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現在58歳で川越市で小さなレストランしていますが。15歳でこの世界にはいりましたが。無知愚朗ため大変勉強にはいりました。ありがとうごさいました。お元気で!
大正生まれの祖父は、とても裕福な家庭の生まれだったため、お袋の味はオムレツやホットケーキで、ビスケットや甘いコーヒーをずっと好んで食べていました。当時の人としては珍しい食の好みだなぁと思っていました。祖母が洋食嫌いであまり食べる機会が無かったそうですが、同居してた母が洋食を作るととても嬉しそうに食べていたのが思い出されました。祖父の食の歴史を学べたようで、ありがたい動画でした。
お祖父様モダンボーイだったんですね。時代先取りされたお祖父様の母様も素敵。
身内を褒めて頂けて嬉しいです…。ありがとうございます。
@@ミルキーちゃん あのマダムタルトさんですか?お噂はかねがねお伺いしてましたが、こんな所でお会い出来るとは…
もう2年後には同じ事が起こります
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
昔の西洋料理は今でいうジビエみたいなもんでステーキなども血臭くて不味かっただろうと聞いたことがあります。カレーなんかもカレー粉が少なく小麦粉でとろみをつけただけの味気ないものだったとか。いまのように美味しい料理になるまでどれだけの工夫と改良があったことか…先人達の努力には感謝と敬意しかないですね😌
😢
まず養畜のエサが悪かった。カイコの蛹とかもエサにしたので、精肉しても臭くてたまらなかったそうです。またご指摘の通り血抜きの技術も稚拙でしたし、品種改良もまだまだでした。肉だけでなく牛乳や乳製品についても同様で、よく精製不足による中毒が起きてました。なんせ江戸時代まで肉食はご法度でしたから当然と言えば当然です。鹿鳴館のダンスと同様に、貴族といえども無理してマズい西洋料理を食べていた記録が残ってます。
55年くらい前、オリエンタルマースカレーという、粉のカレーがあったが、スゴクうまかったのを覚えている。オリエンタル提供のーガッチリ買いましょうーという番組で宣伝でー君いとし、こいしーという兄弟の漫才師が、司会していた。多くの主婦が、作り方が分からず、キャベツやらソーセージやらを入れて煮込んでたな。田舎から出てきた親戚が、東京の人は、エライ、ハイカラなもの、食べるんやなーと感心していた。62歳の青年、独身。
@@中島義人-d4l 様今もあります。コンビニにもあります。私はこれの🟢のハヤシが❤️です
そりゃあ、昔なんて飼料なんてもの無かっただろうしな〜
博物館を回覧したような気分です。これだけの資料を揃えられて大したもんです。知的好奇心が満たされました。
ドイツ料理食べた時、「洋食」じゃなく本当に西洋料理で明治時代の気持ちがわかりました
祖父の産まれ育った時代を知ることができました。ありがとうございました。祖父母はもう存在しませんが、生きた時代を学び、思い出しています。
最近、母が亡くなりましたが、生前子供の頃に何を食べていたか聞いた事がある。母は石川県出身で、タイやカニばかり食べていたと言ってました。現代人からみたら、超贅沢やんと思ったww何を食べていたかは、地域によってもいろいろ違うと思いますよ。
聞いた話で北海道でニシンが豊漁だった頃はカズノコは子供達のオヤツだったとか。又戦後交通網が壊滅してて東海道線ですら冒険に近い遠距離だった頃はイセエビを初め高級海産物はほぼ地元でしか消費出来なくて地元でら捨て値でも東京へ持ち込めば高価にかったとか
石川出身ですが、今は高級魚のノドグロは私が子供の頃の30年前はまだ普通に安い魚で食卓によく出ました。母は海の近くで育った為、昔は知らぬ間に近所の漁師さんが家の前に魚を置いて行って、ほとんどタダだったと言ってました。ただ、石川でよく食べられるカニは香箱(こうばこ)といって、ズワイガニのメスで、かなり小さいものです。手のひらに乗るくらいの大きさです。都会の人が想像するカニとは少し違うかもしれません。今は観光需要でかなり高くなりましたが、これも前までは冬になってカニ漁解禁のニュースがでるとすぐ食卓に並ぶのが一般的でした。
昭和一桁生まれの父親がよく言ってました。当時はにぎり飯に味噌塗っただけでも美味かったと。↑わかりやすく言いますね。昭和一桁生まれの父親がよく言ってました。当時はにぎり飯に味噌塗っただけでも滅多に食えないごちそうだった。
それは普通に美味くね?
みそ握りは福島の名物。普通にうまいよ笑
まだマシな部類芋かむぎあわひえぐらいで白米なんか食えない時代
今でも旨いよ
地主のぼっちゃんでも干物は高級だったってさ🤣
今の当たり前と思っていたメニューも当たり前ではなく、普遍的なものではないと気付かされました。本当に体によい食べ物を自分で考えていこうと思いました。
ホームからハウスに変えたのも面白い😊現代にも通じる商品、メニューを考案した方々には感謝です
これは面白いなぁ。大正時代ってこういう時代だったんだなぁとなんとなく身近に感じられました。それにしてもいろいろな外国の文化を独自に作り替えて我が物にしてしまう、日本は素晴らしい国です。
そして今はカレーやトンカツ、コロッケを日本料理として欧米に逆発信しているとか本当に不思議な文化ですね~
日本に生まれて良かった🎉
いい意味で魔改造はこの時代から始まっていたんですね。為になる動画でした。ありがとう🎉
キリンビールのロゴマークが今でもほとんど変わっていないのは凄い✨
こういう歴史の変遷を辿る系めっちゃおもしろいです
カレー、トンカツなどルーツは異国のものをあっという間に日本風にアレンジする様子が面白いですね大正時代。
素晴らしいです‼️日本の歴史を知るこどで先代の方々に対しての感謝の念が絶えません。よくぞここまで調べて写真を入手されているのが凄い‼️最高です‼️
半年前に107才で亡くなった大正生まれの祖母病気知らずでしたお肉大好きで90才後半でも好んで🍺西洋料理が大好きでした😊大正❤
入れ歯でした?
うちの施設の利用者104歳こういう生活をしてきたんだろうな。今も元気に歩いて1人で飯食って長生きしてますw
かっけぇ!
@ カッコいいですよね!亡くなっちゃいましたけど最後までトイレもご飯も1人で自立してましたよ!こうなりたいって思いましたね!亡くなる前に自分の乗ってた軍艦の話とか中国で撃たれた足の傷の話してましたw
今も当時の面影が残っているので、とても懐かしい気持ちになりました。現代もあるお店に行くと、当時の雰囲気も味わう事もあり、感慨無量になります。幼い頃、百貨店の食堂に行く時、家族で少し緊張して行った思い出もあり、こうして食事の歴史を知る事が出来て嬉しいです。ありがとうございます。
昭和初期の戦前の東京で育った母方の祖父が戦後産まれ田舎育ちの父の子供時代の写真見て下着同然の格好に愕然としてた。それくらい昔の都市と農村は別世界だった。
祖父祖母も戦後生まれだからそれより前の時代を知れるのなんだか嬉しいな
日本橋三越の創業当時なのですがエレベーターやエアコンってどんな感じでしたかね?
