Leonardo History Goals | Brazil national team | AC Milan Paris Saint-Germain
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- Опубликовано: 7 сен 2024
- Leonardo Passed Flamengo at the age of 15.
In 1987, he debut a top team at the age of 17. He played with amazing members such as Zico, Leandro, Bebeto and Jorginho. He won the Brazilian national championship in his debut year.
In 1990, transferred to São Paulo Futebol Clube at the age of 20.
In 1991, he was 21 years old and transferred to Valencia in the first division of Spain.
In 1993, He Participated in the Toyota Cup and Played against AC Milan.
He Participated in the 1994 USA World Cup. He got a red card in the match against the United States.
In 1994, he joined Kashima Antlers at the age of 24.
In 1995, he scored a super goal from lifting in the match against Yokohama Flugels.
At the age of 27 in the 1996-97 season, he transferred to the Paris Saint-Germain Football Club in France.
1997 Tournoi de France.
1997 Copa America in Bolivia.
Summer 1997 27 years old Transferred to AC Milan.
He won the 1998-99 season Serie A.
1998 France World Cup.
鹿島からPSG移籍した時の記者会見でフランスメディアから『あなたほどの選手が日本で2年以上も過ごしたのは時間の無駄だったんでは?』みたいな意地悪な質問されたんだけど、その時にレオはかなりガチ目に怒りながら『そんな事はありえない!私は日本で更に成長する事ができた、私は日本とJリーグに感謝してる』と反論してたのがめちゃくちゃカッコ良かったなぁ。
きあ
レオナルドにストイコビッチ、この二人が同時期にJリーグでプレーしてたの思うとすごすぎる。
欧州のサラリーが今ほどインフレしていなかったのもあると思う。ブラジルは名門チームでも給与の遅配があったりしていて金払いの良い日本は人気があった。
ジーコに憧れて日本に来たし、そのジーコから日本のレベル向上のためにも海外戻れって言われて素直に海外に行った良い子のイメージ。
天才。現役バリバリで日本に来てくれたことが驚き。改めて見ても鳥肌が立つプレイ。
一番良い時を鹿島で過ごしてくれたことに感謝。ジーコにも感謝。ジョルジにも。ヨーロッパの選手も今後は受け入れるかもしれないが、今後も鹿島にとってブラジルは一番特別な存在であり続けるだろう。
Jに来た選手たちの中で今でも夢だったんじゃと思えるレベルの選手はレオとピクシーだったと思ってる。
レオナルドこそ人格者そのものです。まさに貴公子!日本に来てくれてありがとう。スタジアムで生で見れた時は
感動しました。
フリューゲルス戦のゴールはJリーグ史上NO1ゴール。
今になっても色褪せない。
今でも語り継がれてますね🤗💖💖
このレベルの選手が24歳でJに来たってのは本当凄いな
レオナルドはトヨタカップ サンパウロFCでのプレーが記憶に残る中で鹿島に来たのがビックリした。
レオナルドのチャントはカッコ良かったし、リフティングボレーを生で観られたのは宝物です。
本当に素晴らしかったですよね。レオもジョルジもジ―コという神のお告げがあったからこそ。今でこそ年齢もあって神通力は以前ほどではありませんが、ブラジル人にとってはバルサやバイエルン以上の神だったのです。
レオ様の動画ありがとうございます。アントラーズファンとしては永遠のヒーローです。
98年リバウドに10番取られた時、ミランでボバンからスタメン取れなかった時、ひたむきにがむしゃらにプレーするレオ様が大好きです。
いつか我がアントラーズに戻ってきて下さい。
もちもん今の岩政大先生も絶叫に,勝って‼️
レオナルドはジーコによって鹿島アントラーズ入りし、ジーコによって鹿島アントラーズからパリ・サンジェルマンへ移籍した。1996シーズンはシーズン一杯プレイしたいと言ったが、ジーコは「早く、行くべきだ」と、快く送り出した。そして、鹿島は見事Jリーグ優勝を果たす。不動の常勝軍団の足固めをつくったのだ。
