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上月城攻防戦がすごく分かりやすく説明されていて素晴らしいです。
観てくださりありがとうございます!現地で歴史研究に携わる方にお話を伺いながら撮影した作品で自分の中でも分岐点になった思い出のものです。合戦シリーズ、これからも定期的に続けていこうと思っています。ちなみに西日本の場所で気になる合戦、ございますか?今候補をいくつか立ててる次第です(笑)
堀切さん、空撮は普段見ない視点で城跡を見られるので新鮮です♪西日本の合戦場ですが、太閤が原〜鳥取城〜海岸線(地名忘れました)一帯の空撮を入れて、鳥取城攻防戦い。厳島合戦(包ケ浦〜博打尾〜陶本陣への進撃ルート)。などいかがでしょうか?↑堀切さんが既に手掛けられているかどうかの確認もしないで申し訳ありませんが提案させていただきました。(今、船釣り出船移動中なので)
堀切さん、空撮は普段見ない視点で城跡を見られるので新鮮です♪西日本の合戦場ですが、太閤が原〜鳥取城〜海岸線(地名忘れました)一帯の空撮を入れて、鳥取城攻防戦い。厳島合戦(包ケ浦〜博打尾〜陶本陣への進撃ルート)。などいかがでしょうか?↑堀切さんが既に手掛けられているかどうか十分に確認もしないで申し訳ありませんが提案させていただきました。ちなみに、コロナ巣ごもり対策で本年4月から私もユーチューブに城動画(主にスライドショー)をアップし始めました。まだ慣れてないので試行錯誤ですが、ご覧いただければ幸いですm(__)m「山城おじさんの城郭探訪」です。《先の返信は、船釣りに行ってて船中で送ったので上手く送れてなかったようです。再送です。》
@@yumedonoutata 書き込みありがとうございます。鳥取城攻防戦、というよりかは、太閤ケ平の様々な遺構群、補給ラインであった大崎城の立地と個別で撮りたい、と考えていました。厳島は実のところ計画してる所ではありますが、岩国米軍基地との距離の兼ね合いでもしかしたら肝心な空描写ができないかもしれないです。様々案を考えていこうと思います。今後楽しみにしていてください。
上月城の攻防は、毛利や尼子が来る前の赤松政範による攻防から話さないと全体の流れが見え難いのではないでしょうか。
観て下さりありがとうございました。確かにアカマツ様が言われる通り、その前の赤松氏の攻防から語るという所が筋なのかもしれないですが、仁位山城の遺構の事を触れたい関係もあり、また最初からに触れると情報が膨大な量にもなり考えました。私が作るチャンネルは、城跡の紹介が中心で、それも、今残っている形を映像化するという主旨でやっていて、他の事象はなるべく情報を割愛して掲載したいという主旨で初期からやっています。もっとも仰られることはもっともなんです。ですが今回はこのような形で作らせて頂きました。むしろ、その初期からの内容の動画を、作っていただけないでしょうか。
@@horikiri なるほど、初めからそういう主旨でやっておられるのですね。途中から拝見して言いたい事を言って失礼しました。ただ、上月城跡の山頂にある石碑は赤松政範の碑なのでちょっと気になりました。
上月城の陣城群の調査をすれば三木城や鳥取城みたいに陣城とセットで国の史跡に指定されるのかもしれない。
観て下さりありがとうございます!周りとの関連でいけば十分素晴らしい遺構だと思います。特に仁位山城は素晴らしいです!
