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奈良の談山神社に行けば藤原氏族の名字が全て載せてある冊子が200円で販売されていますよ。。
はさはさほすしそしすは
サバサンドススサさ
私も今春、談山神社に行った際、藤原氏族の冊子を買いました。うちの先祖も藤原鎌足らしいのですが、その子孫は滅茶苦茶多いでしょうね。
@@7tomoasis26 清﨑征久
先祖が素晴らしい方や偉い方である事を誇りにできる方もいるが、農民だからとか何かしら悪い印象のある方であっても良いと思う。所詮は先祖は一個人であり、自分とは違う。自分が真面目に生きてればそれで充分である。むしろ先祖が命を繋げてくれた事を誇りに思いたい。
さい近では江戸時代に士農工商があつったとかなかったとかどうでもいい。今自分が活きてるのは自分が産んでもらったからだろうが!
だが「ご先祖様よ。なんでこんなでたらめな世の中を残してくれたんだよ。」という恨みの方が大きい。多分に産業革命で力をもって好き勝手なことをした西洋人の影響もあるが、日本人だって公害を出したり、原発はどうするの?という問題を後の世代に押し付けている。私は母の胎内時父の煙草の受動喫煙の影響か、脳の奇形と発達障害を持って生まれてきた。今だって若者は「バブル世代はおいしい思いしやがって」と恨んでるし、炭酸ガスは増え続けるし。この先どんどん悪くなる一方です。先祖に感謝はとてもできません。
@@北島正隆-d5x 恨んでいるのは一部の人だけなので「若者」という大きな括りで表現するのはやめましょう
先祖や名字を大切にしたい。だからこそ通名を廃止して欲しい。
通名なんてどうでもいい。自分の名字を大切にすればいい。
@@イブリリ-g7nいいや通名なんていらないでしょ。なんで必要なん?
朝廷時代を基準にして氏名が広まったのは確かです。この動画で言われている自分探し 自分のルーツを探るという事では楽しみな事ですね🎵
読みは同じでも漢字が違う内地と沖縄の名字 前田(内地) 真栄田(沖縄) 中曽根(内地) 仲宗根(沖縄) 中山(内地) 名嘉山(沖縄) 八木(内地) 屋宜(沖縄) 中村(内地) 名嘉村(沖縄) 平(内地) 平良(沖縄) 中原(内地) 名嘉原(沖縄) 中里(内地) 仲里(沖縄) 船越(内地) 富名腰(沖縄) 中森(内地) 仲盛(沖縄) 榎本(内地) 栄野元(沖縄) 江川(内地) 枝川(沖縄) 上田(内地) 上江田(沖縄) 福原(内地) 普久原(沖縄) 徳山(内地) 渡久山(沖縄) 福村(内地) 譜久村(沖縄) 塚山(内地) 津嘉山(沖縄) 作本(内地) 佐久本(沖縄) 横田(内地) 与古田(沖縄) 沢田(内地) 佐和田(沖縄)@沖縄県那覇市首里 名字研究家
面白いです。動画投稿がんばってください。
なんだか凄く考えさせられる動画でした😊当然の事だけど、御先祖様があって自分が存在しているんですよね✨感謝の気持ちを忘れず生活したいです
しっかりとした家は家系図が残っている上に、親戚一同ルーツを伝え共有しているように思います。
@くまラップ さん。確かに聞いた事があります笑あと、家に中世から伝わる物を鑑定すると、近代に作られた、、、とか😅
明治維新後に勝手につけた名前が沢山あるから身分は由緒ある一族じゃないとわからんよ
でもまぁ遠い親に会って感謝するのも悪くない 皆苦労したんだから
武士や農民は名字あると思います。先祖が農家でも、うちは江戸時代初期の墓に苗字が書かれてました。ない、あるいは、わからない家は、、、明治に勝手に付けたんでしょうが。
ほとんどの農民は苗字を持っていましたよ。江戸時代も。名乗るのを禁止されていただけです。
@@いいいん 源氏平氏の苗字以外の経済活動に不可欠な苗字も有るんじゃないかな 当然に苗字不要の人も。国勢調査をした訳でもなく私達は空想の話をしてるんじゃないかな
@@cma46210 屋号かな?今の感覚だと、会社の名前が近いかも。血縁とは違い、同じ目的で集まった人たち
面白話ですね👍先祖、探ってみたくなりました😃
源氏の派生の中に渡辺がありますが、元々川の渡し船の船頭を職業とした「渡り部(わたりべ)」が由来でその一帯が渡辺と名乗り出した、とも聞いたことがあるので一概にはわかりませんね、、
江戸時代苗字を持ちながら名乗る事を許されなかった庶民も少数いたが、多くの人は明治以降に初めて苗字を決め名乗った。従い、この手の話は先祖の身分を江戸期まで遡れる家だけが対象と思う。
仰る通りですね 強く同意致します🙋♂️
群馬県嬬恋村では、幕末に黒岩という名代官が居て、徳を慕った村人の多くが「黒岩」を名乗りました。五輪のメダリストを含め、黒岩姓のスケーターを輩出しています。
ほんまそれ。庄屋で苗字があったけど、明治に小作人がみんな同じ苗字名乗り出して、戦後に農地解放で全てを失ったと聞いた。
多分、その代官様も代官というお役目を与えられる前に戦で命をかけて武勲を立てたのでしょうね…なんか…世の中って伸るか反るかですね…今の芸人さんもそうだし…
今ある苗字の大半は明治の平民苗字必称義務令で作られたもの。当時、江戸幕府の政策ですでに苗字を持たない人が多数となり、動画にあるとおり税金を取られたりするからと多くの人が苗字を持つことを拒否した。だから役人が半ば無理やりあの手この手で誘惑し、人々に苗字を持たせた。佐藤を名乗ったら由緒ある藤原氏の血筋を名乗れますよ、今なら家系図つき!こうして先祖、ルーツブームが起こり偽ルーツが蔓延した。そして歴史は繰り返す。今マイナンバーカード持ったらお得ですよw
明治維新以後、苗字のなかった人が地名を着けたりしているので、この話はあまり当てにならないと思います。
その通りです。そもそも家系図なんて適当なものが多くそのほとんどが参考にもなりません。豪族や武家の人間であっても、秀吉を例に挙げるまでもなく、全く関係のない人物が自らの出自に権威を持たせるため勝手に藤原だの源だの名乗っていたし、下剋上の世の中では血脈なんてものもほぼ関係なく、権力者になった途端自分は藤原の流れだの源の流れだの言い出した輩がほとんどなので、このような言い伝えのような話しに先祖を探しても無駄です。九州なんて、みんな勝手に平家の落武者の系譜だとか言ってるし本当に適当なもんですよ。まして平民にあっては明治以降いい加減に名乗っているだけなんで話しにもなりません。どうしても自分のルーツが知りたいならDNA検査でもした方がよっぽどハッキリ判りますよ。まあ知りたいことだけでなく知りたくないことも判ってしまいますが。こんな動画を真に受けて一喜一憂するよか遥かにマシです。
この話は身分の高かった人達の話ですよ。元々苗字がなかった人達の話では有りません。欧州やインドのような明確な身分制度が無い日本ですが、隠れた一面においては、明確な身分(出自)の差があると言う事でしょう。元は高貴な出である日本人と、元から庶民の出である日本人。一口に日本人と言っても、苗字を見れば、そんな風に大別出来る可能性が有ると言う事でしょう。当然、今はおかしな身分制度など存在しませんが、苗字にはそんな出自の違いを現す事柄が反映されていると言う事でしょう。
@@つけもの-t6d うちは母方も父方も士族の出です祖母や祖父の戸籍謄本に士族と記載されてるのを見せてもらった事があります明治時代の戸籍が分かれば身分が分かりますよ
苗字と家紋の組み合わせならば、より確かでは?
