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映画「陸軍」はラストシーンで田中絹代演じる母親が息子の出征を涙ながらに見送るシーンがあります。ところが軍部から「涙を流して見送るのは女々しい」としてこのシーンがカットされました。この出征シーンには実際の兵士が参加しています(この部隊は南方戦線に送られ玉砕しています)戦後に占領から解放され映画「陸軍」がカット部分なしで公開されました。ラストシーンの出征シーンで登場するのが一瞬でもあっても、その兵士達を観るために遺族たちは何度も映画館に通ったそうです。僅かであっても「生きていて動く姿」は遺族の人達にとっては貴重なものだったのでしょう。
これらの映画が上映中の時代より、RUclipsで誰もが簡単に見られる2024年の今に感謝
なんとも切ないですね。万感の思いがつのります。アップロードありがとうございます。
私の叔父は昭和20年に予科練に行っていたと母から聴いてます。祖父(叔父の父)や 我が母(叔父の姉) 家族がどんな感情だったのか…聴いた事は無いのだが馬鹿な戦争をした と考えるのが 戦後生まれの私の実感です。
警官だった祖父が戦中ながら兵役を終え復職、戦意高揚紙芝居の巡回をやっていました。母がみんな郷土資料館へ贈ってしまったので全ては見ていないですが、貧しい暮らしの銃後の母が息子へ一機でも多くの飛行機を送ろうと必死で工場で頑張るとか、なんだかいたたまれない話ばかり。なんでこれが戦意高揚になるのやら不思議なくらいで、戦中の戦争映画に共通していますね。
「総力戦体制」ですから。
これまでの彩さんの動画のどれよりも不謹慎な言い方になるかと思いますが興味深く見応えのある動画だったです、素晴らしい編集だったと思いますとしか今は言葉になりません、お疲れ様でした。
いい作品に出会えました。 私の一番 深く知りたい時代です。近代の日本にとって、一番 苦しくて、辛く悲しい時代 だったと思います。その時代を知ることは、私にとっての昭和史です。昭和20年8月15日までの昭和20年は、日本人はどのように生きたのでしょうか。私は右でも左でも 軍国主義者でも ありません 日本人としてその時期を深く知りたい。そして 平和な時代を永久に願いたい。
戦争末期の映画の歴史、知らなかったので勉強になりました😄
戦中から終戦までの映画を扱った今回の動画、とても興味深く拝見させていただきました。敗戦が濃厚になった昭和20年ごろは、それまでがちがちに戦時体制で固めていた言論統制が、かえって国民の戦意高揚を妨げるという事で、ある程度(本当に微々たるものだったらしいですが)ゆるくなったと聞いたことがあります。松竹の映画はその緩くなったところをついて作られた映画なのかなあ、と思ったりもしました。娯楽の王様として当時も多くの国民が視聴した映画、たしかに戦意高揚を目的にしたものでありますが、そういった中においても、制作者が、人の心に響くものを作ろうと努力されていたことに、今、自由に自分の意見を発表することができるこのが、どれほど幸福なことかを改めて考えさせられました。今回の動画は、終戦のことを考える上においてもとても有意義な動画でした。ありがとうございます。次回の動画も楽しみにしていますよ。
1966年生まれ。つらいなあ。いまどきの映画を観て、ちゃんとつらい現実も描けよ!なんて軽くケチをつける日々だったが……一流のアーティストが本気で創った戦意昂揚映画に接すると、自分が〈世界〉にどういう感情を抱けばいいのか分からなくなるところがある。今回の動画をみてもそうなった。そんなふうに心を宙ぶらりんにさせられることには、とても意味がある、と辛うじて頑張って考えている。配信ありがとうございました。悪人はいないんだよなあ。むしろ与えられた条件で才能の限りを尽くそうとしただけ。それは現代のアホのテレビマンも同じ。つらいなあ。
母が警視庁の婦警6期で巣鴨プリズンで働いていたそうです。戦犯の方々から手記を沢山頂いたそうです。母の兄が海軍のパイロットで頂いた手記を読んで泣いていたそうです。伯父は私に「晴嵐」って知ってるか?って聞いたのですが「知らない」って言ったら残念そうでした。伯父は「晴嵐」を操縦してたそうです。
