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今日もありがとうございます。私は子供の時、母の日にお財布ケースを手作りしましたが、次の日ゴミ箱に捨てられていたのを思い出しました。涙も出ませんでしたが…そして確かに幸せを避けていました。部長さんのおかげで私もだいぶ強くなりました。まだ周りに存在する支配者をしっかり観察して理不尽に負けないようにしていきます。
了解致しました。ありがとうございます。
穏やかな幸せを手にできそうなところでいつも自分から壊してしまいます。
母は素直にプレゼントを受け取ってくれません花をあげても喜んでもらえなかったり、誕生日プレゼントをあげてもケチつけられたりで結局使ってもらえていません・・・
題材・切り口がいつも斬新で楽しませてもらっています幸せを避けてしまう心理に現状バイアスもありそうですね
ありがとうございます。
はい。もう入部してますが、、今回とても、なんか素晴らしかったと思います。。
ダイジョウ部の動画は、痛みもあるけど発見もある自分が気が付いてこなかったこと
仰る通りです‼️😉✨ 好意を素直に、受け取れない時があります😉心療内科の受診を、先延ばししてしまっています‼️今は、誰とも話をしたくありません‼️五年間かけて書いた✏️小説を、ネット上で、発表し始めました🌷15日から。これだけは、少し成長したのかも知れません‼️😆🍀反省についても、仰る通りです😌💓自己否定の塊です😢これからは、自分らしく生きているかどうかを、確認していきます‼️ありがとう💮ございます😃🍒😃
いつも❣️楽しく拝見させてもらってます❣️ありがと〜ございます❣️すごく深いお話ですね❣️両化的意識❣️ 自分は幸せになったらダメ🙅♂️幸せになるのがこわい😱❣️などの❣️ とても複雑なプログラムが生い立ちの体験の中で持ってしまっているんでしょうか⁉️ 😳複雑な話ですね❣️ 勉強になります🙇🏻♂️ありがと〜ございます❣️
どうしてでしょうか?母は人から物をもらうことを喜びませんでした。私もなぜだか、物をもらうのがとても苦手です。有り難いより、借りを作るように感じ、返さないといけないという気持ちの負担が生じるのです。自分に好意を見せる優しい人を遠ざけ、自分を冷遇する人を選ぶのです。自分でもその理由がわかりません。
わかる❤❤❤
うちの母親も、食べられる野菜を作っても、もらっても、そのままにし片付けることも処理もせず見て見ぬふり、腐らせます。母の兄の嫁も、祖母が作った野菜は文句をつけてすべて人にあげ、冷凍食品やジャンクな肉ばかり買って子供達に食べさせています。母はそのおば(兄嫁)に対して悪口を言いますが私からすればまったく同じなのに気づかないことに????です。他の親戚や周りの家庭も似たようなものです。母親は何かあげても、別に喜ばないし、私が何かしても否定の言葉しかしない。私は振り向いてもらえない人ばかり好きになり、優しそうで安定していて好いてくれる人達のことは好きになれません。
ずっとある。
わたしの生物学上の母親は、わたしからのプレゼントを喜びはしますが、わたしの存在を近しく感じることは決してなかったようでした。プレゼントをもらった~、と誰かに自慢したいという、あのお婆さん独特の "賞賛されて羨ましがられる私" 像というものへの執着から、嘗て見たことのある誰かの笑顔を真似て、わたしが次にもプレゼントをするようにと喜んで見せていたような感じがしています。わたしがこころからしたプレゼントは、こんなもの要らないと避けられて、見向きもされませんでしたからね。あのお婆さんが避けたかったのは罪悪感や劣等意識と直面することでしたから、からだの弱りきったわたしが雨の降りしきるなか、足を棒にして探し回ってなけなしのお金をはたいて買ってきたキャンディーBOXを、独特のしかめっ面で拒絶しました。何か、わたしの手からそれをはたき落とそうとしたかったのではないだろうか?と感じられた変なアクションが 有ったのですが、それはすんでのところで思い止まったというだけのことなのでしょうね。わたしがそんな経緯をへてしたプレゼントを、はたきおとして割ってしまったりしたら、配偶者であるお爺さんからかなりキツくお叱りを受けることは容易に想像出来たことでしょうから。それに、そういう経緯が存在した先には、2度と、ノンストレスで高揚感を持ってわたしからプレゼントをもらえるなどとは想像できないかも知れません。あのお婆さんは、わたしへはいい人を装い続けているだけの、世話は出来ても良心的な精神性を保てない妙竹林な人でした。