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古平に限らず、道路って当たり前に存在しているんじゃないんだよな。先人の犠牲の下に建設された貴重な財産。そんな道路にゴミやらタバコやらをポイ捨てする輩はやはり許せない。ゾヌ様の道路愛・廃道愛に感服です。
窓から灰皿の中身捨てるの、よく見たな~道路愛ですか・・どうなんだろう、歴史などを調べるのは面白いですけどね。
8:53 初代豊浜トンネルの交通整理と管理やってました。落石防止ネット作業員の転落事故の救急車を通すタイミングを図るのに苦心しました。今は全く別の仕事してますが懐かしい思い出です。
なんと!当時の状況を教えて頂きありがとうございます!
先週ススキノで20年来の付き合いのお姉さん?と豊浜トンネルの事故の話が出ました。「私の知り合いであの時生き残った女の子がいるのよねー。『〇〇君が死んじゃったの』と話してた」そうです。事故の前にデートであのトンネルを通った時に「ここ近いうちに崩れるわー」と話したのを今でも覚えてます。山塊に目が入ってて、地質ももろいのが見てすぐ判るのでトンネル屋でもない土木屋(土質工学)でしたが恐ろしかったです。当時隣でセタカムイトンネルを掘っていた先輩が開発局にすぐ呼ばれたそうです。豊浜トンネルと合体して変な線形のトンネルになりましたね。
巻出しの上でぶら下がっているだけだった様で・・最近はそうでもないですが、現道の豊浜トンネルを通るたびにハンドルを握る手に力が入ったものです
1980年代に札幌に住んでいたころよく通りました。覆道と狭いトンネルがいくつもあり、バスとかトラックと頻繁にすれ違う交通量が意外と多かったのです。明るい海岸線からトンネルに入るとすぐに道が直角に折れ曲がっているなど運転は気が抜けなかったのです。「ローソク岩きれいだから見ろ」と同乗者に言われてもそんな余裕はありません。停めて景色を見る場所もありませんでした。数年前旅行で美国行きの路線バスに乗り何十年かぶりに通りました。あの時見れなかったローソク岩を見たかったのですが、広いトンネルを快調に走ってほとんど景色を見ることなく美国に着いてしまったのです。
確かに駐車する場所が全然ないですな
ご先祖が古平に入植して200有余年。こういう歴史があったんだねぇ。岩盤崩落の時はマジで大変だった。旧道のトンネルは狭く高さもないので、路線バスがガシガシ天井に擦れたり。不気味な雰囲気もあった。そして新道開通後もやはりあの手の怖い話は絶えず、多くの地元民が悲しみと恐怖に慄いた時でしたな。
ゾヌさんの動画とても良いです。情報量が多く、現状や歴史がとても勉強になります。
ありがたきお言葉。
こんばんは。もう27年の月日が経ちますね。亡くなられた方、遺族や親しかった方々の気持ちを考えると想像を絶します…日々整備された道路やトンネルを通れるのは、この事故があったからだという事を忘れてはいけませんね😔雪溶けの4月頃、僕もお線香をあげに行こうと思います。ゾヌさんも事故には気を付けてください🙋♂️
はらへった様、いつも本当にありがとうございます・・子供の頃、トンネルが崩れたんだ、程度の認識でしたが、道内の沿岸を走るたびに事故の恐ろしさが想起されます。
まもなく、余市・古平方面に転勤します。そう言えば、豊浜トンネルの事故のニュースありましたね。大変痛ましい事故でした。ただでさえ海岸スレスレのところを通るのに、工事も大変だったとは思いませんでした。従業員、現場監督、工事に携わる全ての方々に敬意を表します。
いつも細かなレポートに探検をありがとうございます。北海道はそのすべてがジオパークのようなもの、自然の力の大きさを感じます。戦前の貴重な情報や戦後苦難を経て引き揚げて来られた方の事、胸が熱くなります。今日、北海道の色々な物・事が壊されつつある現状があります。ゾヌさんが伝えてくれる情報から、先人たちが守って来たもの・残してきたものを感じています。7月、この方面を訪れる予定があります。崩落現場など手を合わせて来たいと思います。
崩落現場は普通だと行くことができないので駐車場の慰霊碑で手を合わせて頂ければと。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 はい、ありがとうございます。
