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山岳遭難事故事例をあれこれ観ているうちに、運転中は「急がば回れ」と言い聞かせ、スピードを守り、黄色では無理せず止まり、これまで以上に慎重に運転するようになった。急いだばっかりに事故を起こしたら、余計に時間がかかるし、単独事故ならマシだけど他人を殺すことになったら一生苦しむことを痛感できるようになった。また、色々な場面で、「備えあれば憂いなし」と充分な備えをするようになった。余裕のない日程の山行による無茶な行動、天気予報などの情報収集を充分にせず、万が一に備えて防寒具や食糧を携帯していない、地図とコンパスなど必要な装備を怠っている、自分は大丈夫だろうという過信、認識の甘さ…こうしたことが生死を分けていることを学ばせていただいた。遭難された皆さんを反面教師に、貴重な学びをいただき、感謝いたします。皆様のご冥福を祈ります。
運転もそうだけど、職場の無茶な案件とかも遭難するパターンと被りますよね
四つ目のエピソードのきめぇ丸(高校生)は大活躍だったな!夜中に飛び出して行って翌朝に無事に救助を呼べたのも実力だけじゃなくて運も持ってたんだろうなぁと思います。
きめぇ丸君は、いろんなゆっくり動画で、不幸な役回りを演じているよね。ソ連で、欠陥が推測されて生還が難しかったロケットに死を覚悟して乗ったのもそうでした。
ちなみに「リンゲル液」を開発した医師リンゲルさんは、長崎ちゃんぽん「リンガーハット」の元になった貿易商リンゲルさんのお兄さん。
な なんだってーー!!
ちゃんぽんにも入ってるのかい?
読みの違いだったんですね!
高校生普通にすごいな
きめぇまる「ううぅ、また遭難するのかな…」きめぇまるさん今までの動画で何回も遭難してた記憶が蘇ったのかな
きめぇ丸は不運な人をたびたび演じてるよね。60年代、ソ連で、欠陥ロケットに死を覚悟して乗ってもいます。個人的にゆっくりでのきめぇ丸は好きです。
実は私の兄の大学の後輩が遭難死去したのも10月でした。大変可愛がっていた後輩だったので、いろいろ話を聞きました。姉の、結納で帰省した兄が遭難の報知を受けて急遽帰京したのが思い出されます。
山梨県の高校生すごいな。……大学生や大人の登山家は、少しでも自分が難攻不落の山を制覇することばかり考えて、人を救助することは珍しいのに、高校生がそんなことをするなんて、素晴らしい。
10年前GWに槍ヶ岳登ったときはババ平から雪が降り、ホワイトアウトで何も見えず。GPSでどうにか殺生ヒュッテに着いたが、もし地図・コンパスのみだったら雪だるまになってたな。
天気予報が正確になった現代でも、 ・今日しか休みが無いからいけるところまで行こう ・きっと大丈夫という 安全バイアスに引っかかって、強行&遭難コンボに..
11:10 新田次郎の「偽りの快晴」に取り上げられています。
脳が凍るって恐ろしいですね
遭難のほとんどは、キッパリ諦めて引き返さない事で起きていると思いました。
きめぇまると登山する時点でろくなことにはならない
でも高校生きめぇまるが居たおかげで大勢助かったぞ!
1959年の9月に伊勢湾台風があったばかりなのに、10月で何故台風来るのに登山しちゃうの…。2月にはディアトロフ峠の事もあったのな、国外問わず記録に残る山岳遭難が多かった年なんだね。
きめぇまるさんの情報が無かったということはやはり他の世界線に移動したのか
大弛峠2,360m。何10回も行っているけど10月に20cmもの雪が降るのは珍しい。本当に運が悪かったとしか言いようがない。
1959年頃の登山時の衣服や河童ってどんなものだったんでしょうか
合羽はわからないけど、昔の登山服はウール素材がよく使われたと聞いた。保温性に優れた天然繊維だけど、化繊に比べ乾きが遅いから汗をかいたときや川や雨天などで濡れたときに冷えるらしい。
一連の動画登山を含めて危機管理の落とし穴として期待しています
雪山なんかでビバークするとき寝るなタヒぬぞっていうけど本当は寝たほうがいいんだよなぁ。10分でもだいぶ違う
ちゃんと起きられればいいですけどね
高校生のきめぇまるかっこよすぎ、惚れるわ
満洲ではな、体感では極地に相当するほど酷寒の冬が来た。戸外を長く歩く時は二重靴下の間に鷹の爪(赤唐辛子)を入れたよ。直接肌に触れる入れ方をすると火ぶくれになってしまう。濡らしたくない物は柿渋紙(唐傘に貼る奴だ)に包んでな。
死んだのは、可哀想だが、なんで、危険だらけ‼️死ぬ可能性が高い冬山へいくのか❓不思議❓ただ不思議‼️
最後のはバタフライエフェクトみたいだな
射命丸は女の子なのにw
んで、最後の高校生はどうなった?🤔
何度でも生き返り そして死ぬ きめぇまる
リンゲル液・・・ボトムズに出てきたやつか
後の三歩である。
面白さとか言ってる時点で👎評価してブラウザバックするしかない。
SSRきめぇまる
職員の言う事を聞かない時点で自業自得ですね
…この頃でもまだ裕福な人間の道楽だったでしょうから傲慢さが招いた事故?
