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しかしいつ見てもすごい僧帽筋だな。それで不知火型の土俵入りだとせり上がりはやはり秀逸
@@小笠原努-u2b 様かっこいい😎ですよね🤭
千代の富士を当時応援してたので、千代の富士が隆の里に負けてばかりで、本当に目の上のタンコブで超ムカつく力士でした🤬😡でも、後になって千代の富士に対する勝つための研究に全ての時間と言っていいほど没頭していた事実を知り、糖尿病と闘いながら相撲に人生の全てのエネルギーを費やしていた隆の里に対して、そんな感情を持ってた自分を本当に恥じました😣全盛期は短かったですが、当時を知る人々の心にその勇姿が強く刻まれているのではないかと思います。名横綱でした😌👍
逆に隆の里は、出羽の花を苦手にしていたそうです。
一番最初に好きになった力士は輪島。引退後は北の湖の凄さがわかり大ファンになりました。その次に好きになったのが隆の里でした。みんな亡くなってしまった。悲しいです。
@@koking1471 様悲しいですね!
小生の勝手な思い入れですが、隆の里と若乃花(若三杉)は二人で一人だったような気がしてなりません。夜汽車に揺られて上京し、出世の遅い早いはあったものの若乃花が持てる才能を発揮できないまま土俵を去ったあとバトンタッチを受け短いながらも彼の分まで土俵を盛り上げてくれて嬉しかった😿~偉大なる『じょっぱり横綱』でした🎉
同期入門の2代目若乃花がこの年の1月初場所途中で引退したあとに横綱昇進した。遅咲きだったが。
2回ぐらい千代の富士を吊り出しで破った。通称ポパイ
相撲教習所では最初から最後まで飯を食べていたな 一緒に稽古した頃が懐かしい どっこいで 融通きかない 我が道を行く 孤高の高谷 下山とは正反対 高谷の青森弁が懐かしいな
一簣功の化粧回しが懐かしい
全勝優勝も2回している。
確か15日制になってからは初の新横綱全勝優勝でしたよね。千代の富士との4場所連続千秋楽相星決戦(勝った方が優勝)はしびれたなあ〜千代の富士から相撲見るようになったけど、隆の里も全盛期が本当に強くて好きだった。
@@kyky4581 様しびれました。🤭
隆の里→稀勢の里→大の里の系譜
Mr.僧帽筋
@@メラニー-n5g 様相撲絵巻の様ないい身体付きですね🤭
千代の富士の筋肉も凄いが、隆の里の上腕と肩の筋肉の盛り上がりは異常。
@@パチタイガー 様よくご存知です。🤭
対千代の富士戦16勝12敗
あの時代に大将(千代の富士)の好敵手たり得た、唯一力士です。
@@たけさん-s7d 様おっしゃる通り!🤭
ウィキペディアでは、隆の里は関取になる前から食事の時アルコールも摂取していて糖尿病になったとあります。が、先に引退していた若乃花(隆の里横綱昇進時に雑誌に寄稿したとされるもの)の手記では、幕下時代の隆の里は稽古後毎日ジュース類を大量にがぶ飲みしていたとありました。自身は夏巡業で充実した稽古を積み真っ黒になって帰ってきたら、巡業へ行けぬまま部屋でゲッソリ痩せた隆の里を見て驚いてしまったと。関取でもない幕下以下の力士が食事中にアルコールなんて許されるものなのか疑問なので、若乃花の手記のほうが正しいような気もします。もしくはその当時まだ現役で横綱になったばかりの隆の里の立場を考慮して、原因がアルコールだったことを手記では隠した可能性もありますね。
立ち合いでとにかく手をついていない(笑)
@@小笠原努-u2b 様昔は…よかったみたいですね🤭
そして孫弟子の大の里は今年大関昇進を果たした
高齢での横綱昇進のため、決して横綱在位は長くはなかったが、間違いなく強い横綱だった。同時期に横綱在位の北の湖と千代の富士に比べると、二人のような速攻型ではないし、顔も前者二人のような鋭い顔ではないので、地味ではあったが、がっぷり四つからの強さは、本物の横綱相撲だった。
朝汐じゃなくて朝潮
この頃は朝汐
糖尿病を克服して横綱昇進を果たした。おしん横綱とも言われた。
ウルフキラー🐺千代の富士を倒すために何度も、自宅でビデオを見直したとか。そのせいでデッキを何度も買い替え、家族や弟弟子は呆れて何も言えなくなったらしい😅
55年秋、57年秋の北の湖の左足の動きが明らかにおかしいね
体を酷使して、足がもう限界に来てたのではないかと思います😖
81年~82年、大関から横綱へ駆け上がる、この時期の千代の富士に8連勝というのが、隆の里のハイライト……だと思ったら隆の里も、おしんよろしく横綱に登り詰め、ライバルと4場所連続相星決戦。「千隆時代」もっと長く続いて欲しかった。
↑いいネーミング👍
同じ津軽出身の尊富士の肩の盛り上がり、隆の里に似てないか?
