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無茶苦茶分かりやすい説明の仕方と教え方が最高に上手い他の動画もホントためになる
待ってました!満州事変は内容、時代背景等々勉強させて頂きたかったので。今から動画楽しみです!
どうでしたか?
@@donttellmearai 他の政治系ユーチューバーさんには申し訳無いですが、ドンテル荒井さんの動画が断トツ内容がわかり易く、声も話のスピード、話し方等聞き良いです。以前の別動画にてコメント欄に満州事変をやって欲しいと上げた所、きちんと反応して頂き、しかもこのクオリティ。回りの歴史マニアにもチャンネル登推進勝手に頑張らせて頂いております。
4年前に亡くなった、私の祖父も満洲に行った日本軍の1人。亡くなる前には、それまでに話さなかったことも含めて、自らの戦争体験を全て語ってくれた。ただ祖父が満洲にいたとき、どんな心境だったか聞けなかったのが唯一の心残り。
死ぬほどわかりやすかったです。世論のパワーを感じます。煮え切らない政府と国民感情の対立は今と似た雰囲気ですね。
わかりやすすぎると死ぬんですね
満州事変や柳条湖事件が全くわからなくて困っていたので、すごく助かりました!!流れがすらすら入ってきて死ぬほどわかりやすかったです!!
良かったです!!高評価ボタン押しておいてくださいね!!
わかりやすいです!ただ、画面の中だけでもいいので、重要な事柄にはもっと年号を入れて欲しいです。「日露戦争(1904年〜1905年)」など。
なるほどありがとうございます。私に欠けている視点でした。教えて下さってありがとうございます。今後参考にさせていただきます。
@@donttellmearai とんでもないです!いつも楽しく見ています!ただ、見ていて「これ何年頃の話だろう?」と思う時があるので、要所要所で年号を入れて頂けると、私のような者はとても助かります^^
歴史は苦手ですが、お話しがとても分かりやすく、最後まで聞かせていただきました!!
よくぞ、ここまで掘り下げました。まとめ方が上手です。そろそろ731部隊もアップしてみてください。
調べてみますね
現在と当時とで、やってることが逆転してしまってますね。こうも変わるもんなんだろうか...
人は変わります。もうちょんまげの人は力士しかいないんですから
分かりやすいー!!
8:53 日章旗ではなく旭日旗(陸軍連隊旗)では?
正解です間違えました
沖縄戦ひめゆり学徒隊などをお願いします
沖縄やりたいです
自分が知りたいだけなんですが、西南戦争や、元寇について解説して欲しいです。
日露戦争は日本の大勝利とは言い難い。日本もロシアもヘトヘトでアメリカの仲裁で講和した。っと言うべき。
軍部も国民もメディアも傲慢であった事は確かだろう。
分かりやすく説明ありがとうございます。5‐15事件当時 世界恐慌で苦しい市民と 財閥 華族 等の上流階級でかなり格差があり事に及んだと聞きました。政府だけでなく社会体制にも不満が出てたのか。そして 世論が進出を求めたのか?
そうだと思いますよ
大正生まれの父は『満蒙は生命線』と言う言葉を言ってた。小学生の父も、領土を拡大すれば日本は豊かになると思っていたのだろう。
信じているかどうかですからね、未来は分からないし
面白かったです。ありがとうございました
こちらこそありがとうございました。チャンネル登録しておいてください
所謂旧満州出身者です。非常に分かりやすい説明でありがとうございます。しかし、歴史は言葉以上に重いものです。日本はやっといろんな資源に手を入れた→ 現地人にとっていろんな資源が強盗に奪われた日本は商品の輸出先を見つけてなんとか経済をやっていけた→ 現地人にとって地元の産業が大量に潰れて、職を失った人と家族、生存困難の状態に落ちた侵略に反抗して、殺されるも想定内侵略者と被侵略者、歴史に対する温度差、まったく違うものです。その温度差、また紛争を生み出す温床にもなります。 弱肉強食は人類の本性だと言われたら、悲しくて言葉が出ませんが世界平和であることを心より祈ります。
何年から何年まで、物心ついている期間、満州にいたのですか?
最近、話し方が少しゆっくりになりましたか?とても聞きやすくなりました。
ですよね血の滲む努力をしました
いつもながら為になるコンテンツありがとうございます。関連動画(5.15,2.26 など)と相まって理解が深まります🙇🏻♂️今現在、見れば見るほど、ロシアの状況とダブル部分があります。ロシアの状況を見て最初、やっぱり権威主義は危険だなあ、などと思っていたのですが、本動画からこの時期の日本の行動は寧ろ日本人の世論にサポートされていた(政府は止めようとしていた)と知り、民主主義も全然戦争に対して安全でないのだなあ、と嘆息しました。現代思想家(!?)の東浩紀さんが、SNS 時代の民主主義は混乱期において特に危険、と仰っていたのが少し腹落ちしました。世界はどうなっていくんでしょうか。。。
恐ろしいです
次回日本赤軍の解説お願いします!
大正デモクラシーやってほしいです!
やりたい!
ぜひお願いします!
通州事件について深掘りして欲しいです
あー、あの傀儡軍誤爆してやり返されたってやつね人様の家に押し入って強盗殺人してやり返されたら通州事件!ってピキるのおもろ
動画制作お疲れさまでした。楽しくみさせていただきました。最後の満州事変は日本軍の暴走だったか苦渋の選択の末、しかたなく起こったのか?ですが個人の見解を簡潔に言えばシビリアンコントロールができていなかったそれの失敗という見解なので暴走だったと思っています。経緯から双方の視点からの解説分かりやすく面白かったです次回も楽しみにしています!
コメントありがとうございます。シビリアンコントロールがなぜ生まれたのかとか言うところもよく分かりますね…経緯と双方の視点がわかれば歴史から学ぶことができると思います。逆に言えばそれがなければ歴史から学ぶと言うことすら危険なことになってしまうのですね。
本当に日本軍(関東軍)は猫も杓子も悪かったのでしょうか?少なくても、当時の満洲人達は満洲事変を好意的に捉えてます。張学良の軍閥政権は後世の史家から「私兵を養い、軍費を捻出するため広大な満州の土地を荒らし、民家の膏血の七、八割は軍費に当てられ、商民の三割はついに破産し流落した」と非難されているが、実際、満州の民は、満州事変で張学良の軍閥が関東軍にくちくされたことに快哉を叫んだ。日本に感謝したというのが否定できない事実だ。こうして各地で新国家建設運動が、まさに澎湃として起こったのである。(黄文雄『日本の植民地の真実』二七八頁)
第三者の外国人は日本の満洲事変を擁護してます。リットン報告書の原案起草に携わったアン・ジュリノ博士は、国連事務局次長の杉村陽太郎氏を訪ね、こう説明しています。チャイナ側の神経を刺激しないようにと配慮したので、チャイナの実相を十分表明できなかった点があり、遺憾である。自分としては、過去数年間のチャイナ側の抗日的態度に対し、日本軍人が癇癪(かんしゃく)を起して一撃を加えたのは無理からぬことで、毫も非難の余地はないと思う。幣原外交に徴するも、チャイナ側は日本の好意に甘えて不当につけ上がっており、これについては委員会内でも、意見が一致しており、異議をはさむ者はいない。……委員たちは、チャイナ問題に関して基礎的知識を持ち合わせていないので、報告書の結論が随所で矛盾しているのは当然であり、結論の全部に確信があるわけでもない。(渡辺明『満洲事変の国際的背景』五三六頁)
@@相馬たかし 柳条湖事件を起こした関東軍にも理由があったと思います。自分はそういう視点で「満洲事変」について動画をアップしているのでよろしければご覧下さい! ご感想お待ちしております!ruclips.net/video/6sY2x4Xr_1I/видео.html
相手が嫌がることでも呑ませられるのが武力のメリットであり存在意義なので、基本的に暴力肯定の思想と行動になるのは自然の成り行きだよね。右翼の街宣車にも「一人一殺」とか書いてあるし…当時は一般国民もそれで儲けさせてもらってたんだよね。暴力団のタニマチのような心理?
侵略でしかない気が…。前から満州については日本が悪いとしか思ってませんでした。だけど軍と政治と国民感情、1番作用したのが国民感情だったとは意外でした。満州について天皇陛下はどのようなお考えだったのでしょうか?
国民感情はマスコミによって操作されるものではないでしょうか。マスコミの経営や人事がどうなっていたのかも知りたいです。
それ、私も思いました。天皇の意見は?どんだけ軍が力を持ってても、天皇は神だったんでしょ?日本ていう国は、天皇の一声でどうにでもなったはず!
軍が暴走している事がよくわかる
ほんとね
満州全土は清との不平等条約によるソ連の租借地でした。日露戦争後日本がその権限を譲り受けたものの、一度清に返却し、ソ連との干渉領域の意味合いで南満州のみを租借地としたものです。ここの表現がが少し異なります。よってそのことをを考慮してリットン調査団が妥協的な提案をしてきたのです。しかしながら日本のマスコミが正確に伝えずに世論を煽り、国際連盟を脱退するという不祥事を政府が起こしてしまうのです。これには先に登場したしげはら外務大臣や後の総理大臣の近衛などがからんでいます。
清国と条約を結んでいたのはロシア帝国ですね。ソ連は清国の滅亡後に誕生してますので、北満洲でソ連が持っていた利権はロシア帝国の権益を継承したものでしょう。満洲全土をロシアが租借したわけではないでしょう。租借地とは期限付きで借り受ける土地でありその国の全き主権が通用することになります。期限がなく自国の領土にしてしまうのが「割譲」ですね。例えば香港は英国の租借地でしたが、九龍半島は同国の割譲地でした。1997年に英国は中華人民共和国に本来返還を要しない割譲地の九龍半島を含めて返還しています。日本は、南満洲を租借したわけではありません。鉄道の運営やその附属地の警備等の権益をもっていただけです。ただ関東州だけは、租借地であり日本の全き主権が通用した土地でした。つまり日本国内と同じです。こうした権益は、租借地を含め当初29年という期限がありましたが、対華21カ条の要求の交渉で99年間に延長されてますね。日本がロシアの権益を継承することを定めた日清議定書が結ばれたのは、たしか1905年なので、大日本帝国が敗戦しなければ2004年頃に「関東州(=遼東半島)の返還」が、1997年の香港返還の時のように、国際間の問題になっていたかもしれません。
満州事変の関する知識も曖昧な物でしたが、この動画を観て事件の詳細が把握できました。
よかったです!
731部隊についてやっていただきたいです!
悪名高い731部隊。怖いから見れないかも
「スパイの妻」は731テーマで国際映画賞を貰いましたね。新井さんの視点も知りたいです。
大陸の領土を維持できていればと考えたこともありました。しかし東西冷戦の最前線になったはずです。長期的に見て安泰な地域ではなかったと思います。
満州国の建国の時の、最後の皇帝、「溥儀」の人間関係がドロドロした話しを荒井さんに解説アップして戴けると嬉しいです。荒井さんの編集、解説なら面白いと思います。*映画「ラストエンペラー」観たけど、無理にショーアップされてるようで、よく解らなかったし、面白く無かったので。皇帝を利用して建国するんだから、かなり歴史的に面白いはずだと思います。よろしくお願い致します。
日中戦争で解説したような覚えもありますよかったら見てみてください
@@donttellmearai ありがとうございます。観てみます。
『愚かな軍が暴走した、国民は悪くない、』論に与すると、本質が見えなくなりますね。蒙が啓かれました。
その通りです。ことはそう単純じゃないことが多いです
マスコミの論調にも利権が絡んでいたと思います。今も発言と本音は違う人が大勢います。
戦記を理解するうえで重要な日本の軍隊の部隊構成、すなわち師団 - 旅団 - 連隊 - 大隊 - 中隊 - 小隊 - 分隊 - 班(又は組)など人数の規模や特徴、及び日本陸軍海軍の士官や将校の種類や階級について基本的なことを詳しく教えてほしい。 そして現代の自衛隊の隊の構成や、自衛官の階級についても教えて下さい。
わかんないですよねなんとか兵3等とか
@@donttellmearai いろんな軍隊の専門用語や1等兵や軍曹、下士官といった階級のヒエラルキーがどうなっているの?どういう種類で分別されているのかもよくわからない。 あと伝達系統や命令系統も謎です、はい。 あと明治の軍隊と昭和の軍隊でもいろいろ異なるような、、、
何かアヘン戦争前って米中貿易摩擦に似てるな。かつてのロシアの「南下政策」を中京がしてるけど、現代の(日露戦争)は何処で起きるのかな?歴代首相は宥和政策方針宣言より方針の理由説明を国民にしていたのかな?
