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学生時代、途中から新幹線も開通したけど貧乏学生の私は実家の盛岡までは各駅だったり、急行十和田・八甲田・いわてなどを愛用していました。年末になると上野駅にはおそらく出稼ぎの方達が帰省のため山のようにお土産の袋を持ってホームに並んでいたものです。雪を巻いて入線してくる車輛を見ると「ああ、これから帰省するんだ」と実感しましたが、ドアが開くと(その頃は自動ドアだったような)彼らは真っ先に車両の真ん中に陣取って床に新聞紙を敷き、柿ピーやらさきいかやらをぶちまけて宴会が始まります。その楽しそうな笑顔が忘れられません。やがて1時頃?にはお開きとなり、あちこちでイビキが聞こえ始め、カタンカタンと単調なレールの音が車内に響きます。私はトリスの小瓶をチビチビやりながら、時折通過する踏切の音にちょっとビックリしつつ、ボーッと真っ暗な窓の外を眺めながら、ウトウトと盛岡着まで過ごしていました。やがて朝8:30頃ようやく盛岡到着。みんな、脂ぎった顔のままホームに降りて、寒さに肩をすくめるのでした。書きながら、本当にこんなことあったのだろうかとちょっと戸惑ってしまいますね…。
常磐線の小高にも停車していたんだ。
瀬峰や石越に停車していたのは驚きです。北福岡(現在の二戸)という駅名も時代を感じます。とても貴重な音源、ありがとうございました。
国鉄時代の貴重な音源です。削除する事なく十和田5号に思い入れのあるリスナーのためにも永久保存お願いします。
暖かいご意見ありがとうございます。次世代、その次の世代に音源を渡すために、新に発見できましたら、アップしていきます。
常磐線廻りの旧客混成十和田5号若き日帰省時によく利用しました羽鳥駅構内での踏切事故により相馬駅での運転打ち切りで仙台まで満員の旧客普通列車に揺られながら辿り着いたことを思い出します。
鉄道のスピードが速くなるにつれて、仕事の商圏が広がり、そして負担が多くなっていく気がする。このくらいゆっくりの時代が人間には一番よかったんだろうな。。。
1980年7月27日に十和田5号に乗りました 切符がとってあったので懐かしく思いました。中学2年の時友達と12系のボックスシートに座ってLの字になって寝ました。
懐かしいっす(^^)これに乗り遅れてしまって、15分後に出発する東北線周りの急行『いわて3号』で仙台で追いついた事ありました
随分気合い入ってる車内放送だこと、この車掌は高血圧だな。
「ズドードア」では、ありません。車掌さんなまってますね。上野(ウイノ)から汽車に乗った時点からこれから東北方面に行くんだなって故郷や旅情を感じて何だか昭和の良い味が出ていますよね!今は、車掌さんのアナウンスは、ありますが都会的で電子音や英国の放送で何だか通勤電車見たいに窮屈な感じがします。
盗難ズコも増えでおります。ボースかけぬかけますた上着の…この車掌長さん、ゆうづ9.11.13号や臨時八甲田などよく出てきました。やはり、味があって、今聞いても何だか旅情がわいてきます。
ナイターが延びてこれで茨城の自宅へ帰ったことがあったなあ。車内減灯するし、乗り過ごしたら大変!
