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子供の頃は、森で探検隊ごっこしてて、している所に遭遇した。静かに見守ってみんなで終わるまで静かにしていた。金縛り状態でした。
かつての春日陽さんの声が恋しい。ロボットが話してるの悲しい…たまには別キャラででも登場してほしいです、
取り敢えずなんかよく分かんないけど流行ってるから心中する。😂ただ今の90歳ぐらいは、お見合いで知り合っても初デートにスケートリンク行ったりダンスホール行ったりいきなり手繋ぎに持ち込んでいたのは先進的だったと思います。
66歳ですが中学生の頃に銀座へ行ったら資生堂パーラーがありました。
明治生まれの祖父母でしたが家柄に問われない恋愛結婚でした。こんな感じだったのかなと観てました。
資生堂パーラーに行ってみたい!
庶民でもさすがに農村の地主階級と小作人階級、漁村の網元の家と網子の家では、さすがに「分不相応」として結婚を認めてもらえないケースが多かったみたいです。恋愛はしたみたいですが、必ず結婚に結びつくとは限らなかったようです。
うちの場合、父方の祖父母は、遠くから父方の家近隣の軍需工場へ出稼ぎ?に来た祖母が祖父に一目惚れ→猛アタックの恋愛婚、母方は、親から「お前の結婚相手だ」と写真だけ見せられる→顔合わせもなく遠方に住んでいた祖父が祖母の家へ婿養子に来るという、時代を感じるけど対照的なものでした。
江戸時代から昭和初期まで上野不忍の池の周りは『出会茶屋』が林立していましたその流れで湯島がラブホテル街になったのかと東京でラブホテル街は前述の湯島の他は鶯谷、池袋、新宿など全て江戸の郊外(今の都心の外側)なのは江戸時代の花街や料亭街の名残です外濠内側の江戸市中には繁華街がなかったので風俗街が生まれなかったのです鰻をカップルで食べに行くのは性交渉が前提でした
17:00 芥川龍之介のラブレターは素敵なのにモーツァルトと来たら…
最近読んだ本で、男性が女性の名前で想い人に手紙を出すなんて話がありましたね。明治のお話ですが。
昭和39年東京オリンピックのころ、小学生の時に裏校舎から崖の上にアベックさんが、ず~っと話し込んでるのを観て、昼休みに近くまでみんなで見学に行ったら、男が畑にあったジャガイモを怒りの剛速球で、投げまくられたの想い出す・・・怖かったな~
こういうテーマはコメントが面白い🤣
なるほど餡を食べながら餡餡してたわけか(´*`=)
いやいや!!私の両親は 大正十一年、十二年生まれの人間だけど、昭和に成っても戦争が始まり ( 自由恋愛なんて、とんでも無い!!) って言う時代だった。 と、私は母親から聴いて居る。
明治大正の恋愛だから、少なくとも明治生まれの方での話ではないでしょうか。大正11年、12年生の方だとこの話から少し外れる印象です
お見合いが普通だよねー
大正、昭和一桁生まれは大変な時代に当って青春を搾取されたのよ 氷河期よりさらに悲惨でしょう
太宰治晒されててかわいそう
当時もラブホテルのような施設があったんですね!
義母は昭和一桁生まれでしたが、結婚相手を初めて見たのが式当日だったと言っていました。田舎では江戸時代や明治時代の習慣が遅くまで残っていたようです。「ランデブー」は「デート」の前の呼び方で、1962年12月のボストーク3号と同4号の間で成功したところから流行語になりました。余談ですが、当時は「OL(オフィスレディ)」ではなく、「BG(ビジネスガール)」の方が一般的でしたね。
現代は恋愛をするのが当たり前だと?????
……いやいや。現代では手を繋いだりする行為は珍しくない、それは実際そうではないですか。それが当時ではかなり奇異な目で見られていたという話で、それ以上には言及されていませんよ……??
手も繋げんのや。オーバーキルやめてけろ
涙拭けよ・・・
元気出して!
