併して、西鉄ライオンズとなる道を選択しました。
なお、西日本パイレーツは、埼玉西武ライオンズの傍系球団扱いとされ、結成年度やその他記録は一切含まれていません。
西日本パイレーツをもとにして、漫画の『進め!パイレーツ』ができたんでしたっけ? 知らんけどw
ネーミングライツの先駆けはライオン歯磨きを冠したライオン軍でしょう。アトムズに関しては虫プロの倒産でイメージに悪影響が出ることを懸念してスワローズに戻したと聞きました。
歯磨き → 歯磨
ライオンズもアトムズも手塚先生が関わっているんだな
7:26 近鉄消滅後、新規球団の候補になったのが「ライブドアフェニックス」と「楽天イーグルス」。
いずれも近鉄の名前変更の候補に挙がっていたことは知らなかった。
ゴールデンを省略されちゃうイヌワシさん。余談だけどそのせいで金鷲と勘違いする方も。
5:40 福岡の平和台に本拠地を持つ太平洋クラブライオンズの応援歌を歌った子門真人は、その後福岡に帰ってきたプロ野球チーム、福岡ダイエーホークスが平和台から移転した福岡ドーム周辺をホークスタウンとして再開発したとき、「ホークスタウン物語」というテーマソングを歌った。
日本ハムファイターズも球団名は公募した中から選ばれたが、中には爆笑物の名前も。一番面白かったのは「日本ハムブンタッタ」。当時の日本ハムのCMソングは「ブンタッタブンタ♬日本ハム(このイントネーションが独特)」というもので、子豚ちゃんが出てくるユーモラスなものだった。
チーム名命名権の先駆けってトンボユニオンズだったと思ったけど…
近畿のやつは同時期に戦時統合されていた近鉄と南海が47年に再度経営分離されたからそれに合わせて戦前の南海ホークスに戻しただけっていうのもあると思いますよ
あとフライヤーズの名前って最初が東急フライヤーズだったからアメリカの列車っていうより東急電車の速さをイメージさせたんじゃなかったでしたっけ?
単に南海が戦時合併させられた近鉄から戦後に再分離した際に南海がプロ野球チームも持っていったため、改めて「南海ホークス」としただけなんでしょうね。
ネーミングライツの先駆けは、戦前の「ライオン軍」だった気がします。
ライオンズは西鉄の後ペプシが球団を買う予定でしたが、東映が日拓に球団を売るなど、パリーグの惨状を見て、ペプシが球団購入を辞めたところから、買い手がなくなってしまい、本当にやばかったです。中村さんに感謝ですね。
ペプシコーラライオンズ😢
太平洋クラブライオンズといえば…
後に阪神の真弓明信
阪神→大洋ホエールズの若菜嘉晴
そして忍 全功がいて、その3人がスタメンでアナウンスされると
阪急ファンから…
その名字から…
「【真弓】【若菜】【忍】ってお前ら場末のキャバレーか?」とヤジられましたが、そこはさすがのパ・リーグ、ライオンズファン!
「アホか!キャバレーちゃうわ~こっちは(太平洋)クラブや!」
のエピソードでしか…
真弓選手の名前ネタは阪神に移っても言われてたなw。
@@user-md6tw5hb6d その返しにザブトン1枚
ヤクルトパンダーズにならなくて本当によかった
パンダースだったら今頃中国系企業に買収されていた…?
令和の時代に昭和って何かと否定されがちだけど、コメントも含めてこれはいい昭和
1947年、球団ニックネームの義務化に伴い「阪急軍」は「阪急ベアーズ」に改称
しかし、オープン戦が始まると連敗続き
さらに「ベアー」と言う単語が投資界隈では「弱気相場」を表す縁起の悪い言葉で有ったため、結局シーズン開幕前に再度改名
こうして「阪急ブレーブス」が誕生した
ベアーズ→ブレーブス→ブルーウェーブ→バファローズ
名前は変わったが「B」の伝統は残った
「がんばれ!ベアーズ」(原題:Bad News Bears)というアメリカ映画もありましたがね。あれは弱小だった少年野球チームが奮起する物語だったけど、やっぱりBearsは弱そうに見える名前だったのかなと後になって思う。
相場でベアーの対義語がブル(猛犬)やはりバスケにシカゴブルズなんてあるから名付けるならこっちなんだろうな。
ブレーブス捨てたのはもったいない。
ブルーウェーブもネッピーというキャラもあったのに合併で消えたし。。。
関西の大手私鉄で球団を所有したことがなかった京阪は戦時中に阪急の前身阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄になった間でも球団名は阪急のままだったので間接的に所有した(戦後京阪は合併で関急から近鉄になった南海同様に独立した。阪神だけ戦時中でも単独だった)
近鉄はパールズがそもそもネーミング的に…でしたね。
南海ホークスになったのは近畿日本鉄道から南海電鉄が分離された時(1947年6月1日)ではなく、
その1ヶ月近く前なんだそうで、「近畿日本ホークス」だった時代がわずかに存在します。
(近畿日本鉄道の社史より)
コンドルズはともかく、昔の南海の社章は車輪に羽だったので、
鳥にちなんだ球団名にしたのは自然だったように感じます。
「まったく火がつかないクラウンライター打線」懐かしい!52年ドラフト1位の江川氏のコメント「チームワークのいい球団だと思います」が白々しく感じられました。
ネーミングからガス抜いたから!?
松竹ロビンスのチーム名遍歴凄いw
大東京軍1936~1937
ライオン軍1937~1940
朝日軍1941~1945
パシフィック1946
太陽ロビンス1947
大陽ロビンス1948~1949
松竹ロビンス1950~1952
大洋ホエールズと合併。
大洋松竹ロビンス1953~1954・・・松竹消滅。大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)
太陽ロビンス⇒大陽ロビンス
野球は”点を取る”スポーツだからと、球団名から”、”を取ったとかなんとかw
@@mikesierra9167 さん
歴史を遡ると、「大東京軍」のオーナーは、「国民新聞」(後「都新聞」と合併して、現:東京新聞)、ライオン・朝日・太平パシフィック・大陽・松竹は、田村駒(大阪に本社のあった繊維製品卸商)のオーナー社長だった、田村駒次郎氏でした。
@@user-fz4qk1mj2z 「田村駒」って現存している‼️_(^^;)ゞ
しかも広島カープ潰しルールの犠牲者。
そして忘れ去られるTBS時代(忘れていい)
swallowの名詞ではツバメだけど、動詞だと飲むという意味があるから、てっきりヤクルトスワローズはヤクルトを飲むと掛けているのかなぁ?