大正ロマンが今の若者にも味わえる楽しい動画ですね😄
当時の米は農薬を使っていなかったので、米の中には1mmぐらいのゾウ虫が沢山いた。ゾウ虫は食べたくない。ご飯を炊く前に、米を1個づつ調べてゾウ虫を取り除いた。それが子供達の作業。今思えば美味しいご飯をを食べることは大変なことだった。
づつ → ずつをを → を
@@nanaphidel1276暇ガキやなあ
うちでは父方も母方も米びつに唐辛子を枝ごと突っ込んでた様です。ゾウムシ避けになります。居ても逃げてしまいます。終戦近い頃にその唐辛子を回収して燃やしたらネコが皆家から出ていったしものすごい空気になったと父が行ってました。燃やしたのは私の曾祖母にあたる人です。
あら探し
@@ab4717様😉
アズマが閉店していたことをこの動画で知りました。祖父母によく連れて行ってもらった馴染みある味がまさかそんなに古くからあったものとは知りませんでした。勉強になりました。
大正生まれの祖母、まだ元気です!
死んだ?
@@xan7408恥ずかしい人間ですね。愛された事のない人生そうで同情しますよ。
ええええええ😳すごっ。
@@xan7408不謹慎なこと言うな
私の叔母も96歳、元気です😊
私が子供の時デパートでお子様ランチを食べるのが楽しみでした。その頃、60年前くらいは、必ずお皿に下がケチャップライス、上が白ご飯の富士山でてっぺんに日本の国旗がさしてありました。今時の子供でも嬉しいウインナー、フライ、ハンバーグ、などがあったと思います。だからこの年でも幼児好みなんです~。家の母はいつも五目ラーメンでしたよ(笑)
うちのお母さん昭和30年生まれだけど、田舎の農家の家の子だったから、お弁当は漬物に米が定番で洋食的な物は食べたことなかったって言ってた。昭和30年生まれでも田舎の農家の子はこんな感じだったようだ。比較的裕福なサラリーマン家庭の子のお弁当に卵焼きが入ってるのがうらやましくてしょうがなかったって言ってた。
素晴らしい動画ですね😊学校はなぜこういう授業をやらないんだろう😅とても興味深く、祖父母の生まれ育った時代をすこし知れてうれしかったです🎉ありがとうございます🙏
明治33年17歳男子平均身長158cmで、大正期~昭和初期の都会で朝食味噌汁、納豆、佃煮、漬物。昼は煮物、塩鮭。夜はサバの味噌煮、切り干し大根、油揚げ。↑これはかなり裕福な家庭の食事ですよ。関西、特に京都、奈良はもっと質素です。
日本人の独創性と工夫する精神にあらためて感銘しました。
冒頭でおっしゃっているように大正時代は短くて余りよく知らないけど、日本の現代の洋食の基盤ができた時代だったんですね。興味深い動画ありがとうございます。何だか大正時代のこともっと知りたくなりました😊
日本人は仏教の伝播から殺生する事は無く とのこじつけが。しかし江戸時代から農機具の鋤きを鉄板に見立て 様々な肉を食べたと。一般的には鳥肉 鴨がネギを の諺はすき焼きの前身を表して居ると。中々宗教の禁忌には表だって逆らえませんね😂
当時の画像に出て来る日本人たちの顔を見ると、今と同じブサイクばっかやね
たった15年しかなかった大正時代、めっちゃ頑張ってた😳日本の食文化の原点は大正時代と言っても過言ではないくらい。辛いのが苦手でマイルドでコクのあるカレーが好みだから様々なルーを長年に渡り試してみた結果、給食のカレーに1番近い味を1番手軽に再現できるのはハウスのバーモントの甘口という事が判明。老舗もそうだけど、やはり長くに渡って今でも受け継がれるものにはそれなりの理由があるのだな…と改めて思った。
夜中に仕事しながら何気に視聴していました、普段あまり興味ないジャンルの話ですが何だか引き込まれてしまいましたお腹すいたな~ カレーライス食べたくなったな。
この時代に入ってきたものが、いわゆる現代版日本食の礎となっていると考えると興味深いですね。私の場合、海外から来た人に"JapaneseFood"として紹介するものは、とんかつ、カレー、ラーメンだったり居酒屋メニューだったりして、たまに「これ、本当に日本食か?」って思ったりすることありますがw まぁ京懐石なんかより、全然こっちのほうが親しみがあるのでそうなるわな。日本人って意外と文化の融合には寛容ですよね。
京懐石もいいですが、お好み焼きも紹介して下さい。ジャパニーズピザ😊
寛容😊なんじゃなくて周りにすぐ影響される頭悪い馬鹿が多いだけ。多数の人間がやってたら人と違うことしてるのが恥ずかしいとか言って周りと同じことをしだすのが日本人
大正時代と聞かれても、何も思い浮かばなかったけど、日本の食文化、文学などの洋風への基盤を作ったとんでもない重要な時代だったのですね。素晴らしい動画です。目からうろこがボロボロです。
父方の祖父母が大正後期生まれなので、2人とも当時のことは覚えていませんが、その時の雰囲気が分かって嬉しいです。
独自のものに合わせて改良をする力は日本人の素晴らしさ。日本人に生まれて本当によかった。
いい動画ですね😊 勉強になりました✨大正時代に発売された食品類が この令和時代にも続いている事の素晴らしさが良く解りました😊ありがとうございました😊
最初の始まりがなければ、今の当たり前の生活は成し得ないのですね。☺️本当に今ある便利な生活に、先人には、感謝しかないですね。🙇♂️😊
大正の食文化を支えて下さった先人たちに感謝!大好物ばかりだ…!
面白いですね 西洋料理は日本人の口に合わなかったとは驚きです しかもコロッケの方がビフテキよりも高いというのが更に驚きですなんか洋食が無性に食べたくなってきました
先祖を辿っていくと、江戸明治大正時代にも、自分と繋がってる人が確実に存在してるんですよね〜。、、、農村に居たんだろうな。
一家みんなで食卓やちゃぶ台を囲むというのは、それまではなかった習慣なんですよね。大正生まれの母は、よく「お父さんは別の部屋で家族とは別の少し豪華な食事をしていた」と言っていました。家長制度が生きていた時代ですからねー
父は子供の頃は一人ずつ箱膳だったそうです!
家父長制(度)(かふちょうせい(ど))
わかります。実家では正月など、一人一人の食事はお膳でしたから。
14:44 昭和のころは最上階にレストランがあり(屋上は遊園地)食品サンプルを見てわくわくしてたな熊本の岩田屋伊勢丹🥲
大正時代のインテリアや建築物の特集もいつかお願いしたいです🙇
そうだよなぁ。冷蔵庫もないんだもんなぁ。穀物や乾物じゃないと、肉や魚や野菜なんて、すぐ腐っちゃうしなぁ。
ご飯も保温ジャーが発売される前は、夏場とかよく腐らせちゃってたって祖母が言ってたな。
今のスパイスや乳酸菌飲料などは、料理人の開発した食材というより、お薬などを手掛けた人たちが開発した物。というのが、大変興味深かったです。西洋料理が日本に入って来た当初、見たことも食べたこともない食品を袖の長い着物で、女性たちは、上手く食べていたもんだと、その所作が見事に思いました。 食事とは、ただお腹が満たされたら良いという訳ではありません。見て居て心も満たされるものでなければならないと思うのです。
現代がどれぐらい恵まれてるか染々と思う。食えるだけありがたい時代が昔の事とは思わないようにしないと。
明治チョコレート,森永、ハウス食品、ブルドッグソース、どれも今では一流メーカーになってる。創業者の先見の名はすごい👍動画興味を持ってみれました,アップありがとうございます!