上月城には祭祀等のため定期的に何十回と登山していますが、空からの視点はこれまでに無い視点で多くのことに気が付かされました。コロナ禍で今年の帰省は絶望的ですので、その点でも嬉しく思います。実は、地元民にとっては知名度とは裏腹に、所詮余所者同士の争いである第2次攻城戦(尼子VS毛利)より、在地勢が外来勢力に殲滅された第1次攻城戦(赤松VS織田)の方が思い入れが強かったりします(苦笑)。第1次攻城戦を考慮に入れるなら、円光寺・下秋里側から上月城への飛行画像を含めてもよかったかもしれません。ない物ねだりを申しましたが、楽しく視聴させて頂きました(ぺこり)。
見て下さりありがとうございます。地元の方は第一次の思い入れが強かったのですね。第二次の思い入れへの話を近隣に住まれる方から伺ったのもありましたのと高倉山の描写を撮りたかったのでそちらをメインにしてしまい、失礼致しました。参考は地元の資料館で販売されている「上月合戦」を参照致しました。また近くの山城を訪れる機会の際に第一次の内容も調べて見ようと思います。このような感じで淡々と様々な山城を西日本中心に紹介していきますのでよかったらまた見に来てください。ありがとうございました。
なお、本企画に上月城を取り上げてくださって下さったことだけでも心より感謝いたしておりますので、くれぐれもご無理のありませんよう(ぺこり)。
お返事遅くなり大変すみません。赤松氏を今でも讃えるエピソードがあるのですね。大変貴重なお話ありがとうございます。各地を回って感じるのは、決して一概に言えませんが、「初代城主、はいまでもその地域のヒーロー」というものです。上月城でもそうだったんですね。また別の機会に考察してみます。ありがとうございます。
また私の故郷佐用をとりあげてくださりありがとうございます!上月城は有名ですが、想像以上にちっちゃいお城で、3万人も動員する必要はどう考えてもなく、別の意図があったのは明らかですね。これが逆に空撮するには持って来いのサイズだと思います。これからの季節、隣町の宍粟市山崎町の最上山(さいじょうさん)城なんかは紅葉の名所ですから、よろしければついでにどうぞ。
観て下さりありがとうございます!利神城に続いて、になりますよね!tanabeさんが言われる通り、とても小さい山城ですが、登りも急で曲輪などコンパクトまとめている感じがしました。3万をここに集結させて、というのは本当にそうですよね。上月城を落とすだけの目的だけではなく、これは私の勝手な予想ですが、「ここから先(毛利が守ってきたエリア)は絶対に行かせない」という意思の誇示を織田に示したのかなという気もします(三木城の反旗も毛利が色々動いているので)。最上山城、調べてみました。紅葉が綺麗なんですね!しばらくは兵庫は行けそうにないですが、また来年あたりで計画します!
上月城は2、3回登ったことが有りますが、仁位山城はまだ行ったことが無いので行ってみたいです😆空撮で説明付きで見ると当時の様子が想像できます😊他も見よっと😁
観て下さってありがとうございます。上月城は行かれた事、あるんですね。仁位山城は車で主郭近くまで行けますのでお勧めです。是非いかれてみて下さい!
いつも思うんですが、良く言われを調べてます。感心します!高倉山城に続く山の稜線が、屏風のように見えて、美しいですね(*^^*)
ありがとうございます!今回のは、案内してくださった方の知見と、上月城の歴史をまとめた図録のおかげです(笑)高倉山城が仁位山城より微妙に比高があるのがまた素晴らしいなと思いました。高いがゆえに、戦いの全容を知って、驚愕したのかもしれないですね。
空から見たら本当にただの山ですね。😅でも、空から見ることで敵味方の位置関係が見え、かつ説明によって合戦の様子がリアルに頭に浮かびます。ただの山と言いましたが空堀群が残され、兵士の像もリアルに見えて戦場にタイムスリップしたかのような感覚になります。5分半の中に山城の説明と合戦の様子を盛り込む力技も凄いですね。労作お疲れ様でした。それにしても仕事が早いなあ。いろいろと勉強になりました。(笑)
