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変わってるね~は言われますね!純文学好きあるあるですね。私にとっては太宰はいつまでも新しいし、漱石は人生に寄り添う。
そうなんですよね〜。色んな読書好きはいても、純文学をずっと読んでる人はその中でも「変わってる」って言われますよね😉でも純文学ってずっといつまでも自分の中で生き続けるんですよね。そこがめっちゃいい点だと思います!📚
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そうなんです!これぞ本棚の効果ですよね〜☺️岩波文庫ってお堅いイメージあるから、たくさんあると色々と破壊的なんです!(笑)
初めて読んだ安部公房は教科書に載っていた「棒」でした。読後感は「意味わからん」。山無し・意味無し・オチ無しの不思議な小説。で、その意味を知ろうとして安部公房の作品を読んでるうちにいつしかドップリはまってしまい、今では「安部公房全集」まで揃えてしまいました。なのでUP主様の仰ることは凄く判ります!
ありがとうございます!!そうですね、純文学は最初から全ての意味がわかるってことはないんだと思いますね。難解なものって1回では分からないからこそ、数回読んだり、研究したりするんですよね。僕もそれで純文学にどハマりしております。僕も安部公房どんどん読まなきゃいけないな〜って思ってます!!
北野映画全部見てるくらい好きです純文学も大好きです、この動画を通して自分がどういうものを面白いと感じるからわかった気がします!
ありがとうございます!☺️人は意外と感覚的に自分の好き嫌いを感じます。それを言語化することで次の面白さにつなげることができると思っております!北野映画いいっすね!
純文学ってある程度本を読んできた人が最終的に行き着くジャンルのイメージある
そうですね〜。僕も色んなジャンルを経て、最終的に純文学に行き着いたって気がしますね。最初から純文学を専門的に読んでいた人っているのかな〜?😃
面白さは、読者が自分でつくりだすというのは、至言ですね👏素晴らしいコメントありがとうございます。私は、純文学とは、実話であり、誰かの実体験、誰かの人生を、言葉で紡いでいるものだと思います。すると純文学は、過去の誰かの人生となります。あなたの人生はどのように作りますか?人に語るに足る人生をどのように見つけて、作りますか?そういう問いかけが、純文学にはあるように思います😁✨✨
純文学は確かにどこか実体験は入るのだと思いますね。実体験をメタファー的にフィクション的に落とし込めたのが小説であり、純文学でもあると思います。フィクション度を減らせば私小説になります。僕の考えでは純文学は人の心を突き詰めるというやり方と、言語的な手法を突き詰めるやり方の2つがあると思います。小説とは言葉でできているので、それらの手法が現れてきます。文体や語彙力や文章能力など。それらでどのように表されるかが純文学の醍醐味の1つでもあります。言ってしまえば人生と言葉。それを作者が書いて、読書がどのように読み込むか。僕はそこが好きなのかもしれません。
すごい良いこと仰ってますね
そうでしょう!我ながらすごい良いこと言ってると思います!!
すごい視点。「面白さは操作されている」、「面白さを見つけに行く」、「つまらなさも面白さなんだ」という三つだけ取ってみてもこのサイトの主の知的レベルの高さがわかります。脱帽です。
ありがとうございます!そうですね。面白さは意外と刷り込まれています。他の人が面白いと思っているから自分も面白いと思っておこう、的なことって意外とあるんですよね。僕はつまらないことを大事にしたいですね。それすら面白くなれば人生何でも面白くなってしまうからです。本当に人生を大事にしたいのであれば僕はこうやって生きているって感じですかね。
@@RUclipsr-kx2nf 単に小説のおもしろさだけでなく、人生をいかに面白く感じるかという視点にハッとしました。ありがとうございます。
語り動画でこんなに面白いこと言える人いるんですね!他の動画も見たいと思います。
ありがとうございます!!嬉しいです!!他の動画もぜひ!!
40歳を迎え何故か20年ぶりに読書の趣味が復活して、直木賞芥川賞を取った(候補)作品を読み漁って思うのは…結局好みの問題な気がします。大衆文学だからとか純文学だからとかの議論や考察はただただ不毛なような…ただ、いい小説とおもしろい小説が違うのは同感です。優劣ではなく優れているものとそうでないもの、面白いものとそうでないものが個々人になるってだけでしょうか
もちろん個々人の問題だと思います。ですが少なくとも僕は純文学の方が好きなんですよね。そして純文学とエンタメを分けることで、そのジャンルで面白そうなものを見つけることができるのがメリットだと思っています。例えば芥川賞候補になったものを読むことで、自分の好きそうな本を自主的に見つけることができます。つまり自分の好きそうなジャンルを見つけさえすれば、未来永劫、そのジャンルの本を読めば、面白い本を見つけられます。僕は純文学に固執するのはそういう理由からですね。
映画「花束みたいな恋をした」つかつさんにオススメです!是非見た感想聞きたいです。個人的にはぶっ刺さりました!!
