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イタリア在住ですが、こちらの人はボランティアはやりたいからやっているだけで人から感謝されたいとかそういう感じがないと思います。だから、世話になる方もすごく謙ったりってことがなく、あっさりしていて楽だなって思います。人の世話になることをあまり恥と思わない文化なんですね。恵まれた人が他人を援助するのは当然で、恵まれてない人が施しを受けるのは当然という。日本の恥の文化も長所はありますが、行き過ぎは生きづらさにつながると思います。
横からすいません。お言葉ですがヨーロッパといっても広く私が住んでいる北ドイツハンブルクでは全く違う体験をしています。少しでも困っている人がいるとすぐ手を差し伸べてくれます.ドイツ人だけでなく色々な人たちが。ちなみに私はドイツに50年住んでます。
長谷部のいるところですか?
@@yumikostuve245 ドイツには、何度か行きましたが、確かにそうゆう方もいらっしゃいました。
私はドイツに住んでいましたが、親切な人やおせっかいな人が多かったです。メール主さんとは違う印象です。むしろ日本の方が他人には無関心に感じます。フランスやスペインなどに旅行に行っても親切な人が多かったです。キリスト教文化とかコミュニティ文化の影響もあると思います。日本はコミュニティを形成している構成員としての市民という意識が未発達なのではないかと思いました。東日本大震災の時、千羽鶴を送ったのに感謝の返事がないと言って怒っている人がいましたが、そういうトンチンカンも、そういうところから来ているのかなと思いました。
フランス在住です。ボランティア経験はありませんが、普通に大手スーパーで仕事をしています。あまり他人に気を遣う文化ではないので、言わないと伝わりません。職場で言い争いもありますが、とことん意見をぶつけて、次の日には普通に何事もなかったように仕事します。ただ、嫌いな人にはあからさまに態度に出します。文句も言えるし、客と店員は対等なので、お客の無理な要求は断固拒否。出る杭は出てこいという精神なので、性格的に強くないとフランスで暮らしていくのはきついと思います。
私はヨーロッパは、イタリアとスペインによく行ってましたが、空港や駅などで、重いスーツケースを運んでいると、必ず、絶対100%と言って良いほど、男性が持ってくれました!!毎回感動して泣きそうでした😭😂私が日本人の女の子だったから?っていうのもあるかもしれないけど、とにかく、ちょっとした階段や段差がある所で、スーツケースを持っていたら、若い男の子から、年配の方まで、男性が手を差し伸べてくれます。私はそれから日本で、スーツケースやベビーカーで階段で大変そうにしている方には、必ず手を差しのべるようになりました😊日本では、誰も手伝おうとしてくれません😂お手紙書いてくれた方のお話とは、なんか逆だなと思いました😅
EU圏内ではもうなくなってしまいましたが、イギリス在住です。ロンドン郊外で10年くらい前に本専門のチャリティショップでレジや商品整理のボランティアを少しやっていました。金銭は発生していませんが、好きな時間だけ来て、暇なら本を読んでいていいよというゆるーい感じでした。私は色んなイギリス人と話したかったし、暇つぶしに来ている人もいましたし、学生はイギリスの内申点みたいなもののためにやっていたと聞きました。他のボランティアの人たちと紅茶とクッキーを一緒に食べたりして楽しい思い出です。失っても惜しくない時間と労力のお裾分けと言った感じでした。今はまた変わっているかもしれませんし、都心かどうか、組織によっても違うとは思いますが、参考までにコメントさせていただきました。
ヨーロッパ在住歴30年です。私の住む地域では、我慢や苦労を美徳とする考え方はないので、ボランティアも好きでやりたい方が楽しみながら行なっていると感じます。そのため感謝の強要?もなく、お互いさらっとしているような気もします。(苦労して頑張って助けてるのに感謝もないなんて!とは考えない)文化的、言葉の違い(こちらの言葉は、はっきり言うようにできている。対する日本語は察したり曖昧さを残す言語)から、こちらでは嫌なことは嫌と言って良い、というより言うのが当たり前であって、言わないイコール嫌だと思っていない、ととらえられます。色々書きましたが、私は日本人の優しさに癒されています。こちらふうのさっぱりも楽ですが、日本人の優しさがやはり好きです。メールを書かれた方の最初の文章は、自分が言われたら悲しいと思いました …何を言うにしても表現の仕方を少し思いやりをもって考えてみるのもいいかもしれませんね☺️
国際結婚25年伊在住です。お話された方とここは随分違う気がします。社会全体が所謂カトリックの文化のせいかもっと他人に気がるに親切にする人が多いと感じます。自己肯定感の為とかではなく恵まれた人がそうではない状態の人に手を差しのべるのが当たり前と言う感じでしょうか。
私自身は欧米かぶれなだけですが、留学経験のある方々とボランティア活動をしていたことがあります。主催者の方は、楽しんでやれる範囲で、無理しないようにとの考え方だったので、幼い子どもがいても皆んな続けることができました。日本色が強いボランティアに参加したときは、確かに責任感が強い素晴らしさは感じましたが、フルで参加できないと居場所がなくなっていくような、無報酬でも拘束時間が長く厳しく、無言の圧力があるように感じてしまい、だったら仕事したほうがいいかな…という気分になってやめてしまいました(子どもも幼くて、幼稚園にお金を払って延長保育をして参加していたこともあり)。主催者の方は、出来る時間だけ参加してくれればいいという考え方でも、全員がその気持ちではないので、他で参加する時にも覚悟が要る気がします。やってもらう側も、お客様扱いを期待して文句を言ってくる方もいますし、日本にももっと気軽なボランティアが広まってほしいなぁと思います。
在英で何度がボランティアをしましたが、人から感謝されたいとかいう感じでボランティアされてる方に出会ったことはありません。こちらも人に親切にしたり貧しい人や困った人を助けるのは当然で、これはキリスト教などの宗教的精神かもしれませんが、小さい子供でも自分より恵まれなてない子供にお小遣いを寄付したりしてチャリティー精神が高いです。また、チャリティー団体のカウンセリングやサポートグループも豊富で、困った時や辛い時は気軽に利用できます。優しく温かい善の連鎖が日本にも広がればいいですね。
境界線の引き方が日本と違ってしっかりしているのですね。援助者が燃え尽きることがなさそうで良い仕組みだと思いました。
共依存が起きにくくなるように注意してるみたいです。個人の境界線の侵入や侵害を本当に危惧する文化なんでしょうかね。
失礼てすが、それどこの国?って思いました。私はドイツに住んでいましたが、困ってる人に手を差し伸べるのは、息をするように普通のことでした。結論から言うと、それは民主主義、自治の精神が強いように思います。以下、長文ですので興味のある方だけどうぞ。ボランティア精神の例を2〜3あげると、街には車椅子の人がたくさんいて、乗り物の昇降などは周囲にいる全員がサッと動く。大きな事故が起きて、輸血が大量に必要になった時は、献血会場に男も女も大勢押し寄せる。また、孤児を養子に迎える家も多いです。個人主義というけど、ストライキとかデモも活発で「団結」という合言葉をよく聞きましたよ。フランス人の友人がいますが、市民の手で王様の首を切った、民主主義を勝ち取ったことに心底誇りを持っていると感じます。(「日本では、政治の話はタブーなの」と言うと「じゃ、何を話すの?」と聞かれ「天気とか」と答えたときの友人の驚いた顔ったら😮!!)キリスト教文化も大きいけれど、その割には戦争に関与するし、やはり個人主義とか博愛精神だけでは説明できないと思います。むしろ、本当に自分達の手で民主主義を勝ち取った国の人々なので、自治の一環としてのボランティアという印象が強いです。長く書いたけど、正しいと思うことをする、自分達の国は自分達が作る、そういうカルチャーの一環だと思います。それに対して、日本の場合は「自分も助けてもらったから」とか「生き甲斐がほしいから」とか、感情的な理由があることが多いので、思ったのと違うと解決策を議論し合うことなく我慢したり、バラバラになったりするのかも…と思いました。読んで下さって有難う
今、ボランティアに参加しています。数時間だけの活動ですがそのボランティアの内容に集中していて嫌な事も忘れる時間が出来てます。1日中じゃなくも数時間でも出来るボランティアに先ずは参加してみるのも良いかも知れません。
やりたい人がやりたいだけやるってのは趣味と同じで、気楽っちゃあ気楽だけど、すごいあっさり切り捨てられそうな感はあるな。
全然関係なくてアレですが、毎週通う教会に東南アジアの信徒さんがいて、割と最近話をするようになりました。お互いに異国なので微妙な言葉や発音が違うので戸惑う事もありますが、そこは愛を持って少しずつ会話をしています。それが別にボランティア精神とかではないんですが、最近は仕事でも外国籍の方と会話する事が増えたので、些細ですが仕事上の会話には確実に繋がっている事を実感しています。日本国の文化ももちろん大切ですが、こういう、異文化の回もためになりました。また機会あれば視聴したいです。
ボランティアも、自分のためにやっている、というのはすごくシンプルで正直で清々しいな、と思います。そういう気持ちで受ける支援は気楽で元気になれるような気がします。日本のボランティアや福祉などに時々感じる、「相手がかわいそう」といって、相手のためを思っている体裁で、自分のことを満たしたいという気持ちがすけてみえる時、なんともいえないげんなりとした気持ちになることがあります。もちろん、そうじゃない人ももいると思うので全部ではないですが。「助けたい」気持ちの押し付けは、負担を増やすだけだなぁ、と感じることが多かったです。
動画の趣旨からズレた感想で申し訳ないですが、我々は結局、世間からこう見られているんだなってことが悲しいです
知らないんでしょうね。いつかブーメランが返るんじゃないかと、逆に心配してしまいました。私こそ、よく知らない人たちのことをあんな風に言うまいと自戒します。
他人のために何か行動ができるのは、素晴らしいけど、そこに「せっかくやってあげたのに」と変換してしまう人もいたり。お礼も言わない!と、怒る方もいます。福祉を仕事にしてる方も、もう少し考えて欲しいと思うこともしばしありました。ボランティアという立ち位置を、福祉の方がいいように利用したり、解釈する方もいて、活動するのもなかなか難しいものだと思いました。有償ボランティアを受け入れられないシニア層もいて、これもまた難しい。乱文失礼しました。
そもそも文化の違いだと思います。ハワイに従姉がいて時折日本に来ますが何故YOUははっきりしないの?と何時もバッサリ言われて苦手ですボランティアでも意見をトコトン言い合って主催者側でも問題のある人はもう来なくていいとハッキリ言います日本人の情とか慈悲とか無い主体性重視の文化なので私はとても苦手です😢そのかわり何かを頼まれて納得したらとことん面倒見てくれます。この方のメール、とても勉強になりました。
日本、親切な人もいるけど、我関せずの人が多いと思います。近所の人がどういう人なのかもわかりにくくなってきていますし。
2018-2021にフランスのパリに住んでいました。言葉の壁のために現地の人に助けてもらうことが多くありました。もちろん嫌な態度を取られたこともありますが、日本と違ってあまり気になりませんでした。1人に嫌われても、そういう人もいると割り切れるのだと思います。日本だと、相手は1人なのにの社会全体のような感じがします。均一と、団結があることがよしとされるからでしょうか?本音と建前があり、それも余計に傷つきます。フランスでは嫌いなら嫌いで離れればいいと分かるので、とても気が楽でした。
ヨーロッパは察する文化がないので、主張されたら助ける、が普通なのかなと感じました。主張しない人はカウントされない。逆に主張さえすれば、結構助けてくれるみたいなイメージです。だから押しが強いというか意見がはっきりしてる方が日本より多いのだと考えてます。
ボランティアではないのですが、私が講師を務める講座で、和を乱す生徒さんがいます。おそらく発達障害の方で、何度注意しても直りません。私は講師を続ける自信がなくなり、辞退しようと考えていました。ですが、今日この動画を見て「問題を起こす人を容赦なく追い出す」ということが、海外では まかり通ることを知り、少し自分の中の考え方が変わりました。講師を辞退する前に、生徒さんを講座から外してもらうことができないか、厳重に注意してもらえないか、雇用主に相談してみようと思いました。いつも動画配信してくださって どうもありがとうございます。
素敵!他の生徒さんも迷惑しておられるかもしれないので、良いお考えだと思います。私の習っているグループレッスンでも、和を乱す方がいますな、先生が注意してくれず、私が辞めました。とても残念でした…。
ちょうどここ最近、ボランティアについて唸りながら考えていたところでした。明らかに自分への負担が大きいとき(精神・身体的に・時間拘束など)、けれども自分も部分的にその恩恵を享受しているとき(奨学金を受けている・社会的な体験)、本当に悩みます。とりあえずの落とし所は、難しく考えずに自分が誰かのためにやりたいと思った時に頑張って、無理だと思ったら「ボランティアだし」と開き直る、ということにしました。在籍校の連携大学でボランティア論を学べるので、履修してみたいと思っています。
【宿題】 イタリアやイギリスに以前行ったことはありますがはボランティアを見る事はなく でも観光でもとても皆さんが優しく親切でした。今自分がしている地域のボランティアですが、小学校の先生が足りないので調理実習のお手伝い、見守りのボランティアをしています。 難しい事をするわけではないですが 専科の先生がおらず担任の先生が 前の授業を終えて調理実習をしなければならず 今の公立の小学校のリアルを見れて良かったです。
