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北条家は本当に現存する文書量も凄まじいし大規模な検知・公定枡の設定・貨幣制度の確立・伝馬制の確立と内政のシステムも完成度が高いのよね。氏康等の下地があって、徳川家康の世界有数の大都市改造へ繋がる…
もし関東だけで独立してもやっていけたかもね
北条5代はいい史料がなくて分かりづらかったので凄く嬉しいです。現地が見られる事がとてもワクワクする毎日ですねぇ♪よくわからなかった部分が明解ですごいと思います
毎回、楽しく見させていただいております。応仁の乱~戦国初期までの時代を、ここまで分かりやすく表現できるのは、話の展開の見事さだと思います。
関東から扇ヶ谷・山内の両上杉を消滅させ内政に卓越した手腕を見せた。北条氏康は大河ドラマの主人公になっても良い人物だと思うんだけどなあ。
最大の見せ場が早すぎるからなぁ・・・。五代にしちゃうと薄いし早雲から氏康まで。とか?三好と北条は存在の大きさの割に極端に地味だから、ぜひとも大河などで取り上げてほしいのですが。
北条五代で作ると面白そうだと思うんですけどねぇ
1988年の大河ドラマでは北条氏康を杉良太郎さんが演じています。
甲相駿同盟は一番メリットがあるのは駿の今川義元ですね。
纏めたのが今川家臣の太原雪斎だからうまくやったのかもしれませんね
出来れば、北条氏綱を単独動画でやっていただきたかった。伊勢宗瑞 ⇒ 北条氏康の間の流れが見たかったです。
王仁や弓月君について詳しくお願いします。
意外と戦国時代の戦って資料が曖昧な戦いあるよね。
書類の残存率には定評がある小田原北条氏に感状が全く無いという事実から、河越城の戦いの中でも実際に夜戦があったのか、大規模な戦いではなかったのではないかという説がそれなりに存在してますね(扇谷上杉が滅亡したという結果だけが残っているので、討死ではなかったのではないかという説も)
今回の動画で「戦国武将は誰も好き好んで戦う訳じゃない」ってシンプルだけどこの時代を表す良い表現だよね。西日本の覇者な毛利家すら別に、畿内を抑えて天下人を目指してた訳じゃ無かった。
YUKIMURA CHANNEL も同じこと毎回最後に言ってますよね
河越夜戦は両上杉氏や足利晴氏の勝算が甘かったのですね。そして、太田道灌の予言(嘆き?)が現実のものになった闘いですね
当主から暗殺される間際に『当方滅亡』と言って亡くなった…と言われてますね。
楽しい動画ありがとうございます。しかし、両上杉軍は、いくら烏合の衆とはいえ8万もの大軍を集められる事が出来るのに、なぜ、関東を平定できなかったのでしょうかね・・。棟梁の資質って大事ですね。
この甲相駿三国の家臣や縁者が後に徳川幕府の老中も歴任する有力譜代になっていくのがおもしろい展開ですね。
甲州征伐と天正壬午の乱で旧武田を徳川が取り込み、小田原征伐と江戸転封で旧北条を取り込んだからね、仕方ないね徳川も関東統治では既存のものを破壊せず、使える制度は人材もろとも継承したからこうなった
今川氏の同盟を選んだのは今川氏から食塩や魚介類を輸入していたからでしょうね。
甲相駿同盟の立役者太原雪斎が後の天下人家康(当時は今川家の元に人質として置かれていた竹千代)の教育を引き受けていたのと、織田氏に一度人質として横取りされた竹千代を織田信広(信長の庶兄)との人質交換で自分たちの方に取り戻したりともし桶狭間まで生きていたらどうなっていたことやら(信長の奇襲が失敗する可能性もあったとはいえ)
義元ジュニアの氏真も雪斎の養育を受けていたら?叔父の信玄に侵略されず従兄弟で義弟の義信は謀叛の嫌疑で切腹させられなかったかも
YUKIMURAチャンネルという番組が後北条氏を取り上げていまして、そろそろ河越城の戦いになりますので、どう描くかですね。
甲相駿による天下三分の計という訳か
戦国時代になってから、専ら関東オンリーですな。
日本三大奇襲
戦国時代の関東勢力の武将あんまり人気ないけど北条は有能だったのやな
人気が無いという訳ではなく、室町から戦国、安土桃山時代にかけての移り変わりを述べる上で信長を中心とせざるを得なかったから、知名度の問題がほぼすべて。小田原北条家は氏綱、氏康が善政を敷いたことで氏政の代で最大国力となったものの、その息子氏直の代で1回大きなミスをして秀吉に滅亡させられたからなおのこと影が薄い。
ぜんとくじは吉原公園?
