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長浜から敦賀まで乗ったことがありますが、さすが元特急用、すばらしい乗り心地でした。
僕も一度は乗ってみたかったです...
@@たこじま-h3n同感
20年位前、青春18きっぷで長岡から大阪に帰るのに、北陸本線経由で帰りましたが、それまで乗ってきた普通列車の中でこれがダントツで乗り心地が良かったのと、車内の天井が低く、食パンの様なぶつ切り状態の頭なのもあって、大変印象に残っています。
最初に乗った区間は直江津駅(信越と北陸本線境界)から富山(高山;氷見方面連絡)へ
583系は同じ電車特急である485系や、寝台客車と比較しても車内がとても静かな車両だったのですが、419系は真逆で凄く迫力あるモーター音を聞かせてくれる車両になっていましたね。583系が好きだった私としては、近郊型車両として雑に改造された419系/715系は許せない存在…と言いたいところなのですが、これはこれで大好きだったりします。食パンと揶揄された切妻型よりクハネ581ベースの丸妻型の方が、やっぱり好きですが。
この動画で初めて食パン電車419系の両方食パン顔の編成がいたのを。編成イメージが元の頭と食パン片方ずつになってるのを想像してました。貴重な映像素晴らしいです!
この得体の知れない見た目が良い!乗ってみたかったな…
白にブルーライン。年季が入っている感じもかっこよく感じる人もいるでしょうね。個人的には、トンネルから出てくるところの雪が舞い散る中の列車の動きになんとも言えない趣があります。
中学校が冬だけ電車通学だったので乗っていました。1年の頃はこの車でしたが中2の時にはもう現在の車両にかわっていたような?とても懐かしい気持ちになれました。ありがとうございます。
5:47 2列車の白のラインが完全に一致してるタウントレインにはお世話になりました。夜になると、あのモーター音が数キロ離れた僕の部屋にもよく聞こえました。
登場当初はワインレッドに白帯(正確にはクリーム1号)で登場しましたが、1988年からは白地青帯の2代目塗装に変更が始まり、以後も413系や475系に受け継がれました。さらに1991年9月からは湖西線近江塩津~近江今津間にも乗り入れるようになり、当該区間にも往年の貫禄が戻ってきました(但し方向幕への「近江今津」コマは1993年3月改正で追加、それまでは「普通」で代用)。
米原か長浜で419に乗換ると、北陸に戻ってきたなぁ感があった
あの特急顔の貫通扉を完全にきれいに埋め込んだ版があったとは…昔、青春18きっぷで富山からムーンライトえちご乗り継ぎで長岡方面に行くときに直江津まで乗ったことがあるけど快適だったな。寝台を仕舞い込んだ荷物置き場が大きくて圧迫感あって通路との高さに違いに驚いたのと車内が暗めなのが印象的だった。元の583系にはついぞ乗ることが出来なかったんで貴重な経験でした。
学生時代に米原~長浜間で乗る事がありましたが、やっぱり元特急用だったんですね。カーテンが付いてたり乗り心地も良くて、また今の電車にはない雰囲気がありとても良かったです。彦根から向かってましたがこれに乗ると、ああ雪国に来たなーって感じでしたね。やはりとは思いましたがもう走ってないと思うと寂しい気持ちにさせられます。。。
懐かしい。当時、安曇川、長浜、彦根に住んだ事が有ります。419系何度も乗りました。
583系特急はつかり時代は冷凍庫のような冬の東北本線の屋台骨を背負った列車でした。北陸本線の419系は列車が近づくと何がしか老朽化がうかがえますが、日本海の冬風を浴びながら北陸本線の近郊型の屋台骨を背負いました。 MT54はその後185系でも抜群の信頼性を発揮し、関東地方の屋台骨を背負いました。