ドイツ在住12年です。私も、日本人と比べてヨーロッパ人の特徴は、相手がどうして欲しいかじゃなくて自分がどうしたいかで動いてるという所だと思います。住んでいる肌感としては、個人主義が浸透してるので、個人の意思一つ一つが社会を形成していて、犯罪が起こらないように外堀として法律が社会規律を管理し、中身は個人の判断に任せるので、いい意味で他人に干渉されず、モラルが法律のように機能している日本に比べて寛容な雰囲気があります。電車で高齢者が乗ってくると、率先して同時に何人も立ち上がり、大丈夫って言ってるのに何度も聞いてきたりと、自分の親切心を恥じないです。逆に満員で席まで遠い場合、譲ってくれるまで待たずに自分から大声で譲ってくれないか頼んできます。どの場合も、誰もが自分のしたい事を主張する事で成り立ってる社会です。助けて欲しいとき助けてくれない、と思うのは、日本人ならではの受け身の感覚かもしれません。ドクターの別の動画で、日本と韓国を比べて日本は個人主義だという話がありましたが、ヨーロッパの個人主義は日本のそれとはかなり違うので、日本人がヨーロッパ人のような親切心を持つには社会構造もメンタリティも変えないといけないでしょうが、日本がそうなる必要もないとは思います。
オランダ在住10年目の者です。私はボランティアしたことがあるのですが参加理由として社会貢献、社会との繋がりが欲しい、オランダ語の向上などです。周りのボランティアの方々も社会との繋がりを求めている方も多かったです。そして親切については人にもよりますが困っている人がいたら求められなくてもすぐ助けている印象があります。仕事に関してはオランダ人の夫は給料が良くても楽しくなかったら止めると言われたこともあり驚きでした。また有償ボランティアもあり、私自身ボランティアしている所からクリスマスのプレゼントをいただいてました。
日本の話ですけど、学生さんのボランティアで「時間や労力を提供するのはいいけど、現地に行く交通費とできれば食事は出してもらえたら…」というのを聞いて、確かになぁ…と思ったことがあります。
寄付文化の無い日本には、その代わりに勤労の義務がある。これは恐らく労働自体に社会奉仕の側面があると考える文化だと思う。そのため安月給で働いてる時点で常時ボランティアに半分参加しているようなものなので、仕事以外のボランティア活動にわざわざ参加しないし、ストライキもしない。しかしその労働が社会奉仕に繋がるかというと、資本主義の最適化が進むにつれ、世間様の為の労働のつもりが、いつの間にか資本家の為の労働となってしまい、よく働くというだけでは社会奉仕に繋がらなくなってしまった。上っ面だけ西洋の真似をした弊害はこんなところでしょうか。
親切のあり方: ヨーロッパは何事も「求めよされば与えられん」が根強いと感じます。イギリスなどは信仰心の薄い人も多いですが、やはり生活習慣、行事、社会通念的な価値観は無意識のうちにキリスト教的価値観が根にあると感じます。もちろん求めても与えられないことは往々にしてありますが、「助けを求められない限りは立ち入らない」というのは「誰でも自分で何かできる力を持っている」、「自他境界」といった精神科領域や治療理論にも影響を与えているのではないかと思います。それはヨーロッパ文化で言えば「その人の力を信じている」、「立ち入られて嫌な部分には入らない(プライバシー)」ですが、「もっと話を聞いてほしい」、「共感してほしい」という希望が日本人患者にあるとすれば、精神科クリニックへの低レビューなど、期待値やボタンのかけ違えになりそうですね。ボランティアのあり方: 自分が情熱を持っていることを、自分ができる範囲でやることが多いと思います。「自分ができる範囲」は人によって「負担にならない時間」だったり、「楽しめる範囲に留めておく」、「対応できないレベルのルール違反は看過しない」などそれぞれの方の線引きのバリエーションが異なるのでは。逆に、「日本的なボランティアや親切」があるとしたら知りたいです!奉仕精神 (spirit of service)と自己犠牲的な精神、母親的なもの(caring, nurturing)が絡む等なのでしょうか?それとも「お天道様が見ているから」?「徳を積んで極楽浄土に行く」ため?とても興味があります!
原罪を負っている怖さ辛さはあるけれど、それでも個々人の力を信じられている感覚があるのかな、それは凄く感動します。エンパワーメントという言葉も好きです。
ヨーロッパと日本の考え方の違いを聴くことができて学びになりました🍀貴重なご意見が聴けて、驚きとともにすこし視野が広がったように思います人のために動く理由は自分がしたいから、ボランティアは自分たちが楽しんでできることが大前提、負担なら追い出すのは当たり前というのが、気持ち良いくらいストレートで能動的な感じがして、さっぱりしてると思いましたボランティア文化が根付いてない国で自助会をつくることがなぜ難しいのかそして、Dr.や運営さんやメンバーさんたちは、すごいものを日本につくろうとしているんだなあとこの動画をみて改めて感じました・ω・
キリスト教文化、ということが大きいと思います。隣人を愛し、助ける。カナダに数十年いますが、ボランティアの方々の絶対諦めない、という態度に感心させられます。例えば、こちらはマイナス40度くらいになるので、毎年冬になる前に、ポリスやボランティアの人達がホームレスを見付けて、彼等が凍ってしまう前にシェルターにぶち込むのに必死になります。お金のことですが、私の関わった双極性障害のNPO法人では、みんなで一生懸命考えて、製薬会社を回るとか、どこの誰がお金を持っているのか考えます。お金があれば社会活動、啓蒙活動など、できることも広がるし、できるだけメンバーにお金を渡すこともできます。ボランティアだからお金をもらえない、じゃなくて、お金があればできることが広がる、という見方が大事だと思います。
向こうではもっとサクッと自己肯定感を得ている、得ていい、得る機会があるカルチャーということでしょうか。主体的であることも、日本とは根底から違いがあると感じました。自分の意思をへし折らないまま、社会と折り合いをつける、社会参加していることが、単純に羨ましいと思いました。
鬱の治療中で社会復帰に迎えリワークを始めましたが 地域のボランティアに参加しました。少しずつ 人に慣れて行く事をしてしています。
テーマとは離れるかも知れないのですが昭和生まれの私見ですが、周りの美徳として、傷みや苦労が伴う善行に価値が高いというような感覚があるように思います。効率よく傷みを少なく楽しくラクすることが後ろめたい…。勉強,スポーツ練習,出産,収入を得る事,ボランティア,なども。あと1度始めたら終わりまでやるべき…など。
私の個人的な考察欧米というのはベースに階級意識というか選民意識のようなものが強く、上のものが下のものを助けるというような意味でのボランティア精神、もしくは弱いものは助けるという精神があるような気がします反対に日本は階級とかではなく、それこそ人間性に対しての評価?もしくは集団の中でちゃんとしてほしいという同調圧力みたいなものからくる意識が強く、ある意味自己責任論みたいなものがある気がします誰に対しても平等に見るからこそ、自己責任でしょうという厳しいシビアさもあると思います変に上からボランティアするなんてのは傲慢だという感覚というか、ある意味その人たちを尊重する意識でもあると思いますそれでも基本的に日本人は相手に対して誠実で優しいと思います
益田先生、こんにちは☺️今回も楽しく学ばせていただきました。ありがとうございます✨ヨーロッパが契約カルチャーの国で、そういうカルチャーからボランティアが始まっていることを知らなかったので、本当に、認知が広がったというか、私も勉強になりました。こういうご意見とかご指導って、本当に、すごくありがたいですね✨ただ、視聴者さん、本当に言い方悪いな…と思いました😂未来のことなんて誰にもわからないし、生老病死は誰も避けられないし、いずれは視聴者さんも、支える側から支えられる側に、社会性のない人、子供っぽい人、自己中心的な人、事実が捻じ曲がって見える人、悪く受け取る人、明らかにトラブルを起こしそうな人になるかもしれないのに…。そういう言い方をされると、当事者としては、やっぱり、傷つくなぁ…悲しいなぁ…と思います😔「一つ目は、人に親切にするときの線引きラインが違います。」(確かになぁ~)と思いました。4~5年前に、接客販売員の仕事をしていた時、障害者雇用で会社に入って。先輩たち、優しかったんですけど、お前のことを心配しているから、言ってやってるのに!とか思われて、(その優しさに従わないと不満に思われるのではないか?)(もう仕事を教えてくれなくなるのではないか?)と思い、「自分でできます!」って言えなくて…。困っているように見える人がいたら、頼まれてなくてもこちらから手を差し伸べるって行為が、実は、支援される側の自立を妨げてる!ってこともあるんだよなぁ~と感じます。「周りにつらそうに見える人がいても見守るだけです。そして、助けを求められてはじめて動き出します。」『見守ること』が一番難しくて、でも、これが一番大事✨なように思います。日本もそんな風になるといいですよね✨そして、自分が支援される側になって、そういう経験をしたことで、今度は、困っているような人がいても、(どこまで手を差し伸べていいものか…?)と悩んだ時期がありました。その後、介護職での知識や経験、益田先生の動画で色々なことを学ぶ中で、『相手の意見を尊重すること』が大事だと知り、「お手伝いしましょうか?」「私にできることありますか?」と、一言聞けるようになったり、人から冷たい人だと思われても、むやみに手を差し伸べなくなりました。一方で、きっと、日本人の良さもありますよね😊ちょっと違うかもしれないですが、前にニュースで見たことがあって。海外の方が、「日本でお財布を落としたらどうなるか?」という実験をしたRUclipsが話題になっていて。「日本でお財布を落としたら、100%返ってくる。日本は、良い国だ」という結果でした。接客の良さも日本って、世界一だそうですね✨「二つ目は、人に親切にするときの動機の違いです。一方で、この国の人が人のために動く理由は、徹底して『自分がしたいから』というものです。」という点に、結構、衝撃を受けました。楽しんでできることは大事そうですが、支援される側の気持ちがおいてけぼり…ということにはならないのでしょうか?😥「三つ目は、ボランティアにもそれなりの報酬があることです。」これも、かなり衝撃的で、私には、この仕組みが良いのか悪いのか、今のところわかりませんが、(報酬があったほうが、支援される側からしたら、気持ちが楽な部分もあるのかなぁ?)と思いました。「僕は留学経験がないんですよ、実は。留学を考えたことがあったがお金がなかったんですよね。」との、益田先生のお話、(益田先生もお金のことで悩んだりしたんだなぁ。同じなんだなぁ)と思いました。(そういう経験をされた益田先生だから、患者さんの気持ちがわかってあげられるのだろうなぁ✨)と、改めて感じました。本日の宿題の「自分の分野では、こういうことをやっているということ」ですが、私は、創価学会員で、公明党をお願いする立場でもあります。100%ボランティアです。善の行いなので、投票に行ってくれた人に『福運』がつくと言われています。私たちは、友人に、『福運』をつけてほしくて、幸せになってほしくて、お願いをしています。今でこそ、「公明党がいないと政治が回らない!」と言われる時代になりましたが、過去には、色々言われることもありました。「お前らなんて、寄生虫じゃないか!民主党が政権握ったら、どうせ民主党と組むんだろう!?」とか、「公明党は、99%マニフェスト実現してきたんだよ~」と伝えても、「じゃぁ、1%の人はどうなるの?救えてないじゃん!」とか。傷ついて、涙した日もありました…。「その人一人を説得している時間があったら、その辺歩いている人3人にお願いしなさい。遊びでやってるんじゃないんだよ!」と、旧婦人部の方に指導されました。99%マニフェストを実現してきたと言っても、どんなに良いマニフェストを掲げても、結局は、次の選挙で勝たなければ、実現できないんですよね…。仏法は勝負!仏法って、厳しいですよね😂「利用規約に違反した人たちも何とかならないかなと言って、中川さんと頭抱えながらやっていた」との益田先生のお話を聞きながら、(こちらの思いが届かない…それでも幸せになってほしい…と頭を抱えること。でも、どこかで折り合いをつけないといけなかったり、そういう葛藤の中でやってる…何か、そんなことを思い出していました。ヨーロッパカルチャーには、慈悲はあまりないのでしょうか?🤔益田先生🤗私たちの使命は、大きいですね💖
いつもありがとうございます。とても良いお話しありがとうございます😊宿題📚今日は回答できる経験がなくて、すみません。代わりに感想をお話しして良いでしょうか。国の違いで習慣が違う、考えも違う。とても衝撃的なお話しでした。基本的に日本人の寄り添いは優しいので、益田Drや中川さんが迷ってしまって来たという事が理解出来ました。私も人間関係に慣れる習慣は付けたいですが、今の私には、まだ負担が大きいと感じてしまいました。すみません。このままメンバー参加で、もう少し元気になったら自助会にご協力させて下さい🍀これからもよろしくお願いします。
まず、対象者が一般では難しいことと、トラブルになることは必ずでてくることをしっかり理解した専門職のかたが運営してゆくことが大切なので、比較するものが個人的には違和感を感じてます。それならヨーロッパの自助グループやまたは社会更生グループなどのお話などが聞けるとリアルにかんじて行けると思いました。
ボランティアの金銭的報酬はない方がいい気がしますね。先生の話を聞いていると直感的に分かります。オンライン自助会がそういう場であってよかったです。
月に2回ボランティアのような事をしに行っていますが、同じ立場の1人がどんどん性格の悪さを発揮してきて困りました😂今はだいぶ落ちついており、私も距離感をつかめるようになってきましたが、さんざんな目に合い。。どうやら無理して来ているのでは?と思いましたが、親の手前、やめられないようです。自分に向いているか向いていないかを見極めるのも大事だなと思います。。あまり関係ない話ですみませんメール主の方、海外在住の皆さんのご意見、とても勉強になりました🙇♀️ありがとうございました!