あー、なんか気になってるんですよね〜!☺️今度みようかと思います!僕もブッ刺さりそうな気がぷんぷんするんだよな〜!🌼
自ら面白さを能動的に発見していくこと、それが純文学の肝だという話はわかる気がいたします。学生時代、名作と呼ばれる昔の純文学を読んだとき、「つまらない」という印象を受けたことがありました。その後、ネットの記事に興味深いことが書かれておりました。つまり、「昔の音楽や古典文学は、インスタント食品やジャンクフードのように消費すべきものではなく、よく噛んで味わう類のものである」そして更に、「歴史的名作と呼ばれている作品であれば、何度か再読のチャンスを与えてあげても良いだろう。後ろから読み、途中から読み、何度も繰り返し読み、自らの経験の蓄積によって作品の評価は変わってくるかもしれない。」この原則を私は今も適用し、つまらないと感じた作品にも再読の機会を与えるようにしています。そうしないと公平な基準で作品を評価できないためです。例えば、小学1年生で平仮名を全て習うので、理論上は小学1年生で全ての本が読める訳です。※ルビを振る、熟語の解説は必要ですがしかし、読めることと理解できることは同義ではないですよね。だから、『カラマーゾフの兄弟』を小学1年生で読んで「つまらない」という感想を抱いても、それはフェアな評価ではないわけです。フェアな評価をするためには、作品の理解が必要であり、理解するには今回つかつさんがおっしゃった通り、能動的な試みが必要なのだと思います!
そうですね。エンタメ小説は答えを与えてくれるわけです。ここが面白い部分ですよ、と小説側が提示してくれるんですよね。でも例えば芸術と言われるものは答えを与えてくれません。絵画や映画や音楽などは受け手側が解釈することが前提で作られていることがあります。純文学もそのうちの1つと捉えればわかりやすいと思います。だから純文学は読解力が試されると思いますね。読解力がない人が読んでもその面白さが感じられないんだと思いますね。それはもったいないと思っています。おっしゃるように何度か再読することで理解できることもありますので、ジャンクフードのような刹那的な楽しみだけではなく、何年もかけてだんだん楽しめる小説のジャンルが純文学なんだと思いますね〜。
いい動画ですねぇ…おもしろさを見つけ出すおもしろさ。つかつさんのおすすめ通り芥川賞受賞作を中心に何十冊か読んだら実感できました!まだまだ膨大な純文学作品があるし、これからも新作が生まれ続けるか思うと、生きてる意味あるなぁとまで思えてきました😂つかつさん、来年も純文学大好きオーラ全開で、ご指南よろしくお願いします🎉
ありがとうございます。おー、純文学、読まれましたか〜!良いですね。そうなんです。純文学という「ジャンル」を発見することで、それにどハマりする可能性があるんですよね〜。こちらこそ来年もどうぞよろしくお願いします〜!!!
高校の現代文の教科書の小説の一部に明治~昭和の純文学が収録されてるけど、エリートや読書好きに関係無く現代人あまり読まないし、代わりに新聞の内容を出して読ませた方が為になるんじゃないかと思った。
どうなんでしょうね。読む人は読むし、読まない人は読まないですねえ。ただ新聞の文章と小説の文章は質が違いますね。新聞の文章は誰にでもわかりやすく意味は1つしかないですが、小説の文章は多層的になっていて多義的に捉えることができますから、そこの質の違うをどう捉えるか、があると思います。それを無視してしまうと「言葉」の記号的な側面を無視してしまうことになるので、純文学と新聞のどちらも為になるとは思っています。
僕もみうらじゅん好きです♪言われてみれば僕のチャンネルも無意識にみうらじゅんの考え方に影響を受けてたんだなあとこの動画を見て気づきましたね。突き詰めるとなんでも面白くなる。笑けてくるということですね。
みうらじゅんの影響ってめちゃくちゃでかいですよね〜。「サブカルの王」とも呼ばれてるみたいですけど、僕なんかめっちゃ好みですね!☺️突き詰めるとなんでも面白くなる、笑けてくる、っていうのはその通りですね!本当に下らないものでも、突き詰めると面白い、ってことなんですよね。僕もこのRUclipsで突き詰めていこうと思います!!!!!📚
ふとしたきっかけで拝見しましたなるほどと思う所が多かったですが「読む前に面白いかは分かる」という下りは理由が分からないですなぜ分かるのか教えて下さい
「読む前に面白いかどうかわかる」のは、長く読書をしていくにつれて「自分の読書の癖」がわかってくるってことに関わってきます。読書の自己分析的なことですね。例えば、自分はこの作家が好きだなとか、ミステリが好きだなとか、時代小説が好きだなとか、河出文庫が好きだなとか、こういうデータが増えていけば、本屋さんに行った時に、今まで好きだったものに似たような本の雰囲気を嗅ぎ取ることができるようになります。文庫だったら後ろのあらすじを読んだりしてね。出版社にも色がありますから、好きな出版社が自然と出てきます。また僕の好きな純文学というのは、何度か動画で言っていますが、内容がノンジャンルなんですね。言葉の自由さを求めて書かれた作品が多いです。なので芥川賞などにハマった場合、今まで読んだことのない作者でも芥川賞つながりで読んでみると面白いと思ったりします。その流れで言えば、実際に初めて読む作家の本をまずは直感で選んでみるんです。これは面白そうだなあ〜って思う本を直感で選んで、その結果を重ねていくんです。自分にとってそれが当たりだったかどうか、自分の打率を考えてみるんです。そうすると、その打率がどんどん上がってきます。自分の直感や嗅覚が鋭くなってきます。そうすることで、その本の外観だけで面白いかどうかがわかってきますね。あと出版社も本の外側だけで、その本のある程度の雰囲気を伝えようとしています。なので、こちらもその意図を読み取るってこともありますかね。
つかつさんの喋り方や声は中島らもを彷佛させる。言われたことありませんか?