こういうので絶対に私の苗字ない
中国、朝鮮から不法入国した人が通名を名のってます。苗字だけで決めつけるのは愚かですね。
考えてなかったから面白いです
戸籍で辿れるのは明治初期まで、それより前は墓のある菩提寺に残っている過去帳で判る。但し莫大な寄進を要求されるかも。
例えば佐藤という苗字ですが、東北では佐藤という苗字が英雄視され、農民が多く明治に佐藤をなのったと言われている。
東北の田舎にある実家がもとは小作の農家で、檀家のお寺さんによると490年前に実家の苗字が寺に登録されたと聞きました。この動画にある「農民の間でも苗字が使われ始めた」の時期に合致します。苗字のほかに屋号もあり、家紋もあります。古くからの集落で近隣も同じようなかんじです。限界集落になりつつありますが。
自分の1世代前つまり親の世代は2人、2世代前つまり祖父母の世代は2の2乗=4人、10世代前は2の10乗=1024人≒1000人、20世代前は2の20乗≒1000×1000=100万人、30世代前は2の30乗≒1000×1000×1000=10億人。1世代を30年と仮定すると30世代前は900年前で平安時代後期になるが、当時の日本人の人口が1000万人未満なのに対し、単純計算でその時代の先祖は10億人以上いるわけだから藤原氏が先祖にいることは全く不思議ではない。
インド人はその理屈で人類皆兄弟らしい。
30回遡るだけで平安なの怖すぎるてか親の親の親の…ってやるとどこまでも過去に遡れるの、当たり前だけど直感に反する
これみて実家の家系図を蔵の中から掘り返したら、祖先が宇多天皇で、隣のデスクの同僚と親戚だったことが判明した
NHKでやってる日本人のおなまえって番組では明治になって戸籍制度が出来た機会に姓を変えた家もあるみたいですね。
早く知りたかった!登録させて頂きます。
名字に藤の文字があります。田舎にある本家の屋敷が武家屋敷で鎧や薙刀が飾ってあります。家紋も下がり藤です。先祖は仕えていたお城のお姫様の護衛をしていたそうで、そのお城に仕えていた家臣はみんな同じ家紋だったそうです。手柄を立てるとお殿様から名字を貰えたそうです。
家紋 べいべー 宇佐(USA)~
この動画の言う通り徳川時代に半数以上の国民が名字を名乗れなかったからもとの名字を忘れちゃった人がたくさんいたんですよね。だから明治以降、自分で勝手につけたりその土地の名主や神主などにつけてもらった人が多いのでほとんどの人は本来の名字はわからないはずです。なお苗字と名字は同じ意味ですが苗字は新しい字で江戸時代以降のものです
山川草木を中心に名付けている❢ 例えば、「山」上下左右! 大山、山下、狭山、山田→田中→中田→田所→所😷と遊べますね😇
最近兄弟が先祖の戸籍を調べてたらある地域の神社に京都からその地域に住み着き一族が広まったと記録が見つかりました。まさにこの動画の通りです!
北九州の福岡周辺か
明治5年の壬申戸籍が最初です。現在は閲覧できません。「神社に京都から住み着いて一族が広まった」という記載はありません。生まれや結婚などが記載されていて血縁関係が分かるだけで、一族がどこから来たと言うことは書いてありません。結婚して入籍すればどの戸籍から嫁に来たかが分かります。嫁が京都から来た例があったので、そこから類推したのでしょう。しかし戸籍制度では、次男三男は結婚すると新戸籍を作成するので一族が記載された戸籍はありません。
全国で6000番目に多い苗字なんやけど200人くらいは居るらしい同じ苗字の人にまだ会ったことなくて会ってみたい
服部は「はたおりべ」で、仕立屋だっていう話があったなぁ。
身分は姓かも。苗字は元職や地名の分類が多いと思います。苗字で言うと私の場合は村上水軍だったと聞いてますが、一族ではなく部下で苗字もらったと推測してます。江戸時代廻船問屋やってたようです。
凄いですね
@@aman5151 ありがとうございます。
ありがとうございました😊
『元』が付く姓は平家の末裔だと聞いてました。松元、橋元、山元、坂元、岩元など…。今まで尋ねてみた限りでは、『確かに自分も聞いたことがある』という反応が多かったです。家系図の作成は江戸時代中期には民間でも結構流行ったらしいです。
藤原氏は凄い勢力だったんですね。ありがとうございます。我が家の家系も調べてみたいですね。
伊藤や佐藤姓だからといって皆藤原氏の末裔ではないし、おそらくその半分以上が明治以降に苗字をつけた平民だと思う。豪族がそんなにいる訳ないので・・・。本当に藤原氏の一族かどうかは、先祖が大きな土地を持っていたり、大きな規模の財源を持っていたかによる。
内容はいいし音声も良いのに、早口過ぎて聞きづらい
申し訳ないが、このスピード感が丁度いい人が多いんやと思う。聞き取りずらいなら0.5倍速にしたほうがいい。
たいした内容じゃない。戸籍なんか明治までしか遡れないけど、菩提寺の過去帳にはその寺が建立されてからの檀家の記録が残されている。 こっちの方が確実だけど、ちょっとやそっとでは見せてくれないらしい。
高いおかねを取られるんですかね?
@@76frobjohn さあ?その辺は分からないね。 普通、見せるもんじゃないからね。
戸籍制度の廃止に繋がりかねない選択的夫婦別姓は反対。
悪く言えば先祖隠しだね。代々の過程をほじくり返されたくない胡散臭い連中が妨害してるんだ。
大変ためになる動画をありがとうございます。5:58源氏と平氏由来の苗字はプロ野球選手・OBによく見られる苗字だなと、ふと思ってしまいました。
武士の末裔だったから運動能力も高いとかあるのかな?
うちの家系は名字帯刀は金で買った商人で祖先のわからない家、金で買った名字だから家紋は遠慮して鷹羽を虫食いにしたようだ。藤原系の名字だけど、勝手につけているので先祖なんてわかったもんじゃない。
残念ッ!。日本社会は水田稲作農業のコミュニティです。水田農業をご存じないからそんな無分別を仰るのですよ。他所からフラリとやって来て生きて行ける(無宿人の)社会じゃ無かったんです。必ずルーツがあります!、戸籍謄本を遡及してみて下さい。
@@千葉昇-d9c 戸籍謄本を辿っても壬申戸籍(明治5年(/1872年)以前は分からないと思いますよ。
最期は必ず買いみようするし、一文字いくらだから渾名でも源氏なでも芸名でもミドル名でもなんでもよい
江戸時代の苗字には由来はあるでしょうけど、明治時代に適当につけた苗字は当てにならない。
藤原氏、源氏、平氏、豊臣氏、橘氏の流れが欠けています。 そういえば私の曾祖父の表札は士族○○家と書いていましたよ。ここ数年でやっと注目を浴びてきた苗字です。
わかりやすい内容で勉強になりました。氏や姓と苗字を区別するのは、『の』を含むか否かでわかるという話を以前聞いた気がします。豊臣秀吉だけ例外で天皇から賜った他の氏や姓には『の』有りで呼称するそうです。もしも気が向いて、超絶暇で、他に動画のネタが無いようなら、この話の深堀り解説などよろしくお願いいたします。
そうですね。苗字が圧倒的に増えた室町初期でも高階氏の「高師直」は「こうのもろなお」ですね。なお、高階氏を「高氏」と呼ぶのは、清原氏出身の少納言の娘を「清少納言」と呼ぶのと同じです。
簡単に言えば陰陽師とか巫女と言われている人たちです。こういう人たちは結婚が制限されていました。だから藤原氏が多いです。未来がわかるさきみと言われてる人だけが名前についてます。
首都圏在住で曽祖父は爵位を持っていました。お金に困るような家ではなく、財産を残してくれた先祖にはとても感謝しています。一方、首都圏では珍しい苗字のため「○○の子孫?」と見抜かれることも多く、先祖の配下の将だった方の子孫が取引先だと分かったり、仕事上では苗字が邪魔になってソワソワする時もあります。
好きな話題です。実際に調べてみましたが…父方と母方で詳細が判ったのは母方でした。結構大変な時間かかりました~(笑)
私の記憶では、確か明治時代にすべての国民が名字を持つと法で定められ、今まで苗字なんか持っていなかった庶民が役場で悩んだ末、苗字の例として挙げられていた「高橋、鈴木、佐藤」をそのまま引用した人が多かったため、今でも日本ではこの苗字の人が多いと、どこかで聞いたことがある。だからこの動画の対象となるのは、家に家系図が残ってるような人たちだけでしょうね。
自分の名字からルーツをたどる場合、家の家紋も一緒に調べると精度があがるかもしれません。また、親の旧姓と家紋をたどっても面白いかも。私の名字は母方の名字です。私の父方の名字は地元の地名がルーツで母方の名字のルーツは坂東の平氏です。
四国でしょうか?