この戦いで扇谷上杉朝定が討死したのかな?
元々、武田、今川は源氏、後北条は平氏。相性が良くなかったんでしょう。(笑)
戦国関東三國志。
河越の戦い、そりゃあ負けるわな。なにせ偽者の「僭称関東管領」と偽者の「僭称公方」なんだから^^;
かわごえよいくさ?
戦前の旧日本軍の陸軍大学校の卒業論文のテーマの7割が、河越夜戦と桶狭間の合戦だったと言われているが、伝説だの史実も怪しいだのとする合戦がどれだけ役に立っていたのか。夜戦と奇襲を好み、寡兵で大敵を破るのを良しとする旧日本軍の無茶な戦略戦術の背景に、この合戦があったとすれば残念でしかない。
織田信長とて、寡兵での突撃は桶狭間と天王寺砦くらいだと思われる長篠の戦いとかが示すように戦を仕掛けるのは数的有利や地の利など勝てる条件を整えて初めて挑むのが兵法の基本かと
前世療法受けたら、北条氏康でした。
伝説の「河越夜戦」は「かわごえやせん」ではなく、「かわごえよいくさ」と読みますよー
義元・信玄・氏康同じ時期に世代交代をしたのが良かったのですよ2004年のセ・リーグ阪神の監督に彰布さん中日の監督に落合さん就任したのが大正解に巨人は原さんを解任し堀内にそのせいで巨人は遅れをとったが2006年に原さんが復帰し阪神や中日と優勝争いをできるように風林火山で憲政の息子は処刑される前に氏康の額に傷を三国同盟は富士のトライアングルそう呼んでもいいくらい最強ですね
うーん、正しい歴史を伝えるなら「かわごえよいくさ」という名称で読むべきだと思うんだけどなあ・・・あと、近年の研究では別の合戦の事だったとか、そもそも起きてすらいないとかいう話もある事についてはちらっとでも触れていれば良かった。
たいした事ではないのですが、北条氐の領地の色見づらいと思いまました。
北条家は本当に現存する文書量も凄まじいし大規模な検知・公定枡の設定・貨幣制度の確立・伝馬制の確立と内政のシステムも完成度が高いのよね。氏康等の下地があって、徳川家康の世界有数の大都市改造へ繋がる…
もし関東だけで独立してもやっていけたかもね
北条5代はいい史料がなくて分かりづらかったので凄く嬉しいです。現地が見られる事がとてもワクワクする毎日ですねぇ♪よくわからなかった部分が明解ですごいと思います
毎回、楽しく見させていただいております。応仁の乱~戦国初期までの時代を、ここまで分かりやすく表現できるのは、話の展開の見事さだと思います。
関東から扇ヶ谷・山内の両上杉を消滅させ内政に卓越した手腕を見せた。
北条氏康は大河ドラマの主人公になっても良い人物だと思うんだけどなあ。
最大の見せ場が早すぎるからなぁ・・・。五代にしちゃうと薄いし早雲から氏康まで。とか?三好と北条は存在の大きさの割に極端に地味だから、ぜひとも大河などで取り上げてほしいのですが。
北条五代で作ると面白そうだと思うんですけどねぇ
1988年の大河ドラマでは北条氏康を杉良太郎さんが演じています。
甲相駿同盟は一番メリットがあるのは駿の今川義元ですね。
纏めたのが今川家臣の太原雪斎だからうまくやったのかもしれませんね
出来れば、北条氏綱を単独動画でやっていただきたかった。伊勢宗瑞 ⇒ 北条氏康の間の流れが見たかったです。
王仁や弓月君について詳しくお願いします。
意外と戦国時代の戦って資料が曖昧な戦いあるよね。
書類の残存率には定評がある小田原北条氏に
感状が全く無いという事実から、河越城の戦いの中でも実際に夜戦があったのか、大規模な戦いではなかったのではないかという説がそれなりに存在してますね(扇谷上杉が滅亡したという結果だけが残っているので、討死ではなかったのではないかという説も)
今回の動画で「戦国武将は誰も好き好んで戦う訳じゃない」ってシンプルだけど
この時代を表す良い表現だよね。
西日本の覇者な毛利家すら別に、畿内を抑えて天下人を目指してた訳じゃ無かった。
YUKIMURA CHANNEL も同じこと毎回最後に言ってますよね
