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20:44 の写真ですが、#3781の個体ではなく、ほんまもんのリアルイオタ(事故、焼失した最初の1台)#4683の写真です。サイドシル部分がリアルイオタとSVRでは全く違います。エアインテークがあるかないか。もっと言えばガソリン給油口はMIURAを改造したものいわゆる”SVJ”のすべてはボンネットに1か所ありますが、本当のJOTAは左右フェンダー2か所あり燃料タンクはサイドシル内にあります。ドアノブも違います。限りなく【JOTA】リアルイオタに近い個体は2003年に存在が明らかにされた#3033という個体で「クローンイオタ」と呼ばれています。【SVJ】ミウライオタと呼ばれる個体はヘッドライトとドアのフィンを改造すると「イオタっぽく」見られるのに対し、【SVR】だけは他のSVJと違いリアフェンダーのオーバーサイズ化、などの改造を施してあるのでJOTAに近い物ですが、ランボルギーニが正式にレストアを施された物なので、唯一無二の「イオタSVR」なのでしょう。デリバリーされてから5回も姿を変えたこのJOTA。スーパーカー世代として一度は目にしてみたいクルマです。
中学生の時に東名モータースに写真を撮りに行きました。撮影は有料😢でした。BMW turboとかカウンタック、ストラトスもありました。懐かしいです。
東名モータース 懐かしい名前です。私も見せて貰いに行きました。細かい記憶は 無いけど記憶さえ貴重に成ったんだ って思いますねスーパーカーブームより前に 雑誌の名前さえ 記憶に無いけど 小さな枠で囲った記事を読んだ事が有りました。そこには こんなことが書いて有りました。オーナーさんは 自分の自宅の敷地内にサーキットを造り イオタだったか ミウラだったか を性能維持の為に 時々ここで走らせていると。記憶が定かではないから 細かい事は スッカリ忘れましたが、そこまでする事が出来る人がこの世にはいるんだ~と当時の自分は胸を熱くしていました、長い間その雑誌を宝物の様に 大切に保存してました。でもそれも今では 失くなりました。子供の頃の 懐かしい思い出です。そうそう 池沢さとしさんも そんな少年の頃の熱い記憶を 元に サーキットの狼を 書かれた様な気がします。サーキットの狼は 漫画としての 出来映え、絵の荒さ 等を見ると 池沢さんの漫画家としての 人生の始まりの 頃の様に 思います。
良き時代でしたね。なんかコメント頂きすごく嬉しい☺️です。昭和のおじさんで良かった感一杯。ありがとうございました。
2:06 「当時の車なのでミラーがないとかね」→運転席側だけはあるけど無いものはない。JOTAは1台しかなく、本物は焼失してるってまず言えば信頼できるのに。
私が育った町には何故だかこのイオタやポルシェ934等レプリカだろうけど走っているのを目を輝かせて見てましたね〜
20:45~の1枚の写真は、この個体ではなく本物のイオタ。すなわちボブ・ウォレスがジャンパオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァー二らの協力のもと作り上げた「JOTA」そのものです。
4月のはじめにお邪魔してこのSVRも拝見しましたやはり実物で見ると迫力が違いますね!この動画て細部まで知れて嬉しいです
スパーカーブームの頃から憧れの車です!このイオタは現在でも展示されているのですか?
蘊蓄は ? だけど子供のころから 一番カッコいい と 思い込んでます
スーパーカーブーム世代です。あの当時、イオタは伝説です。
曲線が美しいですね
他の方もコメントしていますが、昔、小牧の東名モータースが所有していたと思います。
スーパーカーブームの時、世界にイオタは4台しかないと言われてましたね。そのうちの1台がこの車?飛鳥ミノルのミウラといい、最高にカッコイイ!
イオタは、潮来のオックス😂#6
カウンタック(漫画)見てからイオタがマジで好きになった
イオタ最高速310km/hって謎綺麗な曲線•可愛らしいライトに魅惑的な赤に黒、リボンの様な屋根近くのスポイラー♪イオタと同じ様な って言ってるから やっぱ幻なんだろう
18歳の時に東名モータースで初めてミウラを観て、1時間ぐらい飽きないで観ていたことを思い出しました。ランボルギーニ社が作ったオフィシャルのイオタは2台だけと聞いてましたが、皆さんのコメントを読んでいたら真意が分からなくなりました。実際には何台製造されたのでしょうか?
ロマンがありますね😊
大変申し訳ありませんが、このミウラSVRはランボルギーニが改造したものではありませんよ〜1976年頃横浜のシイサイドモータースがドイツから輸入した物で長らく愛知県の東名モータースに有ったクルマです初めはブラックに塗装されていてドイツのフルベルトハンが当時8〜10台位改造したクルマです。
SVR・3781で色々お調べになった方が良いかもですwシーサイドが黒いイオタ風ミウラを日本に初めて入れたのは事実ですが、これとは全く別物。3781は世界中の研究者もポロストリコも公認の別格のレジェンド、正真正銘のファクトリーメイドの1台です。
@@tkomatsu ありがとうございます。しかしこの個体は当時オートロマンが輸入された個体で後楽園のスーパーカーショーに出てたものでその当時も真偽が不明でした〜その地に愛知県に有る東名モータースに長らく有った個体です〜輸入された際オートロマンの三上社長が雑誌のインタビューで西ドイツのランボルギーニディーラーヘルベルトハネから輸入したミウラで有ると言われていました。ヘルベルトハネが自社でミウラに改造されていた個体は沢山有ったみたいです〜ランボルギーニ社で最初に改造されたミウラは一説にはカナダの石油王ウルフだとも言われ8台くらいてと世界的に言われてますが当時ランボルギーニ社は非常に財政が破綻状態であり何台も改造したのかもわからないのが現実です。この個体がランボルギーニ社で改造された当時はオーバーベンダーも今のようでなく限りなくノーマルで有りヘルベルトハネで再度改造されてウィングがついたりしたとヘルベルトハネが海外の自動車雑誌に答えてます。ランボルギーニ社も改造した個体は不明で有り、資料も残されていない状態で真偽は不明だと思います。そこがフェラーリ社との違いで有ると思います。カナダのウルフさんが改造されたミウラに本当のイオタに積まれていたエンジンが搭載されていて後のLP500sに移植されたとも言われてます〜真偽は不明で謎の多いミウラやカウンタックはたまたランボルギーニのクルマ達だとおもいます。
@@tkomatsu ありがとうございます。ご親切に参考資料まで、貴方と争うつもりはありませんがシーサイドとオートロマンの件は最初のコメントを上げた後訂正のコメントをあげてあります。別に昔の記憶でお話してる訳でなく実際1977年に2ヶ月ほどEUを旅して実際に西ドイツのヘルベルトハーネさんを訪ねて話も聞きランボルギーニも訪問しました時に見たり聴いた事をコメントしただけです〜当時ランボルギーニ社自身も開店休業状態で注文が入ればその分だけ部品を仕入れたりベルトーネからシャーシを入れたり又ミウラの修理や電気関係をやり直したりして細々営業してたのが現状で資料もあったりなかったりシャーシNOも同じものが有ったり、これは事故車を工場に持ち込み修復した際に再度番号を割り振りしたみたいです〜90年代に入りゲンロクの明嵐さんや色んな方がイオタに付いて調べられていますが未だ判明していない状態だと思います。イランの国王が自分のSVをランボルギーニ社に送りイオタに改造したのが正式なランボルギーニ社製の改造イオタだとか貴方がビンゴさんのイオタが正しいて思われてますが〜ランボルギーニ社が改造したならオーバーヘンダーを前より大きくしたり改造時ウィングが付いて無かったのをそのまま再現するのも不思議に思われないですか?ランボルギーニ社でレストアされたのは事実かもしれないですが少し不思議な事が有るのは確かです。生産されたミウラのシリアルナンバーや最初のオーナーとかも資料が有るのはしています〜ミウラに関する書籍も数々出版されています。私も1979年にシーサイドが輸入した改造イオタを購入してしばらく保有していましたがランボルギーニ社のイオタやカウンタック、デアブロ辺りまで色んな話がありすぎてどれが正しいかわからないのが本当の事ではありませんか!