観て下さりありがとうございます!当日、私を案内してくださった方が居られるのですが、様々沿革を教えてくださって感謝しかないんです。山しか映らないのですが、その視点そのものが観たい、という言葉にハッと気づかされました。植松さんの長篠の戦いに通じるのですが、どうしても馬防柵があって鉄砲があってのイメージが長篠の戦は普通にあるのですがそもそもは陣取り合戦なので、大なり小なり城(城跡)があっての戦いなんですよね。それを広大なスケール、情報にもかかわらず作られた植松さんはほんと凄いんです。簡単にまとめたように感じられるかもしれませんが、実のところ細かい情報がいっぱいあっても、大きいとこではこのくらいしかないんです…これが長篠だったり小牧長久手だったりと大きい戦、情報量になったら自分でもやり切れるか…というか投げてしまうと思います。いずれにしても、今回の経験は私も相当貴重な物になりました。城ファンでは有名でもあまり世間的に知られてない合戦ものも今後撮ってみようと思います。
@@horikiri 様 世間的に知られてない合戦もの、夢が膨らみますね。期待しています。城跡や古戦場のやる気はあるのですが、如何せん許可が降りない。(泣)桶狭間の戦いの場はどうだろうかと思ったら町でした。(笑) 関ヶ原はスケールが大きすぎて情報量も半端ないので難しそう。😅当面は撮影が許可されている高天神城を合戦の視点から再度撮影してみようかなと思っています。
プチ大河を観てる様な映像!楽しめました。空撮と説明のおかげで戦いの様子や武将達の思いや台詞の想像が止まりませんでしたw
ありがとうございます!今回は同行してくださった方や、現地の図録などで本当に資料助かりました…いずれ九州の合戦(耳川など)もやってみたいなと思います。
その攻防や流れが、地形と相まって凄くわかりやすいです。今でこそこうやって空撮や衛星写真などで地形が分かり成程となりますが、当時まるで俯瞰で地形が分かっているような布陣や采配をする3D能力みたいなものは凄いですね。そして考察の楽しさ、も解る気がします。妄想では無く色々当たっているところもあるんじゃないかと思います。あと…人形の一人がM16のようなアサルトライフルを持っているのが気になりました…(笑)
観て下さりありがとうございます。そう仰って頂いて大変恐縮です。エスダブさんが言われる通り、この俯瞰視点を持っていたかのような能力は間違いなく長けていたと思います。もしくは現地を知る人を雇って情報を収集していたのかもしれません。書いた考察は、当日案内をして下さった方が詳細を教えてくださいましたので自分の考察というわけではないです(笑)でも全く納得できるものでした。ただ「書面」「記録」といった物的証拠がないので、状況判断に過ぎないという結論です。でも、楽しいですよね。近年研究が進みまくって、種子島で鉄砲が渡来してから、すぐに種子島で今でいう工場ができ、種子島に各地から「留学」させ、持ち帰って京都や近江でフルライン製造が始まった事もわかって、「長篠の戦で鉄砲の強さが証明された」といった、私が数十年前に小学校だったか習ったことも随分変わってしまったようですwエスダブさん、かかしが持っていた銃、まさにそうです!よく気づかれましたね!地元の保存会の方が設置された(M16Aライフルのエアーガンでした)と思われますが、この場所で撃てば一網打尽だぞ、という表現がまさに的確だったので嬉しかったです。城跡はこんな形で地元の方の整備保存で守られているので、感謝という思いばかりです。
お疲れ様です。いつもながら詳しい解説に時間のたつのを忘れそうですねそれに最近は 遠征?が多いですね 交通費が・・・老いるとそんな事ばっかり心配しています。(笑)
ありがとうございます!さすがにお金というより、仕事がだんだん忙しくなってきましたので、しばらくは遠方もなく更新も滞ると思います。Goto使ってなかったら多分行ってないですよw
戦国時代好きの私としては上月城は興味深いところですね。毛利軍が尼子軍を包囲して楽勝かと思いきや、秀吉軍の出現でどうなる?となりますが、途中秀吉軍が撤退したところで毛利軍の勝利が決まった戦。尼子軍はそこで命運尽きたと感じたでしょう…戦国ならではの厳しさが垣間見えますね(>_
いつもありがとうございます!フォロワーさんも書かれていましたが、毛利軍の3万というのは、決して上月を落とすためだけの軍勢じゃないような気がします。記録によると毛利軍は上月城に大筒(大型の火縄)を打ち込んだりもありますが基本は直接攻撃ではなく、ほら貝などで挑発を常に繰り返していたそうです。援軍も目で見て立たれてしまったうえで、こういった「攻撃」は、心、折れますよね…
投稿お疲れ様です!コメント遅れましたが…上月城は尼子再興軍が滅んでしまったところで悲しいです…
いつもありがとうございます!ここに至るまで何回も再起した最後なので悲しいですよね…いずれ、山陰で尼子再興軍関連も撮ろうと思います!
上月城攻防戦がすごく分かりやすく説明されていて素晴らしいです。
観てくださりありがとうございます!