前回 コメントした時に、幼い時に聞い話しと違いましたが 本当の事がわかりとても良かったです。私の祖母は崩落した時にあのバスに乗る予定でした。バス停で体調が悪くなり、我が家に来るのを止めると、連絡がきた時に速報で崩落のニュースを見ていた事を、思い出します今度古平町のトンネルも見て下さいw
お祖母様、命拾いをされたのですね・・・
初めて拝見しました。雪まつり期間のあの日トンネル事故は忘れられないです。その事故をきっかけに 海岸沿いの危険なトンネルは山側に移動の工事が始まりましたね😢
ありがとうございます。事故を風化させない意味でもこの動画をつくりました。
古平の知らなかった歴史を知ることができ感謝いたします✨道路工事の難しさが伝わっきます。次回作も楽しみにしております😊
もうすぐ27年ですか、改めてこの国道の険しさを感じ、犠牲者のご冥福をお祈りします。
当丸峠の神恵内側の立派な橋梁など交通量が殆ど無いのに良い設備なのは、旧国道だったのですね。
あと原発の避難路として・・・
素掘りの小さなトンネル(岩のゴツゴツして対向するのがやっと)を通った記憶がありますが、そんなに昔のことではなかったような!?…。
このトンネル事故は 覚えています未だトンネルを通る時には 崩れないか心配しながら 通過しています
お疲れ様です、あの痛ましい事故は忘れられないです。古平はべこ餅が名産だったか?
国道229…当時中学生だったが、テレビを通じて共有された彼のトンネル岩盤崩落事故、衝撃を受けたのを覚えています。続編、首を長くして待っています。
トーマル峠の整備は泊原発周辺住民の第二避難路確保だそうです。格に似合わない規模の覆道や橋が不自然ですよね。
昔は積丹半島を周回できなかったから泊原発以西の唯一の避難路だったわけですね
初めまして。連日の廃道調査お疲れ様です。豊浜トンネルの古平側坑口の崩落から27年なんですね。崩落当時、1993年式の路線バスも崩落してドライバーとその乗客が犠牲となったというニュースは今でも覚えています。新製からたった3年で事故廃車というのには悲しさもあります。乗客の中にはさっぽろ雪まつり見学に向かう人も乗っていたらしいです。犠牲者の石碑は古平寄りにありますがそれでも通過する側からすると虚しさもあります。改めて犠牲者に黙とうをささげます
2000年代初頭からこの道路を通っていますが,記憶にあった昭和の狭くて対向車が怖いトンネルが,行く度に無くなって今やそんなトンネルも見かけなくなりましたね。もう、豊浜トンネルそばの防災公園が何のためにあるかを覚えている人もすくなくなりつつありますね。あの事故直後は、トンネルの前に重機が置いてあるトンネルはヤバいとよくいわれてトンネルに入る前は緊張して見ていました。ゾヌさんの動画を見ていると、今のトンネルもいずれ大自然に飲み込まれるのかと考えてしまいますね。
子供の頃のおぼろげな記憶ではありますが、リアルタイムだった事が現地探索の原動力となった事は間違いありません
仕事の関係で旧道をよく使ってました。海岸沿いの道路からローソク岩を眺めつつの景色は良かったですね。当時初代豊浜トンネルから二代目豊浜トンネルになったときホッとしたことは覚えています。
初代がどんだけだったのか何か写真があればいいのになあ
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 このトンネル大型がすれ違うのがギリギリ。余市側から入ると暗いトンネルの先の正面に明るさを感じ出口?と思ったら真正面が海!出口と思った所はほぼ左に直角カーブの道になってました。ガードレールらしきものはなかったと思います。蛇足ですが海岸窟をも利用したトンネルでしたので釣り人も時々見かけましたね。
当丸峠は泊原発できるあたりまで多くの部分が砂利道で少し狭い道だったんですよね。今なら芦別美瑛線がちょっと雰囲気似てるかな。
原発がなければ獰道のひとつになっていたでしょうなあ
昨夏の北海道旅行で小樽からR229号を走り、ローソク岩・セタカムイを通って神威岬まで行きました。夕方6時も過ぎてて、残念ながら神威岬には入れませんでしたので、いつかリベンジを考えています。しかし、冬の北海道の道は雪だらけですね!(当たり前なんでしょうけど・・)四国生まれの軟弱ドライバーには、冬の北海道はガクブルものですね。