どうでしょうかね…
完全に軍部の大チョンボだったと思います。リットンさんが助け舟出してくれたのに、自ら転覆させてしまうとは・・・(´д`|||)
まぁ全部結果論ですからね
南京大虐殺の真相を知りたいです
僕も知りたいので、動画作ってみますね!
C国のでっち上げ
Y. Noboru はいはい、ネトウヨくん
ありがとうございます
中国では資料館を作って洗脳教育で歴史的な真実として語られているみたいですね。
日本の小学生全てに見せたい動画です。
社会の先生が勝手に見せてるみたいです
満洲って植民地みたいに荒廃してる土地なのかなと思うと、新京が凄い発展しててびっくりした思い出がある
日本の地方はもちろんだけど、日本が手塩にかけて近代化させた台湾・朝鮮よりも発展してたと思いますよ。
当時は他の中国より栄えてとの噂もあります。
仏領インドシナのサイゴンはプチパリと呼ばれました、米領フィリピンのハノイの発展然り。荒廃してる植民地って何の話?
@@正人-e4z 今の中国がスマホ決済が標準になっているように、新しいシステムが導入されて、最新の状態だったのが満洲国。計画経済によって建設された東洋の社会主義合衆国。
母は良い教育を受けるために親元を離れ、長兄の住む大連の女学校に行っていた。長兄は満州鉄道で働いていたので日本軍が鉄道を爆破したのはよく知っていた。というか「みんな知っていた」と母は言っていた。
僕個人の見解なので異なる主張もあるかもしれません。関東軍の「作戦の石原、実行の板垣」のコンビは、満洲の実効支配を主張したのですが、軍中央は反対し、使者を遣わすほどだったのですが、折衷案の「日本の影響を受ける独立国をつくる」というので2人と軍中央の使者は合意しました。「混乱してる最中にとある民族が建国を主張したので日本はそれを認めました」っていうてい。
なるへそ
確か満州は清を建国し皇統だった満州族の故郷で、清が滅びた際の最後の皇帝が満州国の帝位に就いたんですよね。
その通りです
@@donttellmearai ありがとうございます。
そうです。満洲人たちは溥儀の復権を熱烈に歓迎したようです。「これはみな旗人(=清朝直属の家臣 引用者註)です。彼らは陛下を二十年のあいだ待ちに待ったのです」この言葉を聞いて、私は熱い涙が目にあふれるのを押さえられなかった。私は大いに希望があるのだという気持ちがますます強くなった。(愛新覚羅溥儀『わが半生(下)』五頁~六頁)「増税したことと官吏が腐敗したことにより、国民は満洲朝廷の復帰を望むようになっている。満洲朝廷も悪かったけれども、共和国はその十倍も悪いと人々は思っている。満洲王朝を恋しがる声は人里離れた辺鄙なところで聞こえるだけでなく、他の地方でも満洲朝廷を未だに望んでいるのである」(R・F・ジョンストン『完訳 紫禁城の黄昏(下)』五十七頁~五十八頁)
民衆の政府への批判は軍支持だけが理由でなく、政府と財閥の癒着もひどかったらしいね。
ポーツマス条約に続く日清議定書で日本は南満洲でロシアが持っていた権益を継承したわけですが、その内容に不満を持って権益を拡大しようとして起こしたのが満州事変だったでしょう。満洲事変当時の満洲は、1928年の「張作霖爆殺事件」(満洲某重大事件)のあと張作霖の息子の張学良が国民党政府に忠誠を誓う形となり国民党の影響力が無視できない状況でしたね。東清鉄道以北の北満洲はソ連の権益地で1929年には権益回復を狙う張とソ連側の対立が激化し、ソ連軍が満洲北部に出兵したりしてますね。中国大陸については、第1次大戦後に中国を含む列強間で結ばれた「ワシントン9カ国条約」(①中国の主権と領土を保全する。②通商の自由を尊重するというルール)があり、一部の日本人が主張するような「フロンティア」では決してなかったのですが、分裂状態の中国自身が必ずしもこのルールを遵守していたわけではありませんでした。日本は、権益の拡大のため日清議定書に代るあたらしい議定書を必要としており、そのため議定書(日満議定書)を結んでくれるパートナーが必要だったというのが、満洲国を建設した主たる目的で「五族協和」なんて理念は取ってつけたようなものですね。満州事変の結果、日本軍は東清鉄道の北側まで進出してソ連の勢力圏に頭を突っ込んでしまう形になりました。ソ連は、北満の利権を最終的には日本に売り払う形となりましたね。1931年にはまだ山梨・宇垣軍縮の影響が大きく、日本における軍の地位は揺らいでいましたね。日満議定書で日本は満洲国の防衛に責任を持つことになり、軍縮傾向に歯止めを掛けることになりました。まあ、陸軍の失業対策みたいなものが動機になった面もあるでしょう。しかし、1928年からのソ連の7ヵ年計画で極東ソ連の軍事力が大幅に増強され、日本は却って軍事上の大きなリスクと向き合わなればならなくなりました。
関東軍の幹部だった花谷正(1894~1957)が、満州事変が関東軍による謀略だったことを、敗戦後の昭和30年(1955年)に告白したのだが、その際に、花谷にインタビューを行ったのは、当時東大生だった歴史家の秦郁彦さん(1932~)である。学生時代のころから、近現代史における大事件の当事者へのインタビューを通じて、真相を解き明かそうとしてきた、秦さんの努力と才能は、本当にすごい。
そう言った姿勢のジャーナリストがいると世は良くなっていくと思われますよね
源平合戦が終わったあと、軍はもういらないと弟の義経を殺した頼朝は政治的有能だったんだね
なるほどね
その時は国内比較的近いところに対応できてれば良かったから、軍に対する永続的な重要性は薄かったんだろうな1900年代前後あたりなんて、もう他国同士がどれだけ離れていても割と自由に行き来できる技術は十分にあったしわけで国防のために軍力は必要不可欠だった、その意味でも戦いがすんだら軍はいらね殺しとこという考え方はまず無理でしょうね、そこが国際社会の関係性をややこしくさせているとも言えますけど
歴史は一本の線でできているなと感じました。領土拡大、経済不況etc満州事変は起こるべくして起こり、第二次世界大戦も起こるべくして起こったと感じる。そう考えると世界恐慌もこうなることを予測して起こってしまったのではないかと思えてきた。熟考すれば今後の未来もすべて的中できそう
それは難しいと思います。それができたら億万長者です
関東軍が力を持ちすぎた、のが大きいですよね。
天皇の命令すら聞かないヤバイ奴ら
河田 命令聞かなかったのは地元の関東軍なんですが…
河田 薩長で頑張ってた人たちや民権運動で頑張ってた人たちが一気にいなくなったからかな?
軍部の勢力がなければ、今の日本も違う過去から現代もあったのでしょうね
この当時、現地に張学良の奉天軍は関東軍の10倍以上の兵力が駐屯していた。満洲事変で奉天軍は関東軍に全く敵わない事が露見した。
そうなんですね…
奉天軍30万人対関東軍1万人でしたね
めちゃくちゃ分かりやすかった今ロシアのウクライナ侵攻を非難してる人が当時の日本の侵略は追い詰められてたから仕方ないと擁護してる姿が滑稽に感じます世論は憲法9条を改正しないと他国に攻められるからと改憲ムードですがそれこそ平和ボケだと思いますね緊急事態条項の新設についても同時に議論していかないと本当に戦争出来る国になってしまいます
ほんとだよね
関東軍やってる事が今の中国
同じ人間ですから
大人の教養TV 人間ってひとまわりにするな!アジア人だろぉ?
第1次世界大戦前だったら許されたんだろうなぁ
大局的に捉えられていて流石です
当時戦争を煽ったのは某新聞会社や日本国内や中国国民軍に潜入していたコミンテルンとの噂もあるみたいですね。当時大陸で住んでいる日本国民は中国軍からの残虐行為で済南事件や通州事件で多くの被害を出していましたから、大陸で住む日本人にとっては安心して住める満州国はありがたかったと思います。
自分たちが住みやすくするために新たな国家をつくるって…かなりやばいですね
@@mitaa3079 でも他の中国地より満州は栄えてたとの事実もあります。
正人 でもやばいです
満洲までならまだ情状酌量の余地はあると思うな。公務員としては絶対にやってはいけないことなのだけれど。熱河作戦とか華北分離工作とかしなければまだ国際連盟に残ったり、中国との衝突はあるにしても、泥沼の全面衝突になるのは避けられたかもしれない。あくまでもかもしれないなので、逆も同様で避けられなかったかもしれない。
資料や証言からみても、コミンテルン謀略説は決して噂レベルではないでしょう。1938年にアメリカで出版されたフレデリック・ウィリアムズの著書には、日中戦争の導火線に火をつけたのはソ連(モスクワ)と断言しているし、極東国際軍事裁判の日本側弁護人(アメリカ人)の冒頭陳述では、日中戦争はソ連コミンテルンの謀略だと陳述されました。また、蒋介石の側近だった陳立夫も、日中戦争の黒幕はソ連だと証言していました。日本陸軍の中に共産主義者がいたとも言及してます。近衛上奏文には、満洲事変、日中戦争は共産主義者の策謀である旨が記述されてもあります。
犬養が日本軍に対して友好的だったのびっくり
マクロとミクロは別って話だと思います
センター国語の小説で満洲の話よく出てますよね。文科省はそれを今の国民に知って欲しいって事かなと思いました。勉強になりました。
動画を見てめっちゃ知ったありがとうございます
こちらこそご視聴ありがとうございました
世論といっても国民は煽動されるされることがあるから、2度と戦争起こさないために政府はもちろんメディアも国民も賢くならないといけないですね。
客観的に見たら、完全に日本のアウトですね…。ただ、世界も含めて綺麗事では済まない時代だったのかなと思います。
ほんとにね
正しい認識だ。点と線がつながった。当時の恐慌から不満が高まって侵略につながったとか、柳条湖事件は関東軍の自作自演を、背景まで絡めて解説は非常に参考になりました。
よかったです!!
満州で執った経済政策を戦後の日本本土で執り、日本は繁栄しました。 満州では妨害を受け失敗しましたが
苦渋の選択ですね。荒井先生の動画はクオリティ高いので、理由は荒井先生の動画の中に全部述べられている。要は、私含めて受動側の問題なのでしょう。例えば、戦争で負けた…①残酷だし、2度とやらない。②負けるから残酷に堕とされるんだ、次は負けない。③そもそもこちらが戦争したくなくても、向こうがしたがってるじゃん。おおよそ分類される、この3つの予想肢を、多角的に進められる能力と手法が、未来には必要とされるのでしょうね。私は荒井先生ならできると思うし、周りに人材も集まろうし、楽しみな方のお一人です。応援しております☆
ありがとうございます!ですが、基本スタンスとして、私は悪くない、教え手が悪い、と言うことが多いので、そう言うスタンスで見てくださればと思います。至らない点があったらコメントしてくださいね
斎藤実、海軍出身なんですね
いつの時代も大衆は愚かですね。もちろん私もその一人ですが。
それを自覚できているかどうかが非常に重要です
大人の教養TV 情報を公開すれば、意見がそれぞれだけど、大衆もそれほど愚かではないと思います。
西園寺公 牧野(大久保利通の息子) 斎藤首相(海) 内田外相らが 団結シテ 国民を説得すれば リットン報告でイケタ はず!!! そこから じっくり 我が国領土にしていけば 良かった 旨くやってれば 今も満州は 我が国権益(石油も出た!!!)
