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このたびも、北海道の鉄道が元気だった頃の貴重な音声をありがとうございます。
ホント、昔は北海道の鉄道も元気でした。
いつも懐かしく拝聴させていただいております。録音された日から3年前の昭和48年3月はじめ、東京駅発の583系「はつかり2号」、羊蹄丸、夜行急行「すずらん6号」を乗り継ぎ、隣の「オホーツク」で網走へ、湧網線で常呂までという旅でした。まだ札幌駅が地平だった頃、排気ガスに包まれたあの日の光景が甦りました。82系 56系 22系気動車、旧型客車健在の頃でした。
東京から常呂まで長旅ですね。上野、青森、函館、札幌、網走と乗り継ぎ、はるばるやって来たという感じだったことでしょう。旅の途中のひとコマ,ひとコマが印象深いことと思います。この音声からそんな一場面を思い出して頂けましたら嬉しいです。
夜行すずらんで来て、すぐに狩勝に乗り換えるという人の流れがあったんですね。すごいです。
人の流れがあったかどうかわかりませんが、苫小牧、千歳からは夜行「すずらん」が札幌へ朝の一番列車ですし、千歳線普通の一番列車は札幌7時28分着なので、「オホーツク」や「狩勝」に乗りたい人は仕方なく「すずらん」に乗っていたのかもしれませんね。
元々は一本の列車だったようです(「すずらん」の前身は山線経由で網走行、「狩勝」は客車1~2両のみ函館直通)
自分も経験あるが、今思えばよくボックスシートで、釧路から札幌まで乗車出来たなぁと思う。後ろ向き(バック)だと酔ってしまった思い出がある。たまに特急に乗った時、余りの乗り心地の良さに(この時代、特急の普通車はほとんどがリクライニング無し)、特急と急行の料金格差も充分納得したな。
4人向い合わせのボックスシートで長時間は確かにきつかったですね。空いている時なら良かったのですが、それでも煙草の煙も苦しかったです。
狩勝1号、40年以上前、よく利用しました。千歳在住の子供の私、幕別の親戚まで行くためです。朝早く起き、千歳駅(地上駅)までタクシーで行き、千歳5:22発の「すずらん5X」号で札幌まで行きました。汽車好きの私は、楽しみで前の晩眠れなったですね。札幌駅では、7:05発の狩勝の向かいのホームにオホーツク(キハ82)が停車しており、5分先に発車するのですが、特急に乗りたくて乗りたくて(笑)私の時は、幕別には停車しなかったので、帯広で降りて、普通列車に乗り換えて幕別まで行ってました。想い出は、駅弁と、あのお茶。そして、気動車特有のタバコの匂いがする車内の感じです。
親に連れられて子供の頃の汽車旅は印象的ですね。断片的ながらも妙に鮮明に覚えている事ってありますね。親の帰省で夏に乗った鈍行は、途中から蒸気機関車牽引で、トンネルに入る前に慌てて窓を閉めたものでした。途中で特急に抜かされた時は、「あれに乗りたい」と思ったものでした。コメントを拝見して、わたしも懐かしい記憶がよみがえりました。思い出の投稿を有難うございます。
返信ありがとうございます。小さい頃の鉄道旅、汽車好きにはすごく印象に残っているんですよね。確かにトンネルに入る前に窓閉めましたねー。狩勝で、滝川から先にトンネル結構ありますが、気動車なのに、父親に窓を閉めるように言われた記憶あります(笑)音と匂いって、記憶に鮮明に刻み込まれますよね。本当に、気動車の排ガスとタバコの混ざった車内のあの独特の匂いもそうですが、車内アナウンスの時の、あのチープなジコジコオルゴールの音も大好きだなー。今はこうやって、ネットを通じて懐かしい思い出を語り合えて良いですよね!