いつ頃の写真なのでしょうか?サムネの写真、今と変わらぬセタカムイ岩の立ち姿と袴姿の人物の写真に歴史を感じなんか感動します!(よく見つけましたね)山道と渡船で余市~古平を行き来した時代があったのですね、難所である場所に道をつくる、そのために命の犠牲があったという歴史を忘れてはいけないですね。よく通る場所なのでとても興味深かったです。今回もありがとうございました
親戚が巻き込まれた事故ですね。テレビに釘付けで他の親戚たちも祈ってたのを覚えてます。
なんと申し上げて良いか・・大変でしたね・・
いつも勉強させてもらってます。毎日余市から美国まで通勤しているので色々考えながら車を走らせてます。今後も動画楽しみにしております!
豊浜隧道の洞窟トンネルを見てみたいですねぇ🙏
海から回り込むしかないのかなあ
私は素人なのでどのような方法が一番良いか分かりませんが距離的には余市漁港からですが海の深さからだと古平側からかと…ただ、あんな珍しいトンネル(?)は2つとして無いと思うのでドローン映像ではなく実際に足で出向いた映像が見てみたいと思っただけです。無理そうでしたらやめてください。
あの事故、さっぽろ雪まつりを見に行く人も居たため、普段より乗客が多かった。『艦砲射撃でも何でもいいから、早く掘り出して』と祈ってました。
こんにちは、道道998からこの道に入り冬はあまり通りませんが、札幌方面へ行く時、よく通ります。ここら辺は昔交通手段が大変だったのですね。つくづく現在の形になって安心して通れるのは道路を作った方々等本当に感謝です。また、動画楽しみにしていいます。
以前の動画がここに繋がるんですね
229号の歴史を纏めて頂き、どうもありがとうございます。このような断崖絶壁の場所にホントよく道路を作りましたよね〜1982年に旧道を通ったのが懐かしいです。229号が当初神威岬経由ではなく積丹半島横断道路経由だったのは知らなかったです💦
その苦労してつくった道路もあの事故を機に大半が廃道に・・
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 さん。ですよね〜😢
今回は思いっ切り歴史解説に振りましたね。調査がしっかりしていて見応えがあります。そういえば伊豆半島だって房総だって、昔は海路でつながっていました。積丹も例外ではありませんね。
解説はテキストも画像も多くなるので疲れるんですが、やりがいはあります。
特徴的なセタカムイ岩が、昔から変わらない姿なのが驚きです。100年経っても大きく浸食されないほど固い岩なのでしょうか。
私もこの写真を見た時は驚きました
離島への船舶交通だけでなく、半島への船舶交通の時代もあったのですね。道内交通の歴史解説が多いので、何時も勉強になります。
今年は、真面目な?動画路線なんですね。道内の道路トンネルの歴史は以外に知らなくて、いつも新しい道路やトンネルを造って渋滞してるなくらいしか思ってませんでしたので勉強になります。冬道の中お疲れさまでした(^-^ゞ
解説動画もやれるぜ、と言うのをアピールしているわけですw私が運転する様になった頃は229号の改良が大方終わった後でした。当時の映像を見るといかに急ピッチな改良だったかがわかります。
このサムネの景色がすごい
ですよね~
夏場の旧山道まわりも動画化してほしいですがまあクマの巣なので一人は無理ですね。
行きたい気持ちはありますけどね
調査・現調・勉強熱心のゾヌさんには頭が下がります。動画をup頂きありがとうございます。m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
市町村史を読むと色々情報は見つかりますが、うまくまとめるのがタイヘンなんですよね
昔は厳しい山道や渡船による人的移動や物資輸送に頼らざるを得ず、海岸道路の開発など夢の夢だったんでしょうね。旧旧道、旧道、現道と連綿と続く道路開発の歴史に、この地域の厳しい地形が垣間見えます。
かつての山道もいずれ行ってみたいです