自分は学生時代、通学で乗ってました。ラッシュ時だと、満員で乗り降りが大変だった思い出があります。天井が高く、満員とのギャップが不思議な空間でした。懐かしい思い出です。
419系電車、別名=食パン電車、懐かしいですね。583系の改造で折り戸、出入口と車内が狭くて旅行カバンだと車内移動に苦労した記憶があります。湖西線永原~近江塩津、北陸本線長浜~敦賀間の直流化前は滋賀県まで顔を出していました。直流化後は敦賀までとなり521系登場後は金沢~直江津に短縮、その後は車両置き換えが進みました。419系は北陸本線の顔とも言えます。
子供の時の記憶で、ボックスシートがやたらと広すぎで、クッションが快適だったのを覚えています。富山の方に切妻顔が1両現存している事を知りましたが、両端非対称顔で3両1編成だけでも残ってほしかったです。
さすが583系のシート!って感じの快適さでしたよね😊 伏木のリサイクル工場に置かれていた車両は撤去されましたよ😢
モーター音良いですね✨
非鉄の人からも違和感を感じられた419系、改造時にせめて車体新造にしなかったのかと思うほど不思議な構造でしたね。
借金が雪だるま式に膨らんでいた国鉄には、車体を作る金さえありませんでした。旧型客車列車を置き換えられただけでも、国鉄には大きな収穫だったと思います。
413系は急行型から新造車体に交換こそしましたが、クハ455の2両だけはサハ455からの先頭車化改造に留まりましたもんね😅
583系昼間は「雷鳥」夜間は「寝台急行きたぐに」「シュープル号白馬栂池」妻面の形から食パン🍞電車と呼ばれています!
懐かしい〜学生時代、テスト期間中とか昼間に帰る時しか乗らなかったなぁ朝と夕方は415系か475系が多かった
子供の頃は食パン電車のパンの耳がある方、無い方と読んでました垂直に切られてる分ボックスが1つ多かったり見るのと乗るのでは好きな形が異なる電車でした
福井発直江津行きに乗って芦原温泉で降りる人だった。そろそろ国鉄型が北陸線から完全に消えるとなるとなんかくるね
前後共に食パン仕様の編成もあるのですね。
食パンマン!!新しい顔だよ~
あぁ、食パンマン様~💦 最後にもう一回だけ乗ろうと思った矢先にいなくなりましたね(泣)
独特のものがありましたね。乗った当時は何も知識なし。妙な顔で車内も何か変。シロウト目にも元寝台ではというのは分かりました。主に小松←→金沢間で利用。見た目などはともかく、乗り心地は重厚で快適でした。タウンシャトルとか付いていたような。間違っていたらごめんなさい。今は宮崎に戻っています。
ワイパーがバイバイってしてるみたい
一度だけ乗ったけど楽しかったな。天井は高く、乗り心地も良くて。これがないと北陸って感じが今だにしないなぁ。
このフラット率の高さよ
0:50 溢れ出る583系
居住性は客車時代と比較して一段とよくなったものの、幅がわずか約700㎜しかない折戸式の側扉では、車いす利用者には不向きだったようです。それに対して419系よりも2年早く登場した交流専用の715系は改造後わずか15年という短命に終わりました(419系は1985年登場。先程の715系よりもさらに11年生き延び、最終的には26年も働いてくれました)。
最後の冬に乗りに行きました。確か3月2日。その一週間後に震災にあいました。糸魚川の駅弁の揚げ物にソースが付いていたのを覚えています。糸魚川って西日本なんですね。
北陸本線、最高だった
直江津から乗車したことあります。
当時滋賀県の湖北、湖西に住んでいました。近江塩津経由で何度も乗車しました。( ´∀` )北陸線鈍行と言えばこの食パン電車でした。重厚な走りとモーター音で存在感がありました。
419系に乗った時上段中段ベッドがありました。もう寝台が出ることないので。せつなくなりました
がんばれ!419系!