@@盟盟-g3l頭固っ
資生堂パーラーには行ったことないけど、資生堂でお買い物した時にパーラーの試食品ですってクッキーか何かもらった記憶ある。資生堂ことごとく合わないからブラシ以外買わないけど笑
婚約者同士のデートでもトルコみたいに付添い人つけてたというよ。大っぴらにデートするなんて不良な男女と見られてたみたいだけど
トルコって風呂屋の方?付添人はイヤだな…
自由恋愛をする学生が不良w時代によって不良像も変わるのが面白い。昭和後期~平成は、いわゆる暴力的でグループを作る連中を不良と呼んだ気がするが、振り返ったとき、令和時代はどんな学生が不良と呼ばれるのか楽しみです。
当時は寿命(人生)も短く、相手の評価というのが人間単体では評価しづらく(長い人生ではないので判断材料が揃わない)、御家柄で選ぶのが普通だったのではないでしょうか。十代だとまともな思考力や判断力もなく、恋愛によってトラブルが起こり人を殺めたり殺められたりを忌避して嫌ったのでしょう。また、それに対する世間からの醜聞も。貞操概念が入ってきたキリスト教以前の考え方では、恋愛ルールに囚われないで卑猥なイメージがあることは別に枠を外れたことではなかったのですね。あっちこっちややこしい流れを経ているように思いました。今の私達日本人が恋愛とは?と言われてもはっきり説明できないのもそのせいかなと。
3:37の写真は現在の隅田公園かな?
天気の良い森で、していた
田舎は山の空き地でやりました。😁😁💗💗
@@北尾政明-z2t 後、海辺もあったし農家だったら、作業小屋の二階にわらを敷いて、したい放題でしたよ。山の杉の下を広くして、してたしキノコや山菜採りにしている所とかち合う事もあったな
😂😂😂
@@中村つゆ子-u5y こういうことは、野外の森や川辺の普通の景色だったな
今だって人間ピンからキリまでいるんです。気軽に恋愛なんて、許されませんよ。ひとたび不幸が始まれば、一人じゃすまないんですから。
※ただしイケメンに限る可愛いは正義の人達限定です(๑•̀ㅁ•́ฅ✨
子供の頃は、森で探検隊ごっこしてて、している所に遭遇した。静かに見守ってみんなで終わるまで静かにしていた。金縛り状態でした。
かつての春日陽さんの声が恋しい。ロボットが話してるの悲しい…たまには別キャラででも登場してほしいです、
取り敢えずなんかよく分かんないけど流行ってるから心中する。😂
ただ今の90歳ぐらいは、お見合いで知り合っても初デートにスケートリンク行ったりダンスホール行ったりいきなり手繋ぎに持ち込んでいたのは先進的だったと思います。
66歳ですが中学生の頃に銀座へ行ったら資生堂パーラーがありました。
明治生まれの祖父母でしたが家柄に問われない恋愛結婚でした。こんな感じだったのかなと観てました。
資生堂パーラーに行ってみたい!
庶民でもさすがに農村の地主階級と小作人階級、漁村の網元の家と網子の家では、さすがに「分不相応」として結婚を認めてもらえないケースが多かったみたいです。恋愛はしたみたいですが、必ず結婚に結びつくとは限らなかったようです。
うちの場合、
父方の祖父母は、遠くから父方の家近隣の軍需工場へ出稼ぎ?に来た祖母が祖父に一目惚れ→猛アタックの恋愛婚、
母方は、親から「お前の結婚相手だ」と写真だけ見せられる→顔合わせもなく遠方に住んでいた祖父が祖母の家へ婿養子に来る
という、時代を感じるけど対照的なものでした。
江戸時代から昭和初期まで上野不忍の池の周りは『出会茶屋』が林立していました
その流れで湯島がラブホテル街になったのかと
東京でラブホテル街は前述の湯島の他は鶯谷、池袋、新宿など全て江戸の郊外(今の都心の外側)なのは江戸時代の花街や料亭街の名残です
外濠内側の江戸市中には繁華街がなかったので風俗街が生まれなかったのです
鰻をカップルで食べに行くのは性交渉が前提でした
17:00 芥川龍之介のラブレターは素敵なのにモーツァルトと来たら…
最近読んだ本で、男性が女性の名前で想い人に手紙を出すなんて話がありましたね。明治のお話ですが。
昭和39年東京オリンピックのころ、小学生の時に裏校舎から崖の上にアベックさんが、ず~っと話し込んでるのを観て、昼休みに近くまでみんなで見学に行ったら、男が畑にあったジャガイモを怒りの剛速球で、投げまくられたの想い出す・・・怖かったな~
こういうテーマはコメントが面白い🤣
なるほど餡を食べながら餡餡してたわけか(´*`=)
いやいや!!私の両親は 大正十一年、十二年生まれの人間だけど、昭和に成っても戦争が始まり ( 自由恋愛なんて、とんでも無い!!) って言う時代だった。 と、私は母親から聴いて居る。
明治大正の恋愛だから、少なくとも明治生まれの方での話ではないでしょうか。大正11年、12年生の方だとこの話から少し外れる印象です
お見合いが普通だよねー
大正、昭和一桁生まれは大変な時代に当って青春を搾取されたのよ 氷河期よりさらに悲惨でしょう
太宰治晒されててかわいそう
当時もラブホテルのような施設があったんですね!