❌ブルドッグ️⭕️ブルドック「グ」ではなく「ク」です
先見の明みられました
105歳で亡くなった曽祖父が大正生まれだったけど昭和を丸々跨いだって凄いな
激動の時代ですよね。
1世紀と5年生きてるってほんまに凄いよな
いい声だな、聞きやすいし、知的だけど力強い雰囲気もあっていいね👍
うちの祖母👵🏻の時代で、彼女はお肉屋さんの手伝いしてたことがあり、焼豚は、焼く時1番下になる端っこの部分が(しっぽの部分が)タレが溜まって1番おいしいと言ってました。そこからも肉食が浸透し始めたのがわかりますね。
昭和の頃はまだまだ大正生まれの方々はたくさんいらして冒頭の小舟が行き来する話を聞いていました。東京から埼玉へ隅田川を通って物資が行き来し、高速道路のように新鮮な魚などを届けたと聞きます。料理店などは小説などにも記載があったりして本を読みながら立ち寄る人もいるでしょうね。人の増加や川の氾濫など様々な理由で色々変わっていきますが同じものをたべていると感慨深いものですね良い動画をありがとうございます
昭和ではなく平成では?
@@nanaphidel1276 昭和の頃の話ですが平成にもまだいらしたでしょうね。平成には私が小学生の頃になりました。それから2002年まで企業の顧問をしていた祖父は明治生まれです。もっと話を聞いておきたかったです。ありがとうございました。
文明開化の味がすると言う言葉は大正時代にピッタリの言葉ですね🎉グッドボタン👍✨
いつも興味深い動画ありがとう。カレーといえば、明治生まれの祖父は「お前もカレーを食べる練習をせい」と孫の私に言っていましたね。そしてカレーにウスターソースをかけて食べてました。食文化の変遷があったのだなと子供ながらに感じたものでした
うちも明治生まれの祖父がいましたが確かにカレーを食べるときは必ずウスターソースかけてました。あと家族で祖父だけはラーメンのことを支那ソバと呼んでいましたね。子供ながらに不思議でした。懐かしいです。
うちの明治生まれの祖父もウスターソースかけてた😂。
昭和一桁生まれの父もウスターソースかけ、生卵を落としかき混ぜて食べてました。カレー粉と小麦粉を練って作るカレーはもっさりしてて不味いのでその食べ方が定着したようです。
@@sentarou6969 なるほど!たしかにうちの祖父も生卵もかけてたかも!🤓。
大正7年に吉野家誕生、学生の時から良くお世話になりました。大正10年生まれの祖母は他界しておりずっと大正時代はどんな文化だったのか気になっておりましたので大正時代の事が知る事が出来て良かったです。もし、西洋文化が取り入れられてなければ現在のような長寿国にならなかったでしょう。お菓子は現在、生活になくてはならないものです。バターなど栄養価高い食材を最近摂取して改めて西洋文化が日本に健康をもたらしてくれたのだと感謝してやまないです。
大正時代の食文化とか貴重な映像ありがとうございます肉やら乳製品とか馴染みが無かった日本人が美味しく今日まで食べてるのにはこのような試行錯誤があったのですねライスカレーと言う呼び名久しぶり聞きました👂
オールドジャパンメモリーズさん、大変ありがとうございます。仕事柄インフレ、過去の話をよくします。大変勉強になり、昭和中期生まれですが、懐かしさにジーンと来ました。おれい😢
とても良い動画をありがとうございます!勉強になりました
87歳くらいのボディービルのレジェンドで現役の金澤利翼(かなざわとしすけ)の食事見てびっくりです。卵とわかめの味噌汁、玄米ごはん、納豆で、肉やさかなは食べないみたいです。昔の飛脚もそんな感じの食事らしいので、私もグルテンフリー、カゼインフリーをして、和食を励行して、本当に健康体になりました。薬と医者に極力近づかないで健康診断も行かない事が長生きの秘訣だと本気で思います。
藤枝の大正亭の写真が出てきてびっくりしました。あの店はほんと、名店だと思っているので・・・お肉もおいしいですが、コロッケもおいしいです。(どちらかといえば、ふるさとの味なんですがね)色々な歴史が知れて、とても勉強になりました。
凄い面白い!食べ物関係の仕事してるけどこうやって何気ない一品のルーツを知れるってほんと楽しい。
日本の西洋との食の歴史が垣間見れてとても良かったです。肉食や、洋食の浸透や、それに影響を与えたであろう日本の食品企業の歴史など、盛りだくさんでした。特に興味深かったのは、国内での震災や戦争の時の大衆向けの食堂の存在です。都市部では食材の確保は難しかったと思うので、食堂で非常時に提供できる存在はとても重宝だったのではないかと思います。未だに、災害の非常時は起こりうることなので、そんな中での大衆食堂のようなスタイルを考えるのは大切なように思いました。
明治以降、ハイカラな街で通っている神戸出身ですが、一般庶民が洋食を口にするようになったのは、大正時代に入ってからだそうです。今は神戸といえばパン、洋菓子が主流ですが、それらも明治終わりにやっと瓦せんべいが庶民にも普及したぐらいで、ケーキなどはまだまだです。それ自体があったにしても、人々が口にするようになるのは大正、昭和からです。
神戸てw
豊富な資料が🍽️見応え有りました✨❤️ありがとうございます😊
写真のflash加工に見入った西洋に乗っからないと植民地になってしまう事情もあったけど粗末な食べ物から曲がりなりにも栄養を行き渡らせる事に成功したから色々な意味で文化が刷新された時代ですね。
すげー家族団欒が西洋から来た習慣だったんだーーーー!!!!!!江戸時代は別々??
お膳でしたからね。温泉旅館の宴会とかででてくる、足が付いた深めのお盆みたいなあれ、です。
ちなみに食べるタイミングも、まず家長が食べ、その後他の家族が食べ、女性は食事の仕度の関係上、最後に食べる事が多かったようです。食事中に喋る事は行儀が悪い、食事姿ははしたないという考え方でしたので、食事で団欒というのはあまり無かったのではないでしょうか?