もう許して下さいw自分は「ビンゴさんのイオタが正しい」なんて一言も言ってないです。「正しい」イオタはクラッシュ焼失したボブ・ウォレス手製の1台のみで、ビンゴさんにあるのは数あるファクトリーメイド・レプリカの一台・3781のミウラSVR。これをファクトリーを通っていないシーサイド・イオタだと書かれた最初のご投稿を訂正差し上げたかっただけです。SVR・SVJの成り立ち全てが明らかでないことは確かですが、リンク先、ご参照頂けてないのですか?3781のボディラインが独特のものになっている経緯含め判明している事が多いのも事実だと思います。ハーネ氏に会われたとか、シーサイド・イオタを所有されていたとか最初のご投稿からは微塵も伺えなかった驚愕の事実ですが、ではハーネ氏やサンタアガタの工場で3781はファクトリーメイドじゃない旨の証言を得られたという事なのですか?そんな筈ないと思いますがwまだまだ謎な事もある、というのも事実なら、ポロストリコがフルレストアを受け入れ認定した3781がファクトリーメイドなのも恐らく事実なんですよ。ここをはっきり覆す様な情報でも伺えない限り、これ以上のやり取りは遠慮させて下さいw
2人とも深い見識がある事を視聴者は尊敬の念を持ってコメントを読んでいるかと思います。お願いだから仲良くしてくださいね
ミウラ、イオタはこの色(オレンジ系)カッコいいですよね。ス一パ一カ一ブ一ムの1975年からぐらいかな、むしろ、東京、横浜、などの首都圏より地方ナンバ一が多かった。*土地を売った地主さんとか・・・
オレンジ色のミウラSVが一番好きでした。
30年くらい前だったかに東名モータースの6階くらいの使われていない部屋に案内されて個体を拝見しました。僅かの金額が合わず購入には至りませんでしたが、縁がなかったとエンジンルームのカウルはキチンとロックをしないと走行中に大変な事になる。トミタ夢工場のwineイオタの話が有名ですよね
イオタ仕様の車は日本にまだ何台かあるな高速のSAで見た
東名モータースに納車の時に店の人がバッテリーがでかいなぁと言ってましたよ。45年前に
コレは本物のレプリカ!本物はクラッシュして無い!
大昔45年前に私も同じランボルギーニ・ミウライオンsvj持っていましたが16/1のプラモデル😂😅
カーセンサーに掲載されてるビンゴさんの車の種類ヤバすぎてビンビンになるわ!🤣笑笑👌✨
Best Miura ever......😍
20:46 ここにある写真が60年代後半に1台のみの製作されたオリジナル〝J〟ですね動画に出ているSVRは横浜のシーサイドモーターズがドイツから輸入したものだと思いますよ!
yes my car 1974/75 best regards
ランボ公認のレプリカイオタは数台ありますが、SVRの名を冠している、ウィング付き超ワイドボディの仕様はこの車両しか存在しないはずなので、動画内でおっしゃってる、「この仕様は、1台だけ」は、間違いではないと思います。あとSVRを製作したのはランボではなく社外の工場のようですが今回レストア実施したのは、ランボ本社っていみですよね、皆さんイオタになると熱くなりますよね、ミステリアスな魅力がありますもんね、
Lamborghin build this in 1974/75 for Heinz Steber Germany
あれ?東名モータースさんにあった時のゴッドファーザーじゃなくなってる😮
いずれにしてもカッコいい。
どこに行けば見られますか?
スーパーカーブームのおり日本で初めてイオタSVRの存在が知られるようになった時全長と最高出力と最高速度の三つしかスペックの数値が出てこなかった。スーパーカーカードで見ることはあっても実車を見る機会はカウンタックや512BBと比べても無いに等しくブームにどハマりの子供たちにとってまさに謎に満ちた幻のスーパーマシンだった。
昭和レトロ万博に出展してるの観ました感動もので写真撮りまくりました
エンジンがV12なのに12気筒になる事が少なくてフィーリングはV2のトラクターみたい。スタイル抜群なので残念でしょうがない。
yes......
小学校3年生の時、サーキットの狼で一番初めに好きになったスーパーカーでした。初めて実物で見たのは20代の頃(バブル期後半)、札幌の街中で見た時には感動しました。今見ても美しくカッコイイ一台です^^
スーパーカーショーで展示されていた黒の個体はこの車なのでしょうか?ホイールが細かった気がするのですが。
黒のイオタレプリカは後輪外側がフェンダー外まで5センチくらいありましたよ、この赤はぎりぎりですね(^^)
東名モータースが所有していた当時、お店付近と名古屋市内で遭遇したことがあります😊爆音でした😮
そもそも、シャシーから違う。iotaは。無論EG搭載位置も・・てか、殆どアルミだし。全くの別物。SVRはテロップにもあったけどmiuraの派生で、ランボが後から認定したmiiura/iotaは結構ある。ニコラス・ケイジが持ってたやつとか
昔、イベントの時に仮ナンバーで走ってた個体かな?