@@76frobjohn さん、坂東平氏が伊勢に行き、伊勢平氏になりました。現在の三重県四日市市の某所に住んでた時に、平氏から地名に名字を変え、その後関東に移り住んだようです。いまも関東の狭い地域に何軒か同じ名字の家があります。
私の先祖は家系図から700年ほど前から地元の豪族だったと聞いています。父親の母がたは平家の落武者。だったとも。ご先祖様が居てくれたから、今日があると毎日思っています
父の故郷である島に、その昔生き残った平家の人達が辿り着いて、それが先祖だってちょっと聞いた事ありましたが…平氏由来の苗字の中に苗字があって、本当だったんだなとびっくりしました。
墓地の墓石を見てみるとやんごとなき五三桐や五七桐の家紋の多いこと多いこと、勿論それらの殆どは明治以降に名もなき庶民が勝手につけたものに決まってるから、先祖は貴種どころかその正反対の名もなき庶民だったという証明になるね見たこともないようなマイナーな家紋なら出自の手がかりとして信用できるけど
明治で名乗りたい名字を名乗った平民がほとんどなので、その…
1:25 ヤマト政権ではなく、ヤマト朝廷の方がより正しいと思う。
藤原はサンデーサイレンスみたいな存在なんだね
でもほとんどの一般人の苗字は明治以降それぞれが名乗ってるから辿るのは難しいよな
藤は不死、永遠という意味。つまり藤の名がある人物は永遠を意味する。
語源俗解と言うやつですね
富士岡さんとかもおなじかな?
私は野口と申します。野口という名字のルーツを調べてみたのですがよく分かりません。家紋は丸に桔梗なのですがこの家紋にも野口の名字は当てはまらないようです。野口の名字のルーツはどうなっているのでしょうか?
苗字付ける時に藤の文字を使いたい人が多かった、要は藤原氏の威光を借りる人が多かった佐藤だけこんなに増えるのは可笑しい話で確率だけで考えると他の藤の着く苗字は大体同じになるはずで、なってないのは人為的な要因が有る為
佐藤が多いのは庶民に苗字を付けるよう政府から命令された際に見本として挙げられてたから。鈴木も同じ理由。
@@bgdajw 佐藤は東北地方に多いだけ。秋田県で病院のカルテ入れが佐藤だけ別になってたw 近畿、西日本に佐藤はほとんどいない。鈴木も東海・関東地方に多いだけ。地域差がかなりある。
@武井一郎 さん福岡県北九州市(東北ではありません)には、佐藤さんも田中さんもそこそこいますが、東京に比べて鈴木さんは少ないですね。
@@北島正隆-d5x 大分県は西日本で珍しく佐藤の多い地域なのでその影響かもですね。
お寺にも戸籍が残っていると良く聞きますね
過去帳ですね
名字の由来調べたら、奈良県の有名氏族だったw藤原氏や源氏とも繋がりがあるみたい。仏教を広めた聖徳太子も奈良県出身だから、天皇との関係も頷ける。
今の自分があるのは先祖がその時代を生き延びた結果です大変な時代をそれなりに“生き延びてきた”からこそ今の自分という人がいるのです問題は末の本人の考え方であり先祖の想い(思いではありません)を末の自分が受け継いで“どうにか繁栄させてやる”という想いの引き継ぎが大事だと思います武家は武家なりに農民は農民なりに立派な先祖が培った志があるはずです今に生きる末の自分達はその想いを受け継いで今の世の中をみんなが住みやすい平和な世の中にしていくことこそ先祖が追い求めたものではなかろうかと思います…因みに三階菱(菱紋)は武田を祖にもつ家柄であることは常識です今の製薬会社や自動車会社の創業者の末裔は正にそうです
大変興味深い内容でした。ところで、「家系図」の残っている方の一番古い先祖はすべてと言っていいほど「桓武平氏」か「清和源氏」となっていますね。ちなみに祖先は美濃の豪族「土岐源氏流」らしいのですが、どこまで本当なのやら。(^^;
うちは何か玉ねぎみたいなん付いた墓あるなぁと思ってたら先祖が城持ち大名の筆頭家老でした。お寺に家系図が残されていましたので、そっち系で調べるのもありかと。
地域ですぐ分かるからチョロっと調べたら始まり摂津源氏だったわ
例えば800年前の鎌倉時代にさかのぼるとする。一世代30年と仮定すると、800年前までおよそ26世代。両親のそのまた両親の・・・と26世代前まで遡ると先祖は2の26乗で約6700万人。鎌倉時代の日本人は6700万人もいないし、先祖の重複もあるだろうし、昔は今ほど人の移動も無かったので、こんな単純ではありませんけどね。でも、これくらい大きな数字になると言うことは、誰でも先祖を古くまでさかのぼればどこかで藤原氏や源氏や平氏が含まれているでしょうね。それだけじゃなくて皇室が含まれてもおかしくはありませんし、ヤマト王権や古墳時代の頃に朝鮮半島からきた渡来人だってきっと含まれてるでしょう。うちは〇〇の末裔で・・・とか言うこと自体がナンセンス。
うちは橘系なので、源平藤橘のうち橘だけが触れられず、少し寂しかったです
源平藤橘で一番レア感あって羨ましい
橘氏は四姓のうち唯一女性、県犬飼三千代に賜った姓なので、本当にレアですよね。
どういう動機だったのかは分かりませんが、父方の祖父が自分のルーツを探ったような遺品を相続しました。それによると、和歌山市の木工職人に行き着くところで終わっていました。住所も材木町。確かに自分の父方の親戚縁者を見ていると、職人気質の方が多いので妙に納得してしまいました。ちなみに祖父は、大阪で建具屋の長男(約10人兄弟?)として生を受け、両親が早逝したため建具屋をたたみ、写真館を開業しました。先の戦争で、そんな稼業もやっていられなくなり、松下電器の木製飛行機工場に勤めることとなり、終戦後もラジオのキャビネットの木工職人となり、定年まで勤めました。その後、心のこりだったのか、退職金で写真店を開業しました。1906年生まれで、93歳で風邪をこじらせ肺炎になり、まわりに迷惑もかけることなく、その生涯を終えました。
ちゃんとした家だと家系図残ってるよねうちは三段菱の武家です
戸籍ってすごいですねメジャーな苗字ではないけど激レアな苗字でもないから同じ苗字ってだけで親戚に思われるあるある
オイラは北島という名字のお陰で「北島三郎さんの親戚ですか?」いやいや北島三郎は芸名で本名は大野さんだから・・・
お寺に、過去帳というものがあります。自分のお寺がいつ創建されたのかによりますが、長野県の酒蔵が4~5百年 本家 分家まとめた家系図テレビに協力してもらい作ってました。これは?