なるほど勉強になります。
朝:味噌汁 納豆 佃煮 漬物昼:野菜の煮物 塩鮭夜:サバの味噌煮 切り干し大根 油揚げって充分豪勢だと思うんだが・・・
手がかかるものが多いよな
朝は食パン一枚なので、負けてる。
朝の味噌汁の出汁として昆布やイリコに醤油、味醂、砂糖で煮詰めて佃煮。野菜の煮物は毎日作らずいっぺんに作って2-3日食べる。切り干し大根も煮物と同じ様に2-3日分作って食べる。冷蔵庫が未だ一般家庭に普及していないので、煮物として保存していたので、同じ品が続く。都市部だと氷で冷やす冷蔵庫も有って、毎日氷を買うことに成るが、冷たい飲み物や傷みやすい食材、料理を保存出来た。昭和30年代迄は結構大正時代と家庭の食事内容は変わらなかった。30年代後半から40年代に冷蔵庫、が普及して一気に食生活が変わり、40年代半ばの電子レンジの普及と大阪万博の影響でインスタント食品のバリエーションが増え、洋食化が家庭で広まった。
@@下手横好 あぁ、そうですか。
@@下手横好普及したのは「電気冷蔵庫」ですね
「食はその時代や土地柄を反映する」と言われてるけど食文化を知ると結構興味深いことが知れて面白い
伝統ある洋食店の相次ぐ閉店が悲しい。あの雰囲気はは今でも好きだな。。
これは素晴らしい動画。小中学校とかの授業の教材として採用されるべき。戦前の日本は暗黒期と、なんとなくイメージしてる人が多いかもだけど、決してそうではない。富裕層と庶民あるいは都市部と農村部で貧富の差は大きかったかも知れないが、それなりに豊かで発展していた。
身近にある食品やシステムが、意外と昔からあるのだと知れて面白かったです。
10:33 インスタントカレールーを始めて販売した会社は『ベル食品工業株式会社』で販売開始は1952年(昭和27年)で戦後になってから。ちなみにハウス食品は1960年(昭和35年)の「バーモントカレー」が初のカレールー商品になる。大正時代に販売してたのはカレールーではなくカレー粉の方。これも国産初ではなく、1905年(明治38年)にハチ食品が国産カレー粉を販売開始。1923年(大正12年)にエスビー食品が純国産カレー粉を販売。ハウス食品の販売開始は1926年(大正15年)になってからです。
始めて → 初めて
当時はヱスビー
ハチ食品て業務スーパーえよく売ってる安いやつ?そんなに歴史があるんですね😮
因みに。ジャガイモもそうだしホウレンソウも洋食だった。故に今はまるで和食の様になっている「ほうれん草のお浸し」も洋食。
大正時代は、食の原点なんですね。今では考えられない食文化があったからこそ、今、豊かな食生活があるんですね。ありがとうございます😊
鎌倉武士は残された鎧や具足から180から190センチくらいの人がゴロゴロいたそうなので、当時は肉食だったのかもですね。雑穀、根類中心になって、小さい人が増えたのかも。いまの子供たちが足長くて背も高いのは、肉が好きだからかも。
関東以北特に東北北部は長身が多くいたそうです。
今では当たり前の事でも深い歴史があるんですね。面白かったです。日本の、こう、いい意味での節操の無さというか、大らかさと凝り性が見れて楽しかったです
体質改善が目的で、たくさんの料理が生まれたのですね!これは面白い!感動しました👍
代々農家である実家の祖先、江戸時代中期〜昭和初期生まれみんな70歳代後半から80歳代まで生きてた。当時の平均寿命が30-40歳代と知って驚きを隠せないと共に、何を食べていたのかすごく興味深い。
こういうの見ると感慨深いよなぁ、、今、当たり前のように食べてるカレーやトンカツ、コロッケは先人の方々が試行錯誤を重ねて根づかせて100年後にはもう合って当たり前みたいになってんだからなぁ、、この時代を一日だけでいいから生きてみたいw
合って → 有って
タイトルで寄せられていつのまにかに吸い込まれました感動しました
大正産まれのバアちゃんはまだホームで健在ですけど、商人の娘で干物と鶏肉がご馳走の子供時代だったそうですよ。私が子供時代にはやたらと不二家に連れていかれました。
大正時代と戦前の昭和って豊かだなぁ。
薩長が殺し合いしてくれたお陰で庶民は助けられたね1部の長州藩=白人の犬明治時代は支配層が私腹を肥やし血税で軍需や他国を潤し庶民は貧乏生活共産主義のカルト国家明治天皇と福沢諭吉主導で海外に女を売り飛ばしていたのが明治時代(からゆき)昭和~昭和天皇が騙して国外へ女を売り飛ばし私腹を肥やしスイス銀行に資産を隠していたスイス銀行に口座を封鎖をされ日本政府が33億円を払い封鎖解除した過去あり明治からの日本は闇しかないねー特に天皇一家
いや、どうでしょうか😮
どこが?
おもしろかったです!凄い知識量ですね!
興味深い話でした。ありがとうございました。
とても面白かったです!いろいろなメーカーの発祥も興味深かった。
大正時代なんかいいですね👌
10:19このポスターの背景、この時代でも現代日本と変わらない風景だったんだなとおもうと不思議な気持ちになりますね。電線だったりとか乗り物だったりとかの細かい部分は全く今と違うのでしょうけれど、建物はこうやってざっくりみると今と変わりませんね。
とても見ごたえのある動画でした。大正期になると現代に繋がっていることがたくさんありますね。
子供の頃〜洋食が食べたい時は、今みたいにファミレスがないのでデパートまで行って食べたりステーキが食べたい時は夜〜お高いレストランまで行きました。
素晴らしい動画ですよ☀️見てて楽しいし勉強になる😊
これまで、「外国の料理は日本人の口に合うようにアレンジされていった」くらいのシンプルな説明でしか見聞きしたことがなかったので、先代の試行錯誤の工夫がよくわかる動画でした。今でこそお肉料理が当たり前な日本ですが、お魚文化の日本人がよくお肉料理を受け入れたものだと疑問に感じていました。これはぜひ教科書に載せてもらいたい文化ですね。
凄く勉強になりました今、日本でも有数の食品メーカーのルーツがこの大正時代にあったのですね短い時代でありましたが大正時代のパワーを感じましたがこの後の暗い時代を考えるちょっと胸が痛くなりました
カルピスって大正からあんのかぁ😃オッサンだけど子供の頃から飽きないんだよなぁ😂
うまいかい?
@@shirubasyan-71 ああ美味いよ😄
三ツ矢サイダーに至っては明治からある
@@zako1919 宮沢賢治のお気に入りだったみたいだね☺️
家は明治の時代から鯖節・鰹節を製造加工していました。うどん・蕎麦・煮つけはもちろん、カレーの出汁に鰹節を入れていたと聞きました。鯖節は削ってご飯に乗せ醤油やお茶漬けにして食べていたらしいです。
分かりやすく知識をアップデートしてくれる動画に出会えて嬉しい
気ままに見始めましたが、凄く為にたるし、面白いです!
面白かったです。レストラン東などの老舗レストランが潰れてしまったのは残念です。煉瓦亭との違いはなんだったろうか・・・一度行ってみたかった・・・
祖父母四人の子供〜学生時代ですね。今と同じような学ランやセーラー服の大正の学生姿です。祖父母3人が教師、一人が外国と往復生活だったので、割と早くからカレーやコロッケ食べていて、ウスターソースの瓶を開けるたびに香りが広がったとよくいっていました。蛙は今も唐揚げでたべますよ。居酒屋メニュー^ ^
昔は食品加工技術やら保存方法が発展してませんでしたから 本当の素材で楽しめた美味しい洋食屋さんて沢山あったのを思い出します現在は美味しく感じる技術が発展して安価で楽しめる時代ですが 昔はそのままの素材や味付けで良かった・・
当時の写真もお話も面白かったです🎉 でも1番面白かったのは…ハウスカレーの奥様の関西弁😂 関西以外の人が読むとこんなにもはちゃめちゃな発音にになるんだと感心しました😅
現在58歳で川越市で小さなレストランしていますが。15歳でこの世界にはいりましたが。無知愚朗ため大変勉強にはいりました。ありがとうごさいました。お元気で!