いやあ〜、言われたことはありませんね〜☺️僕もリアルタイムで中島らもが喋ってるのを聞いたことはありませんね〜。でももしかしたらそうなのかもしれません。僕も中島らもさん好きですからね!📚
純文学はパターンがないものと羽田圭介もいっていました。池井戸潤の本はすべてパターン化されている。小説は書けるかもしれないが純文学は書けるものではない。
そうですね。パターンがないものって実はめちゃくちゃ難しいし、それが面白いかどうかは実は判断しにくいんですよね😃ある程度の「面白さ」は型にハマってるものだと思ってますからね〜。詩を面白いと感じるかどうかはかなり個人による、的なことだと思いますね〜!
みうらじゅんはすごいすよね、僕も心の師匠として私淑してます笑純文学についてですが、僕は現在の日本人(一般大衆)には芸術や文学などのハイカルチャー或いは難解なものに対する一種の逆潔癖症的な傾向があると考えてあます。例えば子供のラクガキのような絵をみてピカソだと揶揄したり、理解できない置物を現代美術といったりするような精神性や、純文学に対して読みずらい、オチがない、文章がかたくてつまらない、何が言いたいのかわからない、そういった批判、偏見、食わず嫌いをよく耳にします。(勿論殆どが本人の思考停止です。)事実僕も子供の頃はそうでした、それで思ったのがそういった思考回路が学校教育の過程で身についたものであるということです。それらは容易に学問と結びつきやすいということもあってか、半ば強制的に勉強させられるつまらないものだという印象が強く残っているのではないでしょうか?学校では必ず答えがあって、順位がつけられて、それらを理解できなければ「君はバカで落伍者である」という烙印を押されます。実はそのことが無意識裡にトラウマとして残っていて、勝手に難解なものを毛嫌いするようになるではないかと思います。僕は中学まで文学なんて大嫌いでしたが、太宰の人間失格やドストエフスキーあたりを読んでからそれらの偏見みたいなものが払拭されてその反動で色々読む様になりました。中学では周りにはそれらを共有できる人間が一切いなかったことを認識しています。しかし、大学ではそこそこの数の理解者と出会えました。僕みたいに今までの反動で嵌るケースも沢山あるので良し悪しについて一概には言えませんが、学校の教育制度や教育格差の問題、それによって生じる深い溝、それが厳然たる事実としてあるように思います。そういう世界では、いい本や人物に出会えるかどうかという偶然こそが、芸術や純文学への理解度を大きく左右するのではないでしょうか?最近常々そう思ってしまいます。
あー、一般大衆のハイカルチャー嫌悪はありますよね〜☺️学校教育の影響はあるでしょうね。むしろその学校教育ですら嫌悪する人もいますので、学校教育で習わないような学問への嫌悪はさらにありますよね。個人的な意見ですが、それはテレビの影響が大きいような気がします。よく芸人さんが「それわからへーん」的なツッコミをするのが、僕はそれほど好きではないんですよね。例えば、タモリ倶楽部でカズレーザーがみうらじゅんに対してめちゃくちゃ浅いツッコミをしてて、みうらじゅんが半分怒ってた回があるんですけど、あれみたいに、何かを深くまで考えていく、ってのができない芸人が一定数いるんですよね。つまりハイカルチャーなものを浅い笑いに変えてしまう。あれはテレビ特有な気がします。そしてそこから他への影響があるのではないかって思ったりしますね。僕も大学院まで行きましたが、そこで何人かの理解者がいましたね。そして物事を深く考える術をそこで手に入れました。みんな、いい出会いをしてないんじゃないですかね〜?📚
1年前の動画。つかっちゃん貢献。純文学でなきゃおもしろくない。いえ、純文学こそおもしろいんだけどね。エンタメ小説は映画、ドラマがいいよ。うれしいね、日本映画は小津安二郎好き。純文学は文体だけで読むのよ。
ありがとうございます!!!純文学は面白いと思います。面白がり方さえわかればめっちゃ面白いコンテンツだと思いますね。文体も面白がれるポイントですよね。僕は必ずチェックします。小津安二郎いいですね。僕はいくつかしか見たことありませんけど、面白かった。また色々と見たいですね。
理系志望の人にも高校の国語現代文で小説分野も「純文学」までやらせるのは、「情緒」を理解して欲しくて、将来社会でやっていくのに完全合理主義人間・サイコパスになって欲しくないからかな…。お医者さんならば確実に教養も求められますしね。
そうだと思いますね。純文学とは情緒が多く描かれています。ただそれだけではなく、純文学には「自由さ」が存在しています。いわゆる芸術の一種なので、例えばピカソの絵を見てどのように感じますか的なことがあると思います。そして小説は「言葉」でできています。我々は言葉を使ってコミュニケーションを使います。社会とはコミュニケーションの塊なので言葉は必須です。これは純文学における「自由な言葉」を使えるようになれば、かなり社会でやっていけるという極めて「実用的な」教育だと僕は思っていますね。
