Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
投げた!打った!火消しの曹洪、六回をピシャリニッカン洛陽6月5日(日)12:15配信 董卓13-4反董(4日・長安) ルーキーの躍動に洛陽が沸いた。首位を走る董卓軍に挑んだ反董卓連合軍のルーキー右腕が、董卓軍の強力打線を翻弄。六回無失点の堂々のピッチングを披露した。 長安ドームで行われた董卓軍との三連戦、大事な初戦を任されたのは二年目ながらも開幕カードから負け無しの三勝を挙げている曹操だった。 意気揚々とマウンドに立った曹操だったが、ヒットと四球でランナーを出すと、いきなり三番徐栄にバックスクリーンに直撃する特大の先制3ランを浴びる。 明らかに動揺した曹操は更に制球を乱し、結局ひとつのアウトも取れないままピンチを招くと、打球を足に受けて無念の負傷降板。この異常事態に浮足立つベンチの中で、ただ一人冷静だったのが、ルーキーで曹操の従弟の曹洪だった。 曹操が最初に四球を与えた時からブルペンで投球練習を始めていたという曹洪はこの窮地に志願しての緊急登板。気迫のピッチングで無死満塁のピンチを切り抜けた。 その後は緩急織り交ぜた粘りの投球でランナーを出しながらも六回まで無失点のロングリリーフ。五回に回ってきた満塁のチャンスでは同点に追いつく走者一掃の適時二塁打を放って曹操の負けを消すなど攻守に大活躍だった。 試合は終盤に後続が打ち込まれ、反董卓連合軍の大敗という結果に終わったが、大仕事をやってのけた曹洪の表情は明るかった。 反董連の袁紹監督は「あの場面で志願できるというのはね。なかなか(出来ないこと)でしょうね」と関心しきりだった。 試合後の取材では初回の交代志願について「僕が滅多打ちにされたとしても、従兄さんが負けるよりはいいかなって」とおどけ、足を負傷した曹操を背負ってベンチから引き上げる余裕まで見せた曹洪。 若武者の躍動に、チームには明日以降の奮起を促したい。 曹洪(字・子廉) 豫州沛国譙県出身、ドラフト3位、右投げ右打ち。
この曹操が一球団の監督になり、幹部になった曹洪は、プライベートでの不祥事を繰り返して……ってところまで見えた(ぇ
えー、劉備さんの解説も伺いたいところですが!
因みに、ルーキーの語源はチェスの駒のルークから来てます。
いつの間にかフェードアウトしてたから、思ったより長生きしてて驚き。あと、死罪免れた後の助けてくれてありがとうは確かに小物っぽくてちょっと笑った。
演義での潼関の戦いのときに馬超軍からの挑発にのってしまい城を出てしまい打ち破られ駆けつけた徐晃と合流は出来たものの城が落とされてしまい敗走した時に曹操から死罪を申し付けられたことがあった。その後すぐ馬超に追われていた曹操を助け馬超を退けた功績で取り消しとなったが。更に援軍に曹洪と徐晃を向かわせる話になった時に曹仁から弟は短気なとこがあるから将は変えるべきと曹操に打診されていたが徐晃がいるから大丈夫だろうと却下されていた。その話が本当かどうかはわからんが曹洪の性格は正史も演義も大して変わらんという事やったみたいやな。
【曹洪の唯一の強味は、最前線で槍働きをした事にありました】腕っ節は強かったと想われます。でも、人にはケチで自分は贅沢し、不摂生が祟って働けなくなり、若い頃の様な戦功を上げられてなくなったのでしょう。対して、曹真は太っ腹な性格で動けるデブでした。夏侯惇・夏侯淵・曹仁は、将兵との信頼関係があり、大将(司令官)として采配を執る事が出来ましたが、ドケチ曹洪は最前線で引っ張らなければ、将兵が付いて来なかったと想われます。河南尹の夏侯惇には河東太守として杜畿が、漢中都督の夏侯淵には副将として張郃が、樊城の曹仁にはあの満寵が付いていました。敢えて日本の例を出しますが、腕っ節が強くなくても将兵達との信頼関係を築き後方にありながらも変幻自在に采配を振るった黒田官兵衛と、最前線に出て槍働きをしなければ将兵達が付いてこなかった性格に難のある黒田長政の違いを見れば、理解しやすいと思います。