とても良い内容だと思いました。宿題。ボランティア=志願兵というイメージがあります。
ヨーロッパと日本の考え方の違いはとても興味があるので楽しく見ることが出来ました。聞いた話で恐縮なのですが、ヨーロッパですと車いすを使っている方にとても親切だそうです。日本だと電車やバスを利用するときに事前に連絡したりするなど手続きが求められることが多いですが、ヨーロッパだとぷらっと出かけて、困った時にその場にいた人が助けてくれるみたいです。日本だとエレベーターなどの設備や制度などハード面で人をフォローしていく一方、ヨーロッパは人というソフト面でフォローしていく。どちらも一長一短あるかもしれませんが、良いところは学びたいです。
認知症の方を対象に集団レクをやっています。症状から来るものではありますが、怒鳴ったり悪態をついたり場が荒れる事が多々あります。何度か説明してもダメな時はそれこそ場を離れてもらっています。慣れない頃は線引きのラインがよくわかりませんでした。仕事で自分一人でレクを担当するのもあり、自分のやり方に自信が持てず…場を離れてもらった後でこれで良かったのかと考えてしまったり゙。認知症についての勉強もしていますが、その場になるとカッとしてしまう自分もいます。何年かやって来てようやく少しレクの雰囲気や自分自身も落ち着いて来ました。難しいですね。今日のお話しはいろいろ興味深かったです。聞いていてこれまでの事を思い出していました。ありがとうございました。
ボランティアやってみたいですが、やるなら子どもに対してかなぁと思っていますトラウマが固まって(表現変だったら済みません)しまう前の子たちに少しでも視野を広げる役目になるようなものが良いのかなと。
日本は人を育てる事を前提にしたボランティアの様な気がします。ボランティアを楽しむ事とは違います。対価があるのも報酬が目で見えるので、それも良いかと思いますが、日本のボランティアはもっと深いと思います。人の命を守るに近いものだと思います。日本人の良さをもう一度振り返って欲しいです。よその国と比べるものとは違う様な気がします。
これくらいの距離感が自然というか日本の村社会は不自然で生きづらい
英国と米国に合計5年間滞在しました。彼らは、こちらがヘルプを求めると、とことん助けてくれます。また、私たち夫婦はある共同体の指導者をしています。私たちに批判的な人々は出て行くのですが、それを私たちに愛がないと批判されてしまうのです。日本人は人を甘やかす文化だなぁとつくづく思います。
ボランティア活動は、責務でも娯楽でも趣味でもありません。人のためにあるものです!
こんにちは😌宿題提出させてください。留学経験も、海外に住んだ事もありませんが💦(新婚旅行でハワイに行ったくらいです)昔、学校の授業で日本は無宗教が多い。なので、外国の文化を取り入れやすい。お米、漢字、カレーライスとかその他色々日本人に合うように独自に進化させてきた。と習ったような覚えがあります。そこからどう表現していいのか分かりませんが例えば絵の具の黄色と青色を混ぜて緑色を作る途中、マーブルの所と黄色と青色が残ってるところもあるみたいな感じでいけたらいいのになぁと個人的に思いました。分かりにくいかもしれなくてごめんなさい💦そのマーブルの部分、緑色の部分の人達が、黄色と青色の橋渡しみたいな存在になれるようになったらいいなぁと思います。理想論じゃん、と言われたら理想論かもしれませんがお互いの文化を大事にしつつ、いいところを取り入れるトライアンドエラーの精神ですすんでいけたらいいなぁと思いました素敵なお便り紹介していただき、色々考える事ができ、他の方も色々な考えがあるんだなぁと凄く勉強になりました😊宿題提出しても、色々考えてしまうかもしれません💦こんな機会を与えてくださり、ありがとうございます✨
この動画を見た時に(地球ラジオを思い出しました)ラジオで地球ラジオと言うラジオ番組があるんですが、日本人が他の国で住んで感想という内容が主です。←ここがポイント私はそういう事もあるんだ・・・とラジオを普通に聞き流していたのですが実際、 私が実現すると(真似をすると)難しいという事がわかりました。スリランカの知り合いが家に泊まりに来た時に日本人とスリランカ人の感覚の違いを引っ張り出せませんでした《なぜ出来なかったのか?》1、お互いの共通があってどう思ったのか?と言う話が出来なかった2、言語の壁で深く話し合えなかった3、3人居たのですが3人とも性格や感覚が違う(結論、人それぞれになってしまいがち)なので、今回の動画や地球ラジオの日本人と言うOSを持っている人が他の国に住んでどう感じたのか?どこに違いがあるのか?どの部分が使えるのか使えないのか?わかりやすくて面白かったです今回の動画のような形式を定期的にやって欲しいと思って見ていました
NPOから報酬をもらってボランティアをしたことがありますが、資金の出所は自治体の助成金でしたね。恐らくヨーロッパの事例も募金や助成金などから報酬や研修費を出しているのかなと。外部からのお金の流入がない限り報酬は諦めざるを得ないかと思います。
賞状と缶バッチ良いですね😊
親戚がアメリカでボランティア活動に参加していました。支給されるのは交通費のみでしたが、精力的に参加していました。あと、違う話ですが、カナダ人の心理士さんが主催しているコミュニティに参加していた時期がありまして、たしかコミュニティに入るのは無料だけど、有料コンテンツがよかったです。ものによって、一万円とか、三万円、とかだったと思います。コースによって、ビデオだけのものもあれば、その心理士さんとズームで質問会があるコースもありました。
日本で生きているので、日本のやり方でいいんじゃないのかな?と思います。日本の良さをこのまま受け入れて行けばいいんじゃないのかな。また、海外には海外のやり方でいいし、どちらがいい正しいという問題でもないと思います。
日本国では年長者を敬う、女性は男性を立てる、周りには合わせる、本音と建前の使い分けをする、根性を鍛える、みたいな側面もありますが受け入れられますか?
@@Mio-San_ 上げてくれた例は、年配の人が主張してるような内容なので、そこは私自身は受け入れないと思います。ただ、島国であったり250年前までは鎖国していたり、宗教的な事も含め海外とは違うところがたくさんあるので、一般的にヨーロッパのような考え方が出来るのはもう少し先の話だと思います。空気を読むのは日本人の良さだとは思っています。
日本人は相手への共感が始まった時に、自分が同じ立場ならやって欲しいことを相手に行うスタンスなのかなぁ(ボランティアもしかり)とか思いました。結果的に受け取る側は受け身になるし、(私の場合は⇒)いったん関係がはじまると重たいから(思い込み相手ファースト💦)うかうかと関われない。。。
私もボランティアは報酬がモチベーションあげるのに必要だと思います。なので、自分はボランティア活動はしたことはないですし、今後もする事はないと思いますが、そういう形の話が出たならNPO法人を立ち上げて活動すると思います。正直、ボランティアというのはお金に余裕がある人がするもの、と思っています。仕事休んでまで出来ませんし、自分も精神疾患を患っているので、自分の身体を害してまでとてもじゃないとできないです。そこまでできる方たちは尊敬でしかないです。ただ、当事者同士で話し合う、などは、自分のためにもなるのでやりたいと思います。
楽しいから・利益があるから=続けられる、自分たちが倒れて本末転倒にならないようにでもありそうでどちらが悪いではなさそう察する文化や能力が無いとよく聞くけど、無かったとしてそれは踏み込みすぎない、間違ったことを押し付けないという思いやりとなるののかもしれない(意識してなくても)価値観、考えはがみんな違う、自分と同じではないということを日本人より理解しているように見える私が日本で見たボランティアは進学や社会的評価、自分たちのたまり場のためにだらだらとやる子たち、人たちだったそういった人たちは自分と違う生まれや状況の人への想像力がないというか、自分たちとは違くて関係ない、自分たちと地続きの問題ではないとして笑ってるように見えた(本題とズレるけど……。いじめをしたり他人に上下をつけて態度を変える人がいるが、なぜそれで罪悪感をもたず楽しそう生きれるのか本当にわからない直視したくなくておしころしてるのかもしれないが、本当に思わない人もいて、その人たちは自分が負の影響を受けて揺さぶられないというある意味良い性能を持ってるのかもしれない)国内にも善意でやってる方もたくさんいるんだろうけど日本人の、とこかの国のボランティアを崇高だと持ち上げてもそれが本当に崇高で絶対良いとも思えない結局人は自分のためにボランティア含むなにかの活動をしていて、それが結果役に立ってるだけ事実役に立ってるから良い事と呼ぶのだと思っているそしてそういった行動があると広まるとみんなが安心したりやさしい気持ちになれる効果もわかる優しい人の中には自分の活動はエゴだと気づいてる人もいる人間が役に立つことで幸福になるともよく言われてるあぁ、そういえば……善意の裏にエゴが会ってもいいとそれでもいいのだ、相手にとっては真実だしそれを続けたら自分にとっても本当にになるんだとTEDかなにかできいてそれがずっと私の頭にのこってる
ノルウェイの森という小説の解説を求みます。
こんばんは🌛本日も動画をありがとうございます。視聴者さんや患者さんからのお便りコーナー良いですね✨今後もこの様なシリーズを続けて欲しいです✉宿題とまでは行かない余談なんですが、GLAYのTAKUROさんは現在二度も紺綬褒章を頂いた程の寄付やチャリティーにご尽力されていますが、きっかけは当時お付き合いされていた方の影響だったそうで、その方とは結ばれる事は無かったのですが…きっかけは何であれ、現在でもチャリティー活動を継続され、勲章を頂ける程に活躍されているお姿は尊敬致します。ちなみに昔ガチ恋勢でした😅推しをきっかけにボランティアや寄付に興味を持つ事も悪くないよねと思います。私自身、自己探求だけでなく、日々患者さんや当事者家族の皆さんの為にご尽力くださる益田先生に何かしらご協力出来ればなとおもい自助会加入やグッズ購入してますし🫣まだ自助会に加入して日が浅いので、もっと深く知った時に何かアイデアを提供出来ればなと考えております。
序盤、私達が社会から受けている差別と同じ視点で、少しがっかりしました。
ブーメランが返るんじゃないかと逆に心配になりました。他山の石として、私こそ良く知らない方々を差別しないようにしようと自戒しました。
何回か外国に行ったことがあります。そんなに長い期間ではありません。お手紙の方が「異次元」と仰っていたように、ヨーロッパ特に大陸は、人を峻別する気がします。できる人とできない人、まともな人とそうでない人、安全な人と得体の知れない人。話の内容も外見も発音もその判断材料にされます。まあ...こっちからしたら失礼だなって思うことしばしば。そんな感じがしたかな。精神的自立は当然なので、日本人で時々あるのですが察して貰えると思って、文章を途中までしか言わない(敢えて言いかけて止める)と、意味不明な人になります。知識・思考とその言語表現における筋道のたてかた、成熟度、知識とウィットも重要ですね。それがあるとかないとか判断され、その後の扱いがだいぶ違う。人によってリクワイアメントの水準も違います。教えてもらうにも助けてもらうにも、こういうのが重要だった気が。。めんどい。。ともかく私が相手にとって外国人ということもあったのだと思いますが、毎回判断される感じ😅益田先生にもあの毎回ジャッジされる厳しい感じを体験していただきたいですね😆ボランティアは、お年寄りのボランティアの方々が外国語や文化を教えてくれていましたが、確かに皆さん楽しんで教えてくれていましたね。我々のために学期末にパーティー開いてくれたり、「またこっちに来ることがあったら連絡しなさい」と連絡先教えてくれたり。あ、でもそれは日本でもやってるかもしれないなー。日本だとボランティアって障害者支援、被災者支援、ゴミ拾い、みたいなイメージですが、私に外国語を教えてくれた方々が、本当に普通に気軽に参加していたのでヨーロッパだとボランティアの種類や幅がもっと広いのかなと思いました。ボランティアされた経験のある「普通の人」も多いんじゃないかな。これは想像ですみません💦
今日の話題とは少し異なりますが、ボランティアの方々の理念は素晴らしいのですが、実際の活動となると、なかなか取り扱いとしては難しいところが多々あります。ともすればやりがい搾取やタダ働きになってしまうことや、有償ボランティアと労働者の差などあったり、安価な外注先といったことも懸念されるので。また、責任の所在も難しいところです。仕事ではないため、誰が責任をとるのかということにもなりかねます。ボランティアの方々の精神は素晴らしいのですが、どうしでもボランティア活動の活動団体を確認します。仕事柄ボランティアを希望する方等を見る機会があるため書き込みました。先生の活動のことではもちろんありませんし、尊敬しております。 少しキツイことを書いているかと思いますが、ご容赦ください。
精神疾患患者について関わりきれなくなって投げだす人がいますがどうしたら防ぐことができますか?