数年前に、ビンゴスポーツに有るという話を聞いて見に行きました
いろいろ突っ込みどころある動画ですけど、明らかな間違いは「フィアット500には1気筒がある」です(笑)まあ、そんなことはどうでも良くなる美しさですから、音声を無音にして堪能するのがよろしいのかと。。
説明でMiuraって出てる
映像だけで拝見したい。
そうでしたか。やはり東名モータースさんのsvrでしたか。…かなり直したんですね。当時の面影は無くなっていますね。しかし私の頭の中には、あの時のイオタのイメージが残っています。触れるくらいまで近くで見せてもらったことを思い出しました。中学生頃だったと思います。懐かしいです。今でも有ること自体が凄いです。❤こんな伝説な車はこの先も現れないでしょう。私はそう思います。👍
自分が死ぬまでに1度でも良いので、この『イオタSVR』と真のライバル『ポルシェ・カレラRSRターボ・レーシング』との ″夢の対決” を見てみたい。
and the winner is .....Porsche.....my Lambo is a show car
ミウラをデザインしたのはジウジアーロだという説が有力みたいです。ジウジアーロはベルトーネを去る前に幾つかのスケッチを描いており、その中にミウラに酷似するスケッチがあったようです。ジウジアーロがベルトーネを去った後、若いガンディーニがミウラのデザインを任された時に、ジウジアーロが残していたスケッチを基にディテールを仕上げてゆき、ミウラを完成させたという話があるようです。ですので、ジウジアーロのスケッチが残っていなければミウラはこの形になっていなかったのかもしれません。確かに、ミウラやイオタの流麗なデザインはガンディーニのそれとは少し違うように思えます。ガンディーニのデザインといえばカウンタックのようにシャープなウェッジシェイプが特徴ですからね。ただ、ジウジアーロのデザインも後にマセラティ・ブーメランやロータス・エスプリのように極端なウェッジシェイプへと傾向が変わってゆきます。これらのデザインは、ガンディーニがデザインしたランチア・ストラトスHFゼロなどと酷似しています。ひょっとしたらジウジアーロもガンディーニのデザインに影響を受けていたのかもしれません。しかし、ジウジアーロとガンディーニが自動車デザインにおける二大巨匠であることは間違いありません。その二人によって出来上がったミウラは本当に貴重な車だと思います。
当時のランボはミラーはついてないのは当たり前で、オプションで後から着けるのが普通じゃなかったかな…。
プロストリコっていうの?の証明冊子を作るのが実は1番高い!気がする
ちょっと前に売れたんじゃと思いきや以前のは内装ブラウンだったような、何台もあるのかな
2009年9月発行のイオタ白書2002-2009買って読んでね
タイトルミウラとオワタかと思った笑笑🎉
サーキットの狼で知って、小学校の授業中に、この画像の様に正面から見た絵を書いていた。
異論は勿論認めますが、ミウラ、イオタの存在がある限り、フェラーリはランボルギーニに勝てない、ミウラそしてイオタの美しさは未来永劫のものだと思います
潮来のオックス
コメント欄見るだけでもどれだけイオタフリークがいらっしゃるのかが垣間見れるイラン事言ったり書き込んだりすれば即正されそうですね。人によってはシャーシナンバーとエンジンナンバーを記憶されている方も居られるそれだけ人を惹きつけ未了する車だという事、なので触れるならせめて手袋の一つも付けて欲しかったですね、(エンジンに手を掛けるなど言語道断)ミウラSVJイオタに対する気持ちがあるならば、の話ですけどね。
エンジン音聴けないのかい!!😭
ミウラより、後ろのF40とNSXがきになりますね。
希少という点では後ろのNSX-R GTも相当なもの。製作5台 税別5000万円天皇陛下の御料車と並んで日本一高い車。(センチュリーロイヤルより後に世に出ているので価格は「自主規制」してる可能性あり。コストからしたら5000万でも利益出ないとしか)
オリジナルはJ(ギリシア語でイオタ)、イタリアではIOTA、そしてこの車のエンブレムはJOTA(たぶんドイツ語)。謎多き車。だが、それがイイ😍
"J" is a race specification in the 70th for all race car....is not only for Lamborghini
本物のイオタはテスト中に燃えた訳じゃないですよ。データ取りを終えて、フェルッチオが売ってしまい、買った30代のオーナーがクラッシュさせてしまい、エンジンだけはランボで回収して、車体は燃えて無くなったのですよ!間違った話を広めないで下さい!
笑点の山田隆夫40年前ぐらいスーパーカークイズの司会者を思い出す。
イオタよりもミウラの方が断然に美しいですね。
当時、ミウラSVが好きだった。特にオレンジ色の。カウンタックのファンが多かったけど、自分は断然ミウラでした。
すみません間違ってましたシーサイドモータースが輸入した車で無くオートロマンの三上さんところが輸入したミウラです〜当時1977年に後楽園球場であったスーパーカーショーに展示されてたミウラです日本にはランボルギーニ社が直接カスタマーから依頼して改造されたミウラは京都のトミタオートのワインレッドのミウラ〜これはランボルギーニの証明書が付いていたと思います〜ニコラスケージさんが所有されてた個体です〜後は1〜2台あったのではその当時ITCやチェッカーモータース〜JAPANモータースが日本で改造したミウラが何台もありました。疑問なんですが今のランボルギーニ社が当時と違った仕様にレストアしますか?
当時No.1プロゴルファー尾崎将司さんのミウラが京葉道路で萌えましたね?