天売焼尻には行ったことはないのですが、6月13日から「天売観光号」が運転されていたのにびっくりです。当時の天売焼尻は相当賑わっていたんでしょうね。> 前作、函館駅の賑わいが思いがけず多くの方にご視聴いただきましたので、70年代80年代の駅の喧騒は、当時を知ってる者として懐かしいし、遥々遠くに汽車旅でやって来たがひとしお感じられました。81年8月時刻表ですと観光の名前が取れて臨時急行「天売」になって、札幌発時刻は7時4分でした。2000年に北海道に行った時に、北海道一周するつもりが、天売島で沈没して、漁師さんの家で居候アルバイトだけをしていたという学生くんに出会いました。
人それぞれに旅の思い出は様々ですが、旅先で見た景色や食べた物よりも、出会った人との記憶って特に印象深いものがありますね。駅や列車の音声から、様々な記憶がよみがえりましたら嬉しいです。
定期運用でも、臨時運用でも、札幌から羽幌線直通の列車があったことを考えると、やはり凄い時代だと感じます。
それにしても路線の縮小で、乗ることができない区間が増えてしまいました。さびしい限りです。
天売観光号、臨時でありましたよね。思い出しました。確か、他海水浴の臨時もあったような??? いやぁ〜懐かしい。ありがとうございます。
閑散期にばかり旅行することが多く、臨時列車にはほとんど無縁でしたが、この時ばかりは珍しい経路の臨時列車の放送を録れて嬉しくなりました。
天売観光号!こりゃまた懐かしい…。当時はまだ子供だったので、時刻表を見て、あれこれ想像してるだけでしたが。狩勝号も懐かしいなぁ!!石勝線開通前は、赤平、芦別、富良野…と、当たり前に特急・急行が走ってたんですが…。
富良野という北海道を代表する観光地があるのに、そこへ行く特急も急行もなくなってしまいました。観光シーズンだけ臨時で札幌からの特急が辛うじて走るのがせめてもの華になってしまいました。赤平、芦別はかつて石炭で賑わった町でしたね。芦別と深川を結び留萌港へ石炭を運ぶ路線が着工されたものの未成線になってしまいました。
こんにちは。「狩勝」に「天売観光」号が増結されていたことを初めて知りました。「増7号車」の意味も良くわかりました。富良野、新得間に列車が走ることはなくなりました。残念です。根室本線、寸断され、これから先どうなっていくのでしょうね。石勝線にトラブルがあった時に、道東はどうなるのか?維持するのが困難なことも理解できますが・・・。札幌駅の構内アナウンス、時代を感じました。今回も、楽しませて頂きありがとうございました。
こんにちは。前作から短期間での作成ですが、やや手抜き画面になりました。やはり5分程度の長さが作りやすいです。留萌本線の段階的廃止、富良野~新得間の廃止決定など、かつては「狩勝・天売観光」が走っていた線路がなくなるとはさびしい限りです。富良野~新得間は布部、幾寅などドラマや映画にゆかりの駅もあり、加えて車窓にかなやま湖が見えるあたりの景色も良くて、もう少し活かせなかったかなと思います。札幌駅は現在も多くの列車が発着していますが、雰囲気は昔と随分変わりましたね。札幌駅での録音は結構ありますので、掘り出しながら少しづつUPしてまいります。もっともホームでの録音はボコボコと風の音を拾った失敗が多いですが。
連休中で他の事にかまけて視聴・コメントが遅れましたことをお詫びいたします。急行狩勝1号と臨時急行天売観光号、夜行ディーゼル急行列車すずらん3号からの接続以外では、まず乗車計画を建てることはしない列車であったと思いますが、貴重な録音をされた事に感謝を捧げます。私ならばなにかに取り憑かれたように夜行鈍行43列車で札幌駅に降り立って、その後しばらくは動けないでしょう。ともあれ急行狩勝1号と天売観光号は、今現在そのルートすら鉄道だけでは辿ることが叶わなくなってしまいました。世の中の遷ろいが何と無情な事かと嘆くばかりです。全線気動車のエンジンの音を耳にしながら、背もたれが直立した4人がけボックスシートに座って早朝7時から午後の昼下がりまで耐えるのは、いくら鉄道ファンでももう御免被りたい修行的旅行です。
公開直後にコメントが集中するよりも、適度な日数を置いてのご視聴とコメントも有難いものです。この頃はまだ鉄道一辺倒ではなく、礼文島 利尻島、サロベツなどを観光した後に夜行の急行「利尻」で朝、札幌に降り立ち、急行「狩勝」で釧路までという行程でした。両者とも直角座席の自由席ですが、思えば若くて体力がありました。路線の縮小は残念ですが、北海道の鉄道も自分も共に元気だった時代に、こんな旅ができ、その一部を録音に残せたことは幸運でした。