わたしの男性性を偏狭な者のみかたから否定して、組敷いて利用し尽くすために女性性を強要してきて、本当に窮屈で無駄にストレスフルでつまらなくて、どこにも本心など見せないようにしている怪しいメンバーでした。...なので、わたしは実母であるらしいあのお婆さんの存在感や存在の価値は低いのが妥当なのだろうと思っていて、生まれ出でてからその人の名前を知るまでに随分と時を経ていたのを覚えています。何か常に不自然で、わたしのすむ地域でいう「がたんぽん」のようなイメージを醸し出していた人でした。「がたんぽん」というのは、食べるときを逸してのびきってしまったインスタント拉麺などの状態を表現する言葉です。何かどこにも快適な歯応えや良い味わいなどがなさそうで、求めて止まないしなやかさよりも不自然な見た目のゴタゴタとした印象ばかりが強くて、本来の価値ある状態とは呼べないような...「これを平らげろと言われたら罰ゲームでしかないな」というような印象を、常に感じてほしいような...何でしょうね、とことん不自然で意味不明なヘンテコな人物像でした。あんな風に自分を宣伝しても、この利かん気ばかり強くて常にこころここに非ずな、家風にそぐわない風情の古めかしい装いをした娘の姿をした男を、どう操作できると踏んでいたのか...。ここまで読んで頂けたなら感じて頂けるかと思いますけれど、わたしの生家は、何もかもが不自然で亀裂だらけの、バラバラに個性的な面々の集う無理矢理に仕立てたようなグループでした。 わたしはまほろばであったわたしの思い込んでいた家庭と、現実的には陥ればかりの嗜虐的なパーソナリティが集うための標的の役割をさせられていた地獄であった家庭とは名ばかりのサークル活動との、両方のイメージを両立させています。思い出を時系列に仕立ててしまえば、その悪化の過程は掴めるのでしょうけれど、そうすればわたしはもう早くに家庭から弾き出されていたのであのメンバーはわたしの仇なのだと氣付いて、わたしの娘の都合を抜きにして全てのメンバーを記憶から締め出す判断をしてしまいそうだからなのと...あとは、言語化してはならない領域とがあるのが理由です。面白いものですね「幸せ恐怖症」って。わたしは、何をやっても成功しそうだとほほ疑っていなさそうなのに、歩を進めるのがもう面倒臭いと思ってしまっているのですからね😅挑み、學び続けることでやっと長患いが回復しそうだと感じているのに。 有り難うございます、スマホの世界から離れて、少し外の風に当たってきますね。遅くに出歩くのが躊躇われるのですよ、隣室の住人がかなりヤバイ人らしくて、執拗な嫌がらせを受けている最中ですので。
今日もありがとうございます。
私は子供の時、母の日にお財布ケースを手作りしましたが、次の日ゴミ箱に捨てられていたのを思い出しました。
涙も出ませんでしたが…
そして確かに幸せを避けていました。
部長さんのおかげで私もだいぶ強くなりました。
まだ周りに存在する支配者をしっかり観察して理不尽に負けないようにしていきます。
了解致しました。ありがとうございます。
穏やかな幸せを手にできそうなところでいつも自分から壊してしまいます。
母は素直にプレゼントを受け取ってくれません
花をあげても喜んでもらえなかったり、誕生日プレゼントをあげてもケチつけられたりで結局使ってもらえていません・・・
題材・切り口がいつも斬新で
楽しませてもらっています
幸せを避けてしまう心理に
現状バイアスもありそうですね
ありがとうございます。
はい。もう入部してますが、、
今回とても、なんか素晴らしかったと
思います。。
ダイジョウ部の動画は、痛みもあるけど発見もある
自分が気が付いてこなかったこと
仰る通りです‼️😉✨
好意を素直に、受け取れない時があります😉心療内科の受診を、先延ばししてしまっています‼️
今は、誰とも話をしたくありません‼️
五年間かけて書いた✏️小説を、ネット上で、発表し始めました🌷15日から。
これだけは、少し成長したのかも知れません‼️😆🍀
反省についても、仰る通りです😌💓
自己否定の塊です😢
これからは、自分らしく生きているかどうかを、確認していきます‼️
ありがとう💮ございます😃🍒😃
いつも❣️
楽しく拝見させてもらってます❣️
ありがと〜ございます❣️
すごく深いお話ですね❣️
両化的意識❣️
自分は幸せになったらダメ🙅♂️
幸せになるのがこわい😱❣️
などの❣️
とても複雑なプログラムが
生い立ちの体験の中で持って
しまっているんでしょうか⁉️ 😳
複雑な話ですね❣️
勉強になります🙇🏻♂️
ありがと〜ございます❣️
どうしてでしょうか?