@@笠原哲郎 様似ていますね!🤭肌の色は違いますが…🤭
千代の富士キラーというのは適当ではないと思う。花の命が短かっただけで力士としての最高地点は千代の富士より隆の里のほうが上だった。それは互いの全盛期に4場所連続の相星決戦で隆の里が3勝1敗と勝ち越したことが答え。すべて堂々と渡り合った末の力勝ちだった。
確かにキラーという表現はどうかと思います。研究に研究を重ねた末で苦労して得た勝利と思うのと、元々千代の富士に得手で強かったかどうかが素朴に疑問を感じたので🤔左上手が取れてたり、左手上手でがっぷりの状況になれば千代の富士や他の力士に対しても絶対的な強さを発揮していたと思います。対千代の富士に関しては、その態勢に常に持っていって勝つための戦略が、ビデオを擦りきれるほど見たエピソードに繋がっていると思います🤔いくら隆の里でも千代の富士のスピード相撲に翻弄される状況となったり、前上手を先に取られ一挙にスピードと化け物パワーで出られたら、逆に千代の富士の相撲になってしまうと思いますので😅どちらも強い力士ですが、自分の相撲に持っていくための紙一重の状況を戦略で征したのが隆の里であったと思います😌
しかしいつ見てもすごい僧帽筋だな。
それで不知火型の土俵入りだとせり上がりはやはり秀逸
@@小笠原努-u2b 様
かっこいい😎ですよね🤭
千代の富士を当時応援してたので、千代の富士が隆の里に負けてばかりで、本当に目の上のタンコブで超ムカつく力士でした🤬😡
でも、後になって千代の富士に対する勝つための研究に全ての時間と言っていいほど没頭していた事実を知り、糖尿病と闘いながら相撲に人生の全てのエネルギーを費やしていた隆の里に対して、そんな感情を持ってた自分を本当に恥じました😣
全盛期は短かったですが、当時を知る人々の心にその勇姿が強く刻まれているのではないかと思います。
名横綱でした😌👍
逆に隆の里は、出羽の花を苦手にしていたそうです。
一番最初に好きになった力士は輪島。引退後は北の湖の凄さがわかり大ファンになりました。その次に好きになったのが隆の里でした。みんな亡くなってしまった。悲しいです。
@@koking1471 様
悲しいですね!