ジャンボが火災にあったのは、BBです。
イオタのデザインは基本ミウラだけどボブウォレスのテストチューンの結果では?まあフェラーリの330P3とか250GTOテスタロッサも別格ですね
1977年位?に京都の新京極に飾ってあった。しらんけど❗️
ウイングがリアルーバー上面って?マークが出るんだけど、ちゃんとした理由があるんだろか
No.....is show was a gift for my from Lamborghini Mr. Remo Vecchi
最近ランボルギーニ本社でレストア(プロストリコ)をして『J』のドライサンプのスペアユニット!!!!のエンジンを積んだらしい2046〜の写真集、販売して欲しいしトミタオートの『SVj』みたいに海外に流出しないで欲しいショールームの『NSX-GT』、、某有名サプリの社長さんが当時5000万円を出して買った車ですね
イオタではないよね。
yes....... Jota SVR design Heinz Steber Germany
カウンタックが直線的な美しさを持つならミウラ、イオタは曲線的な美しさを持っていると思います。
最高🙆
LP500R、LP500S、そしてこのSVRが日本にあるのは奇跡ですね!あっ!ボブウォレスのウラコもだ!いつか4台揃えた所を見てみたい(^~^♪
ランボルギーニ三浦💨
ランボルギーニ浦子💨
当時トミタオートのバーガンディミストみたいな車体が本物に近いと言われていたね。ウイングとか付いてないやつ。シャシーナンバー4892?
オンリーワンが持つ美しさだね…。カウンタックLP400 とミウラSV は本当に美しい…けど…走っているカウンタックとミウラを見たことがない…。512BB が対向車で走ってきた時は思ってた以上に小さく、美しく感動したけど…カウンタック…ミウラ…イオタが走ってきたら…どんな感動が待ってるんだろ…
環8で、ミウラ2台が走ってきたのをオートロマンの前で見ました。ものすごいエンジン音で、最高にかっこよかったですよ。
@@プッカ-v5k それはすごいね~!さぞかし感動したんだろうな~(T_T)…見たことないけど…ある所にはあるんだよね…(T_T)
@@user-mofGuitar あっ、黄色いカウンタックが走ってきたのも見ました。ミウラは赤と青。写真も撮ったけど、とっさのことでいいアングルで撮れなかった。ミウラもカウンタックもV12気筒エンジンで、F1みたいな爆発音でしたよ。
イオタがそこにいおった。
山田くん!座布団全部持っていってー‼️ww
@@nu-one2758イタ車が目の前に居たっしゃ!!!
サンスターのスーパーカーショウに出てた奴かな?あれ、火吹くんだよねぇ!
そもそもミウラ自体がどれもこれも世界に1台しかないもんね
諸説あるからイオタ伝説なのでは?究極の浪漫なんで一度でいいから見てみたいです❤
遭遇して写真も撮って追いかけました(オーバーフェンダ―がミウラのままのイオタ似仕様だったと思います)。まだ片側1車線だったころの国道4号から北千住駅前ロータリーに入ってしばらく見せつけていました。乗っていた2人は業者ぽかったですが、当時スーパーカーを路上に止めてポーズをとる人が多かったですね。
元 中日ドラゴンズの山本昌さんが ミウラを所有してますね。
ディーノではなく?
@@NN-pt2rb さん返信 遅れてすみません😣💦⤵️山本昌さん ミウラ所有してるようですよ。おぎ やはぎの 愛車遍歴に出た時 ミウラを持ってきてました。極上物でしたよ。
@@Sasuke.23昔、中日スポーツにも写真入りで載っていたような?山本昌さんがミウラを所有してるのは古くからのドラゴンズファンならかなりの人が知っていると思います。
購入当時は安かったですね。岐阜県のガレージ本山でしたか?
レプリカですね♪
イオタ自体が存在しないと聞きましたが?でもカッコイイ。ちゃんと再現(本物ないのにオカシイですが)されてればレプリカでも、、、
本物のイオタはミウラのジャンクから作られた世界に1台だけでもそれも事故で破損してしまい破棄されてしまって存在しない現存するものは全てレプリカ
知ってる人はコメントなどしないんで、お前ら
MIURAオワタ(^o^) に見えたわ
10年ほど前に蓮池レーシングでエンジン、ミッション含めたレストア・フルオーバーホールしたんですが、その際にゴールドの内装に張り替えてますね。それをもう一回本国でやり直すという。
本物のイオタはこの世に無い!!本物とフロントのリップ形状が違うよね50年以上前本物のイオタの写真が雑誌に載った事有りました
この車をSVJにしてほしいと言われたとき、フェルッチォ・ランボルギーニは難色を示した。依頼主は迫力を持たせるためにコブラ風リアフェンダーを与えたかったが、フェルッチォは「ミウラの完璧なデザインをぶち壊している」と反対・そんなわけでこの車がSVJと公認されたのはフェルッチォがランボルギーニ社を去った後だった。
ホラ吹いとったって分かるんやで、お前ら
この個体はヒューベルト・ハーネが顧客に依頼されて作ったイオタレプリカですね。
横置き12発を積もうと考えたガンディーニはある意味変態(笑)
ガンディー二はデザインを担当しただけで、ダラーラがミニにインスパイアされて考え出されたものです。エンジン設計者のスタンツァー二らと共にギヤボックスレイアウトも含め開発されたものです。
OWNERは 潮来のオックス さんですよね?
子供のころのスーパーカーブームミウラとイオタは似てるけど別物、ポップアップのミウラがかっこいい、なんで思ってた・・・大人になって、スーパーベローチェ・イオタを知り、Jこそが頂点だったと衝撃を受けたあの日
イオタの本物エンジンを積んだイオタレプリカが1台並行輸入であるのよ。つまり世界で1台はあやまりである。
この仕様が世界に1台と言っているので、イオタの本物エンジンを積んだ並行輸入ものとは仕様が違うだろうから、間違いでは、無いのじゃないのかな??知らんけど。
噂程度だけどそのレプリカイオタは確かオリジナルイオタのエンジンパーツが一部再利用してると聞いたことがあります
@@SennaKaito_TZR50_r no...
ミラーはAピラーに付ける?やっぱりランボは神。
あれは、オリジナル イオタ。ボブ.ウォレスが、制作したやつですよ。
まさに俺の為にあるような車やな
少しワイドボディーの写真、オリジナルのJOTAでは?参考の写真?