大阪京都から湖西線で金沢方面に乗ると近江今津あたりでコイツが顔を出し始めて別世界に来たな―って感じがした415系はほぼ113系列で雰囲気無いし今の521系も223系以降と同じ感じで雰囲気皆無!
急行きたぐに号の道中、深夜の福井駅で真向かいにいたのは419系😂乗ってみたかったなぁ
自分は引退した後車庫でおるのを見たきり。 乗りたかったなぁ。
北陸いえば419系だった。引退する前に乗れた印象ある車両です。
ΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛ 0:13 1:16 2:17>食パン🍞爆走< 2:43 2:54 3:10 ^)VVVVVV(^ 3:18 4:06 4:515:03 6:12
思えばMT54の爆音を聞けなくなって「鉄」から足を洗ったのかもしれない。
関西は113系や117系といった普通の国鉄近郊電車が10両超える編成なんて皆無だったけど 関東じゃ15両?とか 長い編成が走っててウオーンウオーンウオーンウオーン-------ガタガタ(サロ)ウオーンウオーンウオーンーーーーどんだけ続くんだよ!って思ってたよ
凄いフラット音
一生懸命頑張ったのに魔改造とか言われて可哀そう・・・
寒冷地なのに折戸式とは驚いた。凍って動かなくなる事が多いらしいが。
なつかしーー
これで北陸トンネル通っている時は真横の人の声が聞き取れないくらいうるさかった
食パンは昼間でも車内が暗く、運転中は話し声が聞こえない程うるさかったです
鉄道PVに使っていいですか?
ここってもしや南今庄の踏切ですか?
食パンは永遠に不滅です。😢
6:00 まさに食パン3斤
種車の方が6年近く長生きしたって言う…
クハ419-1が消えたと聞いて
最後まで残っていたクハのトップナンバーですね。伏木の日総に長らく放置状態でしたが、最近スクラップになりました。
食パンマンにして走らせて欲しい😋
モーターなんか無理してそう
長浜から敦賀まで乗ったことがありますが、さすが元特急用、すばらしい乗り心地でした。
僕も一度は乗ってみたかったです...
@@たこじま-h3n同感
20年位前、青春18きっぷで長岡から大阪に帰るのに、北陸本線経由で帰りましたが、それまで乗ってきた普通列車の中でこれがダントツで乗り心地が良かったのと、車内の天井が低く、食パンの様なぶつ切り状態の頭なのもあって、大変印象に残っています。
最初に乗った区間は直江津駅(信越と北陸本線境界)から富山(高山;氷見方面連絡)へ
583系は同じ電車特急である485系や、寝台客車と比較しても車内がとても静かな車両だったのですが、419系は真逆で凄く迫力あるモーター音を聞かせてくれる車両になっていましたね。
583系が好きだった私としては、近郊型車両として雑に改造された419系/715系は許せない存在…と言いたいところなのですが、これはこれで大好きだったりします。
食パンと揶揄された切妻型よりクハネ581ベースの丸妻型の方が、やっぱり好きですが。
この動画で初めて食パン電車419系の両方食パン顔の編成がいたのを。
編成イメージが元の頭と食パン片方ずつになってるのを想像してました。
貴重な映像素晴らしいです!
この得体の知れない見た目が良い!
