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いいお話でした。まったくおっしゃる通りだと思います。ありがとうございました。
大変よかっです。財力にとらわれないようにします。ありがとうございました。
私が知らない事を沢山教えて下さる菊谷先生、ありがとうございます🙏
ありがとうございました。(菊谷隆太先生動画視聴メモ)★物欲が強い人の特徴とリスク1.持つともっと欲しくなる(物欲・財欲、無財餓鬼、有財餓鬼)2.とられるのが不安(非番、番人)3.罪を造る(物欲・財欲⇒罪悪⇒悪報)
今回もありがとうございます🙇
菊谷先生、貴重なお話をありがとう御座いました🙇♂
人は成長はできるが、所有はできないというけれど本当ですね。
菊谷先生のお話大変勉強になりました。ありがとうございました。
簡単に物欲を満たしたり 財欲を満たしたり出来ません 物欲や財欲を満たす能力や才能を持って手柄を挙げる こうして手柄の元に欲が満たせる要因となります その能力や才能は人を思い上がらせる慢の心を持つ原因となります この慢の心とは実力主義という自力本願から発揮されます その本人の実力とは他力つまり阿弥陀仏のお陰で発揮されたと自覚が持てると 慢の心から救われます 自力本願とは救われません ありがとうございました
物欲ないな~~食べ物程度。タバコやめて🚭️スーパーに限定コンビニ行く用事があまりない。給料を多くしたい。
菊谷隆太先生、こんばんは。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼👩🍼🛀今日も、ありがとうございます。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼🛀🛀
今日のお話は胸に沁みました。覇者も貧者も悲哀が有りますね。私はネジメーカーで、働いていました。本当に必死でした。
生きるとは苦である。 存在するのは苦のみであり、楽は苦の減少にすぎない。(絶対値で見ると苦しかなく、相対値で見ると苦・楽・不苦不楽(苦が増える・苦が減る・苦があまり変動しない)を感じるだけである。)得たことで『得ていない』という苦が減り一時的に楽を感じる。その楽は『得たこと』が直接要因ではなく、『苦の減少』が直接要因である。よって、じきに楽から不苦不楽へと変わっていき、さらなる楽を求めることになる。それが「あれも欲しい、これも欲しい」と欲に際限が無い理由である。(実際には、「それ」が欲しいのではなく、苦の減少を味わいたいだけだということ。)仏教的に解釈するなら、物欲とはこんな感じになるのではないでしょうか。仏教とは引き算の教えだと理解しています。楽を得るには、一旦苦を引き上げないことにはどうにもなりません。だからこそ、仏教では楽を目指すのではなく、「苦の滅尽」を目指します。そのゴールには楽もありません。 苦が無ければ楽も無いのは当然のこと。 あるのは安らぎだけです。 仏教が悲観的な教えだと言われるのは、この「楽も手放す」という発想も影響しているのかもしれませんね。
人間は、本当に、縁が来ると何をするかわかりませんね😢
私も昔から物欲強いです。欲しい物があると我慢出来なくなります。無理をしてまでも買ってしまいます。こだわりも強いです。小さい頃に持っている物を後ろに隠したそうです。
菊谷先生、いつも為になるお話しありがとうございます🙏😆今回は、過去の動画で申し訳ありません。😅このテ―マは、強欲な人はどんな人。🤔財欲、物欲は、人間誰しも持っています。これを表面に出すか出さないかで、人の見る目が違ってきます。私も、10年以上公証役場に勤務して良くわかります。😄亡き父の言葉。一番にならなくてよい。お前らしく生きていればよい。これからも、私は貪欲に過ごして行きたいと思います。🙏😆
正に自分の事だと自覚しております。物欲は止まりません。昔から収集癖があります。食欲もですね。意思が弱いので治らないかなーと思います。ただなるべく他人に迷惑を掛けないようには気をつけたいですね。
ありがとうございます
煩悩あるままで救われるにはどうあればいいのか?ここに帰着するのですね ありがとうございました
金持ちになっても、必然的に問題が出てくるものなのですね。
今宵も、菊谷ルーティン😊
昔、聞いたことがあります。「賢人、賢者とは、無欲な者なり」😃
お風呂が落ち着かない、側近や身内も疑う夜も安心して眠れないのは嫌ですね独裁者あるあるですね〜綺麗なお札、新しい500円玉は使えず、集めてしまいある程度貯まると不安になります。その他、本とか草花、鉱物、貝殻…いろいろ集めちゃいます。物が少ない方がスッキリして気分が良いんですけど…ものが増えるのは悩ましい。