てかきめいまるとか、いっちって誰やねん
最近の山小屋はWeb予約とかで、台風だろうが何だろうが即キャンセル料で引き落とされてしまうシステムはいかがなものかと思う。天災でも予約した以上来いということか?もう一昔前の避難小屋というイメージではなくなってしまった。なんとも世知辛い。
富士山登山で思ったのだが、登山のペースは、いろいろな誤差要因があるから、思い通りの小屋に泊まれるとは限らない。融通が効くようにして欲しい。
そもそもキャンセル料の導入は、登山者が増えてる中、重複予約など一部登山者の悪用が原因。マナーの悪い人が増えたせいなので、世知辛いのではなく、当然の帰結。避難小屋と営業小屋を混ぜて論じるのも理解し難い。
天気予報も見ないで山登りするんだね。別にバカが何人減っても構わんが人に迷惑かけないのは人としての基本中の基本です。
このまとめは1959年、昭和三十四年だ。テレビもない、家に電話がある家庭も殆どない、勿論気象衛星もない。ラジオで天気予報はやったが、晴れか雨か、台風が来るのか逸れるのか、そんな事すらはっきりしなかったよ。自分達で天気図はひいたが、元となる情報自体が列島の数カ所の曖昧情報に頼っていた。
山岳遭難事故事例をあれこれ観ているうちに、運転中は「急がば回れ」と言い聞かせ、スピードを守り、黄色では無理せず止まり、これまで以上に慎重に運転するようになった。急いだばっかりに事故を起こしたら、余計に時間がかかるし、単独事故ならマシだけど他人を殺すことになったら一生苦しむことを痛感できるようになった。
また、色々な場面で、「備えあれば憂いなし」と充分な備えをするようになった。
余裕のない日程の山行による無茶な行動、天気予報などの情報収集を充分にせず、万が一に備えて防寒具や食糧を携帯していない、地図とコンパスなど必要な装備を怠っている、自分は大丈夫だろうという過信、認識の甘さ…
こうしたことが生死を分けていることを学ばせていただいた。
遭難された皆さんを反面教師に、貴重な学びをいただき、感謝いたします。皆様のご冥福を祈ります。
運転もそうだけど、職場の無茶な案件とかも遭難するパターンと被りますよね
四つ目のエピソードのきめぇ丸(高校生)は大活躍だったな!
夜中に飛び出して行って翌朝に無事に救助を呼べたのも実力だけじゃなくて運も持ってたんだろうなぁと思います。
きめぇ丸君は、いろんなゆっくり動画で、不幸な役回りを演じているよね。ソ連で、欠陥が推測されて生還が難しかったロケットに死を覚悟して乗ったのもそうでした。
ちなみに「リンゲル液」を開発した医師リンゲルさんは、
長崎ちゃんぽん「リンガーハット」の元になった貿易商リンゲルさんのお兄さん。
な なんだってーー!!
ちゃんぽんにも入ってるのかい?
読みの違いだったんですね!