大正生まれの祖父は、とても裕福な家庭の生まれだったため、お袋の味はオムレツやホットケーキで、ビスケットや甘いコーヒーをずっと好んで食べていました。当時の人としては珍しい食の好みだなぁと思っていました。祖母が洋食嫌いであまり食べる機会が無かったそうですが、同居してた母が洋食を作るととても嬉しそうに食べていたのが思い出されました。祖父の食の歴史を学べたようで、ありがたい動画でした。
お祖父様モダンボーイだったんですね。時代先取りされたお祖父様の母様も素敵。
身内を褒めて頂けて嬉しいです…。ありがとうございます。
@@ミルキーちゃん
あのマダムタルトさんですか?
お噂はかねがねお伺いしてましたが、こんな所でお会い出来るとは…
もう2年後には同じ事が起こります
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
昔の西洋料理は今でいうジビエみたいなもんでステーキなども血臭くて不味かっただろうと聞いたことがあります。カレーなんかもカレー粉が少なく小麦粉でとろみをつけただけの味気ないものだったとか。いまのように美味しい料理になるまでどれだけの工夫と改良があったことか…先人達の努力には感謝と敬意しかないですね😌
😢
まず養畜のエサが悪かった。カイコの蛹とかもエサにしたので、精肉しても臭くてたまらなかったそうです。
またご指摘の通り血抜きの技術も稚拙でしたし、品種改良もまだまだでした。
肉だけでなく牛乳や乳製品についても同様で、よく精製不足による中毒が起きてました。
なんせ江戸時代まで肉食はご法度でしたから当然と言えば当然です。
鹿鳴館のダンスと同様に、貴族といえども無理してマズい西洋料理を食べていた記録が残ってます。
55年くらい前、オリエンタルマースカレーという、粉のカレーがあったが、スゴクうまかったのを覚えている。オリエンタル提供のーガッチリ買いましょうーという番組で宣伝でー君いとし、こいしーという兄弟の漫才師が、司会していた。多くの主婦が、作り方が分からず、キャベツやらソーセージやらを入れて煮込んでたな。田舎から出てきた親戚が、東京の人は、エライ、ハイカラなもの、食べるんやなーと感心していた。62歳の青年、独身。
@@中島義人-d4l 様
今もあります。コンビニにもあります。私はこれの🟢のハヤシが❤️です
そりゃあ、昔なんて飼料なんてもの無かっただろうしな〜
博物館を回覧したような気分です。これだけの資料を揃えられて大したもんです。
知的好奇心が満たされました。
ドイツ料理食べた時、「洋食」じゃなく本当に西洋料理で明治時代の気持ちがわかりました
祖父の産まれ育った時代を知ることができました。ありがとうございました。祖父母はもう存在しませんが、生きた時代を学び、思い出しています。
最近、母が亡くなりましたが、生前子供の頃に何を食べていたか聞いた事がある。母は石川県出身で、タイやカニばかり食べていたと言ってました。現代人からみたら、超贅沢やんと思ったww何を食べていたかは、地域によってもいろいろ違うと思いますよ。
聞いた話で北海道でニシンが豊漁だった頃はカズノコは子供達のオヤツだったとか。又戦後交通網が壊滅してて東海道線ですら冒険に近い遠距離だった頃はイセエビを初め高級海産物はほぼ地元でしか消費出来なくて地元でら捨て値でも東京へ持ち込めば高価にかったとか
石川出身ですが、今は高級魚のノドグロは私が子供の頃の30年前はまだ普通に安い魚で食卓によく出ました。
母は海の近くで育った為、昔は知らぬ間に近所の漁師さんが家の前に魚を置いて行って、ほとんどタダだったと言ってました。
ただ、石川でよく食べられるカニは香箱(こうばこ)といって、ズワイガニのメスで、かなり小さいものです。手のひらに乗るくらいの大きさです。都会の人が想像するカニとは少し違うかもしれません。
今は観光需要でかなり高くなりましたが、これも前までは冬になってカニ漁解禁のニュースがでるとすぐ食卓に並ぶのが一般的でした。
昭和一桁生まれの父親がよく言ってました。当時はにぎり飯に味噌塗っただけでも美味かったと。
↑
わかりやすく言いますね。
昭和一桁生まれの父親がよく言ってました。当時はにぎり飯に味噌塗っただけでも滅多に食えないごちそうだった。
それは普通に美味くね?
みそ握りは福島の名物。
普通にうまいよ笑
まだマシな部類
芋かむぎあわひえぐらいで白米なんか食えない時代
今でも旨いよ
地主のぼっちゃんでも干物は高級だったってさ🤣
今の当たり前と思っていたメニューも当たり前ではなく、普遍的なものではないと気付かされました。本当に体によい食べ物を自分で考えていこうと思いました。
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
ホームからハウスに変えたのも面白い😊
現代にも通じる商品、メニューを考案した方々には感謝です
これは面白いなぁ。
大正時代ってこういう時代だったんだなぁとなんとなく身近に感じられました。
それにしてもいろいろな外国の文化を独自に作り替えて我が物にしてしまう、日本は素晴らしい国です。
そして今はカレーやトンカツ、コロッケを日本料理として欧米に逆発信しているとか本当に不思議な文化ですね~
日本に生まれて良かった🎉
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
いい意味で魔改造はこの時代から始まっていたんですね。為になる動画でした。ありがとう🎉
キリンビールのロゴマークが今でもほとんど変わっていないのは凄い✨
こういう歴史の変遷を辿る系めっちゃおもしろいです
カレー、トンカツなどルーツは異国のものをあっという間に日本風にアレンジする様子が面白いですね大正時代。
素晴らしいです‼️日本の歴史を知るこどで先代の方々に対しての感謝の念が絶えません。よくぞここまで調べて写真を入手されているのが凄い‼️最高です‼️
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
半年前に107才で亡くなった大正生まれの祖母
病気知らずでした
お肉大好きで
90才後半でも好んで🍺西洋料理が大好きでした😊
大正❤
入れ歯でした?
うちの施設の利用者104歳こういう生活をしてきたんだろうな。今も元気に歩いて1人で飯食って長生きしてますw
かっけぇ!
@ カッコいいですよね!亡くなっちゃいましたけど最後までトイレもご飯も1人で自立してましたよ!こうなりたいって思いましたね!亡くなる前に自分の乗ってた軍艦の話とか中国で撃たれた足の傷の話してましたw
今も当時の面影が残っているので、とても懐かしい気持ちになりました。現代もあるお店に行くと、当時の雰囲気も味わう事もあり、感慨無量になります。幼い頃、百貨店の食堂に行く時、家族で少し緊張して行った思い出もあり、こうして食事の歴史を知る事が出来て嬉しいです。ありがとうございます。
昭和初期の戦前の東京で育った母方の祖父が戦後産まれ田舎育ちの父の子供時代の写真見て下着同然の格好に愕然としてた。それくらい昔の都市と農村は別世界だった。
祖父祖母も戦後生まれだからそれより前の時代を知れるのなんだか嬉しいな
日本橋三越の創業当時なのですがエレベーターやエアコンってどんな感じでしたかね?