自分は高峰秀子さんのファンで映画は戦前のも結構見てるんですけど、戦中のはなかなか見る機会が無いんですよね貴重な映像とお話ありがとうございます
そうなんです。あの時代の方々の子孫が我々。映画を通して深い洞察に感銘しました。何故あの頃と今はこれ程、別世界なのか?国家総力戦で近代迄の軍隊だけの戦争から国民総動員の戦争になって、その犠牲は想像を超えてしまった。また、核兵器も誕生し、戦場で武勲を立てる余地もなくなった。
よく集めましたね、これらの映像資料。完成度に感服しました。一級の動画といえるでしょう。
良い動画ですね 胸が痛い😢
良くこのような番組を企画していただきました。現在の視点からするととても考えられない事が当たり前だったんですね。‼️当時の東宝と松竹の映画に対するスタンスの違いが良くわかりました。
「陸軍」と同年同日に公開された東宝の「雷撃隊出動」でも、劇中に厭戦ムードを感じさせる場面を隠すことなく描いてますね前線では物資や兵器が不足し、ただでさえ少ない飛行機を他の基地に移譲したり、搭乗員は乗る機体がなく訓練も出来ずに野良仕事に精を出す日々、そして「優秀な連中を沢山死なせて」とぼやく隊長、空襲で犠牲となる現地住民……等々、反戦要素も感じさせる部分もあり、検閲が甘かったのかは知らないが、あの時期によくもまあそういう場面がカットされずに済んだものだと思いました。もっとも、最後に死亡フラグを立てた主人公らが、刺し違える形で敵艦隊に大打撃を与える見せ場があったからその辺は不問にされたのかもしれませんが。
DVDがあるならぜひじっくり観てみたい
学校の教科でも歴史特に近現代史は2月~3月にかけておこなわれ、受験にも出てこないのでほとんど履修されないのが現実です。教科書もざっくりと年号、出来事のみが書かれているだけです。彩さんは動画編集にあたって、軍隊を鼓舞するでなくまた殊更に反戦を唱えるでなく、ありのままの日本の戦争下の映画史を作ってくださいました。こういった動画をマスメディアは放送すべきでしょうし、また日本史を習う中高生は歴史教材として学校で見て欲しいです。戦時下の中でもあれこれ工夫をして映画制作をして国民に見てもらおうとした、当時の映画人、俳優の方々の強い信念の賜物を見せていただき、本当にありがとうございました。
日本人って、長いものにも、短いものにも巻かれる人種なんだな〜
昭和19年の映画(加藤隼戦闘隊)は名作。昭和17年に戦死した加藤少将が昭和19年作曲の自分の歌を聴くのがとてもシュール。
戦意高揚映画は、昭和20年までに多く作られましたが、その中でも桃太郎が軍に加わって戦うなど、毛色の変わった作品もありました。のらくろもあったかな❓ 円谷監督の「ハワイ・マレー沖海戦」は、この時代の特撮にしてはあまりにも素晴らしい出来で、のちのオタク第一世代と言われる岡田斗司夫氏や庵野秀明氏などは、事あるごとにハワイ・マレー〜の素晴らしさを力説してました。これも戦後ならではの事なんでしょうね。 不謹慎なのでしょうがこの時代、咲いた花も散った花もどちらも美しい時があったと思いたいです
ハワイ・マレー沖海戦の特撮は、進駐軍が実写だと勘違いして問い詰められたって逸話がありますね
「桃太郎海の神兵」は、「ジャングル大帝」や「ライオン・キング」の本となった。「鬼滅の刃 無限列車編」は、もし戦時中だったら、間違いなく「プロパガンダ映画」になっていただろう。
世代の差だとか時代が違うと言ってしまえばそれまでなんですが私が小学生の頃の夏休みの宿題には祖父母に戦時中の体験談を聞いて来るだとか指定された戦時中を描いた書籍を読んで感想文を書けとか学年問わずに色々あったのですけど今やそんなのは修学旅行の行き先は広島で原爆ドームと原爆資料館を訪問という最早その学校の伝統として行っている様な小学校くらいらしくどこかこれで良いのかという気がしてしまいます
他の方もコメントされてましたが、ドイツと違って日本国は戦争に負けはしましたが無条件降伏はしてません、この間違いが戦後総てを狂わしてしまった。
負けても居ません、本土上陸出来ませんでした、丁度原爆が完成し落とされた途端に天皇が汚い原爆兵器はもはや戦争ではな区、人類を滅亡させると判断し終戦に応じる。植民地解放国家🇯🇵です。人種平等も実現させました英霊に感謝しましょうジジーより。