今のコロナ騒ぎと同じです。世界中がバカ状態。これでよく戦争が起きないもんだ。
そうよ大惨事のあと少数意見が正しかったことは数え切れない
関東軍の写真のところで「日章旗」と書かれていますが、あの旗は「旭日旗」ですね。
正解です詳しくは旭日旗の動画で解説しています
14:18 東京裁判史観は、かなりええ加減なものだから、そこから、満州事変を語るのは、少し、おかしいのではないでしょうか?
その辺も解説したいです
@@donttellmearai 9:32 ”売りつける”という表現について日本が入る前 、満州の当時の状況日本が入った後の満州の当時の状況日本と満州の経済関係が、win-win なのか、搾取構造なのかそのあたりの事情はどのようになっていますでしょうか?具体的な輸出入量、貿易額等で、データに基づいてお話しされているでしょうか。歴史は、”記憶”です。いくらでも書き換えられます。客観的データの提示 or 参考文献の提示 が、必要かと思います。『満州の人口が増加しているなら、よりよい関係だった 減少しているなら、現地の人を搾取していた』との推測が成り立つのかなと自分では思っております。以上、ご確認のほど、宜しくお願い致します。
関東軍の参謀だった花谷正が戦後満州事変は自作自演であったと証言してますよ。ちゃんと勉強してはいかがでしょうか。
@@redking1000 私は、東京裁判史観に基づいてといっております。自作自演は、確認しております。
@@swdouga001 文句を言う前にまず自分で調べろ
戦前に書かれたー満州事変における世界史的意義 //を一読有れ。
どこにありますかね、読んでみたいです
一部の意識高い系の厨二病に国家全体が引っ張られた。
現代人は敗戦までの歴史を知っているので首相暗殺など軍の暴走に見えますが、当時、国益のため最善の選択をしたのではないかと考えたりします(擁護するつもりはございません(;´・ω・))。満州事変一つとっても国や人の様々な思惑が絨毯の様に織り重なって簡単に理解するのは難しいですね…。為になる動画を本当にありがとうございます。
本当に難しいです…正しく捉えたいものです
関東軍にも柳条湖事件を起こした理由があったと思います自分はそういう視点で「満洲事変」について動画をアップしているのでよろしければご覧下さい!ruclips.net/video/6sY2x4Xr_1I/видео.html
@@ar_chive 後ほどぜひ見させていただきます😊
@@ししちゃん-x9o ありがとうございます!ご感想お待ちしております!
国益のために隣国の領土を取ろう、反対する者は殺すぞ。どうだみんな賛成だろううこれが正義だ、という感じ?
学びになりました。もしも機会がありましたら、重慶爆撃なども解説をお願いします。
この当時のドラマのまとめ方が、最後は満州国へ行くって事おしまい😅笑
「満州事変は自作自演」だと学校の授業で聞かされており、これを国際連盟で否決され脱退したと習いましたが、この動画を観てリットン調査団は日本寄りの提案を出していた事とソ連の牽制という諸事情があったのは知りませんでした。日本の生命線であり、ソ連の南下政策に対するやむを得なかったのかも知りませんが、満州地区で生活をしている方々には、迷惑意外の何物でもなかったと思います。これは蝦夷地や琉球に対しても言える事です。自国を悪くは言いたくないけど、これを正当化する事は出来ません。それと日本の利権の為に他の鉄道を作らないなんて条約があった事も知りましたけど、今。思えば「国鉄」が大赤字になり「JR」になってしまったのも、こういう事を平然と主張して来た気質がもたらした汚物に思えてなりません。もう過ぎ去ってしまった過去をどうのこうの言っても仕方のない事ですが、それこそ、ここで協力関係を強化して、真の国家間での交流をすべきだったのではないかと思うのは「机上の空論」なのでしょうか!?仮にそうだとしても、私はコレを絶対に正当化する事は無理です!!
うん難しいところですね
@@donttellmearai さん 満洲を牛耳っていた張学良は 高い税金をかけるし 治安もよくしない 最低の政治状況でした 満洲人は 関東軍の政治のほうが はるかにまし と感じていました
閔妃暗殺とか柳条湖事件とか真珠湾攻撃みたいな近現代の自国の謀略をたてつづけに教科書で学ぶ国って他にあるのかな?匹敵するのはイギリスの第二次大戦時の二重外交くらいかと。
通州事件などの中国共産党や中国国民党による日本人に対しての略奪や強姦、死姦などの行為を考えると、関東軍の行為は致し方ないと思います。ただ、満洲事変については、もう少し上手くやれなかったのかなと。満洲の利権を米国に少し分けてやるとかして、満洲の建国を認めさせるとかね。
ぼーおだ 傀儡政権が起こした事件なんですか?共産軍ではなくて?中国における日本の傀儡政権は満洲政権と日中戦争中に日本が設立した汪兆銘をトップとした南京政府だけでは?
@@abc-f7n 華北分離工作。
shinsaku 冀東防共自治政府。高校の日本史で習うはずだが
とまちゃん 私は習わなかったと思います。教科書名は何でしたか?ご教示ありがとうございます。勉強になります。
shinsaku 実教出版の新訂版の日本史Aに載ってました
幣原は進んでる人に感じる
そう思えますよね
僕は中国人ですが偏りなくて言ってくれました と思いました
ですよね!!
@K A いくら失敗国家でもいい破綻国家でもいい、そもそも没落や制度がオールドファッションを人道的な介入の前提としてそれは腑に落ちないと言わざるを得ないでしょ?裏返して言えば幕府時代の米国に渡された黒船事件が日本の発展のために人道的な介入と言えますか?日本人の立場で考えてみたら、そうではないでしょうね。もしくは当時の米軍が日本を侵略しようとした基盤であるのではなかろうか?
満洲は孫文から日本が買い取ったのであります国際法でも合法です。
そこですよね
満州事変は2つの面があり、1つの面、経済や国際情勢、中国国民党の排日政策から来る部分は動画の通りです。こちらでも軍が政府の統制を振り切っているので、やむを得ないとは言い難いです。もう1つの面は酷いものです。コメントと他の方も言及している石原莞爾の策謀です。彼は「世界最終戦争」というのを研究していました。世界はやがて、アジア、ロシア、ヨーロッパ、アメリカに集約され、それぞれが戦い、最後には日本の王道とアメリカの覇道がぶつかる最終戦争が起こる、という架空戦記大喜びな考えです。まあ、形を変えて東西冷戦で的中したとも見られますが。その最初戦争に到る前に、日本はアジアを解放し、そこに王道楽土を立てるべきだと解きます。その第一歩として満州を、軍閥やら共産党との内戦やらグダグダの中華民国から切り離し、五族共和(満州族の他ユダヤ人とか白系ロシア人も含む)の東洋の合衆国を建国してアジアに光を、と考えました。なので石原にとっては満州事変は第一歩の筈でした。しかし、満州国を建国しても五族共和は成らず、もっぱら日本資本中心で皇帝は傀儡で、石原は「こんなのは王道楽土ではない」と陸軍に批判的になります。そして日中戦争で、盧溝橋とか色々を非難すると、別の軍人に「石原将軍と同じ事をしているだけですが、何か」と言われ、何も言い返せなかったそうです。元々ドイツ軍をモデルにした日本陸軍は、手柄さえ立てれば独断専行も許すという体質でしたが、ここまで酷くなったのは石原のせいです。石原の他、北一輝というのが二・二六事件に影響を与えるように、当時は思想家的な人物を中心にした研究会が開かれていますし、そういう時代でした。(最終的に陸軍を掌握するのは、あいつは哲学が無いと石原が馬鹿にした東條英機でした)陸軍の思想かぶれは時代的なもので、世界で見てもナチズム、共産主義のインターナショナルが影響与えてますから、第一次世界大戦の悲惨さと、不況から来る閉塞感がもたらしたものかもしれません。
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます
失業者が増えると世論は好戦的になるということなのかしら?今後、日本の経済は衰退していくだろうし、2050年くらいになったら好戦的な国民も増えるんかなぁ?
わかりやすくて感動しました☆後は満州事変といえば石原莞爾ではないでしょうか?栗林忠道の解説もみたいです\(^o^)/これは侵略ではない気がします。
なるほど調べてみますね
「マンジュ」の由来については諸説あり、チベット仏教由来説を否定する説も提示されていますし、よく分かってない事だと思っているのですがその辺りに関して注意喚起出来るような補足説明はありますか?
「リットン調査団」って語呂がいいから好き
僕は言いにくいので嫌いです
いろいろ理屈を上げて、他国の領土を取ろうとするのは、プーチンの考え方と同じだ。
なんでリットン調査団の有利判決蹴ったんだか
万宝山事件と中村震太郎事件
がどうしたんですか?
@@donttellmearai 知らないの?
ソ連は明示的には満洲国認めてなかったんですけど、なんかの議定書結んだので暗示的に(事実上)承認したらしいですね。
承認には3つ種類あって、国家承認、政府承認、交戦団体承認(今はほとんどないやつ)
榎本政権(蝦夷島政府、函館政権、蝦夷共和国)がデ・ファクトゥの政権と外国の文書に書かれてたのですが、これは上記のどれにも当たらないのですね。3、4年前にはてっきりイギリスとフランスから交戦団体承認されてたと思ってたのでちょっと前まで誤解してました。注:蝦夷共和国については士官による互選だったので名称がふさわしくないという意見もあります
どちらも戦後すぐですが、伊豆大島の大島憲法、八重山自治会という独立構想があったようです。大島憲法はヤフーニュースで知ってたのですが、八重山は全くわかりません。細かい話になりますが、榎本政権は日本の一地方となる(新政府との共存)のを目指したので、独立または新政府打倒をしたかったわけではないようです。
そうだったんですね
東京裁判の開廷において 西欧弁護士の判事は”この裁判は違法である”と宣言し、マッカーサーはアジアから去る時、全て日本は無罪であると宣言したのです。日本の若者よ ! 世界から笑われるぞ !! 靖国の霊よ 世界は正しく見てるぞ !!!
どういうことですか?
@@donttellmearai 1893年ハワイは米海軍により攻撃されハワイ人、日系ハワイ人は奴隷にされました。1941年、日海軍は奴隷を開放すべく真珠湾攻撃を決行した。ハワイの歴史依り。
こいつ見てるとやっぱネットって免許制にした方がよく思える。@@小野江修造
世界大恐慌と満州事変は繋がってません。陸軍幕僚の集まりである一夕会は大正の頃から満州を支配下に置くことを用意周到な計画を練っていました。そこで河本大作が張作霖爆殺事件を起こし事変に発展させようとしたが失敗(昭和3年)世界大恐慌(昭和4年)張作霖爆殺事件を教訓として石原完爾が起こしたのが満州事変(昭和6年)世界大恐慌に関係なく一夕会は満州事変を起こしたんです。
そうなんですか??初耳です
ruclips.net/video/xvFzV0r97uQ/видео.htmlこの方もよく調べられていますよ ruclips.net/video/i7Df8kaePvc/видео.html言い方によってなんだか違って聞こえますよね
ご提示ありがとうございます。拝見させていただきます
三島由紀夫大先生も動画にして
どういった切り口がお望みですか?
