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遭難者の高校卒業者です。ここの高校にはまだ山岳部があり自分も所属していました。入部してからこの遭難事故を知り、とても衝撃でした。また1年に1回は山岳部で慰霊登山を行っており、自分が入部していたのは9年ほど前にもなりますが自分も参加したことがあります。その時引率していた副校長の「迷ったらわかる道、もしくは頂上まで引き返す。戻る勇気も必要だ」という言葉を今でも覚えています。
遭難者の高校出身です。旧制中学からある高校なので、卒業生が教師として赴任してきて数人は居るような高校です。我々の時代の在学生は授業の途中で一つの話題として必ずと言っていいほどこの遭難事故について聞かされた思って良いでしょう。10年ほど前に地元NHKがこの遭難事故を再現ドラマと遭難した親御さんのインタビューを交えた番組が在りました。捜索には地元山岳会や岩木山周辺の消防団のご苦労が有った様です。番組の最後で親御さんの言葉で「山は憎いと思えないんだ。津軽の人には大切な山なんだから…」と捜索に於いての地元の方々の懸命さに心打たれた感のあるインタビューで終わった番組でした。
初めて冬山登山を志す人は、学校のグランドでもいいから「一週間準備した物資だけで冬季生活してみる」経験した方が良いんじゃないかね…絶対遭難しない状況で、過酷な状態の経験積むの有益な気がする
その通りかもしれないけど、下手に天候に恵まれたり順調だったりすると油断する原因になったりするからこわい。山登りは重荷を負うて遠き道を行くがごとし…失敗の仕方も人生によく似ている
ためになる解説と考察、面白かったですキャラの元ネタを知らずこのチャンネルでしか見る機会がなかったので、別のところで初めてこーりん見た時「あ、よく遭難する人だ」と思ってしまいました
わかるww
思うこと……。専門家とも言える山岳関係者の提案を無視して救助隊が自分たちの方針押し通しちゃったのが原因のひとつな気がするなぁ。たらればではあるけど、それならこーりんとかは助かった可能性が少しは上がっただろうし。
動画アップありがとうございます。冬山未経験の子供達だけでの登山は、あまりにも危険だったように思います。
現代の常識に照らすと高校生だけでの冬山登山は無謀ですね。ただ当時は、少なくはなってきたとはいえ、中卒で社会に出る人もそれなりの数がおり高校生はもう大人」のいう認識があったためなんともいえませんね。
同感ですが高校生だけで入山出来た、😭四人の死を無駄にしない様に指導、教育、規制、等をお願い🙏。
ここの霊夢の語り口調は優しくて亡くなった方たちへの同情が伝わってきますね
山好きの人は止められないんだろうけど、夏山登山でも危険なので、冬山登山なんて命懸けだと思ってます。天候悪化時点で引き返す勇気が必要ですね。
装備が現代と違いますし今と比較するのは難しいですね。ただ吹雪で方位が分からず、且つ相当の時間を費やしてもベースにつかない状況なら、登り返すか装備があるなら滞留するのが定石だとは思います。もしかしたらブリーフィングの時には疲労と低体温で正常な判断ができなくなっていた可能性もあると思います。
1964年ですよね。登山の装備は今よりももっと高額かつ入手が容易ではなかったことでしょう。亡くなった私の父が使っていた昔の夏山の登山道具が物置にあったのですが、どれも重量がありました。リュックは布製。大学の先輩からのいただきものもありました。(名前入り)冬山の装備なんて、高校生では金額的に手が出なかったし、体力を考えても装備出来なかったと考えます。遭難する山ではないと地元警察でさえ考えていたようですし。せめて、経験ある大人にアドバイスを求めていればこんなことにはならなかったでしょうに。
山岳ガイドのアドバイス聞かんかったところに当時の警察のプライドの高さがあったんだろうな、
意外と低山や登りやすい山の方が危険だったりします。高山や難易度の高い山だと、登る側にも技量と経験を要求されるし万全の装備と計画を整えた上で挑戦しますが手軽に登れる山だと、文字通りの手軽な服装・装備で行って想定外の事態に見舞われた時に‥。
今のような高機能な軽量ウェアもビバーク装備もない頃だしなあ…
今日も動画を投稿して下さりありがとうございます極限状態だと基本的なことすら実行できなくなってしまうんですね遭難したら上に登るということを肝に銘じておきます。
1人だけ残る勇気を持てるってすごい
唯一の下級生である輝夜を暖めようとするかのようにして亡くなったリーダーも、あと1歩の所で力尽きて亡くなってしまったこーりんも「私が下山を強行したから…」や「俺が遅刻をして計画に狂いが出たから…」など、自責の念に駆られていたのだろうかと想像すると…痛ましさで非難など出来ない…😢
当時の田舎暮らしなら家の裏山とか山にはある程度慣れていたと思えるのと、雪で濡れる(汚れる)事が危ない事は判っていたとは思いますが、当時の高校生ともなれば自立し始める頃なのと、今とは違う環境からこうした活動に大人が介入するという事は最小限だったでしょうね、また、今の様な情報が簡単に入らない時代でもあるので自分で何とかしなくてはならない時代でもあった様に思えますね。
山登りに遅刻はあり得ない。
下山中に道に迷ったら山頂を目指すのが常識です。この時代はその常識が広まってなかったのかもしれませんが、今これを見てる人は同じ境遇に遭った時に生き残るため絶対覚えていて下さい。
@@バターズ-o5e 少なくとも降りるのは悪手だぞ降りて行ったらその後は登れなくなるだけだからなあとくだりは濡れやすいし体温も奪われるし、なにより見つけてもらえないなにがなんでも山頂目指すのがいいよ
登山趣味とかはないけどこれホント怖い。自分が遭難した時知識として登れってのはわかってても帰りたい怖いってなってる中また登れる気がしないわ。
私は下山する登り続ける方が危ないからそれか途中の山小屋に入って救助を待つ
@@arashikinnshiもし遭難したら下がるのは本当にだめ。避難できるような小屋が見つからないから遭難しているのであって、そんな簡単に小屋が見つかるほど運は良くない。捜索隊の捜索もヘリからなら頂上付近の方が分かりやすい。現在位置の不明な時に下手に下山すると沢や谷に落ちたりする。絶対に頂上を目指してください。