鹿島での戦績
49試合
30ゴール21アシスト
化け物すぎる
何がすごいってMFでこの数字だしな、FWだとしても相当エグい数字なのに。
鹿島ファンだが、当時彼が24歳からしかも3年も在籍していたことを全く忘れていた。
彼の真剣なプレーを見ると、驚きと感謝を感じるとともに、旬の過ぎた金のためだけにJに来たとも取られそうな面々が思い出された。トーレス、ポドルスキ…。
ジーコってやっぱりすごいなぁ。
ホント貴公子だった。華麗なプレーも然ることながらワールドカップか何かでブチ切れてるドゥンガに真顔で怒鳴って怒ってたのすげぇなと感心した思い出。
まさかミランやバルサのオファーを断って鹿島に来ていたとは驚き。ジーコ様様。
ミランやバルサ…フランスリーグとかよりも、ジーコの方が魅力だったんでしょうね。それ以上に、義の男なんじゃないか?とも思えて仕方ない……。
ゴリゴリの肉弾戦サッカーが好きな人もいるけどレオ様もピクシーも華麗なサッカーを目指したい人には永遠の教科書であり続けるんでしょうね。ヤッパりカッコいい憧れです。
当時のJリーグヤバすぎだろw
@@user-uw2ll3rz5y そうです!毎日は大袈裟だけど、月に一度くらいは各国のスーパースターが日本に?!という、話題で尽きませんでした……。そして本当に来ちゃう!!でも、このクラスが居るなら当時誰が来ても不思議では無かったんだわな~…と。今更(笑)
@@user-uw2ll3rz5y
当時の日本は未だバブル景気の残照があってカネ払が良かったのだろう
ベベト、ジョルジ、レオナルド当時ブラジル代表で輝いていた選手が鹿島でサッカーをしていたのが凄いなやはりジーコの影響力は凄いんだね!
レオ様の貴重な動画を上げてくれてありがとう。
当時多かった上手いだけの選手ではなくて、競れて守れて走れる現代的なハーフだった
当時のブラジルの現役10番だからな
今でいうネイマールが来るようなもんだし
ネイマールより遥かに紳士
アメリカW杯の肘打ちは?
エヂムンドがセレソンで一番性格悪いのはあいつだ、あのぶりっ子キャラには本当うんざりだ、と言ってた。
表裏激しいイメージは自分もあるけどね。
監督業の売り込みの為か、日本代表監督に手を挙げてみたりとか。
@@xxs4740 暴言吐きまくりの、人殺して逃げた人に言われても(エジムンド)説得力ないな〜
1993のトヨタカップが初見でしたが、ライーの後釜としてサンパウロFCで10番付けてプレーし、翌年のW杯ではサイドバックで出場して優勝メンバー。そんな選手が鹿島に移籍してくるとは驚きで・・・すかさずレオナルドを観る為にカシマへ行ったのは思い出です。
左サイドバックをやってた影響なのかもですが、やたらに球際が強いです。前のポジションであれだけフォアチェック出来たら、相手自陣でカウンター仕掛けられますよね。
Jから海外移籍した選手で、フッキもいますが、私個人としてはレオが最高の選手だと思います。
逆に海外から移籍して来た選手で最も優れていたのは、やはりアントラーズにいたジョルジ―ニョでした。当時バイエルンミュンヘン在籍中に世界最高の右サイドバックの称号に違わず、キレッキレの全盛でした!
レオナルドって誰?うまくない?と当時思ってたけど、実績を後から知って驚愕した。日本という未開なサッカーの地で己を成長させる事が出来たと日本に感謝を告げて、パリサンジェルマンに行きACミランでも確固たる地位を確立させてたレオに日本で素晴らしいプレーを見せてくれた事に感謝しかない。有り難うセレソンの貴公子。
貧困から生まれたスターもかっこいいけど、裕福な家庭から生まれたスターもかっこいいね。
選手生命絶頂期に鹿島にいた事の奇跡。ジーコパワーの真髄。鹿島からビッグクラブへと渡り歩いた稀有な存在。94W杯エルボー事件が懐かしい。
何が凄いかというとバック、デフェンスからラストパス、フリーキック、フォワードまで全てできる超マルチプレイヤー
これをサイドバックで使うという発想がブラジルすごいわ。
ブラジルのアイルトンセナやレオナルドといい貴公子風イケメンが好き。
鹿島アントラーズでの活躍の後、ミランのトップ下を担い、リバウドにポジションを奪われるまでセレソンのナンバー10を背負った貴公子。こんな才能がサイドバックだなんて、そりゃあW杯を獲るわけですよね。のちのリバウドのプレーを見れば、控えも仕方ないと納得させられましたが。
ね
ブラジルでは上手い奴がサイドバックやるらしいんだけど、にしてもね
今サウジアラビアが100倍近いお金払って選手集めるの見てると、Jリーグ黎明期に有名選手集めたのは大正解だった。
オファーに応えてくれたレオナルドありがとう
ミランやバルセロナからオファーがきてたのに鹿島に来たってのは今で例えるとネイマールがバルセロナに行かずに鹿島に来たようなもんだと思う。
当時のブラジル代表の10番ですしね
こんなに点とってたイメージなかったなーかっこよすぎる ジーコにも感謝
11:57 いやーロマーリオはいつ見ても凄いな
フリューゲスファンだけどレオナルドにはコテンパンにやられた記憶しかない。
日本のリーグで間違いなくを伝説」を残した選手!