義母は昭和一桁生まれでしたが、結婚相手を初めて見たのが式当日だったと言っていました。田舎では江戸時代や明治時代の習慣が遅くまで残っていたようです。「ランデブー」は「デート」の前の呼び方で、1962年12月のボストーク3号と同4号の間で成功したところから流行語になりました。余談ですが、当時は「OL(オフィスレディ)」ではなく、「BG(ビジネスガール)」の方が一般的でしたね。
現代は恋愛をするのが当たり前だと?????
……いやいや。現代では手を繋いだりする行為は珍しくない、それは実際そうではないですか。それが当時ではかなり奇異な目で見られていたという話で、それ以上には言及されていませんよ……??
手も繋げんのや。オーバーキルやめてけろ
涙拭けよ・・・
元気出して!
@@盟盟-g3l頭固っ
資生堂パーラーには行ったことないけど、資生堂でお買い物した時にパーラーの試食品ですってクッキーか何かもらった記憶ある。
資生堂ことごとく合わないからブラシ以外買わないけど笑
婚約者同士のデートでもトルコみたいに付添い人つけてたというよ。
大っぴらにデートするなんて不良な男女と見られてたみたいだけど
トルコって風呂屋の方?
付添人はイヤだな…
自由恋愛をする学生が不良w
時代によって不良像も変わるのが面白い。
昭和後期~平成は、いわゆる暴力的でグループを作る連中を不良と呼んだ気がするが、
振り返ったとき、令和時代はどんな学生が不良と呼ばれるのか楽しみです。
当時は寿命(人生)も短く、相手の評価というのが人間単体では評価しづらく(長い人生ではないので判断材料が揃わない)、御家柄で選ぶのが普通だったのではないでしょうか。十代だとまともな思考力や判断力もなく、恋愛によってトラブルが起こり人を殺めたり殺められたりを忌避して嫌ったのでしょう。また、それに対する世間からの醜聞も。貞操概念が入ってきたキリスト教以前の考え方では、恋愛ルールに囚われないで卑猥なイメージがあることは別に枠を外れたことではなかったのですね。あっちこっちややこしい流れを経ているように思いました。今の私達日本人が恋愛とは?と言われてもはっきり説明できないのもそのせいかなと。
3:37の写真は現在の隅田公園かな?
天気の良い森で、していた
田舎は山の空き地でやりました。😁😁💗💗
@@北尾政明-z2t
後、海辺もあったし
農家だったら、作業小屋の二階にわらを敷いて、したい放題でしたよ。
山の杉の下を広くして、してたし
キノコや山菜採りにしている所とかち合う事もあったな
😂😂😂
@@中村つゆ子-u5y
こういうことは、野外の森や川辺の普通の景色だったな
今だって人間ピンからキリまでいるんです。気軽に恋愛なんて、許されませんよ。ひとたび不幸が始まれば、一人じゃすまないんですから。
※ただしイケメンに限る
可愛いは正義の人達
限定です(๑•̀ㅁ•́ฅ✨