もう富良野から新得が二度と走らないけど、当時の急行狩勝が頑張っていた頃が懐かしい
根室本線が滝川から道東へのメインルートだったのも、もう遠い昔のことになってしまいましたね。路線の縮小はさびしいです。
昭和50年代初期はもっとも国鉄が充実していた時代なんでしょうね
すでに全盛期は過ぎて、ストや毎年の値上げが報道されていた時代ではありますが、この5年後には石勝線を開業させるなど将来に夢がありました。
天売観光号がめちゃくちゃ気になります。けど、フェリーの乗り換え時間、結構ありますね笑
羽幌着10時54分で、6~8月運航便が11時30分発ですから適度な時間かと思いますが・・・
@@急行-宗谷 失礼いたしました。15時台を見てしまいました。羊とウニ食べに行きたいです。
@@jirosasayama8341 様。ちなみに同月の時刻表によると、上りは羽幌15時12分発で、深川まで単独運転のようです。深川からは「天北」に併結され札幌19時00分着です。
皆様、おはようございます。今日も国鉄をご利用くださいまして、ありがとうございます。急行狩勝1号釧路行きでございます。ただいま札幌駅を定時で発車しております。担当車掌は、苗穂車掌区・川島瑠花が終点の釧路までご案内致します。これから先、停車駅と到着時刻、並びに車内をご案内します。次は岩見沢です。岩見沢・7:40分到着、美唄・7:54分到着、砂川・8:08分到着、滝川に8時6分の到着です。赤平・8:31分、芦別・8:45分、富良野・9:15分到着です。富良野を出ますと、新得まで停りません。新得・10:40分、十勝清水・10:50分、芽室・11:14分、帯広・11:33分到着で、2分ほど停ります。幕別・11:49分、浦幌・12:23分、白糠・13:17分、終点の釧路に13:43分の到着予定でございます。車内をご案内します。先頭から1号車、2号車、3号車の順で、1番後ろが10号車A寝台3段のソロです。指定席が1号車、2号車で3号車がグリーン車です。4号車がA寝台、5号車から10号車までB寝台3段でございます。この列車は急行列車ですので、乗車券、グリーン券の他に寝台券も必要です。只今から車掌が乗車券、グリーン券、寝台券をお伺いしに参りますので、ご協力お願いします。次は、岩見沢です。お出口は左側です。こんな感じの案内アナウンスでしょうかね。
過ぎた過去は戻りませんが、想像は無限に広がりますね。石勝線経由ではなく、この「狩勝」の経路で道東へ行く豪華観光列車を走らせてみたかったです。どうせ高価で手が届かない豪華観光列車、想像の世界を楽しみましょう。
これ、滝川-深川間は1両の急行が走ったということですよねえ。使用車両がキハ22だったのか40だったのか……。いずれにしても遜色急行ですよね
この当時はまだキハ40登場前でしたからキハ22ですね。
DMH17Hのアイドリングの音が心地よいです。
当時、札幌駅ではまだまだ気動車が多かったのですが、今ではほとんど電車になりましたね。
国鉄時代は複数の行き先で途中駅で切り離しとか普通にありましたからねぇ。まだこのころは客車扉も手動だから、ホームに飛び降りないでくださいとか言ってましたね。ほんと活気がまだあった時代だけど、このあと10年も経たないうちに渚滑線や万字線などから始まる廃止ラッシュに入っちゃうんだよなぁ…
鉄道がまだまだ元気な時代でしたね。この当時からすでにローカル線問題はありましたが、まさか現在のような姿になろうとは想像もできませんでした。
狩勝は、晩年名称付きの快速に格下げされてたと思いますが、まだ走っていただけ良かったですね。鉄道主役の時代でした。札幌駅の地上時代の記憶がかすれていく中、この地図を見ると懐かしさで蘇ってきます。1番ホームからの函館行き夜行列車、全席指定の特急、「千歳線回り」苫小牧行き、思い出します。
録音当時「急行狩勝」は夜行もあって、道東へ行く際には愛用の列車でしたが、現在の「快速狩勝」は、愛称が残っているものの、さびしい姿になってしまいました。臨時の「天売観光」を併結し、富良野線経由の車両の併合もあった、そんな元気だった時代を思い出して頂けましたら嬉しいです。
編成から見ると天売観光号はキハ22だったのでしょうか。もはや天売島ヘ行ける連絡航路が出ている羽幌どころか羽幌線が別れていた留萌へも鉄路では行くことができなくなってしまいました。また、今回の時刻表で運休中ですが、「急行ニセコ51号」「特急北斗51号」が印象的でした。やっぱり北海道の鉄道は元気でしたね...