乗ってみたかったな…
白にブルーライン。年季が入っている感じもかっこよく感じる人もいるでしょうね。個人的には、トンネルから出てくるところの雪が舞い散る中の列車の動きになんとも言えない趣があります。
中学校が冬だけ電車通学だったので乗っていました。1年の頃はこの車でしたが中2の時にはもう現在の車両にかわっていたような?とても懐かしい気持ちになれました。ありがとうございます。
5:47 2列車の白のラインが完全に一致してる
タウントレインにはお世話になりました。
夜になると、あのモーター音が数キロ離れた僕の部屋にもよく聞こえました。
登場当初はワインレッドに白帯(正確にはクリーム1号)で登場しましたが、1988年からは白地青帯の2代目塗装に変更が始まり、以後も413系や475系に受け継がれました。
さらに1991年9月からは湖西線近江塩津~近江今津間にも乗り入れるようになり、当該区間にも往年の貫禄が戻ってきました(但し方向幕への「近江今津」コマは1993年3月改正で追加、それまでは「普通」で代用)。
米原か長浜で419に乗換ると、北陸に戻ってきたなぁ感があった
あの特急顔の貫通扉を完全にきれいに埋め込んだ版があったとは…昔、青春18きっぷで富山からムーンライトえちご乗り継ぎで長岡方面に行くときに直江津まで乗ったことがあるけど快適だったな。寝台を仕舞い込んだ荷物置き場が大きくて圧迫感あって通路との高さに違いに驚いたのと車内が暗めなのが印象的だった。元の583系にはついぞ乗ることが出来なかったんで貴重な経験でした。
学生時代に米原~長浜間で乗る事がありましたが、やっぱり元特急用だったんですね。
カーテンが付いてたり乗り心地も良くて、また今の電車にはない雰囲気がありとても良かったです。
彦根から向かってましたがこれに乗ると、ああ雪国に来たなーって感じでしたね。
やはりとは思いましたがもう走ってないと思うと寂しい気持ちにさせられます。。。
懐かしい。当時、安曇川、長浜、彦根に住んだ事が有ります。419系何度も乗りました。
583系特急はつかり時代は冷凍庫のような冬の東北本線の屋台骨を背負った列車でした。北陸本線の419系は列車が近づくと何がしか老朽化がうかがえますが、日本海の冬風を浴びながら北陸本線の近郊型の屋台骨を背負いました。
MT54はその後185系でも抜群の信頼性を発揮し、関東地方の屋台骨を背負いました。
自分は学生時代、通学で乗ってました。
ラッシュ時だと、満員で乗り降りが大変だった思い出があります。
天井が高く、満員とのギャップが不思議な空間でした。
懐かしい思い出です。
419系電車、別名=食パン電車、懐かしいですね。
583系の改造で折り戸、出入口と車内が狭くて旅行カバンだと車内移動に苦労した記憶があります。
湖西線永原~近江塩津、北陸本線長浜~敦賀間の直流化前は滋賀県まで顔を出していました。
直流化後は敦賀までとなり521系登場後は金沢~直江津に短縮、その後は車両置き換えが進みました。
419系は北陸本線の顔とも言えます。
子供の時の記憶で、ボックスシートがやたらと広すぎで、クッションが快適だったのを覚えています。
富山の方に切妻顔が1両現存している事を知りましたが、両端非対称顔で3両1編成だけでも残ってほしかったです。
さすが583系のシート!って感じの快適さでしたよね😊
伏木のリサイクル工場に置かれていた車両は撤去されましたよ😢
モーター音良いですね✨
非鉄の人からも違和感を感じられた419系、改造時にせめて車体新造にしなかったのかと思うほど不思議な構造でしたね。
借金が雪だるま式に膨らんでいた国鉄には、車体を作る金さえありませんでした。
旧型客車列車を置き換えられただけでも、国鉄には大きな収穫だったと思います。
413系は急行型から新造車体に交換こそしましたが、クハ455の2両だけはサハ455からの先頭車化改造に留まりましたもんね😅
583系
昼間は「雷鳥」
夜間は「寝台急行きたぐに」「シュープル号白馬栂池」
妻面の形から食パン🍞電車と呼ばれています!