葛って40人しかいないらしいからなんか嬉しい
新潟県の小さな町に住んでいますが、祖母のルーツが現在の静岡県磐田市の辺りに住んで普段は百姓をしている足軽だったようです。慶応四年に信州の山を越え信濃川沿いに北上し祖母の実家のあった村に移住したと菩提寺に残っていました。薩摩藩が東海道を通って江戸城を攻めるのを聞きつけて皆殺しになることを案じ一家を連れて山を越えたそうです。
清和源氏一門
苗字をさかのぼっても父方の祖先にしかつながりませんが、祖先には母方も存在します。父方母方両方の祖先は当然のことですが1世代さかのぼるごとに人数が2倍になります。計算すると1人の人間の先祖の数は室町時代までさかのぼると当時の人口より多くなるそうです。こうなると、すべての人が藤原氏どころか天皇とつながっている可能性が十分にあります。これでは天皇という身分さえ値打ちがなくなるので、あえて母親のDNAを無視して男系だけを血筋と考えるのだそうです。女性天皇や女系天皇に反対する人の根拠はここにあるそうです。
ある人の母の母の母とたどっていけば、天照大神に到達するという家系があれば別ですが、「女系天皇」は成り立ちません。女性天皇は徳川初期までは存在していますから、現行の「皇室典範」を改正すればすむ話です。
@@竜涎香-g9o 「女系をたどれば天照大神に到達するという家系」はあるかもしれませんが女系の系図はこれまで作られてこなかったので証明は不可能ですね。証明できないものはなかったのと同じ、と言うのが女系否定論者の立場のようです。ただ、それを言うなら天照大神の存在も証明できないと思うのですが、千数百年前に「天照大神はいる」という作文をした人がいればそれが証拠になる、という人もいるようです。
別コメに単純計算で30代さかのぼれば祖先の数は計算上10億人になる、とあります。だから多くの人が藤原氏の血を引いてても不思議ではない、と。
うちは庄屋の可能性が高いと思ってます何故ならば先祖が刀剣で有名な武家の洞田貫家に嫁いでおり、しかも“養女”として入ってる事が戸籍から判明しました年貢を納めに行ったときに見初められたようです…しかもふるさとから相当遠く離れた場所の武家に嫁いでおりびっくりしましたさぞかし本人も時代が時代ですので、女性ながらにそれこそ命をかけて嫁いだものと思っておりますきっかけは元の屋敷を父が整理した際、黒の漆塗りに金で描かれた位牌がその子等の位牌と共に出てきたからです…白露院釈尼妙子とかかれており、正真正銘の院もくの戒名でした当時は武家か寺の建立や地域に絶大な貢献がなければ与えられない戒名です口伝いに、里帰りの際は馬2頭に引かれた馬車で帰省していたと聞いておりました養女という事は同じ武家ではないからであり、身分の違いにクッションを置くためによくなされた嫁ぎ方らしいです…また、うちは明治維新以前から名前を持っており女中が2名いたことも明らかになってますこの事が嫁いだ後に名前と扶持?を頂いたのか、女中付きの家柄になったのかまでは判っておりませんなので今現在としては庄屋だったというのが自分のなかでは有力視してます何を言いたいかというと、当時の先祖の意気込みなのです命をかけた決心なんです…自分が末の一人として、長男として受け継ぐ事が出来るのは、いざというときの潔さであると思ってます命をかけた決心なのだと思ってます
戸籍調べたら曾祖父さんからしかありませんでした。
江戸時代は85パーが農民、工商あわせれば9割。そのうち何パーセントが苗字を持っていたのか?明治になってから苗字を持った人も多いだろうし、現在その子孫はそのこと自体しらない。それでここを見て、おれの先祖は藤原氏の流れをくむとか思うんだろうな。日本に大勢いる佐藤さんはみんな藤原氏の子孫だから、もとをだどれば天皇家の遠縁じゃんか!!そんなことありえない。
祖先を遡れば、計算上千年くらいで先祖が十億人くらいいるそうです。だから有り得なくもない。
家紋も関係有るのでしょうか❓️😅
この動画で苗字のルーツわからない。
父親が言っていた事なんですが(本気にしていなかった)、我家は『毛利家』の家臣だった。ところが、パート先の男の子と休憩中に何故か先祖の話になった。私が「我家は『毛利家の家臣』だった」って、言ったら、「えっ!我家もだけど‼️」って、なった。「まさかぁ~~」と笑っていたら、後日図書館で借りた家紋の本に書かれていた。バイト君に伝えると、お母さんが借りに行き家族全員で読んだそうです。で、おじいちゃんが「彼女(私)とは、おそらく戦国時代には一緒に戦っていたはず‼️」だとか……それ以来バイト君は私の事を『オバサン』と呼びますが、私は『おば様』と呼びなさいと注意していました。まぁ、私に頼み事なんですがある時には、おば様と呼んでましたけど……
おば様…
我が家は家系図があって江戸時代に横浜で高利貸しをしていたらしいです、時代劇だと悪役ですね。
母方のおじいちゃんは、平家の落武者で、母方のおばあちゃんの家系は、以仁王の乱で落ち延びた藤原家の流れだと聞いてて、おばあちゃんの方は、後に武田勝頼公の生母の諏訪御料人の侍女をやって地元では、それなりの家柄でちょっと聞いた時はびっくりしました。
両親が離婚した時に、気持ちを整理する為に戸籍を個人で分けたんだよねなので僕の戸籍を掘っても僕以外に出てこない、そこから遡る方法はあるんでしょうかね
明治以降に庶民にも苗字を名乗れるようになった際に国民が好き勝手に名乗ったことで現在の大量の苗字が生まれた訳で…江戸以前からの名家でない限りは苗字なんてそこまで意味のあるものでは無いですよ。
人望があった役人さんを慕って、明治の初めに村中同じ苗字を付けた、という逸話も別コメにありました。
自分の苗字珍しくて検索してもヒットしない…
草
結局昔から日本人てのは差別する民族だったて事だね、富裕層と貧困との
確かに一理ある。思いつくものだけで・・・こんな感じ?藤田藤川藤野藤原藤井藤本藤山藤木藤森藤谷藤吉藤堂藤村藤沢・・・・・伊藤斎藤佐藤後藤工藤須藤紀藤内藤安藤江藤・・・・・
皇族から離すのではなく、藤原氏の権力を恐れて降下させて親戚の臣下を増やしていきました
沖縄の苗字気になる
苗字がアンダーソンの私は関係なかったのね
佐藤や伊藤のように後ろに藤が付くのは藤原氏の子孫だけど、藤田や藤村のように前に付くのは藤原氏の子孫じゃないと言われてるね。家は源平藤橘の一つから派生した苗字だと言われているが、言われてるだけで証拠の文献とかが残ってないので怪しいもんである。
佐藤や鈴木が多いのは苗字つけましょうって手紙か何かの例えにあったから多いらしいですよ先祖代々佐野辺りに住んでる佐藤さんは可能性高いと思うけど他は???です
鈴木 元々は捲簾 帝の簾を上げ下げする係が発祥。
江戸以前から苗字を持ってるが、家の宗派が臨済宗だったりお墓が武家の近くだと身分は高い(高かった)と思う。
戸籍って役所で申し込んだらすぐ見れるんですかね?
菩提寺があるから過去帳を調べてもらおうと親父が頼みに行ったら、昔、火災で建物が焼失して、その時に記録が全部燃えたので判らない、と言われたみたいよ。本当にそうなのか、調べるのが面倒くさくて坊主が適当に言い訳して逃げたのかは不明だ。 ま、現実はそんなもんだ
オイラ・・・菩提寺がどこかも知らない。
@@北島正隆-d5x 後は古い伝えとDNAと血液型で調べるしかないね。
私は六角氏を源流に持つようです。でも結構多い苗字です(私の苗字がバレてしまうw)
会社に六角さんにはいたが四角とか五角とか八角さんには会った事が無い。居るのかな。
直系先祖の一人でも欠けてたら自分が存在しない。自分に子供がいるいないで2つの世界線がある。何とも言えない気持ちになる
あなたは二人といないが、上位互換は出回っています。
源平の戦いで平軍の藤原道重の藤原の分家です。
藤ではないけど🤭
家系図もあるし
日本の歴史!、水田稲作農業が深く関わっています。西部劇のように勝手に名乗る事が出来ない社会!。氏姓制度も無縁ではなかったのですよ。
日本が中国韓国式の名字のつけ方だったらほとんどの人が藤原・源・平だったかもしれないね
日本人って苗字の種類が多すぎるよね。未だに初めて見る苗字ってあるからね。同じ読みでも漢字が違ったり、漢字が同じでも読みが違ったり厄介だね。自分の生まれた地域は同じ苗字が多くて屋号で区別してたな。
中学の時同級生に「河野(かわの)」さんと「河野(こうの)」さんがいました。オイラがキタジマだから50音順の出席番号で並べると河野 北島 河野 になるという・・・・・
物部氏はどこに行ったんでしょう。物部氏の子孫の名前も知りたいです。
物部氏は岡山の暴力団の組長ww
秋田の唐松神社の宮司さん一族が、秋田物部氏ってNHKの歴史発見だったかで聞いたことが有るわ。
@@梅原弘子-x8s さまありがとうございます😊調べたら、神仏分離の際〜に物部氏とありました。御祭神も気になる神様ばかりでした。物部一族は東北に追われたのかも?と思いました。貴重な情報ありがとうございます✨
服部だけど絶対忍者ではないと思ってます。運動神経全然ないんでw
奈良の談山神社に行けば藤原氏族の名字が全て載せてある冊子が200円で販売されていますよ。。
はさはさほすしそしすは
サバサンドススサさ
私も今春、談山神社に行った際、藤原氏族の冊子を買いました。うちの先祖も藤原鎌足らしいのですが、その子孫は滅茶苦茶多いでしょうね。
@@7tomoasis26 清﨑征久
先祖が素晴らしい方や偉い方である事を誇りにできる方もいるが、農民だからとか何かしら悪い印象のある方であっても良いと思う。所詮は先祖は一個人であり、自分とは違う。自分が真面目に生きてればそれで充分である。むしろ先祖が命を繋げてくれた事を誇りに思いたい。
さい近では江戸時代に士農工商があつったとかなかったとかどうでもいい。今自分が活きてるのは自分が産んでもらったからだろうが!