歴史的調査と貴重な写真・資料ありがとうございます。あの事故は衝撃でした。現場から搬出される、ペタンコに圧縮されたバスの車体写真は忘れられません。犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。
こんばんわ🌷豊浜トンネルの事故は今でも語り継がれているようですね。昔はひとつの道路を造るにも多くの人の犠牲に成り立っているようで、便利になった現代では当たり前と思っている事にちょっと反省(^^; 国道の歴史は奥が深いですね。勉強になります👍️これからも配信よろしくです(^^)vありがとうございました❄️✳️
こんばんは。調べれば調べるほど色々な経緯があったのだなと勉強になります。今後もこの様な動画はやってきたいと思います。
出足平はでたりひらでないでしょうか?漁港は、でたりひらと呼んでいました。間違ってたらすみません。
今の国の登録はでたり[びら]だねその時その時によってでたるびらだったりでたるひらだったりしたみたいだけど
@@牛沢友郎 そうだったんですね!子供の頃からでたりひらで親しんでいたのでなんだかむず痒いです
時代や環境によって読み方も変わるなら正しい地名なんてあるのだろうか、とよく思います。
トーマル峠が国道指定から外れたのは半島を周回するルートが全通してからではないでしょうか?いずれは外れるのが内定していたと思うけど90年代前半ではトーマル峠に国道の標識があったし地図上でも赤線でした。
それは謎ですね。私の所有している1990年の地図では国道ではなく道道表記です。手元の資料を読み直しましたが、1990年代にトーマル峠が国道229号だった情報は発見できませんでした。
1:40、3:08ただ、ただ、凄い...。
あの事故の犠牲になった方々にはご冥福をお祈りします
229号は面白いですね
こんばんにちは、1990年代から2000年代10年代そして現代と、大半の国道229号の変遷とともに成長してきた身として今回のような歴史解説を制作していただけたのはとても嬉しく思います、ありがとうございます^ω^もし続編が来るというのであれば楽しみにしております^ω^
次回をつくるためにももっと探索を進めないとな~
いやースゴイですね・・ここまでR229にまつわる歴史を解説するとは!そのための下調べは想像を超えるものがあるのでしょうね。なんかゾヌさんの道への執念も感じた1話でした🤓所で話はまったく俗っぽい不思議なのですが、ツーリングで初めて積丹地域に行った時に昔の車や一時期ビックスクーターで流行った シャコタン(車高を下げた車両) という言葉があるのですが、この地域と関りがあるのかココに行く度にそこに住む人々に伺っても誰も知らず、私も未だに北海道のナゾの一つになってます・・あるいは言葉とココと関わりが無いのかもしれませんね
車のシャコタンは、車高短の略?だと聞いたことがあります。
@@wataruyama2567 なるほど~気が付きませんでした納得ですありがとうございました・・お陰様でスッキリしました😃
あ、いや、ほとんど北海道道路史と古平町史から持ってきた情報なので・・シャコタンと聞くと確かに連想はしますが、実際は車高短の略なんだろうなあ~とは思ってました。
今回も見応え抜群でした。up乙です。
このシーズンに、晴天の中、古平の街並みを走れるのは幸せだと思う。それにしても道路両側の除雪した雪の壁すごいすね。2m超えてるやん。道内難読地名には強いつもりでしたが『出足平(でたりびら)』は知らんかったですわ。ふつうに『であしだいら』かと…。
積丹町までは吹雪いていたんですが、古平では晴れてましたね。出足平、でたるひら、でたりひらとも読むそうで。地名の正解とはなんぞやって感じです。
古平に限らず、道路って当たり前に存在しているんじゃないんだよな。先人の犠牲の下に建設された貴重な財産。そんな道路にゴミやらタバコやらをポイ捨てする輩はやはり許せない。ゾヌ様の道路愛・廃道愛に感服です。
窓から灰皿の中身捨てるの、よく見たな~
道路愛ですか・・どうなんだろう、歴史などを調べるのは面白いですけどね。
8:53 初代豊浜トンネルの交通整理と管理やってました。落石防止ネット作業員の転落事故の救急車を通すタイミングを図るのに苦心しました。今は全く別の仕事してますが懐かしい思い出です。
なんと!当時の状況を教えて頂きありがとうございます!