とても良いお話ありがとうございます🙇♀️⤴︎私も欲張りで自分が嫌になる事あります😢近所で兄弟が遺産相続でもめて絶縁している話しをよく聞きます⤵︎昔からあった話しなのか、最近の話しなのでしょうか❓私はそんな事になりたくないです😢財欲をどうコントロール出来るか教えて頂きたいのです🙇♀️
物欲と財欲は少し違います、物を欲しがるのではなく物を手に入れる「縁」に執着している、お金が欲しいのではなくお金を手に入れる「縁」に執着している。物を手に入れても使うわけで無く飾る、ギターを集めても演奏に使うわけではない使うのは決まっていて後は飾るだけ。もう十分に手に入れたように思えてもまだ欲しいのは物欲ではなく、物を手に入れる縁、金を儲ける縁に執着しているようです。金を使いたい金銭欲、金を使えない金の煩悩、物を使いこなす物欲、物を使わない物の煩悩、違いは歴然です。欲は人間にはつきものですが、煩悩は必ず持っているとは限らない、人間は欲が無ければ死んでしまうが煩悩は無い人ほど人に褒められる。お釈迦様は煩悩を持つ人を「亡者」と呼んだ、心の目をふさぎ無明の闇を彷徨う姿は亡者と言えます、目を開けさえすれば無明の闇から解放されるのに目を開けない。亡者の姿を見たくない、自分の姿を認めたくない、自分は「善き人」と思い込んでいたい、自分の醜い姿など誰も見たくはないものです。信心決定は「善き人」としての自分を否定する事、「自分は悪人だった、なんて醜い姿をしていたんだ」自戒と懺悔の心を体感することなく信心決定も無我の境地も始まらない。聴聞だけで親鸞上人の様に信心決定できる人は親鸞上人以上の聖人ですね。親鸞上人は二十年の修業があったのちの信心決定ですからね。
よくある、クルマにお金をかける人は〜〜😅😅
よく、お金や土地を沢山持っていても、あの世に持って行けないよ!と言われた人、死ぬまで持っていたいと言う人達が多いと思います。
菊谷さん明けましておめでとうございます欲を自制するですか分かりました各コメントへの返信言葉をお願いします《能登半島地震心より被災者へお見舞い申し上げます♡》
欲しいとねだる子供も餓鬼ですかね?
人間は、そう言った生物なのかもしれない。是非無。知能有る限り………
いいお話でした。まったくおっしゃる通りだと思います。ありがとうございました。
大変よかっです。財力にとらわれないようにします。ありがとうございました。
私が知らない事を沢山教えて下さる菊谷先生、ありがとうございます🙏
ありがとうございました。
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★物欲が強い人の特徴とリスク
1.持つともっと欲しくなる(物欲・財欲、無財餓鬼、有財餓鬼)
2.とられるのが不安(非番、番人)
3.罪を造る(物欲・財欲⇒罪悪⇒悪報)
今回もありがとうございます🙇
菊谷先生、貴重なお話をありがとう御座いました🙇♂
人は成長はできるが、所有はできないというけれど本当ですね。
菊谷先生のお話大変勉強になりました。ありがとうございました。
簡単に物欲を満たしたり 財欲を満たしたり出来ません 物欲や財欲を満たす能力や才能を持って手柄を挙げる こうして手柄の元に欲が満たせる要因となります その能力や才能は人を思い上がらせる慢の心を持つ原因となります この慢の心とは実力主義という自力本願から発揮されます その本人の実力とは他力つまり阿弥陀仏のお陰で発揮されたと自覚が持てると 慢の心から救われます 自力本願とは救われません ありがとうございました
物欲ないな~~食べ物程度。
タバコやめて🚭️スーパーに限定
コンビニ行く用事があまりない。給料を多くしたい。
菊谷隆太先生、こんばんは。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼👩🍼🛀今日も、ありがとうございます。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼🛀🛀
今日のお話は胸に沁みました。
覇者も貧者も悲哀が有りますね。私はネジメーカーで、働いていました。本当に必死でした。
生きるとは苦である。 存在するのは苦のみであり、楽は苦の減少にすぎない。
(絶対値で見ると苦しかなく、相対値で見ると苦・楽・不苦不楽(苦が増える・苦が減る・苦があまり変動しない)を感じるだけである。)
得たことで『得ていない』という苦が減り一時的に楽を感じる。
その楽は『得たこと』が直接要因ではなく、『苦の減少』が直接要因である。
よって、じきに楽から不苦不楽へと変わっていき、さらなる楽を求めることになる。