だが「ご先祖様よ。なんでこんなでたらめな世の中を残してくれたんだよ。」という恨みの方が大きい。
多分に産業革命で力をもって好き勝手なことをした西洋人の影響もあるが、
日本人だって公害を出したり、原発はどうするの?という問題を後の世代に押し付けている。
私は母の胎内時父の煙草の受動喫煙の影響か、脳の奇形と発達障害を持って生まれてきた。
今だって若者は「バブル世代はおいしい思いしやがって」と恨んでるし、炭酸ガスは増え続けるし。
この先どんどん悪くなる一方です。
先祖に感謝はとてもできません。
@@北島正隆-d5x 恨んでいるのは一部の人だけなので「若者」という大きな括りで表現するのはやめましょう
先祖や名字を大切にしたい。だからこそ通名を廃止して欲しい。
通名なんてどうでもいい。
自分の名字を大切にすればいい。
@@イブリリ-g7nいいや通名なんていらないでしょ。なんで必要なん?
朝廷時代を基準にして氏名が広まったのは確かです。この動画で言われている自分探し 自分のルーツを探るという事では楽しみな事ですね🎵
読みは同じでも漢字が違う内地と沖縄の名字
前田(内地) 真栄田(沖縄) 中曽根(内地) 仲宗根(沖縄)
中山(内地) 名嘉山(沖縄) 八木(内地) 屋宜(沖縄)
中村(内地) 名嘉村(沖縄) 平(内地) 平良(沖縄)
中原(内地) 名嘉原(沖縄) 中里(内地) 仲里(沖縄)
船越(内地) 富名腰(沖縄) 中森(内地) 仲盛(沖縄)
榎本(内地) 栄野元(沖縄) 江川(内地) 枝川(沖縄)
上田(内地) 上江田(沖縄) 福原(内地) 普久原(沖縄)
徳山(内地) 渡久山(沖縄) 福村(内地) 譜久村(沖縄)
塚山(内地) 津嘉山(沖縄) 作本(内地) 佐久本(沖縄)
横田(内地) 与古田(沖縄) 沢田(内地) 佐和田(沖縄)
@沖縄県那覇市首里 名字研究家
面白いです。動画投稿がんばってください。
なんだか凄く考えさせられる動画でした😊
当然の事だけど、御先祖様があって自分が存在しているんですよね✨
感謝の気持ちを忘れず生活したいです
しっかりとした家は家系図が残っている上に、親戚一同ルーツを伝え共有しているように思います。
@くまラップ さん。
確かに聞いた事があります笑
あと、家に中世から伝わる物を鑑定すると、近代に作られた、、、とか😅
明治維新後に勝手につけた名前が
沢山あるから身分は由緒ある一族じゃないとわからんよ
でもまぁ遠い親に会って感謝するのも悪くない 皆苦労したんだから
武士や農民は名字あると思います。
先祖が農家でも、うちは江戸時代初期の墓に苗字が書かれてました。
ない、あるいは、わからない家は、、、明治に勝手に付けたんでしょうが。
ほとんどの農民は苗字を持っていましたよ。江戸時代も。名乗るのを禁止されていただけです。
@@いいいん 源氏平氏の苗字以外の経済活動に不可欠な苗字も有るんじゃないかな 当然に苗字不要の人も。国勢調査をした訳でもなく私達は空想の話をしてるんじゃないかな
@@cma46210 屋号かな?今の感覚だと、会社の名前が近いかも。血縁とは違い、同じ目的で集まった人たち
面白話ですね👍先祖、探ってみたくなりました😃
源氏の派生の中に渡辺がありますが、元々川の渡し船の船頭を職業とした「渡り部(わたりべ)」が由来でその一帯が渡辺と名乗り出した、とも聞いたことがあるので一概にはわかりませんね、、
江戸時代苗字を持ちながら名乗る事を許されなかった庶民も少数いたが、多くの人は明治以降に初めて苗字を決め名乗った。従い、この手の話は先祖の身分を江戸期まで遡れる家だけが対象と思う。
仰る通りですね 強く同意致します🙋♂️
群馬県嬬恋村では、幕末に黒岩という名代官が居て、徳を慕った村人の多くが「黒岩」を名乗りました。五輪のメダリストを含め、黒岩姓のスケーターを輩出しています。
ほんまそれ。庄屋で苗字があったけど、明治に小作人がみんな同じ苗字名乗り出して、戦後に農地解放で全てを失ったと聞いた。
多分、その代官様も代官というお役目を与えられる前に戦で命をかけて武勲を立てたのでしょうね…
なんか…世の中って伸るか反るかですね…
今の芸人さんもそうだし…
今ある苗字の大半は明治の平民苗字必称義務令で作られたもの。
当時、江戸幕府の政策ですでに苗字を持たない人が多数となり、
動画にあるとおり税金を取られたりするからと多くの人が苗字を持つことを拒否した。
だから役人が半ば無理やりあの手この手で誘惑し、人々に苗字を持たせた。
佐藤を名乗ったら由緒ある藤原氏の血筋を名乗れますよ、今なら家系図つき!
こうして先祖、ルーツブームが起こり偽ルーツが蔓延した。
そして歴史は繰り返す。
今マイナンバーカード持ったらお得ですよw
明治維新以後、苗字のなかった人が地名を着けたりしているので、この話はあまり当てにならないと思います。
その通りです。そもそも家系図なんて適当なものが多くそのほとんどが参考にもなりません。
豪族や武家の人間であっても、秀吉を例に挙げるまでもなく、全く関係のない人物が自らの出自に権威を持たせるため勝手に藤原だの源だの名乗っていたし、下剋上の世の中では血脈なんてものもほぼ関係なく、権力者になった途端自分は藤原の流れだの源の流れだの言い出した輩がほとんどなので、このような言い伝えのような話しに先祖を探しても無駄です。
九州なんて、みんな勝手に平家の落武者の系譜だとか言ってるし本当に適当なもんですよ。
まして平民にあっては明治以降いい加減に名乗っているだけなんで話しにもなりません。
どうしても自分のルーツが知りたいならDNA検査でもした方がよっぽどハッキリ判りますよ。まあ知りたいことだけでなく知りたくないことも判ってしまいますが。こんな動画を真に受けて一喜一憂するよか遥かにマシです。
この話は身分の高かった人達の話ですよ。
元々苗字がなかった人達の話では有りません。
欧州やインドのような明確な身分制度が無い日本ですが、隠れた一面においては、明確な身分(出自)の差があると言う事でしょう。
元は高貴な出である日本人と、元から庶民の出である日本人。
一口に日本人と言っても、苗字を見れば、そんな風に大別出来る可能性が有ると言う事でしょう。
当然、今はおかしな身分制度など存在しませんが、苗字にはそんな出自の違いを現す事柄が反映されていると言う事でしょう。
@@つけもの-t6d うちは母方も父方も士族の出です祖母や祖父の戸籍謄本に士族と記載されてるのを見せてもらった事があります明治時代の戸籍が分かれば身分が分かりますよ
苗字と家紋の組み合わせならば、より確かでは?