@@RUclipsr-kx2nf ご返信頂きありがとうございますm(_ _)m。視野や捉え方が多角的に広がりとても良いことだと思いますが、しかし何だか必ず「恋愛要素」が入っているものが教科書では取り扱われる傾向がある気がしますね…。私は「恋愛もの」は好きではないので。
@@RUclipsr-kx2nf 追加の補足ですみません😣💦⤵️、日本に理系の偉い立場になれる政治家が少ない理由は、何となく国語をおろそかにするからて気がします…。
データ上、直木賞の方が売れている訳ではなかったハズですが、発売されて売れ、賞を取って売れの2度売れするイメージが大きいのかな。本を読まない人は直木賞がエンタメ小説系だと知ってないから、芥川賞より本の分厚い作品の多い直木賞の方が手を出す敷居が高くて、本を読む人しか手を出されにくい直木賞は爆発的な売れ方しなくて鈍いんですよね。純文学がつまらない人に面白いと思わすには?自分は荒療治的な事をすれば、現代純文学は絶対面白いと思わす事が出来ると思います。夏目チャンネルさんが出てたので、夏目漱石で言うと人気のある三四郎、こころ、坊っちゃんでなく吾輩は猫であるの3冊読ませれば、現代純文学を面白いと思わせられると思います。本を読まない人は、その3冊の前段階に現代の薄い本、登場人物が少ない本、わかりやすい本、エンタメなどの要素を含む本などでならしをした後ですが、本を読む人と同じく最終的に読ます本は同じです。全部ちゃんと読めなくて良いんです。純文学が苦手な人は三四郎だから何?ってなると思いますし、こころもKやお嬢さんなどの登場する後半の後ろの方までいく前に挫折する可能性が高いし、吾輩は猫であるも途中で挫折するでしょう。それで良いんです。そこで現代純文学を推し燃ゆを読ませたら、あー読みやすいし、ページ数も少ないし、話もわかりやすくて面白いってなるハズです。逆にその3冊がちゃんと面白く読めたなら、現代純文学を面白く読めるハズ。作品はそれでなくても良い、昔の泉鏡花とか森鴎外の舞姫や芥川、漱石でいえば夢十夜など読ませれば、「うわッ何だこりゃ、読みにくくてよくわからん、つまんないし短くても最後まで読むのが苦痛だ。」みたいな状態になると予想されるので、その後、現代純文学を読ませたら、なんて読みやすく面白いんだってなるハズ。荒療治的ですが、昔の作品読ませれば現代よりとっつきにくく、文体の違いや、時代背景を理解してないと面白さがよくわからんみたいなのもが多くあるので、その後、現代純文学を読ませればイチコロかと思います。ちなみに自分は源氏物語が無性に読みたくなって、与謝野晶子版源氏物語を今読み始めてます。旧約聖書も途中で挫折してるのですが、今年中には読み終わろうと思ってはいます。純文学が読めないととてもじゃないが手が出せるものではないです。だから逆をやれば現代純文学ってそんなに難しくないなってなるって作戦です。
あ、そうなんですか。僕は基本的にはprizesworld.com/naoki/wins/sales.htmというサイトを参照してますね😃「直木賞・芥川賞受賞作 単行本売れ行き部数一覧」ここでの全体の感じを見て、芥川賞と直木賞では直木賞の方が売れてるような気がしますね。もちろん又吉「火花」とか田中慎弥「共喰い」とかの話題作を除いてですが。確かに芥川賞の作品ってまだ読みやすいですよ。近代文学と比べると。なので、現代純文学から遡るって読み方はいいと思いますね〜📚
@@RUclipsr-kx2nf あー、同じサイトですね。昔、気になって見てまた見てみたんですが同じ所見てても感じ方が違うって面白いですね。個人的な感じ方ですが、直木賞で100万部突破している青島幸男は芸能界でバリバリ活躍していた有名人だったのと、浅田次郎の鉄道員は映画興行も大成功して話題になった作品で初版2.5万部から100万分超えた珍しいパターンで、めちゃくちゃ売れたリリー・フランキーの東京タワーや島田洋七のがばいばあちゃん、芥川賞の又吉と一緒かと。後の人達を見るといまいち売れ行きが良くなくて、自分でも知っている有名な作家も結構売れてない人多いんだなって印象です。逆に芥川賞取った人より売れてないのかと驚かされる人もいます。売れている人もなかなか20万部の売れるって凄いんだなと、全体的に見ると結構売れ行きが伸び悩んでる印象です。賞を取った段階では直木賞の人の方が基本有名作家の人が多いと思うのですが、芥川賞はその後活躍して有名になる人が基本多いと思うのですがベテラン有名作家の凄さをみせつけるより、若手の健闘、頑張りが見られる感じがします。どちらも対して売れてなかったり、同じ様な売れ行きだったり、直木賞の方が売れてる時、芥川賞が売れてる時、売れてる数字、直木賞の賞を取った段階での有名度の割に意外と売れ行きが良くない人が多い人が多かったりするので、あまり差がなく感じます。その時の直木賞と芥川賞の対比もそうですが、20万部位、50万部位、100万部位、それ以上など売れ行きを見た時に芥川賞決して悪くなく、逆に直木賞は決して良くもない数字なんですよね。
なるほど‼︎ジャンルが、白色だから、「純」か‼︎