夜行の「ニセコ」、旭川まで行く「北斗」、臨時列車とはいえ、そんな設定があったことが夢のようです。
キハ56系の急行列車も良いですなぁ。石勝線の無い時代ですし、今の特別急行おおぞらの車両と違って出力も小さいですから、さぞ時間が掛かっていたことでしょうね。でもボックスシートでの6時間強の列車の旅も楽しそう。良い時代でした。
4人向かい合わせ、背もたれが直角の座席で長時間。今思うときつそうですが、当時はそんなものだと思っていました。富良野からは旭川始発の2両が増結になって適度に空席もできてラクだった記憶があります。
急行狩勝もかつては数往復あり伝統の急行でしたね。羽幌行き連結は知りませんでした。羽幌行きの案内が略さないであったのが資料と思います。深川、留萌、羽幌くらいのみの放送と思ったので。
滝川から先、羽幌までの停車駅もそう多くはなかったですからね。路線の廃止で、こういう列車は遠い過去の思い出になってしまいましたね。
たしか帯広か池田を過ぎたあたりでくずかごを「引きずった」清掃員が乗り込んできて、床に散らばった空き瓶や弁当くずやみかんの皮を拾っていた記憶が。もちろん禁煙車なんか無かったのでタバコの吸い殻も回収w
走行中に車内清掃ってありましたね。みんな散らかしていたのですね。友人の体験談ですが、入り口の扉を開けて車内に入るなり、一礼して「おくつろぎのところ大変ご面倒様ですが、これより掃除をさせていただきます」と車掌さんの車内改札のような挨拶をした方がいたそうです。
今から思うと、冷房なしのボックスシートに6時間以上揺られていくなんてたちの悪い罰ゲームにしか思えない。でも当時は、普通だったんだよなあ。「函館→根室」の【ニセコ】だとか「函館→稚内」の【宗谷】に全区間乗り通したら仙人にでもなれそうな気がする。
夏の北海道はほとんど訪れたことがありませんでしたので、冷房なしは気になりませんでした。4人向かい合わせの座席も当時はそんなものだと思っていましたが、煙草の煙はきつかったです。
1:35 ~の札幌駅構内図イイですね、⑨ホームから北口まで結構地下通路歩くんですよね。(4:23鹿越が掲載されている。多分、停車する列車は無い時代だと思うけど。)
確かに当時の時刻表では鹿越信号場に停車する列車がありませんね。「狩勝」も列車交換で停車することがありましたので、一応、時刻表には掲載されていたのでしょうか・・・
石勝線が開通したとたん富良野−新得間が急速に寂れ死に体に等しく、代替ルートでも難しく廃線は不可避で決定的やッたろ✋💦🔵北海道新幹線の札幌延伸どころか鐵路はもたないやろ✋🚃
なぜ天売観光号は「増7号車」なんでしょうか?