@@arashikinnshiこの選択で将来死んだら笑えねえな
頂上から、全方向への捜索がなされていれば、結果は変わったのかも知れませんね。トップの能力が全てをきめてしまいますね。どこも一緒か・・・。辛い。
遭難を予期せず捜索の為の装備も準備していなかった警察が、捜索に際して何故地元山岳家の意見を無視したのか。山岳家の意見を聞き入れて捜索していれば4人も犠牲者は出なかったのではないだろうかと思ってしまう。
避難小屋は遭難事故で複数人亡くなったエリアに作られるので当時は山頂には無かったと思います。
資料などが充分ではないであろう事故でも、推測がすごくしっくり来るもの(今回の「待ち合わせそのものではなく交通機関の影響で3時間遅れたのでは?」)で、作成者さんの視点の多さも勉強になります。これからも楽しみにしています。
山登る人が山登って死ぬなら、それは本望なんじゃないの。
@@タカクラ-r1h 死ぬのが本望の奴がいるわけないだろ少しは頭使って書き込め
@@タカクラ-r1h んな訳ねえだろ
岩木山が見える範囲に住んでいたが、このような事故があったのは知らなかった・・・。被害者のご冥福を祈ります。
登山には縁が無いけどやっぱここのチャンネルを観てると怖いと思ってしまう。
17:02悲しすぎる。良い仲間だったんだろう…お悔やみ申し上げます。
父が登山が好きな人で、英国資本のエネルギー会社で勤務していたが、1980年代当時日本の山は勿論、アイガー等にも登山経験がある人だった。自分の小学校で保護者同伴の乗鞍岳登山の夏季学校があったが、父は完全アルパインスタイルだったし、俺も同様にその年の春からゴローの登山靴を履かされ普段から履き慣らされ、当日はガチガチな登山家スタイルだった。友達やその親からは大いに笑われたが、今考えるとそれで良かった気がする。雨が降るとツェルトで凌げたし、コンデンスミルクをチューチュー飲む事で体力も然程奪われなかった。擦り傷一つなく無事下山した時は、友人達や先生が座り込んでる中、俺と父は山をのんびり眺める事が出来た。
東京都心から1時間程で行ける高尾山でも、年間100件程度の遭難事故と、年間5件程度の死亡事故が起きているそうです。ましてや冬山ともなれば・・・。
チャリ(徒歩)で行ける程度には近所に住んでいたけど、あそこは600mくらいしかなくて舗装された道を歩けば、なんてことのないハイキングコースだけど、もちろん舗装なんてされていない山越えしている様な険しいコースはあるし、かなり広い。舗装コースから見下ろした先(麓の山中に入る道路が山頂から見えるがその逆側、つまり奥方向)は木々が視界の限りずーっと続いている森の中で、あの中に迷い込んだら遭難してもおかしくないなと思ったりしましたね。あそこは山が連なっているので、手前側はまだしも奥にずっと木々が広がってる感じです。
山で迷ったら上に行った方が救助隊に見つけてもらいやすいという話を聞いたことがありますねとはいえ吹雪の中では、上に行っても下に行ってもその場に留まっても、そうなった時点で既に手遅れというかどう動いてもかなり危険ですよね…
あさま山荘事件前だから、山中には随所に小屋掛けが有ったんじゃないかなぁ?昔は山ってあっちこっちに低いトタン屋根のちっさい小屋が有って少量の薪と囲炉裏状の焚き場が有ったりしたんだけどなぁ。あさま山荘事件を起こした連中がそう言った小屋掛けを利用していた事が判ってどんどん破棄撤去されて今はほとんど無くなってるけどね。
ほんまに迷惑ですね。そのような簡易な小屋でも、火さえたけば露天よりはるかに暖かいでしょうね。非常時ならあえて中でテント張ってもいいし。なにかと山仕事をする人が休憩するのにも使えるでしょうし。それを本来の使い方をしないやつらのせいでとんでもないことに。
たかはしの生命力が凄すぎるそしてえーりんが生きていた事が辛すぎる
東方projectの原作、2次創作ファンというだけで観てるけど、普通に面白いし登山に興味なくても再生してしまう。ゆっくりの魔力。
悪天候が何日も続くというのがとてもえげつない
これ、捜索開始の段階で警察が山岳関係者の「全方位捜索」という提案を無視しなかったら、どうなっていたのかね?。
こーりんなら助かったかもね
地元だから親しみのある山だけど、そんな事故が起こってたなんて知らなかったな…。
ここは実家近くの山なので夏場は結構登った事がありますが、低いとはいえ冬場となると厳しいでしょうね。西目屋方面にあるスカイラインの九十九折りも、バイクにとっちゃ地味にキツかったりします。
冬山でも天候が良ければルンルンで登れるんだよな…でも崩れると…
リーダーが後輩を抱き寄せてる状態で発見ってとこが泣けるきっとリーダーは凍えながら「こんなことになってゴメンね。今、暖めるから」と命尽きるその時まで後輩を寒さから守ろうとしてたんだろうな
セリフを創作すな
@@user-onetrue いちいち水差すなw
泣いてしまう😭
全方位で探してたら結果は変わってたかもしれないのにな……せめて冬山で火を点ける術が分かってたら……
4日?生き残るのすごいな
割と近隣の金剛山みたいな山でも、ルートによってはすごい険しいとこもあるからな。
これは、2対2となったの後の判断で下山を選び、多数決で下山を選ぶように成ってしまったリーダーは死んでも死にきれないくらい悔しかったのかもしれない。自分のせいだと悔やんで、残った1人を最後まで守ろうとしたのかもしれない。
夏で片道4,5時間は厳しい山です緯度が高くなるほど難易度も上がります(秋冬春)低体温症になると正常な思考が出来なくなりますあと迷子になったら山頂に向かうが鉄則です沢沿いに下るのは危険です
ホントに辛く悲しかっただろうなぁ…😢
64年って白黒じゃないテレビを重宝してた頃だし雪山登山装備の情報も部内の聞き伝、ネットで炎上する事もないから捜索する警察も頭固そーなイメージ今は本当に恵まれてるな
ワイプで実際の小屋や目印の岩の写真が出るので分かり易いです。山の標高図見たいのもリアルでナイス😉
「空と山のあいだ」って本になってる遭難事故のことかなぁ。前に読んだことあるけど、この動画見て思い出した。
マッチを握りしめて冷たくなってるとか悲しすぎる;;
ついマッチ売りの少女を思い出してしまいました。
エモいっすねえ!