なんて勝手に思っていたけど全然関係ないんだ…
長い球団名「クラウンライターライオンズ」。
1977年は鬼頭政一監督。
1978年は根本陸夫監督。
どちらも近鉄パールスでプレーした。
「クラウンガスライター」と言う会社が、ライオンズの命名権を得たので、「クラウンガスライターライオンズ」になる筈だったのを、あまりにもチーム名が長過ぎると言う事で、チーム名は社名から「ガス」を抜いた「クラウンライターライオンズ(略称・クラウン)」になったのだそうです。
ライターはタバコなんかに火をつけたりするライターですね。
歴代のプロ野球チーム名で一番ダサイと思う。
@@user-ih6ye7qw1u
ガス抜きライター?(笑)
@@suit-espanolaさん
今では考えられないけど、タバコのライターという市場はそれだけで優良企業になれるほど業績があり、むしろ禁煙製品の会社の方が青色吐息でした。
(マッチでも『パイプ印の赤箱マッチ』なんてブランドが立つくらいでしたし)
平成年間の禁煙旋風はライター何に使うの?的な状況になって、ひと頃は法事(蝋燭や線香)、今はキャンプの着火用に苦慮してる市場です。いずれもこの時代には片手間事業でした。
球団まで持った太平洋クラブも、1260億円の負債を抱えて会社更生法を適用し、マルハングループのひとつになったよね。
2億のスポンサー料金払っていただけ
関西国際空港も、近畿国際空港の案もあったが、キンキ = 変態の意味があるとの事で 関西国際空港 になったとか
Kkkって呼ぶと怒られるw
KinKi Kidsは世界進出できないな
@@nipul1967 以前の国際興業バスの車両に書かれてた
@@baka1208様へ。
そうそう!
だから、海外へ進出する時は、
TV番組名にも成った、
堂本兄弟
を採用するのでは?
近畿=畿(京都)に近い場所。
別に問題はないけど、発音かぁ〜
カープは球団設立の構想時にあったチーム名候補としてカープ以外にピジョン、レインボー、アトム、グリーン、ブラックベアってあったんだよね。
ピジョン(鳩)は平和の象徴だが、スポンサーのマツダ(東洋工業)のライバル会社が商標として使っていたからマズいだろうし、アトムは論外でしょうね。
@@user-fz4qk1mj2z 商標は初耳なんだが。ちなみに週間ベースボールの記事によると
レインボー(虹)=すぐ消えるからボツ
アトムズ(原子爆弾)=政治的見地からボツ
ブラックベア(黒熊)=暗いからボツ
ピジョン(鳩)=平和の象徴でも弱そうだからボツ
だそうだ。グリーンズは2軍で使用されてましたな。
@@g_1847 さん
当時の「中日本重工業」(現在の三菱重工業・三菱自動車)が生産していたスクーターが「シルバー・ピジョン」だったんですよ。
@@g_1847
✖︎週間 → 週刊
広島繋がりでJリーグのサンフレッチェ広島はJ参入時に
「広島パープル」にしようとしたが、チェアマンから
『イミフ』と言われて却下。
太平洋クラブの集合写真の真ん中に写っているのは東尾だな
左側が白仁天氏、右側が土井正博氏です。このシーズンは首位打者、本塁打王、最多勝の三人がいて優勝出来なかった極めて珍しいシーズンでした。
@@hiroshia5789
3位でしたね、阪急の黄金時代でした。
今でも
東北楽天ゴールデンイーグルス
は長いですよねぇ。
なので、「楽天イーグルス」と呼ばれてますね。
国鉄 混んどるズ
にする予定だったけど、
座ろうず
になってってガセビア 好き😅😅。
鉄道会社にとっては混んどるズのほうが儲かっているイメージがあるからいいけどな
かつて、1950年代の初め頃に大阪ジャガースという大阪タイガース(現在の阪神タイガース)の2軍チームがありました。
@@user-io5rm6jl9n
売り手側からしたらそうかもしれないけど、 乗客は空いてる方がよくないか?🤔。 売る側ばかりの考えしか無いと、某札幌ドームのように・・・
そもそも国鉄はとてつもない赤字残して(現在も増え続ける)身売り?民営化したけど😗
@@user-ux3mr3gd2x
ありましたね(って、生で見た事無いけど😅)。
一軍と2軍のチーム名が違う所もちらほらありました
サーパス神戸
インボイス ??