先週ススキノで20年来の付き合いのお姉さん?と豊浜トンネルの事故の話が出ました。
「私の知り合いであの時生き残った女の子がいるのよねー。『〇〇君が死んじゃったの』と
話してた」そうです。
事故の前にデートであのトンネルを通った時に「ここ近いうちに崩れるわー」
と話したのを今でも覚えてます。山塊に目が入ってて、地質ももろいのが見てすぐ判るので
トンネル屋でもない土木屋(土質工学)でしたが恐ろしかったです。
当時隣でセタカムイトンネルを掘っていた先輩が開発局にすぐ呼ばれたそうです。
豊浜トンネルと合体して変な線形のトンネルになりましたね。
巻出しの上でぶら下がっているだけだった様で・・
最近はそうでもないですが、現道の豊浜トンネルを通るたびにハンドルを握る手に力が入ったものです
1980年代に札幌に住んでいたころよく通りました。覆道と狭いトンネルがいくつもあり、バスとかトラックと頻繁にすれ違う交通量が意外と多かったのです。
明るい海岸線からトンネルに入るとすぐに道が直角に折れ曲がっているなど運転は気が抜けなかったのです。「ローソク岩きれいだから見ろ」と同乗者に言われてもそんな余裕はありません。
停めて景色を見る場所もありませんでした。
数年前旅行で美国行きの路線バスに乗り何十年かぶりに通りました。あの時見れなかったローソク岩を見たかったのですが、広いトンネルを快調に走ってほとんど景色を見ることなく美国に着いてしまったのです。
確かに駐車する場所が全然ないですな
ご先祖が古平に入植して200有余年。こういう歴史があったんだねぇ。
岩盤崩落の時はマジで大変だった。
旧道のトンネルは狭く高さもないので、路線バスがガシガシ天井に擦れたり。不気味な雰囲気もあった。
そして新道開通後もやはりあの手の怖い話は絶えず、多くの地元民が悲しみと恐怖に慄いた時でしたな。
ゾヌさんの動画とても良いです。情報量が多く、現状や歴史がとても勉強になります。
ありがたきお言葉。
こんばんは。
もう27年の月日が経ちますね。亡くなられた方、遺族や親しかった方々の気持ちを考えると想像を絶します…
日々整備された道路やトンネルを通れるのは、この事故があったからだという事を忘れてはいけませんね😔
雪溶けの4月頃、僕もお線香をあげに行こうと思います。
ゾヌさんも事故には気を付けてください🙋♂️
はらへった様、いつも本当にありがとうございます・・
子供の頃、トンネルが崩れたんだ、程度の認識でしたが、道内の沿岸を走るたびに事故の恐ろしさが想起されます。
まもなく、余市・古平方面に転勤します。
そう言えば、豊浜トンネルの事故のニュースありましたね。
大変痛ましい事故でした。
ただでさえ海岸スレスレのところを通るのに、工事も大変だったとは思いませんでした。
従業員、現場監督、工事に携わる全ての方々に敬意を表します。
いつも細かなレポートに探検をありがとうございます。北海道はそのすべてがジオパークのようなもの、自然の力の大きさを感じます。戦前の貴重な情報や戦後苦難を経て引き揚げて来られた方の事、胸が熱くなります。今日、北海道の色々な物・事が壊されつつある現状があります。ゾヌさんが伝えてくれる情報から、先人たちが守って来たもの・残してきたものを感じています。7月、この方面を訪れる予定があります。崩落現場など手を合わせて来たいと思います。
崩落現場は普通だと行くことができないので駐車場の慰霊碑で手を合わせて頂ければと。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 はい、ありがとうございます。