「軍部の暴走」とよく言われますが、日本国民の困窮を肌で感じ、苦肉の策として考えられたのが”満州事変”であったという見方もできるのではないでしょうか?満州事変は国際社会の非難をあび、大東亜戦争へのきっかけとなってしまう訳ですが、植民地を持っている欧米と持たざる国との格差を考えればやむを得ない部分もあったと思います。
日本も植民地を持つ側であるのですが…こういうと赤字植民地なんかあっても、となりますが植民地が赤字であることも、その当時は別に珍しい事ではないんですよねー
台湾と朝鮮とパラオ、マーシャル諸島どの辺が持ってない国なんすかね
@@hysk933 台湾は植民地だが、朝鮮は併合。南洋諸島は委任統治なので、植民地ではない。台湾も難治の島と言われ、統治が大変難しかったし、事実赤字経営が続いた。
自国の民を食わせる為なら他国の領土を奪っていいとはならない
日本人は本土空襲や原爆投下を行ったアメリカに対して強い被害者意識を持っていますが、半分自業自得みたいなところがあるのも事実ですね。
満州はタダの荒れ地で、作物の何も取れるところではなかった。それを莫大な費用をかけ土地改良をし、大豆が大量にとれる肥沃な大地にしたのは日本。満州の民衆に多額の税金を課税し、搾取していたのは張作霖だ。日本が統治をすることで搾取がなくなり、暮らしがよくなったことを感謝していたのは満州人だ。関東軍が暴走したのは全体のごく一部の話。それに、アメリカの戦争犯罪が正当化するなんてことはとんでもない話だ。余程根性が腐っていないとこういう発想にならない。
国民は悪くないと思ってましたが、そうとも言えないとわかりました。軍の暴走がその後、太平洋戦争まで大きいですね。
そうなんですよね、そこは理解しておきたいところです
日本の「未来の安全保障」のためにも、過去の出来事を「是々非々」で検証することは重要なことです。(長~いコメントです。時間に余裕の有る方はどうぞ…… 。)関東軍は、元々満州の南部地域の鉄道や鉱山の権益(権利と利益)を警護する部隊でした。しかし日本政府の「戦争地域の不拡大」の方針を無視し、謀略による「柳条湖事件」で、日本国内の世論操作(軍事衝突OK)をして、「満州事変」を勃発させ、満州全域の「権益」を手に入れたのです。1931年 : 柳条湖事件1931年 : 満州事変(全域を占領)1937~1945年 : 日中戦争1941~1945年 : 大東亜戦争大日本帝国憲法の「陸・海軍の統帥(とうすい)権の独立」の規定で、軍の行動は、日本政府の許可を取る必要が無かった様です。そのため、関東軍が暴走し、日本政府が追認(事後承認)するパターンが繰り返されていきました。日本政府の追認の理由は、主に2つ考えられます。1 ) 日本国民が、帝国主義を支持したから。☆世界恐慌で疲弊した日本の経済(失業者増・貧困のため娘を売るなど)の解決を、中華民国の領土に求めたのです。(現代の世界観では、正当化できませんが)2 )日本国内で、軍部のクーデター未遂が続発したから。☆ 5・15事件(1932年)と 2・26事件(1936年)では、犬養毅首相や高橋是清、斎藤実が暗サツされたため、政治家が腰抜け?(仕方がないけど)になってしまった?。満州国の建国と運営に自信を持った?(味をしめた?) 関東軍は、その後、南下して中華民国の領土へ戦争地域を拡大させ、1937年に日中戦争を勃発させたのです。(関東軍は次第に増兵され、1941年には、最大兵力74万人以上で有った様です。)私は、日本一国で世界を相手に、戦わざるを得なくなった「大東亜戦争の元々の原因」は、「関東軍の暴走」で有った。と考えています。☆ 現代の、日本の政府が自衛隊を統制する「文民統制」は日本の安全保障の基本ですね。~誤解の無い様に、私は憲法9条の改正に賛成ですよ。(理由は大人TVの「日本共産党」の4つのコメントの1つに書いてます。良かったら~。)☆ 人間の考える「正義と悪」は時代によって違います。ずっと過去の人達の行動を、状況の違う今の私達が、軽々しく「非難」してはいけませんね。ただ、「現代の世界観」で検証して、間違っている所は「批判」し反省点として未来で生かすことは重要です。☆ 非難と批判の違いは?。Googleでポチッと検索 : 非難は「誤りをけなし、責める。」批判は「誤りを改善させる。(思いやりが含まれる。)」とかどうとか?。言っている私が、今いち使いこなしませ~んw。 ☆ 歴史を学ぶ目的は、過去の出来事から、「より良い未来」の道標(みちしるべ)を探す為です。(温故知新ですね)その為には、私達が歴史を考察する時には、「客観的に是々非々(良い事は良い・悪い事は悪い)」で論じなければならないと考えます。☆ 韓…は「今、現在を生きている日本人を憎み、責任や倍賞を求める(悪)知恵を養う目的?の為」に、「自国の歪曲された歴史」を学んでんじゃね~ヨ!て事ですね。
@河田 さん。返信、有り難うございます。( 前のコメントの訂正です。) 倍賞→賠償 河田さんが、本コメントで言ってます倉山満氏の「ブルガリア方式」は、1877~78年の露土戦争(ロシアvsオスマン帝国)での、ベルリン(講和)条約で、ブルガリアについて、1 ) 主権はオスマン帝国に有る。(面子を保つ)2 ) 権益はロシアに有る。(実質勝利を得る。)ロシアは、仲裁国(英・仏・オーストリア・イタリア)との勝ち目の無い戦いを避け、「実質勝利の実」を取った。1932年のリットン調査団は、満州をブルガリアに見立て、1 ) 主権は中華民国とする。2 ) 権益は日本とする。と提案したのですが、日本政府は理解出来ず、提案を拒否し国際連盟を脱退し、世界を相手に勝ち目の無い大東亜戦争をしたため、大日本帝国は滅んだと論じてますね。(合ってるかな?。)☆ 河田さんの言う様に、当時の日本政府が提案を受け入れていれば、日中戦争も大東亜戦争も無かったかもね?。(確かにアホだった。)ただ、1930年のロンドン海軍軍縮会議を受け入れた日本政府に抗議して、5・15事件が起こっているので、提案を受け入れた時の軍部の圧力を恐れた面も有ったかも?。しかしこれは、当時の軍部を抑え切れなかった日本政府の責任ですね。ともあれ、色んな悲惨な体験をしてきて、今の民度の高い日本人がいると思います。
@河田 さん。どういたしまして。
@河田 さん。「コメントのやり取り一見落着」ワッハハでしたけど、もう少し良いですか。河田さんが「倉山氏支持?」でしたら、私とちょっと考えが違うかな?。倉山氏を初めて知ったのは、RUclipsの宮脇淳子さんとの「じっくり学ぼう、近・現代史」シリーズでした。話し方が明快で、歴史(特に世界史)に聡明な方だなと印象を持ちました。(後に、wikiで経歴は検索してます。)倉山氏は、安倍自民党政権を(一部?) 否定してますね。良く言うなら、「今一度、日本を洗濯して候う。」の坂本龍馬みたいな?。ガチガチの保守かと思いきや、左派?の山本太郎氏を支持しているのですね。支持の理由が「減税に共感」ですか?。もしかして敵の敵は味方みたいな?。私は山本氏に聞きたい「日本に対する愛はないのか~?。」とね w 私は、安倍自民党(特に奮闘している安倍首相)を支持してます。私の考えの遍歴は、1 ) 学生時代は、革マルのシンパで共産主義を支持。2 ) 理系の教師時代は、日教組で社会党を支持。3 ) 2009年~2012年は民主党政権を支持。「ダメだこりゃ~」で失望。4 ) そして自民党支持。マルクスは :「資本主義は収入格差を生み、定期的に(大)不況を起こして、労働者の生活を脅かす。」とした。ケインズは :不況の時は、政府の積極的市場介入(公共事業など、現金給付もその1つ)で、景気のコントロールはできるとした。私は資本主義経済に、ケインズの理論と不正の無い社会福祉制度の充実 (福祉国家) があれば、社会の問題点は克服できていけると考えます。問題点も有るけれど、どう考えても、「日本の経済と安全」を任せられる政党は、自民党ですね。
山下そもそも軍隊というものは、現場の部隊の長の判断を優先している。古今東西変わり有りません。 現在の米軍とて同様です。張学良軍閥によるテロ事件が頻発する満州で、関東軍の軍事行動は必然です。テロ討伐を一般大衆が支持するのも必然です。
石原莞爾 …恐ろしい男である。結果、日本にとってこの軍人いない方が良かったんじゃないかと思ってしまう。満州事変の中心人物であり柳条湖事件を計画。軍部主導の政権にしたいからと宇垣の組閣を邪魔した結果、中国との全面戦争に加え対米戦争時期が早まってしまう。日頃から上官への悪態が酷すぎたため関東軍内で左遷くらって、病気になったと勝手に内地に帰国し入院。現役軍人を退いた後、太平洋戦争を石油目的でおっ始めるなんて有り得ないだろと言い回った。『 石原それ、オマエが言うか!』と総ツッコミ。晩年、中国人に全面的に謝罪し中国民国からの即時撤兵すべきだと騒いだ。私は石原に一言言いたい… 『 オマエがそれ言うんか!!』
「芦屋道満と同居中」出版しました。三重県立図書館、国会図書館検索
すげー
CM多過ぎて観る気がしない😱なんとかできないかなぁ?
現在みたい!!
どの辺がですか??
満州事変は軍部の暴走だったとは、言い切れないよね!当時満州には多くの日本人が暮らしていました。その邦人を守るために関東軍がおかれていたのだけど、その勢力は小さなものでした。そこで満州人の軍閥である。張作霖と手を組もうとしたのだけど、張作霖はどっちつかずの優柔不断(敵になったら怖い)だったので、爆殺します。その後を継いだ張学良もどっちつかずの振りをして、国民党と手を組みます。数的に不利な立場になった関東軍はかなり強引な手をつかいます。それが柳条湖事件、それを機に計画的に満州を抑えたのが、満洲事変です。関東軍は少数先鋭で10倍とも20倍ともいわれる敵を追いチラシます。正に戦略の勝利でした。本来なら満州軍閥が国民党軍と戦っわないけなかったのに、それを関東軍がやってしまったという理由です。満州の地は満州人ものです。そこに満州国が建国して何が問題なのでしょうか?不思議でなりません。リットン調査団は意外と公平公正の判断を下しています。それは、満州国が日本人によって近代化し豊かになっていたからです。満州事変は関東軍の計画的行動だったと思います。(暴走とは言いすぎです)
そうなんですね…教えてくださりありがとうございます
恩着せがましい思想だな
満州国が満州人のものなら、政策を決めるのも日本人でなく満州人にすれば良かったと思います。
実際に満洲国を支配してたのが日本軍だからじゃないですか
民主主義国家では国民の賢さが大事だな
そんなの厳しい
満州国に住んでた日本人が中国人に結構ひどい扱いを受けてたりで関東軍に助けを求めたけど軍が介入することはできないからどうにかしようとして出た案が鉄道爆破したり電撃的に張学良がいる施設とかを攻撃したって聞いた
日本人が中国人にいやがらせされ商売できなくなり、南満州鉄道付属地に逃げ込んで関東軍に泣きついたのであるが、辛抱せえ、の一点ばりであった。しかしながら当時の日本人満州青年同盟が、関東軍の弱腰を批判するに至り、かつ関東軍も中国軍との兵力差が拡大し、ついに25分の一を上回ルことで、一旦ことあれば、関東軍全滅もありうることが明白になったとき、隠忍自重も限界ある、ただちに先手をとって中国軍兵営を攻撃、これを敗走せしめることが事態の悪化を抑制することになるとの関東軍参謀部の決断により、中国軍との戦端か開かれた、その陣頭指揮にたったのが、石原莞爾、板垣征四郎である
侵略者に抵抗する者がいるのは当たり前と言えば当たり前だと思うが…長いものに巻かれて得をする人ばかりではない。
無茶苦茶分かりやすい
説明の仕方と教え方が最高に上手い
他の動画もホントためになる
待ってました!満州事変は内容、時代背景等々勉強させて頂きたかったので。
今から動画楽しみです!
どうでしたか?