目を開けて動かなくなってたのに最後は後輩を抱くようにしてその姿って、、(T_T)
岩手山夏山登山で凍死というのが、あったな・・・・
そこまで予定と遅れたらもうやめとけっていう虫の知らせなんだよなぁ…。
今の高校生の感覚だと違和感がある。60年代の高校生なら今の大学生ぐらいの意識はあったかもしれない。だがいかんせん、当時の装備では彼らを救うことは出来なかったのだろう。その後も起きる数々の事故の結果、今に至るわけで彼等の尊い犠牲に感謝しよう。
4人もの死者がでてしまったのは悲しいことだけれどこの頃の高校生はすごいしっかりしてるんだなぁ。 命のかかった選択をする度胸もすごい。(せざるを得ないとはいえ)
捜索隊が地元山岳関係者の意見聞いてれば救えたかも・・・。
素人考えだけど警察は装備も準備もノウハウも不足している状態だろうから二次被害を考えると登山関係者の提案に乗るのがむずかしかったんじゃないかと思う。
身も蓋もないことを言えば「自己責任」なんだけどな。そもそもなんで警察が、冬山に死にに行ったやつのために金と時間を使う必要がある?と言われたらどうしようもない。
こんな遭難事故があったとは・・・冬山に対する備えがほとんどできてなかったのが原因だったようですね。ツェルトが一つ、そして忘れ物をした人までいる状況とは・・・それでも若さを考えるとそれを責めるわけにもという哀しい状況。それでも数日間生存できたということは、環境的にはやはり「難度の低い山」という事ではあったのでしょう。まだまだ登山に関する知識や装備の開発が進んでいない時代、現代の緊急避難用の装備や着火器具があれば話は違ったかもしれませんね。
この事故、再現ドラマで見ましたそのドラマでは、提督は仲違いで登る気はなかったけど説得されて途中までと言うことで参加したのだったような気がします死んだと思ってた一人が小枝を握っていたと言う話を聞いて色々考えてしまいました
地元だから雪洞訓練とか寒さに備える準備をしていたと思うのだが必要な道具が無ければどうにもならない。ワンチャン頂上に戻って救助を待つ方が可能性があったかも知れないが結果論。ご冥福を祈ると同時に、山を愛する人たちには山を無事に下りて欲しいと思っている人が後ろに居ることを忘れないで欲しい。
いつも思うけど、登山する人たちってどうやって冬山の練習してるんだろう慣れてないと厳しいとはいうけど誰にでも初めての時期は必ず存在するわけで…やっぱり今回みたいな難易度の低い山でかつ確実に天気の良い日しか行かないような感じなのかな、もしくは頂上までは行かないで途中までの経験を繰り返すとか?
経験しかないですね。。あとは経験者と同行し情報集め。私は急な悪天候に出くわしたことはないですが、危ないと思ったらは当然としてスケジュールが狂ったら帰るようにしてます。地面で滑って滑落しそうになったり、少し道を外れて迷いかけたことがあります。。時期問わず命懸けです。
@@dropanjyu5070 経験者と一緒に登れると心強いですね…!1人で経験積もうと思ったらやはり心配性すぎない?って言われるくらいには慎重にならないと危ないですよね……体調も天候も全ての状況が良くて頂上まで行けたら運がよかった、というレベルで
自分の場合は、冬山登山入門の書籍を漁り、ネットで情報を集め、難度の低い冬山(厳冬期の上高地とか)のスノートレッキングから始め、装備を揃えて少しずつ難度を上げていきました。厳冬期の冬山登山は単独では限界があり、冬季営業の山小屋があるエリア(西穂高、南八ヶ岳)以外へ行くのは諦めました。
麓は広くたくさんあるが、山頂は一つしかない。標高が低くなるにつれて植生が深くなって見通しが悪くなる。沢を下ると滝が道を塞ぐ。山で道をロストしたら上に登れというのはこういった理由から。
素人ですが、「山で迷ったら登れ」「道に迷ったら戻れ」のような話を聞きますが、このシチュでは山頂に戻る(上る)べきだったのでしょうか?
戻る(上る)べきだったかと思います。それまでの2時間、正しい下山ルートに乗っていたかも分かりませんし…。
ホワイトアウト状態であれば戻る事も簡単ではない。顔を突き上げる様な吹雪の中歩くこともできないし、戻る方向の足跡も風でかき消されたり、雪が積もったりで無くなります。尾根の斜面と登山道の境目が全く分からないという場合もありザイルの片側一方を谷側に投げて確認しながらの歩行だったりすると、現場判断は難しいでしょうね。
@@mkd2297 その状況を考えると登るでも降りるでもなく"その場待機"の方が良かったりするんでしょうか…?今回は遭難した方面を最初は探してもらえなかったのでそれでも見つけてもらえたのかはわからないですし、何を言っても結果論なところはあると思いますが
大きな方針としてはその通りですね。ただ稜線や頂上近くは風が強く気温も低いので途中ビバークが避けられないならその場で風を避けやすい岩陰などを選んで停滞、天候回復か少なくとも翌朝を待つ、が正解だと思います。八甲田山や木曽駒ケ岳でも助かった人は標高の低いところで見つかってますし。実際碌な装備もないわりに1晩のビバークには全員耐えているのでそれが可能な程度の気象条件だったようですが、その時点ではさらに天候が悪化する可能性や疲労により「早く下山したい」という気持ちも働いたことも想像できるので、結果論ではあります。
ついこの前も十和田方面で、老年の男女が山に入ってた遭難したんですが、地元消防と県警、合わせて十数名で数日間だけ捜索後、発見できずに打ちきり。自衛隊や消防団の増援要請は無し。捜索打ちきり後にキノコ狩りに山に入った地元民が、遭難して体力を温存していた老年男女を発見したそうです。結局、青森県の警察や消防は、排他的で、長野県や岐阜県、群馬県の警察や消防の様に豊富な経験もないのに、プロ意識だけが強いんだと思います。老年男女が発見される日の昼のニュースで、遭難現場の隣接してる消防本部が消防団と共同で山岳遭難訓練を実施したとの放送を見て、隣接消防本部に応援要請は無しなんだと思いました。我が出身県ながら情けない。
現代の事故も知りたいなぁ。色々しがらみあって難しいのかな。
壮絶で批判なんて出来ないね、思いやりを残して逝った者もいれば、一歩及ばず散った者もいる。ただ自分の道を生きただけだ😊
本人達の準備が足りなかったのは当然として、何故警察は山の知識がある人の意見を聞かなかったのか。意見を聞いていたら助かっていた人数が変わっていたのかもしれない。個人的にはこういうの処罰されないのかなと思ってしまう。そうそう遭難する山じゃないとしても、ちゃんと反省してもし次ある時はそれを活かして欲しいですね。
警察とレスキュー隊を混同すべきではないと思う。役割が違う。
@@nra50692 11:10
この時代の警察はなかなかにプライドが高いというか素人の言うことなんて聞かないってとこはあるかもまあ結果素人ではなかったんだけども
提督は仲間との晴天での登頂を諦めるような忘れ物をしたのに、何で救助要請に戻るのではなく、悪天候で知人でもない人たちと救助のための登頂を始めてしまったのだろう。そして本当に何を忘れたのだろう。
まだ大ごとにはしたくないという意識もあったのかもしれない。登頂をあきらめるような装備…うーん、防寒具か1番ありそうなのはピッケルまたはアイゼンとか??
ツェルト
昭和39年の装備だから防寒もそんなに強力じゃなかったんだろうな、今なら化繊で風通さないけど当時どうしてたんだろう?