その通り!☺️純文学は何色にも染まらない、純粋な色をしているから「純」!そういう意味は多分あるんでしょうね〜!そして僕も同じく何色にも染まらない「文学RUclipsr」ですから「純文学RUclipsr」ですね!笑
純文学RUclipsrつかっちゃん【7000冊の古本コレクター】さん、なるほど、『純白のツカツ』って、訳ですね‼︎
僕は直木賞はほとんど読んでません。芥川賞のほうが面白かったりします。今、芥川賞受賞作品を片っ端から読んでいます。(ちなみにミステリーや推理小説なども読んでません。)
僕も基本的には直木賞は読まないですね。ただ最近になって興味は出てきてますし、企画でここ3回は読んでいます。ただやはり芥川賞の方が個人的には合う感じはしますね!☺️僕も昔に大体は読んでいますが、今から芥川賞を片っ端から読んで書評動画をあげたいな〜って気もしますね!📚
変わってるね~は言われますね!純文学好きあるあるですね。私にとっては太宰はいつまでも新しいし、漱石は人生に寄り添う。
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初めて読んだ安部公房は教科書に載っていた「棒」でした。
読後感は「意味わからん」。山無し・意味無し・オチ無しの不思議な小説。
で、その意味を知ろうとして安部公房の作品を読んでるうちにいつしかドップリはまってしまい、今では「安部公房全集」まで揃えてしまいました。
なのでUP主様の仰ることは凄く判ります!
ありがとうございます!!
そうですね、純文学は最初から全ての意味がわかるってことはないんだと思いますね。難解なものって1回では分からないからこそ、数回読んだり、研究したりするんですよね。僕もそれで純文学にどハマりしております。
僕も安部公房どんどん読まなきゃいけないな〜って思ってます!!
北野映画全部見てるくらい好きです
純文学も大好きです、この動画を通して自分がどういうものを面白いと感じるからわかった気がします!
ありがとうございます!☺️
人は意外と感覚的に自分の好き嫌いを感じます。それを言語化することで次の面白さにつなげることができると思っております!北野映画いいっすね!
純文学ってある程度本を読んできた人が最終的に行き着くジャンルのイメージある
そうですね〜。僕も色んなジャンルを経て、最終的に純文学に行き着いたって気がしますね。最初から純文学を専門的に読んでいた人っているのかな〜?😃
面白さは、読者が自分でつくりだすというのは、至言ですね👏
素晴らしいコメントありがとうございます。
私は、純文学とは、実話であり、誰かの実体験、誰かの人生を、言葉で紡いでいるものだと思います。
すると純文学は、過去の誰かの人生となります。
あなたの人生はどのように作りますか?
人に語るに足る人生をどのように見つけて、作りますか?
そういう問いかけが、純文学にはあるように思います😁✨✨
純文学は確かにどこか実体験は入るのだと思いますね。実体験をメタファー的にフィクション的に落とし込めたのが小説であり、純文学でもあると思います。フィクション度を減らせば私小説になります。
僕の考えでは純文学は人の心を突き詰めるというやり方と、言語的な手法を突き詰めるやり方の2つがあると思います。
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すごい良いこと仰ってますね
そうでしょう!我ながらすごい良いこと言ってると思います!!
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ありがとうございます!
そうですね。面白さは意外と刷り込まれています。他の人が面白いと思っているから自分も面白いと思っておこう、的なことって意外とあるんですよね。
僕はつまらないことを大事にしたいですね。それすら面白くなれば人生何でも面白くなってしまうからです。本当に人生を大事にしたいのであれば僕はこうやって生きているって感じですかね。
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ありがとうございます!!嬉しいです!!
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ただ、いい小説とおもしろい小説が違うのは同感です。優劣ではなく優れているものとそうでないもの、面白いものとそうでないものが個々人になるってだけでしょうか
もちろん個々人の問題だと思います。
ですが少なくとも僕は純文学の方が好きなんですよね。
そして純文学とエンタメを分けることで、そのジャンルで面白そうなものを見つけることができるのがメリットだと思っています。
例えば芥川賞候補になったものを読むことで、自分の好きそうな本を自主的に見つけることができます。
つまり自分の好きそうなジャンルを見つけさえすれば、未来永劫、そのジャンルの本を読めば、面白い本を見つけられます。
僕は純文学に固執するのはそういう理由からですね。
映画「花束みたいな恋をした」つかつさんにオススメです!
是非見た感想聞きたいです。
個人的にはぶっ刺さりました!!