現地で歴史研究に携わる方にお話を伺いながら撮影した作品で自分の中でも分岐点になった思い出のものです。
合戦シリーズ、これからも定期的に続けていこうと思っています。
ちなみに西日本の場所で気になる合戦、ございますか?今候補をいくつか立ててる次第です(笑)
堀切さん、空撮は普段見ない視点で城跡を見られるので新鮮です♪
西日本の合戦場ですが、
太閤が原〜鳥取城〜海岸線(地名忘れました)一帯の空撮を入れて、鳥取城攻防戦い。
厳島合戦(包ケ浦〜博打尾〜陶本陣への進撃ルート)。
などいかがでしょうか?
↑
堀切さんが既に手掛けられているかどうかの確認もしないで申し訳ありませんが提案させていただきました。
(今、船釣り出船移動中なので)
堀切さん、空撮は普段見ない視点で城跡を見られるので新鮮です♪
西日本の合戦場ですが、
太閤が原〜鳥取城〜海岸線(地名忘れました)一帯の空撮を入れて、鳥取城攻防戦い。
厳島合戦(包ケ浦〜博打尾〜陶本陣への進撃ルート)。
などいかがでしょうか?
↑
堀切さんが既に手掛けられているかどうか十分に確認もしないで申し訳ありませんが提案させていただきました。
ちなみに、コロナ巣ごもり対策で本年4月から私もユーチューブに城動画(主にスライドショー)をアップし始めました。
まだ慣れてないので試行錯誤ですが、ご覧いただければ幸いですm(__)m
「山城おじさんの城郭探訪」です。
《先の返信は、船釣りに行ってて船中で送ったので上手く送れてなかったようです。再送です。》
@@yumedonoutata 書き込みありがとうございます。
鳥取城攻防戦、というよりかは、太閤ケ平の様々な遺構群、補給ラインであった大崎城の立地と個別で撮りたい、と考えていました。
厳島は実のところ計画してる所ではありますが、岩国米軍基地との距離の兼ね合いでもしかしたら肝心な空描写ができないかもしれないです。様々案を考えていこうと思います。
今後楽しみにしていてください。
上月城の攻防は、毛利や尼子が来る前の赤松政範による攻防から話さないと全体の流れが見え難いのではないでしょうか。
観て下さりありがとうございました。
確かにアカマツ様が言われる通り、その前の赤松氏の攻防から語るという所が筋なのかもしれないですが、仁位山城の遺構の事を触れたい関係もあり、また最初からに触れると情報が膨大な量にもなり考えました。私が作るチャンネルは、城跡の紹介が中心で、それも、今残っている形を映像化するという主旨でやっていて、他の事象はなるべく情報を割愛して掲載したいという主旨で初期からやっています。
もっとも仰られることはもっともなんです。ですが今回はこのような形で作らせて頂きました。
むしろ、その初期からの内容の動画を、作っていただけないでしょうか。
@@horikiri なるほど、初めからそういう主旨でやっておられるのですね。途中から拝見して言いたい事を言って失礼しました。ただ、上月城跡の山頂にある石碑は赤松政範の碑なのでちょっと気になりました。
上月城の陣城群の調査をすれば三木城や鳥取城みたいに陣城とセットで国の史跡に指定されるのかもしれない。
観て下さりありがとうございます!
周りとの関連でいけば十分素晴らしい遺構だと思います。
特に仁位山城は素晴らしいです!