『20分近い動画か。結構長そうだな…。』…と、思いましたが、あっという間でした。
どんな低い山でも、冬山はなめたらあかんのやなぁ。夏に登った事あるからと油断が招いたのかもなぁ。最初の3時間遅れがキツイなぁ。
岩木山は尾根筋の多い山なので、ホワイトアウトして方向感覚がなくなれば、道に迷いやすいかも。
高校生だけで行ったのが間違いだったと思う冬山なんぞ行くもんじゃないな
岩木山といえば八甲田山をどうしても思い出す…映画の影響か
この頃だとまだ重たい液燃ストーブでパーティーに一つとかだったかもなぁ・・・。
たかはし、えーりん、こーりん、かぐや、きめーまる、提督と抜群のネーミングセンス
そういえば、えーりん、こーりん、かぐや、きめー丸は東方のキャラってことはわかるけど、たかはしと提督の由来を知らないなぁ。たかはしってボイスロイド?ボイスボックス?のあのたかはしかな?という気もするけど、提督についてはまるで検討もつかないわ…。
@@しろねこ-c6o たかはしは音声合成ソフトのチェビオのキャラクターですね。ボイスロイド とは別のソフトではありますが、似たようなものです
提督というと艦これ系を真っ先に思い出すけど、どうなんだろう
@@しろねこ-c6o タカハシはCeVIO、提督は艦これ動画が流行ったころにできたキャラかな
冬に気軽な恰好で登っていいのは天保山と蘇鉄山とか標高10m以下だけだぞ。
岩木山、スニーカーで山頂まで登った事あるけど、もしかしてヤバかったのか・・・。
高校生だけで冬山はやっぱり無謀だったのかなせめて冬山での火の起こし方を習得して登っていればと残念でならない
64年か。現在と比べ防寒着を含む装備も性能が悪かったのは間違いないな。迷ったら戻る鉄則で山頂に、いや、たらればですね。慎重だったし、最善は尽くしたのだろう。享年が若過ぎて、聞いていてとてもつらい。
毎回思うけど捜索隊の長は部下から提案されたら「ああ、そうだな。その可能性もあるな」って精神で聞けないものか。
天保山だけは絶対遭難しない(`・ω・´)キリッあ、でも大型の台風とかあると海に落ちるかも・・・
山岳救助隊もいますからね…🎵
4mぐらいの険しい山でしたかね?
捜索範囲を最初からは無理でも、早めに広くすべきでしたね。救助隊のトップ?も判断が甘かった。
装備なしでほぼ下山してたの物凄いな。その日のうちに降りれるはずだみたいな見込みで下山開始したんだろうから、その判断が悪すぎたんだな。とはいえこの状況から全員生きて帰るにはあの中の誰かがその日のうちに下山して救助を呼ぶことが必須だったろうから、それを選んでしまうのは仕方ないよなぁ。
冬の雪山だけは絶対に行かない
頭から遅刻者が出る所でフラグ立っとる
今ならGPSで安全に下りられるからありがたい
4:06ずいぶん慎重な登山計画だな。これだけ慎重にやってても、ホワイトアウトからの遭難で、死んでしまうものなんだな...
天保山も道迷いが多いと聞きますからね…
天保山の場所がわからなくてたどり着けないです。山頂とか下から見えなくて…
地元の山ですが、そんな遭難事故があったこと初めて知りました。八甲田山の方が危険度で目立っているので地元民は油断してたのかもしれません。山は何が起こるか分かりませんね
山と言うか自然が本当にこわいな今まで凄い数がいろんな山で亡くなってる。山頂で避難小屋居れば間違いなく助かったその判断が命取りになる。
戦後20年新時代の高校生で、怖いもの知らずだったのでは?お岩木山と地元の人々に愛される存在だったようですけど、山はやはり山だったということなんだと思います。
1m程有る積雪を踏みしめて進んで行き 3時間の時点で疲労が有ったから中腹の山小屋で休憩してその日の活動を終えたの時点で 山頂登山に無理が有る事に気付いて雪山訓練後に帰還に切り替えられれば良かったのですが、高校2年生を中心とするPTだと教員に連絡から予定変更は難しかったかも
地元ゆえの油断が招いた事故。
高校2年の時一人で引っ越しした友達の家に1月に行ったら山の中で、それまで丘とか迷いまくって夕方5時に滅茶苦茶狭い道の山登り始めて途中から真っ暗で地面見えないわその道少し外れたら崖なの真っ暗になる前まで見えてたから地面見えなくて歩けなくなって……雪が降ってきて地面に雪積もってきてうっすら積もった白い地面を道として屈んで進む中恐怖と疲労で一回狂いそうになって思いっきり一回叫んで進み続けて集落の電灯が見えた時の強烈な安堵は今でも忘れない。当時スマホどころか携帯の小型充電器無い電池容量も少なくそれ以前に圏外&電池切れ。ずっと都会暮らしで知識皆無で大変な一日だった…。15年間経っても山見るだけで震えと吐き気、目眩になる(泣)w真面目にあの時雪降ってくれなかったら俺死んでた。3回幻覚見たし…判断能力狂ってた。タイヤが山中で大量に積み重なったインドの像みたいな形のが3度も途中見て、あの時は恐怖の中で普通に何だろこれ?って処理してた。
どの判断が正しいかなんてのは結果論だから本当に難しいからなぁ
登山の知識だけじゃなく、サバイバルの知識も身につけたら生存率はかなり上がる。完全に遭難して救助を待つだけの状況になったら山の中でも、食料、水、安全地帯、体温を確保できるサバイバル知識が重要ですね。
結果論だけど、迷った時点で山頂を目指していたら捜索隊と合流できたかもしれない。
初めてなら途中でやめるという選択肢はなかったのかな?山は逃げはしないのだから。
まだ6人とも高校生。幼さが残る中で1人1人の判断が生死を分けたね。提督はある程度、こうなる事を想定して登頂を回避したような気がする。こーりんは待ち合わせには遅れるし、独断で突っ走るし、メンバーの中ではかき回し役。たかはしは最後まで周りのメンバーを気遣う優しさを伴いながら生き抜いた。
実は忘れ物ではなく、怪しい雲行きを見て行くのを躊躇したんじゃないのか?
