【歴史解説】奥羽列藩同盟の真の目的とは?明治政府に対抗する新体制!【MONONOFU物語】

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 3 дек 2024

Комментарии • 11

  • @jugularjack
    @jugularjack Месяц назад +1

    当時は仙台藩や会津藩の力が強く、新政府側についた時点で攻撃される可能性もあるので、なくなく同盟に入った藩もありましたからねぇ。
    久保田藩や三春藩がそのいい例で、本当の意味で団結はしてなかったという。

  • @松本悠佐
    @松本悠佐 4 месяца назад +3

    民主党の連立政権と同じで最初から足並みが揃っていない気がします。秋田藩は早くから離脱…三春藩は友軍に後ろから発砲 中村藩は開城し新政府軍に献金…。列藩同盟の前に銃やガトリング砲の購入等、武器を充実させておくべきでした。

  • @決して私に構わないで下さい
    @決して私に構わないで下さい 4 месяца назад +2

    なぜ会津藩はガトリング砲を導入できなかったのだろう

    • @ませあきたつ
      @ませあきたつ 3 дня назад +2

      西南諸藩と違って、西欧の近代文明に触れる機会が無かった事や、朱子学の影響があったのだろう。

  • @卢俊丞-e2m
    @卢俊丞-e2m 4 месяца назад +2

    奥羽列藩同盟は正義ですか、其れとも明治政府が正義ですか?

  • @hana_no_wemahi
    @hana_no_wemahi 4 месяца назад +5

    新政府側に立った弘前藩と久保田藩その他には触れないんですね。東北諸藩はすべて集結も団結もしてませんよ。敗れるのは必然です。美化してはいけません。

    • @455jj3
      @455jj3 4 месяца назад +1

      久保田(佐竹)の殿様が相馬家の弟か兄だったな

    • @ませあきたつ
      @ませあきたつ 3 дня назад

      弘前藩は南部藩とは「犬猿の仲」だったし、久保田藩は平田篤胤の国学思想の影響があった。