この時「狩勝1号」は4両編成ですが、時刻表掲載の編成案内では、5号車、6号車の自由席があり、所定は6両編成になっています。富良野では旭川始発の7号車、8号車が連結になります。その関係で「増7」にしたものと思います。それにしても、富良野から旭川始発の2両が増結になるからいいとしても、滝川までの「増7」を連結した代わりに自由席2両を減車されて、富良野までは結構混雑していました。
石勝線がない
石勝線の開業は嬉しかったですが、まさか根室本線がこんな姿になろうとは・・・
天売観光号は急行でも単車
このたびも、北海道の鉄道が元気だった頃の貴重な音声をありがとうございます。
ホント、昔は北海道の鉄道も元気でした。
いつも懐かしく拝聴させていただいております。録音された日から3年前の昭和48年3月はじめ、東京駅発の583系「はつかり2号」、羊蹄丸、夜行急行「すずらん6号」を乗り継ぎ、隣の「オホーツク」で網走へ、湧網線で常呂までという旅でした。まだ札幌駅が地平だった頃、排気ガスに包まれたあの日の光景が甦りました。82系 56系 22系気動車、旧型客車健在の頃でした。
東京から常呂まで長旅ですね。上野、青森、函館、札幌、網走と乗り継ぎ、はるばるやって来たという感じだったことでしょう。旅の途中のひとコマ,ひとコマが印象深いことと思います。この音声からそんな一場面を思い出して頂けましたら嬉しいです。
夜行すずらんで来て、すぐに狩勝に乗り換えるという人の流れがあったんですね。すごいです。
人の流れがあったかどうかわかりませんが、苫小牧、千歳からは夜行「すずらん」が札幌へ朝の一番列車ですし、千歳線普通の一番列車は札幌7時28分着なので、「オホーツク」や「狩勝」に乗りたい人は仕方なく「すずらん」に乗っていたのかもしれませんね。
元々は一本の列車だったようです
(「すずらん」の前身は山線経由で網走行、「狩勝」は客車1~2両のみ函館直通)
自分も経験あるが、今思えばよくボックスシートで、釧路から札幌まで乗車出来たなぁと思う。後ろ向き(バック)だと酔ってしまった思い出がある。たまに特急に乗った時、余りの乗り心地の良さに(この時代、特急の普通車はほとんどがリクライニング無し)、特急と急行の料金格差も充分納得したな。
4人向い合わせのボックスシートで長時間は確かにきつかったですね。
空いている時なら良かったのですが、それでも煙草の煙も苦しかったです。
狩勝1号、40年以上前、よく利用しました。
千歳在住の子供の私、幕別の親戚まで行くためです。
朝早く起き、千歳駅(地上駅)までタクシーで行き、千歳5:22発の「すずらん5X」号で札幌まで行きました。
汽車好きの私は、楽しみで前の晩眠れなったですね。
札幌駅では、7:05発の狩勝の向かいのホームにオホーツク(キハ82)が停車しており、5分先に発車するのですが、特急に乗りたくて乗りたくて(笑)
私の時は、幕別には停車しなかったので、帯広で降りて、普通列車に乗り換えて幕別まで行ってました。
想い出は、駅弁と、あのお茶。
そして、気動車特有のタバコの匂いがする車内の感じです。
親に連れられて子供の頃の汽車旅は印象的ですね。断片的ながらも妙に鮮明に覚えている事ってありますね。
親の帰省で夏に乗った鈍行は、途中から蒸気機関車牽引で、トンネルに入る前に慌てて窓を閉めたものでした。
途中で特急に抜かされた時は、「あれに乗りたい」と思ったものでした。
コメントを拝見して、わたしも懐かしい記憶がよみがえりました。思い出の投稿を有難うございます。
返信ありがとうございます。小さい頃の鉄道旅、汽車好きにはすごく印象に残っているんですよね。
確かにトンネルに入る前に窓閉めましたねー。
狩勝で、滝川から先にトンネル結構ありますが、気動車なのに、父親に窓を閉めるように言われた記憶あります(笑)
音と匂いって、記憶に鮮明に刻み込まれますよね。
本当に、気動車の排ガスとタバコの混ざった車内のあの独特の匂いもそうですが、車内アナウンスの時の、あのチープなジコジコオルゴールの音も大好きだなー。
今はこうやって、ネットを通じて懐かしい思い出を語り合えて良いですよね!