懐かしい〜
学生時代、テスト期間中とか昼間に帰る時しか乗らなかったなぁ
朝と夕方は415系か475系が多かった
子供の頃は食パン電車のパンの耳がある方、無い方と読んでました
垂直に切られてる分ボックスが1つ多かったり見るのと乗るのでは好きな形が異なる電車でした
福井発直江津行きに乗って芦原温泉で降りる人だった。そろそろ国鉄型が北陸線から完全に消えるとなるとなんかくるね
前後共に食パン仕様の編成もあるのですね。
食パンマン!!新しい顔だよ~
あぁ、食パンマン様~💦 最後にもう一回だけ乗ろうと思った矢先にいなくなりましたね(泣)
独特のものがありましたね。
乗った当時は何も知識なし。
妙な顔で車内も何か変。
シロウト目にも元寝台ではというのは分かりました。
主に小松←→金沢間で利用。
見た目などはともかく、
乗り心地は重厚で快適でした。
タウンシャトルとか付いていたような。
間違っていたらごめんなさい。
今は宮崎に戻っています。
ワイパーがバイバイってしてるみたい
一度だけ乗ったけど楽しかったな。天井は高く、乗り心地も良くて。これがないと北陸って感じが今だにしないなぁ。
このフラット率の高さよ
0:50 溢れ出る583系
居住性は客車時代と比較して一段とよくなったものの、幅がわずか約700㎜しかない折戸式の側扉では、車いす利用者には不向きだったようです。それに対して419系よりも2年早く登場した交流専用の715系は改造後わずか15年という短命に終わりました(419系は1985年登場。先程の715系よりもさらに11年生き延び、最終的には26年も働いてくれました)。
最後の冬に乗りに行きました。確か3月2日。その一週間後に震災にあいました。
糸魚川の駅弁の揚げ物にソースが付いていたのを覚えています。糸魚川って西日本なんですね。
北陸本線、最高だった
直江津から乗車したことあります。
当時滋賀県の湖北、湖西に住んでいました。近江塩津経由で何度も乗車しました。( ´∀` )北陸線鈍行と言えばこの食パン電車でした。重厚な走りとモーター音で存在感がありました。
419系に乗った時上段中段ベッドがありました。もう寝台が出ることないので。せつなくなりました
がんばれ!419系!
大阪京都から湖西線で金沢方面に乗ると
近江今津あたりでコイツが顔を出し始めて
別世界に来たな―って感じがした
415系はほぼ113系列で雰囲気無いし
今の521系も223系以降と同じ感じで雰囲気皆無!
急行きたぐに号の道中、深夜の福井駅で真向かいにいたのは419系😂
乗ってみたかったなぁ
自分は引退した後車庫でおるのを見たきり。 乗りたかったなぁ。
北陸いえば419系だった。引退する前に乗れた印象ある車両です。
ΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛ 0:13 1:16 2:17
>食パン🍞爆走< 2:43 2:54 3:10
^)VVVVVV(^ 3:18 4:06 4:51
5:03 6:12
思えばMT54の爆音を聞けなくなって「鉄」から足を洗ったのかもしれない。
関西は113系や117系といった普通の国鉄近郊電車が10両超える編成なんて
皆無だったけど 関東じゃ15両?とか 長い編成が走ってて
ウオーンウオーンウオーンウオーン-------ガタガタ(サロ)ウオーンウオーンウオーンーーーー
どんだけ続くんだよ!って思ってたよ
凄いフラット音
一生懸命頑張ったのに魔改造とか言われて可哀そう・・・
寒冷地なのに折戸式とは驚いた。凍って動かなくなる事が多いらしいが。
なつかしーー
これで北陸トンネル通っている時は真横の人の声が聞き取れないくらいうるさかった
食パンは昼間でも車内が暗く、運転中は話し声が聞こえない程うるさかったです
鉄道PVに使っていいですか?
ここってもしや南今庄の踏切ですか?
食パンは永遠に不滅です。😢
6:00 まさに食パン3斤
種車の方が6年近く長生きしたって言う…
クハ419-1が消えたと聞いて
最後まで残っていたクハのトップナンバーですね。伏木の日総に長らく放置状態でしたが、最近スクラップになりました。
食パンマンにして走らせて欲しい😋
モーターなんか無理してそう