コメントマウンター多すぎ🤥
イオタSVRのホンモノに匹敵するデザインのクルマ😮アルファ ティーポ33ストラダーレシェルビーコブラ 427メルツェデスベンツ300SLRそれくらいかなぁ😅
あらすね
ミラーがないwww
20:44 の写真ですが、#3781の個体ではなく、ほんまもんのリアルイオタ(事故、焼失した最初の1台)#4683の写真です。サイドシル部分がリアルイオタとSVRでは全く違います。エアインテークがあるかないか。もっと言えばガソリン給油口はMIURAを改造したものいわゆる”SVJ”のすべてはボンネットに1か所ありますが、本当のJOTAは左右フェンダー2か所あり燃料タンクはサイドシル内にあります。ドアノブも違います。
限りなく【JOTA】リアルイオタに近い個体は2003年に存在が明らかにされた#3033という個体で「クローンイオタ」と呼ばれています。【SVJ】ミウライオタと呼ばれる個体はヘッドライトとドアのフィンを改造すると「イオタっぽく」見られるのに対し、【SVR】だけは他のSVJと違いリアフェンダーのオーバーサイズ化、などの改造を施してあるのでJOTAに近い物ですが、ランボルギーニが正式にレストアを施された物なので、唯一無二の「イオタSVR」なのでしょう。
デリバリーされてから5回も姿を変えたこのJOTA。スーパーカー世代として一度は目にしてみたいクルマです。
中学生の時に東名モータースに写真を撮りに行きました。撮影は有料😢でした。BMW turboとかカウンタック、ストラトスもありました。懐かしいです。
東名モータース 懐かしい名前です。
私も見せて貰いに行きました。
細かい記憶は 無いけど
記憶さえ貴重に成ったんだ って思いますね
スーパーカーブームより前に 雑誌の名前さえ 記憶に無いけど 小さな枠で囲った記事を読んだ事が有りました。
そこには こんなことが書いて有りました。
オーナーさんは 自分の自宅の敷地内にサーキットを造り イオタだったか ミウラだったか を性能維持の為に 時々ここで走らせていると。
記憶が定かではないから 細かい事は スッカリ忘れましたが、そこまでする事が出来る人がこの世にはいるんだ~と当時の自分は胸を熱くしていました、長い間その雑誌を宝物の様に 大切に保存してました。
でもそれも今では 失くなりました。
子供の頃の 懐かしい思い出です。
そうそう 池沢さとしさんも そんな少年の頃の熱い記憶を 元に サーキットの狼を 書かれた様な気がします。
サーキットの狼は 漫画としての 出来映え、絵の荒さ 等を見ると 池沢さんの漫画家としての 人生の始まりの 頃の様に 思います。
良き時代でしたね。なんかコメント頂きすごく嬉しい☺️です。
昭和のおじさんで良かった感一杯。ありがとうございました。
2:06 「当時の車なのでミラーがないとかね」→運転席側だけはあるけど無いものはない。JOTAは1台しかなく、本物は焼失してるってまず言えば信頼できるのに。
私が育った町には何故だかこのイオタやポルシェ934等レプリカだろうけど走っているのを目を輝かせて見てましたね〜
20:45~の1枚の写真は、この個体ではなく本物のイオタ。
すなわちボブ・ウォレスがジャンパオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァー二らの協力のもと作り上げた「JOTA」そのものです。
4月のはじめにお邪魔してこのSVRも拝見しました
やはり実物で見ると迫力が違いますね!この動画て細部まで知れて嬉しいです
スパーカーブームの頃から憧れの車です!
このイオタは現在でも展示されているのですか?
蘊蓄は ? だけど
子供のころから 一番カッコいい と 思い込んでます
スーパーカーブーム世代です。あの当時、イオタは伝説です。
曲線が美しいですね
他の方もコメントしていますが、昔、小牧の東名モータースが所有していたと思います。
スーパーカーブームの時、世界にイオタは4台しかないと言われてましたね。そのうちの1台がこの車?
飛鳥ミノルのミウラといい、最高にカッコイイ!
イオタは、潮来のオックス😂#6
カウンタック(漫画)見てからイオタがマジで好きになった
イオタ
最高速310km/hって謎
綺麗な曲線•可愛らしいライトに魅惑的な赤に黒、リボンの様な屋根近くのスポイラー♪
イオタと同じ様な って言ってるから やっぱ幻なんだろう
18歳の時に東名モータースで初めてミウラを観て、1時間ぐらい飽きないで観ていたことを思い出しました。ランボルギーニ社が作ったオフィシャルのイオタは2台だけと聞いてましたが、皆さんのコメントを読んでいたら真意が分からなくなりました。
実際には何台製造されたのでしょうか?
ロマンがありますね😊
大変申し訳ありませんが、このミウラSVRはランボルギーニが改造したものではありませんよ〜1976年頃横浜のシイサイドモータースがドイツから輸入した物で長らく愛知県の東名モータースに有ったクルマです初めはブラックに塗装されていてドイツのフルベルトハンが当時8〜10台位改造したクルマです。
SVR・3781で色々お調べになった方が良いかもですwシーサイドが黒いイオタ風ミウラを日本に初めて入れたのは事実ですが、これとは全く別物。3781は世界中の研究者もポロストリコも公認の別格のレジェンド、正真正銘のファクトリーメイドの1台です。
@@tkomatsu ありがとうございます。しかしこの個体は当時オートロマンが輸入された個体で後楽園のスーパーカーショーに出てたものでその当時も真偽が不明でした〜その地に愛知県に有る東名モータースに長らく有った個体です〜輸入された際オートロマンの三上社長が雑誌のインタビューで西ドイツのランボルギーニディーラーヘルベルトハネから輸入したミウラで有ると言われていました。ヘルベルトハネが自社でミウラに改造されていた個体は沢山有ったみたいです〜ランボルギーニ社で最初に改造されたミウラは一説にはカナダの石油王ウルフだとも言われ8台くらいてと世界的に言われてますが当時ランボルギーニ社は非常に財政が破綻状態であり何台も改造したのかもわからないのが現実です。
この個体がランボルギーニ社で改造された当時はオーバーベンダーも今のようでなく限りなくノーマルで有りヘルベルトハネで再度改造されてウィングがついたりしたとヘルベルトハネが海外の自動車雑誌に答えてます。
ランボルギーニ社も改造した個体は不明で有り、資料も残されていない状態で真偽は不明だと思います。そこがフェラーリ社との違いで有ると思います。カナダのウルフさんが改造されたミウラに本当のイオタに積まれていたエンジンが搭載されていて後のLP500sに移植されたとも言われてます〜真偽は不明で謎の多いミウラやカウンタックはたまたランボルギーニのクルマ達だとおもいます。
@@tkomatsu ありがとうございます。ご親切に参考資料まで、貴方と争うつもりはありませんがシーサイドとオートロマンの件は最初のコメントを上げた後訂正のコメントをあげてあります。
別に昔の記憶でお話してる訳でなく実際1977年に2ヶ月ほどEUを旅して実際に西ドイツのヘルベルトハーネさんを訪ねて話も聞きランボルギーニも訪問しました時に見たり聴いた事をコメントしただけです〜当時ランボルギーニ社自身も開店休業状態で注文が入ればその分だけ部品を仕入れたりベルトーネからシャーシを入れたり又ミウラの修理や電気関係をやり直したりして細々営業してたのが現状で資料もあったりなかったりシャーシNOも同じものが有ったり、これは事故車を工場に持ち込み修復した際に再度番号を割り振りしたみたいです〜90年代に入りゲンロクの明嵐さんや色んな方がイオタに付いて調べられていますが未だ判明していない状態だと思います。イランの国王が自分のSVをランボルギーニ社に送りイオタに改造したのが正式なランボルギーニ社製の改造イオタだとか貴方がビンゴさんのイオタが正しいて思われてますが〜ランボルギーニ社が改造したならオーバーヘンダーを前より大きくしたり改造時ウィングが付いて無かったのをそのまま再現するのも不思議に思われないですか?ランボルギーニ社でレストアされたのは事実かもしれないですが少し不思議な事が有るのは確かです。生産されたミウラのシリアルナンバーや最初のオーナーとかも資料が有るのはしています〜ミウラに関する書籍も数々出版されています。私も1979年にシーサイドが輸入した改造イオタを購入してしばらく保有していましたがランボルギーニ社のイオタやカウンタック、デアブロ辺りまで色んな話がありすぎてどれが正しいかわからないのが本当の事ではありませんか!