天売焼尻には行ったことはないのですが、6月13日から「天売観光号」が運転されていたのにびっくりです。当時の天売焼尻は相当賑わっていたんでしょうね。
> 前作、函館駅の賑わいが思いがけず多くの方にご視聴いただきましたので、
70年代80年代の駅の喧騒は、当時を知ってる者として懐かしいし、遥々遠くに汽車旅でやって来たがひとしお感じられました。81年8月時刻表ですと観光の名前が取れて臨時急行「天売」になって、札幌発時刻は7時4分でした。2000年に北海道に行った時に、北海道一周するつもりが、天売島で沈没して、漁師さんの家で居候アルバイトだけをしていたという学生くんに出会いました。
人それぞれに旅の思い出は様々ですが、旅先で見た景色や食べた物よりも、出会った人との記憶って特に印象深いものがありますね。駅や列車の音声から、様々な記憶がよみがえりましたら嬉しいです。
定期運用でも、臨時運用でも、札幌から羽幌線直通の列車があったことを考えると、やはり凄い時代だと感じます。
それにしても路線の縮小で、乗ることができない区間が増えてしまいました。さびしい限りです。
天売観光号、臨時でありましたよね。思い出しました。確か、他海水浴の臨時もあったような??? いやぁ〜懐かしい。
ありがとうございます。
閑散期にばかり旅行することが多く、臨時列車にはほとんど無縁でしたが、この時ばかりは珍しい経路の臨時列車の放送を録れて嬉しくなりました。
天売観光号!
こりゃまた懐かしい…。
当時はまだ子供だったので、時刻表を見て、あれこれ想像してるだけでしたが。
狩勝号も懐かしいなぁ!!
石勝線開通前は、赤平、芦別、富良野…と、当たり前に特急・急行が走ってたんですが…。
富良野という北海道を代表する観光地があるのに、そこへ行く特急も急行もなくなってしまいました。
観光シーズンだけ臨時で札幌からの特急が辛うじて走るのがせめてもの華になってしまいました。
赤平、芦別はかつて石炭で賑わった町でしたね。芦別と深川を結び留萌港へ石炭を運ぶ路線が着工されたものの未成線になってしまいました。
こんにちは。「狩勝」に「天売観光」号が増結されていたことを
初めて知りました。「増7号車」の意味も良くわかりました。
富良野、新得間に列車が走ることはなくなりました。残念です。
根室本線、寸断され、これから先どうなっていくのでしょうね。
石勝線にトラブルがあった時に、道東はどうなるのか?維持するのが
困難なことも理解できますが・・・。
札幌駅の構内アナウンス、時代を感じました。
今回も、楽しませて頂きありがとうございました。
こんにちは。前作から短期間での作成ですが、やや手抜き画面になりました。やはり5分程度の長さが作りやすいです。
留萌本線の段階的廃止、富良野~新得間の廃止決定など、かつては「狩勝・天売観光」が走っていた線路がなくなるとはさびしい限りです。
富良野~新得間は布部、幾寅などドラマや映画にゆかりの駅もあり、加えて車窓にかなやま湖が見えるあたりの景色も良くて、もう少し活かせなかったかなと思います。
札幌駅は現在も多くの列車が発着していますが、雰囲気は昔と随分変わりましたね。札幌駅での録音は結構ありますので、掘り出しながら少しづつUPしてまいります。もっともホームでの録音はボコボコと風の音を拾った失敗が多いですが。
連休中で他の事にかまけて視聴・コメントが遅れましたことをお詫びいたします。
急行狩勝1号と臨時急行天売観光号、夜行ディーゼル急行列車すずらん3号からの接続以外では、まず乗車計画を建てることはしない列車であったと思いますが、貴重な録音をされた事に感謝を捧げます。私ならばなにかに取り憑かれたように夜行鈍行43列車で札幌駅に降り立って、その後しばらくは動けないでしょう。
ともあれ急行狩勝1号と天売観光号は、今現在そのルートすら鉄道だけでは辿ることが叶わなくなってしまいました。世の中の遷ろいが何と無情な事かと嘆くばかりです。全線気動車のエンジンの音を耳にしながら、背もたれが直立した4人がけボックスシートに座って早朝7時から午後の昼下がりまで耐えるのは、いくら鉄道ファンでももう御免被りたい修行的旅行です。
公開直後にコメントが集中するよりも、適度な日数を置いてのご視聴とコメントも有難いものです。
この頃はまだ鉄道一辺倒ではなく、礼文島 利尻島、サロベツなどを観光した後に夜行の急行「利尻」で朝、札幌に降り立ち、急行「狩勝」で釧路までという行程でした。両者とも直角座席の自由席ですが、思えば若くて体力がありました。
路線の縮小は残念ですが、北海道の鉄道も自分も共に元気だった時代に、こんな旅ができ、その一部を録音に残せたことは幸運でした。