最前線で働く武将としては有能でも、軍勢を指揮する大将に向かない人物もいるのです。武都において、実質の大将が曹休であり、軍師に辛毗がついていたという事は、曹洪が大将として不適格であった証明。特に辛毗は曹洪にとっては天敵と言える漢、その執念深さは天下一品。陳羣でさえ批判するし、司馬懿ですら首を垂れる人物でした。無論、曹洪が言い返せる訳がありません。武都に来ていた楊阜でさえ、曹洪を窘めている有様です。この時には、曹洪の求心力は低下していたと言って良いでしょう。曹丕の周りには新進気鋭の曹家の両大将である曹真・曹休がいましたし、曹操の親族である夏侯家からも夏侯尚が出ていました。曹仁には曹泰という息子がいて、現場で実戦経験を積んでいます。曹丕は、身内であっても特別扱いはしません。徹底した実力主義で『昔の名前で出ています』というのは許さないのです。力の源である部曲を解体されて武力の衰えた曹洪と無名無能な息子に相続を認める程、曹丕は甘くありません。曹洪名跡は廃止、公職からも追放されています。その禁が解かれるのは、曹丕が急死した後の事。曹叡即位で人事が混乱している中、曹洪を復帰させたのは衛尉となっていた董昭。衛尉は皇帝の盾と称される官職で、発言力も強いのです。董昭と曹洪は親しい仲で、曹操が鄴にいた時からの長い付き合い。諸葛亮による第一次北伐後、曹叡自身が指導力を発揮する様になり、董昭は衛尉の地位を降ろされて辛毗が就任します。「蛇に睨まれた蛙」もはや、曹洪に活躍の場などありませんでした。曹叡の信任厚い河南尹の司馬芝により、曹洪・董昭の親族が絡んだ事件で糾弾されています。もう一つ、曹丕が曹洪を嫌った理由が、曹洪自身は財貨を蓄えておきながら、蝗害で飢饉に陥った農民への施しに集めた東阿の食糧を強奪し、城を降す為にばら撒いた事にあります。これが、曹洪のドケチ伝説の真相。曹操に一度背いた者達を帰順させるというもので、地元の酷吏と結託して農民から搾取し農地を接収してきた豪族達を存続させ、飢えた民を殺す愚策の何物でもありませんでした。城を得た代わりに、曹操は兗州においての名声と民心を失ったのです。夏侯惇・夏侯淵・曹仁は、身を切って飢えた者を救おうとしています。この時の東阿県令は屯田制(民屯)の建議をする棗祇であり、東阿で共に戦っていたのは程昱でした。程昱は夏侯惇と共に曹丕の後見人を務めており、曹魏朝の初代衛尉になっています。そういった経緯から、曹洪は程昱にも嫌われていました。曹丕が皇帝に即位すると、引退していた程昱の復帰を熱望し、衛尉として復職したのです。中央に召還されていた曹洪は、背筋が凍った事でしょう。
とても分かりやすく面白かったです今回ので夏侯惇がとても気になりました 出来れば解説して欲しいです
リクエストありがとうございます!
@@KOUMEI_NO_WANADA 黄忠もお願いいたします┏○ペコッ
曹操の時代には「困ったときには曹洪」みたいな感じだったのかも。初期の三国志作品に比べるとかなり評価は上がってます(某メーカーの初代三国志だと武力48・知力29って)がもっと評価されても良い将と思います
グラフィックはバッチバチの名将感が出てますよね(゜ω゜)
強欲なまでに蓄財してたり、助けてくれてありがとうの手紙といい、クソが付くほどの真面目だったのかもですね。曹丕にお金貸さなかったのもそう言った真面目発動してたり。あんた後継なんだから自分で何とかしなさい的な。張飛は実のところ良いところの出なので横山キャラじゃなく美丈夫で優等生な人物だと勝手に思ってます。
でも曹洪くん、取り巻きもグルで犯罪とかバンバンしてるし、曹真の面目を平気で潰したりするし、普通に育ちが悪いんじゃ……(笑)張飛のやつは、三国志平話の内容でしたっけ?史実では張飛の出自の詳しい話はなかったはずなので(゜ω゜)
試験に出る三国志さん 曹洪ーッ やりたい放題かよ(笑)これは確定でやな奴かそうです。ただそれだと張飛はヒゲモジャ筋肉もりもり設定… なぜそうなったんだ!趙雲はどこでもイケメンにされてるのに(横山ドカベン以外)