湘南 なんとか 等々
@@user-qx3qt7eh3s 湘南シーレックス=横浜ベイスターズの2軍
高橋ユニオンズ?くらいしか知らなかったのでとても参考になりました。
高橋ユニオンズを知ってるのは、凄いぞ。プロ野球ニュースの佐々木信也さんがいた球団だ。
佐々木信也さんのおかげで自分は知りました。
ユニオンズは3年で解散。2年目はトンボユニオンズ。今で言うネーミングライツでした。
@@user-ig4hx8jl9k
1955年(創設2年目)だけ「トンボユニオンズ」で、1954年(創設1年目)と1956年(創設3年目)は「高橋ユニオンズ」でした。
そして高橋龍太郎オーナーの「高橋ユニオンズ」は、1957年(創設4年目)の春季キャンプ中に、永田雅一オーナーの「大映スターズ」に吸収合併されて(佐々木信也氏は合併ではなく解散であると主張されていますが…)、「大映ユニオンズ」になりました。
更には、1957年11月に「毎日オリオンズ」と「大映ユニオンズ」が対等合併して、「毎日大映(大毎)オリオンズ」になりました。この合併球団のオーナーは、大映の永田雅一社長が務めました。
@@IzumizukiPinky
300勝投手(NPB通算303勝176敗)のヴィクトル・スタルヒン氏も、在籍していました。
300勝目を達成したのが、トンボユニオンズ在籍時でした。
そして1955年のシーズンをもって現役を引退された為、現役最終球団もトンボユニオンズでした。
日拓が球団買ったとこは歴史的にも大成功ですね。
Wikipediaに名前がしっかり残っているし。
名前が残るという意味では、10ヶ月だろうが、何年だろうが同じ効果😂😂😂
その日拓は不動産会社からパチンコ屋(エスパス)に業態変更して盛業中です
現在は「日拓グループ」(本社・東京都渋谷区南平台町)と言う、東京都を中心に不動産開発(所有・賃貸・管理)、貸ビル業、パチンコ店(パチスロ専業店も含む)、ゲームセンターを展開している、合計9社の集合体になっている様です。
「日拓グループ」に属する9社は、「日拓ホーム株式会社」、「日拓不動産株式会社」、「日拓リアルエステート株式会社」、「日拓キャピタル株式会社」、「日拓プロパティ株式会社」、「日拓トラスト株式会社」、「日拓ビル株式会社」、「日拓年開発株式会社」、「日拓殖産株式会社」です。
なお、大阪府豊中市で不動産業を営む「日拓ホーム」や長野県長野市で住宅リフォーム業を営む「日拓」とは、一切無関係だそうです。
パチンコのボッタク、いや日拓は不動産からパチンコ参入だったのか。西村家って確か神田うのが嫁いだところね。
みんな変なことよく知ってるなぁ。
酒の席でこの話題になったら3〜4時間は行けそう。
大阪近鉄バファローズが2003年に提携した中国の野球チーム名の上海ゴールデンイーグルスを覚えている人も少ないだろうな。
今の3rdユニフォームの乱発を考えたら、日拓は先見の明があった気がする。
メジャーならレンジャーズみたいに今でも起用されてますしね
別に今の3rdユニみたいにお客を楽しませる事とかが目的じゃなくて目立ちたかっただけみたいなんだが😅
日拓ホームフライヤーズのユニフォームは。七色の虹色のユニフォームだったらしいですね。
確か新聞の順位表では太平洋・日拓・クラウンと表記されていましたねえ。
1文字表記は
「平」「拓」「ク」でしたね。
太平洋クラブライオンズ,クラウンライターライオンズの流れ好きだったなぁ。日拓ホームフライヤーズも忘れ難い。
2:20 ヤクルト本社は、実際にパンダをCMなどでキャラクターに使っていました。
販促グッズだったのか、パンダのイラストが入ったコップをもらって、50年近くたった現在でも使ってます。
♪最初のパンダは白かった♪
あったあった!アトムズ繋がりで鉄腕アトムもあったし(ユニホームバージョンとヤクルトがロケットのバージョン)、超人バロム・1もあった。
アトムの絵が描かれたコップか何かをもらった記憶のある約50年前……。
太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズの監督 鬼頭政一氏は大沢啓二氏同様「あぶさん」に登場する時はサングラスを着用していました。
大沢啓二監督(大沢親分)「べらんめぇ」
あぶさん初登場時の大沢親分はイケメンすぎて笑う
映画業界が躍動していた時には松竹ロビンス・大映スターズなど映画会社が球団を持っていましたね。
後、パリーグ球団ですがトンボユニオンズ・高橋ユニオンズの3年間で幕を閉じた球団もありましたね。
映画業界ですと、東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)もありましたね。
それから、300勝(NPB通算303勝176敗)を挙げたヴィクトル・スタルヒン投手や後にフジテレビの「プロ野球ニュース」キャスターも務められた佐々木信也選手も在籍していた「高橋ユニオンズ」については、当時のパ・リーグが奇数の7球団(1953年時点では南海・阪急・大映・西鉄・毎日・東急[翌年から東映]・近鉄)という変則的な構成であり、偶数の8球団にすべく、パ・リーグ総裁でもあった「大映スターズ」の永田雅一オーナーからプロ野球球団創設の依頼を受けた「ビール王」の高橋龍太郎氏が個人出資して、1954年シーズンの開幕前に、「高橋球団(法人)」、「高橋ユニオンズ(チーム名)」を立ち上げ、プロ野球(パ・リーグ)へ新規参入しました。
1955年シーズンのみ、高橋球団はトンボ鉛筆と業務提携を結び、「トンボユニオンズ」にチーム名を改めましたが、トンボ鉛筆が提携による利をほとんど感じなかった為に1年で提携を解消し、1957年の春季キャンプ中に「大映スターズ」(合併後に「大映ユニオンズ」となった)へ吸収合併(佐々木信也氏は合併ではなく解散だったと主張されていますが…)されるまで、「高橋ユニオンズ」を名乗っていました。
こうして見ると当時のパリーグ球団は電鉄会社所有の球団が多かったのですね。
松竹はネーミングライツでしょ?