こういうので絶対に私の苗字ない
中国、朝鮮から不法入国した人が通名を名のってます。
苗字だけで決めつけるのは愚かですね。
考えてなかったから面白いです
戸籍で辿れるのは明治初期まで、それより前は墓のある菩提寺に残っている過去帳で判る。但し莫大な寄進を要求されるかも。
例えば佐藤という苗字ですが、東北では佐藤という苗字が英雄視され、農民が多く明治に佐藤をなのったと言われている。
東北の田舎にある実家がもとは小作の農家で、檀家のお寺さんによると490年前に実家の苗字が寺に登録されたと聞きました。この動画にある「農民の間でも苗字が使われ始めた」の時期に合致します。苗字のほかに屋号もあり、家紋もあります。
古くからの集落で近隣も同じようなかんじです。限界集落になりつつありますが。
自分の1世代前つまり親の世代は2人、2世代前つまり祖父母の世代は2の2乗=4人、10世代前は2の10乗=1024人≒1000人、20世代前は2の20乗≒1000×1000=100万人、30世代前は2の30乗≒1000×1000×1000=10億人。1世代を30年と仮定すると30世代前は900年前で平安時代後期になるが、当時の日本人の人口が1000万人未満なのに対し、単純計算でその時代の先祖は10億人以上いるわけだから藤原氏が先祖にいることは全く不思議ではない。
インド人はその理屈で人類皆兄弟らしい。
30回遡るだけで平安なの怖すぎる
てか親の親の親の…ってやるとどこまでも過去に遡れるの、当たり前だけど直感に反する
これみて実家の家系図を蔵の中から掘り返したら、祖先が宇多天皇で、隣のデスクの同僚と親戚だったことが判明した
NHKでやってる日本人のおなまえって番組では明治になって戸籍制度が出来た機会に姓を変えた家もあるみたいですね。
早く知りたかった!登録させて頂きます。
名字に藤の文字があります。
田舎にある本家の屋敷が武家屋敷で鎧や薙刀が飾ってあります。
家紋も下がり藤です。
先祖は仕えていたお城のお姫様の護衛をしていたそうで、そのお城に仕えていた家臣はみんな同じ家紋だったそうです。
手柄を立てるとお殿様から名字を貰えたそうです。
家紋 べいべー 宇佐(USA)~
この動画の言う通り徳川時代に半数以上の国民が名字を名乗れなかったからもとの名字を忘れちゃった人がたくさんいたんですよね。だから明治以降、自分で勝手につけたりその土地の名主や神主などにつけてもらった人が多いのでほとんどの人は本来の名字はわからないはずです。
なお苗字と名字は同じ意味ですが苗字は新しい字で江戸時代以降のものです
山川草木を中心に名付けている❢ 例えば、「山」上下左右! 大山、山下、狭山、山田→田中→中田→田所→所😷と遊べますね😇
最近兄弟が先祖の戸籍を調べてたらある地域の神社に京都からその地域に住み着き一族が広まったと記録が見つかりました。まさにこの動画の通りです!
北九州の福岡周辺か
明治5年の壬申戸籍が最初です。現在は閲覧できません。「神社に京都から住み着いて一族が広まった」という記載はありません。生まれや結婚などが記載されていて血縁関係が分かるだけで、一族がどこから来たと言うことは書いてありません。結婚して入籍すればどの戸籍から嫁に来たかが分かります。嫁が京都から来た例があったので、そこから類推したのでしょう。しかし戸籍制度では、次男三男は結婚すると新戸籍を作成するので一族が記載された戸籍はありません。
全国で6000番目に多い苗字なんやけど
200人くらいは居るらしい
同じ苗字の人にまだ会ったことなくて会ってみたい
服部は「はたおりべ」で、仕立屋だっていう話があったなぁ。
身分は姓かも。
苗字は元職や地名の分類が多いと思います。
苗字で言うと私の場合は村上水軍だったと聞いてますが、一族ではなく部下で苗字もらったと推測してます。江戸時代廻船問屋やってたようです。
凄いですね
@@aman5151 ありがとうございます。
ありがとうございました😊
『元』が付く姓は平家の末裔だと聞いてました。
松元、橋元、山元、坂元、岩元など…。
今まで尋ねてみた限りでは、『確かに自分も聞いたことがある』という反応が多かったです。
家系図の作成は江戸時代中期には民間でも結構流行ったらしいです。
藤原氏は凄い勢力だったんですね。ありがとうございます。我が家の家系も調べてみたいですね。
伊藤や佐藤姓だからといって皆藤原氏の末裔ではないし、おそらくその半分以上が明治以降に苗字をつけた平民だと思う。豪族がそんなにいる訳ないので・・・。本当に藤原氏の一族かどうかは、先祖が大きな土地を持っていたり、大きな規模の財源を持っていたかによる。
内容はいいし音声も良いのに、早口過ぎて聞きづらい
申し訳ないが、このスピード感が丁度いい人が多いんやと思う。聞き取りずらいなら0.5倍速にしたほうがいい。
たいした内容じゃない。
戸籍なんか明治までしか遡れないけど、菩提寺の過去帳にはその寺が建立されてからの檀家の記録が残されている。
こっちの方が確実だけど、ちょっとやそっとでは見せてくれないらしい。
高いおかねを取られるんですかね?
@@76frobjohn さあ?その辺は分からないね。 普通、見せるもんじゃないからね。
戸籍制度の廃止に繋がりかねない選択的夫婦別姓は反対。
悪く言えば先祖隠しだね。代々の過程をほじくり返されたくない胡散臭い連中が妨害してるんだ。
大変ためになる動画をありがとうございます。
5:58源氏と平氏由来の苗字はプロ野球選手・OBによく見られる
苗字だなと、ふと思ってしまいました。
武士の末裔だったから運動能力も高いとかあるのかな?
うちの家系は名字帯刀は金で買った商人で祖先のわからない家、金で買った名字だから家紋は遠慮して鷹羽を虫食いにしたようだ。藤原系の名字だけど、勝手につけているので先祖なんてわかったもんじゃない。
残念ッ!。
日本社会は水田稲作農業のコミュニティです。水田農業をご存じないからそんな無分別を仰るのですよ。他所からフラリとやって来て生きて行ける(無宿人の)社会じゃ無かったんです。必ずルーツがあります!、戸籍謄本を遡及してみて下さい。
@@千葉昇-d9c
戸籍謄本を辿っても壬申戸籍(明治5年(/1872年)以前は分からないと思いますよ。
最期は必ず買いみようするし、一文字いくらだから渾名でも源氏なでも芸名でもミドル名でもなんでもよい
江戸時代の苗字には由来はあるでしょうけど、明治時代に適当につけた苗字は当てにならない。
藤原氏、源氏、平氏、豊臣氏、橘氏の流れが欠けています。 そういえば私の曾祖父の表札は士族○○家と書いていましたよ。ここ数年でやっと注目を浴びてきた苗字です。
わかりやすい内容で勉強になりました。
氏や姓と苗字を区別するのは、『の』を含むか否かでわかるという話を以前聞いた気がします。
豊臣秀吉だけ例外で天皇から賜った他の氏や姓には『の』有りで呼称するそうです。
もしも気が向いて、超絶暇で、他に動画のネタが無いようなら、この話の深堀り解説などよろしくお願いいたします。
そうですね。苗字が圧倒的に増えた室町初期でも高階氏の「高師直」は「こうのもろなお」ですね。
なお、高階氏を「高氏」と呼ぶのは、清原氏出身の少納言の娘を「清少納言」と呼ぶのと同じです。
簡単に言えば陰陽師とか巫女と言われている人たちです。こういう人たちは結婚が制限されていました。だから藤原氏が多いです。未来がわかるさきみと言われてる人だけが名前についてます。
首都圏在住で曽祖父は爵位を持っていました。
お金に困るような家ではなく、財産を残してくれた先祖にはとても感謝しています。
一方、首都圏では珍しい苗字のため「○○の子孫?」と見抜かれることも多く、先祖の配下の将だった方の子孫が取引先だと分かったり、仕事上では苗字が邪魔になってソワソワする時もあります。
好きな話題です。実際に調べてみましたが…父方と母方で詳細が判ったのは母方でした。結構大変な時間かかりました~(笑)
私の記憶では、確か明治時代にすべての国民が名字を持つと法で定められ、今まで苗字なんか持っていなかった庶民が役場で悩んだ末、苗字の例として挙げられていた「高橋、鈴木、佐藤」をそのまま引用した人が多かったため、今でも日本ではこの苗字の人が多いと、どこかで聞いたことがある。
だからこの動画の対象となるのは、家に家系図が残ってるような人たちだけでしょうね。
自分の名字からルーツをたどる場合、家の家紋も一緒に調べると精度があがるかもしれません。また、親の旧姓と家紋をたどっても面白いかも。私の名字は母方の名字です。私の父方の名字は地元の地名がルーツで母方の名字のルーツは坂東の平氏です。
四国でしょうか?