在仏です。ボランティアに関しては、労働環境の違いもかなりあると思います。フランスは法定労働時間が週に35時間で、残業も業界にもよりますが、全体としては日本ほどありません。仕事が終わってからもスポーツや家族・友人との集まりができ、ボランティアなどもやりやすい。それ以前に、気持ちの余裕が違います。またキリスト教文化の影響で(イスラムやユダヤ教も然り)、休息を大事にしていることも大きな違いかと思います。また地域差もあります。そこは日本と共通していて、人一般は地方が親切で時間に余裕があり、パリの人はストレスフルで意地悪で、国内でも揶揄されるほど。またヨーロッパといっても広く、大きくフランス・イタリア・スペイン・ポルトガルのラテン系の国、ドイツから北欧・イギリスのゲルマン系、クロアチアなど東欧のラテン・スラブ系、ウクライナなどスラブ系、ギリシャなどイスラム圏に近い国で、かなり文化や人の傾向が変わってきます。割と聞くのは、ラテン系の国はルーズで公共手続きが最悪・経済もイマイチだけど人好きでオープン、ゲルマン系は超個人主義で他人に興味なし(特にオランダ・ドイツ)だが厳格で商売が上手い、というのがステレオタイプなイメージかなと思います。こちらに来てから、私も含めた他のアジア人(中国人以外)や北アフリカ・西アフリカ、ラテンアメリカの人は誰でも構わず親切にしますが、特にヨーロッパ圏や北米の人は「自分たちとそれ以外」がはっきりしていて、知らない人には全然関わらない傾向が強いなと思います。特にスラブ系は顕著。おそらく日本は昔はもっと人に親切で、わざわざボランティアしなくとも社会的な機能に助け合いが組み込まれた。しかし近代化で欧米化が進むにつれ、欧米で教会が担ってきた助け合いの機能や文化は宗教の違いから完全に切り落として、寺を中心とした地域社会も国家神道化で切り捨て、経済や政治機能、軍事や科学を導入する段階で、元々の社会的機能に組み込まれた助け合いが消えた。でもヨーロッパは他文化を取り込むような変化はなかったから(言ってもアメリカ化)、ボランティア精神は残ってるってことかなと思います。
文化背景の違いでしっくりこない感覚は分かります。どうしたって無理があります。それならどうしたら良いのかってところですけど。冒頭の精神科の患者さんについての客観的な見方がショック〜事実だけど。退行して、性格悪くなっているし…
そもそもボランティアってなんだろうと、疑問があります。ある程度 定義はあると思うのですが、人によって捉え方が違う気がするし、日本はボランティアに対する美德感や 逆に軽視もある気がします(偏見かもしれませんが…。)国や地域によって、ボランティアにも文化的な違いがあるのは面白いなぁと思いました。
社会的役割が文化圏や個人的史観で、どのように手助けし、どこで線を引くかが、違うんでしょうね。でも、ボランティア活動にあたり、ゲストよりスタッフが優先的であることは、活動継続性を考えると仕方ないです。団体が潰れちゃいますから。支援されたら、団体としてある程度責任があるのが、日本かも。その意味で根強いですね。
ボランティア活動も仕事の一種になるんだなと改めて思いました。
最近、生成AIが出て来て、色々説明できるようになってきた件、昭和後期、まだ、人生に線路感があった時代、詰込教育、ペーパーテスト偏差値教育、学校で何か新しい事をすると「前例が無い」、0・100論、減点主義、とか、そのような考え方があるが、他の考え方もあると説明が大変だっ件(福島原発事故もこれら問題だったとも)、生成AIで、「教師あり学習」、「教師無し学習」の言葉があるが、文系の人でもイメージ出来る件で助かった件、サイコロやロトくじとか、失敗してもフィードバックはないが、例えばアクセサリー雑貨店とか何を仕入れて何を売るかある意味ギャンブル、ポーカーや麻雀とか、失敗してもフィードバックがあり、PDCAサイクル(カイゼンサイクル)で、強い人、弱い人がいて、勝率100%は無理だがそれに近づくように強くなる事が出来る、と、直感的にも、普通に理解説明できるようになった件、生成AIがバブル前後に出来ていれば、失われた30年はもっと短く、デフレから軽インフレ経済の回復が早く、福島原発事故も無かった、と考えてしまう件。生成AIの処理過程を説明する事で、複雑な哲学・心理学を引出す必要が無く、科学的に、心理的な事がある程度説明すれば直感的に説明できるようになって来ている件(ただ絶対正しいか説明しろ証明しろと言われてもディープラーニングは、まだなぜできるかはブラックボックスと言われて、説明が出来ても、数学の整数論みたいなってしまう感じがある件)。
わたしは留学経験等がないのでChatGPTにヨーロッパと日本のボランティアの違いについてきいてみました。長いのでスレッドへ。
ヨーロッパと日本のボランティア活動にはいくつかの違いがあります。文化的背景や社会の構造、歴史的な経緯により、それぞれの地域でのボランティア活動のあり方や捉え方が異なります。以下に主な違いを挙げます。### 1. **文化的背景と動機**- **ヨーロッパ**: - 多くのヨーロッパ諸国では、ボランティア活動は市民社会の重要な一部とされ、社会的責任やコミュニティへの貢献が強調されます。宗教的な背景や歴史的な理由から、慈善活動が盛んな地域もあります。 - ボランティア活動は学校教育の一環として取り入れられていることが多く、若い世代からボランティア精神を養う文化があります。- **日本**: - 日本では、ボランティア活動は比較的新しい概念であり、1995年の阪神・淡路大震災を契機に広がりました。これ以降、災害時の支援活動がボランティアの中心的な役割となっています。 - 伝統的に「助け合い」の文化があり、地域社会や家族内での支援活動は古くから存在しますが、組織化されたボランティア活動としては欧米に比べて歴史が浅いです。### 2. **組織と制度**- **ヨーロッパ**: - 多くの国では、ボランティア活動を支援するための制度やインフラが整っています。ボランティアコーディネーターや専任スタッフがいる組織も多く、活動の計画や管理が専門的に行われています。 - 政府や地方自治体がボランティア活動を推進し、法的な支援や助成金を提供する制度が整備されている国もあります。- **日本**: - 日本でもボランティアセンターやNPOが活動を支援していますが、組織化や制度の面ではまだ発展途上です。ボランティアコーディネーターの専門性が求められる一方で、そうした役割の確立は進行中です。 - 地方自治体や企業がボランティア活動を推進する動きがあるものの、まだ限られた範囲での支援にとどまることが多いです。### 3. **活動内容と参加率**- **ヨーロッパ**: - 福祉や教育、環境保護、文化活動など、多様な分野でボランティア活動が行われています。特に社会的弱者や移民支援、国際協力の分野での活動が盛んです。 - ボランティア参加率が高く、多くの市民が定期的に何らかのボランティア活動に参加しています。- **日本**: - 災害支援がボランティア活動の中心的な役割を果たしており、特に地震や台風などの災害時に多くのボランティアが活動します。 - 福祉や教育の分野でも活動が行われていますが、ボランティア参加率はヨーロッパに比べて低いです。特に若者の参加率が課題とされています。### まとめヨーロッパと日本のボランティア活動には、歴史的背景や文化的な違いが反映されています。ヨーロッパでは市民社会の一部としてボランティア活動が根付いている一方で、日本では災害支援が主な役割を果たし、組織化や参加率の面で課題が残っています。しかし、いずれの地域でも社会貢献の重要性は共通しており、ボランティア活動を通じて地域社会の強化や連帯感の醸成が進められています。
この返答を受けて感じたのは、まだまだ日本はボランティアの範囲も歴史も狭く浅いのだな、ということです。日本人に根付いた感覚…例えば、真面目、自己犠牲を美化する、出る杭は打たれて当然、空気読めないやつが悪い、年功序列…などの生真面目で堅苦しい感覚は、ボランティアをする側にとっても受ける側にとっても、ある種の抵抗を感じる原因ではないかなと思いました。施しが真面目できめ細かい代わりに、広まることにストップをかけている、というか。「良い意味でのテキトー」が許されないデメリットはあるだろうなと思います。
こういうのにあんまり、参加してないから、背景がみえてないけど……昔のオンラインゲームのサークルにははいってたのだ ε( c*•ω•)運営していたのは、主に専業主婦だったわね……それ以外の人が運営すると……余裕がないのか、破綻してしまうケースがおおかったように、みえるのだ ε(。 ーω✧) キラッある程度、余裕のある人が、たいせつだから……貧富の差はすくない方がいいわね……元々、ボランティアは、海外から輸入されてるとおもうから……根底は、ヨーロッパと日本の違いは、すくないとおもうのだ ε( ー̀ωー́ )
文化が違うのですかね~!
私の性格的に、ボランティアするのは無理。なので、寄附してます。
すみません、ボードに何書いてるかわかりません
世のため人のためになりたいからやりたいと思うんじゃないですかね?
あの、自助会で口頭注意とか、話が出ていましたので。関連質問といいますか……苦言はハッキリ呈して欲しいのです、私は。直言して欲しいのに、してくれない。おっしゃること二転三転いちいち論点外すし射る気があるのかないのか?それを称して精神科の患者さんへの「配慮」とされるのが個人的にはいちばん困っているのですが?同様の声はありませんか?
そうなんですね!捉え方 変わって来てるんですね!