遅刻して計画が遅れていておりそれが遭難し亡くなる事が多い時間守れない人間は山登りどころか団体活動する資格がないです
逆に知りたいのだけど、迷って山頂に引き返して凍○した事例ってあるのだろうか?あったらゆっくり解説して欲しいです。
下山しないで頂上を目指したら助かったかも知れないのか。こーりんの遅刻とリーダーの判断ミスが原因か。
遭難者の高校卒業者です。ここの高校にはまだ山岳部があり自分も所属していました。入部してからこの遭難事故を知り、とても衝撃でした。また1年に1回は山岳部で慰霊登山を行っており、自分が入部していたのは9年ほど前にもなりますが自分も参加したことがあります。その時引率していた副校長の「迷ったらわかる道、もしくは頂上まで引き返す。戻る勇気も必要だ」という言葉を今でも覚えています。
遭難者の高校出身です。旧制中学からある高校なので、卒業生が教師として赴任してきて数人は居るような高校です。
我々の時代の在学生は授業の途中で一つの話題として必ずと言っていいほどこの遭難事故について聞かされた思って
良いでしょう。
10年ほど前に地元NHKがこの遭難事故を再現ドラマと遭難した親御さんのインタビューを交えた番組が在りました。
捜索には地元山岳会や岩木山周辺の消防団のご苦労が有った様です。
番組の最後で親御さんの言葉で「山は憎いと思えないんだ。津軽の人には大切な山なんだから…」と捜索に
於いての地元の方々の懸命さに心打たれた感のあるインタビューで終わった番組でした。
初めて冬山登山を志す人は、学校のグランドでもいいから「一週間準備した物資だけで冬季生活してみる」経験した方が良いんじゃないかね…
絶対遭難しない状況で、過酷な状態の経験積むの有益な気がする
その通りかもしれないけど、下手に天候に恵まれたり順調だったりすると油断する原因になったりするからこわい。
山登りは重荷を負うて遠き道を行くがごとし…失敗の仕方も人生によく似ている
ためになる解説と考察、面白かったです
キャラの元ネタを知らずこのチャンネルでしか見る機会がなかったので、別のところで初めてこーりん見た時「あ、よく遭難する人だ」と思ってしまいました
わかるww
思うこと……。
専門家とも言える山岳関係者の提案を無視して救助隊が自分たちの方針押し通しちゃったのが原因のひとつな気がするなぁ。
たらればではあるけど、それならこーりんとかは助かった可能性が少しは上がっただろうし。
動画アップありがとうございます。
冬山未経験の子供達だけでの登山は、あまりにも危険だったように思います。
現代の常識に照らすと高校生だけでの冬山登山は無謀ですね。
ただ当時は、少なくはなってきたとはいえ、中卒で社会に出る人もそれなりの数がおり高校生はもう大人」のいう認識があったためなんともいえませんね。
同感ですが高校生だけで入山出来た、😭四人の死を無駄にしない様に指導、教育、規制、等をお願い🙏。
ここの霊夢の語り口調は優しくて亡くなった方たちへの同情が伝わってきますね
山好きの人は止められないんだろうけど、夏山登山でも危険なので、冬山登山なんて命懸けだと思ってます。天候悪化時点で引き返す勇気が必要ですね。
装備が現代と違いますし今と比較するのは難しいですね。
ただ吹雪で方位が分からず、且つ相当の時間を費やしてもベースにつかない状況なら、登り返すか装備があるなら滞留するのが定石だとは思います。もしかしたらブリーフィングの時には疲労と低体温で正常な判断ができなくなっていた可能性もあると思います。
1964年ですよね。登山の装備は今よりももっと高額かつ入手が容易ではなかったことでしょう。
亡くなった私の父が使っていた昔の夏山の登山道具が物置にあったのですが、どれも重量がありました。リュックは布製。大学の先輩からのいただきものもありました。(名前入り)
冬山の装備なんて、高校生では金額的に手が出なかったし、体力を考えても装備出来なかったと考えます。遭難する山ではないと地元警察でさえ考えていたようですし。
せめて、経験ある大人にアドバイスを求めていればこんなことにはならなかったでしょうに。
山岳ガイドのアドバイス聞かんかったところに当時の警察のプライドの高さがあったんだろうな、
意外と低山や登りやすい山の方が危険だったりします。
高山や難易度の高い山だと、登る側にも技量と経験を要求されるし
万全の装備と計画を整えた上で挑戦しますが
手軽に登れる山だと、文字通りの手軽な服装・装備で行って
想定外の事態に見舞われた時に‥。
今のような高機能な軽量ウェアもビバーク装備もない頃だしなあ…
今日も動画を投稿して下さりありがとうございます
極限状態だと基本的なことすら実行できなくなってしまうんですね
遭難したら上に登るということを肝に銘じておきます。
1人だけ残る勇気を持てるってすごい
唯一の下級生である輝夜を暖めようとするかのようにして亡くなったリーダーも、あと1歩の所で力尽きて亡くなってしまったこーりんも
「私が下山を強行したから…」や「俺が遅刻をして計画に狂いが出たから…」など、自責の念に駆られていたのだろうかと想像すると…痛ましさで非難など出来ない…😢
当時の田舎暮らしなら家の裏山とか山にはある程度慣れていたと思えるのと、雪で濡れる(汚れる)事が危ない事は判っていたとは思いますが、
当時の高校生ともなれば自立し始める頃なのと、今とは違う環境からこうした活動に大人が介入するという事は最小限だったでしょうね、
また、今の様な情報が簡単に入らない時代でもあるので自分で何とかしなくてはならない時代でもあった様に思えますね。
山登りに遅刻はあり得ない。
下山中に道に迷ったら山頂を目指すのが常識です。この時代はその常識が広まってなかったのかもしれませんが、今これを見てる人は同じ境遇に遭った時に生き残るため絶対覚えていて下さい。
@@バターズ-o5e
少なくとも降りるのは悪手だぞ
降りて行ったらその後は登れなくなるだけだからな
あとくだりは濡れやすいし体温も奪われるし、なにより見つけてもらえない
なにがなんでも山頂目指すのがいいよ
登山趣味とかはないけどこれホント怖い。
自分が遭難した時知識として登れってのはわかってても帰りたい怖いってなってる中また登れる気がしないわ。
私は下山する
登り続ける方が危ないから
それか途中の山小屋に入って救助を待つ
@@arashikinnshiもし遭難したら下がるのは本当にだめ。避難できるような小屋が見つからないから遭難しているのであって、そんな簡単に小屋が見つかるほど運は良くない。捜索隊の捜索もヘリからなら頂上付近の方が分かりやすい。現在位置の不明な時に下手に下山すると沢や谷に落ちたりする。絶対に頂上を目指してください。