反董卓連合ってことは旗揚げ以来の家臣だから曹操軍の古参中の古参なんだよなあ。こうしてみると曹操はこういう名臣に支えられながら幾度もピンチを乗り越えてきたのが経験値になって袁紹との能力差につながったのかもしれへんな。曹操って軍事はできても政治力は後天的に身に着けたってところは銀英伝のラインハルトが結構当てはまるンゴね(ここでラインハルト暗殺未遂犯のキュンメル男爵は曹操のファンって設定だったのを思い出した)ところで蒼天航路の曹洪はキリッとしててかっこよかったのでわいは結構好き。
わっちの蒼天航路の推しは、程昱おじいちゃん
@@KOUMEI_NO_WANADA わいの押しは董卓様一択。なお作中のヒロインは惇兄だと思ってる。
逆に曹仁は、官渡で覚醒するまではボンクラですねw劉辟とか劉備にヘボ将扱いされるくらいに。
初期メンバーの1人、曹純の解説をお願いします。曹仁、曹洪よりも影が薄いけど。
激しく同意です
コーエーには曹洪に親を頃されたスタッフがいるに違いない。それはともかく、三国志三大白馬将軍の一人でもあります。(あとの二人は公孫瓚と龐徳)
白馬の王子様も真っ青(ぇ
曹洪は「天下に曹洪はどーでもいい、しかし曹操はいねーわけにはいかない」とか短気とか金持ちかつドケチとか、曹洪はやなやつだけど、割とうまく生きたかも謝罪文も素晴らしいしなしかし某漫画では荀彧が曹操に進言しようとしたら曹洪が斬りかかろうとしたところを曹操に止められました(流石に曹操には逆らうわけにはいかんから引っ込んだが)
蒼天航路でも夏候淵に「あけすけに褒美褒美言うな いらん中傷を受けるぞ」と釘差されてましたね
曹丕は名士を優遇して政権を安定させようとしていたから曹洪など一族を冷遇し、曹叡は皇帝権力を強化しようとしていたから藩屏とするために一族への冷遇を改めたのではないだろうか。
陳羣の九品官人法なんか、それの象徴たるものですよね(゜ω゜)
どうしても「三国志三大ケチ」の筆頭という印象が捨てられません(あとの二人は司馬望と王戎)。ちなみに我が家には、「ケチの曹洪」と名付けた賽銭箱型の貯金箱があります。
入れたら最後、戻ってこなさそうな貯金箱(ォィ
曹洪(演:本木雅弘)
曹洪の息子の曹馥は西晋を守る為に必死に戦うも劉淵らによって殺害されたと言います。
魏の武将の中でもあんま知らない人だったので、とても興味深かったです(^^)
ありがとうございます(゜ω゜)
曹操が初期の兵を失ったあと、曹洪の財宝を使って兵を集めた。
「司馬懿軍師連盟」のドラマで出てきた曹洪は皇族になったことでますます俺がルールだとばかりに威張り散らすようになってて、自分も見てて久しぶりにガチで早く死んで欲しい気持ちが湧き上がった素晴らしい(?)悪役だったなぁ。まぁあのドラマは司馬懿が主人公である以上曹丕も善人ポジションに置かざるを得なかっただろうから仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんが。
曹洪には息子が2人います。長男の曹馥が後を継ぎましたが、劉淵と石勒のえいかの乱に巻き込まれて殺害された!
聞いてて、ジャイアンが頭に浮かんだわ
曹洪好きなので、嬉しいです。ありがとうございます(^o^)
曹洪の次は曹仁の可能性が高そうです
曹洪にはちゃんと曹操を守ったエピソードがあるのに、コーエーでの忠誠心は普通なのはおかしい気も。演義ですら、曹操に殺されかける話がありながら、その後に裏切ることもなく、むしろ彼を守ったのに。
演義で曹操に殺されかけたのは、自分の不注意もありますが^^;
官渡で留守を任せたのを見ると、曹操も、曹洪だけは絶対に裏切らないという確証があったはずですし、誰よりも忠義に篤いはずなんですよねぇ(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA コーエーは毎回、蜀以外のステータスについて突っ込まれてそうですね^^;蜀でも、能力が過小評価気味なのはいますが。劉禅とか陳式とか潘濬とか。