@@76frobjohn さん、坂東平氏が伊勢に行き、伊勢平氏になりました。現在の三重県四日市市の某所に住んでた時に、平氏から地名に名字を変え、その後関東に移り住んだようです。いまも関東の狭い地域に何軒か同じ名字の家があります。
私の先祖は家系図から700年ほど前から地元の豪族だったと聞いています。
父親の母がたは平家の落武者。だったとも。
ご先祖様が居てくれたから、今日があると毎日思っています
父の故郷である島に、その昔生き残った平家の人達が辿り着いて、それが先祖だってちょっと聞いた事ありましたが…平氏由来の苗字の中に苗字があって、本当だったんだなとびっくりしました。
墓地の墓石を見てみるとやんごとなき五三桐や五七桐の家紋の多いこと多いこと、勿論それらの殆どは明治以降に名もなき庶民が勝手につけたものに決まってるから、先祖は貴種どころかその正反対の名もなき庶民だったという証明になるね
見たこともないようなマイナーな家紋なら出自の手がかりとして信用できるけど
明治で名乗りたい名字を名乗った平民がほとんどなので、その…
1:25 ヤマト政権ではなく、ヤマト朝廷の方がより正しいと思う。
藤原はサンデーサイレンスみたいな存在なんだね
でもほとんどの一般人の苗字は明治以降それぞれが名乗ってるから辿るのは難しいよな
藤は不死、永遠という意味。つまり藤の名がある人物は永遠を意味する。
語源俗解と言うやつですね
富士岡さんとかもおなじかな?
私は野口と申します。野口という名字のルーツを調べてみたのですがよく分かりません。家紋は丸に桔梗なのですがこの家紋にも野口の名字は当てはまらないようです。野口の名字のルーツはどうなっているのでしょうか?
苗字付ける時に藤の文字を使いたい人が多かった、要は藤原氏の威光を借りる人が多かった
佐藤だけこんなに増えるのは可笑しい話で確率だけで考えると他の藤の着く苗字は大体同じになるはずで、なってないのは人為的な要因が有る為
佐藤が多いのは庶民に苗字を付けるよう政府から命令された際に見本として挙げられてたから。鈴木も同じ理由。
@@bgdajw 佐藤は東北地方に多いだけ。秋田県で病院のカルテ入れが佐藤だけ別になってたw 近畿、西日本に佐藤はほとんどいない。鈴木も東海・関東地方に多いだけ。地域差がかなりある。
@武井一郎 さん
福岡県北九州市(東北ではありません)には、佐藤さんも田中さんもそこそこいますが、
東京に比べて鈴木さんは少ないですね。
@@北島正隆-d5x 大分県は西日本で珍しく佐藤の多い地域なのでその影響かもですね。
お寺にも戸籍が残っていると良く聞きますね
過去帳ですね
名字の由来調べたら、奈良県の有名氏族だったw
藤原氏や源氏とも繋がりがあるみたい。
仏教を広めた聖徳太子も奈良県出身だから、天皇との関係も頷ける。
今の自分があるのは先祖がその時代を生き延びた結果です
大変な時代をそれなりに“生き延びてきた”からこそ今の自分という人がいるのです
問題は末の本人の考え方であり
先祖の想い(思いではありません)を末の自分が受け継いで“どうにか繁栄させてやる”という想いの引き継ぎが大事だと思います
武家は武家なりに農民は農民なりに立派な先祖が培った志があるはずです
今に生きる末の自分達はその想いを受け継いで今の世の中をみんなが住みやすい平和な世の中にしていくことこそ先祖が追い求めたものではなかろうかと思います…
因みに三階菱(菱紋)は武田を祖にもつ家柄であることは常識です
今の製薬会社や自動車会社の創業者の末裔は正にそうです
大変興味深い内容でした。ところで、「家系図」の残っている方の一番古い先祖はすべてと言っていいほど「桓武平氏」か「清和源氏」となっていますね。ちなみに祖先は美濃の豪族「土岐源氏流」らしいのですが、どこまで本当なのやら。(^^;
うちは何か玉ねぎみたいなん付いた墓あるなぁと思ってたら先祖が城持ち大名の筆頭家老でした。お寺に家系図が残されていましたので、そっち系で調べるのもありかと。
地域ですぐ分かるからチョロっと調べたら始まり摂津源氏だったわ
例えば800年前の鎌倉時代にさかのぼるとする。一世代30年と仮定すると、800年前までおよそ26世代。両親のそのまた両親の・・・と26世代前まで遡ると先祖は2の26乗で約6700万人。
鎌倉時代の日本人は6700万人もいないし、先祖の重複もあるだろうし、昔は今ほど人の移動も無かったので、こんな単純ではありませんけどね。
でも、これくらい大きな数字になると言うことは、誰でも先祖を古くまでさかのぼればどこかで藤原氏や源氏や平氏が含まれているでしょうね。
それだけじゃなくて皇室が含まれてもおかしくはありませんし、ヤマト王権や古墳時代の頃に朝鮮半島からきた渡来人だってきっと含まれてるでしょう。
うちは〇〇の末裔で・・・とか言うこと自体がナンセンス。
うちは橘系なので、源平藤橘のうち橘だけが触れられず、少し寂しかったです
源平藤橘で一番レア感あって羨ましい
橘氏は四姓のうち唯一女性、県犬飼三千代に賜った姓なので、本当にレアですよね。
どういう動機だったのかは分かりませんが、父方の祖父が自分のルーツを探ったような遺品を相続しました。それによると、和歌山市の木工職人に行き着くところで終わっていました。住所も材木町。確かに自分の父方の親戚縁者を見ていると、職人気質の方が多いので妙に納得してしまいました。ちなみに祖父は、大阪で建具屋の長男(約10人兄弟?)として生を受け、両親が早逝したため建具屋をたたみ、写真館を開業しました。先の戦争で、そんな稼業もやっていられなくなり、松下電器の木製飛行機工場に勤めることとなり、終戦後もラジオのキャビネットの木工職人となり、定年まで勤めました。その後、心のこりだったのか、退職金で写真店を開業しました。1906年生まれで、93歳で風邪をこじらせ肺炎になり、まわりに迷惑もかけることなく、その生涯を終えました。
ちゃんとした家だと家系図残ってるよね
うちは三段菱の武家です
戸籍ってすごいですね
メジャーな苗字ではないけど激レアな苗字でもないから同じ苗字ってだけで親戚に思われるあるある
オイラは北島という名字のお陰で「北島三郎さんの親戚ですか?」
いやいや北島三郎は芸名で本名は大野さんだから・・・
お寺に、過去帳というものがあります。自分のお寺がいつ創建されたのかによりますが、長野県の酒蔵が4~5百年 本家 分家まとめた家系図テレビに協力してもらい作ってました。これは?