前回 コメントした時に、幼い時に聞い話しと違いましたが 本当の事がわかり
とても良かったです。
私の祖母は崩落した時にあのバスに乗る予定でした。バス停で体調が悪くなり、
我が家に来るのを止めると、連絡がきた時に速報で崩落のニュースを見ていた事を、
思い出します
今度古平町のトンネルも見て下さいw
お祖母様、命拾いをされたのですね・・・
初めて拝見しました。雪まつり期間のあの日トンネル事故は忘れられないです。その事故をきっかけに 海岸沿いの危険なトンネルは山側に移動の工事が始まりましたね😢
ありがとうございます。事故を風化させない意味でもこの動画をつくりました。
古平の知らなかった歴史を知ることができ感謝いたします✨
道路工事の難しさが伝わっきます。
次回作も楽しみにしております😊
もうすぐ27年ですか、改めてこの国道の険しさを感じ、犠牲者のご冥福をお祈りします。
当丸峠の神恵内側の立派な橋梁など交通量が殆ど無いのに良い設備なのは、旧国道だったのですね。
あと原発の避難路として・・・
素掘りの小さなトンネル(岩のゴツゴツして対向するのがやっと)を通った記憶がありますが、
そんなに昔のことではなかったような!?…。
このトンネル事故は 覚えています
未だトンネルを通る時には 崩れないか心配しながら 通過しています
お疲れ様です、あの痛ましい事故は忘れられないです。
古平はべこ餅が名産だったか?
国道229…当時中学生だったが、テレビを通じて共有された彼のトンネル岩盤崩落事故、衝撃を受けたのを覚えています。
続編、首を長くして待っています。
トーマル峠の整備は泊原発周辺住民の第二避難路確保だそうです。格に似合わない規模の覆道や橋が不自然ですよね。
昔は積丹半島を周回できなかったから泊原発以西の唯一の避難路だったわけですね
初めまして。連日の廃道調査お疲れ様です。
豊浜トンネルの古平側坑口の崩落から27年
なんですね。崩落当時、1993年式の路線バスも
崩落してドライバーとその乗客が犠牲となったというニュースは
今でも覚えています。新製からたった3年で事故廃車というのには
悲しさもあります。乗客の中にはさっぽろ雪まつり見学に向かう
人も乗っていたらしいです。犠牲者の石碑は古平寄りにありますが
それでも通過する側からすると虚しさもあります。改めて犠牲者に黙とうをささげます
2000年代初頭からこの道路を通っていますが,記憶にあった昭和の狭くて対向車が怖いトンネルが,行く度に無くなって今やそんな
トンネルも見かけなくなりましたね。もう、豊浜トンネルそばの防災公園が何のためにあるかを覚えている人もすくなくなりつつありますね。
あの事故直後は、トンネルの前に重機が置いてあるトンネルはヤバいとよくいわれてトンネルに入る前は緊張して見ていました。
ゾヌさんの動画を見ていると、今のトンネルもいずれ大自然に飲み込まれるのかと考えてしまいますね。
子供の頃のおぼろげな記憶ではありますが、リアルタイムだった事が現地探索の原動力となった事は間違いありません
仕事の関係で旧道をよく使ってました。海岸沿いの道路からローソク岩を眺めつつの景色は良かったですね。
当時初代豊浜トンネルから二代目豊浜トンネルになったときホッとしたことは覚えています。
初代がどんだけだったのか何か写真があればいいのになあ
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 このトンネル大型がすれ違うのがギリギリ。余市側から入ると暗いトンネルの先の正面に明るさを感じ出口?
