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0:43 根室から上野まで青函連絡船を含んで3本で行けた。根室を16時に出発して上野着は翌々日の朝9時。「和食堂車連結急行」というのがいい味出ているw11:45 列車名が付く前の寝台普通からまつがいる12:43 石勝線開業前は日本最長駅間距離は落合-新得だった。当時子供だった自分は、ケイブンシャの鉄道本に記載されていたことでそれを知った。実際にこの区間に乗ったのは既に最長駅間距離ではなくなった21世紀になってからであるが、狩勝峠越えを体感してその駅間距離の理由を納得したものである。その後も夏の北海道旅行時はいつも選んで滝川、富良野経由でキハ40の単行列車に乗車した思い出があるのだが、今日令和6年3月31日を以て廃止される。東鹿越-新狩勝トンネル西口は、自然災害により列車が通らない最期となってしまった。
作成お疲れ様です。楽しみしてました。無理せずやれる範囲で行こう、ラベンダーを求めて。
戦時中(日中戦争当時、真珠湾攻撃は翌年12月)の昭和15年の時刻表をお持ちとは、驚きです。JTBの復刻版だと、戦前の1925年4月が発売されてるだけです。地元紙の昨日の夕刊で「幾寅駅」の記事が掲載されてました。廃止区間に「金山」駅があります。中央本線の方は「(中)金山」と表記されてます。東海道本線の島田駅が(東)島田と表記されているのと一緒です。根室本線滝川〜富良野〜新得間は石勝線が開通するまでメインルートで優等列車が行き交ってましたが、明日で廃止です。
今、手元にありませんが、かつてJTBが何冊かまとめて戦前の時刻表復刻版セットを出版したことがあり、たしか昭和15年10月号の「時間表」がその中にあった記憶です。
@@kataakeo7730 様へ。教えて頂きまして、誠に有難う御座います。
昭和42年の時刻表、421・422列車には鈍行列車ながら1等車と、北海道に2輌配置されたスハネ30が連結されていた。あの時代にタイムスリップ出来たら…乗りたかった列車だな。
普通列車で寝台車と言うのが旅客輸送が華やかだった時代を物語りますね。
からまつの前身でしょうか。
「からまつ」の前身です。まさに、SL牽引。余談ですが、デビュー間近な、松山千春もこの列車を利用してました。
いつもありがとうございます。石炭産業の衰退等で周辺人口が減っていた中に自然災害のコンボですからね。小樽から夜行普通列車で釧路まで行ったこともあり、部分廃線は寂しいところです。
動画お疲れ様です富良野駅も大きく変遷を辿った駅の一つですね石勝線開通前の交通の要所から石勝線開通によりローカル線化そして災害によって分断廃線富良野は札幌から高速バスが出ているのもあり、今後はローカル線終端駅という立場になりそうですね
今の沿線人口と利用者数を考えると、滝川~富良野や富良野線の存続がどうか、、となるかも。かつての主力だった石炭などの貨物列車もなく、旅客だけでこの路線を維持できるかどうか、、
いつもご視聴とコメントありがとうございます。高速バスのシェアが徐々に拡大していきそうですね。滝川富良野間や富良野線の存続も、コメントいただいた通り、存続の問題が近い将来に話し合われそうに思えてなりません。
@@tomoyankun 札幌~富良野間は、特急が走っていればほぼ2時間で行き来できたのですが、特急が石勝線経由になってから逆に遅くなりましたからね(今は約2時間半かかる)。その一方で、高速バス利用なら2時間10分程度で到達するそうです。
@@tomoyankun そこまでJRが廃止されてしまうと、もはやJR札幌ですね。その一方で、現在はバス運転手確保が問題になってきているので、そう簡単に何でもかんでも廃止すればよいという状況でもなくなりつつあります。富良野線も少し改修すれば、旭川空港アクセス鉄道に衣替えすることすらできるのですが。