@@arashikinnshi
この選択で将来死んだら笑えねえな
頂上から、全方向への捜索がなされていれば、結果は変わったのかも知れませんね。
トップの能力が全てをきめてしまいますね。どこも一緒か・・・。辛い。
遭難を予期せず捜索の為の装備も準備していなかった警察が、捜索に際して何故地元山岳家の意見を無視したのか。山岳家の意見を聞き入れて捜索していれば4人も犠牲者は出なかったのではないだろうかと思ってしまう。
避難小屋は遭難事故で複数人亡くなったエリアに作られるので当時は山頂には無かったと思います。
資料などが充分ではないであろう事故でも、推測がすごくしっくり来るもの(今回の「待ち合わせそのものではなく交通機関の影響で3時間遅れたのでは?」)で、作成者さんの視点の多さも勉強になります。これからも楽しみにしています。
山登る人が山登って死ぬなら、それは本望なんじゃないの。
@@タカクラ-r1h
死ぬのが本望の奴がいるわけないだろ
少しは頭使って書き込め
@@タカクラ-r1h んな訳ねえだろ
岩木山が見える範囲に住んでいたが、このような事故があったのは知らなかった・・・。被害者のご冥福を祈ります。
登山には縁が無いけどやっぱここのチャンネルを観てると怖いと思ってしまう。
17:02
悲しすぎる。良い仲間だったんだろう…お悔やみ申し上げます。
父が登山が好きな人で、英国資本のエネルギー会社で勤務していたが、1980年代当時日本の山は勿論、アイガー等にも登山経験がある人だった。
自分の小学校で保護者同伴の乗鞍岳登山の夏季学校があったが、父は完全アルパインスタイルだったし、俺も同様にその年の春からゴローの登山靴を履かされ普段から履き慣らされ、当日はガチガチな登山家スタイルだった。友達やその親からは大いに笑われたが、今考えるとそれで良かった気がする。雨が降るとツェルトで凌げたし、コンデンスミルクをチューチュー飲む事で体力も然程奪われなかった。擦り傷一つなく無事下山した時は、友人達や先生が座り込んでる中、俺と父は山をのんびり眺める事が出来た。
東京都心から1時間程で行ける高尾山でも、年間100件程度の遭難事故と、年間5件程度の死亡事故が起きているそうです。
ましてや冬山ともなれば・・・。
チャリ(徒歩)で行ける程度には近所に住んでいたけど、あそこは600mくらいしかなくて舗装された道を歩けば、なんてことのないハイキングコースだけど、もちろん舗装なんてされていない山越えしている様な険しいコースはあるし、かなり広い。
舗装コースから見下ろした先(麓の山中に入る道路が山頂から見えるがその逆側、つまり奥方向)は木々が視界の限りずーっと続いている森の中で、あの中に迷い込んだら遭難してもおかしくないなと思ったりしましたね。
あそこは山が連なっているので、手前側はまだしも奥にずっと木々が広がってる感じです。
山で迷ったら上に行った方が救助隊に見つけてもらいやすいという話を聞いたことがありますね
とはいえ吹雪の中では、上に行っても下に行ってもその場に留まっても、そうなった時点で既に手遅れというかどう動いてもかなり危険ですよね…
あさま山荘事件前だから、山中には随所に小屋掛けが有ったんじゃないかなぁ?昔は山ってあっちこっちに低いトタン屋根のちっさい小屋が有って少量の薪と囲炉裏状の焚き場が有ったりしたんだけどなぁ。あさま山荘事件を起こした連中がそう言った小屋掛けを利用していた事が判ってどんどん破棄撤去されて今はほとんど無くなってるけどね。
ほんまに迷惑ですね。そのような簡易な小屋でも、火さえたけば露天よりはるかに暖かいでしょうね。非常時ならあえて中でテント張ってもいいし。なにかと山仕事をする人が休憩するのにも使えるでしょうし。それを本来の使い方をしないやつらのせいでとんでもないことに。
たかはしの生命力が凄すぎる
そしてえーりんが生きていた事が辛すぎる
東方projectの原作、2次創作ファンというだけで観てるけど、普通に面白いし登山に興味なくても再生してしまう。ゆっくりの魔力。
悪天候が何日も続くというのがとてもえげつない
これ、捜索開始の段階で警察が山岳関係者の「全方位捜索」という提案を無視しなかったら、どうなっていたのかね?。
こーりんなら助かったかもね
地元だから親しみのある山だけど、そんな事故が起こってたなんて知らなかったな…。
ここは実家近くの山なので夏場は結構登った事がありますが、低いとはいえ冬場となると厳しいでしょうね。
西目屋方面にあるスカイラインの九十九折りも、バイクにとっちゃ地味にキツかったりします。
冬山でも天候が良ければルンルンで登れるんだよな…でも崩れると…
リーダーが後輩を抱き寄せてる状態で発見ってとこが泣ける
きっとリーダーは凍えながら「こんなことになってゴメンね。今、暖めるから」と命尽きるその時まで後輩を寒さから守ろうとしてたんだろうな
セリフを創作すな
@@user-onetrue いちいち水差すなw
泣いてしまう😭
全方位で探してたら結果は変わってたかもしれないのにな……
せめて冬山で火を点ける術が分かってたら……
4日?生き残るのすごいな
割と近隣の金剛山みたいな山でも、ルートによってはすごい険しいとこもあるからな。
これは、2対2となったの後の判断で下山を選び、多数決で下山を選ぶように成ってしまったリーダーは死んでも死にきれないくらい悔しかったのかもしれない。自分のせいだと悔やんで、残った1人を最後まで守ろうとしたのかもしれない。
夏で片道4,5時間は厳しい山です
緯度が高くなるほど難易度も上がります(秋冬春)
低体温症になると正常な思考が出来なくなります
あと迷子になったら山頂に向かうが鉄則です
沢沿いに下るのは危険です
ホントに辛く悲しかっただろうなぁ…😢
64年って白黒じゃないテレビを重宝してた頃だし
雪山登山装備の情報も部内の聞き伝、ネットで炎上する事もないから捜索する警察も頭固そーなイメージ
今は本当に恵まれてるな
ワイプで実際の小屋や目印の岩の写真が出るので分かり易いです。山の標高図見たいのもリアルでナイス😉
「空と山のあいだ」って本になってる遭難事故のことかなぁ。
前に読んだことあるけど、この動画見て思い出した。
マッチを握りしめて冷たくなってるとか悲しすぎる;;
ついマッチ売りの少女を思い出してしまいました。
エモいっすねえ!