それが「あれも欲しい、これも欲しい」と欲に際限が無い理由である。
(実際には、「それ」が欲しいのではなく、苦の減少を味わいたいだけだということ。)
仏教的に解釈するなら、物欲とはこんな感じになるのではないでしょうか。
仏教とは引き算の教えだと理解しています。
楽を得るには、一旦苦を引き上げないことにはどうにもなりません。
だからこそ、仏教では楽を目指すのではなく、「苦の滅尽」を目指します。
そのゴールには楽もありません。 苦が無ければ楽も無いのは当然のこと。 あるのは安らぎだけです。
仏教が悲観的な教えだと言われるのは、この「楽も手放す」という発想も影響しているのかもしれませんね。
人間は、本当に、縁が来ると何をするかわかりませんね😢
私も昔から物欲強いです。
欲しい物があると我慢出来なくなります。
無理をしてまでも買ってしまいます。
こだわりも強いです。
小さい頃に持っている物を後ろに隠したそうです。
菊谷先生、いつも為になるお話しありがとうございます🙏😆
今回は、過去の動画で申し訳ありません。😅
このテ―マは、強欲な人はどんな人。🤔
財欲、物欲は、人間誰しも持っています。
これを表面に出すか出さないかで、人の見る目が違ってきます。
私も、10年以上公証役場に勤務して良くわかります。😄
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これからも、私は貪欲に過ごして行きたいと思います。🙏😆
正に自分の事だと自覚しております。物欲は止まりません。昔から収集癖があります。食欲もですね。意思が弱いので治らないかなーと思います。ただなるべく他人に迷惑を掛けないようには気をつけたいですね。
ありがとうございます
煩悩あるままで救われるにはどうあればいいのか?ここに帰着するのですね ありがとうございました
金持ちになっても、必然的に問題が出てくるものなのですね。
今宵も、菊谷ルーティン😊
昔、聞いたことがあります。「賢人、賢者とは、無欲な者なり」😃
お風呂が落ち着かない、側近や身内も疑う
夜も安心して眠れないのは嫌ですね
独裁者あるあるですね〜
綺麗なお札、新しい500円玉は使えず、集めてしまいある程度貯まると不安になります。その他、本とか草花、鉱物、貝殻…いろいろ集めちゃいます。物が少ない方がスッキリして気分が良いんですけど…
ものが増えるのは悩ましい。
とても良いお話ありがとうございます🙇♀️⤴︎私も欲張りで自分が嫌になる事あります😢近所で兄弟が遺産相続でもめて絶縁している話しをよく聞きます⤵︎昔からあった話しなのか、最近の話しなのでしょうか❓私はそんな事になりたくないです😢財欲をどうコントロール出来るか教えて頂きたいのです🙇♀️
物欲と財欲は少し違います、物を欲しがるのではなく物を手に入れる「縁」に執着している、お金が欲しいのではなくお金を手に入れる「縁」に執着している。物を手に入れても使うわけで無く飾る、ギターを集めても演奏に使うわけではない使うのは決まっていて後は飾るだけ。もう十分に手に入れたように思えてもまだ欲しいのは物欲ではなく、物を手に入れる縁、金を儲ける縁に執着しているようです。金を使いたい金銭欲、金を使えない金の煩悩、物を使いこなす物欲、物を使わない物の煩悩、違いは歴然です。欲は人間にはつきものですが、煩悩は必ず持っているとは限らない、人間は欲が無ければ死んでしまうが煩悩は無い人ほど人に褒められる。
お釈迦様は煩悩を持つ人を「亡者」と呼んだ、心の目をふさぎ無明の闇を彷徨う姿は亡者と言えます、目を開けさえすれば無明の闇から解放されるのに目を開けない。亡者の姿を見たくない、自分の姿を認めたくない、自分は「善き人」と思い込んでいたい、自分の醜い姿など誰も見たくはないものです。信心決定は「善き人」としての自分を否定する事、「自分は悪人だった、なんて醜い姿をしていたんだ」自戒と懺悔の心を体感することなく信心決定も無我の境地も始まらない。聴聞だけで親鸞上人の様に信心決定できる人は親鸞上人以上の聖人ですね。親鸞上人は二十年の修業があったのちの信心決定ですからね。
よくある、クルマにお金をかける人は〜〜😅😅
よく、お金や土地を沢山持っていても、あの世に持って行けないよ!と言われた人、死ぬまで持っていたいと言う人達が多いと思います。
菊谷さん明けましておめでとうございます欲を自制するですか分かりました各コメントへの返信言葉をお願いします
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欲しいとねだる子供も餓鬼ですかね?
人間は、そう言った生物なのかもしれない。是非無。知能有る限り………