大正ロマンが今の若者にも味わえる楽しい動画ですね😄
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
当時の米は農薬を使っていなかったので、米の中には1mmぐらいのゾウ虫が沢山いた。
ゾウ虫は食べたくない。ご飯を炊く前に、米を1個づつ調べてゾウ虫を取り除いた。
それが子供達の作業。今思えば美味しいご飯をを食べることは大変なことだった。
づつ → ずつ
をを → を
@@nanaphidel1276暇ガキやなあ
うちでは父方も母方も米びつに唐辛子を枝ごと突っ込んでた様です。ゾウムシ避けになります。居ても逃げてしまいます。終戦近い頃にその唐辛子を回収して燃やしたらネコが皆家から出ていったしものすごい空気になったと父が行ってました。燃やしたのは私の曾祖母にあたる人です。
あら探し
@@ab4717様
😉
アズマが閉店していたことをこの動画で知りました。祖父母によく連れて行ってもらった馴染みある味がまさかそんなに古くからあったものとは知りませんでした。勉強になりました。
大正生まれの祖母、まだ元気です!
死んだ?
@@xan7408
恥ずかしい人間ですね。
愛された事のない人生そうで同情しますよ。
ええええええ😳すごっ。
@@xan7408不謹慎なこと言うな
私の叔母も96歳、元気です😊
私が子供の時デパートでお子様ランチを食べるのが楽しみでした。その頃、60年前くらいは、必ずお皿に下がケチャップライス、上が白ご飯の富士山でてっぺんに日本の国旗がさしてありました。今時の子供でも嬉しいウインナー、フライ、ハンバーグ、などがあったと思います。だからこの年でも幼児好みなんです~。家の母はいつも五目ラーメンでしたよ(笑)
うちのお母さん昭和30年生まれだけど、田舎の農家の家の子だったから、お弁当は漬物に米が定番で洋食的な物は食べたことなかったって言ってた。
昭和30年生まれでも田舎の農家の子はこんな感じだったようだ。
比較的裕福なサラリーマン家庭の子のお弁当に卵焼きが入ってるのがうらやましくてしょうがなかったって言ってた。
素晴らしい動画ですね😊
学校はなぜこういう授業をやらないんだろう😅
とても興味深く、祖父母の生まれ育った時代をすこし知れてうれしかったです🎉
ありがとうございます🙏
明治33年17歳男子平均身長158cmで、大正期~昭和初期の都会で朝食味噌汁、納豆、佃煮、漬物。
昼は煮物、塩鮭。夜はサバの味噌煮、切り干し大根、油揚げ。
↑これはかなり裕福な家庭の食事ですよ。
関西、特に京都、奈良はもっと質素です。
日本人の独創性と工夫する精神にあらためて感銘しました。
冒頭でおっしゃっているように大正時代は短くて余りよく知らないけど、日本の現代の洋食の基盤ができた時代だったんですね。興味深い動画ありがとうございます。何だか大正時代のこともっと知りたくなりました😊
日本人は仏教の伝播から殺生する事は無く とのこじつけが。しかし江戸時代から農機具の鋤きを鉄板に見立て 様々な肉を食べたと。
一般的には鳥肉 鴨がネギを の諺はすき焼きの前身を表して居ると。
中々宗教の禁忌には表だって逆らえませんね😂
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
当時の画像に出て来る日本人たちの顔を見ると、今と同じブサイクばっかやね
たった15年しかなかった大正時代、めっちゃ頑張ってた😳
日本の食文化の原点は大正時代と言っても過言ではないくらい。
辛いのが苦手でマイルドでコクのあるカレーが好みだから様々なルーを長年に渡り試してみた結果、給食のカレーに1番近い味を1番手軽に再現できるのはハウスのバーモントの甘口という事が判明。
老舗もそうだけど、やはり長くに渡って今でも受け継がれるものにはそれなりの理由があるのだな…と改めて思った。
夜中に仕事しながら何気に視聴していました、普段あまり興味ないジャンルの話ですが何だか引き込まれてしまいました
お腹すいたな~ カレーライス食べたくなったな。
この時代に入ってきたものが、いわゆる現代版日本食の礎となっていると考えると興味深いですね。私の場合、海外から来た人に"JapaneseFood"として紹介するものは、とんかつ、カレー、ラーメンだったり居酒屋メニューだったりして、たまに「これ、本当に日本食か?」って思ったりすることありますがw まぁ京懐石なんかより、全然こっちのほうが親しみがあるのでそうなるわな。日本人って意外と文化の融合には寛容ですよね。
京懐石もいいですが、お好み焼きも紹介して下さい。ジャパニーズピザ😊
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
寛容😊なんじゃなくて周りにすぐ影響される頭悪い馬鹿が多いだけ。
多数の人間がやってたら人と違うことしてるのが恥ずかしいとか言って周りと同じことをしだすのが日本人
大正時代と聞かれても、何も思い浮かばなかったけど、日本の食文化、文学などの洋風への基盤を作ったとんでもない重要な時代だったのですね。
素晴らしい動画です。
目からうろこがボロボロです。
父方の祖父母が大正後期生まれなので、2人とも当時のことは覚えていませんが、その時の雰囲気が分かって嬉しいです。
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
独自のものに合わせて改良をする力は日本人の素晴らしさ。日本人に生まれて本当によかった。
いい動画ですね😊 勉強になりました✨大正時代に発売された食品類が この令和時代にも続いている事の素晴らしさが良く解りました😊ありがとうございました😊
最初の始まりがなければ、今の当たり前の生活は成し得ないのですね。☺️
本当に今ある便利な生活に、先人には、感謝しかないですね。🙇♂️😊
大正の食文化を支えて下さった先人たちに感謝!大好物ばかりだ…!
面白いですね 西洋料理は日本人の口に合わなかったとは驚きです しかもコロッケの方がビフテキよりも高いというのが更に驚きです
なんか洋食が無性に食べたくなってきました
先祖を辿っていくと、江戸明治大正時代にも、自分と繋がってる人が確実に存在してるんですよね〜。、、、農村に居たんだろうな。
一家みんなで食卓やちゃぶ台を囲むというのは、それまではなかった習慣なんですよね。
大正生まれの母は、よく「お父さんは別の部屋で家族とは別の少し豪華な食事をしていた」と言っていました。
家長制度が生きていた時代ですからねー
父は子供の頃は一人ずつ箱膳だったそうです!
家父長制(度)(かふちょうせい(ど))
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
わかります。実家では正月など、一人一人の食事はお膳でしたから。
14:44 昭和のころは最上階にレストランがあり(屋上は遊園地)食品サンプルを見てわくわくしてたな
熊本の岩田屋伊勢丹🥲
大正時代のインテリアや建築物の特集もいつかお願いしたいです🙇
そうだよなぁ。冷蔵庫もないんだもんなぁ。穀物や乾物じゃないと、肉や魚や野菜なんて、すぐ腐っちゃうしなぁ。
ご飯も保温ジャーが発売される前は、夏場とかよく腐らせちゃってたって祖母が言ってたな。
今のスパイスや乳酸菌飲料などは、料理人の開発した食材というより、お薬などを手掛けた人たちが開発した物。というのが、大変興味深かったです。西洋料理が日本に入って来た当初、見たことも食べたこともない食品を袖の長い着物で、女性たちは、上手く食べていたもんだと、その所作が見事に思いました。
食事とは、ただお腹が満たされたら良いという訳ではありません。見て居て心も満たされるものでなければならないと思うのです。
現代がどれぐらい恵まれてるか染々と思う。食えるだけありがたい時代が昔の事とは思わないようにしないと。
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
明治チョコレート,森永、ハウス食品、ブルドッグソース、どれも今では一流メーカーになってる。創業者の先見の名はすごい👍動画興味を持ってみれました,アップありがとうございます!