目を開けて動かなくなってたのに最後は後輩を抱くようにしてその姿って、、(T_T)
岩手山夏山登山で凍死というのが、あったな・・・・
そこまで予定と遅れたらもうやめとけっていう虫の知らせなんだよなぁ…。
今の高校生の感覚だと違和感がある。60年代の高校生なら今の大学生ぐらいの意識はあったかもしれない。だがいかんせん、当時の装備では彼らを救うことは出来なかったのだろう。その後も起きる数々の事故の結果、今に至るわけで彼等の尊い犠牲に感謝しよう。
4人もの死者がでてしまったのは悲しいことだけれどこの頃の高校生はすごいしっかりしてるんだなぁ。 命のかかった選択をする度胸もすごい。(せざるを得ないとはいえ)
捜索隊が地元山岳関係者の意見聞いてれば救えたかも・・・。
素人考えだけど警察は装備も準備もノウハウも不足している状態だろうから二次被害を考えると登山関係者の提案に乗るのがむずかしかったんじゃないかと思う。
身も蓋もないことを言えば「自己責任」なんだけどな。そもそもなんで警察が、冬山に死にに行ったやつのために金と時間を使う必要がある?と言われたらどうしようもない。
こんな遭難事故があったとは・・・冬山に対する備えがほとんどできてなかったのが原因だったようですね。
ツェルトが一つ、そして忘れ物をした人までいる状況とは・・・それでも若さを考えるとそれを責めるわけにもという哀しい状況。
それでも数日間生存できたということは、環境的にはやはり「難度の低い山」という事ではあったのでしょう。
まだまだ登山に関する知識や装備の開発が進んでいない時代、現代の緊急避難用の装備や着火器具があれば話は違ったかもしれませんね。
この事故、再現ドラマで見ました
そのドラマでは、提督は仲違いで登る気はなかったけど説得されて途中までと言うことで参加したのだったような気がします
死んだと思ってた一人が小枝を握っていたと言う話を聞いて色々考えてしまいました
地元だから雪洞訓練とか寒さに備える準備をしていたと思うのだが必要な道具が無ければどうにもならない。ワンチャン頂上に戻って救助を待つ方が可能性があったかも知れないが結果論。ご冥福を祈ると同時に、山を愛する人たちには山を無事に下りて欲しいと思っている人が後ろに居ることを忘れないで欲しい。
いつも思うけど、登山する人たちってどうやって冬山の練習してるんだろう
慣れてないと厳しいとはいうけど誰にでも初めての時期は必ず存在するわけで…やっぱり今回みたいな難易度の低い山でかつ確実に天気の良い日しか行かないような感じなのかな、もしくは頂上までは行かないで途中までの経験を繰り返すとか?
経験しかないですね。。あとは経験者と同行し情報集め。私は急な悪天候に出くわしたことはないですが、危ないと思ったらは当然としてスケジュールが狂ったら帰るようにしてます。地面で滑って滑落しそうになったり、少し道を外れて迷いかけたことがあります。。時期問わず命懸けです。
@@dropanjyu5070 経験者と一緒に登れると心強いですね…!
1人で経験積もうと思ったらやはり心配性すぎない?って言われるくらいには慎重にならないと危ないですよね……体調も天候も全ての状況が良くて頂上まで行けたら運がよかった、というレベルで
自分の場合は、冬山登山入門の書籍を漁り、ネットで情報を集め、難度の低い冬山(厳冬期の上高地とか)のスノートレッキングから始め、装備を揃えて少しずつ難度を上げていきました。
厳冬期の冬山登山は単独では限界があり、冬季営業の山小屋があるエリア(西穂高、南八ヶ岳)以外へ行くのは諦めました。
麓は広くたくさんあるが、山頂は一つしかない。標高が低くなるにつれて植生が深くなって見通しが悪くなる。沢を下ると滝が道を塞ぐ。山で道をロストしたら上に登れというのはこういった理由から。
素人ですが、「山で迷ったら登れ」「道に迷ったら戻れ」のような話を聞きますが、このシチュでは山頂に戻る(上る)べきだったのでしょうか?
戻る(上る)べきだったかと思います。それまでの2時間、正しい下山ルートに乗っていたかも分かりませんし…。
ホワイトアウト状態であれば戻る事も簡単ではない。顔を突き上げる様な吹雪の中歩くこともできないし、戻る方向の足跡も風でかき消されたり、雪が積もったりで無くなります。
尾根の斜面と登山道の境目が全く分からないという場合もありザイルの片側一方を谷側に投げて確認しながらの歩行だったりすると、現場判断は難しいでしょうね。
@@mkd2297 その状況を考えると登るでも降りるでもなく"その場待機"の方が良かったりするんでしょうか…?
今回は遭難した方面を最初は探してもらえなかったのでそれでも見つけてもらえたのかはわからないですし、何を言っても結果論なところはあると思いますが
大きな方針としてはその通りですね。ただ稜線や頂上近くは風が強く気温も低いので途中ビバークが避けられないならその場で風を避けやすい岩陰などを選んで停滞、天候回復か少なくとも翌朝を待つ、が正解だと思います。八甲田山や木曽駒ケ岳でも助かった人は標高の低いところで見つかってますし。実際碌な装備もないわりに1晩のビバークには全員耐えているのでそれが可能な程度の気象条件だったようですが、その時点ではさらに天候が悪化する可能性や疲労により「早く下山したい」という気持ちも働いたことも想像できるので、結果論ではあります。
ついこの前も十和田方面で、老年の男女が山に入ってた遭難したんですが、地元消防と県警、合わせて十数名で数日間だけ捜索後、発見できずに打ちきり。
自衛隊や消防団の増援要請は無し。
捜索打ちきり後にキノコ狩りに山に入った地元民が、遭難して体力を温存していた老年男女を発見したそうです。
結局、青森県の警察や消防は、排他的で、長野県や岐阜県、群馬県の警察や消防の様に豊富な経験もないのに、プロ意識だけが強いんだと思います。
老年男女が発見される日の昼のニュースで、遭難現場の隣接してる消防本部が消防団と共同で山岳遭難訓練を実施したとの放送を見て、隣接消防本部に応援要請は無しなんだと思いました。
我が出身県ながら情けない。
現代の事故も知りたいなぁ。色々しがらみあって難しいのかな。
壮絶で批判なんて出来ないね、思いやりを残して逝った者もいれば、一歩及ばず散った者もいる。ただ自分の道を生きただけだ😊
本人達の準備が足りなかったのは当然として、何故警察は山の知識がある人の意見を聞かなかったのか。意見を聞いていたら助かっていた人数が変わっていたのかもしれない。個人的にはこういうの処罰されないのかなと思ってしまう。そうそう遭難する山じゃないとしても、ちゃんと反省してもし次ある時はそれを活かして欲しいですね。
警察とレスキュー隊を混同すべきではないと思う。役割が違う。
@@nra50692 11:10
この時代の警察はなかなかにプライドが高いというか素人の言うことなんて聞かないってとこはあるかも
まあ結果素人ではなかったんだけども
提督は仲間との晴天での登頂を諦めるような忘れ物をしたのに、何で救助要請に戻るのではなく、悪天候で知人でもない人たちと救助のための登頂を始めてしまったのだろう。
そして本当に何を忘れたのだろう。
まだ大ごとにはしたくないという意識もあったのかもしれない。
登頂をあきらめるような装備…
うーん、防寒具か1番ありそうなのはピッケルまたはアイゼンとか??
ツェルト
昭和39年の装備だから防寒もそんなに強力じゃなかったんだろうな、今なら化繊で風通さないけど当時どうしてたんだろう?