こんばんは😃🌃この当時、自分はまだ3歳で世田谷から埼玉に引っ越したばかりでした。旧客の急行列車懐かしいですね。鉄道模型では色んな旧客を持ってますがここ10年近く走らせておりません。
車掌さんなまってて、親しみ感じる昔は、本当にのんびりしていていい時代だよねー新幹線は確かに早くて便利だけど、こうゆう在来線も残して欲しかった。確かに採算がとれないのわかるけど
コメントありがとうございます。 良い意味で昭和を感じる録音かと思います。 今は、経営第一、機械化できるものは機械へと言う時代です。 ハード、ソフト両面でこの時代の旅人はどのように感じていたかをこの録音で感じて頂ければとおもいます。
列車が完全に止まってなくても降りられる時代。まだ10系の頃かしら。
上野~仙台夜行と、仙台~青森昼行列車だったのですね。
盛岡 8:25 上野~青森は続きを読むを押してください。 好摩 8:48一戸 9:28北福岡 9:35→北福岡駅の映像あります。見てください。上野 23:20土浦 0:19水戸 1:03日立 1:39 平 2:32小高 4:02原ノ町 4:14相馬 4:35仙台 5:34小牛田 6:16瀬峰 6:28石越 6:42一関 7:01 岩手県前沢 7:16 ⇩水沢 7:26 ⇩北上 7:43 ⇩花巻 7:56 ⇩盛岡 8:25 ⇩好摩 8:48 ⇩一戸 9:28 ⇩北福岡 9:35 岩手県三戸 9:48 青森県八戸 10:06 ⇩三沢 10:38 ⇩野辺地 11:02 ⇩浅虫 11:23 ⇩青森 11:41 青森県
主な駅の到着時刻水戸 1時3分平 2時32分仙台 5時34分盛岡 8時25分青森 11時41分
当時、東北・常磐線系統で青森行の列車の車掌区は、上野車掌区又は青森車掌区の担当でした。JR移行後に、上野持ちだった列車が青森に移管されたり変遷がありました。
富岡・浪江通過でこの列車だけ小高に停車してましたね
車掌さんは鼻にかかる声なイメージがあったけど、そういう訳でもないんですね
やっぱり、車内放送はベテランの車掌さんの声が一番です。東北訛りがあって人情味のある車掌さんでいいですね。現在の車内放送は自動放送で、車掌の放送があっても若い車掌さんや女性車掌さんの車内放送じゃ事務的な感じで味気無い感じがします。批判する訳じゃないですが。。。
そうですね!味わい深いアナウンスです。昔は40歳位にならないと優等列車に乗務出来ませんでした。
ハイケンスが流れて終わるのかと思いきや、その後もアナウンスが続くというのがご愛嬌ですね。言い忘れちゃったのかな笑
今なら“何で手動ドアなんだ、安全対策がなってない”とか喚くヴァカが出てきそう。昔の方が自己責任だったんだよ
車掌長、無札客に急行券の案内忘れた感
自動ドアではない?
学生時代、途中から新幹線も開通したけど貧乏学生の私は実家の盛岡までは各駅だったり、急行十和田・八甲田・いわてなどを愛用していました。年末になると上野駅にはおそらく出稼ぎの方達が帰省のため山のようにお土産の袋を持ってホームに並んでいたものです。雪を巻いて入線してくる車輛を見ると「ああ、これから帰省するんだ」と実感しましたが、ドアが開くと(その頃は自動ドアだったような)彼らは真っ先に車両の真ん中に陣取って床に新聞紙を敷き、柿ピーやらさきいかやらをぶちまけて宴会が始まります。その楽しそうな笑顔が忘れられません。やがて1時頃?にはお開きとなり、あちこちでイビキが聞こえ始め、カタンカタンと単調なレールの音が車内に響きます。私はトリスの小瓶をチビチビやりながら、時折通過する踏切の音にちょっとビックリしつつ、ボーッと真っ暗な窓の外を眺めながら、ウトウトと盛岡着まで過ごしていました。
やがて朝8:30頃ようやく盛岡到着。みんな、脂ぎった顔のままホームに降りて、寒さに肩をすくめるのでした。書きながら、本当にこんなことあったのだろうかとちょっと戸惑ってしまいますね…。
常磐線の小高にも停車していたんだ。
瀬峰や石越に停車していたのは驚きです。北福岡(現在の二戸)という駅名も時代を感じます。とても貴重な音源、ありがとうございました。
国鉄時代の貴重な音源です。削除する事なく十和田5号に思い入れのあるリスナーのためにも永久保存お願いします。
暖かいご意見ありがとうございます。次世代、その次の世代に音源を渡すために、新に発見できましたら、アップしていきます。
常磐線廻りの旧客混成十和田5号若き日帰省時によく利用しました
羽鳥駅構内での踏切事故により相馬駅での運転打ち切りで仙台まで満員の
旧客普通列車に揺られながら辿り着いたことを思い出します。
鉄道のスピードが速くなるにつれて、
仕事の商圏が広がり、そして負担が多くなっていく気がする。
このくらいゆっくりの時代が人間には一番よかったんだろうな。。。
1980年7月27日に十和田5号に乗りました 切符がとってあったので
懐かしく思いました。
中学2年の時友達と12系のボックスシートに座ってLの字になって寝ました。
懐かしいっす(^^)
これに乗り遅れてしまって、15分後に出発する東北線周りの急行『いわて3号』で仙台で追いついた事ありました
随分気合い入ってる車内放送だこと、この車掌は高血圧だな。
「ズドードア」では、ありません。車掌さんなまってますね。上野(ウイノ)から汽車に乗った時点からこれから東北方面に行くんだなって故郷や旅情を感じて何だか昭和の良い味が出ていますよね!今は、車掌さんのアナウンスは、ありますが都会的で電子音や英国の放送で何だか通勤電車見たいに窮屈な感じがします。
盗難ズコも増えでおります。
ボースかけぬかけますた上着の…
この車掌長さん、ゆうづ9.11.13号や臨時八甲田などよく出てきました。やはり、味があって、今聞いても何だか旅情がわいてきます。
ナイターが延びてこれで茨城の自宅へ帰ったことがあったなあ。車内減灯するし、乗り過ごしたら大変!