@@donttellmearai
他の政治系ユーチューバーさんには申し訳無いですが、ドンテル荒井さんの動画が断トツ内容がわかり易く、声も話のスピード、話し方等聞き良いです。
以前の別動画にてコメント欄に満州事変をやって欲しいと上げた所、きちんと反応して頂き、しかもこのクオリティ。
回りの歴史マニアにもチャンネル登推進勝手に頑張らせて頂いております。
4年前に亡くなった、私の祖父も満洲に行った日本軍の1人。
亡くなる前には、それまでに話さなかったことも含めて、自らの戦争体験を全て語ってくれた。
ただ祖父が満洲にいたとき、どんな心境だったか聞けなかったのが唯一の心残り。
死ぬほどわかりやすかったです。
世論のパワーを感じます。
煮え切らない政府と国民感情の対立は今と似た雰囲気ですね。
わかりやすすぎると死ぬんですね
満州事変や柳条湖事件が全くわからなくて困っていたので、すごく助かりました!!
流れがすらすら入ってきて死ぬほどわかりやすかったです!!
良かったです!!高評価ボタン押しておいてくださいね!!
わかりやすいです!ただ、画面の中だけでもいいので、重要な事柄にはもっと年号を入れて欲しいです。「日露戦争(1904年〜1905年)」など。
なるほどありがとうございます。私に欠けている視点でした。教えて下さってありがとうございます。今後参考にさせていただきます。
@@donttellmearai とんでもないです!いつも楽しく見ています!ただ、見ていて「これ何年頃の話だろう?」と思う時があるので、要所要所で年号を入れて頂けると、私のような者はとても助かります^^
歴史は苦手ですが、お話しがとても分かりやすく、最後まで聞かせていただきました!!
よくぞ、ここまで掘り下げました。まとめ方が上手です。そろそろ731部隊もアップしてみてください。
調べてみますね
現在と当時とで、やってることが逆転してしまってますね。
こうも変わるもんなんだろうか...
人は変わります。もうちょんまげの人は力士しかいないんですから
分かりやすいー!!
8:53 日章旗ではなく旭日旗(陸軍連隊旗)では?
正解です間違えました
沖縄戦
ひめゆり学徒隊などをお願いします
沖縄やりたいです
自分が知りたいだけなんですが、
西南戦争や、元寇について解説して欲しいです。
調べてみますね
日露戦争は日本の大勝利とは言い難い。日本もロシアもヘトヘトでアメリカの仲裁で講和した。っと言うべき。
軍部も国民もメディアも傲慢であった事は確かだろう。
分かりやすく説明ありがとうございます。
5‐15事件当時 世界恐慌で苦しい市民と 財閥 華族 等の上流階級でかなり格差があり事に及んだと聞きました。政府だけでなく社会体制にも不満が出てたのか。そして 世論が進出を求めたのか?
そうだと思いますよ
大正生まれの父は『満蒙は生命線』と言う言葉を言ってた。
小学生の父も、領土を拡大すれば日本は豊かになると思っていたのだろう。
信じているかどうかですからね、未来は分からないし
面白かったです。ありがとうございました
こちらこそありがとうございました。チャンネル登録しておいてください
所謂旧満州出身者です。非常に分かりやすい説明でありがとうございます。
しかし、歴史は言葉以上に重いものです。
日本はやっといろんな資源に手を入れた→ 現地人にとっていろんな資源が強盗に奪われた
日本は商品の輸出先を見つけてなんとか経済をやっていけた→ 現地人にとって地元の産業が大量に潰れて、職を失った人と家族、生存困難の状態に落ちた
侵略に反抗して、殺されるも想定内
侵略者と被侵略者、歴史に対する温度差、まったく違うものです。
その温度差、また紛争を生み出す温床にもなります。
弱肉強食は人類の本性だと言われたら、悲しくて言葉が出ませんが
世界平和であることを心より祈ります。
何年から何年まで、物心ついている期間、満州にいたのですか?
最近、話し方が少しゆっくりになりましたか?
とても聞きやすくなりました。
ですよね
血の滲む努力をしました
いつもながら為になるコンテンツありがとうございます。関連動画(5.15,2.26 など)と相まって理解が深まります🙇🏻♂️
今現在、見れば見るほど、ロシアの状況とダブル部分があります。ロシアの状況を見て最初、やっぱり権威主義は危険だなあ、などと思っていたのですが、本動画からこの時期の日本の行動は寧ろ日本人の世論にサポートされていた(政府は止めようとしていた)と知り、民主主義も全然戦争に対して安全でないのだなあ、と嘆息しました。現代思想家(!?)の東浩紀さんが、SNS 時代の民主主義は混乱期において特に危険、と仰っていたのが少し腹落ちしました。世界はどうなっていくんでしょうか。。。
恐ろしいです
次回日本赤軍の解説お願いします!
調べてみますね
大正デモクラシーやってほしいです!
やりたい!
ぜひお願いします!
通州事件について深掘りして欲しいです
あー、あの傀儡軍誤爆してやり返されたってやつね
人様の家に押し入って強盗殺人してやり返されたら通州事件!ってピキるのおもろ
動画制作お疲れさまでした。楽しくみさせていただきました。最後の満州事変は日本軍の暴走だったか苦渋の選択の末、しかたなく起こったのか?ですが個人の見解を簡潔に言えばシビリアンコントロールができていなかったそれの失敗という見解なので暴走だったと思っています。経緯から双方の視点からの解説分かりやすく面白かったです次回も楽しみにしています!
コメントありがとうございます。シビリアンコントロールがなぜ生まれたのかとか言うところもよく分かりますね…
経緯と双方の視点がわかれば歴史から学ぶことができると思います。逆に言えばそれがなければ歴史から学ぶと言うことすら危険なことになってしまうのですね。
本当に日本軍(関東軍)は猫も杓子も悪かったのでしょうか?
少なくても、当時の満洲人達は満洲事変を好意的に捉えてます。
張学良の軍閥政権は後世の史家から「私兵を養い、軍費を捻出するため広大な満州の土地を荒らし、民家の膏血の七、八割は軍費に当てられ、商民の三割はついに破産し流落した」と非難されているが、実際、満州の民は、満州事変で張学良の軍閥が関東軍にくちくされたことに快哉を叫んだ。日本に感謝したというのが否定できない事実だ。こうして各地で新国家建設運動が、まさに澎湃として起こったのである。
(黄文雄『日本の植民地の真実』二七八頁)
第三者の外国人は日本の満洲事変を擁護してます。
リットン報告書の原案起草に携わったアン・ジュリノ博士は、国連事務局次長の杉村陽太郎氏を訪ね、こう説明しています。
チャイナ側の神経を刺激しないようにと配慮したので、チャイナの実相を十分表明できなかった点があり、遺憾である。自分としては、過去数年間のチャイナ側の抗日的態度に対し、日本軍人が癇癪(かんしゃく)を起して一撃を加えたのは無理からぬことで、毫も非難の余地はないと思う。幣原外交に徴するも、チャイナ側は日本の好意に甘えて不当につけ上がっており、これについては委員会内でも、意見が一致しており、異議をはさむ者はいない。……
委員たちは、チャイナ問題に関して基礎的知識を持ち合わせていないので、報告書の結論が随所で矛盾しているのは当然であり、結論の全部に確信があるわけでもない。
(渡辺明『満洲事変の国際的背景』五三六頁)
@@相馬たかし 柳条湖事件を起こした関東軍にも理由があったと思います。
自分はそういう視点で「満洲事変」について動画をアップしているので
よろしければご覧下さい! ご感想お待ちしております!
ruclips.net/video/6sY2x4Xr_1I/видео.html
相手が嫌がることでも呑ませられるのが武力のメリットであり存在意義なので、基本的に暴力肯定の思想と行動になるのは自然の成り行きだよね。右翼の街宣車にも「一人一殺」とか書いてあるし…当時は一般国民もそれで儲けさせてもらってたんだよね。暴力団のタニマチのような心理?
侵略でしかない気が…。
前から満州については日本が悪いとしか思ってませんでした。だけど軍と政治と国民感情、1番作用したのが国民感情だったとは意外でした。
満州について天皇陛下はどのようなお考えだったのでしょうか?
国民感情はマスコミによって操作されるものではないでしょうか。マスコミの経営や人事がどうなっていたのかも知りたいです。
それ、私も思いました。天皇の意見は?どんだけ軍が力を持ってても、天皇は神だったんでしょ?日本ていう国は、天皇の一声でどうにでもなったはず!
軍が暴走している事がよくわかる
ほんとね
満州全土は清との不平等条約によるソ連の租借地でした。日露戦争後日本がその権限を譲り受けたものの、一度清に返却し、ソ連との干渉領域の意味合いで南満州のみを租借地としたものです。ここの表現がが少し異なります。よってそのことをを考慮してリットン調査団が妥協的な提案をしてきたのです。しかしながら日本のマスコミが正確に伝えずに世論を煽り、国際連盟を脱退するという不祥事を政府が起こしてしまうのです。これには先に登場したしげはら外務大臣や後の総理大臣の近衛などがからんでいます。
清国と条約を結んでいたのはロシア帝国ですね。ソ連は清国の滅亡後に誕生してますので、北満洲でソ連が持っていた利権はロシア帝国の権益を継承したものでしょう。
満洲全土をロシアが租借したわけではないでしょう。租借地とは期限付きで借り受ける土地でありその国の全き主権が通用することになります。
期限がなく自国の領土にしてしまうのが「割譲」ですね。
例えば香港は英国の租借地でしたが、九龍半島は同国の割譲地でした。1997年に英国は中華人民共和国に本来返還を要しない割譲地の九龍半島を含めて返還しています。
日本は、南満洲を租借したわけではありません。鉄道の運営やその附属地の警備等の権益をもっていただけです。
ただ関東州だけは、租借地であり日本の全き主権が通用した土地でした。つまり日本国内と同じです。
こうした権益は、租借地を含め当初29年という期限がありましたが、対華21カ条の要求の交渉で99年間に延長されてますね。
日本がロシアの権益を継承することを定めた日清議定書が結ばれたのは、たしか1905年なので、大日本帝国が敗戦しなければ2004年頃に「関東州(=遼東半島)の返還」が、1997年の香港返還の時のように、国際間の問題になっていたかもしれません。
満州事変の関する知識も曖昧な物でしたが、この動画を観て事件の詳細が把握できました。
よかったです!
731部隊についてやっていただきたいです!
調べてみますね
悪名高い731部隊。怖いから見れないかも
「スパイの妻」は731テーマで国際映画賞を貰いましたね。新井さんの視点も知りたいです。
大陸の領土を維持できていればと考えたこともありました。しかし東西冷戦の最前線になったはずです。長期的に見て安泰な地域ではなかったと思います。
満州国の建国の時の、最後の皇帝、「溥儀」の人間関係がドロドロした話しを荒井さんに解説アップして戴けると嬉しいです。荒井さんの編集、解説なら面白いと思います。
*映画「ラストエンペラー」観たけど、無理にショーアップされてるようで、よく解らなかったし、面白く無かったので。皇帝を利用して建国するんだから、かなり歴史的に面白いはずだと思います。よろしくお願い致します。
日中戦争で解説したような覚えもあります
よかったら見てみてください
@@donttellmearai ありがとうございます。観てみます。
『愚かな軍が暴走した、国民は悪くない、』論に与すると、本質が見えなくなりますね。
蒙が啓かれました。
その通りです。ことはそう単純じゃないことが多いです
マスコミの論調にも利権が絡んでいたと思います。今も発言と本音は違う人が大勢います。
戦記を理解するうえで重要な日本の軍隊の部隊構成、すなわち師団 - 旅団 - 連隊 - 大隊 - 中隊 - 小隊 - 分隊 - 班(又は組)など人数の規模や特徴、及び日本陸軍海軍の士官や将校の種類や階級について基本的なことを詳しく教えてほしい。
そして現代の自衛隊の隊の構成や、自衛官の階級についても教えて下さい。
わかんないですよねなんとか兵3等とか
@@donttellmearai いろんな軍隊の専門用語や1等兵や軍曹、下士官といった階級のヒエラルキーがどうなっているの?どういう種類で分別されているのかもよくわからない。 あと伝達系統や命令系統も謎です、はい。
あと明治の軍隊と昭和の軍隊でもいろいろ異なるような、、、
何かアヘン戦争前って米中貿易摩擦に似てるな。
かつてのロシアの「南下政策」を中京がしてるけど、現代の(日露戦争)は何処で起きるのかな?