徐栄は曹操も孫堅も破っているし相当優秀よね、某ゲームでの統率とか90ぐらいあっても良いかも経歴もちょっと異色だしどこかで紹介、と思ったけど、あまり語ることはないかなあw
自分も是非、取り上げたいと思っている一人ですね(笑)
曹洪の話じゃなくてこっちの話題に飛び付くのもアレだけど、徐栄は当時のまだ戦力が無かった曹操はともかく一人で董卓を倒してしまう勢いだった孫堅に勝ったのはかなり評価していいかと他の董卓軍はボコボコにされて華雄は首だけになってますものね
俸禄が倍になるスキルを持ってるから、高位につけてはぁ?ってなった。俸禄320ってなんやねんそれ?性格が性格だから総大将には向いていないですね。その辺は曹操もシビアに判断していたと思う。後継者争いで苦労した分余計に皇族の力を削ごうとした曹丕。曹植なんて3年ごとに領地替えで完全に引っ越し貧乏。最後は領地は半分でいいから引っ越しは勘弁してと泣きつく始末。周 →諸侯に大きな領土を与えすぎたら諸侯が勝手に戦争し戦国時代に突入。秦 →太子・扶蘇、末子・胡亥、以外の皇族は庶民に落とされる。→陳勝呉広の乱で打つ手なし前漢→秦の失敗から皇族に力を与える → 呉楚七国の乱曹魏→皇族の力を削いで司馬氏の台頭を許す西晋→皇族に膨大な力を与える →八王の乱で大混乱、司馬昭系の皇族は絶滅し、河北中原を失う。東晋→唯一生き残った司馬睿が江南で再建するも皇族の助けなく王導・桓温が台頭(孫呉の頃から在地豪族が強いから仕方がないが)。そう考えると、曹丕の施策は歴史の揺り戻しの一つなのかもしれません。
助けてくれて本当にありがとうw憎らしくて可愛いやつっていますよね(´・∀・)自分は苦手なタイプですが。
友達の友達くらいが一番丁度良いタイプ(笑)
私は、この動画を見るまでは、曹丕長生きしていたら、曹洪いびり殺されていたかなと思っていましたが、ポーズだったかもしれなかったですね。戦歴は悪くないですが、人間的に問題があったから、曹丕に付け込まれたんですね。
功臣ですし殺しはしないとは思いますが、曹植のように惨めに絞り尽くされていたのではないかとは思いますね……(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 言葉が不足してました。嫁いびりの姑みたいに曹洪が顔を出したときに曹丕が馬超に負けた事等を言い、その場に居ずらくして、笑い者にしそうでした。曹植は、詩の才能以外は、からっきしですので。
馬良教えて下さい!
そーこー、そーこー、そこそこ、そーこー
我が儘や横暴は愛せるけど金に汚いのは嫌だなぁ
この曹洪と于禁には共通点がある。長年曹操に仕え功績をあげてきたが、晩年に失墜したことである。それでも魏への帰国後に曹操の墓参りで辱められ憂悶のうちに亡くなった于禁に比べたら大分ましな生涯だったろう。それにしても、釈放された時の以下の上書文は情けない。「(前略)私の罪は三千近くにのぼり、到底お許しを賜る範囲ではございません。処刑され、市にさらされても当然なのに、天恩をこうむり、肉体は生き返ることになりました。私は太陽を仰ぎ見ては、神霊に背いたことを恥じ、うつむいては犯した過失を考え慚愧に震えおののいております。首をくくって自分で始末をつけられず、宮門に拝伏し、捧げ文を奉って心情を陳(の)べる次第でございます」どこまで胡麻をすれば気が済んだのだろう。
こんなジャイアンみたいな奴に逆らえないから曹真も庇ったんじゃないかなぁ
ここで曹洪を殺せば、自分がそれを望んだと周囲に思われかねないからやめてくれって感じで曹丕に訴えてますね。
試験に出る三国志 なんか現代で言うところのイジメみたいな感じだったんですかねちゃんと曹洪の性格を加味して考えているあたり、曹操の人を見る目は流石と言わざるを得ないですね
横山三國志の神秘・骨格整形の享受者(被害者)のうちの一人
確かに、初期は孫策みたいだったあとはすっかり変わって誰やになった
曹操曹丕は自分のこと曹家の人間ってあんまり思ってなかったのかもね。曹叡くらいになればもう関係ないしね。しっかし、正史でケチとかデブとか曹家の人は報われないな笑
