周瑜|赤壁の戦いで曹操軍を壊滅!!若き天才戦略家の真相に迫る 【三国志正史】
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- Опубликовано: 24 ноя 2024
- 【三国志正史】
若き天才戦略家の周瑜。
孫権は「周瑜がいなければ皇帝にはなれなかった」と言ったほど周瑜のことを信頼したことがわかります。
もしも周瑜がいなければ呉は曹操に簡単に攻略されていたかもしれません。
蜀にとっても呉にとっても重要な役割を果たしたと言えるでしょう。
しかし、三国志演義では諸葛亮の噛ませ役になっている部分があり、正史の人物象とは大きく離れています。
それでは三国志正史の周瑜について最後までお楽しみいただければと思います。
【参考文献】
正史三国志
amzn.to/42y8IcH
#三国志 #周瑜
周瑜と孫策がともに長生きしてたらすごいことになっていたでしょうね。
眉目秀麗、才学非凡、寛仁大度な周瑜様。大好きな武将です。
呉軍て株主総会みたいなんだよね。周瑜・呂蒙・陸遜といった粉骨砕身、孫呉に尽くす漢たちがいたから持ち堪えてたみたいなトコある
一番好きな武将周瑜です
天下二分とか天才すぎる
楽しい動画ありがとうございます。
周瑜と孫策のif物語は有りだと思います。
周瑜、郭嘉、法正。生きていたらどうなってたんだろう。
面白かったです。陸遜さんもお願いします。
ありがとうございます!
準備中です!!
周瑜が長生きしていたら蜀はなかっただろうな。
天下二分にして曹操(魏)との決戦があったろうに惜しい人物だった。
改めて天下二分という言葉を聞くと劉表や劉璋では天下三分は成せないという言葉に聞こえる。劉備がいなければあったかもしれませんね。
個人的な三国志の大きな謎の一つに「孫呉の荊州南四郡への異常なこだわり」いわゆる「借荊州」があるんですが、この件に周瑜が大きく関与していたのでは、という推論が個人的な意見です。
正史では赤壁の戦いの後の江陵攻略後に周瑜は南郡太守となり江陵に駐留、劉備は周瑜から公安を与えられ駐留する事になります。(劉備伝側に記述)
赤壁開戦の直前には劉備は夏口(つまり長江北岸側)に駐留しており、演義で語られる荊州南四郡の攻略の為に長江を北岸から南岸に渡り、電光石火で南四郡を制圧するのは不可能と思われます。(周瑜軍が江夏から江陵、夷陵に展開中なので。)
実際、公安を与えられた劉備は公安だけでは軍を維持できないという理由で南四郡の攻略と統治を孫権に申し出ています。
この時点で孫呉は長江の北岸と南岸を抑えており、曹操派の劉表の残党を掃討するだけの状態だったところに、劉備がその役目を劉備の軍が担当するから駐留を認めて欲しいという事になります。
ここまでが正史の記述で追える「借荊州」に至る経緯ですが、江陵攻略時に夷陵、公安まで軍を進めていた周瑜が曹操派の残る南四郡を放置した状態で江陵攻略に着手するかが疑問が残ります。
実際夷陵の戦いでは長江北岸に軍を展開していた黄権の部隊は進退窮まり魏に投降するくらいです。(長江上流側から攻めていたとはいえです。)
では周瑜は撤退が容易であるとは言え江陵を攻め続けられた理由はというと、既に南四郡を制圧していたのではないでしょうか?
劉備伝に「劉備が南四郡の太守を降伏させた」という記述がありますが、赤壁の戦いから荊州の南四郡を入手した出来事は蜀漢成立の最初の一歩なのに記述が少なすぎるのも疑問です。
その後周瑜が没すると後任の魯粛は天下二分の計を諦め、劉備に江陵を更に貸し与え襄陽へのけん制を担当させます。
孫呉からすれば荊州南四郡と江陵は赤壁で周瑜が勝ち取った土地であり、あくまで対曹操の為に劉備に貸しているという認識に落ち着くのも納得出来ます。
赤壁直後の周瑜の軍事行動は後の三国鼎立の国境線に直結するにも関わらず、正史でもこの時期の荊州の記述が少ないのも不自然なので、こういう推論をたててみました。
長い長江沿岸を制圧し、東は合肥から、西は江陵から魏を攻められる大国呉の最大版図を築いたのは周瑜であり、孫権も皇帝になった際に兄から引き継いだ領土の危機を覆しただけでなく、更に拡大させた周瑜に感謝したのではないでしょうか。
長文失礼しました。
扇子に衣装も明代だったかに孔明に横取りされちゃったし、演義は本当に罪作り
で、今は李牧がキングダムファンから似たような扱いにw
ちなみに赤壁に劉備軍は参加していない
(逃げる準備をして最後方ではあったけど)劉備軍もいたよ
三国無双でよく使ってた
なんか演義だとどうしても諸葛亮の補佐みたいになってるけど私は断然諸葛亮より周瑜の方が好き。
呉の武将に好感持てる方々が多い🤩
孫策時代の留守番役も曹操の荀彧や劉備の諸葛亮みたいに大事な役目ではあったりする
留守番役はNO2の仕事だったりするしね
留守番役のNo.2は曹操で言えば夏侯惇やな
ゲームの三国志シリーズやってる人は分かると思うけど、防御の弱い船で川渡ってる時に周瑜の弩兵隊に狙撃される恐怖はトラウマだよな。
孫策が陸軍を、周瑜が水軍を、そして占領地は孫権が固める。
しかし両名いなくなったことで、孫権の器を超える者がいなくなった。
だから膝折外交、時に大きめn戦をしても、孫呉は揚州・荊州しか領有できなかった・・・
周瑜の評価は本当に赤壁の戦いがあったかどうかで変わる…調べてみると実際は赤壁で両軍対陣したけど曹操軍陣中で疫病が蔓延し仕方なく曹操は撤退を決意し用意した船団は持ち帰れないので自ら火を放ち、その火で敵の追撃を阻み撤退を成功させたのが真実性が高いみたい。……そうすると周瑜の評価が下がり…また本当に周瑜主導で火攻め成功させてれば三國志一番の名将!