上月城には祭祀等のため定期的に何十回と登山していますが、空からの視点はこれまでに無い視点で多くのことに気が付かされました。コロナ禍で今年の帰省は絶望的ですので、その点でも嬉しく思います。実は、地元民にとっては知名度とは裏腹に、所詮余所者同士の争いである第2次攻城戦(尼子VS毛利)より、在地勢が外来勢力に殲滅された第1次攻城戦(赤松VS織田)の方が思い入れが強かったりします(苦笑)。第1次攻城戦を考慮に入れるなら、円光寺・下秋里側から上月城への飛行画像を含めてもよかったかもしれません。ない物ねだりを申しましたが、楽しく視聴させて頂きました(ぺこり)。
見て下さりありがとうございます。
地元の方は第一次の思い入れが強かったのですね。第二次の思い入れへの話を近隣に住まれる方から伺ったのもありましたのと高倉山の描写を撮りたかったのでそちらをメインにしてしまい、失礼致しました。
参考は地元の資料館で販売されている「上月合戦」を参照致しました。また近くの山城を訪れる機会の際に第一次の内容も調べて見ようと思います。このような感じで淡々と様々な山城を西日本中心に紹介していきますのでよかったらまた見に来てください。ありがとうございました。
なお、本企画に上月城を取り上げてくださって下さったことだけでも心より感謝いたしておりますので、くれぐれもご無理のありませんよう(ぺこり)。
お返事遅くなり大変すみません。赤松氏を今でも讃えるエピソードがあるのですね。大変貴重なお話ありがとうございます。各地を回って感じるのは、決して一概に言えませんが、「初代城主、はいまでもその地域のヒーロー」というものです。上月城でもそうだったんですね。
また別の機会に考察してみます。ありがとうございます。
また私の故郷佐用をとりあげてくださりありがとうございます!
上月城は有名ですが、想像以上にちっちゃいお城で、3万人も動員する必要はどう考えてもなく、別の意図があったのは明らかですね。
これが逆に空撮するには持って来いのサイズだと思います。
これからの季節、隣町の宍粟市山崎町の最上山(さいじょうさん)城なんかは紅葉の名所ですから、よろしければついでにどうぞ。
観て下さりありがとうございます!
利神城に続いて、になりますよね!
tanabeさんが言われる通り、とても小さい山城ですが、登りも急で曲輪などコンパクトまとめている感じがしました。
3万をここに集結させて、というのは本当にそうですよね。上月城を落とすだけの目的だけではなく、これは私の勝手な予想ですが、「ここから先(毛利が守ってきたエリア)は絶対に行かせない」という意思の誇示を織田に示したのかなという気もします(三木城の反旗も毛利が色々動いているので)。
最上山城、調べてみました。紅葉が綺麗なんですね!
しばらくは兵庫は行けそうにないですが、また来年あたりで計画します!
上月城は2、3回登ったことが有りますが、仁位山城はまだ行ったことが無いので行ってみたいです😆
空撮で説明付きで見ると当時の様子が想像できます😊他も見よっと😁
観て下さってありがとうございます。
上月城は行かれた事、あるんですね。
仁位山城は車で主郭近くまで行けますのでお勧めです。
是非いかれてみて下さい!
いつも思うんですが、良く言われを調べてます。感心します!高倉山城に続く山の稜線が、屏風のように見えて、美しいですね(*^^*)
ありがとうございます!今回のは、案内してくださった方の知見と、上月城の歴史をまとめた図録のおかげです(笑)
高倉山城が仁位山城より微妙に比高があるのがまた素晴らしいなと思いました。高いがゆえに、戦いの全容を知って、驚愕したのかもしれないですね。
空から見たら本当にただの山ですね。😅でも、空から見ることで敵味方の位置関係が見え、かつ説明によって合戦の様子がリアルに頭に浮かびます。ただの山と言いましたが空堀群が残され、兵士の像もリアルに見えて戦場にタイムスリップしたかのような感覚になります。5分半の中に山城の説明と合戦の様子を盛り込む力技も凄いですね。労作お疲れ様でした。それにしても仕事が早いなあ。いろいろと勉強になりました。(笑)
観て下さりありがとうございます!