映画制作する側も軍部と息が合うなら名作力作が出来るでしょう。しかし 終わりなき戦争に愛想が尽きたんですかね?年老いた円谷監督を召集するまで兵隊が枯渇していたんですね
1:18 「いおうじま」ではなく「いおうとう」です。
大東亜戦争敗戦の昭和20年に、これだけの戦争映画が制作・上映されていたとは知りませんでした。初めて聞く「乙女のゐる基地」「後に續くを信ず」「北の三人」など全編を観てみたいです。伊東彩さんは解説で無条件降伏と言っていましたが、ポツダム宣言の条文を見て欲しいです。五項、吾等の條件は左の如し。吾等は右條件より離脱することなかるべし。右に代る條件存在せず」とハッキリ書かれています。十三項の「全日本国軍隊の無条件降伏」は五項で示された條件の一つです。
いつまで続く、この平和、戦後80年、危ない世界になってきた。
公開前に終戦、GHQに接収された作品も有るんだろうなぁ~😢
若林東一は二等兵からの叩き上げだった。因みに「香港攻略戦」では、将校斥候でありながら、「抜け駆け」により、イギリス軍が設けた「ジン・ドリンカーズライン」攻略のきっかけを作った。
今年で93歳になる母親に、子供の頃によく戦時中の話しを聞かされ、母親が小学生の時、近くで高射砲が🇺🇸の爆撃機に命中して、生存した🇺🇸兵がパラシュートで降りてきたそうです❗️勿論、🇯🇵の兵隊さんに確保され、連れて行かれたそうですが、その時、初めて🇺🇸人を見た母親は、背もデカい、足もデカい、こんな怪物みたいな奴らと🇯🇵は喧嘩しているのか⁉️ダメだ、敵わない❗️と子供心に思ったそうです😅
大和魂のあった🇯🇵国民、でかいのは関係なかったです、白人植民地主義者など恐れては居ませんでした。植民地解放国家🇯🇵です。人種平等も実現させました英霊に感謝しましょうジジーより。🇯🇵\(^_^)/
北朝鮮を彷彿しました。(^-^; 心意気だけでは国力が10倍のアメリカには絶対勝てない。むなしい戦いをしたものです。
『北の三人』は観ました!山根寿子=やまね ひさこ
海の神兵は、世界最初の「透過光」を使ったアニメだそうだが、時は過ぎ1984年にフェアリーダストの「くりいむレモン(「い」は小さい「ぃ」ではない)」の媚・妹・Babyが発売されるのだが、モザイク処理に「透過光」が使われた。この時のビデ倫へ出す時の会話として「これ、透過光って、お上に通りますかね?」「透過光は、戦時中の帝国海軍「海の神兵」で使われた、世界初の国が認めた技術やぞ」「・・はぁ?」と云う逸話を聞いたことがある。エスカレーションはモザイク超次元伝説ラルは無修正(初期ロット)POP・CHRSERは結合非表示と色々試行錯誤ありますが、透過光は「海の神兵」から始まったそうな。
透過光は、「アニメンタリー決断」でも使われた。
わたしはおもうのですがね、この8月15日ぐらうはせめて夕方まではスマホゲームの配信を一斉に停止させてもよいとおもいますね、まだ外資系ファーストフード店の営業も丸1日停止させてもゅいとおもいます。
戦前映画特集 誰かにやってほしいと思っていましたありがとうございましたm(_ _)m
「戦前映画特集」じゃないですね「戦中映画特集」ですね訂正させていただきます
若い時は戦争に関する話題に一切興味ありませんでした その時は気づかなかったが戦後の骨抜き教育は今までの日本人の足腰をこれでもかってくらい弱らせました😢これから日本は世界一の核兵器を作って保有する事が世界平和への近道だと思います🎉
バカ
戦後間違った教育で🇯🇵人が弱くなりました。植民地解放国家🇯🇵です。東京インチキ復讐裁判で世界が狂い始めた。🇯🇵人が目覚めれば世界は変わると思いますね、🇯🇵は強くならなければならない。何故か植民地を解放し、人種差別をなくした英雄🇯🇵国だから。ジジーより。
ノウモーワーズ
「必勝歌」は虚しい映画でしかないなと思いますな
今のウクライナとかぶってしまいます
映画「陸軍」はラストシーンで田中絹代演じる母親が息子の出征を涙ながらに見送るシーンがあります。
ところが軍部から「涙を流して見送るのは女々しい」としてこのシーンがカットされました。