母は人から物をもらうことを喜びませんでした。
私もなぜだか、物をもらうのがとても苦手です。
有り難いより、借りを作るように感じ、返さないといけないという気持ちの負担が生じるのです。
自分に好意を見せる優しい人を遠ざけ、自分を冷遇する人を選ぶのです。
自分でもその理由がわかりません。
わかる❤❤❤
うちの母親も、食べられる野菜を作っても、もらっても、そのままにし片付けることも処理もせず見て見ぬふり、腐らせます。母の兄の嫁も、祖母が作った野菜は文句をつけてすべて人にあげ、冷凍食品やジャンクな肉ばかり買って子供達に食べさせています。母はそのおば(兄嫁)に対して悪口を言いますが私からすればまったく同じなのに気づかないことに????です。他の親戚や周りの家庭も似たようなものです。
母親は何かあげても、別に喜ばないし、私が何かしても否定の言葉しかしない。
私は振り向いてもらえない人ばかり好きになり、優しそうで安定していて好いてくれる人達のことは好きになれません。
ずっとある。
わたしの生物学上の母親は、わたしからのプレゼントを喜びはしますが、わたしの存在を近しく感じることは決してなかったようでした。
プレゼントをもらった~、と誰かに自慢したいという、あのお婆さん独特の "賞賛されて羨ましがられる私" 像というものへの執着から、嘗て見たことのある誰かの笑顔を真似て、わたしが次にもプレゼントをするようにと喜んで見せていたような感じがしています。
わたしがこころからしたプレゼントは、こんなもの要らないと避けられて、見向きもされませんでしたからね。
あのお婆さんが避けたかったのは罪悪感や劣等意識と直面することでしたから、からだの弱りきったわたしが雨の降りしきるなか、足を棒にして探し回ってなけなしのお金をはたいて買ってきたキャンディーBOXを、独特のしかめっ面で拒絶しました。
何か、わたしの手からそれをはたき落とそうとしたかったのではないだろうか?と感じられた変なアクションが 有ったのですが、それはすんでのところで思い止まったというだけのことなのでしょうね。
わたしがそんな経緯をへてしたプレゼントを、はたきおとして割ってしまったりしたら、配偶者であるお爺さんからかなりキツくお叱りを受けることは容易に想像出来たことでしょうから。
それに、そういう経緯が存在した先には、2度と、ノンストレスで高揚感を持ってわたしからプレゼントをもらえるなどとは想像できないかも知れません。
あのお婆さんは、わたしへはいい人を装い続けているだけの、世話は出来ても良心的な精神性を保てない妙竹林な人でした。
わたしの男性性を偏狭な者のみかたから否定して、組敷いて利用し尽くすために女性性を強要してきて、本当に窮屈で無駄にストレスフルでつまらなくて、どこにも本心など見せないようにしている怪しいメンバーでした。
...なので、わたしは実母であるらしいあのお婆さんの存在感や存在の価値は低いのが妥当なのだろうと思っていて、生まれ出でてからその人の名前を知るまでに随分と時を経ていたのを覚えています。
何か常に不自然で、わたしのすむ地域でいう「がたんぽん」のようなイメージを醸し出していた人でした。
「がたんぽん」というのは、食べるときを逸してのびきってしまったインスタント拉麺などの状態を表現する言葉です。
何かどこにも快適な歯応えや良い味わいなどがなさそうで、求めて止まないしなやかさよりも不自然な見た目のゴタゴタとした印象ばかりが強くて、本来の価値ある状態とは呼べないような...「これを平らげろと言われたら罰ゲームでしかないな」というような印象を、常に感じてほしいような...何でしょうね、とことん不自然で意味不明なヘンテコな人物像でした。
あんな風に自分を宣伝しても、この利かん気ばかり強くて常にこころここに非ずな、家風にそぐわない風情の古めかしい装いをした娘の姿をした男を、どう操作できると踏んでいたのか...。
ここまで読んで頂けたなら感じて頂けるかと思いますけれど、わたしの生家は、何もかもが不自然で亀裂だらけの、バラバラに個性的な面々の集う無理矢理に仕立てたようなグループでした。
わたしはまほろばであったわたしの思い込んでいた家庭と、現実的には陥ればかりの嗜虐的なパーソナリティが集うための標的の役割をさせられていた地獄であった家庭とは名ばかりのサークル活動との、両方のイメージを両立させています。
思い出を時系列に仕立ててしまえば、その悪化の過程は掴めるのでしょうけれど、そうすればわたしはもう早くに家庭から弾き出されていたのであのメンバーはわたしの仇なのだと氣付いて、わたしの娘の都合を抜きにして全てのメンバーを記憶から締め出す判断をしてしまいそうだからなのと...あとは、言語化してはならない領域とがあるのが理由です。
面白いものですね「幸せ恐怖症」って。
わたしは、何をやっても成功しそうだとほほ疑っていなさそうなのに、歩を進めるのがもう面倒臭いと思ってしまっているのですからね😅
挑み、學び続けることでやっと長患いが回復しそうだと感じているのに。
有り難うございます、スマホの世界から離れて、少し外の風に当たってきますね。
遅くに出歩くのが躊躇われるのですよ、隣室の住人がかなりヤバイ人らしくて、執拗な嫌がらせを受けている最中ですので。
ありがとうございます。