富良野線がびっくりするくらい少ないですね。今もラベンダーの時期除けば2時間に1本とかですけど、年月が経って沿線が発展したんだな~って感じます。
1940年の時点だと優等列車は少なかったんですね。戦後は優等列車が増え、幹線らしくなりましたが、今再びローカル線の末端駅になりつつありますね。今でも観光客はそこそこ見込めるだけに優等列車も復活してほしいものです。幾寅駅廃止は悲しいですね。恵比島駅と共に、ドラマや映画と同じく廃止とは。前回の動画より流れるスピードが遅くなった気がします。2倍でもゆっくりなので以前のスピードに戻してもらえると助かります。毎回楽しみにしています。
戦前~戦中は樺太連絡が優先され、根室本線は貨物がメインだったのでしょう。
@@TSUYOS185 網走や釧路・根室方面の急行も、1940年頃には新設されますが、その後戦時体制で、いずれも一旦廃止され、稚内~樺太連絡の急行のみが残されたようです。
この動画を見て調べてみましたが、富良野に特急が停車した時代は、1964年10月改正で新設された「おおとり」とその後の「おおぞら」(70年頃~81年の石勝線開通まで)であり、片道1日複数本停車していたのは73年頃~81年までとずいぶん短い期間だったことに驚きました。
石勝線開通後も急行狩勝は残っていましたね。「北の国から」では富良野駅を発車する急行狩勝の描写がよく描かれていました。それにしても「北の国から」第一回に登場した布部駅、「ぽっぽや」のロケ地幌舞駅こと幾寅駅もなくなってしまうとは...
10年ほど前、当時全国最長鈍行滝川〜釧路2429Dを乗り通ししました。8時間ほど乗車しておしりが大変なことになりましたが良い思い出です。2024年3月31日をもって部分廃線される根室本線・・・寂しいかぎりです🚃
最盛期の60年代でも帯広、釧路、根室を結ぶ幹線にしては当時の他の幹線よりも優等列車が少ない印象でした。大きな遠回りがたたっていたのでしょうか。
明日2024年3月31日、富良野-東鹿越間の列車は最後の日になります。最終列車に、この動画で流れる曲を聴きながら乗車したいです。
久々ですね!富良野は石勝線開通前は、釧路や旭川、札幌へ行く交通の要だったんですね。1964年になると特急や急行、一部の普通列車は気動車が進出していて、また特急は通過だったんですね。
釧路行特急自体が1962年以降で、富良野停車になったのは1964年10月改正なのです。
富良野の時刻表は寂しくなってしまいましたが、国鉄時代に石勝線を作っておいて良かったのでしょう。
北海道の鉄道の栄枯盛衰を物語る歴史絵巻ですね。石勝線の開業によるルート変更がこの地域の鉄道に大きな影響を与えたものと思います。さらには地域産業の衰退、人口の減少もあり、災害から立ち直ること無く廃止区間が出ることに。寂しいことではありますが、現実を受け止める必要があるのかな、とも思います。明日1日無事に走り抜けて欲しいですね。貴重な動画をありがとうございます。
この前国から1000億円がJR北海道へというニュースを聞いて本当に厳しい状況だと感じました本当に札幌近郊にしか残らないというのも真実味を帯びてきたみたいです本当に頑張って残してほしいと思うばかりです
正直言って、JR北海道は民間企業の経営主体としては厳しいでしょう。当時は、旧国鉄に巣食っていた労働組合対策が必要だったので、分割民営化にしたのでしょうが、普通に考えて四国と北海道は経営が難しいでしょう。JR北海道は再国有化が望ましいと思われます。
おおぞらが「通過」だと?滝川〜帯広間無停車だったのか!