歴代首相は宥和政策方針宣言より方針の理由説明を国民にしていたのかな?
どうでしょうかね…
完全に軍部の大チョンボだったと思います。リットンさんが助け舟出してくれたのに、自ら転覆させてしまうとは・・・(´д`|||)
まぁ全部結果論ですからね
南京大虐殺の真相を知りたいです
僕も知りたいので、動画作ってみますね!
C国のでっち上げ
Y. Noboru はいはい、ネトウヨくん
ありがとうございます
中国では資料館を作って洗脳教育で歴史的な真実として語られているみたいですね。
日本の小学生全てに見せたい動画です。
社会の先生が勝手に見せてるみたいです
満洲って植民地みたいに荒廃してる土地なのかなと思うと、新京が凄い発展しててびっくりした思い出がある
日本の地方はもちろんだけど、日本が手塩にかけて近代化させた台湾・朝鮮よりも発展してたと思いますよ。
当時は他の中国より栄えてとの噂もあります。
仏領インドシナのサイゴンはプチパリと呼ばれました、米領フィリピンのハノイの発展然り。荒廃してる植民地って何の話?
@@正人-e4z 今の中国がスマホ決済が標準になっているように、新しいシステムが導入されて、
最新の状態だったのが満洲国。計画経済によって建設された東洋の社会主義合衆国。
母は良い教育を受けるために親元を離れ、長兄の住む大連の女学校に行っていた。長兄は満州鉄道で働いていたので日本軍が鉄道を爆破したのはよく知っていた。というか「みんな知っていた」と母は言っていた。
僕個人の見解なので異なる主張もあるかもしれません。関東軍の「作戦の石原、実行の板垣」のコンビは、満洲の実効支配を主張したのですが、軍中央は反対し、使者を遣わすほどだったのですが、折衷案の「日本の影響を受ける独立国をつくる」というので2人と軍中央の使者は合意しました。「混乱してる最中にとある民族が建国を主張したので日本はそれを認めました」っていうてい。
なるへそ
確か満州は清を建国し皇統だった満州族の故郷で、清が滅びた際の最後の皇帝が満州国の帝位に就いたんですよね。
その通りです
@@donttellmearai ありがとうございます。
そうです。満洲人たちは溥儀の復権を熱烈に歓迎したようです。
「これはみな旗人(=清朝直属の家臣 引用者註)です。彼らは陛下を二十年のあいだ待ちに待ったのです」
この言葉を聞いて、私は熱い涙が目にあふれるのを押さえられなかった。私は大いに希望があるのだという気持ちがますます強くなった。
(愛新覚羅溥儀『わが半生(下)』五頁~六頁)
「増税したことと官吏が腐敗したことにより、国民は満洲朝廷の復帰を望むようになっている。満洲朝廷も悪かったけれども、共和国はその十倍も悪いと人々は思っている。満洲王朝を恋しがる声は人里離れた辺鄙なところで聞こえるだけでなく、他の地方でも満洲朝廷を未だに望んでいるのである」
(R・F・ジョンストン『完訳 紫禁城の黄昏(下)』五十七頁~五十八頁)
民衆の政府への批判は軍支持だけが理由でなく、政府と財閥の癒着もひどかったらしいね。
ポーツマス条約に続く日清議定書で日本は南満洲でロシアが持っていた権益を継承したわけですが、その内容に不満を持って権益を拡大しようとして起こしたのが満州事変だったでしょう。満洲事変当時の満洲は、1928年の「張作霖爆殺事件」(満洲某重大事件)のあと張作霖の息子の張学良が国民党政府に忠誠を誓う形となり国民党の影響力が無視できない状況でしたね。東清鉄道以北の北満洲はソ連の権益地で1929年には権益回復を狙う張とソ連側の対立が激化し、ソ連軍が満洲北部に出兵したりしてますね。
中国大陸については、第1次大戦後に中国を含む列強間で結ばれた「ワシントン9カ国条約」(①中国の主権と領土を保全する。②通商の自由を尊重するというルール)があり、一部の日本人が主張するような「フロンティア」では決してなかったのですが、分裂状態の中国自身が必ずしもこのルールを遵守していたわけではありませんでした。
日本は、権益の拡大のため日清議定書に代るあたらしい議定書を必要としており、そのため議定書(日満議定書)を結んでくれるパートナーが必要だったというのが、満洲国を建設した主たる目的で「五族協和」なんて理念は取ってつけたようなものですね。
満州事変の結果、日本軍は東清鉄道の北側まで進出してソ連の勢力圏に頭を突っ込んでしまう形になりました。ソ連は、北満の利権を最終的には日本に売り払う形となりましたね。
1931年にはまだ山梨・宇垣軍縮の影響が大きく、日本における軍の地位は揺らいでいましたね。日満議定書で日本は満洲国の防衛に責任を持つことになり、軍縮傾向に歯止めを掛けることになりました。まあ、陸軍の失業対策みたいなものが動機になった面もあるでしょう。
しかし、1928年からのソ連の7ヵ年計画で極東ソ連の軍事力が大幅に増強され、日本は却って軍事上の大きなリスクと向き合わなればならなくなりました。
関東軍の幹部だった花谷正(1894~1957)が、満州事変が関東軍による謀略だったことを、敗戦後の昭和30年(1955年)に告白したのだが、その際に、花谷にインタビューを行ったのは、当時東大生だった歴史家の秦郁彦さん(1932~)である。学生時代のころから、近現代史における大事件の当事者へのインタビューを通じて、真相を解き明かそうとしてきた、秦さんの努力と才能は、本当にすごい。
そう言った姿勢のジャーナリストがいると世は良くなっていくと思われますよね
源平合戦が終わったあと、軍はもういらないと弟の義経を殺した頼朝は政治的有能だったんだね
なるほどね
その時は国内比較的近いところに対応できてれば良かったから、軍に対する永続的な重要性は薄かったんだろうな
1900年代前後あたりなんて、もう他国同士がどれだけ離れていても割と自由に行き来できる技術は十分にあったしわけで国防のために軍力は必要不可欠だった、
その意味でも戦いがすんだら軍はいらね殺しとこという考え方はまず無理でしょうね、
そこが国際社会の関係性をややこしくさせているとも言えますけど
歴史は一本の線でできているなと感じました。領土拡大、経済不況etc満州事変は起こるべくして起こり、第二次世界大戦も起こるべくして起こったと感じる。
そう考えると世界恐慌もこうなることを予測して起こってしまったのではないかと思えてきた。熟考すれば今後の未来もすべて的中できそう
それは難しいと思います。それができたら億万長者です
関東軍が力を持ちすぎた、のが大きいですよね。
天皇の命令すら聞かないヤバイ奴ら
河田 命令聞かなかったのは地元の関東軍なんですが…
河田 薩長で頑張ってた人たちや民権運動で頑張ってた人たちが一気にいなくなったからかな?
軍部の勢力がなければ、今の日本も違う過去から現代もあったのでしょうね
この当時、現地に張学良の奉天軍は関東軍の10倍以上の兵力が駐屯していた。
満洲事変で奉天軍は関東軍に全く敵わない事が露見した。
そうなんですね…
奉天軍30万人対関東軍1万人でしたね
めちゃくちゃ分かりやすかった
今ロシアのウクライナ侵攻を非難してる人が当時の日本の侵略は追い詰められてたから仕方ないと擁護してる姿が滑稽に感じます
世論は憲法9条を改正しないと他国に攻められるからと改憲ムードですがそれこそ平和ボケだと思いますね
緊急事態条項の新設についても同時に議論していかないと本当に戦争出来る国になってしまいます
ほんとだよね
関東軍やってる事が今の中国
同じ人間ですから
大人の教養TV 人間ってひとまわりにするな!アジア人だろぉ?
第1次世界大戦前だったら許されたんだろうなぁ
大局的に捉えられていて流石です
当時戦争を煽ったのは某新聞会社や日本国内や中国国民軍に潜入していたコミンテルンとの噂もあるみたいですね。
当時大陸で住んでいる日本国民は中国軍からの残虐行為で済南事件や通州事件で多くの被害を出していましたから、大陸で住む日本人にとっては安心して住める満州国はありがたかったと思います。
自分たちが住みやすくするために新たな国家をつくるって…
かなりやばいですね
@@mitaa3079 でも他の中国地より満州は栄えてたとの事実もあります。
正人
でもやばいです
満洲までならまだ情状酌量の余地はあると思うな。公務員としては絶対にやってはいけないことなのだけれど。
熱河作戦とか華北分離工作とかしなければまだ国際連盟に残ったり、中国との衝突はあるにしても、泥沼の全面衝突になるのは避けられたかもしれない。あくまでもかもしれないなので、逆も同様で避けられなかったかもしれない。
資料や証言からみても、コミンテルン謀略説は決して噂レベルではないでしょう。
1938年にアメリカで出版されたフレデリック・ウィリアムズの著書には、日中戦争の導火線に火をつけたのはソ連(モスクワ)と断言しているし、極東国際軍事裁判の日本側弁護人(アメリカ人)の冒頭陳述では、日中戦争はソ連コミンテルンの謀略だと陳述されました。
また、蒋介石の側近だった陳立夫も、日中戦争の黒幕はソ連だと証言していました。日本陸軍の中に共産主義者がいたとも言及してます。
近衛上奏文には、満洲事変、日中戦争は共産主義者の策謀である旨が記述されてもあります。
犬養が日本軍に対して友好的だったのびっくり
マクロとミクロは別って話だと思います
センター国語の小説で満洲の話よく出てますよね。
文科省はそれを今の国民に知って欲しいって事かなと思いました。
勉強になりました。
動画を見てめっちゃ知ったありがとうございます
こちらこそご視聴ありがとうございました
世論といっても国民は煽動されるされることがあるから、
2度と戦争起こさないために
政府はもちろんメディアも国民も賢くならないといけないですね。
客観的に見たら、完全に日本のアウトですね…。
ただ、世界も含めて綺麗事では済まない時代だったのかなと思います。
ほんとにね
正しい認識だ。点と線がつながった。
当時の恐慌から不満が高まって侵略につながったとか、
柳条湖事件は関東軍の自作自演を、背景まで絡めて解説は非常に参考になりました。
よかったです!!
満州で執った経済政策を戦後の日本本土で執り、日本は繁栄しました。
満州では妨害を受け失敗しましたが
苦渋の選択ですね。
荒井先生の動画はクオリティ高いので、理由は荒井先生の動画の中に全部述べられている。
要は、私含めて受動側の問題なのでしょう。
例えば、
戦争で負けた…
①残酷だし、2度とやらない。
②負けるから残酷に堕とされるんだ、次は負けない。
③そもそもこちらが戦争したくなくても、向こうがしたがってるじゃん。
おおよそ分類される、この3つの予想肢を、多角的に進められる能力と手法が、未来には必要とされるのでしょうね。
私は荒井先生ならできると思うし、周りに人材も集まろうし、楽しみな方のお一人です。
応援しております☆
ありがとうございます!
ですが、基本スタンスとして、私は悪くない、教え手が悪い、と言うことが多いので、そう言うスタンスで見てくださればと思います。至らない点があったらコメントしてくださいね
斎藤実、海軍出身なんですね
いつの時代も大衆は愚かですね。もちろん私もその一人ですが。
それを自覚できているかどうかが非常に重要です
大人の教養TV
情報を公開すれば、意見がそれぞれだけど、大衆もそれほど愚かではないと思います。
西園寺公 牧野(大久保利通の息子) 斎藤首相(海) 内田外相らが 団結シテ 国民を説得すれば リットン報告でイケタ はず!!! そこから じっくり 我が国領土にしていけば 良かった 旨くやってれば 今も満州は 我が国権益(石油も出た!!!)