❌ブルドッグ
️⭕️ブルドック
「グ」ではなく「ク」です
先見の明
みられました
105歳で亡くなった曽祖父が大正生まれだったけど昭和を丸々跨いだって凄いな
激動の時代ですよね。
1世紀と5年生きてるってほんまに凄いよな
いい声だな、聞きやすいし、知的だけど力強い雰囲気もあっていいね👍
うちの祖母👵🏻の時代で、彼女はお肉屋さんの手伝いしてたことがあり、焼豚は、焼く時1番下になる端っこの部分が(しっぽの部分が)タレが溜まって1番おいしいと言ってました。そこからも肉食が浸透し始めたのがわかりますね。
昭和の頃はまだまだ大正生まれの方々はたくさんいらして冒頭の小舟が行き来する話を聞いていました。東京から埼玉へ隅田川を通って物資が行き来し、高速道路のように新鮮な魚などを届けたと聞きます。料理店などは小説などにも記載があったりして本を読みながら立ち寄る人もいるでしょうね。人の増加や川の氾濫など様々な理由で色々変わっていきますが同じものをたべていると感慨深いものですね
良い動画をありがとうございます
昭和ではなく平成では?
@@nanaphidel1276 昭和の頃の話ですが平成にもまだいらしたでしょうね。平成には私が小学生の頃になりました。それから2002年まで企業の顧問をしていた祖父は明治生まれです。もっと話を聞いておきたかったです。ありがとうございました。
文明開化の味がすると言う言葉は大正時代にピッタリの言葉ですね🎉グッドボタン👍✨
いつも興味深い動画ありがとう。カレーといえば、明治生まれの祖父は「お前もカレーを食べる練習をせい」と孫の私に言っていましたね。そしてカレーにウスターソースをかけて食べてました。食文化の変遷があったのだなと子供ながらに感じたものでした
うちも明治生まれの祖父がいましたが確かにカレーを食べるときは必ずウスターソースかけてました。
あと家族で祖父だけはラーメンのことを支那ソバと呼んでいましたね。子供ながらに不思議でした。懐かしいです。
うちの明治生まれの祖父もウスターソースかけてた😂。
昭和一桁生まれの父もウスターソースかけ、生卵を落としかき混ぜて食べてました。
カレー粉と小麦粉を練って作るカレーはもっさりしてて不味いのでその食べ方が定着したようです。
@@sentarou6969
なるほど!
たしかにうちの祖父も生卵もかけてたかも!🤓。
大正7年に吉野家誕生、学生の時から良くお世話になりました。大正10年生まれの祖母は他界しておりずっと大正時代はどんな文化だったのか気になっておりましたので大正時代の事が知る事が出来て良かったです。もし、西洋文化が取り入れられてなければ現在のような長寿国にならなかったでしょう。お菓子は現在、生活になくてはならないものです。バターなど栄養価高い食材を最近摂取して改めて西洋文化が日本に健康をもたらしてくれたのだと感謝してやまないです。
大正時代の食文化とか貴重な映像ありがとうございます
肉やら乳製品とか馴染みが無かった日本人が美味しく今日まで食べてるのにはこのような試行錯誤があったのですね
ライスカレーと言う呼び名久しぶり聞きました👂
オールドジャパンメモリーズさん、大変ありがとうございます。仕事柄インフレ、過去の話をよくします。大変勉強になり、昭和中期生まれですが、懐かしさにジーンと来ました。おれい😢
とても良い動画をありがとうございます!
勉強になりました
87歳くらいのボディービルのレジェンドで現役の金澤利翼(かなざわとしすけ)の食事見てびっくりです。卵とわかめの味噌汁、玄米ごはん、納豆で、肉やさかなは食べないみたいです。昔の飛脚もそんな感じの食事らしいので、私もグルテンフリー、カゼインフリーをして、和食を励行して、本当に健康体になりました。薬と医者に極力近づかないで健康診断も行かない事が長生きの秘訣だと本気で思います。
藤枝の大正亭の写真が出てきてびっくりしました。
あの店はほんと、名店だと思っているので・・・お肉もおいしいですが、コロッケもおいしいです。
(どちらかといえば、ふるさとの味なんですがね)
色々な歴史が知れて、とても勉強になりました。
凄い面白い!食べ物関係の仕事してるけどこうやって何気ない一品のルーツを知れるってほんと楽しい。
日本の西洋との食の歴史が垣間見れてとても良かったです。
肉食や、洋食の浸透や、それに影響を与えたであろう日本の食品企業の歴史など、盛りだくさんでした。
特に興味深かったのは、国内での震災や戦争の時の大衆向けの食堂の存在です。都市部では食材の確保は難しかったと思うので、食堂で非常時に提供できる存在はとても重宝だったのではないかと思います。
未だに、災害の非常時は起こりうることなので、そんな中での大衆食堂のようなスタイルを考えるのは大切なように思いました。
明治以降、ハイカラな街で通っている神戸出身ですが、一般庶民が洋食を口にするようになったのは、大正時代に入ってからだそうです。
今は神戸といえばパン、洋菓子が主流ですが、それらも明治終わりにやっと瓦せんべいが庶民にも普及したぐらいで、ケーキなどはまだまだです。それ自体があったにしても、人々が口にするようになるのは大正、昭和からです。
神戸てw
豊富な資料が🍽️見応え有りました✨❤️
ありがとうございます😊
写真のflash加工に見入った
西洋に乗っからないと植民地になってしまう事情もあったけど
粗末な食べ物から曲がりなりにも栄養を行き渡らせる事に成功したから
色々な意味で文化が刷新された時代ですね。
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
すげー家族団欒が西洋から来た習慣だったんだーーーー!!!!!!江戸時代は別々??
お膳でしたからね。
温泉旅館の宴会とかででてくる、足が付いた深めのお盆みたいなあれ、です。
ちなみに食べるタイミングも、まず家長が食べ、その後他の家族が食べ、女性は食事の仕度の関係上、最後に食べる事が多かったようです。
食事中に喋る事は行儀が悪い、食事姿ははしたないという考え方でしたので、食事で団欒というのはあまり無かったのではないでしょうか?
なるほど勉強になります。
朝:味噌汁 納豆 佃煮 漬物
昼:野菜の煮物 塩鮭
夜:サバの味噌煮 切り干し大根 油揚げ
って充分豪勢だと思うんだが・・・
手がかかるものが多いよな
朝は食パン一枚なので、負けてる。
朝の味噌汁の出汁として昆布やイリコに醤油、味醂、砂糖で煮詰めて佃煮。
野菜の煮物は毎日作らずいっぺんに作って2-3日食べる。
切り干し大根も煮物と同じ様に2-3日分作って食べる。
冷蔵庫が未だ一般家庭に普及していないので、煮物として保存していたので、同じ品が続く。
都市部だと氷で冷やす冷蔵庫も有って、毎日氷を買うことに成るが、冷たい飲み物や傷みやすい食材、料理を保存出来た。
昭和30年代迄は結構大正時代と家庭の食事内容は変わらなかった。
30年代後半から40年代に冷蔵庫、が普及して一気に食生活が変わり、40年代半ばの電子レンジの普及と大阪万博の影響でインスタント食品のバリエーションが増え、洋食化が家庭で広まった。
@@下手横好 あぁ、そうですか。
@@下手横好
普及したのは「電気冷蔵庫」ですね
「食はその時代や土地柄を反映する」と言われてるけど
食文化を知ると結構興味深いことが知れて面白い
伝統ある洋食店の相次ぐ閉店が悲しい。あの雰囲気はは今でも好きだな。。
これは素晴らしい動画。小中学校とかの授業の教材として採用されるべき。戦前の日本は暗黒期と、なんとなくイメージしてる人が多いかもだけど、決してそうではない。富裕層と庶民あるいは都市部と農村部で貧富の差は大きかったかも知れないが、それなりに豊かで発展していた。
身近にある食品やシステムが、意外と昔からあるのだと知れて面白かったです。
10:33 インスタントカレールーを始めて販売した会社は『ベル食品工業株式会社』で販売開始は1952年(昭和27年)で戦後になってから。
ちなみにハウス食品は1960年(昭和35年)の「バーモントカレー」が初のカレールー商品になる。大正時代に販売してたのはカレールーでは
なくカレー粉の方。これも国産初ではなく、1905年(明治38年)にハチ食品が国産カレー粉を販売開始。1923年(大正12年)にエスビー食品
が純国産カレー粉を販売。ハウス食品の販売開始は1926年(大正15年)になってからです。
始めて → 初めて
当時はヱスビー
ハチ食品て業務スーパーえよく売ってる安いやつ?