もう富良野から新得が二度と走らないけど、当時の急行狩勝が頑張っていた頃が懐かしい
根室本線が滝川から道東へのメインルートだったのも、もう遠い昔のことになってしまいましたね。路線の縮小はさびしいです。
昭和50年代初期はもっとも国鉄が充実していた時代なんでしょうね
すでに全盛期は過ぎて、ストや毎年の値上げが報道されていた時代ではありますが、この5年後には石勝線を開業させるなど将来に夢がありました。
天売観光号がめちゃくちゃ気になります。
けど、フェリーの乗り換え時間、結構ありますね笑
羽幌着10時54分で、6~8月運航便が11時30分発ですから適度な時間かと思いますが・・・
@@急行-宗谷 失礼いたしました。15時台を見てしまいました。羊とウニ食べに行きたいです。
@@jirosasayama8341 様。ちなみに同月の時刻表によると、上りは羽幌15時12分発で、深川まで単独運転のようです。深川からは「天北」に併結され札幌19時00分着です。
皆様、おはようございます。今日も国鉄をご利用くださいまして、ありがとうございます。急行狩勝1号釧路行きでございます。ただいま札幌駅を定時で発車しております。担当車掌は、苗穂車掌区・川島瑠花が終点の釧路までご案内致します。これから先、停車駅と到着時刻、並びに車内をご案内します。
次は岩見沢です。岩見沢・7:40分到着、美唄・7:54分到着、砂川・8:08分到着、滝川に8時6分の到着です。赤平・8:31分、芦別・8:45分、富良野・9:15分到着です。富良野を出ますと、新得まで停りません。新得・10:40分、十勝清水・10:50分、芽室・11:14分、帯広・11:33分到着で、2分ほど停ります。幕別・11:49分、浦幌・12:23分、白糠・13:17分、終点の釧路に13:43分の到着予定でございます。車内をご案内します。先頭から1号車、2号車、3号車の順で、1番後ろが10号車A寝台3段のソロです。指定席が1号車、2号車で3号車がグリーン車です。4号車がA寝台、5号車から10号車までB寝台3段でございます。この列車は急行列車ですので、乗車券、グリーン券の他に寝台券も必要です。只今から車掌が乗車券、グリーン券、寝台券をお伺いしに参りますので、ご協力お願いします。次は、岩見沢です。お出口は左側です。
こんな感じの案内アナウンスでしょうかね。
過ぎた過去は戻りませんが、想像は無限に広がりますね。
石勝線経由ではなく、この「狩勝」の経路で道東へ行く豪華観光列車を走らせてみたかったです。
どうせ高価で手が届かない豪華観光列車、想像の世界を楽しみましょう。
これ、滝川-深川間は1両の急行が走ったということですよねえ。使用車両がキハ22だったのか40だったのか……。いずれにしても遜色急行ですよね
この当時はまだキハ40登場前でしたからキハ22ですね。
DMH17Hのアイドリングの音が心地よいです。
当時、札幌駅ではまだまだ気動車が多かったのですが、今ではほとんど電車になりましたね。
国鉄時代は複数の行き先で途中駅で切り離しとか普通にありましたからねぇ。
まだこのころは客車扉も手動だから、ホームに飛び降りないでくださいとか言ってましたね。
ほんと活気がまだあった時代だけど、このあと10年も経たないうちに渚滑線や万字線などから始まる廃止ラッシュに入っちゃうんだよなぁ…
鉄道がまだまだ元気な時代でしたね。この当時からすでにローカル線問題はありましたが、まさか現在のような姿になろうとは想像もできませんでした。
狩勝は、晩年名称付きの快速に格下げされてたと思いますが、まだ走っていただけ良かったですね。鉄道主役の時代でした。
札幌駅の地上時代の記憶がかすれていく中、この地図を見ると懐かしさで蘇ってきます。1番ホームからの函館行き夜行列車、全席指定の特急、「千歳線回り」苫小牧行き、思い出します。
録音当時「急行狩勝」は夜行もあって、道東へ行く際には愛用の列車でしたが、現在の「快速狩勝」は、愛称が残っているものの、さびしい姿になってしまいました。臨時の「天売観光」を併結し、富良野線経由の車両の併合もあった、そんな元気だった時代を思い出して頂けましたら嬉しいです。
編成から見ると天売観光号はキハ22だったのでしょうか。もはや天売島ヘ行ける連絡航路が出ている羽幌どころか羽幌線が別れていた留萌へも鉄路では行くことができなくなってしまいました。
また、今回の時刻表で運休中ですが、「急行ニセコ51号」「特急北斗51号」が印象的でした。
やっぱり北海道の鉄道は元気でしたね...