今のコロナ騒ぎと同じです。世界中がバカ状態。これでよく戦争が起きないもんだ。
そうよ大惨事のあと少数意見が正しかったことは数え切れない
関東軍の写真のところで「日章旗」と書かれていますが、あの旗は「旭日旗」ですね。
正解です
詳しくは旭日旗の動画で解説しています
14:18 東京裁判史観は、かなりええ加減なものだから、
そこから、満州事変を語るのは、
少し、おかしいのではないでしょうか?
その辺も解説したいです
@@donttellmearai
9:32 ”売りつける”という表現について
日本が入る前 、満州の当時の状況
日本が入った後の満州の当時の状況
日本と満州の経済関係が、
win-win なのか、搾取構造なのか
そのあたりの事情はどのようになっていますでしょうか?
具体的な輸出入量、貿易額等で、データに基づいて
お話しされているでしょうか。
歴史は、”記憶”です。いくらでも書き換えられます。
客観的データの提示 or 参考文献の提示 が、必要かと思います。
『満州の人口が増加しているなら、よりよい関係だった
減少しているなら、現地の人を搾取していた』
との推測が成り立つのかなと自分では思っております。
以上、ご確認のほど、宜しくお願い致します。
関東軍の参謀だった花谷正が戦後満州事変は自作自演であったと証言してますよ。
ちゃんと勉強してはいかがでしょうか。
@@redking1000
私は、東京裁判史観に基づいて
といっております。
自作自演は、確認しております。
@@swdouga001 文句を言う前にまず自分で調べろ
戦前に書かれたー満州事変における世界史的意義 //を一読有れ。
どこにありますかね、読んでみたいです
一部の意識高い系の厨二病に国家全体が引っ張られた。
現代人は敗戦までの歴史を知っているので首相暗殺など軍の暴走に見えますが、当時、国益のため最善の選択をしたのではないかと考えたりします(擁護するつもりはございません(;´・ω・))。満州事変一つとっても国や人の様々な思惑が絨毯の様に織り重なって簡単に理解するのは難しいですね…。為になる動画を本当にありがとうございます。
本当に難しいです…正しく捉えたいものです
関東軍にも柳条湖事件を起こした理由があったと思います
自分はそういう視点で「満洲事変」について動画をアップしているので
よろしければご覧下さい!
ruclips.net/video/6sY2x4Xr_1I/видео.html
@@ar_chive 後ほどぜひ見させていただきます😊
@@ししちゃん-x9o ありがとうございます!
ご感想お待ちしております!
国益のために隣国の領土を取ろう、反対する者は殺すぞ。どうだみんな賛成だろううこれが正義だ、という感じ?
学びになりました。
もしも機会がありましたら、重慶爆撃なども解説をお願いします。
この当時のドラマのまとめ方が、最後は満州国へ行くって事おしまい😅笑
「満州事変は自作自演」だと学校の授業で聞かされており、これを国際連盟で否決され脱退したと習いましたが、この動画を観てリットン調査団は日本寄りの提案を出していた事とソ連の牽制という諸事情があったのは知りませんでした。日本の生命線であり、ソ連の南下政策に対するやむを得なかったのかも知りませんが、満州地区で生活をしている方々には、迷惑意外の何物でもなかったと思います。これは蝦夷地や琉球に対しても言える事です。自国を悪くは言いたくないけど、これを正当化する事は出来ません。それと日本の利権の為に他の鉄道を作らないなんて条約があった事も知りましたけど、今。思えば「国鉄」が大赤字になり「JR」になってしまったのも、こういう事を平然と主張して来た気質がもたらした汚物に思えてなりません。もう過ぎ去ってしまった過去をどうのこうの言っても仕方のない事ですが、それこそ、ここで協力関係を強化して、真の国家間での交流をすべきだったのではないかと思うのは「机上の空論」なのでしょうか!?仮にそうだとしても、私はコレを絶対に正当化する事は無理です!!
うん難しいところですね
@@donttellmearai さん 満洲を牛耳っていた張学良は 高い税金をかけるし 治安もよくしない 最低の政治状況でした 満洲人は 関東軍の政治のほうが はるかにまし と感じていました
閔妃暗殺とか柳条湖事件とか真珠湾攻撃みたいな近現代の自国の謀略をたてつづけに教科書で学ぶ国って他にあるのかな?匹敵するのはイギリスの第二次大戦時の二重外交くらいかと。
通州事件などの中国共産党や中国国民党による日本人に対しての略奪や強姦、死姦などの行為を考えると、関東軍の行為は致し方ないと思います。ただ、満洲事変については、もう少し上手くやれなかったのかなと。
満洲の利権を米国に少し分けてやるとかして、満洲の建国を認めさせるとかね。
ぼーおだ 傀儡政権が起こした事件なんですか?共産軍ではなくて?
中国における日本の傀儡政権は満洲政権と日中戦争中に日本が設立した汪兆銘をトップとした南京政府だけでは?
@@abc-f7n 華北分離工作。
shinsaku 冀東防共自治政府。高校の日本史で習うはずだが
とまちゃん 私は習わなかったと思います。教科書名は何でしたか?
ご教示ありがとうございます。勉強になります。
shinsaku 実教出版の新訂版の日本史Aに載ってました
幣原は進んでる人に感じる
そう思えますよね
僕は中国人ですが偏りなくて言ってくれました と思いました
ですよね!!
@K A いくら失敗国家でもいい破綻国家でもいい、そもそも没落や制度がオールドファッションを人道的な介入の前提としてそれは腑に落ちないと言わざるを得ないでしょ?裏返して言えば幕府時代の米国に渡された黒船事件が日本の発展のために人道的な介入と言えますか?日本人の立場で考えてみたら、そうではないでしょうね。もしくは当時の米軍が日本を侵略しようとした基盤であるのではなかろうか?
満洲は孫文から日本が買い取ったのであります国際法でも合法です。
そこですよね
満州事変は2つの面があり、1つの面、経済や国際情勢、中国国民党の排日政策から来る部分は動画の通りです。
こちらでも軍が政府の統制を振り切っているので、やむを得ないとは言い難いです。
もう1つの面は酷いものです。
コメントと他の方も言及している石原莞爾の策謀です。
彼は「世界最終戦争」というのを研究していました。
世界はやがて、アジア、ロシア、ヨーロッパ、アメリカに集約され、それぞれが戦い、最後には日本の王道とアメリカの覇道がぶつかる最終戦争が起こる、という架空戦記大喜びな考えです。
まあ、形を変えて東西冷戦で的中したとも見られますが。
その最初戦争に到る前に、日本はアジアを解放し、そこに王道楽土を立てるべきだと解きます。
その第一歩として満州を、軍閥やら共産党との内戦やらグダグダの中華民国から切り離し、五族共和(満州族の他ユダヤ人とか白系ロシア人も含む)の東洋の合衆国を建国してアジアに光を、と考えました。
なので石原にとっては満州事変は第一歩の筈でした。
しかし、満州国を建国しても五族共和は成らず、もっぱら日本資本中心で皇帝は傀儡で、石原は「こんなのは王道楽土ではない」と陸軍に批判的になります。
そして日中戦争で、盧溝橋とか色々を非難すると、別の軍人に「石原将軍と同じ事をしているだけですが、何か」と言われ、何も言い返せなかったそうです。
元々ドイツ軍をモデルにした日本陸軍は、手柄さえ立てれば独断専行も許すという体質でしたが、ここまで酷くなったのは石原のせいです。
石原の他、北一輝というのが二・二六事件に影響を与えるように、当時は思想家的な人物を中心にした研究会が開かれていますし、そういう時代でした。
(最終的に陸軍を掌握するのは、あいつは哲学が無いと石原が馬鹿にした東條英機でした)
陸軍の思想かぶれは時代的なもので、世界で見てもナチズム、共産主義のインターナショナルが影響与えてますから、第一次世界大戦の悲惨さと、不況から来る閉塞感がもたらしたものかもしれません。
そうなんですね、教えてくださってありがとうございます
失業者が増えると世論は好戦的になるということなのかしら?
今後、日本の経済は衰退していくだろうし、2050年くらいになったら好戦的な国民も増えるんかなぁ?
わかりやすくて感動しました☆後は満州事変といえば石原莞爾ではないでしょうか?栗林忠道の解説もみたいです\(^o^)/これは侵略ではない気がします。
なるほど調べてみますね
「マンジュ」の由来については諸説あり、チベット仏教由来説を否定する説も提示されていますし、よく分かってない事だと思っているのですがその辺りに関して注意喚起出来るような補足説明はありますか?
「リットン調査団」って語呂がいいから好き
僕は言いにくいので嫌いです
いろいろ理屈を上げて、他国の領土を取ろうとするのは、プーチンの考え方と同じだ。
なんでリットン調査団の有利判決蹴ったんだか
万宝山事件と中村震太郎事件
がどうしたんですか?
@@donttellmearai 知らないの?
ソ連は明示的には満洲国認めてなかったんですけど、なんかの議定書結んだので暗示的に(事実上)承認したらしいですね。
承認には3つ種類あって、国家承認、政府承認、交戦団体承認(今はほとんどないやつ)
榎本政権(蝦夷島政府、函館政権、蝦夷共和国)がデ・ファクトゥの政権と外国の文書に書かれてたのですが、これは上記のどれにも当たらないのですね。
3、4年前にはてっきりイギリスとフランスから交戦団体承認されてたと思ってたのでちょっと前まで誤解してました。
注:蝦夷共和国については士官による互選だったので名称がふさわしくないという意見もあります
どちらも戦後すぐですが、伊豆大島の大島憲法、八重山自治会という独立構想があったようです。大島憲法はヤフーニュースで知ってたのですが、八重山は全くわかりません。
細かい話になりますが、榎本政権は日本の一地方となる(新政府との共存)のを目指したので、独立または新政府打倒をしたかったわけではないようです。
そうだったんですね
東京裁判の開廷において 西欧弁護士の判事は”この裁判は違法である”と宣言し、マッカーサーはアジアから去る時、全て日本は無罪
であると宣言したのです。日本の若者よ ! 世界から笑われるぞ !! 靖国の霊よ 世界は正しく見てるぞ !!!
どういうことですか?
@@donttellmearai 1893年ハワイは米海軍により攻撃されハワイ人、日系ハワイ人は奴隷にされました。1941年、日海軍は奴隷を開放すべく真珠湾攻撃を決行した。ハワイの歴史依り。
こいつ見てるとやっぱネットって免許制にした方がよく思える。@@小野江修造
世界大恐慌と満州事変は繋がってません。
陸軍幕僚の集まりである一夕会は大正の頃から満州を支配下に置くことを用意周到な計画を練っていました。
そこで河本大作が張作霖爆殺事件を起こし事変に発展させようとしたが失敗(昭和3年)
世界大恐慌(昭和4年)
張作霖爆殺事件を教訓として石原完爾が起こしたのが満州事変
(昭和6年)
世界大恐慌に関係なく一夕会は満州事変を起こしたんです。
そうなんですか??初耳です
ruclips.net/video/xvFzV0r97uQ/видео.htmlこの方もよく調べられていますよ ruclips.net/video/i7Df8kaePvc/видео.html言い方によってなんだか違って聞こえますよね
ご提示ありがとうございます。拝見させていただきます
三島由紀夫大先生も動画にして
どういった切り口がお望みですか?