久しぶりに「かこうじゅん」って聞きましたね。最近は「とん」ばっかりなんで・・所詮日本語読みだからどっちでもいいとは思うんですけど、なんで一般的に孫乾を「そんけん」って呼ぶんですかね・・?「かん」で呼ぶ方が分かりやすいハズなのに・・
曹丕が悪い
いつまでもハッキリと後継者を定めず、本心は曹植に譲りたかったであろう態度が見え隠れしてる曹操のせいで冷酷にならざるを得なかったとも……なんて(笑)
投げた!打った!火消しの曹洪、六回をピシャリ
ニッカン洛陽
6月5日(日)12:15配信
董卓13-4反董(4日・長安)
ルーキーの躍動に洛陽が沸いた。首位を走る董卓軍に挑んだ反董卓連合軍のルーキー右腕が、董卓軍の強力打線を翻弄。六回無失点の堂々のピッチングを披露した。
長安ドームで行われた董卓軍との三連戦、大事な初戦を任されたのは二年目ながらも開幕カードから負け無しの三勝を挙げている曹操だった。
意気揚々とマウンドに立った曹操だったが、ヒットと四球でランナーを出すと、いきなり三番徐栄にバックスクリーンに直撃する特大の先制3ランを浴びる。
明らかに動揺した曹操は更に制球を乱し、結局ひとつのアウトも取れないままピンチを招くと、打球を足に受けて無念の負傷降板。この異常事態に浮足立つベンチの中で、ただ一人冷静だったのが、ルーキーで曹操の従弟の曹洪だった。
曹操が最初に四球を与えた時からブルペンで投球練習を始めていたという曹洪はこの窮地に志願しての緊急登板。気迫のピッチングで無死満塁のピンチを切り抜けた。
その後は緩急織り交ぜた粘りの投球でランナーを出しながらも六回まで無失点のロングリリーフ。五回に回ってきた満塁のチャンスでは同点に追いつく走者一掃の適時二塁打を放って曹操の負けを消すなど攻守に大活躍だった。
試合は終盤に後続が打ち込まれ、反董卓連合軍の大敗という結果に終わったが、大仕事をやってのけた曹洪の表情は明るかった。
反董連の袁紹監督は「あの場面で志願できるというのはね。なかなか(出来ないこと)でしょうね」と関心しきりだった。
試合後の取材では初回の交代志願について「僕が滅多打ちにされたとしても、従兄さんが負けるよりはいいかなって」とおどけ、足を負傷した曹操を背負ってベンチから引き上げる余裕まで見せた曹洪。
若武者の躍動に、チームには明日以降の奮起を促したい。
曹洪(字・子廉)
豫州沛国譙県出身、ドラフト3位、右投げ右打ち。
この曹操が一球団の監督になり、幹部になった曹洪は、プライベートでの不祥事を繰り返して……ってところまで見えた(ぇ
えー、劉備さんの解説も伺いたいところですが!
因みに、ルーキーの語源はチェスの駒のルークから来てます。
いつの間にかフェードアウトしてたから、思ったより長生きしてて驚き。
あと、死罪免れた後の助けてくれてありがとうは確かに小物っぽくてちょっと笑った。
演義での潼関の戦いのときに馬超軍からの挑発にのってしまい城を出てしまい打ち破られ駆けつけた徐晃と合流は出来たものの城が落とされてしまい敗走した時に曹操から死罪を申し付けられたことがあった。その後すぐ馬超に追われていた曹操を助け馬超を退けた功績で取り消しとなったが。更に援軍に曹洪と徐晃を向かわせる話になった時に曹仁から弟は短気なとこがあるから将は変えるべきと曹操に打診されていたが徐晃がいるから大丈夫だろうと却下されていた。その話が本当かどうかはわからんが曹洪の性格は正史も演義も大して変わらんという事やったみたいやな。
【曹洪の唯一の強味は、最前線で槍働きをした事にありました】
腕っ節は強かったと想われます。でも、人にはケチで自分は贅沢し、不摂生が祟って働けなくなり、若い頃の様な戦功を上げられてなくなったのでしょう。対して、曹真は太っ腹な性格で動けるデブでした。
夏侯惇・夏侯淵・曹仁は、将兵との信頼関係があり、大将(司令官)として采配を執る事が出来ましたが、ドケチ曹洪は最前線で引っ張らなければ、将兵が付いて来なかったと想われます。河南尹の夏侯惇には河東太守として杜畿が、漢中都督の夏侯淵には副将として張郃が、樊城の曹仁にはあの満寵が付いていました。