もう許して下さいw自分は「ビンゴさんのイオタが正しい」なんて一言も言ってないです。「正しい」イオタはクラッシュ焼失したボブ・ウォレス手製の1台のみで、ビンゴさんにあるのは数あるファクトリーメイド・レプリカの一台・3781のミウラSVR。これをファクトリーを通っていないシーサイド・イオタだと書かれた最初のご投稿を訂正差し上げたかっただけです。SVR・SVJの成り立ち全てが明らかでないことは確かですが、リンク先、ご参照頂けてないのですか?3781のボディラインが独特のものになっている経緯含め判明している事が多いのも事実だと思います。ハーネ氏に会われたとか、シーサイド・イオタを所有されていたとか最初のご投稿からは微塵も伺えなかった驚愕の事実ですが、ではハーネ氏やサンタアガタの工場で3781はファクトリーメイドじゃない旨の証言を得られたという事なのですか?
そんな筈ないと思いますがw
まだまだ謎な事もある、というのも事実なら、ポロストリコがフルレストアを受け入れ認定した3781がファクトリーメイドなのも恐らく事実なんですよ。ここをはっきり覆す様な情報でも伺えない限り、これ以上のやり取りは遠慮させて下さいw
2人とも深い見識がある事を視聴者は尊敬の念を持ってコメントを読んでいるかと思います。
お願いだから仲良くしてくださいね
ミウラ、イオタはこの色(オレンジ系)カッコいいですよね。
ス一パ一カ一ブ一ムの1975年からぐらいかな、むしろ、東京、横浜、などの首都圏より地方ナンバ一が多かった。
*土地を売った地主さんとか・・・
オレンジ色のミウラSVが一番好きでした。
30年くらい前だったかに東名モータースの6階くらいの使われていない部屋に案内されて個体を拝見しました。
僅かの金額が合わず購入には至りませんでしたが、縁がなかったと
エンジンルームのカウルはキチンとロックをしないと走行中に大変な事になる。トミタ夢工場のwineイオタの話が有名ですよね
イオタ仕様の車は日本にまだ何台かあるな
高速のSAで見た
東名モータースに納車の時に店の人がバッテリーがでかいなぁと言ってましたよ。45年前に
コレは本物のレプリカ!本物はクラッシュして無い!
大昔45年前に私も同じランボルギーニ・ミウライオンsvj持っていましたが16/1のプラモデル😂😅
カーセンサーに掲載されてるビンゴさんの車の種類ヤバすぎてビンビンになるわ!🤣笑笑👌✨
Best Miura ever......😍
20:46 ここにある写真が60年代後半に1台のみの製作されたオリジナル〝J〟ですね
動画に出ているSVRは横浜のシーサイドモーターズがドイツから輸入したものだと思いますよ!
yes my car 1974/75 best regards
ランボ公認のレプリカイオタは数台ありますが、SVRの名を冠している、ウィング付き超ワイドボディの仕様はこの車両しか存在しないはずなので、動画内でおっしゃってる、「この仕様は、1台だけ」は、間違いではないと思います。あとSVRを製作したのはランボではなく社外の工場のようですが今回レストア実施したのは、ランボ本社っていみですよね、皆さんイオタになると熱くなりますよね、ミステリアスな魅力がありますもんね、
Lamborghin build this in 1974/75 for Heinz Steber Germany
あれ?東名モータースさんにあった時のゴッドファーザーじゃなくなってる😮
いずれにしてもカッコいい。
どこに行けば見られますか?
スーパーカーブームのおり
日本で初めてイオタSVRの存在が
知られるようになった時
全長と最高出力と最高速度の
三つしかスペックの数値が
出てこなかった。
スーパーカーカードで見ることは
あっても実車を見る機会は
カウンタックや512BBと比べても
無いに等しく
ブームにどハマりの子供たちにとってまさに
謎に満ちた幻のスーパーマシンだった。
昭和レトロ万博に出展してるの観ました
感動もので写真撮りまくりました
エンジンがV12なのに12気筒になる事が少なくてフィーリングはV2のトラクターみたい。
スタイル抜群なので残念でしょうがない。
yes......
小学校3年生の時、サーキットの狼で一番初めに好きになったスーパーカーでした。
初めて実物で見たのは20代の頃(バブル期後半)、札幌の街中で見た時には感動しました。
今見ても美しくカッコイイ一台です^^
スーパーカーショーで展示されていた黒の個体はこの車なのでしょうか?ホイールが細かった気がするのですが。
黒のイオタレプリカは後輪外側がフェンダー外まで5センチくらいありましたよ、この赤はぎりぎりですね(^^)
東名モータースが所有していた当時、お店付近と名古屋市内で遭遇したことがあります😊爆音でした😮
そもそも、シャシーから違う。iotaは。無論EG搭載位置も・・てか、殆どアルミだし。全くの別物。SVRはテロップにもあったけどmiuraの派生で、ランボが後から認定したmiiura/iotaは結構ある。ニコラス・ケイジが持ってたやつとか
昔、イベントの時に仮ナンバーで走ってた個体かな?