@@user-hl9pq7tokusoutai
その通りです。
1949年のシーズン終了後に、田村駒治郎氏(大阪市の繊維商社「田村駒」社長)が、戦前からオーナーを務めてきた「大陽ロビンス(ロビン=駒鳥)」と映画会社の「松竹」が業務提携して、球団名が「松竹ロビンス」になりました。本拠地は衣笠球場(京都市)でした。
1950年には、「松竹ロビンス」が、主戦の真田重男(重蔵)投手や主砲の小鶴誠選手(小鶴選手を中心とした打線は「水爆打線」と恐れられました)を擁して、セ・リーグ初代王者に輝きましたが、同年の日本シリーズでは、パ・リーグ初代王者の「毎日オリオンズ」に2勝4敗で屈しました。
1951年からは、大阪球場が事実上の本拠地となりました。
その後、1951年のシーズン終了後には、ロビンスの親会社である「田村駒」の経営悪化により、真田投手や小鶴選手を放出する事になります。
1953年1月に、「松竹」と「大洋漁業(現・マルハニチロ)」の関係者による会談で、「大洋ホエールズ」との対等合併で合意。2月に正式発表され、球団名は「大洋松竹ロビンス」となり、田村駒治郎オーナーは、自身の会社「田村駒」の経営が傾いた事で、ロビンスの経営から退く事になり、「大洋松竹ロビンス」のオーナーには、大洋ホエールズの中部謙吉オーナーが就任しました。
1954年には、球団名が「洋松(ようしょう)ロビンス」と改められました。
1954年12月11日には、元々プロ野球に熱意が無かった「松竹」も球団経営から撤退し、球団名は「大洋ホエールズ」に戻されました。本拠地も大阪球場から川崎球場へ移転し、保護地域も神奈川県に改められました。
電鉄は関西大手が5社中4社(京阪が持ったことはない)、関東は東急と西武か。やはり五島と堤の意地の突っ張り合いなのかな。
あと大手新聞が日経を除き7社中5社(朝日と北海道がない)。
今はネット系企業が3社持っているから、日本の野球オーナーは時々の栄枯盛衰を現しているものだなと。
『アトムズ』『キンキ~』『パンダーズ』の件が笑えました。で、もっと教えてもっと教えてって感じで最後まで見ちゃいました😁とっても面白かったです👍
南海ホークスの帽子のマークはNとHですが、Hの部分は車輪をイメージしてるそうです。
よく見るとH部分にちゃんとフランジ(車輪の内側にある羽部分)が表現されていて凝っているんですよね。
羽根の付いた車輪のマークは、南海本線沿線のハグルマソースの社章にもなっていますね。
きんききっずが別の意味に聞こえる。きんき=変態??いやいや、きっずに手を出しまくってた親分が変態だったわけだ。
懐かしいです
小学生の時、多分一年生だったかな、クラウンライターライオンズの試合を平和台に見に行きました。ライオンズの先発完投は、東尾氏だったと記憶しています。高校の国語の藤山先生が同氏の自宅近くに住んでいて、おじょうさん、めちゃかわいいーと、男子高校生の歓心を買っていました。そう、プロゴルファーの理子さんでした。おしまい
グレートリング(偉大な輪っか)…… なるほどなぁ
アメリカ人のスラングって ストレート過ぎで笑えるよなぁ
オーナー企業が変わってもホークス、ライオンズ、バファローズという愛称はいまだ使われている。
それだけに、オリオンズやフライヤーズが消えてしまったのが残念でならない
フライヤーズってフライばっかり打ち上げてそう
@@TheTenfoureight
フライをあげる機械がフライヤーですし
「ミスター・ロッテ」有藤通世氏も、オリオンズがマリーンズへ改称されてしまった事を、残念がられています。
有藤氏が、マリーンズの試合の解説を務められる時には、マリーンズをオリオンズとは呼べないので、あえてロッテと呼んでいるそうです。
@@yb4wyt7k1y様。
ビラやチラシもフライヤーと言いますね。
当時の日ハム社長が「フライは蠅を連想する」とクレーム😂
1:09 確かに噴霧器を「アトマイザー」といいますね。
西武ライオンズになるまで、ライオンズは波乱万丈ですね…
黒い霧事件が西鉄ライオンズの終わりの始まりでしたね。
西武ライオンズ誕生からダイエー、オリックスと続きパリーグが人気を掴んでいく契機になりました。
当時、福岡で移転反対運動も起きたくらいでニュースにもなってました。
似た感じが大洋の横浜移転かも
@@yb4wyt7k1y
その大洋ホエールズが横浜へ移った後に、川崎へ移ったのが、仙台を仮の本拠地としながら戦っていたロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)でした。
西日本鉄道株式会社(西鉄ライオンズ)→福岡野球株式会社(太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズ)→国土計画株式会社(西武ライオンズ)→株式会社西武ホールディングス(埼玉西武ライオンズ・現在)
近鉄バファローズがオリックスバファローズの前身球団だというのには違和感がある
近鉄バファローズはオリックスブルーウェーブに吸収され消滅した
球団が消滅してしまう近鉄ファンが不憫だったので、名前だけでも残そうとオリックスバファローズに改名した
なお逆に名前が消滅してしまう旧ブルーウェーブファンには、確か「日本一になったことがないバファローズの名前で日本一になった暁にはチーム名を見直す」という約束の下にそれを受け入れさせたはずだが、いつの間にやらそんな約束はきれいさっぱり忘れ去られたようだ
旧ブルーウェーブファンも時が経ち過ぎてもはやバファローズという球団名に慣れてしまい、今更騒ぐ気にもならないんだろう
オリックスは球団購入時にしたブレーブスの名前を残すという約束もあっさり破っているので、ファンとの約束は基本的にまもらないオーナー企業と言える
阪急ファンを裏切り、神戸市民を裏切り、近鉄ファンにも媚びきれない
2000年代以降の地域密着路線の中でも頑なに地域名を名乗らず、パリーグでは唯一の企業名球団
個々の選手は魅力的でもチームとして応援しようという気にはならないのはそのあたりの企業体質なんでしょうね
阪急andオリックスOBの松永浩美さんが、どこかのインタビュー記事で、オリックスバファローズは球団として認めない!!と怒っていたのを見た覚えがあります。僕も松永さんと同じで、あのチームをバファローズと呼びたくないのでね!!
旧バファローズファンの一部が合併の経緯から代わりである楽天イーグルスファンへ鞍替えしたとchakuwikiにも書いてあったが実際どうなんか❓オレならイーグルスをバファローズと思って応援してたろうな。所詮阪急やからなオリックスバファローズ。
私だったら楽天を阪急(→ブルーウェーブ)の代わりに応援します。本拠地が屋外球場で有るの共通してるから。
@@user-qg4be9nc6e
甲子園は砂場の件は忘れない
高橋ユニオンズについても触れてほしかった。
個人名の付いた唯一のチーム名では?
トンボ鉛筆からトンボユニオンズも
@@user-xh9dd7wm1i
しかし、1955年の1シーズン限りでトンボ鉛筆との業務提携は解消され、チーム名は「トンボユニオンズ」から再び「高橋ユニオンズ」に戻りました。
個人名なら、広島も実質的には「広島松田カープ」
5:28の様に、太平洋、日拓、大洋とユニホームがド派手になったのは、カラーテレビ普及の影響かな?
太平洋クラブの場合、スポンサー料が滞ったため、「TAIHEIYO CLUB」をユニフォームから除外するために胸番号のユニフォームになったとのこと。
パリーグはそもそもテレビ中継がほとんどなかったので、単に話題作りで少しでも目立ちたかっただけでしょう
カラーテレビの影響で突然ド派手になったのは昭和35年のジャイアンツですね
不評であっという間に消えましたけど
@@user-vf4ek5rd5n
雑誌で新体制で挑み話題作りもあり選手個人も商品だ。の様な感じの勢いでアメラグスタイルのユニにしたと掲載を読んだことがあります
@@arthurc5497
赤を入れたものですか?
