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当時の貴重な映像の公開、ありがとうございます。九州側になってしまいますが門司駅は福岡県北九州市門司区に在るが、映像当時はまだ北九州市誕生前。当時は福岡県門司市でありました。博多駅ですが、当時は現在の博多駅より北西へ約600m先にありました。準急あきよし運行開始4ヶ月後の昭和35年7月、現在地の新しい博多駅建設が始まります。昭和38(1963)年12月、現在地での博多駅が開業します。
これは貴重な記録。[あきよし]って当初は山口~博多間だったとは(列車の愛称からすればむしろ美祢線向け?後年は確か美祢線経由の編成もあった筈)意外。そして山口駅始発だからって本来津和野・益田方面行き列車用の1番ホームから敢えて新山口(当時は小郡)方面に向けて発車したのは運転開始Ceremonyとの兼合い?山陽本線内での擦れ違いのシーン、然し対向列車の編成を見るとあれ?機関車次位に荷物車?若しかしたらあれは下り列車?となると上り(山口行きの[あきよし]?)下関駅のシーンも、背景にすぐ結構大きな船がいる海が見えているけれど…下り列車が発着する3・4番線ホームから海は見えるかしら?(上りの発着する8・9番ホームなら今でも海は見えるけれど…若しかして上りの博多発山口行き列車?)尤も1960/昭和35年当時は当然ながら今のシーモール下関など無かったしまして海響館など影も形も無い頃。高層ビルだの大型建築物なども無いから或いは海が見えたのかも?ま、重箱の隅をつつくのも大人げない話。細かい所はこの際置いといて、貴重な記録映像に感謝と敬意を表します。
>そして山口駅始発だからって本来津和野・益田方面行き列車用の1番ホームから敢えて新山口(当時は小郡)方面に向けて発車したのは運転開始Ceremonyとの兼合い?→今でも新山口に折り返す運用の場合は、改札前のホーム発車は割とありますよ。跨線橋を渡らない方が何かと便利ですからね。
1:04~運転台が小湊鉄道のキハ200と一緒。
準急あきよしといえば寝台特急さくらに追突した列車のイメージが...
当時の貴重な映像の公開、
ありがとうございます。
九州側になってしまいますが
門司駅は福岡県北九州市門司区に在るが、
映像当時はまだ北九州市誕生前。
当時は福岡県門司市でありました。
博多駅ですが、当時は現在の博多駅より北西へ約600m先にありました。
準急あきよし運行開始4ヶ月後の昭和35年7月、現在地の新しい博多駅建設が始まります。
昭和38(1963)年12月、現在地での博多駅が開業します。
これは貴重な記録。[あきよし]って当初は山口~博多間だったとは(列車の愛称からすればむしろ美祢線向け?後年は確か美祢線経由の編成もあった筈)意外。そして山口駅始発だからって本来津和野・益田方面行き列車用の1番ホームから敢えて新山口(当時は小郡)方面に向けて発車したのは運転開始Ceremonyとの兼合い?
山陽本線内での擦れ違いのシーン、然し対向列車の編成を見るとあれ?機関車次位に荷物車?若しかしたらあれは下り列車?となると上り(山口行きの[あきよし]?)
下関駅のシーンも、背景にすぐ結構大きな船がいる海が見えているけれど…下り列車が発着する3・4番線ホームから海は見えるかしら?(上りの発着する8・9番ホームなら今でも海は見えるけれど…若しかして上りの博多発山口行き列車?)
尤も1960/昭和35年当時は当然ながら今のシーモール下関など無かったしまして海響館など影も形も無い頃。高層ビルだの大型建築物なども無いから或いは海が見えたのかも?
ま、重箱の隅をつつくのも大人げない話。細かい所はこの際置いといて、貴重な記録映像に感謝と敬意を表します。
>そして山口駅始発だからって本来津和野・益田方面行き列車用の1番ホームから敢えて新山口(当時は小郡)方面に向けて発車したのは運転開始Ceremonyとの兼合い?
→今でも新山口に折り返す運用の場合は、改札前のホーム発車は割とありますよ。跨線橋を渡らない方が何かと便利ですからね。
1:04~
運転台が小湊鉄道のキハ200と一緒。
準急あきよしといえば寝台特急さくらに追突した列車のイメージが...