😅
イタリア在住ですが、こちらの人はボランティアはやりたいからやっているだけで人から感謝されたいとかそういう感じがないと思います。だから、世話になる方もすごく謙ったりってことがなく、あっさりしていて楽だなって思います。人の世話になることをあまり恥と思わない文化なんですね。恵まれた人が他人を援助するのは当然で、恵まれてない人が施しを受けるのは当然という。日本の恥の文化も長所はありますが、行き過ぎは生きづらさにつながると思います。
横からすいません。お言葉ですがヨーロッパといっても広く私が住んでいる北ドイツハンブルクでは全く違う体験をしています。少しでも困っている人がいるとすぐ手を差し伸べてくれます.ドイツ人だけでなく色々な人たちが。ちなみに私はドイツに50年住んでます。
長谷部のいるところですか?
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ドイツには、何度か行きましたが、確かにそうゆう方もいらっしゃいました。
私はドイツに住んでいましたが、親切な人やおせっかいな人が多かったです。メール主さんとは違う印象です。むしろ日本の方が他人には無関心に感じます。フランスやスペインなどに旅行に行っても親切な人が多かったです。キリスト教文化とかコミュニティ文化の影響もあると思います。日本はコミュニティを形成している構成員としての市民という意識が未発達なのではないかと思いました。
東日本大震災の時、千羽鶴を送ったのに感謝の返事がないと言って怒っている人がいましたが、そういうトンチンカンも、そういうところから来ているのかなと思いました。
フランス在住です。ボランティア経験はありませんが、普通に大手スーパーで仕事をしています。
あまり他人に気を遣う文化ではないので、言わないと伝わりません。職場で言い争いもありますが、とことん意見をぶつけて、次の日には普通に何事もなかったように仕事します。ただ、嫌いな人にはあからさまに態度に出します。文句も言えるし、客と店員は対等なので、お客の無理な要求は断固拒否。出る杭は出てこいという精神なので、性格的に強くないとフランスで暮らしていくのはきついと思います。
私はヨーロッパは、イタリアとスペインによく行ってましたが、空港や駅などで、重いスーツケースを運んでいると、必ず、絶対100%と言って良いほど、男性が持ってくれました!!毎回感動して泣きそうでした😭😂私が日本人の女の子だったから?っていうのもあるかもしれないけど、とにかく、ちょっとした階段や段差がある所で、スーツケースを持っていたら、若い男の子から、年配の方まで、男性が手を差し伸べてくれます。私はそれから日本で、スーツケースやベビーカーで階段で大変そうにしている方には、必ず手を差しのべるようになりました😊日本では、誰も手伝おうとしてくれません😂お手紙書いてくれた方のお話とは、なんか逆だなと思いました😅
EU圏内ではもうなくなってしまいましたが、イギリス在住です。ロンドン郊外で10年くらい前に本専門のチャリティショップでレジや商品整理のボランティアを少しやっていました。金銭は発生していませんが、好きな時間だけ来て、暇なら本を読んでいていいよというゆるーい感じでした。私は色んなイギリス人と話したかったし、暇つぶしに来ている人もいましたし、学生はイギリスの内申点みたいなもののためにやっていたと聞きました。他のボランティアの人たちと紅茶とクッキーを一緒に食べたりして楽しい思い出です。失っても惜しくない時間と労力のお裾分けと言った感じでした。今はまた変わっているかもしれませんし、都心かどうか、組織によっても違うとは思いますが、参考までにコメントさせていただきました。
ヨーロッパ在住歴30年です。
私の住む地域では、我慢や苦労を美徳とする考え方はないので、ボランティアも好きでやりたい方が楽しみながら行なっていると感じます。そのため感謝の強要?もなく、お互いさらっとしているような気もします。(苦労して頑張って助けてるのに感謝もないなんて!とは考えない)
文化的、言葉の違い(こちらの言葉は、はっきり言うようにできている。対する日本語は察したり曖昧さを残す言語)から、こちらでは嫌なことは嫌と言って良い、というより言うのが当たり前であって、言わないイコール嫌だと思っていない、ととらえられます。
色々書きましたが、私は日本人の優しさに癒されています。
こちらふうのさっぱりも楽ですが、日本人の優しさがやはり好きです。
メールを書かれた方の最初の文章は、自分が言われたら悲しいと思いました …何を言うにしても表現の仕方を少し思いやりをもって考えてみるのもいいかもしれませんね☺️
国際結婚25年伊在住です。お話された方とここは随分違う気がします。社会全体が所謂カトリックの文化のせいかもっと他人に気がるに親切にする人が多いと感じます。自己肯定感の為とかではなく恵まれた人がそうではない状態の人に手を差しのべるのが当たり前と言う感じでしょうか。
私自身は欧米かぶれなだけですが、留学経験のある方々とボランティア活動をしていたことがあります。主催者の方は、楽しんでやれる範囲で、無理しないようにとの考え方だったので、幼い子どもがいても皆んな続けることができました。
日本色が強いボランティアに参加したときは、確かに責任感が強い素晴らしさは感じましたが、フルで参加できないと居場所がなくなっていくような、無報酬でも拘束時間が長く厳しく、無言の圧力があるように感じてしまい、だったら仕事したほうがいいかな…という気分になってやめてしまいました(子どもも幼くて、幼稚園にお金を払って延長保育をして参加していたこともあり)。主催者の方は、出来る時間だけ参加してくれればいいという考え方でも、全員がその気持ちではないので、他で参加する時にも覚悟が要る気がします。
やってもらう側も、お客様扱いを期待して文句を言ってくる方もいますし、日本にももっと気軽なボランティアが広まってほしいなぁと思います。
在英で何度がボランティアをしましたが、人から感謝されたいとかいう感じでボランティアされてる方に出会ったことはありません。こちらも人に親切にしたり貧しい人や困った人を助けるのは当然で、これはキリスト教などの宗教的精神かもしれませんが、小さい子供でも自分より恵まれなてない子供にお小遣いを寄付したりしてチャリティー精神が高いです。また、チャリティー団体のカウンセリングやサポートグループも豊富で、困った時や辛い時は気軽に利用できます。優しく温かい善の連鎖が日本にも広がればいいですね。
境界線の引き方が日本と違ってしっかりしているのですね。援助者が燃え尽きることがなさそうで良い仕組みだと思いました。
共依存が起きにくくなるように注意してるみたいです。
個人の境界線の侵入や侵害を本当に危惧する文化なんでしょうかね。
失礼てすが、それどこの国?って思いました。
私はドイツに住んでいましたが、困ってる人に手を差し伸べるのは、息をするように普通のことでした。
結論から言うと、それは民主主義、自治の精神が強いように思います。
以下、長文ですので興味のある方だけどうぞ。
ボランティア精神の例を2〜3あげると、街には車椅子の人がたくさんいて、乗り物の昇降などは周囲にいる全員がサッと動く。
大きな事故が起きて、輸血が大量に必要になった時は、献血会場に男も女も大勢押し寄せる。
また、孤児を養子に迎える家も多いです。
個人主義というけど、ストライキとかデモも活発で「団結」という合言葉をよく聞きましたよ。
フランス人の友人がいますが、市民の手で王様の首を切った、民主主義を勝ち取ったことに心底誇りを持っていると感じます。
(「日本では、政治の話はタブーなの」と言うと「じゃ、何を話すの?」と聞かれ「天気とか」と答えたときの友人の驚いた顔ったら😮!!)
キリスト教文化も大きいけれど、その割には戦争に関与するし、やはり個人主義とか博愛精神だけでは説明できないと思います。
むしろ、本当に自分達の手で民主主義を勝ち取った国の人々なので、自治の一環としてのボランティアという印象が強いです。
長く書いたけど、正しいと思うことをする、自分達の国は自分達が作る、そういうカルチャーの一環だと思います。
それに対して、日本の場合は「自分も助けてもらったから」とか「生き甲斐がほしいから」とか、感情的な理由があることが多いので、思ったのと違うと解決策を議論し合うことなく我慢したり、バラバラになったりするのかも…と思いました。
読んで下さって有難う
今、ボランティアに参加しています。数時間だけの活動ですがそのボランティアの内容に集中していて嫌な事も忘れる時間が出来てます。1日中じゃなくも数時間でも出来るボランティアに先ずは参加してみるのも良いかも知れません。
やりたい人がやりたいだけやるってのは趣味と同じで、気楽っちゃあ気楽だけど、すごいあっさり切り捨てられそうな感はあるな。
全然関係なくてアレですが、毎週通う教会に東南アジアの信徒さんがいて、割と最近話をするようになりました。お互いに異国なので微妙な言葉や発音が違うので戸惑う事もありますが、そこは愛を持って少しずつ会話をしています。
それが別にボランティア精神とかではないんですが、最近は仕事でも外国籍の方と会話する事が増えたので、些細ですが仕事上の会話には確実に繋がっている事を実感しています。
日本国の文化ももちろん大切ですが、こういう、異文化の回もためになりました。また機会あれば視聴したいです。
ボランティアも、自分のためにやっている、というのはすごくシンプルで正直で清々しいな、と思います。そういう気持ちで受ける支援は気楽で元気になれるような気がします。
日本のボランティアや福祉などに時々感じる、「相手がかわいそう」といって、相手のためを思っている体裁で、自分のことを満たしたいという気持ちがすけてみえる時、なんともいえないげんなりとした気持ちになることがあります。もちろん、そうじゃない人ももいると思うので全部ではないですが。
「助けたい」気持ちの押し付けは、負担を増やすだけだなぁ、と感じることが多かったです。
動画の趣旨からズレた感想で申し訳ないですが、
我々は結局、世間からこう見られているんだなってことが悲しいです
知らないんでしょうね。いつかブーメランが返るんじゃないかと、逆に心配してしまいました。
私こそ、よく知らない人たちのことをあんな風に言うまいと自戒します。
他人のために何か行動ができるのは、素晴らしいけど、そこに「せっかくやってあげたのに」と変換してしまう人もいたり。
お礼も言わない!と、怒る方もいます。
福祉を仕事にしてる方も、もう少し考えて欲しいと思うこともしばしありました。
ボランティアという立ち位置を、福祉の方がいいように利用したり、解釈する方もいて、活動するのもなかなか難しいものだと思いました。
有償ボランティアを受け入れられないシニア層もいて、これもまた難しい。
乱文失礼しました。
そもそも文化の違いだと思います。ハワイに従姉がいて時折日本に来ますが何故YOUははっきりしないの?と何時もバッサリ言われて苦手ですボランティアでも意見をトコトン言い合って主催者側でも問題のある人はもう来なくていいとハッキリ言います日本人の情とか慈悲とか無い主体性重視の文化なので私はとても苦手です😢そのかわり何かを頼まれて納得したらとことん面倒見てくれます。この方のメール、とても勉強になりました。
日本、親切な人もいるけど、我関せずの人が多いと思います。近所の人がどういう人なのかもわかりにくくなってきていますし。
2018-2021にフランスのパリに住んでいました。言葉の壁のために現地の人に助けてもらうことが多くありました。
もちろん嫌な態度を取られたこともありますが、日本と違ってあまり気になりませんでした。
1人に嫌われても、そういう人もいると割り切れるのだと思います。日本だと、相手は1人なのにの社会全体のような感じがします。均一と、団結があることがよしとされるからでしょうか?本音と建前があり、それも余計に傷つきます。
フランスでは嫌いなら嫌いで離れればいいと分かるので、とても気が楽でした。
ヨーロッパは察する文化がないので、主張されたら助ける、が普通なのかなと感じました。
主張しない人はカウントされない。逆に主張さえすれば、結構助けてくれるみたいなイメージです。だから押しが強いというか意見がはっきりしてる方が日本より多いのだと考えてます。
ボランティアではないのですが、私が講師を務める講座で、和を乱す生徒さんがいます。
おそらく発達障害の方で、何度注意しても直りません。
私は講師を続ける自信がなくなり、辞退しようと考えていました。
ですが、今日この動画を見て「問題を起こす人を容赦なく追い出す」ということが、海外では まかり通ることを知り、少し自分の中の考え方が変わりました。
講師を辞退する前に、生徒さんを講座から外してもらうことができないか、厳重に注意してもらえないか、雇用主に相談してみようと思いました。
いつも動画配信してくださって どうもありがとうございます。
素敵!