この出征シーンには実際の兵士が参加しています(この部隊は南方戦線に送られ玉砕しています)
戦後に占領から解放され映画「陸軍」がカット部分なしで公開されました。
ラストシーンの出征シーンで登場するのが一瞬でもあっても、その兵士達を観るために遺族たちは何度も映画館に通ったそうです。
僅かであっても「生きていて動く姿」は遺族の人達にとっては貴重なものだったのでしょう。
これらの映画が上映中の時代より、RUclipsで誰もが簡単に見られる2024年の今に感謝
なんとも切ないですね。
万感の思いがつのります。
アップロードありがとうございます。
私の叔父は昭和20年に予科練に行っていた
と母から聴いてます。
祖父(叔父の父)や 我が母(叔父の姉) 家族がどんな感情だったのか…
聴いた事は無いのだが
馬鹿な戦争をした と
考えるのが 戦後生まれの私の実感です。
警官だった祖父が戦中ながら兵役を終え復職、戦意高揚紙芝居の巡回をやっていました。母がみんな郷土資料館へ贈ってしまったので全ては見ていないですが、貧しい暮らしの銃後の母が息子へ一機でも多くの飛行機を送ろうと必死で工場で頑張るとか、なんだかいたたまれない話ばかり。なんでこれが戦意高揚になるのやら不思議なくらいで、戦中の戦争映画に共通していますね。
「総力戦体制」ですから。
これまでの彩さんの動画のどれよりも不謹慎な言い方になるかと思いますが興味深く見応えのある動画だったです、素晴らしい編集だったと思いますとしか今は言葉になりません、お疲れ様でした。
いい作品に出会えました。 私の一番 深く知りたい時代です。近代の日本にとって、一番 苦しくて、辛く悲しい時代 だったと思います。その時代を知ることは、私にとっての昭和史です。昭和20年8月15日までの昭和20年は、日本人はどのように生きたのでしょうか。私は右でも左でも 軍国主義者でも ありません 日本人としてその時期を深く知りたい。そして 平和な時代を永久に願いたい。
戦争末期の映画の歴史、知らなかったので勉強になりました😄
戦中から終戦までの映画を扱った今回の動画、とても興味深く拝見させていただきました。
敗戦が濃厚になった昭和20年ごろは、それまでがちがちに戦時体制で固めていた言論統制が、かえって国民の戦意高揚を妨げるという事で、ある程度(本当に微々たるものだったらしいですが)ゆるくなったと聞いたことがあります。
松竹の映画はその緩くなったところをついて作られた映画なのかなあ、と思ったりもしました。
娯楽の王様として当時も多くの国民が視聴した映画、たしかに戦意高揚を目的にしたものでありますが、そういった中においても、制作者が、人の心に響くものを作ろうと努力されていたことに、今、自由に自分の意見を発表することができるこのが、どれほど幸福なことかを改めて考えさせられました。
今回の動画は、終戦のことを考える上においてもとても有意義な動画でした。ありがとうございます。
次回の動画も楽しみにしていますよ。
1966年生まれ。つらいなあ。
いまどきの映画を観て、ちゃんとつらい現実も描けよ!なんて軽くケチをつける日々だったが……一流のアーティストが本気で創った戦意昂揚映画に接すると、自分が〈世界〉にどういう感情を抱けばいいのか分からなくなるところがある。
今回の動画をみてもそうなった。
そんなふうに心を宙ぶらりんにさせられることには、とても意味がある、と辛うじて頑張って考えている。
配信ありがとうございました。
悪人はいないんだよなあ。むしろ与えられた条件で才能の限りを尽くそうとしただけ。それは現代のアホのテレビマンも同じ。
つらいなあ。
母が警視庁の婦警6期で巣鴨プリズンで働いていたそうです。戦犯の方々から手記を沢山頂いたそうです。母の兄が海軍のパイロットで頂いた手記を読んで泣いていたそうです。伯父は私に「晴嵐」って知ってるか?って聞いたのですが「知らない」って言ったら残念そうでした。伯父は「晴嵐」を操縦してたそうです。
自分は高峰秀子さんのファンで映画は戦前のも結構見てるんですけど、戦中のはなかなか見る機会が無いんですよね
貴重な映像とお話ありがとうございます
そうなんです。あの時代の方々の子孫が我々。映画を通して深い洞察に感銘しました。何故あの頃と今はこれ程、別世界なのか?