こんばんは😃🌃この当時、自分はまだ3歳で世田谷から埼玉に引っ越したばかりでした。旧客の急行列車懐かしいですね。鉄道模型では色んな旧客を持ってますがここ10年近く走らせておりません。
車掌さんなまってて、親しみ感じる昔は、本当にのんびりしていていい時代だよねー新幹線は確かに早くて便利だけど、こうゆう在来線も残して欲しかった。確かに採算がとれないのわかるけど
コメントありがとうございます。 良い意味で昭和を感じる録音かと思います。 今は、経営第一、機械化できるものは機械へと言う時代です。 ハード、ソフト両面でこの時代の旅人はどのように感じていたかをこの録音で感じて頂ければとおもいます。
列車が完全に止まってなくても降りられる時代。まだ10系の頃かしら。
上野~仙台夜行と、仙台~青森昼行列車だったのですね。
盛岡 8:25 上野~青森は続きを読むを押してください。
好摩 8:48
一戸 9:28
北福岡 9:35→北福岡駅の映像あります。見てください。
上野 23:20
土浦 0:19
水戸 1:03
日立 1:39
平 2:32
小高 4:02
原ノ町 4:14
相馬 4:35
仙台 5:34
小牛田 6:16
瀬峰 6:28
石越 6:42
一関 7:01 岩手県
前沢 7:16 ⇩
水沢 7:26 ⇩
北上 7:43 ⇩
花巻 7:56 ⇩
盛岡 8:25 ⇩
好摩 8:48 ⇩
一戸 9:28 ⇩
北福岡 9:35 岩手県
三戸 9:48 青森県
八戸 10:06 ⇩
三沢 10:38 ⇩
野辺地 11:02 ⇩
浅虫 11:23 ⇩
青森 11:41 青森県
主な駅の到着時刻
水戸 1時3分
平 2時32分
仙台 5時34分
盛岡 8時25分
青森 11時41分
当時、東北・常磐線系統で青森行の列車の車掌区は、上野車掌区又は青森車掌区の担当でした。JR移行後に、上野持ちだった列車が青森に移管されたり変遷がありました。
富岡・浪江通過でこの列車だけ小高に停車してましたね
車掌さんは鼻にかかる声なイメージがあったけど、そういう訳でもないんですね
やっぱり、車内放送はベテランの車掌さんの声が一番です。東北訛りがあって人情味のある車掌さんでいいですね。現在の車内放送は自動放送で、車掌の放送があっても若い車掌さんや女性車掌さんの車内放送じゃ事務的な感じで味気無い感じがします。批判する訳じゃないですが。。。
そうですね!味わい深いアナウンスです。昔は40歳位にならないと優等列車に乗務出来ませんでした。
ハイケンスが流れて終わるのかと思いきや、その後もアナウンスが続くというのがご愛嬌ですね。
言い忘れちゃったのかな笑
今なら“何で手動ドアなんだ、安全対策がなってない”とか
喚くヴァカが出てきそう。
昔の方が自己責任だったんだよ
車掌長、無札客に急行券の案内忘れた感
自動ドアではない?
主な駅の到着時刻
水戸 1時3分
平 2時32分
仙台 5時34分
盛岡 8時25分
青森 11時41分