調べて驚きましたが、釧路行特急自体が1962年に新設されたもので、当時は滝川~帯広間が無停車でした。富良野停車になったのは1964年10月改正からです。(それも網走行特急「おおとり」の一部編成のみが釧路行になり、それだけが富良野停車になったのです。)
@@kataakeo7730 富良野がこれだけのリゾート地になるのは札幌五輪以降でしたから、通過も納得。
おおぞら、運転停車はしていそうな気がします狩勝消滅段階で災害関わらず将来は決まっていたように思います。当時のぽっぽ屋に今のJR北海道の姿を見せたらがっかりしそうです
大半が鈍行だからね。バス路線も有り競争すると分が悪くなる。幾寅、東鹿越のどちらか停車の快速か上記2つ以外を廃駅にするとかの工夫は必要やった。気動車の減加速は、どうしても電車に比べて時間が掛かりますからね😢
久しぶりですリクエストですけど1978年「昭和53年」10月2日の下り北陸本線、大阪駅、米原駅、敦賀駅、福井駅、金沢駅のダイヤを話してくださいたくさん特急、急行が走りますよ特急街道時代なのでたくさんのL特急が走っていますよ話してくださいたよろしくお願いします
敦賀駅の時刻表変遷は面白いかもしれませんね。ただ本数が多いので1本の動画にはならないと思われます。
@@kataakeo7730 じゃあ絞りますね1978年の【昭和53年10月2日】敦賀駅のダイヤ金沢駅のダイヤでよろしくお願いいたします敦賀駅では名古屋から大阪からくる特急、急行、普通で賑わってますまた金沢からも特急、急行、普通、夜行列車、寝台列車で賑わっていました敦賀駅は特急街道時代と呼ばれてました【リクエスト、よろしくお願いします】無理そうでしたらまた絞ります
てか、先ほど 1978年のダイヤ見てたけどこの時代の寝台列車【特急つるぎ新潟行き】さあ北陸本線全線通過するねほぼ北陸本線で止まる駅は糸魚川、直江津くらい大阪から糸魚川まですべて通過だわ
「富良野」駅の立ちそばもおいしかったなあ。
0:43 根室から上野まで青函連絡船を含んで3本で行けた。根室を16時に出発して上野着は翌々日の朝9時。「和食堂車連結急行」というのがいい味出ているw
11:45 列車名が付く前の寝台普通からまつがいる
12:43 石勝線開業前は日本最長駅間距離は落合-新得だった。当時子供だった自分は、ケイブンシャの鉄道本に記載されていたことでそれを知った。実際にこの区間に乗ったのは既に最長駅間距離ではなくなった21世紀になってからであるが、狩勝峠越えを体感してその駅間距離の理由を納得したものである。その後も夏の北海道旅行時はいつも選んで滝川、富良野経由でキハ40の単行列車に乗車した思い出があるのだが、今日令和6年3月31日を以て廃止される。東鹿越-新狩勝トンネル西口は、自然災害により列車が通らない最期となってしまった。
作成お疲れ様です。
楽しみしてました。
無理せずやれる範囲で行こう、ラベンダーを求めて。
戦時中(日中戦争当時、真珠湾攻撃は翌年12月)の昭和15年の時刻表をお持ちとは、驚きです。
JTBの復刻版だと、戦前の1925年4月が発売されてるだけです。
地元紙の昨日の夕刊で「幾寅駅」の記事が掲載されてました。
廃止区間に「金山」駅があります。
中央本線の方は「(中)金山」と表記されてます。東海道本線の島田駅が(東)島田と表記されているのと一緒です。
根室本線滝川〜富良野〜新得間は石勝線が開通するまでメインルートで優等列車が行き交ってましたが、明日で廃止です。
今、手元にありませんが、かつてJTBが何冊かまとめて戦前の時刻表復刻版セットを出版したことがあり、
たしか昭和15年10月号の「時間表」がその中にあった記憶です。