数年前に、ビンゴスポーツに有るという話を聞いて見に行きました
いろいろ突っ込みどころある動画ですけど、明らかな間違いは「フィアット500には1気筒がある」です(笑)
まあ、そんなことはどうでも良くなる美しさですから、音声を無音にして堪能するのがよろしいのかと。。
説明でMiuraって出てる
映像だけで拝見したい。
そうでしたか。やはり東名モータースさんのsvrでしたか。…かなり直したんですね。当時の面影は無くなっていますね。しかし私の頭の中には、あの時のイオタのイメージが残っています。触れるくらいまで近くで見せてもらったことを思い出しました。中学生頃だったと思います。懐かしいです。今でも有ること自体が凄いです。❤こんな伝説な車はこの先も現れないでしょう。私はそう思います。👍
自分が死ぬまでに1度でも良いので、この『イオタSVR』と真のライバル『ポルシェ・カレラRSRターボ・レーシング』との ″夢の対決” を見てみたい。
and the winner is .....Porsche.....my Lambo is a show car
ミウラをデザインしたのはジウジアーロだという説が有力みたいです。ジウジアーロはベルトーネを去る前に幾つかのスケッチを描いており、その中にミウラに酷似するスケッチがあったようです。ジウジアーロがベルトーネを去った後、若いガンディーニがミウラのデザインを任された時に、ジウジアーロが残していたスケッチを基にディテールを仕上げてゆき、ミウラを完成させたという話があるようです。ですので、ジウジアーロのスケッチが残っていなければミウラはこの形になっていなかったのかもしれません。確かに、ミウラやイオタの流麗なデザインはガンディーニのそれとは少し違うように思えます。ガンディーニのデザインといえばカウンタックのようにシャープなウェッジシェイプが特徴ですからね。ただ、ジウジアーロのデザインも後にマセラティ・ブーメランやロータス・エスプリのように極端なウェッジシェイプへと傾向が変わってゆきます。これらのデザインは、ガンディーニがデザインしたランチア・ストラトスHFゼロなどと酷似しています。ひょっとしたらジウジアーロもガンディーニのデザインに影響を受けていたのかもしれません。しかし、ジウジアーロとガンディーニが自動車デザインにおける二大巨匠であることは間違いありません。その二人によって出来上がったミウラは本当に貴重な車だと思います。
当時のランボはミラーはついてないのは当たり前で、オプションで後から着けるのが普通じゃなかったかな…。
プロストリコっていうの?の証明冊子を作るのが実は1番高い!気がする
ちょっと前に売れたんじゃと思いきや以前のは内装ブラウンだったような、何台もあるのかな
2009年9月発行のイオタ白書2002-2009買って読んでね
タイトルミウラとオワタかと思った笑笑🎉
サーキットの狼で知って、小学校の授業中に、この画像の様に正面から見た絵を書いていた。
異論は勿論認めますが、ミウラ、イオタの存在がある限り、フェラーリはランボルギーニに勝てない、ミウラそしてイオタの美しさは未来永劫のものだと思います
潮来のオックス
コメント欄見るだけでもどれだけイオタフリークがいらっしゃるのかが垣間見れる
イラン事言ったり書き込んだりすれば即正されそうですね。
人によってはシャーシナンバーとエンジンナンバーを記憶されている方も居られる
それだけ人を惹きつけ未了する車だという事、なので触れるならせめて手袋の一つも付けて欲しかったですね、(エンジンに手を掛けるなど言語道断)ミウラSVJイオタに対する気持ちがあるならば、の話ですけどね。
エンジン音聴けないのかい!!😭
ミウラより、後ろのF40とNSXがきになりますね。
希少という点では後ろの
NSX-R GTも相当なもの。
製作5台 税別5000万円
天皇陛下の御料車と並んで
日本一高い車。
(センチュリーロイヤルより後に世に出ているので価格は「自主規制」してる可能性あり。コストからしたら5000万でも利益出ないとしか)
オリジナルはJ(ギリシア語でイオタ)、
イタリアではIOTA、
そしてこの車のエンブレムはJOTA(たぶんドイツ語)。
謎多き車。だが、それがイイ😍
"J" is a race specification in the 70th for all race car....is not only for Lamborghini
本物のイオタはテスト中に燃えた訳じゃないですよ。
データ取りを終えて、フェルッチオが売ってしまい、買った30代のオーナーがクラッシュさせてしまい、エンジンだけはランボで回収して、車体は燃えて無くなったのですよ!
間違った話を広めないで下さい!
笑点の山田隆夫40年前ぐらい
スーパーカークイズの司会者
を思い出す。
イオタよりもミウラの方が断然に美しいですね。
当時、ミウラSVが好きだった。特にオレンジ色の。
カウンタックのファンが多かったけど、自分は断然ミウラでした。
すみません間違ってましたシーサイドモータースが輸入した車で無くオートロマンの三上さんところが輸入したミウラです〜当時1977年に後楽園球場であったスーパーカーショーに展示されてたミウラです日本にはランボルギーニ社が直接カスタマーから依頼して改造されたミウラは京都のトミタオートのワインレッドのミウラ〜これはランボルギーニの証明書が付いていたと思います〜ニコラスケージさんが所有されてた個体です〜後は1〜2台あったのではその当時ITCやチェッカーモータース〜JAPANモータースが日本で改造したミウラが何台もありました。
疑問なんですが今のランボルギーニ社が当時と違った仕様にレストアしますか?
当時No.1プロゴルファー尾崎将司さんのミウラが京葉道路で萌えましたね?
ジャンボが火災にあったのは、BBです。
イオタのデザインは基本ミウラだけどボブウォレスのテストチューンの結果では?