高校生普通にすごいな
きめぇまる「ううぅ、また遭難するのかな…」
きめぇまるさん今までの動画で何回も遭難してた記憶が蘇ったのかな
きめぇ丸は不運な人をたびたび演じてるよね。60年代、ソ連で、欠陥ロケットに死を覚悟して乗ってもいます。個人的にゆっくりでのきめぇ丸は好きです。
実は私の兄の大学の後輩が遭難死去したのも10月でした。大変可愛がっていた後輩だったので、いろいろ話を聞きました。姉の、結納で帰省した兄が遭難の報知を受けて急遽帰京したのが思い出されます。
山梨県の高校生すごいな。……大学生や大人の登山家は、少しでも自分が難攻不落の山を制覇することばかり考えて、人を救助することは珍しいのに、高校生がそんなことをするなんて、素晴らしい。
10年前GWに槍ヶ岳登ったときはババ平から雪が降り、ホワイトアウトで何も見えず。GPSでどうにか殺生ヒュッテに着いたが、もし地図・コンパスのみだったら雪だるまになってたな。
天気予報が正確になった現代でも、
・今日しか休みが無いからいけるところまで行こう
・きっと大丈夫
という
安全バイアス
に引っかかって、強行&遭難コンボに..
11:10 新田次郎の「偽りの快晴」に取り上げられています。
脳が凍るって恐ろしいですね
遭難のほとんどは、キッパリ諦めて引き返さない事で起きていると思いました。
きめぇまると登山する時点でろくなことにはならない
でも高校生きめぇまるが居たおかげで大勢助かったぞ!
1959年の9月に伊勢湾台風があったばかりなのに、10月で何故台風来るのに登山しちゃうの…。
2月にはディアトロフ峠の事もあったのな、国外問わず記録に残る山岳遭難が多かった年なんだね。
きめぇまるさんの情報が無かったということはやはり他の世界線に移動したのか
大弛峠2,360m。
何10回も行っているけど10月に20cmもの雪が降るのは珍しい。
本当に運が悪かったとしか言いようがない。
1959年頃の登山時の衣服や河童ってどんなものだったんでしょうか
合羽はわからないけど、昔の登山服はウール素材がよく使われたと聞いた。保温性に優れた天然繊維だけど、化繊に比べ乾きが遅いから汗をかいたときや川や雨天などで濡れたときに冷えるらしい。
一連の動画登山を含めて危機管理の落とし穴として期待しています
雪山なんかでビバークするとき寝るなタヒぬぞっていうけど本当は寝たほうがいいんだよなぁ。10分でもだいぶ違う
ちゃんと起きられればいいですけどね
高校生のきめぇまるかっこよすぎ、惚れるわ
満洲ではな、体感では極地に相当するほど酷寒の冬が来た。戸外を長く歩く時は二重靴下の間に鷹の爪(赤唐辛子)を入れたよ。直接肌に触れる入れ方をすると火ぶくれになってしまう。濡らしたくない物は柿渋紙(唐傘に貼る奴だ)に包んでな。
死んだのは、可哀想だが、なんで、危険だらけ‼️死ぬ可能性が高い冬山へいくのか❓不思議❓ただ不思議
‼️
最後のはバタフライエフェクトみたいだな
射命丸は女の子なのにw
んで、最後の高校生はどうなった?🤔
何度でも生き返り そして
死ぬ きめぇまる
リンゲル液・・・ボトムズに出てきたやつか
後の三歩である。
面白さとか言ってる時点で👎評価してブラウザバックするしかない。
SSRきめぇまる
職員の言う事を聞かない時点で自業自得ですね
…この頃でもまだ裕福な人間の道楽だったでしょうから傲慢さが招いた事故?
てかきめいまるとか、いっちって誰やねん
最近の山小屋はWeb予約とかで、台風だろうが何だろうが即キャンセル料で引き落とされてしまうシステムはいかがなものかと思う。天災でも予約した以上来いということか?
もう一昔前の避難小屋というイメージではなくなってしまった。なんとも世知辛い。
富士山登山で思ったのだが、登山のペースは、いろいろな誤差要因があるから、思い通りの小屋に泊まれるとは限らない。融通が効くようにして欲しい。
そもそもキャンセル料の導入は、登山者が増えてる中、重複予約など一部登山者の悪用が原因。
マナーの悪い人が増えたせいなので、世知辛いのではなく、当然の帰結。
避難小屋と営業小屋を混ぜて論じるのも理解し難い。
天気予報も見ないで山登りするんだね。別にバカが何人減っても構わんが人に迷惑かけないのは人としての基本中の基本です。
このまとめは1959年、昭和三十四年だ。テレビもない、家に電話がある家庭も殆どない、勿論気象衛星もない。ラジオで天気予報はやったが、晴れか雨か、台風が来るのか逸れるのか、そんな事すらはっきりしなかったよ。自分達で天気図はひいたが、元となる情報自体が列島の数カ所の曖昧情報に頼っていた。