国家総力戦で近代迄の軍隊だけの戦争から国民総動員の戦争になって、その犠牲は想像を超えてしまった。
また、核兵器も誕生し、戦場で武勲を立てる余地もなくなった。
よく集めましたね、これらの映像資料。
完成度に感服しました。
一級の動画といえるでしょう。
良い動画ですね 胸が痛い😢
良くこのような番組を企画していただきました。
現在の視点からするととても考えられない事が当たり前だったんですね。‼️
当時の東宝と松竹の映画に対するスタンスの違いが良くわかりました。
「陸軍」と同年同日に公開された東宝の「雷撃隊出動」でも、劇中に厭戦ムードを感じさせる場面を隠すことなく描いてますね
前線では物資や兵器が不足し、ただでさえ少ない飛行機を他の基地に移譲したり、搭乗員は乗る機体がなく訓練も出来ずに野良仕事に精を出す日々、そして「優秀な連中を沢山死なせて」とぼやく隊長、空襲で犠牲となる現地住民……等々、反戦要素も感じさせる部分もあり、検閲が甘かったのかは知らないが、あの時期によくもまあそういう場面がカットされずに済んだものだと思いました。もっとも、最後に死亡フラグを立てた主人公らが、刺し違える形で敵艦隊に大打撃を与える見せ場があったからその辺は不問にされたのかもしれませんが。
DVDがあるならぜひじっくり観てみたい
学校の教科でも歴史特に近現代史は2月~3月にかけておこなわれ、受験にも出てこないのでほとんど履修されないのが現実です。教科書もざっくりと年号、出来事のみが書かれているだけです。
彩さんは動画編集にあたって、軍隊を鼓舞するでなくまた殊更に反戦を唱えるでなく、ありのままの日本の戦争下の映画史を作ってくださいました。こういった動画をマスメディアは放送すべきでしょうし、また日本史を習う中高生は歴史教材として学校で見て欲しいです。戦時下の中でもあれこれ工夫をして映画制作をして国民に見てもらおうとした、当時の映画人、俳優の方々の強い信念の賜物を見せていただき、本当にありがとうございました。
日本人って、長いものにも、短いものにも巻かれる人種なんだな〜
昭和19年の映画(加藤隼戦闘隊)は名作。昭和17年に戦死した加藤少将が昭和19年作曲の自分の歌を聴くのがとてもシュール。
戦意高揚映画は、昭和20年までに多く作られましたが、その中でも桃太郎が軍に加わって戦うなど、毛色の変わった作品もありました。のらくろもあったかな❓
円谷監督の「ハワイ・マレー沖海戦」は、この時代の特撮にしてはあまりにも素晴らしい出来で、のちのオタク第一世代と言われる岡田斗司夫氏や庵野秀明氏などは、事あるごとにハワイ・マレー〜の素晴らしさを力説してました。これも戦後ならではの事なんでしょうね。
不謹慎なのでしょうがこの時代、咲いた花も散った花もどちらも美しい時があったと思いたいです
ハワイ・マレー沖海戦の特撮は、進駐軍が実写だと勘違いして問い詰められたって逸話がありますね
「桃太郎海の神兵」は、「ジャングル大帝」や「ライオン・キング」の本となった。
「鬼滅の刃 無限列車編」は、もし戦時中だったら、間違いなく「プロパガンダ映画」になっていただろう。
世代の差だとか時代が違うと言ってしまえばそれまでなんですが私が小学生の頃の夏休みの宿題には祖父母に戦時中の体験談を聞いて来るだとか指定された戦時中を描いた書籍を読んで感想文を書けとか学年問わずに色々あったのですけど今やそんなのは修学旅行の行き先は広島で原爆ドームと原爆資料館を訪問という最早その学校の伝統として行っている様な小学校くらいらしくどこかこれで良いのかという気がしてしまいます
他の方もコメントされてましたが、ドイツと違って日本国は戦争に負けはしましたが無条件降伏はしてません、この間違いが戦後総てを狂わしてしまった。
負けても居ません、本土上陸出来ませんでした、丁度原爆が完成し落とされた途端に天皇が汚い原爆兵器はもはや戦争ではな区、人類を滅亡させると判断し終戦に応じる。植民地解放国家🇯🇵です。人種平等も実現させました英霊に感謝しましょうジジーより。
