消えた撮影地・山昭踏切(大高ー共和間、現在の南大高駅付近)

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • かつて東海道本線の共和-大高間に、山昭踏切という踏切がありました。現在の南大高駅のすぐ南の位置にあり、行き止まりで交通の往来もほとんどない何の為にあるか分からない踏切で、かつ南方貨物線の為の複々線用地の中にあって架線柱の邪魔が少ない場所でしたので、暇なときに撮影するのに好適な場所でした。ここでは、この踏切を通過していった列車たちを見てみましょう。
    313系は、15分に1回は見る、ごくありふれた電車でした。ですので、出すのは1回で十分です。311系もありふれた電車ですが、2000年代には新快速の機会が減っていました。
    機関車の代表格は、EF210桃太郎でした。313系ほどでないにしろ、実によく見る機関車でした。次によく見る機関車が、EF66でした。一時期、EF66が稲沢と大府までの白ホキを牽引していました。あとはEF65がちょこちょこ来る感じでした。2000年頃には、ここを通過するEF65のほとんどが新鶴見のPF型になっていました。
    過去の車両、まずはキハ75形です。次は、211系です。211系3連は、普通列車を担当していました。211系は、0番代を忘れてはいけません。一時期は新快速もありました。EF66も、0番代が活躍していました。2000年頃には更新機ばかりでしたが、ワムを牽引したこともありました。EF66には、青い更新機もありました。比較的後に登場したので、一部の車両にとどまりました。EF65にも、特別な色があり、1059号機は、特大のJRマークが特徴でした。EF200は、バブル期に登場した大出力機でした。しかし時の利これにあらず、30年持たず引退しました。
    朝のセメント列車も毎日走っていました。セメントターミナルのタキ1900で統一されていましたので、大変見栄えがしました。
    甲種輸送もご覧ください。日立製作所笠戸工場で完成した新車は、大抵は8862列車で輸送されました。これは西武向けでしたでしょうか、よく覚えていません。
    ここのヒーローはやはりブルートレインでしょう。さくらはやぶさは、いろんな場所で撮りました。富士はやぶさも、撮ることができました。ただしこれは、3時間以上遅延していたのできれいに撮れました。
    この場所も2007年頃から南大高駅の新設工事が始まり、徐々に撮影しにくくなりました。最終的には踏切は廃止され、フェンスが設置され、配線も変わりましたので、来ることはなくなりました。

Комментарии • 2

  • @user-qu8bi6us9j
    @user-qu8bi6us9j Год назад +3

    はじめまして。小生も30年前程は常連の1人でした(笑)

    • @doctortokai
      @doctortokai  Год назад

      はじめまして。あそこは良かったですね。今でも南大高駅が恨めしいです。