葛って40人しかいないらしいから
なんか嬉しい
新潟県の小さな町に住んでいますが、祖母のルーツが現在の静岡県磐田市の辺りに住んで普段は百姓をしている足軽だったようです。
慶応四年に信州の山を越え信濃川沿いに北上し祖母の実家のあった村に移住したと菩提寺に残っていました。
薩摩藩が東海道を通って江戸城を攻めるのを聞きつけて皆殺しになることを案じ一家を連れて山を越えたそうです。
清和源氏一門
苗字をさかのぼっても父方の祖先にしかつながりませんが、祖先には母方も存在します。父方母方両方の祖先は当然のことですが1世代さかのぼるごとに人数が2倍になります。計算すると1人の人間の先祖の数は室町時代までさかのぼると当時の人口より多くなるそうです。こうなると、すべての人が藤原氏どころか天皇とつながっている可能性が十分にあります。これでは天皇という身分さえ値打ちがなくなるので、あえて母親のDNAを無視して男系だけを血筋と考えるのだそうです。女性天皇や女系天皇に反対する人の根拠はここにあるそうです。
ある人の母の母の母とたどっていけば、天照大神に到達するという家系があれば別ですが、「女系天皇」は成り立ちません。女性天皇は徳川初期までは存在していますから、現行の「皇室典範」を改正すればすむ話です。
@@竜涎香-g9o 「女系をたどれば天照大神に到達するという家系」はあるかもしれませんが女系の系図はこれまで作られてこなかったので証明は不可能ですね。証明できないものはなかったのと同じ、と言うのが女系否定論者の立場のようです。ただ、それを言うなら天照大神の存在も証明できないと思うのですが、千数百年前に「天照大神はいる」という作文をした人がいればそれが証拠になる、という人もいるようです。
別コメに単純計算で30代さかのぼれば祖先の数は計算上10億人になる、とあります。
だから多くの人が藤原氏の血を引いてても不思議ではない、と。
うちは庄屋の可能性が高いと思ってます
何故ならば先祖が刀剣で有名な武家の洞田貫家に嫁いでおり、しかも“養女”として入ってる事が戸籍から判明しました
年貢を納めに行ったときに見初められたようです…
しかもふるさとから相当遠く離れた場所の武家に嫁いでおりびっくりしました
さぞかし本人も時代が時代ですので、女性ながらにそれこそ命をかけて嫁いだものと思っております
きっかけは元の屋敷を父が整理した際、黒の漆塗りに金で描かれた位牌がその子等の位牌と共に出てきたからです…
白露院釈尼妙子とかかれており、正真正銘の院もくの戒名でした
当時は武家か寺の建立や地域に絶大な貢献がなければ与えられない戒名です
口伝いに、里帰りの際は馬2頭に引かれた馬車で帰省していたと聞いておりました
養女という事は同じ武家ではないからであり、身分の違いにクッションを置くためによくなされた嫁ぎ方らしいです…
また、うちは明治維新以前から名前を持っており女中が2名いたことも明らかになってます
この事が嫁いだ後に名前と扶持?を頂いたのか、女中付きの家柄になったのかまでは判っておりません
なので今現在としては庄屋だったというのが自分のなかでは有力視してます
何を言いたいかというと、当時の先祖の意気込みなのです
命をかけた決心なんです…
自分が末の一人として、長男として受け継ぐ事が出来るのは、いざというときの潔さであると思ってます
命をかけた決心なのだと思ってます
戸籍調べたら曾祖父さんからしかありませんでした。
江戸時代は85パーが農民、工商あわせれば9割。そのうち何パーセントが苗字を持っていたのか?
明治になってから苗字を持った人も多いだろうし、現在その子孫はそのこと自体しらない。
それでここを見て、おれの先祖は藤原氏の流れをくむとか思うんだろうな。
日本に大勢いる佐藤さんはみんな藤原氏の子孫だから、もとをだどれば天皇家の遠縁じゃんか!!
そんなことありえない。
祖先を遡れば、計算上千年くらいで先祖が十億人くらいいるそうです。だから有り得なくもない。
家紋も関係有るのでしょうか❓️😅
この動画で苗字のルーツわからない。
父親が言っていた事なんですが(本気にしていなかった)、我家は『毛利家』の家臣だった。
ところが、パート先の男の子と休憩中に何故か先祖の話になった。私が「我家は『毛利家の家臣』だった」って、言ったら、「えっ!我家もだけど‼️」って、なった。「まさかぁ~~」と笑っていたら、後日図書館で借りた家紋の本に書かれていた。バイト君に伝えると、お母さんが借りに行き家族全員で読んだそうです。で、おじいちゃんが「彼女(私)とは、おそらく戦国時代には一緒に戦っていたはず‼️」だとか……
それ以来バイト君は私の事を『オバサン』と呼びますが、私は『おば様』と呼びなさいと注意していました。まぁ、私に頼み事なんですがある時には、おば様と呼んでましたけど……
おば様…
我が家は家系図があって江戸時代に横浜で高利貸しをしていたらしいです、時代劇だと悪役ですね。
母方のおじいちゃんは、平家の落武者で、母方のおばあちゃんの家系は、以仁王の乱で落ち延びた藤原家の流れだと聞いてて、おばあちゃんの方は、後に武田勝頼公の生母の諏訪御料人の侍女をやって地元では、それなりの家柄でちょっと聞いた時はびっくりしました。
両親が離婚した時に、気持ちを整理する為に戸籍を個人で分けたんだよね
なので僕の戸籍を掘っても僕以外に出てこない、そこから遡る方法はあるんでしょうかね
明治以降に庶民にも苗字を名乗れるようになった際に国民が好き勝手に名乗ったことで現在の大量の苗字が生まれた訳で…江戸以前からの名家でない限りは苗字なんてそこまで意味のあるものでは無いですよ。
人望があった役人さんを慕って、明治の初めに村中同じ苗字を付けた、
という逸話も別コメにありました。
自分の苗字珍しくて検索してもヒットしない…
草
結局昔から日本人てのは差別する民族だったて事だね、富裕層と貧困との
確かに一理ある。思いつくものだけで・・・こんな感じ?
藤田藤川藤野藤原藤井藤本藤山藤木藤森藤谷藤吉藤堂藤村藤沢・・・・・
伊藤斎藤佐藤後藤工藤須藤紀藤内藤安藤江藤・・・・・
皇族から離すのではなく、藤原氏の権力を恐れて降下させて親戚の臣下を増やしていきました
沖縄の苗字気になる
苗字がアンダーソンの私は関係なかったのね
佐藤や伊藤のように後ろに藤が付くのは藤原氏の子孫だけど、藤田や藤村のように前に付くのは藤原氏の
子孫じゃないと言われてるね。
家は源平藤橘の一つから派生した苗字だと言われているが、言われてるだけで証拠の文献とかが残ってないので怪しいもんである。
佐藤や鈴木が多いのは苗字つけましょうって手紙か何かの例えにあったから多いらしいですよ
先祖代々佐野辺りに住んでる佐藤さんは可能性高いと思うけど他は???です
鈴木 元々は捲簾 帝の簾を上げ下げする係が発祥。
江戸以前から苗字を持ってるが、家の宗派が臨済宗だったりお墓が武家の近くだと身分は高い(高かった)と思う。
戸籍って役所で申し込んだらすぐ見れるんですかね?
菩提寺があるから過去帳を調べてもらおうと親父が頼みに行ったら、
昔、火災で建物が焼失して、その時に記録が全部燃えたので判らない、と言われたみたいよ。
本当にそうなのか、調べるのが面倒くさくて坊主が適当に言い訳して逃げたのかは不明だ。 ま、現実はそんなもんだ
オイラ・・・菩提寺がどこかも知らない。
@@北島正隆-d5x
後は古い伝えとDNAと血液型で調べるしかないね。
私は六角氏を源流に持つようです。
でも結構多い苗字です(私の苗字がバレてしまうw)
会社に六角さんにはいたが四角とか五角とか八角さんには会った事が無い。居るのかな。
直系先祖の一人でも欠けてたら自分が存在しない。自分に子供がいるいないで2つの世界線がある。何とも言えない気持ちになる
あなたは二人といないが、上位互換は出回っています。
源平の戦いで平軍の藤原道重の藤原の分家です。
藤ではないけど🤭
家系図もあるし
日本の歴史!、水田稲作農業が深く関わっています。
西部劇のように勝手に名乗る事が出来ない社会!。氏姓制度も無縁ではなかったのですよ。
日本が中国韓国式の名字のつけ方だったらほとんどの人が藤原・源・平だったかもしれないね
日本人って苗字の種類が多すぎるよね。
未だに初めて見る苗字ってあるからね。
同じ読みでも漢字が違ったり、漢字が同じでも読みが違ったり厄介だね。
自分の生まれた地域は同じ苗字が多くて屋号で区別してたな。
中学の時同級生に「河野(かわの)」さんと「河野(こうの)」さんがいました。
オイラがキタジマだから50音順の出席番号で並べると
河野 北島 河野 になるという・・・・・
物部氏はどこに行ったんでしょう。
物部氏の子孫の名前も知りたいです。
物部氏は岡山の暴力団の組長ww
秋田の唐松神社の宮司さん一族が、秋田物部氏ってNHKの歴史発見だったかで聞いたことが有るわ。
@@梅原弘子-x8s さま
ありがとうございます😊
調べたら、神仏分離の際〜に物部氏とありました。
御祭神も気になる神様ばかりでした。物部一族は東北に追われたのかも?と思いました。
貴重な情報ありがとうございます✨
服部だけど絶対忍者ではないと思ってます。運動神経全然ないんでw