ありがとうございます!
こちらこそいつもご視聴ありがとうございます!!
ファイターズもスラングで「大根役者」を意味するとかで日米野球でやってくる大リーガーが日ハムのユニフォームを見て驚いてた、って話を聞いたことあるけど…ホントなのかどうか…。
ham-fighterは精力絶倫のスラング。Nipponham Fightersは日本精力絶倫ズという意味になる。
これは来日した外国人選手がよくネタにしている
「オオタニサンってそんな所にいたの?」って話に、なりますよね?
関西学院大学アメフト部もファイターズですね。
大根役者は「ハムアクター(ham actor)」です。ただそこから派生して「ハムファイト(ham fight)」が八百長試合という意味に転じ、「ハムファイター(ham fighter)」は八百長野郎と言う意味になる訳です。日本八百長野郎団、確かに笑うわなぁ…。
ちなハムアクターのハムはハムレットの略で、ハムレットならどんなに下手な役者でも人気が出るので下手くそほどやりたがる、というところから来ているそうです。
そうか、日本ハムがファイターズって名乗ったのが、ハムファイターで問題だったんですね?納得しました。
大洋漁業が所有していた大洋ホエールズってゆうのも、ホエールがクジラで、捕鯨なので環境団体からクレーム入って、ベイスターズになったと聞いたことあります。
大洋漁業の遠洋漁業の漁船に父親が助けられた縁でドラフト1位で入団したという盛田投手のエピソードがありました。
環境テロ団体の害悪
大洋っ明石発祥の会社じゃなかったっけ?
明石球場を本拠地にしてたら野球の歴史も変わったかもしれないね
どうなってるとかは知らんけど
大洋球団は発足時は捕鯨基地だった下関を本拠地にしていました。その名残で今でも山口県にはベイスターズファンが結構いらっしゃるようです。
捕鯨のシンボルではなく、クジラは海の王者だからクジラを愛しているからと突っぱねればよかったんだよ。
bayは湾であり海岸とか港とかいう意味はない。つまりベイスターズは横浜のチームでありながら東京湾の星ということ。
ファイターズと並び外国人が首を傾げる恥ずかしいニックネーム
大洋漁業がマルハになったとき、もう捕鯨も規制されてクジラが主力製品でもないし、球団名も横浜のみになるから別の名前にして心機一転しようというのが理由だったかと。
ベイスターズは横浜ベイブリッジに引っ掛けたと聞いたことがあります。
猛牛マークってたしか、近鉄物流のトラックでも使われていたよな
近物レックスの「KBR」のマークを見て、一抹の寂しさを覚えました…。
@@dragonq4838861 「kintetsu」のロゴが少しだけ変わって「kinbutsu」になっていたのが……ねぇ?
オリックスブルーウェーブも短命だったような
たしかオリックスブルーウェーブの前の球団名オリックスブレーブス(1989~1990年)も短命でしたね。
オリックス青波🌊は確か、一般公募による命名だった。
確か、親会社が阪急でもともと阪急ブレーブスって名前やったけどオリックスと合併してそっから近鉄とも合併して今のオリックスバファローズになったんよな
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阪急はオリエントリース(現オリックス)に球団売却で合併では無いです。
近鉄は吸収合併で近鉄球団は生滅しました。確か合併後2年間期限で僅かながら株は持ち続けました(スポンサー扱いに近い形で)
Blue Waveは「絶え間ない憂鬱」という意味になるからねえ
決定する前になぜ自チームの外国人選手にでも相談しなかったのか不思議だわ
グレートリングとか南米で英雄視されてるクスコ王国の初代国王みたいなものかな。
もう、40年以上前の話になりますが、
四国の片田舎の我が街にバファローズの選手団が遠征?に来た事が有ります。
他所のチームとの対戦とかではなく、単なるトレーニングだと思いますが記憶が定かでは有りません。そんな球場も地元には有りませんでしたし。
とある朝、体を鍛える為に毎朝往復4kmのマラソンを命じられて居た私達兄妹ですが、途中で財布を拾って帰り道に通り道の警察署に届けました。
財布の落とし主はバファローズの選手の方で「早朝マラソンの時に落としてしまった」、との事でした。
自分は学校で不在でしたが、自宅に丁重な御礼をしに伺って頂いたらしいです。
頂きましたサイン色紙は転居の際に紛失してしまったのは残念ですが、未だにお元気でしたらお会いしてみたいです👍😊
高知県宿毛、宮崎県日向の前のキャンプ地ですね。
栗橋さんが地元のスナックで客の漁師とトラブルを起こし、翌日練習グラウンドに漁師グループが殴り込みに来た話がございましたね。
今季、2軍では新規参入が2球団ありましたが、1軍で新規参入する企業が出てくる可能性は低そうですね。
加盟料が60億円から減額されて30億円になったものの、まだまだ高すぎるかと…
戦前にイーグルス🦅という球団があった😊
勿論仙台ではない😖
1995年秋に米ロックバンド・イーグルスのコンサートを福岡ドームに見に行った時、「鷹の巣に鷲が降り立つ」と感慨深かった。まさかその10年後に球団イーグルスが福岡ドームで試合をするとは夢にも思わなかった。
後楽園野球倶楽部ですね。
昔々、国鉄混んどるズという球団があったそうな。
時は高度成長期。日々激しくなる通勤ラッシュに頭を痛めた国鉄当局は、様々な施策を実施。複線化、車両増結、新規路線開通等々。
そしてそれらによって快適に通勤していただけるよう、国鉄座ろうズと改称しましたとさ。
当時は黒字でしたからね。赤字で悲惨だった末期しか知らない自分には球団を持っていたことが信じられませんでした。
鉄道作家の故宮脇俊三氏はスワローズ好きを公言してました。
「国鉄スワローズ」は、「日本国有鉄道(国鉄)」が、直接に球団経営していた訳ではありません。
日本国有鉄道法と言う法律に基づいて設置された特殊法人(日本国有鉄道[現・JR]、日本電信電話公社[現・NTT]、日本専売公社[現・JT]の3公社のひとつ)の国鉄は、運輸業とその関連事業以外の副業を禁止されていました。
そこで、国鉄の外郭団体だった財団法人交通協力会が主体となり、財団法人鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現・JTB他)…等々の企業により、「国鉄スワローズ」の運営会社だった「株式会社国鉄球団」(資料によっては、「国鉄野球株式会社」となっているものも有る)を設立しました。