夜行の「ニセコ」、旭川まで行く「北斗」、臨時列車とはいえ、そんな設定があったことが夢のようです。
キハ56系の急行列車も良いですなぁ。石勝線の無い時代ですし、今の特別急行おおぞらの車両と違って出力も小さいですから、さぞ時間が掛かっていたことでしょうね。でもボックスシートでの6時間強の列車の旅も楽しそう。良い時代でした。
4人向かい合わせ、背もたれが直角の座席で長時間。今思うときつそうですが、当時はそんなものだと思っていました。富良野からは旭川始発の2両が増結になって適度に空席もできてラクだった記憶があります。
急行狩勝もかつては数往復あり伝統の急行でしたね。羽幌行き連結は知りませんでした。羽幌行きの案内が略さないであったのが資料と思います。深川、留萌、羽幌くらいのみの放送と思ったので。
滝川から先、羽幌までの停車駅もそう多くはなかったですからね。
路線の廃止で、こういう列車は遠い過去の思い出になってしまいましたね。
たしか帯広か池田を過ぎたあたりでくずかごを「引きずった」清掃員が乗り込んできて、床に散らばった空き瓶や弁当くずやみかんの皮を拾っていた記憶が。
もちろん禁煙車なんか無かったのでタバコの吸い殻も回収w
走行中に車内清掃ってありましたね。みんな散らかしていたのですね。
友人の体験談ですが、入り口の扉を開けて車内に入るなり、一礼して「おくつろぎのところ大変ご面倒様ですが、これより掃除をさせていただきます」と車掌さんの車内改札のような挨拶をした方がいたそうです。
今から思うと、冷房なしのボックスシートに6時間以上揺られていくなんてたちの悪い罰ゲームにしか思えない。
でも当時は、普通だったんだよなあ。
「函館→根室」の【ニセコ】だとか「函館→稚内」の【宗谷】に全区間乗り通したら仙人にでもなれそうな気がする。
夏の北海道はほとんど訪れたことがありませんでしたので、冷房なしは気になりませんでした。
4人向かい合わせの座席も当時はそんなものだと思っていましたが、煙草の煙はきつかったです。
1:35 ~の札幌駅構内図イイですね、⑨ホームから北口まで結構地下通路歩くんですよね。
(4:23鹿越が掲載されている。多分、停車する列車は無い時代だと思うけど。)
確かに当時の時刻表では鹿越信号場に停車する列車がありませんね。
「狩勝」も列車交換で停車することがありましたので、一応、時刻表には掲載されていたのでしょうか・・・
石勝線が開通したとたん富良野−新得間が急速に寂れ死に体に等しく、代替ルートでも難しく廃線は不可避で決定的やッたろ✋💦🔵
北海道新幹線の札幌延伸どころか鐵路はもたないやろ✋🚃
なぜ天売観光号は「増7号車」なんでしょうか?
この時「狩勝1号」は4両編成ですが、時刻表掲載の編成案内では、5号車、6号車の自由席があり、所定は6両編成になっています。富良野では旭川始発の7号車、8号車が連結になります。その関係で「増7」にしたものと思います。
それにしても、富良野から旭川始発の2両が増結になるからいいとしても、滝川までの「増7」を連結した代わりに自由席2両を減車されて、富良野までは結構混雑していました。
石勝線がない
石勝線の開業は嬉しかったですが、まさか根室本線がこんな姿になろうとは・・・
天売観光号は急行でも単車