敢えて日本の例を出しますが、腕っ節が強くなくても将兵達との信頼関係を築き後方にありながらも変幻自在に采配を振るった黒田官兵衛と、最前線に出て槍働きをしなければ将兵達が付いてこなかった性格に難のある黒田長政の違いを見れば、理解しやすいと思います。
最前線で働く武将としては有能でも、軍勢を指揮する大将に向かない人物もいるのです。武都において、実質の大将が曹休であり、軍師に辛毗がついていたという事は、曹洪が大将として不適格であった証明。特に辛毗は曹洪にとっては天敵と言える漢、その執念深さは天下一品。陳羣でさえ批判するし、司馬懿ですら首を垂れる人物でした。無論、曹洪が言い返せる訳がありません。武都に来ていた楊阜でさえ、曹洪を窘めている有様です。この時には、曹洪の求心力は低下していたと言って良いでしょう。
曹丕の周りには新進気鋭の曹家の両大将である曹真・曹休がいましたし、曹操の親族である夏侯家からも夏侯尚が出ていました。曹仁には曹泰という息子がいて、現場で実戦経験を積んでいます。曹丕は、身内であっても特別扱いはしません。徹底した実力主義で『昔の名前で出ています』というのは許さないのです。
力の源である部曲を解体されて武力の衰えた曹洪と無名無能な息子に相続を認める程、曹丕は甘くありません。曹洪名跡は廃止、公職からも追放されています。その禁が解かれるのは、曹丕が急死した後の事。曹叡即位で人事が混乱している中、曹洪を復帰させたのは衛尉となっていた董昭。
衛尉は皇帝の盾と称される官職で、発言力も強いのです。董昭と曹洪は親しい仲で、曹操が鄴にいた時からの長い付き合い。諸葛亮による第一次北伐後、曹叡自身が指導力を発揮する様になり、董昭は衛尉の地位を降ろされて辛毗が就任します。「蛇に睨まれた蛙」もはや、曹洪に活躍の場などありませんでした。
曹叡の信任厚い河南尹の司馬芝により、曹洪・董昭の親族が絡んだ事件で糾弾されています。
もう一つ、曹丕が曹洪を嫌った理由が、曹洪自身は財貨を蓄えておきながら、蝗害で飢饉に陥った農民への施しに集めた東阿の食糧を強奪し、城を降す為にばら撒いた事にあります。これが、曹洪のドケチ伝説の真相。
曹操に一度背いた者達を帰順させるというもので、地元の酷吏と結託して農民から搾取し農地を接収してきた豪族達を存続させ、飢えた民を殺す愚策の何物でもありませんでした。城を得た代わりに、曹操は兗州においての名声と民心を失ったのです。夏侯惇・夏侯淵・曹仁は、身を切って飢えた者を救おうとしています。
この時の東阿県令は屯田制(民屯)の建議をする棗祇であり、東阿で共に戦っていたのは程昱でした。程昱は夏侯惇と共に曹丕の後見人を務めており、曹魏朝の初代衛尉になっています。そういった経緯から、曹洪は程昱にも嫌われていました。
曹丕が皇帝に即位すると、引退していた程昱の復帰を熱望し、衛尉として復職したのです。中央に召還されていた曹洪は、背筋が凍った事でしょう。
とても分かりやすく面白かったです
今回ので夏侯惇がとても気になりました 出来れば解説して欲しいです
リクエストありがとうございます!
@@KOUMEI_NO_WANADA 黄忠もお願いいたします┏○ペコッ
曹操の時代には「困ったときには曹洪」みたいな感じだったのかも。初期の三国志作品に比べるとかなり評価は上がってます(某メーカーの初代三国志だと武力48・知力29って)がもっと評価されても良い将と思います
グラフィックはバッチバチの名将感が出てますよね(゜ω゜)
強欲なまでに蓄財してたり、助けてくれてありがとうの手紙といい、クソが付くほどの真面目だったのかもですね。曹丕にお金貸さなかったのもそう言った真面目発動してたり。あんた後継なんだから自分で何とかしなさい的な。
張飛は実のところ良いところの出なので横山キャラじゃなく美丈夫で優等生な人物だと勝手に思ってます。
でも曹洪くん、取り巻きもグルで犯罪とかバンバンしてるし、曹真の面目を平気で潰したりするし、普通に育ちが悪いんじゃ……(笑)
張飛のやつは、三国志平話の内容でしたっけ?