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タレント(俳優)の三宅裕司氏も父親が国鉄社員だったことから、生まれてからずっとスワローズファンだね。
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確か、晩年は有名無実化されて、新宿ルミネや池袋メトロポリタンホテルなどは国鉄の子会社として経営されていたね。
「民業圧迫」とか言われたけど、親会社の国鉄本体が赤字だったからあまり問題視されなかった。
厳密には民営化されて株式が全部上場されるまでは規制が続いたが、今でも実質的に国有企業の北海道や四国も副業経営しているから時代は変わったと感じる。
因みに2004年に近鉄がオリックスに吸収されたときに、新規球団として楽天とライブドアが加入を争ってたけど、実はライブドアは最初に球団名や監督を決めて公表していたのを忘れてる人も多いと思う
名称がライブドアフェニックスで監督が元阪神のオマリー
結局楽天が選ばれたために幻の球団名になってしまい、しかもその後すぐ堀江は逮捕刑務所行きw
その時の恨みがあるから今の楽天の経営難に歓喜してますね。
頭に仙台がついたような。
仙台ライブドア、、、
その後、何年かして作ってしまったライブドア野球グッズを販売するイベントが有りました。
ただ、堀江氏は現在独立リーグで北九州下関フェニックスを運営していますから、球団運営の夢は叶えていますね。
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その通りです。
幻の「仙台ライブドアフェニックス」です。
監督は元阪神・ヤクルトのトーマス・オマリー氏が、暫定GM(ゼネラルマネジャー)は小島克典氏が、それぞれ務められる予定でした。
球団運営会社として、「株式会社ライブドアベースボール」も設立されました。
livedoorでなくて良かったとは思ったけど愛称「ゴールデンイーグルス」って聞いたときは「フェニックス」の方が良いと思った。
中々深いお話でした。
画像の日拓ホームはまったく関係ない別の会社ですよ
フライヤーズの日拓は現在パチンコのエスパス日拓で有名
神田うのの嫁ぎ先
藤原満さんのユニフォームだ、あの帽子、茶色の革ジャンに合う。
球団名変更とは関係ないが、毎日大映オリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)は1960年に西本幸雄氏が監督に就任し、強力打線を築き上げ、ダイナマイト打線としてリーグ優勝に貢献したが、日本シリーズでは三原脩監督擁する大洋ホエールズ(現、横浜DeNAベイスターズ)に0勝4敗と惨敗、采配ミス等も相まって、当時の大映オーナー永田雅一氏の怒りを買い、西本氏はたった1年で監督を解任されたエピソードがありましたね。因みに永田雅一氏のあだ名は「永田ラッパ」と呼ばれてたそうですね。
毎日大映(大毎)オリオンズの永田雅一オーナーと西本幸雄監督との間で起きた「バカヤロー事件」ですね。
西本幸雄氏は、阪急ブレーブスと近鉄バファローズでも監督を務められましたが、いずれもチームをリーグ優勝はさせたものの、日本一へ導く事は出来ず、「悲運の名将」と呼ばれました。
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阪急ブレーブス時代は、川上哲治監督擁する読売ジャイアンツに5戦全敗、近鉄バファローズ時代は古葉竹識監督擁する広島東洋カープに2戦全敗、結果西本氏は6度日本シリーズに進出するも、一度も日本一になれませんでしたね。
それはミサイル打線
@@kouichinakamura
1.二 小森光生
2.中 田宮謙次郎
3.一 榎本喜八
4.左 山内和弘
5.三 葛城隆雄
6.遊 八田正
7.右 矢頭高雄
8.捕 醍醐猛夫
9.投手
永田雅一氏は耳目を集めるために突飛なことをすることが多かったもので…
広島は最初カープスにしてたけどカープの複数形はないからカープに変わった。
中日はドラゴンズだけど英語のスペルを知ってる人がいなくて1年間ユニフォームのスペルが間違っていたとか。
間違いに気付いたのがシーズン前か後かの違い。
ドゥラゴンズだっけwww
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Do(→このoが不要でした)ragons
「はだしのゲン」後半になるとカープ絡みの話もいくつかあって、それに出てきたユニフォームが「Carps」になってたな。
@@user-mr2pz9ni1d そうそうDoragonsねw
10:05 wiki見たら、この「日拓ホーム」は同じ名前の別会社らしいで。
現在は球団買収の際に短期間で手放すのを防ぐ為に数十億円の保証金が取られるので、1シーズンで手放す事は無いでしょう。
コメ欄見てるとこの動画がいかにいい加減かよく分かる
7:25ライブドアと楽天の愛称も候補だったんですね。
時代は繰り返す。
自分が初観戦したナイターが1973年初夏の頃、後楽園球場での日拓ホームフライヤーズ対太平洋クラブライオンズでした。
中日ドラゴンズの前身、名古屋は当初名古屋金鯱に対抗して名古屋金城を名乗る予定だったが、金鯱側からの妨害(商標登録しまくり)で頓挫。ニックネームが決まらないまま名古屋軍になってしまった。
ちなみに金鯱と名古屋の親会社が戦争で合併してしまい、オーナーが自分で仕掛けた妨害工作に苦しむ事になった皮肉。
また金鯱軍は他球団に吸収される形で合併、消滅。大洋(ホエールズではない。)となり、後に名古屋と延長28回の死闘を演じる。
理研工業の
「産業軍」
中日の系譜。
響きの力強さと
名前だけだと
何の団体かわからん
ところがまた良し。
英語だと
「INDUSTRIES」
わるくないね
理研コンツェルンも短いけど球団持ってたのね
西鉄身売りの時 九州ということで リコー(理研光学工業)が という話がありましたね(事実上の創業者が九州出身、関連会社が九州にあった)
Kinky Great Ring はやばいよね
ヘンタイゆるゆるマ○コなんてチーム名、考えたって絶対に出てこないフレーズだから