映画制作する側も軍部と息が合うなら名作力作が出来るでしょう。しかし 終わりなき戦争に愛想が尽きたんですかね?年老いた円谷監督を召集するまで兵隊が枯渇していたんですね
1:18 「いおうじま」ではなく「いおうとう」です。
大東亜戦争敗戦の昭和20年に、これだけの戦争映画が制作・上映されていたとは知りませんでした。初めて聞く「乙女のゐる基地」「後に續くを信ず」「北の三人」など全編を観てみたいです。伊東彩さんは解説で無条件降伏と言っていましたが、ポツダム宣言の条文を見て欲しいです。五項、吾等の條件は左の如し。吾等は右條件より離脱することなかるべし。右に代る條件存在せず」とハッキリ書かれています。十三項の「全日本国軍隊の無条件降伏」は五項で示された條件の一つです。
いつまで続く、この平和、戦後80年、危ない世界になってきた。
公開前に終戦、GHQに接収された作品も有るんだろうなぁ~😢
若林東一は二等兵からの叩き上げだった。
因みに「香港攻略戦」では、将校斥候でありながら、「抜け駆け」により、イギリス軍が設けた「ジン・ドリンカーズライン」攻略のきっかけを作った。
今年で93歳になる母親に、子供の頃によく戦時中の話しを聞かされ、母親が小学生の時、近くで高射砲が🇺🇸の爆撃機に命中して、生存した🇺🇸兵がパラシュートで降りてきたそうです❗️勿論、🇯🇵の兵隊さんに確保され、連れて行かれたそうですが、その時、初めて🇺🇸人を見た母親は、背もデカい、足もデカい、こんな怪物みたいな奴らと🇯🇵は喧嘩しているのか⁉️ダメだ、敵わない❗️と子供心に思ったそうです😅
大和魂のあった🇯🇵国民、でかいのは関係なかったです、白人植民地主義者など恐れては居ませんでした。植民地解放国家🇯🇵です。人種平等も実現させました英霊に感謝しましょうジジーより。🇯🇵\(^_^)/
北朝鮮を彷彿しました。(^-^; 心意気だけでは国力が10倍のアメリカには絶対勝てない。
むなしい戦いをしたものです。
『北の三人』は観ました!
山根寿子=やまね ひさこ
海の神兵は、世界最初の「透過光」を使ったアニメだそうだが、時は過ぎ1984年にフェアリーダストの「くりいむレモン(「い」は小さい「ぃ」ではない)」の媚・妹・Babyが発売されるのだが、モザイク処理に「透過光」が使われた。
この時のビデ倫へ出す時の会話として
「これ、透過光って、お上に通りますかね?」
「透過光は、戦時中の帝国海軍「海の神兵」で使われた、世界初の国が認めた技術やぞ」
「・・はぁ?」
と云う逸話を聞いたことがある。
エスカレーションはモザイク
超次元伝説ラルは無修正(初期ロット)
POP・CHRSERは結合非表示
と色々試行錯誤ありますが、
透過光は「海の神兵」から始まったそうな。
透過光は、「アニメンタリー決断」でも使われた。
わたしはおもうのですがね、この8月15日ぐらうはせめて夕方まではスマホゲームの配信を一斉に停止させてもよいとおもいますね、まだ外資系ファーストフード店の営業も丸1日停止させてもゅいとおもいます。
戦前映画特集 誰かにやってほしいと思っていました
ありがとうございましたm(_ _)m
「戦前映画特集」じゃないですね
「戦中映画特集」ですね
訂正させていただきます
若い時は戦争に関する話題に一切興味ありませんでした その時は気づかなかったが戦後の骨抜き教育は今までの日本人の足腰をこれでもかってくらい弱らせました😢これから日本は世界一の核兵器を作って保有する事が世界平和への近道だと思います🎉
バカ
戦後間違った教育で🇯🇵人が弱くなりました。植民地解放国家🇯🇵です。東京インチキ復讐裁判で世界が狂い始めた。🇯🇵人が目覚めれば世界は変わると思いますね、🇯🇵は強くならなければならない。何故か植民地を解放し、人種差別をなくした英雄🇯🇵国だから。ジジーより。
ノウモーワーズ
「必勝歌」は虚しい映画でしかないなと思いますな
今のウクライナとかぶってしまいます