小生の勝手な思い入れですが、隆の里と若乃花(若三杉)は二人で一人だったような気がしてなりません。
夜汽車に揺られて上京し、出世の遅い早いはあったものの若乃花が持てる才能を発揮できないまま土俵を去ったあとバトンタッチを受け短いながらも彼の分まで土俵を盛り上げてくれて嬉しかった😿~
偉大なる『じょっぱり横綱』でした🎉
同期入門の2代目若乃花がこの年の1月初場所途中で引退したあとに横綱昇進した。遅咲きだったが。
2回ぐらい千代の富士を吊り出しで破った。通称ポパイ
相撲教習所では最初から最後まで飯を食べていたな 一緒に稽古した頃が懐かしい どっこいで 融通きかない 我が道を行く 孤高の高谷 下山とは正反対 高谷の青森弁が懐かしいな
一簣功の化粧回しが懐かしい
全勝優勝も2回している。
確か15日制になってからは初の新横綱全勝優勝でしたよね。
千代の富士との4場所連続千秋楽相星決戦(勝った方が優勝)はしびれたなあ〜
千代の富士から相撲見るようになったけど、隆の里も全盛期が本当に強くて好きだった。
@@kyky4581 様
しびれました。🤭
隆の里→稀勢の里→大の里の系譜
Mr.僧帽筋
@@メラニー-n5g 様
相撲絵巻の様な
いい身体付きですね🤭
千代の富士の筋肉も凄いが、隆の里の上腕と肩の筋肉の盛り上がりは異常。
@@パチタイガー 様
よくご存知です。🤭
対千代の富士戦16勝12敗
あの時代に大将(千代の富士)の好敵手たり得た、唯一力士です。
@@たけさん-s7d 様
おっしゃる通り!🤭
ウィキペディアでは、隆の里は関取になる前から食事の時アルコールも摂取していて糖尿病になったとあります。が、先に引退していた若乃花(隆の里横綱昇進時に雑誌に寄稿したとされるもの)の手記では、幕下時代の隆の里は稽古後毎日ジュース類を大量にがぶ飲みしていたとありました。自身は夏巡業で充実した稽古を積み真っ黒になって帰ってきたら、巡業へ行けぬまま部屋でゲッソリ痩せた隆の里を見て驚いてしまったと。
関取でもない幕下以下の力士が食事中にアルコールなんて許されるものなのか疑問なので、若乃花の手記のほうが正しいような気もします。もしくはその当時まだ現役で横綱になったばかりの隆の里の立場を考慮して、原因がアルコールだったことを手記では隠した可能性もありますね。
立ち合いでとにかく手をついていない(笑)
@@小笠原努-u2b 様
昔は…
よかったみたいですね🤭
そして孫弟子の大の里は今年大関昇進を果たした
高齢での横綱昇進のため、決して横綱在位は長くはなかったが、間違いなく強い横綱だった。
同時期に横綱在位の北の湖と千代の富士に比べると、二人のような速攻型ではないし、顔も前者二人のような鋭い顔ではないので、地味ではあったが、がっぷり四つからの強さは、本物の横綱相撲だった。
朝汐じゃなくて朝潮
この頃は朝汐
糖尿病を克服して横綱昇進を果たした。おしん横綱とも言われた。
ウルフキラー🐺
千代の富士を倒すために何度も、自宅でビデオを見直したとか。そのせいでデッキを何度も買い替え、家族や弟弟子は呆れて何も言えなくなったらしい😅
55年秋、57年秋の北の湖の左足の動きが明らかにおかしいね
体を酷使して、足がもう限界に来てたのではないかと思います😖
81年~82年、大関から横綱へ駆け上がる、この時期の千代の富士に8連勝というのが、隆の里のハイライト……
だと思ったら隆の里も、おしんよろしく横綱に登り詰め、ライバルと4場所連続相星決戦。
「千隆時代」もっと長く続いて欲しかった。
↑
いいネーミング👍
同じ津軽出身の尊富士の肩の盛り上がり、隆の里に似てないか?
@@笠原哲郎 様
似ていますね!🤭
肌の色は違いますが…🤭
千代の富士キラーというのは適当ではないと思う。花の命が短かっただけで力士としての最高地点は千代の富士より隆の里のほうが上だった。それは互いの全盛期に4場所連続の相星決戦で隆の里が3勝1敗と勝ち越したことが答え。すべて堂々と渡り合った末の力勝ちだった。
確かにキラーという表現はどうかと思います。研究に研究を重ねた末で苦労して得た勝利と思うのと、元々千代の富士に得手で強かったかどうかが素朴に疑問を感じたので🤔
左上手が取れてたり、左手上手でがっぷりの状況になれば千代の富士や他の力士に対しても絶対的な強さを発揮していたと思います。
対千代の富士に関しては、その態勢に常に持っていって勝つための戦略が、ビデオを擦りきれるほど見たエピソードに繋がっていると思います🤔
いくら隆の里でも千代の富士のスピード相撲に翻弄される状況となったり、前上手を先に取られ一挙にスピードと化け物パワーで出られたら、逆に千代の富士の相撲になってしまうと思いますので😅
どちらも強い力士ですが、自分の相撲に持っていくための紙一重の状況を戦略で征したのが隆の里であったと思います😌