「主の摂理による守り」サムエル記第一 29章1-11節(29-30章)ミッションライフ教会日曜礼拝 2025年1月26日(日)
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- Опубликовано: 7 фев 2025
- 前回は主が味方なので恐れないということだった。単にその場の闘いに勝つだけでなく、最終的な勝利、永遠の答えを受ける。戦闘で勝っても最終的に負ければ負けだが、局地戦で負けても最終的に勝てば勝利だ。
説教題に「摂理」という言葉を使った。神が世界を治めておられ、雀一羽も神の許しなしには地に落ちることがない。その神の支配の中でも、人と歴史を動かして神様が目的を達成されることに注目した概念が摂理だ。その方向性は世界福音化であり、サムエル記においてはダビデが王となること。
負けたように思える時もあるが神様が最善をなしてくださっている。最善というのは、私の今の感情にとっての最善ではなく、主のミッション、目的、本当の幸せという意味で最善へと導いてくださる。
29:1 ペリシテ人は連合してイスラエルを倒すために集まった。
2 今まではアキシュに従って、イスラエルを攻撃するフリをして、イスラエルの敵を攻撃していたけれど、アキシュの部下としてイスラエルとの戦いに従軍しなければいけなくなった。ダビデに従う600人も複雑な心境だったろう。「ダビデ様は本当にイスラエルの敵になるのか?」
ダビデは終始上手な言い方をしてイスラエルを攻撃するとは言わないが、神様はダビデがイスラエルを攻撃しなくても良いように、事態を導いていく。アキシュはダビデを信用して戦いに連れていくが、他のペリシテの王たちはいつ裏切るか分からないものを連れて行くわけにはいかないと言って、ダビデを帰らせるように言う。結局アキシュ王がダビデに頼み込むような形で、ダビデはこの戦いから離れることができた。ダビデはイスラエルと戦わなくて済んだし、アキシュの前にも誠実さを表すことができた。神が摂理によって守られた。
この後も神様が不思議な方法で守られる。一つ一つの出来事自体は奇跡ではなく、よくある話だが、そのタイミングと結果を見ると、まさに神が働かれたことがわかる。
30:1-2 自分の町ツィグラグに帰ると、アマレク人が襲撃して、街を火で焼き払い、財産を奪い、人々を全員連れて行ってしまっていた。
ダビデ達は疲れて帰ってきて、アマレク人はどこに行ったかも分からない
でも主に聞くと、30:8 「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」との答えがあった。
30:11 一人のエジプト人と出会い、アマレクのいる場所を知る。ダビデは、宿敵アマレクに大打撃を与え、全てのものを取り返した。さらには多くの分捕りものを得て、イスラエルの国々に贈り物をした。少し前までイスラエルを攻撃しなければいけない立場だったのに、イスラエルを祝福し将来の統治の基盤を作った。
ローマ8:28 全てが益となる。神様が全てを動かして、そのミッションを成し遂げる。
約束の中にあるなら大丈夫。大きなことから小さなこともまで主の摂理の中にある。うまくいった時はへり下り、うまくいかない時も主の摂理を信じて希望を持って歩もう。