@@kataakeo7730 様へ。教えて頂きまして、誠に有難う御座います。
昭和42年の時刻表、421・422列車には鈍行列車ながら1等車と、北海道に2輌配置されたスハネ30が連結されていた。あの時代にタイムスリップ出来たら…乗りたかった列車だな。
普通列車で寝台車と言うのが旅客輸送が華やかだった時代を物語りますね。
からまつの前身でしょうか。
「からまつ」の前身です。
まさに、SL牽引。
余談ですが、デビュー間近な、松山千春もこの列車を利用してました。
いつもありがとうございます。石炭産業の衰退等で周辺人口が減っていた中に自然災害のコンボですからね。小樽から夜行普通列車で釧路まで行ったこともあり、部分廃線は寂しいところです。
動画お疲れ様です
富良野駅も大きく変遷を辿った駅の一つですね
石勝線開通前の交通の要所から石勝線開通によりローカル線化
そして災害によって分断廃線
富良野は札幌から高速バスが出ているのもあり、今後はローカル線終端駅という立場になりそうですね
今の沿線人口と利用者数を考えると、滝川~富良野や富良野線の存続がどうか、、となるかも。
かつての主力だった石炭などの貨物列車もなく、旅客だけでこの路線を維持できるかどうか、、
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
高速バスのシェアが徐々に拡大していきそうですね。
滝川富良野間や富良野線の存続も、コメントいただいた通り、存続の問題が近い将来に話し合われそうに思えてなりません。
@@tomoyankun 札幌~富良野間は、特急が走っていればほぼ2時間で行き来できたのですが、特急が石勝線経由になってから逆に遅くなりましたからね(今は約2時間半かかる)。その一方で、高速バス利用なら2時間10分程度で到達するそうです。
@@tomoyankun そこまでJRが廃止されてしまうと、もはやJR札幌ですね。
その一方で、現在はバス運転手確保が問題になってきているので、そう簡単に何でもかんでも廃止すればよいという状況でもなくなりつつあります。
富良野線も少し改修すれば、旭川空港アクセス鉄道に衣替えすることすらできるのですが。
富良野線がびっくりするくらい少ないですね。
今もラベンダーの時期除けば2時間に1本とかですけど、年月が経って沿線が発展したんだな~って感じます。
1940年の時点だと優等列車は少なかったんですね。戦後は優等列車が増え、幹線らしくなりましたが、今再びローカル線の末端駅になりつつありますね。今でも観光客はそこそこ見込めるだけに優等列車も復活してほしいものです。幾寅駅廃止は悲しいですね。恵比島駅と共に、ドラマや映画と同じく廃止とは。
前回の動画より流れるスピードが遅くなった気がします。2倍でもゆっくりなので以前のスピードに戻してもらえると助かります。毎回楽しみにしています。
戦前~戦中は樺太連絡が優先され、根室本線は貨物がメインだったのでしょう。
@@TSUYOS185 網走や釧路・根室方面の急行も、1940年頃には新設されますが、その後戦時体制で、いずれも一旦廃止され、稚内~樺太連絡の急行のみが残されたようです。
この動画を見て調べてみましたが、富良野に特急が停車した時代は、1964年10月改正で新設された「おおとり」とその後の「おおぞら」(70年頃~81年の石勝線開通まで)であり、片道1日複数本停車していたのは73年頃~81年までとずいぶん短い期間だったことに驚きました。
石勝線開通後も急行狩勝は残っていましたね。「北の国から」では富良野駅を発車する急行狩勝の描写がよく描かれていました。それにしても「北の国から」第一回に登場した布部駅、「ぽっぽや」のロケ地幌舞駅こと幾寅駅もなくなってしまうとは...