あー、なんか気になってるんですよね〜!☺️
今度みようかと思います!僕もブッ刺さりそうな気がぷんぷんするんだよな〜!🌼
自ら面白さを能動的に発見していくこと、それが純文学の肝だという話はわかる気が
いたします。
学生時代、名作と呼ばれる昔の純文学を
読んだとき、「つまらない」という印象を受けたことがありました。
その後、ネットの記事に興味深いことが
書かれておりました。つまり、
「昔の音楽や古典文学は、インスタント
食品やジャンクフードのように消費すべきものではなく、よく噛んで味わう類のものである」
そして更に、
「歴史的名作と呼ばれている作品で
あれば、何度か再読のチャンスを与えて
あげても良いだろう。後ろから読み、途中から読み、何度も繰り返し読み、自らの経験の蓄積によって作品の評価は変わって
くるかもしれない。」
この原則を私は今も適用し、つまらないと感じた作品にも再読の機会を与えるようにしています。
そうしないと公平な基準で作品を評価
できないためです。
例えば、小学1年生で平仮名を全て習う
ので、理論上は小学1年生で全ての本が
読める訳です。
※ルビを振る、熟語の解説は必要ですが
しかし、読めることと理解できることは
同義ではないですよね。
だから、『カラマーゾフの兄弟』を
小学1年生で読んで「つまらない」という感想を抱いても、それはフェアな評価ではないわけです。
フェアな評価をするためには、作品の理解が必要であり、理解するには今回
つかつさんがおっしゃった通り、能動的な
試みが必要なのだと思います!
そうですね。エンタメ小説は答えを与えてくれるわけです。ここが面白い部分ですよ、と小説側が提示してくれるんですよね。
でも例えば芸術と言われるものは答えを与えてくれません。絵画や映画や音楽などは受け手側が解釈することが前提で作られていることがあります。
純文学もそのうちの1つと捉えればわかりやすいと思います。
だから純文学は読解力が試されると思いますね。読解力がない人が読んでもその面白さが感じられないんだと思いますね。それはもったいないと思っています。おっしゃるように何度か再読することで理解できることもありますので、ジャンクフードのような刹那的な楽しみだけではなく、何年もかけてだんだん楽しめる小説のジャンルが純文学なんだと思いますね〜。
いい動画ですねぇ…おもしろさを見つけ出すおもしろさ。つかつさんのおすすめ通り芥川賞受賞作を中心に何十冊か読んだら実感できました!まだまだ膨大な純文学作品があるし、これからも新作が生まれ続けるか思うと、生きてる意味あるなぁとまで思えてきました😂
つかつさん、来年も純文学大好きオーラ全開で、ご指南よろしくお願いします🎉
ありがとうございます。おー、純文学、読まれましたか〜!良いですね。
そうなんです。純文学という「ジャンル」を発見することで、それにどハマりする可能性があるんですよね〜。
こちらこそ来年もどうぞよろしくお願いします〜!!!
高校の現代文の教科書の小説の一部に明治~昭和の純文学が収録されてるけど、エリートや読書好きに関係無く現代人あまり読まないし、代わりに新聞の内容を出して読ませた方が為になるんじゃないかと思った。
どうなんでしょうね。読む人は読むし、読まない人は読まないですねえ。ただ新聞の文章と小説の文章は質が違いますね。
新聞の文章は誰にでもわかりやすく意味は1つしかないですが、小説の文章は多層的になっていて多義的に捉えることができますから、そこの質の違うをどう捉えるか、があると思います。
それを無視してしまうと「言葉」の記号的な側面を無視してしまうことになるので、純文学と新聞のどちらも為になるとは思っています。
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みうらじゅんの影響ってめちゃくちゃでかいですよね〜。「サブカルの王」とも呼ばれてるみたいですけど、僕なんかめっちゃ好みですね!☺️
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ふとしたきっかけで拝見しました
なるほどと思う所が多かったですが「読む前に面白いかは分かる」という下りは理由が分からないです
なぜ分かるのか教えて下さい
「読む前に面白いかどうかわかる」のは、長く読書をしていくにつれて「自分の読書の癖」がわかってくるってことに関わってきます。読書の自己分析的なことですね。
例えば、自分はこの作家が好きだなとか、ミステリが好きだなとか、時代小説が好きだなとか、河出文庫が好きだなとか、こういうデータが増えていけば、本屋さんに行った時に、今まで好きだったものに似たような本の雰囲気を嗅ぎ取ることができるようになります。文庫だったら後ろのあらすじを読んだりしてね。出版社にも色がありますから、好きな出版社が自然と出てきます。
また僕の好きな純文学というのは、何度か動画で言っていますが、内容がノンジャンルなんですね。言葉の自由さを求めて書かれた作品が多いです。なので芥川賞などにハマった場合、今まで読んだことのない作者でも芥川賞つながりで読んでみると面白いと思ったりします。
その流れで言えば、実際に初めて読む作家の本をまずは直感で選んでみるんです。これは面白そうだなあ〜って思う本を直感で選んで、その結果を重ねていくんです。自分にとってそれが当たりだったかどうか、自分の打率を考えてみるんです。そうすると、その打率がどんどん上がってきます。自分の直感や嗅覚が鋭くなってきます。そうすることで、その本の外観だけで面白いかどうかがわかってきますね。
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つかつさんの喋り方や声は中島らもを彷佛させる。言われたことありませんか?