史実では張飛の出自の詳しい話はなかったはずなので(゜ω゜)
試験に出る三国志さん 曹洪ーッ やりたい放題かよ(笑)これは確定でやな奴か
そうです。ただそれだと張飛はヒゲモジャ筋肉もりもり設定… なぜそうなったんだ!趙雲はどこでもイケメンにされてるのに(横山ドカベン以外)
反董卓連合ってことは旗揚げ以来の家臣だから曹操軍の古参中の古参なんだよなあ。
こうしてみると曹操はこういう名臣に支えられながら幾度もピンチを乗り越えてきたのが経験値になって袁紹との能力差につながったのかもしれへんな。
曹操って軍事はできても政治力は後天的に身に着けたってところは銀英伝のラインハルトが結構当てはまるンゴね(ここでラインハルト暗殺未遂犯のキュンメル男爵は曹操のファンって設定だったのを思い出した)
ところで蒼天航路の曹洪はキリッとしててかっこよかったのでわいは結構好き。
わっちの蒼天航路の推しは、程昱おじいちゃん
@@KOUMEI_NO_WANADA わいの押しは董卓様一択。なお作中のヒロインは惇兄だと思ってる。
逆に曹仁は、官渡で覚醒するまではボンクラですねw
劉辟とか劉備にヘボ将扱いされるくらいに。
初期メンバーの1人、曹純の解説をお願いします。
曹仁、曹洪よりも影が薄いけど。
激しく同意です
コーエーには曹洪に親を頃されたスタッフがいるに違いない。
それはともかく、三国志三大白馬将軍の一人でもあります。(あとの二人は公孫瓚と龐徳)
白馬の王子様も真っ青(ぇ
曹洪は「天下に曹洪はどーでもいい、しかし曹操はいねーわけにはいかない」
とか短気とか金持ちかつドケチとか、曹洪はやなやつだけど、割とうまく生きたかも
謝罪文も素晴らしいしな
しかし某漫画では荀彧が曹操に進言しようとしたら曹洪が斬りかかろうとしたところを曹操に止められました(流石に曹操には逆らうわけにはいかんから引っ込んだが)
蒼天航路でも夏候淵に「あけすけに褒美褒美言うな いらん中傷を受けるぞ」と釘差されてましたね
曹丕は名士を優遇して政権を安定させようとしていたから曹洪など一族を冷遇し、曹叡は皇帝権力を強化しようとしていたから藩屏とするために一族への冷遇を改めたのではないだろうか。
陳羣の九品官人法なんか、それの象徴たるものですよね(゜ω゜)
どうしても「三国志三大ケチ」の筆頭という印象が捨てられません(あとの二人は司馬望と王戎)。ちなみに我が家には、「ケチの曹洪」と名付けた賽銭箱型の貯金箱があります。
入れたら最後、戻ってこなさそうな貯金箱(ォィ
曹洪(演:本木雅弘)
曹洪の息子の曹馥は西晋を守る為に必死に戦うも劉淵らによって殺害されたと言います。
魏の武将の中でもあんま知らない人だったので、とても興味深かったです(^^)
ありがとうございます(゜ω゜)
曹操が初期の兵を失ったあと、曹洪の財宝を使って兵を集めた。
「司馬懿軍師連盟」のドラマで出てきた曹洪は皇族になったことでますます俺がルールだとばかりに威張り散らすようになってて、自分も見てて久しぶりにガチで早く死んで欲しい気持ちが湧き上がった素晴らしい(?)悪役だったなぁ。
まぁあのドラマは司馬懿が主人公である以上曹丕も善人ポジションに置かざるを得なかっただろうから仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんが。
曹洪には息子が2人います。長男の曹馥が後を継ぎましたが、劉淵と石勒のえいかの乱に巻き込まれて殺害された!
聞いてて、ジャイアンが頭に浮かんだわ
曹洪好きなので、嬉しいです。
ありがとうございます(^o^)
曹洪の次は曹仁の可能性が高そうです
曹洪にはちゃんと曹操を守ったエピソードがあるのに、コーエーでの忠誠心は普通なのはおかしい気も。
演義ですら、曹操に殺されかける話がありながら、その後に裏切ることもなく、むしろ彼を守ったのに。
演義で曹操に殺されかけたのは、自分の不注意もありますが^^;
官渡で留守を任せたのを見ると、曹操も、曹洪だけは絶対に裏切らないという確証があったはずですし、誰よりも忠義に篤いはずなんですよねぇ(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA コーエーは毎回、蜀以外のステータスについて突っ込まれてそうですね^^;
蜀でも、能力が過小評価気味なのはいますが。劉禅とか陳式とか潘濬とか。
徐栄は曹操も孫堅も破っているし相当優秀よね、某ゲームでの統率とか90ぐらいあっても良いかも
経歴もちょっと異色だしどこかで紹介、と思ったけど、あまり語ることはないかなあw
自分も是非、取り上げたいと思っている一人ですね(笑)
曹洪の話じゃなくてこっちの話題に飛び付くのもアレだけど、徐栄は当時のまだ戦力が無かった曹操はともかく一人で董卓を倒してしまう勢いだった孫堅に勝ったのはかなり評価していいかと
他の董卓軍はボコボコにされて華雄は首だけになってますものね
俸禄が倍になるスキルを持ってるから、高位につけてはぁ?ってなった。俸禄320ってなんやねんそれ?