他の生徒さんも迷惑しておられるかもしれないので、良いお考えだと思います。
私の習っているグループレッスンでも、和を乱す方がいますな、先生が注意してくれず、私が辞めました。
とても残念でした…。
ちょうどここ最近、ボランティアについて唸りながら考えていたところでした。
明らかに自分への負担が大きいとき(精神・身体的に・時間拘束など)、けれども自分も部分的にその恩恵を享受しているとき(奨学金を受けている・社会的な体験)、
本当に悩みます。
とりあえずの落とし所は、難しく考えずに自分が誰かのためにやりたいと思った時に頑張って、無理だと思ったら「ボランティアだし」と開き直る、ということにしました。
在籍校の連携大学でボランティア論を学べるので、履修してみたいと思っています。
【宿題】 イタリアやイギリスに以前行ったことはありますがはボランティアを見る事はなく でも観光でもとても皆さんが優しく親切でした。
今自分がしている地域のボランティアですが、小学校の先生が足りないので調理実習のお手伝い、見守りのボランティアをしています。 難しい事をするわけではないですが 専科の先生がおらず担任の先生が 前の授業を終えて調理実習をしなければならず 今の公立の小学校のリアルを見れて良かったです。
ドイツ在住12年です。私も、日本人と比べてヨーロッパ人の特徴は、相手がどうして欲しいかじゃなくて自分がどうしたいかで動いてるという所だと思います。住んでいる肌感としては、個人主義が浸透してるので、個人の意思一つ一つが社会を形成していて、犯罪が起こらないように外堀として法律が社会規律を管理し、中身は個人の判断に任せるので、いい意味で他人に干渉されず、モラルが法律のように機能している日本に比べて寛容な雰囲気があります。
電車で高齢者が乗ってくると、率先して同時に何人も立ち上がり、大丈夫って言ってるのに何度も聞いてきたりと、自分の親切心を恥じないです。逆に満員で席まで遠い場合、譲ってくれるまで待たずに自分から大声で譲ってくれないか頼んできます。どの場合も、誰もが自分のしたい事を主張する事で成り立ってる社会です。助けて欲しいとき助けてくれない、と思うのは、日本人ならではの受け身の感覚かもしれません。
ドクターの別の動画で、日本と韓国を比べて日本は個人主義だという話がありましたが、ヨーロッパの個人主義は日本のそれとはかなり違うので、日本人がヨーロッパ人のような親切心を持つには社会構造もメンタリティも変えないといけないでしょうが、日本がそうなる必要もないとは思います。
オランダ在住10年目の者です。私はボランティアしたことがあるのですが参加理由として社会貢献、社会との繋がりが欲しい、オランダ語の向上などです。周りのボランティアの方々も社会との繋がりを求めている方も多かったです。
そして親切については人にもよりますが困っている人がいたら求められなくてもすぐ助けている印象があります。
仕事に関してはオランダ人の夫は給料が良くても楽しくなかったら止めると言われたこともあり驚きでした。
また有償ボランティアもあり、私自身ボランティアしている所からクリスマスのプレゼントをいただいてました。
日本の話ですけど、学生さんのボランティアで「時間や労力を提供するのはいいけど、現地に行く交通費とできれば食事は出してもらえたら…」というのを聞いて、確かになぁ…と思ったことがあります。
寄付文化の無い日本には、その代わりに勤労の義務がある。これは恐らく労働自体に社会奉仕の側面があると考える文化だと思う。
そのため安月給で働いてる時点で常時ボランティアに半分参加しているようなものなので、仕事以外のボランティア活動にわざわざ参加しないし、
ストライキもしない。しかしその労働が社会奉仕に繋がるかというと、資本主義の最適化が進むにつれ、
世間様の為の労働のつもりが、いつの間にか資本家の為の労働となってしまい、よく働くというだけでは社会奉仕に繋がらなくなってしまった。
上っ面だけ西洋の真似をした弊害はこんなところでしょうか。
親切のあり方: ヨーロッパは何事も「求めよされば与えられん」が根強いと感じます。イギリスなどは信仰心の薄い人も多いですが、やはり生活習慣、行事、社会通念的な価値観は無意識のうちにキリスト教的価値観が根にあると感じます。
もちろん求めても与えられないことは往々にしてありますが、「助けを求められない限りは立ち入らない」というのは「誰でも自分で何かできる力を持っている」、「自他境界」といった精神科領域や治療理論にも影響を与えているのではないかと思います。
それはヨーロッパ文化で言えば「その人の力を信じている」、「立ち入られて嫌な部分には入らない(プライバシー)」ですが、「もっと話を聞いてほしい」、「共感してほしい」という希望が日本人患者にあるとすれば、精神科クリニックへの低レビューなど、期待値やボタンのかけ違えになりそうですね。
ボランティアのあり方: 自分が情熱を持っていることを、自分ができる範囲でやることが多いと思います。「自分ができる範囲」は人によって「負担にならない時間」だったり、「楽しめる範囲に留めておく」、「対応できないレベルのルール違反は看過しない」などそれぞれの方の線引きのバリエーションが異なるのでは。
逆に、「日本的なボランティアや親切」があるとしたら知りたいです!奉仕精神 (spirit of service)と自己犠牲的な精神、母親的なもの(caring, nurturing)が絡む等なのでしょうか?それとも「お天道様が見ているから」?「徳を積んで極楽浄土に行く」ため?とても興味があります!
原罪を負っている怖さ辛さはあるけれど、それでも個々人の力を信じられている感覚があるのかな、それは凄く感動します。エンパワーメントという言葉も好きです。
ヨーロッパと日本の考え方の違いを
聴くことができて学びになりました🍀
貴重なご意見が聴けて、驚きとともに
すこし視野が広がったように思います
人のために動く理由は自分がしたいか
ら、ボランティアは自分たちが楽しん
でできることが大前提、負担なら追い
出すのは当たり前というのが、気持ち
良いくらいストレートで能動的な感じ
がして、さっぱりしてると思いました
ボランティア文化が根付いてない国で
自助会をつくることがなぜ難しいのか
そして、Dr.や運営さんやメンバーさん
たちは、すごいものを日本につくろう
としているんだなあとこの動画をみて
改めて感じました・ω・
キリスト教文化、ということが大きいと思います。隣人を愛し、助ける。カナダに数十年いますが、ボランティアの方々の絶対諦めない、という態度に感心させられます。例えば、こちらはマイナス40度くらいになるので、毎年冬になる前に、ポリスやボランティアの人達がホームレスを見付けて、彼等が凍ってしまう前にシェルターにぶち込むのに必死になります。お金のことですが、私の関わった双極性障害のNPO法人では、みんなで一生懸命考えて、製薬会社を回るとか、どこの誰がお金を持っているのか考えます。お金があれば社会活動、啓蒙活動など、できることも広がるし、できるだけメンバーにお金を渡すこともできます。ボランティアだからお金をもらえない、じゃなくて、お金があればできることが広がる、という見方が大事だと思います。
向こうではもっとサクッと自己肯定感を得ている、得ていい、得る機会があるカルチャーということでしょうか。主体的であることも、日本とは根底から違いがあると感じました。自分の意思をへし折らないまま、社会と折り合いをつける、社会参加していることが、単純に羨ましいと思いました。
鬱の治療中で社会復帰に迎えリワークを始めましたが 地域のボランティアに参加しました。
少しずつ 人に慣れて行く事をしてしています。
テーマとは離れるかも知れないのですが昭和生まれの私見ですが、周りの美徳として、傷みや苦労が伴う善行に価値が高いというような感覚があるように思います。
効率よく傷みを少なく楽しくラクすることが後ろめたい…。勉強,スポーツ練習,出産,収入を得る事,ボランティア,なども。あと1度始めたら終わりまでやるべき…など。
私の個人的な考察
欧米というのはベースに階級意識というか選民意識のようなものが強く、
上のものが下のものを助けるというような意味でのボランティア精神、もしくは弱いものは助けるという精神があるような気がします
反対に日本は階級とかではなく、それこそ人間性に対しての評価?もしくは集団の中でちゃんとしてほしいという同調圧力みたいなものからくる意識が強く、
ある意味自己責任論みたいなものがある気がします
誰に対しても平等に見るからこそ、自己責任でしょうという厳しいシビアさもあると思います
変に上からボランティアするなんてのは傲慢だという感覚というか、ある意味その人たちを尊重する意識でもあると思います
それでも基本的に日本人は相手に対して誠実で優しいと思います
益田先生、こんにちは☺️
今回も楽しく学ばせていただきました。
ありがとうございます✨
ヨーロッパが契約カルチャーの国で、そういうカルチャーからボランティアが始まっていることを知らなかったので、本当に、認知が広がったというか、私も勉強になりました。
こういうご意見とかご指導って、本当に、すごくありがたいですね✨
ただ、視聴者さん、本当に言い方悪いな…と思いました😂
未来のことなんて誰にもわからないし、生老病死は誰も避けられないし、いずれは視聴者さんも、支える側から支えられる側に、社会性のない人、子供っぽい人、自己中心的な人、事実が捻じ曲がって見える人、悪く受け取る人、明らかにトラブルを起こしそうな人になるかもしれないのに…。
そういう言い方をされると、当事者としては、やっぱり、傷つくなぁ…悲しいなぁ…と思います😔
「一つ目は、人に親切にするときの線引きラインが違います。」
(確かになぁ~)と思いました。
4~5年前に、接客販売員の仕事をしていた時、障害者雇用で会社に入って。
先輩たち、優しかったんですけど、お前のことを心配しているから、言ってやってるのに!とか思われて、(その優しさに従わないと不満に思われるのではないか?)
(もう仕事を教えてくれなくなるのではないか?)と思い、
「自分でできます!」って言えなくて…。
困っているように見える人がいたら、頼まれてなくてもこちらから手を差し伸べるって行為が、実は、支援される側の自立を妨げてる!ってこともあるんだよなぁ~と感じます。
「周りにつらそうに見える人がいても見守るだけです。そして、助けを求められてはじめて動き出します。」
『見守ること』が一番難しくて、でも、これが一番大事✨なように思います。
日本もそんな風になるといいですよね✨
そして、自分が支援される側になって、そういう経験をしたことで、今度は、困っているような人がいても、(どこまで手を差し伸べていいものか…?)と悩んだ時期がありました。
その後、介護職での知識や経験、益田先生の動画で色々なことを学ぶ中で、『相手の意見を尊重すること』が大事だと知り、
「お手伝いしましょうか?」「私にできることありますか?」と、一言聞けるようになったり、人から冷たい人だと思われても、むやみに手を差し伸べなくなりました。
一方で、きっと、日本人の良さもありますよね😊
ちょっと違うかもしれないですが、前にニュースで見たことがあって。
海外の方が、「日本でお財布を落としたらどうなるか?」という実験をしたRUclipsが話題になっていて。
「日本でお財布を落としたら、100%返ってくる。日本は、良い国だ」という結果でした。
接客の良さも日本って、世界一だそうですね✨
「二つ目は、人に親切にするときの動機の違いです。
一方で、この国の人が人のために動く理由は、徹底して『自分がしたいから』というものです。」という点に、結構、衝撃を受けました。
楽しんでできることは大事そうですが、支援される側の気持ちがおいてけぼり…ということにはならないのでしょうか?😥
「三つ目は、ボランティアにもそれなりの報酬があることです。」
これも、かなり衝撃的で、私には、この仕組みが良いのか悪いのか、今のところわかりませんが、(報酬があったほうが、支援される側からしたら、気持ちが楽な部分もあるのかなぁ?)と思いました。
「僕は留学経験がないんですよ、実は。
留学を考えたことがあったがお金がなかったんですよね。」との、益田先生のお話、(益田先生もお金のことで悩んだりしたんだなぁ。同じなんだなぁ)と思いました。
(そういう経験をされた益田先生だから、患者さんの気持ちがわかってあげられるのだろうなぁ✨)と、改めて感じました。
本日の宿題の「自分の分野では、こういうことをやっているということ」ですが、
私は、創価学会員で、公明党をお願いする立場でもあります。
100%ボランティアです。
善の行いなので、投票に行ってくれた人に『福運』がつくと言われています。
私たちは、友人に、『福運』をつけてほしくて、幸せになってほしくて、お願いをしています。
今でこそ、「公明党がいないと政治が回らない!」と言われる時代になりましたが、過去には、色々言われることもありました。
「お前らなんて、寄生虫じゃないか!民主党が政権握ったら、どうせ民主党と組むんだろう!?」とか、
「公明党は、99%マニフェスト実現してきたんだよ~」と伝えても、「じゃぁ、1%の人はどうなるの?救えてないじゃん!」とか。
傷ついて、涙した日もありました…。
「その人一人を説得している時間があったら、その辺歩いている人3人にお願いしなさい。遊びでやってるんじゃないんだよ!」と、旧婦人部の方に指導されました。
99%マニフェストを実現してきたと言っても、どんなに良いマニフェストを掲げても、結局は、次の選挙で勝たなければ、実現できないんですよね…。
仏法は勝負!