と思ったら真正面が海!出口と思った所はほぼ左に直角カーブの道になってました。ガードレールらしきものはなかったと思います。
蛇足ですが海岸窟をも利用したトンネルでしたので釣り人も時々見かけましたね。
当丸峠は泊原発できるあたりまで多くの部分が砂利道で少し狭い道だったんですよね。今なら芦別美瑛線がちょっと雰囲気似てるかな。
原発がなければ獰道のひとつになっていたでしょうなあ
昨夏の北海道旅行で小樽からR229号を走り、ローソク岩・セタカムイを通って神威岬まで行きました。
夕方6時も過ぎてて、残念ながら神威岬には入れませんでしたので、いつかリベンジを考えています。
しかし、冬の北海道の道は雪だらけですね!(当たり前なんでしょうけど・・)
四国生まれの軟弱ドライバーには、冬の北海道はガクブルものですね。
いつ頃の写真なのでしょうか?サムネの写真、今と変わらぬセタカムイ岩の立ち姿と袴姿の人物の写真に歴史を感じなんか感動します!(よく見つけましたね)山道と渡船で余市~古平を行き来した時代があったのですね、難所である場所に道をつくる、そのために命の犠牲があったという歴史を忘れてはいけないですね。よく通る場所なのでとても興味深かったです。今回もありがとうございました
親戚が巻き込まれた事故ですね。
テレビに釘付けで他の親戚たちも祈ってたのを覚えてます。
なんと申し上げて良いか・・大変でしたね・・
いつも勉強させてもらってます。
毎日余市から美国まで通勤しているので
色々考えながら車を走らせてます。
今後も動画楽しみにしております!
豊浜隧道の洞窟トンネルを見てみたいですねぇ🙏
海から回り込むしかないのかなあ
私は素人なのでどのような方法が一番良いか分かりませんが
距離的には余市漁港からですが海の深さからだと古平側からかと…
ただ、あんな珍しいトンネル(?)は2つとして無いと思うので
ドローン映像ではなく実際に足で出向いた映像が見てみたいと思っただけです。
無理そうでしたらやめてください。
あの事故、さっぽろ雪まつりを見に行く人も居たため、普段より乗客が多かった。
『艦砲射撃でも何でもいいから、早く掘り出して』と祈ってました。
こんにちは、
道道998からこの道に入り冬はあまり通りませんが、札幌方面へ行く時、よく通ります。
ここら辺は昔交通手段が大変だったのですね。
つくづく現在の形になって安心して通れるのは道路を作った方々等本当に感謝です。
また、動画楽しみにしていいます。
以前の動画がここに繋がるんですね
229号の歴史を纏めて頂き、どうもありがとうございます。
このような断崖絶壁の場所にホントよく道路を作りましたよね〜
1982年に旧道を通ったのが懐かしいです。
229号が当初神威岬経由ではなく積丹半島横断道路経由だったのは知らなかったです💦
その苦労してつくった道路もあの事故を機に大半が廃道に・・
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 さん。
ですよね〜😢
今回は思いっ切り歴史解説に振りましたね。調査がしっかりしていて見応えがあります。
そういえば伊豆半島だって房総だって、昔は海路でつながっていました。積丹も例外ではありませんね。
解説はテキストも画像も多くなるので疲れるんですが、やりがいはあります。
特徴的なセタカムイ岩が、昔から変わらない姿なのが驚きです。100年経っても大きく浸食されないほど固い岩なのでしょうか。
私もこの写真を見た時は驚きました
離島への船舶交通だけでなく、半島への船舶交通の時代もあったのですね。
道内交通の歴史解説が多いので、
何時も勉強になります。
今年は、真面目な?動画路線なんですね。道内の道路トンネルの歴史は以外に知らなくて、いつも新しい道路やトンネルを造って渋滞してるなくらいしか思ってませんでしたので勉強になります。冬道の中お疲れさまでした(^-^ゞ
解説動画もやれるぜ、と言うのをアピールしているわけですw
私が運転する様になった頃は229号の改良が大方終わった後でした。
当時の映像を見るといかに急ピッチな改良だったかがわかります。
このサムネの景色がすごい
ですよね~
夏場の旧山道まわりも動画化してほしいですがまあクマの巣なので一人は無理ですね。
行きたい気持ちはありますけどね