レオナルドが来て鹿島ファンになったの覚えてる!
ワクワクしかしなかった(●゚ν゚)
カナリアの10番が二十代前半に
日本のチームに在籍していたなんて
ありえないわぁ
ジーコのお陰か日本の財力か何だか
よう知らんがこの辺りの鹿島は
濃密だったねぇ
振り返るとホント有難かったねぇ
(o^^o)
本来中盤なんだけど初期は代表では左サイドという贅沢な使われ方だったんだよね。それからポジションが前目になってトップ下やフォワードもやっていた。
プレイスタイルはジーコを更に洗練させた感じで華麗だったな。
当時鹿サポだったのに実物見れなかったのが悔しい。
最後の日本語での挨拶に泣けた
ボリビア戦 相手からボール取るのうま過ぎる!
マジでうまい。。。
あの時ほんとよく日本に来てくれたよね!?
長友が2011年インテルに入団した時の監督だった。
98年はロマーリオいたら結果が変わっていただろうか。
レオナルド同級生!
ブラジル人のストリートサッカー気が消えつつある気がしたなあ、動画見てて。
全てにおいてスーパーだよね!?漫画だよ……な。御家柄も良いんだよな〜(笑)。でも、ジーコが居なけりゃ日本のリーグになんか絶対存在しなかったろうプレーヤー。その後は、ミランの監督もやってたし……。それにしても、フラメンゴ時代の写真は御大・ジーコのジーニョ、ジョルジ、そして世界のゴールハンター・ベベトか〜〜。
こりゃ、やっぱりブラジル壱の人気チームな訳だわ。その熱狂のマラカナンの中でも、永遠にジーコは神として語り継がれるんでしょうね。あら!?脱線しちまったか!?
日韓ワールド杯に出てればいうことないキャリアだった
あの当時のレオナルドがJに来たって、今で言うと誰がJに来るくらいですかね
海外行く前のネイマールがJに来た感じ?
当時のブラジル代表の10番がレオナルド
レオナルドが大会を去って、ブランコが出場したことで瓢箪から駒がでた。
jリーグに来てくれて感謝しかないけど、もしこの素晴らしい時期に日本じゃなく欧州に行っていたらもっと凄い選手になってたんじゃないかと思ってしまう。
ワールドカップUSA大会は、レオナルドが肘打ちで退場になったから、優勝出来たと思う😅
オランダ戦のブランコのフリーキックは神でした☺️
8:48
確か代表では左サイドバックじゃなかったかな?
8:46 あれ
裕福な家庭で
サッカーは
将来の選択足の一つだったと聞いた
でも
うまいね
セレソン10番を背負ったって、一回だけじゃなかったっけ?
vs日本の親善試合で日本のファンの為にだけ着けた試合。
映像見てる?
コパアメリカ、1998W杯の10番
1997のトゥルノワ・ドゥ・フランスでのセレソンは「フッチボウ・アルチ」の至高。その「10」がレオナルドでした。同年のコパ・アメリカもこのチームで優勝。ヂジャウミーニャやデニウソンとともに華麗な攻撃を演出。Ro-Roの決定力とともに素晴らしいチームでした。もちろんそのチームが芸術だけに走らないように締めるのがドゥンガ!
ロマーリオを欠いた1998のチームは得点力を欲して、FW色の強いリバウドを起用し「10」。「18」を着けたレオナルドは、中盤のプレーメイカーとバランサーとして、ロナウド・ベベット(エヂムンド)・リバウドが自由にプレーするのをサポートしていました。決勝まで出場できなかった1994よりも活躍していましたね。
ジーコは偉大だったんだな。監督としては超無能だったけど
ジーコそのものはマラドーナとも直接対決、代表クラブで一度もマラドーナには負けてないぞ