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でももしかしたらそうなのかもしれません。僕も中島らもさん好きですからね!📚
純文学はパターンがないものと羽田圭介もいっていました。
池井戸潤の本はすべてパターン化されている。小説は書けるかもしれないが
純文学は書けるものではない。
そうですね。パターンがないものって実はめちゃくちゃ難しいし、それが面白いかどうかは実は判断しにくいんですよね😃
ある程度の「面白さ」は型にハマってるものだと思ってますからね〜。
詩を面白いと感じるかどうかはかなり個人による、的なことだと思いますね〜!
みうらじゅんはすごいすよね、僕も心の師匠として私淑してます笑
純文学についてですが、僕は現在の日本人(一般大衆)には芸術や文学などのハイカルチャー或いは難解なものに対する一種の逆潔癖症的な傾向があると考えてあます。
例えば子供のラクガキのような絵をみてピカソだと揶揄したり、理解できない置物を現代美術といったりするような精神性や、純文学に対して読みずらい、オチがない、文章がかたくてつまらない、何が言いたいのかわからない、そういった批判、偏見、食わず嫌いをよく耳にします。(勿論殆どが本人の思考停止です。)
事実僕も子供の頃はそうでした、それで思ったのがそういった思考回路が学校教育の過程で身についたものであるということです。
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実はそのことが無意識裡にトラウマとして残っていて、勝手に難解なものを毛嫌いするようになるではないかと思います。
僕は中学まで文学なんて大嫌いでしたが、太宰の人間失格やドストエフスキーあたりを読んでからそれらの偏見みたいなものが払拭されてその反動で色々読む様になりました。
中学では周りにはそれらを共有できる人間が一切いなかったことを認識しています。
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僕みたいに今までの反動で嵌るケースも沢山あるので良し悪しについて一概には言えませんが、学校の教育制度や教育格差の問題、それによって生じる深い溝、それが厳然たる事実としてあるように思います。
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最近常々そう思ってしまいます。
あー、一般大衆のハイカルチャー嫌悪はありますよね〜☺️
学校教育の影響はあるでしょうね。むしろその学校教育ですら嫌悪する人もいますので、学校教育で習わないような学問への嫌悪はさらにありますよね。
個人的な意見ですが、それはテレビの影響が大きいような気がします。
よく芸人さんが「それわからへーん」的なツッコミをするのが、僕はそれほど好きではないんですよね。
例えば、タモリ倶楽部でカズレーザーがみうらじゅんに対してめちゃくちゃ浅いツッコミをしてて、みうらじゅんが半分怒ってた回があるんですけど、あれみたいに、何かを深くまで考えていく、ってのができない芸人が一定数いるんですよね。つまりハイカルチャーなものを浅い笑いに変えてしまう。あれはテレビ特有な気がします。そしてそこから他への影響があるのではないかって思ったりしますね。
僕も大学院まで行きましたが、そこで何人かの理解者がいましたね。そして物事を深く考える術をそこで手に入れました。
みんな、いい出会いをしてないんじゃないですかね〜?📚
1年前の動画。つかっちゃん貢献。純文学でなきゃおもしろくない。いえ、純文学こそおもしろいんだけどね。エンタメ小説は映画、ドラマがいいよ。うれしいね、日本映画は小津安二郎好き。純文学は文体だけで読むのよ。
ありがとうございます!!!
純文学は面白いと思います。面白がり方さえわかればめっちゃ面白いコンテンツだと思いますね。文体も面白がれるポイントですよね。僕は必ずチェックします。
小津安二郎いいですね。僕はいくつかしか見たことありませんけど、面白かった。また色々と見たいですね。
理系志望の人にも高校の国語現代文で小説分野も「純文学」までやらせるのは、「情緒」を理解して欲しくて、将来社会でやっていくのに完全合理主義人間・サイコパスになって欲しくないからかな…。
お医者さんならば確実に教養も求められますしね。
そうだと思いますね。純文学とは情緒が多く描かれています。
ただそれだけではなく、純文学には「自由さ」が存在しています。
いわゆる芸術の一種なので、例えばピカソの絵を見てどのように感じますか的なことがあると思います。
そして小説は「言葉」でできています。我々は言葉を使ってコミュニケーションを使います。社会とはコミュニケーションの塊なので言葉は必須です。これは純文学における「自由な言葉」を使えるようになれば、かなり社会でやっていけるという極めて「実用的な」教育だと僕は思っていますね。
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ご返信頂きありがとうございますm(_ _)m。
視野や捉え方が多角的に広がりとても良いことだと思いますが、しかし何だか必ず「恋愛要素」が入っているものが教科書では取り扱われる傾向がある気がしますね…。
私は「恋愛もの」は好きではないので。
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追加の補足ですみません😣💦⤵️、日本に理系の偉い立場になれる政治家が少ない理由は、何となく国語をおろそかにするからて気がします…。