調査・現調・勉強熱心のゾヌさんには頭が下がります。動画をup頂きありがとうございます。
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
市町村史を読むと色々情報は見つかりますが、うまくまとめるのがタイヘンなんですよね
昔は厳しい山道や渡船による人的移動や物資輸送に頼らざるを得ず、海岸道路の開発など夢の夢だったんでしょうね。旧旧道、旧道、現道と連綿と続く道路開発の歴史に、この地域の厳しい地形が垣間見えます。
かつての山道もいずれ行ってみたいです
歴史的調査と貴重な写真・資料ありがとうございます。
あの事故は衝撃でした。現場から搬出される、ペタンコに圧縮されたバスの車体写真は忘れられません。犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。
こんばんわ🌷
豊浜トンネルの事故は今でも語り継がれているようですね。昔はひとつの道路を造るにも多くの人の犠牲に成り立っているようで、便利になった現代では当たり前と思っている事にちょっと反省(^^; 国道の歴史は奥が深いですね。勉強になります👍️
これからも配信よろしくです(^^)v
ありがとうございました❄️✳️
こんばんは。
調べれば調べるほど色々な経緯があったのだなと勉強になります。
今後もこの様な動画はやってきたいと思います。
出足平はでたりひらでないでしょうか?漁港は、でたりひらと呼んでいました。間違ってたらすみません。
今の国の登録はでたり[びら]だね
その時その時によってでたるびらだったりでたるひらだったりしたみたいだけど
@@牛沢友郎 そうだったんですね!子供の頃からでたりひらで親しんでいたのでなんだかむず痒いです
時代や環境によって読み方も変わるなら正しい地名なんてあるのだろうか、とよく思います。
トーマル峠が国道指定から外れたのは半島を周回するルートが全通してからではないでしょうか?
いずれは外れるのが内定していたと思うけど90年代前半ではトーマル峠に国道の標識があったし地図上でも赤線でした。
それは謎ですね。
私の所有している1990年の地図では国道ではなく道道表記です。
手元の資料を読み直しましたが、1990年代にトーマル峠が国道229号だった情報は発見できませんでした。
1:40、3:08
ただ、ただ、凄い...。
あの事故の犠牲になった方々にはご冥福をお祈りします
229号は面白いですね
こんばんにちは、1990年代から2000年代10年代そして現代と、大半の国道229号の変遷とともに成長してきた身として
今回のような歴史解説を制作していただけたのはとても嬉しく思います、ありがとうございます^ω^
もし続編が来るというのであれば楽しみにしております^ω^
次回をつくるためにももっと探索を進めないとな~
いやースゴイですね・・ここまでR229にまつわる歴史を解説するとは!
そのための下調べは想像を超えるものがあるのでしょうね。
なんかゾヌさんの道への執念も感じた1話でした🤓
所で話はまったく俗っぽい不思議なのですが、ツーリングで初めて積丹地域に行った時に昔の車や一時期ビックスクーターで流行った シャコタン(車高を下げた車両) という言葉があるのですが、この地域と関りがあるのかココに行く度にそこに住む人々に伺っても誰も知らず、私も未だに北海道のナゾの一つになってます・・あるいは言葉とココと関わりが無いのかもしれませんね
車のシャコタンは、車高短の略?だと聞いたことがあります。
@@wataruyama2567
なるほど~気が付きませんでした納得です
ありがとうございました・・お陰様でスッキリしました😃
あ、いや、ほとんど北海道道路史と古平町史から持ってきた情報なので・・
シャコタンと聞くと確かに連想はしますが、実際は車高短の略なんだろうなあ~とは思ってました。
今回も見応え抜群でした。up乙です。
このシーズンに、晴天の中、古平の街並みを走れるのは幸せだと思う。
それにしても道路両側の除雪した雪の壁すごいすね。2m超えてるやん。
道内難読地名には強いつもりでしたが『出足平(でたりびら)』は知らんかったですわ。ふつうに『であしだいら』かと…。
積丹町までは吹雪いていたんですが、古平では晴れてましたね。
出足平、でたるひら、でたりひらとも読むそうで。
地名の正解とはなんぞやって感じです。