河越夜戦は両上杉氏や足利晴氏の勝算が甘かったのですね。そして、太田道灌の予言(嘆き?)が現実のものになった闘いですね
当主から暗殺される間際に『当方滅亡』と言って亡くなった…と言われてますね。
楽しい動画ありがとうございます。
しかし、両上杉軍は、いくら烏合の衆とはいえ8万もの大軍を集められる事が出来るのに、なぜ、関東を平定できなかったのでしょうかね・・。棟梁の資質って大事ですね。
この甲相駿三国の家臣や縁者が後に徳川幕府の老中も歴任する有力譜代になっていくのがおもしろい展開ですね。
甲州征伐と天正壬午の乱で旧武田を徳川が取り込み、
小田原征伐と江戸転封で旧北条を取り込んだからね、仕方ないね
徳川も関東統治では既存のものを破壊せず、使える制度は人材もろとも継承したからこうなった
今川氏の同盟を選んだのは今川氏から食塩や魚介類を輸入していたからでしょうね。
甲相駿同盟の立役者太原雪斎が後の天下人家康(当時は今川家の元に人質として置かれていた竹千代)の教育を引き受けていたのと、織田氏に一度人質として横取りされた竹千代を織田信広(信長の庶兄)との人質交換で自分たちの方に取り戻したりともし桶狭間まで生きていたらどうなっていたことやら(信長の奇襲が失敗する可能性もあったとはいえ)
義元ジュニアの
氏真も雪斎の
養育を受けていたら?
叔父の信玄に侵略されず
従兄弟で義弟の義信は
謀叛の嫌疑で
切腹させられなかったかも
YUKIMURAチャンネルという番組が後北条氏を取り上げていまして、そろそろ河越城の戦いになりますので、どう描くかですね。
甲相駿による天下三分の計という訳か
戦国時代になってから、専ら関東オンリーですな。
日本三大奇襲
戦国時代の関東勢力の武将
あんまり人気ないけど北条は有能だったのやな
人気が無いという訳ではなく、室町から戦国、安土桃山時代にかけての移り変わりを述べる上で信長を中心とせざるを得なかったから、知名度の問題がほぼすべて。
小田原北条家は氏綱、氏康が善政を敷いたことで氏政の代で最大国力となったものの、その息子氏直の代で1回大きなミスをして秀吉に滅亡させられたからなおのこと影が薄い。
ぜんとくじは吉原公園?
この戦いで扇谷上杉朝定が討死したのかな?
元々、武田、今川は源氏、後北条は平氏。相性が良くなかったんでしょう。(笑)
戦国関東三國志。
河越の戦い、そりゃあ負けるわな。なにせ偽者の「僭称関東管領」と偽者の「僭称公方」なんだから^^;
かわごえよいくさ?
戦前の旧日本軍の陸軍大学校の卒業論文のテーマの7割が、河越夜戦と桶狭間の合戦だったと言われているが、伝説だの史実も怪しいだのとする合戦がどれだけ役に立っていたのか。夜戦と奇襲を好み、寡兵で大敵を破るのを良しとする旧日本軍の無茶な戦略戦術の背景に、この合戦があったとすれば残念でしかない。
織田信長とて、寡兵での突撃は桶狭間と天王寺砦くらいだと思われる
長篠の戦いとかが示すように戦を仕掛けるのは数的有利や地の利など
勝てる条件を整えて初めて挑むのが兵法の基本かと
前世療法受けたら、北条氏康でした。
伝説の「河越夜戦」は「かわごえやせん」ではなく、「かわごえよいくさ」と読みますよー
義元・信玄・氏康
同じ時期に
世代交代をしたのが
良かったのですよ
2004年のセ・リーグ
阪神の監督に彰布さん
中日の監督に落合さん
就任したのが大正解に
巨人は原さんを
解任し堀内に
そのせいで巨人は
遅れをとったが
2006年に原さんが
復帰し阪神や中日と
優勝争いをできるように
風林火山で
憲政の息子は
処刑される前に
氏康の額に傷を
三国同盟は
富士のトライアングル
そう呼んでもいいくらい
最強ですね
うーん、正しい歴史を伝えるなら「かわごえよいくさ」という名称で読むべきだと思うんだけどなあ・・・
あと、近年の研究では別の合戦の事だったとか、そもそも起きてすらいないとかいう話もある事についてはちらっとでも触れていれば良かった。
たいした事ではないのですが、
北条氐の領地の色見づらいと思いまました。