性格が性格だから総大将には向いていないですね。その辺は曹操もシビアに判断していたと思う。
後継者争いで苦労した分余計に皇族の力を削ごうとした曹丕。曹植なんて3年ごとに領地替えで完全に引っ越し貧乏。最後は領地は半分でいいから引っ越しは勘弁してと泣きつく始末。
周 →諸侯に大きな領土を与えすぎたら諸侯が勝手に戦争し戦国時代に突入。
秦 →太子・扶蘇、末子・胡亥、以外の皇族は庶民に落とされる。→陳勝呉広の乱で打つ手なし
前漢→秦の失敗から皇族に力を与える → 呉楚七国の乱
曹魏→皇族の力を削いで司馬氏の台頭を許す
西晋→皇族に膨大な力を与える →八王の乱で大混乱、司馬昭系の皇族は絶滅し、河北中原を失う。
東晋→唯一生き残った司馬睿が江南で再建するも皇族の助けなく王導・桓温が台頭(孫呉の頃から在地豪族が強いから仕方がないが)。
そう考えると、曹丕の施策は歴史の揺り戻しの一つなのかもしれません。
助けてくれて本当にありがとうw
憎らしくて可愛いやつっていますよね(´・∀・)
自分は苦手なタイプですが。
友達の友達くらいが一番丁度良いタイプ(笑)
私は、この動画を見るまでは、曹丕長生きしていたら、曹洪いびり殺されていたかなと思っていましたが、ポーズだったかもしれなかったですね。戦歴は悪くないですが、人間的に問題があったから、曹丕に付け込まれたんですね。
功臣ですし殺しはしないとは思いますが、曹植のように惨めに絞り尽くされていたのではないかとは思いますね……(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 言葉が不足してました。嫁いびりの姑みたいに曹洪が顔を出したときに曹丕が馬超に負けた事等を言い、その場に居ずらくして、笑い者にしそうでした。曹植は、詩の才能以外は、からっきしですので。
馬良教えて下さい!
リクエストありがとうございます!
そーこー、そーこー、そこそこ、そーこー
我が儘や横暴は愛せるけど金に汚いのは嫌だなぁ
この曹洪と于禁には共通点がある。長年曹操に仕え功績をあげてきたが、晩年に失墜したことである。それでも魏への帰国後に曹操の墓参りで辱められ憂悶のうちに亡くなった于禁に比べたら大分ましな生涯だったろう。それにしても、釈放された時の以下の上書文は情けない。「(前略)私の罪は三千近くにのぼり、到底お許しを賜る範囲ではございません。処刑され、市にさらされても当然なのに、天恩をこうむり、肉体は生き返ることになりました。私は太陽を仰ぎ見ては、神霊に背いたことを恥じ、うつむいては犯した過失を考え慚愧に震えおののいております。首をくくって自分で始末をつけられず、宮門に拝伏し、捧げ文を奉って心情を陳(の)べる次第でございます」どこまで胡麻をすれば気が済んだのだろう。
こんなジャイアンみたいな奴に逆らえないから曹真も庇ったんじゃないかなぁ
ここで曹洪を殺せば、自分がそれを望んだと周囲に思われかねないからやめてくれって感じで曹丕に訴えてますね。
試験に出る三国志
なんか現代で言うところのイジメみたいな感じだったんですかね
ちゃんと曹洪の性格を加味して考えているあたり、曹操の人を見る目は流石と言わざるを得ないですね
横山三國志の神秘・骨格整形の享受者(被害者)のうちの一人
確かに、初期は孫策みたいだった
あとはすっかり変わって誰やになった
曹操曹丕は自分のこと曹家の人間ってあんまり思ってなかったのかもね。
曹叡くらいになればもう関係ないしね。
しっかし、正史でケチとかデブとか曹家の人は報われないな笑
久しぶりに「かこうじゅん」って聞きましたね。
最近は「とん」ばっかりなんで・・
所詮日本語読みだからどっちでもいいとは思うんですけど、なんで一般的に孫乾を「そんけん」って呼ぶんですかね・・?「かん」で呼ぶ方が分かりやすいハズなのに・・
曹丕が悪い
いつまでもハッキリと後継者を定めず、本心は曹植に譲りたかったであろう態度が見え隠れしてる曹操のせいで冷酷にならざるを得なかったとも……なんて(笑)