「軍部の暴走」とよく言われますが、日本国民の困窮を肌で感じ、苦肉の策として考えられたのが”満州事変”であったという見方もできるのではないでしょうか?満州事変は国際社会の非難をあび、大東亜戦争へのきっかけとなってしまう訳ですが、植民地を持っている欧米と持たざる国との格差を考えればやむを得ない部分もあったと思います。
日本も植民地を持つ側であるのですが…
こういうと赤字植民地なんかあっても、となりますが
植民地が赤字であることも、その当時は別に珍しい事ではないんですよねー
台湾と朝鮮とパラオ、マーシャル諸島
どの辺が持ってない国なんすかね
@@hysk933 台湾は植民地だが、朝鮮は併合。南洋諸島は委任統治なので、植民地ではない。台湾も難治の島と言われ、統治が大変難しかったし、事実赤字経営が続いた。
自国の民を食わせる為なら他国の領土を奪っていいとはならない
日本人は本土空襲や原爆投下を行ったアメリカに対して強い被害者意識を持っていますが、半分自業自得みたいなところがあるのも事実ですね。
満州はタダの荒れ地で、作物の何も取れるところではなかった。それを莫大な費用をかけ土地改良をし、大豆が大量にとれる肥沃な大地にしたのは日本。満州の民衆に多額の税金を課税し、搾取していたのは張作霖だ。日本が統治をすることで搾取がなくなり、暮らしがよくなったことを感謝していたのは満州人だ。関東軍が暴走したのは全体のごく一部の話。それに、アメリカの戦争犯罪が正当化するなんてことはとんでもない話だ。余程根性が腐っていないとこういう発想にならない。
国民は悪くないと思ってましたが、そうとも言えないとわかりました。軍の暴走がその後、太平洋戦争まで大きいですね。
そうなんですよね、そこは理解しておきたいところです
日本の「未来の安全保障」のためにも、過去の出来事を「是々非々」で検証することは重要なことです。(長~いコメントです。時間に余裕の有る方はどうぞ…… 。)
関東軍は、元々満州の南部地域の鉄道や鉱山の権益(権利と利益)を警護する部隊でした。
しかし日本政府の「戦争地域の不拡大」の方針を無視し、謀略による「柳条湖事件」で、日本国内の世論操作(軍事衝突OK)をして、「満州事変」を勃発させ、満州全域の「権益」を手に入れたのです。
1931年 : 柳条湖事件
1931年 : 満州事変(全域を占領)
1937~1945年 : 日中戦争
1941~1945年 : 大東亜戦争
大日本帝国憲法の「陸・海軍の統帥(とうすい)権の独立」の規定で、
軍の行動は、日本政府の許可を取る必要が無かった様です。
そのため、関東軍が暴走し、日本政府が追認(事後承認)するパターンが繰り返されていきました。
日本政府の追認の理由は、主に2つ考えられます。
1 ) 日本国民が、帝国主義を支持したから。
☆世界恐慌で疲弊した日本の経済(失業者増・貧困のため娘を売るなど)の解決を、中華民国の領土に求めたのです。(現代の世界観では、正当化できませんが)
2 )日本国内で、軍部のクーデター未遂が続発したから。
☆ 5・15事件(1932年)と 2・26事件(1936年)では、犬養毅首相や高橋是清、斎藤実が暗サツされたため、政治家が腰抜け?(仕方がないけど)になってしまった?。
満州国の建国と運営に自信を持った?(味をしめた?) 関東軍は、その後、南下して中華民国の領土へ戦争地域を拡大させ、1937年に日中戦争を勃発させたのです。
(関東軍は次第に増兵され、1941年には、最大兵力74万人以上で有った様です。)
私は、日本一国で世界を相手に、戦わざるを得なくなった「大東亜戦争の元々の原因」は、「関東軍の暴走」で有った。と考えています。
☆ 現代の、日本の政府が自衛隊を統制する
「文民統制」は日本の安全保障の基本ですね。
~誤解の無い様に、私は憲法9条の改正に賛成ですよ。(理由は大人TVの「日本共産党」の4つのコメントの1つに書いてます。良かったら~。)
☆ 人間の考える「正義と悪」は時代によって違います。
ずっと過去の人達の行動を、状況の違う今の私達が、軽々しく「非難」してはいけませんね。
ただ、「現代の世界観」で検証して、間違っている所は「批判」し反省点として未来で生かすことは重要です。
☆ 非難と批判の違いは?。
Googleでポチッと検索 :
非難は「誤りをけなし、責める。」
批判は「誤りを改善させる。(思いやりが含まれる。)」とかどうとか?。
言っている私が、今いち使いこなしませ~んw。
☆ 歴史を学ぶ目的は、過去の出来事から、「より良い未来」の道標(みちしるべ)を探す為です。(温故知新ですね)
その為には、私達が歴史を考察する時には、「客観的に是々非々(良い事は良い・悪い事は悪い)」で論じなければならないと考えます。
☆ 韓…は「今、現在を生きている日本人を憎み、責任や倍賞を求める(悪)知恵を養う目的?の為」に、「自国の歪曲された歴史」を学んでんじゃね~ヨ!て事ですね。
@河田 さん。
返信、有り難うございます。
( 前のコメントの訂正です。)
倍賞→賠償
河田さんが、本コメントで言ってます倉山満氏の「ブルガリア方式」は、
1877~78年の露土戦争(ロシアvsオスマン帝国)での、ベルリン(講和)条約で、
ブルガリアについて、
1 ) 主権はオスマン帝国に有る。(面子を保つ)
2 ) 権益はロシアに有る。(実質勝利を得る。)
ロシアは、仲裁国(英・仏・オーストリア・イタリア)との勝ち目の無い戦いを避け、「実質勝利の実」を取った。
1932年のリットン調査団は、満州をブルガリアに見立て、
1 ) 主権は中華民国とする。
2 ) 権益は日本とする。
と提案したのですが、
日本政府は理解出来ず、提案を拒否し国際連盟を脱退し、世界を相手に勝ち目の無い大東亜戦争をしたため、
大日本帝国は滅んだと論じてますね。(合ってるかな?。)
☆ 河田さんの言う様に、当時の日本政府が提案を受け入れていれば、日中戦争も大東亜戦争も無かったかもね?。
(確かにアホだった。)
ただ、1930年のロンドン海軍軍縮会議を受け入れた日本政府に抗議して、5・15事件が起こっているので、提案を受け入れた時の軍部の圧力を恐れた面も有ったかも?。
しかしこれは、当時の軍部を抑え切れなかった日本政府の責任ですね。
ともあれ、色んな悲惨な体験をしてきて、今の民度の高い日本人がいると思います。
@河田 さん。
どういたしまして。
@河田 さん。
「コメントのやり取り一見落着」ワッハハでしたけど、もう少し良いですか。
河田さんが「倉山氏支持?」でしたら、私とちょっと考えが違うかな?。
倉山氏を初めて知ったのは、RUclipsの宮脇淳子さんとの「じっくり学ぼう、近・現代史」シリーズでした。
話し方が明快で、歴史(特に世界史)に聡明な方だなと印象を持ちました。(後に、wikiで経歴は検索してます。)
倉山氏は、安倍自民党政権を(一部?) 否定してますね。
良く言うなら、「今一度、日本を洗濯して候う。」の坂本龍馬みたいな?。
ガチガチの保守かと思いきや、左派?の山本太郎氏を支持しているのですね。
支持の理由が「減税に共感」ですか?。もしかして敵の敵は味方みたいな?。
私は山本氏に聞きたい「日本に対する愛はないのか~?。」とね w
私は、安倍自民党(特に奮闘している安倍首相)を支持してます。
私の考えの遍歴は、
1 ) 学生時代は、革マルのシンパで共産主義を支持。
2 ) 理系の教師時代は、日教組で社会党を支持。
3 ) 2009年~2012年は民主党政権を支持。「ダメだこりゃ~」で失望。
4 ) そして自民党支持。
マルクスは :
「資本主義は収入格差を生み、定期的に(大)不況を起こして、労働者の生活を脅かす。」とした。
ケインズは :
不況の時は、政府の積極的市場介入(公共事業など、現金給付もその1つ)で、景気のコントロールはできるとした。
私は資本主義経済に、ケインズの理論と不正の無い社会福祉制度の充実 (福祉国家) があれば、社会の問題点は克服できていけると考えます。
問題点も有るけれど、どう考えても、「日本の経済と安全」を任せられる政党は、自民党ですね。
山下
そもそも軍隊というものは、現場の部隊の長の判断を優先している。
古今東西変わり有りません。 現在の米軍とて同様です。
張学良軍閥によるテロ事件が頻発する満州で、関東軍の軍事行動は必然です。
テロ討伐を一般大衆が支持するのも必然です。
石原莞爾 …恐ろしい男である。結果、日本にとってこの軍人いない方が良かったんじゃないかと思ってしまう。満州事変の中心人物であり柳条湖事件を計画。軍部主導の政権にしたいからと宇垣の組閣を邪魔した結果、中国との全面戦争に加え対米戦争時期が早まってしまう。日頃から上官への悪態が酷すぎたため関東軍内で左遷くらって、病気になったと勝手に内地に帰国し入院。現役軍人を退いた後、太平洋戦争を石油目的でおっ始めるなんて有り得ないだろと言い回った。『 石原それ、オマエが言うか!』と総ツッコミ。晩年、中国人に全面的に謝罪し中国民国からの即時撤兵すべきだと騒いだ。私は石原に一言言いたい… 『 オマエがそれ言うんか!!』
「芦屋道満と同居中」出版しました。三重県立図書館、国会図書館検索
すげー
CM多過ぎて観る気がしない😱なんとかできないかなぁ?
現在みたい!!
どの辺がですか??
満州事変は軍部の暴走だったとは、言い切れないよね!当時満州には多くの日本人が暮らしていました。その邦人を守るために関東軍がおかれていたのだけど、その勢力は小さなものでした。そこで満州人の軍閥である。張作霖と手を組もうとしたのだけど、張作霖はどっちつかずの優柔不断(敵になったら怖い)だったので、爆殺します。その後を継いだ張学良もどっちつかずの振りをして、国民党と手を組みます。数的に不利な立場になった関東軍はかなり強引な手をつかいます。それが柳条湖事件、それを機に計画的に満州を抑えたのが、満洲事変です。関東軍は少数先鋭で10倍とも20倍ともいわれる敵を追いチラシます。正に戦略の勝利でした。本来なら満州軍閥が国民党軍と戦っわないけなかったのに、それを関東軍がやってしまったという理由です。満州の地は満州人ものです。そこに満州国が建国して何が問題なのでしょうか?不思議でなりません。リットン調査団は意外と公平公正の判断を下しています。それは、満州国が日本人によって近代化し豊かになっていたからです。
満州事変は関東軍の計画的行動だったと思います。(暴走とは言いすぎです)
そうなんですね…教えてくださりありがとうございます
恩着せがましい思想だな
満州国が満州人のものなら、政策を決めるのも日本人でなく満州人にすれば良かったと思います。
実際に満洲国を支配してたのが日本軍だからじゃないですか
民主主義国家では国民の賢さが大事だな
そんなの厳しい
満州国に住んでた日本人が中国人に結構ひどい扱いを受けてたりで関東軍に助けを求めたけど軍が介入することはできないからどうにかしようとして
出た案が鉄道爆破したり電撃的に張学良がいる施設とかを攻撃したって聞いた
なるほどね
日本人が中国人にいやがらせされ商売できなくなり、南満州鉄道付属地に逃げ込んで関東軍に泣きついたのであるが
、辛抱せえ、の一点ばりであった。しかしながら当時の日本人満州青年同盟が、関東軍の弱腰を批判するに至り、かつ関東軍も中国軍との兵力差が拡大し、ついに25分の一を上回ルことで、一旦ことあれば、関東軍全滅もありうることが明白になったとき、隠忍自重も限界ある、ただちに先手をとって中国軍兵営を攻撃、これを敗走せしめることが事態の悪化を抑制することになるとの関東軍参謀部の決断により、中国軍との
戦端か開かれた、その陣頭指揮にたったのが、石原莞爾、板垣征四郎である
侵略者に抵抗する者がいるのは当たり前と言えば当たり前だと思うが…長いものに巻かれて得をする人ばかりではない。