その点では"屁コキ"を意味するアトムズといい勝負してるな。。。
昔、「マニー」というニックネーム登録の
助っ人がいたそうですが、その方の本名は
「放送コードにガッツリ引っかかるもの」
であったゆえの苦肉の策だった
と聞いた事があります(・ω・`)
@@user-ir1ks7rd9p
大毎オリオンズのフランク・マン○ビッチね。
@@user-ir1ks7rd9p 大毎オリオンズに一年間居た「フランク・マ〇コビoチ」選手ですね……。
@@herculy200
コメント被ってます
ダイエーホークスの「ガッチャマンヘルメット」
あのヘルメットも、初代ダイエーホークスユニフォームも、背中に大きな鷹の刺繍が入ったグランドコートも、全てイッセーミヤケ(三宅一生氏)がデザインしました。
クラウン。結構好き😊
いしいひさいち氏の漫画で、N選手の「読売巨人軍は永遠に不滅です」に対して、F選手が「阪急ブレーブスは、影も形もなくなりました」というセリフがあった。(本拠地球場も無くなった)世が世なら、ブレーブス(勇者たち)とドラクエがコラボしていたかも。
良く間違う人いるけど、永遠に不滅ではなく永久に不滅です。
やくみつるさんの漫画で元阪急の今井雄太郎さんが引退セレモニーで酒を飲みながら「阪急ブレーブスは永久に……上も(会社名:阪急→オリックス)下も(チーム名:ブレーブス→ブルーウェーブ)なくなっちまったじゃねえかぁ~っ!!」と泣き叫んでました。
我が巨人軍は永久に不滅です
アトムズ、ヤクルトアトムズは個人的に好きです
当時、テレビマンガでもマケルトアトナイズとかっていじられてたね
日拓のオーナーは神田うのの義理の父なんだよね
「日拓ホームフライヤーズ」のオーナー兼球団社長だったのは、西村昭孝氏(現・日拓グループ代表取締役会長)です。
神田うのさんの夫は、西村昭孝氏の長男にあたる西村拓郎氏(日拓グループ代表取締役社長)です。
日本ハムの原点は戦後に戦前まで存在したセネタースを再興しようという事で結成されたが、資金繰りの悪さから東急に身売りされてフライヤーズに改名した経緯がある。
その名前の由来になったセネタースは後に日本中央競馬会理事長に就任して暮れの中山のGIの有馬記念の由来となった有馬頼寧氏がオーナーだった球団で、登時彼が貴族院議員だった事で英語で上院議員を意味するセネターをその名称としている。その球団は後に名古屋金鯱(オーナーだった名古屋新聞は後に名古屋軍のオーナーの新愛知と合併して中日新聞になった)と合併して戦時中のプロ野球休止時には西鉄がオーナーだった。ちなみに戦後西鉄が新たに作り直した球団が現在の西武ライオンズ
西武ライオンズはセネタースが巡り巡ってライオンズになって西武に買い戻されたものだとも言われていますね。
6:03 プロ野球の命名権については、高橋と業務提携を行ったトンボユニオンズがさきがけ。ロッテは1969年に東京オリオンズと業務提携し、「ロッテオリオンズ」と名乗ったが、オーナーは依然として大毎、東京時代から引き続き、永田雅一だったことから、実質的なネーミングライツは、ロッテが最初と見られる。
戦前、太陽レーヨンの田村駒治郎オーナーのライオン軍が小林商店(ライオン歯磨)と提携したが、実質のネーミングライツの最初かと。
その後の松竹も田村駒治郎がオーナーでネーミングライツかと、、
高橋ユニオンズは「プロ野球ニュース、THE WEEK」で
司会をされていた佐々木信也さんが在籍していたチームです。
セリーグもお願いします。松竹ロビンス、大映スターズ、大洋ホエールズが懐かしいです。
九州ジャパネットホークスと東北ABEMAイーグルスが近く出来そうなので参考に見てます
「南海電鉄」は「南海道」の地域を無視したせいで「南海ホークス」がどこにある球団なのかわからなくしていた。
道としての南海道は大阪府内通ってた
南海道を鉄道にして南海鉄道、電化して南海電気鉄道だからフルネームだとおかしくはないのよ
近畿グレートリング→女性器異常性癖
アトムがオナラのスラングでスワローズになったけど、スワローもスラングじゃ「ごっくん」だけどな。
子供の頃持っていた野球盤には、スコアーボードに日拓があったなぁ
最後のフラーヤーのくだりはウマイなぁ
日拓ホームが10ヶ月だけプロ野球チームを持ったことによる宣伝効果は大きかったらしく、50年経った今でも名刺を出すと「プロ野球チームを持っていた会社」と言われて信用度が高まるらしい
何気に有名な会社ですからね。
何その不動産業が本業な紀州鉄道みたいな話w。
昨今はユニフォームのデザインセンスに疑問。
@@utaka8975 サードユニフォームと称した、へんてこなデザインのユニフォームは、僕も???ですね。
球団名のエピソードは、他に思い浮かびませんが
選手の登録名で良ければ、阪神の最強助っ人R.バース氏の件は
外せませんね。
バース氏の本名はランディ・バス。
しかし、阪神球団は電鉄の他にバス会社も経営してたので
新聞の見出しに「阪神バス大爆発」と出ると縁起が悪いと言う事で
登録名をランディ・バースにしたとの事。
一時期、44㎝以上のブラックバスをランディサイズと呼んでいたw
自分はバス急停車とかが都合悪いとか聞いたことあるけど、大爆発のほうが怖いな
早口言葉
【バス🚌ガス爆発】…。
阪神バス大爆発のネタは、バースが来日するよりずっと前。田淵や江夏が主力のころ、いしいひさいちの漫画「がんばれタブチくん」で貧打阪神がたまたま大爆発した次に日の新聞の見出しが「阪神脱線大爆発!」という4コマ漫画からの援用。バスをバースにしたのは当時のヤジに「引っ込んで風呂に入っとれ」というのがあって、それを避けたんだということ。
楽天には同じ綴りのバス選手が入団したが
こちらはそのまま登録名は「バス」だった。
球団名が長すぎて短縮される…?
オイシックス新潟アルビレックスベースボールクラブ…うっ…頭が
東北楽天ゴールデンイーグルス
9:04 昔、文字で読んだ時は
「虹の7色の色数を使った(1つの)ユニフォーム」かと思っていました。
要は「配色やデザインが違った7種類のユニフォーム」というだけのことなのですね。
最近ならどの球団もシーズン中に数種のユニフォーム着用してますし。
7種類の日替わりユニフォームだった。
太平洋クラブの紫のユニフォームは好きでしたが、短命に終わりましたね。
そのチームに「真弓、竹之内」は、いたのかなあ?