データ上、直木賞の方が売れている訳ではなかったハズですが、発売されて売れ、賞を取って売れの2度売れするイメージが大きいのかな。
本を読まない人は直木賞がエンタメ小説系だと知ってないから、芥川賞より本の分厚い作品の多い直木賞の方が手を出す敷居が高くて、本を読む人しか手を出されにくい直木賞は爆発的な売れ方しなくて鈍いんですよね。
純文学がつまらない人に面白いと思わすには?自分は荒療治的な事をすれば、現代純文学は絶対面白いと思わす事が出来ると思います。
夏目チャンネルさんが出てたので、夏目漱石で言うと人気のある三四郎、こころ、坊っちゃんでなく吾輩は猫であるの3冊読ませれば、現代純文学を面白いと思わせられると思います。
本を読まない人は、その3冊の前段階に現代の薄い本、登場人物が少ない本、わかりやすい本、エンタメなどの要素を含む本などでならしをした後ですが、本を読む人と同じく最終的に読ます本は同じです。
全部ちゃんと読めなくて良いんです。
純文学が苦手な人は三四郎だから何?ってなると思いますし、こころもKやお嬢さんなどの登場する後半の後ろの方までいく前に挫折する可能性が高いし、吾輩は猫であるも途中で挫折するでしょう。
それで良いんです。
そこで現代純文学を推し燃ゆを読ませたら、あー読みやすいし、ページ数も少ないし、話もわかりやすくて面白いってなるハズです。
逆にその3冊がちゃんと面白く読めたなら、現代純文学を面白く読めるハズ。
作品はそれでなくても良い、昔の泉鏡花とか森鴎外の舞姫や芥川、漱石でいえば夢十夜など読ませれば、「うわッ何だこりゃ、読みにくくてよくわからん、つまんないし短くても最後まで読むのが苦痛だ。」みたいな状態になると予想されるので、その後、現代純文学を読ませたら、なんて読みやすく面白いんだってなるハズ。
荒療治的ですが、昔の作品読ませれば現代よりとっつきにくく、文体の違いや、時代背景を理解してないと面白さがよくわからんみたいなのもが多くあるので、その後、現代純文学を読ませればイチコロかと思います。
ちなみに自分は源氏物語が無性に読みたくなって、与謝野晶子版源氏物語を今読み始めてます。
旧約聖書も途中で挫折してるのですが、今年中には読み終わろうと思ってはいます。
純文学が読めないととてもじゃないが手が出せるものではないです。
だから逆をやれば現代純文学ってそんなに難しくないなってなるって作戦です。
あ、そうなんですか。僕は基本的には
prizesworld.com/naoki/wins/sales.htm
というサイトを参照してますね😃
「直木賞・芥川賞受賞作 単行本売れ行き部数一覧」
ここでの全体の感じを見て、芥川賞と直木賞では直木賞の方が売れてるような気がしますね。もちろん又吉「火花」とか田中慎弥「共喰い」とかの話題作を除いてですが。
確かに芥川賞の作品ってまだ読みやすいですよ。近代文学と比べると。なので、現代純文学から遡るって読み方はいいと思いますね〜📚
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あー、同じサイトですね。
昔、気になって見てまた見てみたんですが同じ所見てても感じ方が違うって面白いですね。
個人的な感じ方ですが、直木賞で100万部突破している青島幸男は芸能界でバリバリ活躍していた有名人だったのと、浅田次郎の鉄道員は映画興行も大成功して話題になった作品で初版2.5万部から100万分超えた珍しいパターンで、めちゃくちゃ売れたリリー・フランキーの東京タワーや島田洋七のがばいばあちゃん、芥川賞の又吉と一緒かと。
後の人達を見るといまいち売れ行きが良くなくて、自分でも知っている有名な作家も結構売れてない人多いんだなって印象です。
逆に芥川賞取った人より売れてないのかと驚かされる人もいます。
売れている人もなかなか20万部の売れるって凄いんだなと、全体的に見ると結構売れ行きが伸び悩んでる印象です。
賞を取った段階では直木賞の人の方が基本有名作家の人が多いと思うのですが、芥川賞はその後活躍して有名になる人が基本多いと思うのですがベテラン有名作家の凄さをみせつけるより、若手の健闘、頑張りが見られる感じがします。
どちらも対して売れてなかったり、同じ様な売れ行きだったり、直木賞の方が売れてる時、芥川賞が売れてる時、売れてる数字、直木賞の賞を取った段階での有名度の割に意外と売れ行きが良くない人が多い人が多かったりするので、あまり差がなく感じます。
その時の直木賞と芥川賞の対比もそうですが、20万部位、50万部位、100万部位、それ以上など売れ行きを見た時に芥川賞決して悪くなく、逆に直木賞は決して良くもない数字なんですよね。
なるほど‼︎ジャンルが、白色だから、「純」か‼︎
その通り!☺️
純文学は何色にも染まらない、純粋な色をしているから「純」!
そういう意味は多分あるんでしょうね〜!
そして僕も同じく何色にも染まらない「文学RUclipsr」ですから「純文学RUclipsr」ですね!笑
純文学RUclipsrつかっちゃん【7000冊の古本コレクター】さん、なるほど、『純白のツカツ』って、訳ですね‼︎
僕は直木賞はほとんど読んでません。芥川賞のほうが面白かったりします。今、芥川賞受賞作品を片っ端から読んでいます。(ちなみにミステリーや推理小説なども読んでません。)
僕も基本的には直木賞は読まないですね。ただ最近になって興味は出てきてますし、企画でここ3回は読んでいます。ただやはり芥川賞の方が個人的には合う感じはしますね!☺️
僕も昔に大体は読んでいますが、今から芥川賞を片っ端から読んで書評動画をあげたいな〜って気もしますね!📚