10年ほど前、当時全国最長鈍行滝川〜釧路2429Dを乗り通ししました。8時間ほど乗車しておしりが大変なことになりましたが良い思い出です。
2024年3月31日をもって部分廃線される根室本線・・・
寂しいかぎりです🚃
最盛期の60年代でも帯広、釧路、根室を結ぶ幹線にしては当時の他の幹線よりも優等列車が少ない印象でした。大きな遠回りがたたっていたのでしょうか。
明日2024年3月31日、富良野-東鹿越間の列車は最後の日になります。
最終列車に、この動画で流れる曲を聴きながら乗車したいです。
久々ですね!富良野は石勝線開通前は、釧路や旭川、札幌へ行く交通の要だったんですね。1964年になると特急や急行、一部の普通列車は気動車が進出していて、また特急は通過だったんですね。
釧路行特急自体が1962年以降で、富良野停車になったのは1964年10月改正なのです。
富良野の時刻表は寂しくなってしまいましたが、国鉄時代に石勝線を作っておいて良かったのでしょう。
北海道の鉄道の栄枯盛衰を物語る歴史絵巻ですね。石勝線の開業によるルート変更がこの地域の鉄道に大きな影響を与えたものと思います。
さらには地域産業の衰退、人口の減少もあり、災害から立ち直ること無く廃止区間が出ることに。寂しいことではありますが、現実を受け止める必要があるのかな、とも思います。明日1日無事に走り抜けて欲しいですね。
貴重な動画をありがとうございます。
この前国から1000億円がJR北海道へというニュースを聞いて本当に厳しい状況だと感じました
本当に札幌近郊にしか残らないというのも真実味を帯びてきたみたいです
本当に頑張って残してほしいと思うばかりです
正直言って、JR北海道は民間企業の経営主体としては厳しいでしょう。
当時は、旧国鉄に巣食っていた労働組合対策が必要だったので、分割民営化にしたのでしょうが、普通に考えて四国と北海道は経営が難しいでしょう。JR北海道は再国有化が望ましいと思われます。
おおぞらが「通過」だと?滝川〜帯広間無停車だったのか!
調べて驚きましたが、釧路行特急自体が1962年に新設されたもので、当時は滝川~帯広間が無停車でした。富良野停車になったのは1964年10月改正からです。(それも網走行特急「おおとり」の一部編成のみが釧路行になり、それだけが富良野停車になったのです。)
@@kataakeo7730 富良野がこれだけのリゾート地になるのは札幌五輪以降でしたから、通過も納得。
おおぞら、運転停車はしていそうな気がします
狩勝消滅段階で災害関わらず将来は決まっていたように思います。当時のぽっぽ屋に今のJR北海道の姿を見せたらがっかりしそうです
大半が鈍行だからね。バス路線も有り競争すると分が悪くなる。
幾寅、東鹿越のどちらか停車の快速か上記2つ以外を廃駅にするとかの工夫は必要やった。気動車の減加速は、どうしても電車に比べて時間が掛かりますからね😢
久しぶりです
リクエストですけど
1978年「昭和53年」10月2日の
下り北陸本線、大阪駅、米原駅、敦賀駅、福井駅、金沢駅のダイヤを話してください
たくさん特急、急行が走りますよ
特急街道時代なので
たくさんのL特急が走っていますよ
話してくださいた
よろしくお願いします
敦賀駅の時刻表変遷は面白いかもしれませんね。ただ本数が多いので1本の動画にはならないと思われます。
@@kataakeo7730
じゃあ絞りますね
1978年の【昭和53年10月2日】
敦賀駅のダイヤ
金沢駅のダイヤでよろしくお願いいたします
敦賀駅では名古屋から大阪からくる特急、急行、普通で賑わってます
また金沢からも特急、急行、普通、夜行列車、寝台列車で賑わっていました
敦賀駅は特急街道時代と呼ばれてました
【リクエスト、よろしくお願いします】
無理そうでしたらまた絞ります
てか、先ほど
1978年のダイヤ見てたけど
この時代の寝台列車【特急つるぎ新潟行き】
さあ北陸本線全線通過するねほぼ
北陸本線で止まる駅は糸魚川、直江津くらい
大阪から糸魚川まですべて通過だわ
「富良野」駅の立ちそばもおいしかったなあ。