仏法って、厳しいですよね😂
「利用規約に違反した人たちも何とかならないかなと言って、中川さんと頭抱えながらやっていた」との益田先生のお話を聞きながら、
(こちらの思いが届かない…それでも幸せになってほしい…と頭を抱えること。
でも、どこかで折り合いをつけないといけなかったり、そういう葛藤の中でやってる…何か、そんなことを思い出していました。
ヨーロッパカルチャーには、慈悲はあまりないのでしょうか?🤔
益田先生🤗
私たちの使命は、大きいですね💖
いつもありがとうございます。
とても良いお話しありがとうございます😊
宿題📚
今日は回答できる経験がなくて、すみません。代わりに感想をお話しして良いでしょうか。国の違いで習慣が違う、考えも違う。とても衝撃的なお話しでした。基本的に日本人の寄り添いは優しいので、益田Drや中川さんが迷ってしまって来たという事が理解出来ました。私も人間関係に慣れる習慣は付けたいですが、今の私には、まだ負担が大きいと感じてしまいました。すみません。このままメンバー参加で、もう少し元気になったら自助会にご協力させて下さい🍀これからもよろしくお願いします。
まず、対象者が一般では難しいことと、トラブルになることは必ずでてくることをしっかり理解した専門職のかたが運営してゆくことが大切なので、
比較するものが個人的には違和感を感じてます。
それならヨーロッパの自助グループやまたは社会更生グループなどのお話などが聞けると
リアルにかんじて行けると思いました。
ボランティアの金銭的報酬はない方がいい気がしますね。
先生の話を聞いていると直感的に分かります。
オンライン自助会がそういう場であってよかったです。
月に2回ボランティアのような事をしに行っていますが、同じ立場の1人がどんどん性格の悪さを発揮してきて困りました😂今はだいぶ落ちついており、私も距離感をつかめるようになってきましたが、さんざんな目に合い。。
どうやら無理して来ているのでは?と思いましたが、親の手前、やめられないようです。自分に向いているか向いていないかを見極めるのも大事だなと思います。。あまり関係ない話ですみません
メール主の方、海外在住の皆さんのご意見、とても勉強になりました🙇♀️ありがとうございました!
とても良い内容だと思いました。
宿題。ボランティア=志願兵というイメージがあります。
ヨーロッパと日本の考え方の違いはとても興味があるので楽しく見ることが出来ました。
聞いた話で恐縮なのですが、ヨーロッパですと車いすを使っている方にとても親切だそうです。
日本だと電車やバスを利用するときに事前に連絡したりするなど手続きが求められることが多いですが、
ヨーロッパだとぷらっと出かけて、困った時にその場にいた人が助けてくれるみたいです。
日本だとエレベーターなどの設備や制度などハード面で人をフォローしていく一方、ヨーロッパは人というソフト面でフォローしていく。
どちらも一長一短あるかもしれませんが、良いところは学びたいです。
認知症の方を対象に集団レクをやっています。症状から来るものではありますが、怒鳴ったり悪態をついたり場が荒れる事が多々あります。何度か説明してもダメな時はそれこそ場を離れてもらっています。
慣れない頃は線引きのラインがよくわかりませんでした。仕事で自分一人でレクを担当するのもあり、自分のやり方に自信が持てず…場を離れてもらった後でこれで良かったのかと考えてしまったり゙。
認知症についての勉強もしていますが、その場になるとカッとしてしまう自分もいます。何年かやって来てようやく少しレクの雰囲気や自分自身も落ち着いて来ました。難しいですね。
今日のお話しはいろいろ興味深かったです。聞いていてこれまでの事を思い出していました。
ありがとうございました。
ボランティアやってみたいですが、やるなら子どもに対してかなぁと思っています
トラウマが固まって(表現変だったら済みません)しまう前の子たちに少しでも視野を広げる役目になるようなものが良いのかなと。
日本は人を育てる事を前提にしたボランティアの様な気がします。
ボランティアを楽しむ事とは違います。
対価があるのも報酬が目で見えるので、それも良いかと思いますが、
日本のボランティアはもっと深いと思います。
人の命を守るに近いものだと思います。
日本人の良さをもう一度振り返って欲しいです。
よその国と比べるものとは違う様な気がします。
これくらいの距離感が自然というか
日本の村社会は不自然で生きづらい
英国と米国に合計5年間滞在しました。彼らは、こちらがヘルプを求めると、とことん助けてくれます。
また、私たち夫婦はある共同体の指導者をしています。私たちに批判的な人々は出て行くのですが、それを私たちに愛がないと批判されてしまうのです。日本人は人を甘やかす文化だなぁとつくづく思います。
ボランティア活動は、責務でも娯楽でも趣味でもありません。人のためにあるものです!
こんにちは😌
宿題提出させてください。
留学経験も、海外に住んだ事もありませんが💦
(新婚旅行でハワイに行ったくらいです)
昔、学校の授業で
日本は無宗教が多い。
なので、外国の文化を取り入れやすい。
お米、漢字、カレーライスとかその他色々
日本人に合うように独自に進化させてきた。
と習ったような覚えがあります。
そこから
どう表現していいのか分かりませんが
例えば
絵の具の黄色と青色を混ぜて緑色を作る途中、マーブルの所と黄色と青色が残ってるところもある
みたいな感じでいけたらいいのになぁと
個人的に思いました。
分かりにくいかもしれなくてごめんなさい💦
そのマーブルの部分、緑色の部分の人達が、黄色と青色の橋渡しみたいな存在になれるようになったらいいなぁと思います。
理想論じゃん、と言われたら理想論かもしれませんが
お互いの文化を大事にしつつ、いいところを取り入れる
トライアンドエラーの精神ですすんでいけたらいいなぁと思いました
素敵なお便り紹介していただき、色々考える事ができ、他の方も色々な考え
があるんだなぁと凄く勉強になりました😊
宿題提出しても、色々考えてしまうかもしれません💦
こんな機会を与えてくださり、ありがとうございます✨
この動画を見た時に(地球ラジオを思い出しました)
ラジオで地球ラジオと言うラジオ番組があるんですが、日本人が他の国で住んで感想という内容が主です。←ここがポイント
私はそういう事もあるんだ・・・とラジオを普通に聞き流していたのですが
実際、 私が実現すると(真似をすると)難しいという事がわかりました。
スリランカの知り合いが家に泊まりに来た時に日本人とスリランカ人の感覚の違いを引っ張り出せませんでした
《なぜ出来なかったのか?》
1、お互いの共通があってどう思ったのか?と言う話が出来なかった
2、言語の壁で深く話し合えなかった
3、3人居たのですが3人とも性格や感覚が違う(結論、人それぞれになってしまいがち)
なので、今回の動画や地球ラジオの日本人と言うOSを持っている人が他の国に住んでどう感じたのか?どこに違いがあるのか?
どの部分が使えるのか使えないのか?わかりやすくて面白かったです
今回の動画のような形式を定期的にやって欲しいと思って見ていました
NPOから報酬をもらってボランティアをしたことがありますが、資金の出所は自治体の助成金でしたね。恐らくヨーロッパの事例も募金や助成金などから報酬や研修費を出しているのかなと。外部からのお金の流入がない限り報酬は諦めざるを得ないかと思います。
賞状と缶バッチ良いですね😊
親戚がアメリカでボランティア活動に参加していました。支給されるのは交通費のみでしたが、精力的に参加していました。
あと、違う話ですが、カナダ人の心理士さんが主催しているコミュニティに参加していた時期がありまして、たしかコミュニティに入るのは無料だけど、有料コンテンツがよかったです。ものによって、一万円とか、三万円、とかだったと思います。コースによって、ビデオだけのものもあれば、その心理士さんとズームで質問会があるコースもありました。
日本で生きているので、日本のやり方でいいんじゃないのかな?と思います。日本の良さをこのまま受け入れて行けばいいんじゃないのかな。
また、海外には海外のやり方でいいし、どちらがいい正しいという問題でもないと思います。
日本国では年長者を敬う、女性は男性を立てる、周りには合わせる、本音と建前の使い分けをする、根性を鍛える、みたいな側面もありますが受け入れられますか?
@@Mio-San_ 上げてくれた例は、年配の人が主張してるような内容なので、そこは私自身は受け入れないと思います。
ただ、島国であったり250年前までは鎖国していたり、宗教的な事も含め海外とは違うところがたくさんあるので、一般的にヨーロッパのような考え方が出来るのはもう少し先の話だと思います。空気を読むのは日本人の良さだとは思っています。
日本人は相手への共感が始まった時に、自分が同じ立場ならやって欲しいことを相手に行うスタンスなのかなぁ(ボランティアもしかり)とか思いました。
結果的に受け取る側は受け身になるし、(私の場合は⇒)いったん関係がはじまると重たいから(思い込み相手ファースト💦)うかうかと関われない。。。
私もボランティアは報酬がモチベーションあげるのに必要だと思います。
なので、自分はボランティア活動はしたことはないですし、今後もする事はないと思いますが、そういう形の話が出たならNPO法人を立ち上げて活動すると思います。
正直、ボランティアというのはお金に余裕がある人がするもの、と思っています。
仕事休んでまで出来ませんし、自分も精神疾患を患っているので、自分の身体を害してまでとてもじゃないとできないです。
そこまでできる方たちは尊敬でしかないです。
ただ、当事者同士で話し合う、などは、自分のためにもなるのでやりたいと思います。
楽しいから・利益があるから=続けられる、自分たちが倒れて本末転倒にならないように
でもありそうで
どちらが悪いではなさそう
察する文化や能力が無いとよく聞くけど、無かったとしてそれは踏み込みすぎない、間違ったことを押し付けないという思いやりとなるののかもしれない(意識してなくても)
価値観、考えはがみんな違う、自分と同じではないということを日本人より理解しているように見える
私が日本で見たボランティアは進学や社会的評価、自分たちのたまり場のためにだらだらとやる子たち、人たちだった
そういった人たちは自分と違う生まれや状況の人への想像力がないというか、自分たちとは違くて関係ない、自分たちと地続きの問題ではないとして笑ってるように見えた
(本題とズレるけど……。いじめをしたり他人に上下をつけて態度を変える人がいるが、なぜそれで罪悪感をもたず楽しそう生きれるのか本当にわからない
直視したくなくておしころしてるのかもしれないが、本当に思わない人もいて、その人たちは自分が負の影響を受けて揺さぶられないというある意味良い性能を持ってるのかもしれない)
国内にも善意でやってる方もたくさんいるんだろうけど
日本人の、とこかの国のボランティアを崇高だと持ち上げても
それが本当に崇高で絶対良いとも思えない
結局人は自分のためにボランティア含むなにかの活動をしていて、それが結果役に立ってるだけ
事実役に立ってるから良い事と呼ぶのだと思っている
そしてそういった行動があると広まるとみんなが安心したりやさしい気持ちになれる効果もわかる
優しい人の中には自分の活動はエゴだと気づいてる人もいる
人間が役に立つことで幸福になるともよく言われてる
あぁ、そういえば……
善意の裏にエゴが会ってもいいとそれでもいいのだ、相手にとっては真実だしそれを続けたら自分にとっても本当にになるんだとTEDかなにかできいて
それがずっと私の頭にのこってる
ノルウェイの森という小説の解説を求みます。
こんばんは🌛
本日も動画をありがとうございます。
視聴者さんや患者さんからのお便りコーナー良いですね✨
今後もこの様なシリーズを続けて欲しいです✉
宿題とまでは行かない余談なんですが、GLAYのTAKUROさんは現在二度も紺綬褒章を頂いた程の寄付やチャリティーにご尽力されていますが、きっかけは当時お付き合いされていた方の影響だったそうで、その方とは結ばれる事は無かったのですが…
きっかけは何であれ、現在でもチャリティー活動を継続され、勲章を頂ける程に活躍されているお姿は尊敬致します。
ちなみに昔ガチ恋勢でした😅
推しをきっかけにボランティアや寄付に興味を持つ事も悪くないよねと思います。
私自身、自己探求だけでなく、日々患者さんや当事者家族の皆さんの為にご尽力くださる益田先生に何かしらご協力出来ればなとおもい自助会加入やグッズ購入してますし🫣
まだ自助会に加入して日が浅いので、もっと深く知った時に何かアイデアを提供出来ればなと考えております。
序盤、私達が社会から受けている差別と同じ視点で、少しがっかりしました。
ブーメランが返るんじゃないかと逆に心配になりました。他山の石として、私こそ良く知らない方々を差別しないようにしようと自戒しました。
何回か外国に行ったことがあります。そんなに長い期間ではありません。
お手紙の方が「異次元」と仰っていたように、ヨーロッパ特に大陸は、人を峻別する気がします。できる人とできない人、まともな人とそうでない人、安全な人と得体の知れない人。話の内容も外見も発音もその判断材料にされます。まあ...こっちからしたら失礼だなって思うことしばしば。
そんな感じがしたかな。
精神的自立は当然なので、日本人で時々あるのですが察して貰えると思って、文章を途中までしか言わない(敢えて言いかけて止める)と、意味不明な人になります。知識・思考とその言語表現における筋道のたてかた、成熟度、知識とウィットも重要ですね。それがあるとかないとか判断され、その後の扱いがだいぶ違う。人によってリクワイアメントの水準も違います。教えてもらうにも助けてもらうにも、こういうのが重要だった気が。。めんどい。。
ともかく私が相手にとって外国人ということもあったのだと思いますが、毎回判断される感じ😅
益田先生にもあの毎回ジャッジされる厳しい感じを体験していただきたいですね😆
ボランティアは、お年寄りのボランティアの方々が外国語や文化を教えてくれていましたが、確かに皆さん楽しんで教えてくれていましたね。我々のために学期末にパーティー開いてくれたり、「またこっちに来ることがあったら連絡しなさい」と連絡先教えてくれたり。あ、でもそれは日本でもやってるかもしれないなー。
日本だとボランティアって障害者支援、被災者支援、ゴミ拾い、みたいなイメージですが、私に外国語を教えてくれた方々が、本当に普通に気軽に参加していたのでヨーロッパだとボランティアの種類や幅がもっと広いのかなと思いました。ボランティアされた経験のある「普通の人」も多いんじゃないかな。これは想像ですみません💦
今日の話題とは少し異なりますが、ボランティアの方々の理念は素晴らしいのですが、実際の活動となると、なかなか取り扱いとしては難しいところが多々あります。
ともすればやりがい搾取やタダ働きになってしまうことや、有償ボランティアと労働者の差などあったり、安価な外注先といったことも懸念されるので。
また、責任の所在も難しいところです。仕事ではないため、誰が責任をとるのかということにもなりかねます。
ボランティアの方々の精神は素晴らしいのですが、どうしでもボランティア活動の活動団体を確認します。
仕事柄ボランティアを希望する方等を見る機会があるため書き込みました。先生の活動のことではもちろんありませんし、尊敬しております。 少しキツイことを書いているかと思いますが、ご容赦ください。
精神疾患患者について関わりきれなくなって投げだす人がいますがどうしたら防ぐことができますか?