『20分近い動画か。結構長そうだな…。』
…と、思いましたが、あっという間でした。
どんな低い山でも、冬山はなめたらあかんのやなぁ。夏に登った事あるからと油断が招いたのかもなぁ。最初の3時間遅れがキツイなぁ。
岩木山は尾根筋の多い山なので、ホワイトアウトして方向感覚がなくなれば、道に迷いやすいかも。
高校生だけで行ったのが間違いだったと思う
冬山なんぞ行くもんじゃないな
岩木山といえば八甲田山をどうしても思い出す…映画の影響か
この頃だとまだ重たい液燃ストーブでパーティーに一つとかだったかもなぁ・・・。
たかはし、えーりん、こーりん、かぐや、きめーまる、提督と抜群のネーミングセンス
そういえば、えーりん、こーりん、かぐや、きめー丸は東方のキャラってことはわかるけど、たかはしと提督の由来を知らないなぁ。
たかはしってボイスロイド?ボイスボックス?のあのたかはしかな?という気もするけど、提督についてはまるで検討もつかないわ…。
@@しろねこ-c6o たかはしは音声合成ソフトのチェビオのキャラクターですね。
ボイスロイド とは別のソフトではありますが、似たようなものです
提督というと艦これ系を真っ先に思い出すけど、どうなんだろう
@@しろねこ-c6o タカハシはCeVIO、提督は艦これ動画が流行ったころにできたキャラかな
冬に気軽な恰好で登っていいのは天保山と蘇鉄山とか標高10m以下だけだぞ。
岩木山、スニーカーで山頂まで登った事あるけど、もしかしてヤバかったのか・・・。
高校生だけで冬山はやっぱり無謀だったのかな
せめて冬山での火の起こし方を習得して登っていればと残念でならない
64年か。現在と比べ防寒着を含む装備も性能が悪かったのは間違いないな。
迷ったら戻る鉄則で山頂に、いや、たらればですね。慎重だったし、最善は尽くしたのだろう。
享年が若過ぎて、聞いていてとてもつらい。
毎回思うけど捜索隊の長は部下から提案されたら「ああ、そうだな。その可能性もあるな」って精神で聞けないものか。
天保山だけは絶対遭難しない(`・ω・´)キリッ
あ、でも大型の台風とかあると海に落ちるかも・・・
山岳救助隊もいますからね…🎵
4mぐらいの険しい山でしたかね?
捜索範囲を最初からは無理でも、早めに広くすべきでしたね。救助隊のトップ?も判断が甘かった。
装備なしでほぼ下山してたの物凄いな。その日のうちに降りれるはずだみたいな見込みで下山開始したんだろうから、その判断が悪すぎたんだな。とはいえこの状況から全員生きて帰るにはあの中の誰かがその日のうちに下山して救助を呼ぶことが必須だったろうから、それを選んでしまうのは仕方ないよなぁ。
冬の雪山だけは絶対に行かない
頭から遅刻者が出る所でフラグ立っとる
今ならGPSで安全に下りられるからありがたい
4:06
ずいぶん慎重な登山計画だな。
これだけ慎重にやってても、ホワイトアウトからの遭難で、死んでしまうものなんだな...
天保山も道迷いが多いと聞きますからね…
天保山の場所がわからなくてたどり着けないです。山頂とか下から見えなくて…
地元の山ですが、そんな遭難事故があったこと初めて知りました。
八甲田山の方が危険度で目立っているので地元民は油断してたのかもしれません。
山は何が起こるか分かりませんね
山と言うか自然が本当にこわいな今まで凄い数がいろんな山で亡くなってる。山頂で避難小屋居れば間違いなく助かったその判断が命取りになる。
戦後20年新時代の高校生で、怖いもの知らずだったのでは?お岩木山と地元の人々に愛される存在だったようですけど、山はやはり山だったということなんだと思います。
1m程有る積雪を踏みしめて進んで行き 3時間の時点で疲労が有ったから中腹の山小屋で休憩してその日の活動を終えたの時点で 山頂登山に無理が有る事に気付いて雪山訓練後に帰還に切り替えられれば良かったのですが、高校2年生を中心とするPTだと教員に連絡から予定変更は難しかったかも
地元ゆえの油断が招いた事故。
高校2年の時一人で引っ越しした友達の家
に1月に行ったら山の中で、それまで丘
とか迷いまくって夕方5時に滅茶苦茶狭い道の山登り始めて途中から真っ暗で
地面見えないわその道少し外れたら
崖なの真っ暗になる前まで見えてたから
地面見えなくて歩けなくなって……
雪が降ってきて地面に雪積もってきて
うっすら積もった白い地面を道として
屈んで進む中恐怖と疲労で一回狂いそうに
なって思いっきり一回叫んで進み続けて
集落の電灯が見えた時の強烈な安堵は
今でも忘れない。
当時スマホどころか携帯の小型充電器無い
電池容量も少なくそれ以前に圏外&電池切れ。
ずっと都会暮らしで知識皆無で大変な
一日だった…。
15年間経っても山見るだけで震えと
吐き気、目眩になる(泣)w
真面目にあの時雪降ってくれなかったら
俺死んでた。
3回幻覚見たし…判断能力狂ってた。
タイヤが山中で大量に積み重なった
インドの像みたいな形のが3度も途中見て、
あの時は恐怖の中で普通に何だろこれ?
って処理してた。
どの判断が正しいかなんてのは結果論だから本当に難しいからなぁ
登山の知識だけじゃなく、サバイバルの知識も身につけたら生存率はかなり上がる。
完全に遭難して救助を待つだけの状況になったら山の中でも、食料、水、安全地帯、体温を確保できるサバイバル知識が重要ですね。
結果論だけど、迷った時点で山頂を目指していたら捜索隊と合流できたかもしれない。
初めてなら途中でやめるという選択肢はなかったのかな?
山は逃げはしないのだから。
まだ6人とも高校生。幼さが残る中で1人1人の判断が生死を分けたね。提督はある程度、こうなる事を想定して登頂を回避したような気がする。こーりんは待ち合わせには遅れるし、独断で突っ走るし、メンバーの中ではかき回し役。たかはしは最後まで周りのメンバーを気遣う優しさを伴いながら生き抜いた。
実は忘れ物ではなく、怪しい雲行きを見て行くのを躊躇したんじゃないのか?
遅刻して計画が遅れていておりそれが遭難し亡くなる事が多い
時間守れない人間は山登りどころか団体活動する資格がないです
逆に知りたいのだけど、迷って山頂に引き返して凍○した事例ってあるのだろうか?あったらゆっくり解説して欲しいです。
下山しないで頂上を目指したら助かったかも知れないのか。
こーりんの遅刻とリーダーの判断ミスが原因か。