当日、私を案内してくださった方が居られるのですが、様々沿革を教えてくださって感謝しかないんです。
山しか映らないのですが、その視点そのものが観たい、という言葉にハッと気づかされました。
植松さんの長篠の戦いに通じるのですが、どうしても馬防柵があって鉄砲があってのイメージが長篠の戦は普通にあるのですがそもそもは陣取り合戦なので、大なり小なり城(城跡)があっての戦いなんですよね。それを広大なスケール、情報にもかかわらず作られた植松さんはほんと凄いんです。
簡単にまとめたように感じられるかもしれませんが、実のところ細かい情報がいっぱいあっても、大きいとこではこのくらいしかないんです…これが長篠だったり小牧長久手だったりと大きい戦、情報量になったら自分でもやり切れるか…というか投げてしまうと思います。
いずれにしても、今回の経験は私も相当貴重な物になりました。城ファンでは有名でもあまり世間的に知られてない合戦ものも今後撮ってみようと思います。
@@horikiri 様 世間的に知られてない合戦もの、夢が膨らみますね。期待しています。城跡や古戦場のやる気はあるのですが、如何せん許可が降りない。(泣)桶狭間の戦いの場はどうだろうかと思ったら町でした。(笑) 関ヶ原はスケールが大きすぎて情報量も半端ないので難しそう。😅当面は撮影が許可されている高天神城を合戦の視点から再度撮影してみようかなと思っています。
プチ大河を観てる様な映像!楽しめました。空撮と説明のおかげで戦いの様子や武将達の思いや台詞の想像が止まりませんでしたw
ありがとうございます!
今回は同行してくださった方や、現地の図録などで本当に資料助かりました…いずれ九州の合戦(耳川など)もやってみたいなと思います。
その攻防や流れが、地形と相まって凄くわかりやすいです。
今でこそこうやって空撮や衛星写真などで地形が分かり成程となりますが、当時まるで俯瞰で地形が分かっているような布陣や采配をする3D能力みたいなものは凄いですね。
そして考察の楽しさ、も解る気がします。妄想では無く色々当たっているところもあるんじゃないかと思います。
あと…人形の一人がM16のようなアサルトライフルを持っているのが気になりました…(笑)
観て下さりありがとうございます。そう仰って頂いて大変恐縮です。エスダブさんが言われる通り、この俯瞰視点を持っていたかのような能力は間違いなく長けていたと思います。もしくは現地を知る人を雇って情報を収集していたのかもしれません。
書いた考察は、当日案内をして下さった方が詳細を教えてくださいましたので自分の考察というわけではないです(笑)でも全く納得できるものでした。ただ「書面」「記録」といった物的証拠がないので、状況判断に過ぎないという結論です。でも、楽しいですよね。
近年研究が進みまくって、種子島で鉄砲が渡来してから、すぐに種子島で今でいう工場ができ、種子島に各地から「留学」させ、持ち帰って京都や近江でフルライン製造が始まった事もわかって、「長篠の戦で鉄砲の強さが証明された」といった、私が数十年前に小学校だったか習ったことも随分変わってしまったようですw
エスダブさん、かかしが持っていた銃、まさにそうです!よく気づかれましたね!地元の保存会の方が設置された(M16Aライフルのエアーガンでした)と思われますが、この場所で撃てば一網打尽だぞ、という表現がまさに的確だったので嬉しかったです。城跡はこんな形で地元の方の整備保存で守られているので、感謝という思いばかりです。
お疲れ様です。いつもながら詳しい解説に時間のたつのを忘れそうですね
それに最近は 遠征?が多いですね 交通費が・・・老いるとそんな事ばっかり心配しています。(笑)
ありがとうございます!
さすがにお金というより、仕事がだんだん忙しくなってきましたので、しばらくは遠方もなく更新も滞ると思います。
Goto使ってなかったら多分行ってないですよw
戦国時代好きの私としては上月城は興味深いところですね。
毛利軍が尼子軍を包囲して楽勝かと思いきや、秀吉軍の出現でどうなる?となりますが、途中秀吉軍が撤退したところで毛利軍の勝利が決まった戦。
尼子軍はそこで命運尽きたと感じたでしょう…戦国ならではの厳しさが垣間見えますね(>_
いつもありがとうございます!
フォロワーさんも書かれていましたが、毛利軍の3万というのは、決して上月を落とすためだけの軍勢じゃないような気がします。記録によると毛利軍は上月城に大筒(大型の火縄)を打ち込んだりもありますが基本は直接攻撃ではなく、ほら貝などで挑発を常に繰り返していたそうです。援軍も目で見て立たれてしまったうえで、こういった「攻撃」は、心、折れますよね…
投稿お疲れ様です!
コメント遅れましたが…
上月城は尼子再興軍が滅んでしまったところで悲しいです…
いつもありがとうございます!
ここに至るまで何回も再起した最後なので悲しいですよね…いずれ、山陰で尼子再興軍関連も撮ろうと思います!