在仏です。ボランティアに関しては、労働環境の違いもかなりあると思います。
フランスは法定労働時間が週に35時間で、残業も業界にもよりますが、全体としては日本ほどありません。
仕事が終わってからもスポーツや家族・友人との集まりができ、ボランティアなどもやりやすい。それ以前に、気持ちの余裕が違います。
またキリスト教文化の影響で(イスラムやユダヤ教も然り)、休息を大事にしていることも大きな違いかと思います。
また地域差もあります。そこは日本と共通していて、人一般は地方が親切で時間に余裕があり、パリの人はストレスフルで意地悪で、国内でも揶揄されるほど。
またヨーロッパといっても広く、大きくフランス・イタリア・スペイン・ポルトガルのラテン系の国、ドイツから北欧・イギリスのゲルマン系、クロアチアなど東欧のラテン・スラブ系、ウクライナなどスラブ系、ギリシャなどイスラム圏に近い国で、かなり文化や人の傾向が変わってきます。
割と聞くのは、ラテン系の国はルーズで公共手続きが最悪・経済もイマイチだけど人好きでオープン、ゲルマン系は超個人主義で他人に興味なし(特にオランダ・ドイツ)だが厳格で商売が上手い、というのがステレオタイプなイメージかなと思います。
こちらに来てから、私も含めた他のアジア人(中国人以外)や北アフリカ・西アフリカ、ラテンアメリカの人は誰でも構わず親切にしますが、特にヨーロッパ圏や北米の人は「自分たちとそれ以外」がはっきりしていて、知らない人には全然関わらない傾向が強いなと思います。特にスラブ系は顕著。
おそらく日本は昔はもっと人に親切で、わざわざボランティアしなくとも社会的な機能に助け合いが組み込まれた。
しかし近代化で欧米化が進むにつれ、欧米で教会が担ってきた助け合いの機能や文化は宗教の違いから完全に切り落として、寺を中心とした地域社会も国家神道化で切り捨て、経済や政治機能、軍事や科学を導入する段階で、元々の社会的機能に組み込まれた助け合いが消えた。
でもヨーロッパは他文化を取り込むような変化はなかったから(言ってもアメリカ化)、ボランティア精神は残ってるってことかなと思います。
文化背景の違いでしっくりこない感覚は分かります。どうしたって無理があります。それならどうしたら良いのかってところですけど。
冒頭の精神科の患者さんについての客観的な見方がショック〜事実だけど。退行して、性格悪くなっているし…
そもそもボランティアってなんだろうと、疑問があります。ある程度 定義はあると思うのですが、人によって捉え方が違う気がするし、日本はボランティアに対する美德感や 逆に軽視もある気がします(偏見かもしれませんが…。)
国や地域によって、ボランティアにも文化的な違いがあるのは面白いなぁと思いました。
社会的役割が文化圏や個人的史観で、どのように手助けし、どこで線を引くかが、違うんでしょうね。でも、ボランティア活動にあたり、ゲストよりスタッフが優先的であることは、活動継続性を考えると仕方ないです。団体が潰れちゃいますから。支援されたら、団体としてある程度責任があるのが、日本かも。その意味で根強いですね。
ボランティア活動も仕事の一種になるんだなと改めて思いました。
最近、生成AIが出て来て、色々説明できるようになってきた件、昭和後期、まだ、人生に線路感があった時代、詰込教育、ペーパーテスト偏差値教育、学校で何か新しい事をすると「前例が無い」、0・100論、減点主義、とか、そのような考え方があるが、他の考え方もあると説明が大変だっ件(福島原発事故もこれら問題だったとも)、生成AIで、「教師あり学習」、「教師無し学習」の言葉があるが、文系の人でもイメージ出来る件で助かった件、サイコロやロトくじとか、失敗してもフィードバックはないが、例えばアクセサリー雑貨店とか何を仕入れて何を売るかある意味ギャンブル、ポーカーや麻雀とか、失敗してもフィードバックがあり、PDCAサイクル(カイゼンサイクル)で、強い人、弱い人がいて、勝率100%は無理だがそれに近づくように強くなる事が出来る、と、直感的にも、普通に理解説明できるようになった件、生成AIがバブル前後に出来ていれば、失われた30年はもっと短く、デフレから軽インフレ経済の回復が早く、福島原発事故も無かった、と考えてしまう件。生成AIの処理過程を説明する事で、複雑な哲学・心理学を引出す必要が無く、科学的に、心理的な事がある程度説明すれば直感的に説明できるようになって来ている件(ただ絶対正しいか説明しろ証明しろと言われてもディープラーニングは、まだなぜできるかはブラックボックスと言われて、説明が出来ても、数学の整数論みたいなってしまう感じがある件)。
わたしは留学経験等がないのでChatGPTにヨーロッパと日本のボランティアの違いについてきいてみました。長いのでスレッドへ。
ヨーロッパと日本のボランティア活動にはいくつかの違いがあります。文化的背景や社会の構造、歴史的な経緯により、それぞれの地域でのボランティア活動のあり方や捉え方が異なります。以下に主な違いを挙げます。
### 1. **文化的背景と動機**
- **ヨーロッパ**:
- 多くのヨーロッパ諸国では、ボランティア活動は市民社会の重要な一部とされ、社会的責任やコミュニティへの貢献が強調されます。宗教的な背景や歴史的な理由から、慈善活動が盛んな地域もあります。
- ボランティア活動は学校教育の一環として取り入れられていることが多く、若い世代からボランティア精神を養う文化があります。
- **日本**:
- 日本では、ボランティア活動は比較的新しい概念であり、1995年の阪神・淡路大震災を契機に広がりました。これ以降、災害時の支援活動がボランティアの中心的な役割となっています。
- 伝統的に「助け合い」の文化があり、地域社会や家族内での支援活動は古くから存在しますが、組織化されたボランティア活動としては欧米に比べて歴史が浅いです。
### 2. **組織と制度**
- **ヨーロッパ**:
- 多くの国では、ボランティア活動を支援するための制度やインフラが整っています。ボランティアコーディネーターや専任スタッフがいる組織も多く、活動の計画や管理が専門的に行われています。
- 政府や地方自治体がボランティア活動を推進し、法的な支援や助成金を提供する制度が整備されている国もあります。
- **日本**:
- 日本でもボランティアセンターやNPOが活動を支援していますが、組織化や制度の面ではまだ発展途上です。ボランティアコーディネーターの専門性が求められる一方で、そうした役割の確立は進行中です。
- 地方自治体や企業がボランティア活動を推進する動きがあるものの、まだ限られた範囲での支援にとどまることが多いです。
### 3. **活動内容と参加率**
- **ヨーロッパ**:
- 福祉や教育、環境保護、文化活動など、多様な分野でボランティア活動が行われています。特に社会的弱者や移民支援、国際協力の分野での活動が盛んです。
- ボランティア参加率が高く、多くの市民が定期的に何らかのボランティア活動に参加しています。
- **日本**:
- 災害支援がボランティア活動の中心的な役割を果たしており、特に地震や台風などの災害時に多くのボランティアが活動します。
- 福祉や教育の分野でも活動が行われていますが、ボランティア参加率はヨーロッパに比べて低いです。特に若者の参加率が課題とされています。
### まとめ
ヨーロッパと日本のボランティア活動には、歴史的背景や文化的な違いが反映されています。ヨーロッパでは市民社会の一部としてボランティア活動が根付いている一方で、日本では災害支援が主な役割を果たし、組織化や参加率の面で課題が残っています。しかし、いずれの地域でも社会貢献の重要性は共通しており、ボランティア活動を通じて地域社会の強化や連帯感の醸成が進められています。
この返答を受けて感じたのは、まだまだ日本はボランティアの範囲も歴史も狭く浅いのだな、ということです。
日本人に根付いた感覚…例えば、真面目、自己犠牲を美化する、出る杭は打たれて当然、空気読めないやつが悪い、年功序列…などの生真面目で堅苦しい感覚は、ボランティアをする側にとっても受ける側にとっても、ある種の抵抗を感じる原因ではないかなと思いました。施しが真面目できめ細かい代わりに、広まることにストップをかけている、というか。「良い意味でのテキトー」が許されないデメリットはあるだろうなと思います。
こういうのにあんまり、参加してないから、背景がみえてないけど……昔のオンラインゲームのサークルにははいってたのだ ε( c*•ω•)
運営していたのは、主に専業主婦だったわね……それ以外の人が運営すると……余裕がないのか、破綻してしまうケースがおおかったように、みえるのだ ε(。 ーω✧) キラッ
ある程度、余裕のある人が、たいせつだから……貧富の差はすくない方がいいわね……元々、ボランティアは、海外から輸入されてるとおもうから……根底は、ヨーロッパと日本の違いは、すくないとおもうのだ ε( ー̀ωー́ )
文化が違うのですかね~!
私の性格的に、
ボランティアするのは無理。
なので、寄附してます。
すみません、ボードに何書いてるかわかりません
世のため人のためになりたいからやりたいと思うんじゃないですかね?
あの、自助会で口頭注意とか、話が出ていましたので。関連質問といいますか……
苦言はハッキリ呈して欲しいのです、私は。直言して欲しいのに、してくれない。おっしゃること二転三転いちいち論点外すし射る気があるのかないのか?それを称して精神科の患者さんへの「配慮」とされるのが個人的にはいちばん困っているのですが?
同様の声はありませんか?
そうなんですね!捉え方 変わって来てるんですね!
😅