周瑜の話って
孫策と仲が良い
赤壁の戦い前に何かしら仲間内で活躍した
諸葛亮のかませ
しか知らんからこの動画は捗る
大喬小喬が捕虜ってのは今知った
三国志演義だと周瑜は龐涓。孔明は孫臏の様な感じなんですね〜。
激しく同意
正史だと会議の場に呼ばれもせず露骨にハブにされた周瑜さん。
群臣の降伏論の中で周瑜だけ主戦論を訴えたというより、最初から徹底抗戦で決まっていたのでしょう。
赤壁では周瑜率いる水軍の他、孫権が自ら軍を率いて合肥を攻め、張昭にも一軍を与えて徐州に侵攻しているのがポイントですね。
天下二分の計は魯粛じゃなかった?
違うよ彼は蜀(劉備)との融和路線で天下三分だね。
僕もそのように記憶している。
魯粛が周瑜に提案したのが天下二分の計だったと。
記憶が曖昧だけど、魯粛が孫権に仕える前の話だったと思う。
周瑜ありきの計なので、周瑜がいなくなって方針転換されたと記憶している。
周瑜と孫策、テリーマンとキン肉マン、岬くんと翼くん。
まさしくそれですね!!
個人的に魯粛もお願いいたします。演義の中間管理職的魯粛もいいんですが、史実の魯粛はかっこいいですよね🎵
周瑜の死因は、本当に矢傷なの?
演技と史実と妄想が混ざってる三国志だな!
本当に賢き者は人を見る目があるよね 自称皇帝の暴君の誘いはそりゃ断るよね
黄蓋って薩摩ホグワーツに似てる
東南の風て、東南だと逆じゃないの?北西では?
孔明出てこないな
史実だからな😃
周瑜は素晴らしい人物だったと思うが…やっぱ、孫策はそんなに好きになれないなぁ…ちょっとは高い地位を自覚できているが…基本、DQNなのよね…
演義被害者と言われてる周瑜ですが、演義の前身となる平話見ると演義でかなり優遇されてる人物なんですよね
美周郎←創作、実際は周郎、単に旦那の意味で糜竺なんかも糜郎と呼ばれていた。
江南平定←大幅に功績を盛らせて活躍し、たびたび策を進言したりしてるが、実際は単に従軍した記録の他は途中で丹陽の守備に回ってる。
二喬を得る←単に捕虜を戦利品として妾にした話を、名士喬国老に見初められ天下一の婿として迎えられる。
孫策の遺言←実際には張昭に全権を託しており、外のことは全て周瑜に聞けは創作。
赤壁←諸説紛々の曖昧な戦役を魏書を無視し呉書ベースで最大の見せ場として書いてもらえる、それ以前の三国平話とは一線を画す活躍を見せる。
対曹仁←実際は劉備と共に包囲してるのを単独で曹仁を計略で打ち破ったことに、善戦していた曹仁はかませ犬扱い
と演義でも盛られてる人物ではあります
だって周瑜の株上がれば孔明はもっと上がるもん。演義は劉備贔屓で曹操アンチだから劉備と組んで曹操撃破した周瑜を上げない理由がない
周瑜は天才か⁉️凡才か⁉️「本当の英雄か❗
赤壁の闘いは❗謎の大勝利👀‼️「うぬぼれ
が死を招く❕刑州 は後に「蜀の国を作った⁉️
以上🍑 9/25・月曜日 天下三分の計❕
東海市の住人です😊周瑜のようなイケメンになれば東海市の五等分の花嫁全員を娶る事出来る?コメント下さい😅ちなみに、二乃が好きです