まあフェラーリの330P3とか250GTOテスタロッサも別格ですね
1977年位?に
京都の新京極に
飾ってあった。
しらんけど❗️
ウイングがリアルーバー上面って?マークが出るんだけど、ちゃんとした理由があるんだろか
No.....is show was a gift for my from Lamborghini Mr. Remo Vecchi
最近ランボルギーニ本社でレストア(プロストリコ)をして『J』のドライサンプのスペアユニット!!!!のエンジンを積んだらしい
2046〜の写真集、販売して欲しいしトミタオートの『SVj』みたいに海外に流出しないで欲しい
ショールームの『NSX-GT』、、某有名サプリの社長さんが当時5000万円を出して買った車ですね
イオタではないよね。
yes....... Jota SVR design Heinz Steber Germany
カウンタックが直線的な美しさを持つならミウラ、イオタは曲線的な美しさを持っていると思います。
最高🙆
LP500R、LP500S、そしてこのSVRが日本にあるのは奇跡ですね!
あっ!ボブウォレスのウラコもだ!いつか4台揃えた所を見てみたい(^~^♪
ランボルギーニ三浦💨
ランボルギーニ浦子💨
当時トミタオートのバーガンディミストみたいな車体が本物に近いと言われていたね。
ウイングとか付いてないやつ。
シャシーナンバー4892?
オンリーワンが持つ美しさだね…。
カウンタックLP400 とミウラSV は本当に美しい…けど…走っているカウンタックとミウラを見たことがない…。
512BB が対向車で走ってきた時は
思ってた以上に小さく、美しく感動したけど…カウンタック…ミウラ…イオタが走ってきたら…どんな感動が待ってるんだろ…
環8で、ミウラ2台が走ってきたのをオートロマンの前で見ました。
ものすごいエンジン音で、最高にかっこよかったですよ。
@@プッカ-v5k それはすごいね~!さぞかし感動したんだろうな~(T_T)…見たことないけど…ある所にはあるんだよね…(T_T)
@@user-mofGuitar あっ、黄色いカウンタックが走ってきたのも見ました。
ミウラは赤と青。
写真も撮ったけど、とっさのことでいいアングルで撮れなかった。
ミウラもカウンタックもV12気筒エンジンで、F1みたいな爆発音でしたよ。
イオタがそこにいおった。
山田くん!座布団全部持っていってー‼️ww
@@nu-one2758
イタ車が目の前に居たっしゃ!!!
サンスターのスーパーカーショウに出てた奴かな?あれ、火吹くんだよねぇ!
そもそもミウラ自体がどれもこれも世界に1台しかないもんね
諸説あるからイオタ伝説なのでは?
究極の浪漫なんで一度でいいから見てみたいです❤
遭遇して写真も撮って追いかけました(オーバーフェンダ―がミウラのままのイオタ似仕様だったと思います)。まだ片側1車線だったころの国道4号から北千住駅前ロータリーに入ってしばらく見せつけていました。乗っていた2人は業者ぽかったですが、当時スーパーカーを路上に止めてポーズをとる人が多かったですね。
元 中日ドラゴンズの山本昌さんが ミウラを所有してますね。
ディーノではなく?
@@NN-pt2rb さん
返信 遅れてすみません😣💦⤵️
山本昌さん ミウラ所有してるようですよ。
おぎ やはぎの 愛車遍歴に出た時 ミウラを持ってきてました。
極上物でしたよ。
@@Sasuke.23昔、中日スポーツにも写真入りで載っていたような?山本昌さんがミウラを所有してるのは古くからのドラゴンズファンならかなりの人が知っていると思います。
購入当時は安かったですね。岐阜県のガレージ本山でしたか?
レプリカですね♪
イオタ自体が存在しないと聞きましたが?でもカッコイイ。ちゃんと再現(本物ないのにオカシイですが)されてればレプリカでも、、、
本物のイオタはミウラのジャンクから作られた世界に1台だけ
でもそれも事故で破損してしまい破棄されてしまって存在しない
現存するものは全てレプリカ
知ってる人はコメントなどしないんで、お前ら
MIURAオワタ(^o^) に見えたわ
10年ほど前に蓮池レーシングでエンジン、ミッション含めたレストア・フルオーバーホールしたんですが、その際にゴールドの内装に張り替えてますね。それをもう一回本国でやり直すという。
本物のイオタはこの世に無い!!本物とフロントのリップ形状が違うよね50年以上前本物のイオタの写真が雑誌に載った事有りました
この車をSVJにしてほしいと言われたとき、フェルッチォ・ランボルギーニは難色を示した。依頼主は迫力を持たせるためにコブラ風リアフェンダーを与えたかったが、フェルッチォは「ミウラの完璧なデザインをぶち壊している」と反対・
そんなわけでこの車がSVJと公認されたのはフェルッチォがランボルギーニ社を去った後だった。
ホラ吹いとったって分かるんやで、お前ら
この個体はヒューベルト・ハーネが顧客に依頼されて作ったイオタレプリカですね。
横置き12発を積もうと考えたガンディーニはある意味変態(笑)
ガンディー二はデザインを担当しただけで、ダラーラがミニにインスパイアされて考え出されたものです。
エンジン設計者のスタンツァー二らと共にギヤボックスレイアウトも含め開発されたものです。
OWNERは 潮来のオックス さんですよね?
子供のころのスーパーカーブーム
ミウラとイオタは似てるけど別物、ポップアップのミウラがかっこいい、なんで思ってた・・・
大人になって、スーパーベローチェ・イオタを知り、Jこそが頂点だったと衝撃を受けたあの日
イオタの本物エンジンを積んだイオタレプリカが1台並行輸入であるのよ。つまり世界で1台はあやまりである。
この仕様が世界に1台と言っているので、イオタの本物エンジンを積んだ並行輸入ものとは仕様が違うだろうから、間違いでは、無いのじゃないのかな??
知らんけど。
噂程度だけどそのレプリカイオタは確かオリジナルイオタのエンジンパーツが一部再利用してると聞いたことがあります
@@SennaKaito_TZR50_r no...
ミラーはAピラーに付ける?
やっぱりランボは神。
あれは、オリジナル イオタ。ボブ.ウォレスが、制作したやつですよ。
まさに俺の為にあるような車やな
少しワイドボディーの写真、オリジナルのJOTAでは?参考の写真?
コメントマウンター多すぎ🤥
イオタSVRのホンモノに匹敵するデザインのクルマ😮
アルファ ティーポ33ストラダーレ
シェルビーコブラ 427
メルツェデスベンツ300SLR
それくらいかなぁ😅
あらすね
ミラーがないwww