そんなに歴史があるんですね😮
因みに。ジャガイモもそうだしホウレンソウも洋食だった。故に今はまるで和食の様になっている「ほうれん草のお浸し」も洋食。
大正時代は、食の原点なんですね。今では考えられない食文化があったからこそ、今、豊かな食生活があるんですね。ありがとうございます😊
鎌倉武士は残された鎧や具足から180から190センチくらいの人がゴロゴロいたそうなので、当時は肉食だったのかもですね。
雑穀、根類中心になって、小さい人が増えたのかも。
いまの子供たちが足長くて背も高いのは、肉が好きだからかも。
関東以北特に東北北部は長身が多くいたそうです。
今では当たり前の事でも深い歴史があるんですね。
面白かったです。
日本の、こう、いい意味での節操の無さというか、大らかさと凝り性が見れて楽しかったです
体質改善が目的で、たくさんの料理が生まれたのですね!
これは面白い!
感動しました👍
代々農家である実家の祖先、
江戸時代中期〜昭和初期生まれ
みんな70歳代後半から80歳代まで生きてた。
当時の平均寿命が30-40歳代と知って驚きを隠せないと共に、何を食べていたのかすごく興味深い。
こういうの見ると感慨深いよなぁ、、
今、当たり前のように食べてるカレーやトンカツ、コロッケは先人の方々が試行錯誤を重ねて根づかせて100年後にはもう合って当たり前みたいになってんだからなぁ、、
この時代を一日だけでいいから生きてみたいw
合って → 有って
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
タイトルで寄せられていつのまにかに吸い込まれました
感動しました
大正産まれのバアちゃんはまだホームで健在ですけど、
商人の娘で干物と鶏肉がご馳走の子供時代だったそうですよ。
私が子供時代にはやたらと不二家に連れていかれました。
大正時代と戦前の昭和って豊かだなぁ。
薩長が殺し合いしてくれたお陰で庶民は助けられたね
1部の長州藩=白人の犬
明治時代は支配層が私腹を肥やし血税で軍需や他国を潤し庶民は貧乏生活
共産主義のカルト国家
明治天皇と福沢諭吉主導で海外に女を売り飛ばしていたのが明治時代(からゆき)
昭和~昭和天皇が騙して国外へ女を売り飛ばし私腹を肥やしスイス銀行に資産を隠していた
スイス銀行に口座を封鎖をされ日本政府が33億円を払い封鎖解除した過去あり
明治からの日本は闇しかないねー特に天皇一家
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
いや、どうでしょうか😮
どこが?
おもしろかったです!
凄い知識量ですね!
興味深い話でした。ありがとうございました。
とても面白かったです!いろいろなメーカーの発祥も興味深かった。
大正時代なんかいいですね👌
10:19
このポスターの背景、この時代でも現代日本と変わらない風景だったんだなとおもうと不思議な気持ちになりますね。
電線だったりとか乗り物だったりとかの細かい部分は全く今と違うのでしょうけれど、建物はこうやってざっくりみると今と変わりませんね。
とても見ごたえのある動画でした。大正期になると現代に繋がっていることがたくさんありますね。
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
子供の頃〜洋食が食べたい時は、今みたいにファミレスがないのでデパートまで行って食べたり
ステーキが食べたい時は夜〜お高いレストランまで行きました。
素晴らしい動画ですよ☀️
見てて楽しいし勉強になる😊
これまで、「外国の料理は日本人の口に合うようにアレンジされていった」くらいのシンプルな説明でしか見聞きしたことがなかったので、先代の試行錯誤の工夫がよくわかる動画でした。今でこそお肉料理が当たり前な日本ですが、お魚文化の日本人がよくお肉料理を受け入れたものだと疑問に感じていました。これはぜひ教科書に載せてもらいたい文化ですね。
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
凄く勉強になりました
今、日本でも有数の食品メーカーのルーツがこの大正時代にあったのですね
短い時代でありましたが大正時代のパワーを感じましたが
この後の暗い時代を考えるちょっと胸が痛くなりました
カルピスって大正からあんのかぁ😃
オッサンだけど子供の頃から飽きないんだよなぁ😂
うまいかい?
@@shirubasyan-71 ああ美味いよ😄
三ツ矢サイダーに至っては明治からある
@@zako1919 宮沢賢治のお気に入りだったみたいだね☺️
家は明治の時代から鯖節・鰹節を製造加工していました。
うどん・蕎麦・煮つけはもちろん、カレーの出汁に鰹節を入れていたと聞きました。鯖節は削ってご飯に乗せ醤油やお茶漬けにして食べていたらしいです。
分かりやすく知識をアップデートしてくれる動画に出会えて嬉しい
戦前は暗黒時代だったとするウソ常識、即ち、GHQ様が占領して下さり民主主義になったというプロパガンダから目覚めるための資料にはなる。
反面、西洋料理が日本人の健康や体格に良い影響を齎したとするウソ常識、即ち、ほぼ米だけを食べ、おかずはごく僅かだった元々の日本人が、小柄な体にもかかわらず、白人から見れば驚異的な体力を男女ともに持っていたという事実を無視し、白人様崇拝に陥っている。
気ままに見始めましたが、凄く為にたるし、面白いです!
面白かったです。
レストラン東などの老舗レストランが潰れてしまったのは残念です。
煉瓦亭との違いはなんだったろうか・・・一度行ってみたかった・・・
祖父母四人の子供〜学生時代ですね。今と同じような学ランやセーラー服の大正の学生姿です。祖父母3人が教師、一人が外国と往復生活だったので、割と早くからカレーやコロッケ食べていて、ウスターソースの瓶を開けるたびに香りが広がったとよくいっていました。蛙は今も唐揚げでたべますよ。居酒屋メニュー^ ^
昔は食品加工技術やら保存方法が発展してませんでしたから 本当の素材で楽しめた美味しい洋食屋さんて沢山あったのを思い出します
現在は美味しく感じる技術が発展して安価で楽しめる時代ですが 昔はそのままの素材や味付けで良かった・・
当時の写真もお話も面白かったです🎉 でも1番面白かったのは…ハウスカレーの奥様の関西弁😂 関西以外の人が読むとこんなにもはちゃめちゃな発音にになるんだと感心しました😅