@@user-br9pb8bd5h
いましたよ。埼玉移転の際の目玉?で深夜の呼び出しかな、トレードがあったみたいです。当時のスポーツ紙が1面に出してました
ちなみに、太平洋クラブは、クラウンライターライオンズになった後も、ライオンズのスポンサーを続けた為、ユニフォームの右袖に、太平洋クラブのロゴマークが付けられていました。
無冠の帝王こと土井正博はその実績の割に恐ろしく知名度がない。
西武の打撃コーチ、中日の臨時打撃コーチなど長年プロ野球に関わっていたにも関わらず。
ちなみに南海は当初、チーム名を
「南海コンドルズ」に
変更しようとしたそうです。
ただ、当時の南海の社長の頭は
それはまぁ見事に光り輝いていたそうで
「禿鷹は嫌じゃ!」という社長の反対
「禿鷹は流石にまずいだろう…」という
周囲の人たちの配慮もあって
南海ホークスになったとも言われているとか…
「コンドルズ」を推したのは「ワシらは電車の会社や。電車は『混んどる』方が儲かるからええ!」という事からだったとか。
この頃から昭和のオヤジギャグはあったようで。
ちなみにこの話に合わせて「国鉄は『座ろうズ』にしてサービスをアピール」なんてエピソードも語られましたが、こっちは完全なネタですね。
物知りやなぁ
さっそく会社で使わせてもらうわ
@@user-db8qk3jz8r
南海監督として有名な
鶴岡さんがインタビューなどで
常に話しておられる内容ですし
南海ホークス公式の歴史本にも
掲載されている内容なので
それなりに信憑性はあると思います。
もっとも、テッパンの笑い話として
作られたものでないか?
という説もあるのですが(゚o゚;;
@@user-ir1ks7rd9p わざわざレスまでありがとう
コンドルズの話はソフトバンクがホークスを買収した時に孫正義オーナーも名称変更を検討したと記者会見で言っていました。
近鉄のチーム名のバファロー。実は近鉄のオーナーの佐伯勇さんも猛牛と呼ばれていたことは、意外と知られていない。
プロ野球ニュースの解説者だった関根潤三さん。
ご本人も一時期、球団創設に参加されていた事があります。
@@user-br9pb8bd5h一時期参加って、投手から野手に転向された現役選手だったでしょう?
近鉄の社内では、佐伯「天皇」とも呼ばれていたそうですが…。
伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けると、大阪や伊勢まで直通運転するために、敢えて新しい規格で線路を作り直した佐伯さん。
@@user-xh9dd7wm1i
近鉄名古屋線(伊勢中川駅〜近鉄名古屋駅間)を、狭軌(1067㎜)から標準軌(1435㎜)へ改軌したのは有名ですね。
そのおかげで、近畿日本鉄道は現在、大阪難波(旧・近鉄難波)駅〜近鉄名古屋駅間に、名阪特急「ひのとり」号を運行していますね。
最速の「ひのとり」号は、三重県の津駅と大阪府の鶴橋、上本町の両駅のみに停車し、2時間5分で結んでいます。
はい
私が日拓というドブラック企業で社畜として数年前まで働かせて頂いてた者です
ありがとうございます
西村会長万歳(洗脳)
国鉄は国鉄法に触れるため、球団は国鉄の外郭団体が運営
鉄道弘済会(キヨスク)、日本通運、日本交通公社(JTB)
横紙破りでブレーブスという名前を捨てる→合併で雑にかつての敵球団の名前を名乗る羽目に
ブレーブスが不憫すぎる
本当にそうです。阪急から球団を買収する際、宮内氏は当時のブレーブスファンと「ブレーブス」の名前は変えないと約束しながら、すぐにその約束を反故にし、わけのわからない名前に…。これで阪急ブレーブスファンの多くはこの球団を応援する意欲をなくし、私自身プロ野球を見る気も起らなくなりました。今ではプロフェッショナルが行う野球としてはMLBしか見ません。
@@shinsukeharino1116 オリックス神戸移転の時、ちゃらんぽらん大西が「宮内の嘘つき」と書かれた抗議のチラシを配っていました。そのチラシ、今もうちにあります。
伝統あるブレーブスを消滅させて、ブルーウェーブなんて、いかにも日本人が考えた和製英語感満載のくそダサい名前に変えた罪は大きいと思う。
猛牛マークは保健の授業で見た気がするんだよなー
NPBは全く興味が無いけど、この動画は楽しかった😊
昔はくだらないきっかけでチーム名が決まってたんですねェ
ドラゴンズは初代オーナーの干支からとか?
名古屋金鯱軍なんてまんまだし。
@@user-gl4kb9sd4f今じゃサッカーチームだっけ?>金鯱軍
「グランパス」は鯱だね。
「エイト」は帝国陸軍第八師団の駐屯地が名古屋におかれたことから付けられた物ですが。
変更じゃないけどチーム名で失敗したといえば球団設立時の広島
球団旗にも関係するエピソードが
カープスですか?
自分が好きなソフトバンクホークスの前身だったグレートリングがやばいとは知りませんでした🐱後に南海ホークス→福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクになりましたね🐱九州にもNPBのチームが増えれば良いですね🐱
10:05 こらこら、その日拓ホームは球団とは全く無関係な大阪・豊中の不動産会社ですよwww
昭和50年創業なので、既に日本ハムファイターズになった後ですね。
まぁそういうのを知った上で態と出してきたんでしょうけど。
日拓グループでググって見なされ。
この動画で言ってる事もあながち間違ってない(日拓本社は東京にあり、恐らくグループ企業名を使ったまでと思って良いと思う。西武球団もグループ企業の旧コクドが福岡野球(クラウン)を買収して親会社の西武の名を冠しただけ。
もっと辿れば日拓の前の東映も球団冠になった当時は東急グループの一企業であった東横映画が親会社の東急電鉄から球団を内部譲渡されたのに近く、その東横映画の略称が東映だったまで。)
歌舞伎町にある巨大パチンコ屋も日拓だったな
@@edajimahe8 そのパチンコ屋を経営しているのがフライヤーズの日拓です。
@@edajimahe8エスパス